Angel Sugar

「誤解だって愛のうち」 最終章

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 祐馬が聞く体勢を取ってくれたのを確認して戸浪はぽつぽつと話し始めた。話しだして祐馬が最初言ったのは「高校って……そんな長い間つき合ってたのか?」と言う驚きの声だった。
「いや、そういう付き合いになったのは私が三年の時だ……。相手は……一つ上だったんだが……」
「なあ、話しにくい?」
 隣に座る祐馬がこちらの顔を覗き込むように言った。だが一度は話して置かなければならないと思っていたのだ。だから嫌な話はさっさと話し、その後二度と話さなければ良い。
「……そんなことはない……話すと決めたからな……」
 言って戸浪は両足を抱えた。お互い向かい合っているわけではないので、まだ話しやすいと戸浪は思った。  
「高校の先輩だったんだ。私は別に恋愛感情など無かった。だがあいつが言うには私をずっと見ていたそうだ……」
「……ふうん……で、三年になったとき告白されたんだ?」
「……まあな。最初は冗談だと思ったんだが……。そのとき相手の男はこっちの……東京の方の大学に入っていたんだ。それで春休みや夏休みに……実家に帰ってくるたびに会っていたんだ。つき合いだして……暫くすると私にも出て来いと言ったよ。私も大学は東京の方へ行きたかったのもあって、こっちに出て大学を受けた」
 言って戸浪は祐馬の肩にもたれた。何か安心するものに身体を触れさせていたかったのだ。祐馬はそんな戸浪が分かるのか、こちらの肩を抱くように腕を廻してきた。その手がホッとするような温もりを持っていた。
「大学に入って……二年……一緒に暮らした……」
 楽しかっただろうか?
 その時の気持ちはもう余り覚えていないのだ。
 最後の日の痛みが、楽しかった筈の二年間をも霞ませてしまっている。
「……二年……」
「ああ。あの男が大学四年目に入って就職活動しだしたころから関係がおかしくなった。だから私が三年になるころ、別々に暮らすようになった。その時は就職活動に専念したいから……というから別れて暮らしたんだ。もうこの頃から向こうは私を疎ましく思っていたんだろうな……。だが自分から来いと言ったもんだから無下にも出来なかったんだろう。結局、内定もらったという電話を受けて、久しぶりに会ったら、別れ話を切り出された。離れて暮らすようになった時点で多分駄目なんだろう……と思っていたからショックはそれほどなかったが……やはり世間体や、将来の方を選んだようだった。何となくあいつはそんな事を言ったからな。まあ、私もずっと一緒にいられるとは思わなかったから……」
 違う……
 もうどうにかなってしまいそうなほど辛かった。
 最後、決定的に別れようと言われるまで信じていた。
 信じたかったのだ。
 優しい男だと……頼れる男だと思っていた。
 だが優しい言葉は余計に残酷だった。
 まだ憎めるほど酷い言葉で振られたのなら……
 恨めるほどの仕打ちをされていたら……
 これほど引きずることはなかったのではないだろうか?
 今もまだ苦い痛みを思い出せるのだ。
「またな……」といって笑いながら去っていったあの男を……
 もう二度と戻れないはずなのに、「またな」という言葉にどれだけ期待したことだろう。
 あれはただの社交辞令だったのだと気付くのに数年かかった。
「嘘ばっか……最後まで信じてたんだろ……だからずっとひきずってんじゃん」
 祐馬はムッとした声でそう言って、こちらの身体を引き寄せた。
「……っ……」
 戸浪は思わず涙がこみ上げて、それを止めることが出来なかった。もうここ何年も涙など出なかったはずなのに、何故か胸が一杯で言葉すら出なかった。そんな戸浪の顔を隠すように祐馬の手が目元を覆った。
「ま、そいつと別れたから戸浪ちゃんとこうしておれるから、俺、戸浪ちゃんのこと可哀相とか言わない。慰めたりもしない。そいつと今つき合ってたら俺の入る隙無かっただろうしさ。どんだけアタックしても戸浪ちゃんは俺に見向きもしなかったと思うから……俺、そいつと別れてくれて良かったって言うよ」
 その祐馬の口調は酷く優しかった。
「……っう……う……」
 信じられないくらいポロポロと涙が落ちる。
「出世したい奴はバンバン出世してくれたら良いんだよ。俺達はさあ、そゆの全然興味ないし、ある意味出世とか興味無い同士くっついてるのって良いんじゃない?」
 笑いながら祐馬はそう言った。
「戸浪ちゃん……もっかい……信じられる?」
「……」
「そういうことあったら、すげー恐いと思うんだけど……俺のこと信じてくれる?」
 そっとこちらの目元を覆っていた手をずらして、祐馬は涙目を覗き込んでくる。ぼやけた視界の向こうに見える祐馬の瞳はとても優しい。
 その瞳に誘われるように、思わず戸浪は手を回して祐馬に抱きついた。温かい胸板は出会ってからずっと戸浪の心を温めてくれた。この温もりは体温だけでなく、祐馬の優しい気持ちがそこにあるからなのだ。
 凍えていた手を温めてくれたのも、冷たく凍った心を溶かしてくれたのも祐馬だった。
 だから失いたくなかった。
 だから嫌われたくなかった。
 もう一度誰かを信じたい、愛したいと思わせてくれた。
「……ゆ……ま……」
 名前を呼びたいのに、涙声になった喉は上手く言葉が出ない。
「ね……信じてくれる?俺、ずっと戸浪ちゃんのこと好きでいるよ……そんで……ずっと大事にする。約束する……」
 そう言って祐馬は戸浪の髪を何度も撫で上げた。
 どうして祐馬に先に会わなかったのだろう。
 あの男に会わなかったら……もう少し可愛げのある男で居たはずだ。
 もう少し素直で、正直だった。
 誰かを信じることも、悩まずに簡単に出来た。
 こんな風に祐馬が真剣に問いかけてくれる言葉に素直に喜べた自分が確かに存在していたのに、今、頷くことすら恐かった。
 祐馬には誠実でありたいと思うのにだ。
「済まない……許してくれ……」
 そう戸浪が言うと、何か勘違いした祐馬が慌てて言った。
「え、ちょっと、ここまで来て俺振られちゃうのか?そんな~そんなのないよ~。う~俺戸浪ちゃんが、うんって言うまで、こやって離さないからな」
 ギュッと戸浪を抱きしめたまま祐馬はいきなり動かなくなった。
 その姿はなんだか丸虫のようだ。
 そう思うと可笑しくなって、口元に笑みが浮かんだ。
「祐馬……違うよ……」
 戸浪がようやくそう言うと、廻っている腕が又閉まる。
「がるるるる」
 何故か唸ってる。
「……っ……お前なあ……これじゃあ……話が出来ないだろう……」
「戸浪ちゃんて、ほんと俺を翻弄させるの上手いんだもん……そりゃ先に惚れた方が負けなのは分かってるけどさ……」
 言って祐馬は少しだけ腕の力を緩めた。
「私はね……お前に先に会えたら良かったと思ったんだ。本当にそう思った。そうしたらもっとましな性格の私を見せられたと思ったんだ……。私は本当に可愛げのない男になってしまったから……」
 あれ以来、自分の性格は歪んでしまったような気がして仕方ないのだ。
「あのさ、そいうこと言わないでよね。俺戸浪ちゃんのこと可愛いって思ってるんだからさ。ちょっこっと不器用なとこも、一途なとこも好きだよ。それに、自分が昔誰かを好きになったことを後悔しちゃ駄目だよ。あ、その相手はもうどっかへぽいしてくれたら良いんだけど、誰かを好きになった奇麗な気持ちは……忘れなくて良いと思う」
「祐馬……」
「だってさ、好きになる事って良いことだよ。その事まで忘れたり否定したら自分が可哀相じゃないか。好きになったのは事実で、そのときは幸せな気持ちになったんだったら、それは忘れちゃ駄目だ。後、辛かったことは忘れて良いけど……」
「ああ……ああ、そうだな……」
 でも、今本当に、祐馬と先に出会いたかったと思った。
 心の底から思った。
「祐馬……本当に……お前に先に会いたかった……本当に、本当にそう思うんだ……」
 自分が廻した手に力を込めて祐馬に言った。
「それってさ、その……前の奴より俺の方が好きって事だよな?」
「もう……お前しか見えてない……」
 祐馬と出会ったときからそうだった。
 この大らかな性格と、なにものにもめげない行動力が戸浪にはとてもありがたかった。本当は素直になりたい自分がいる。そんな隠した心をちゃんと見てくれている祐馬にどれだけ救われただろう……。
「戸浪ちゃん……」
「もう誰も好きにならないと決めたはずなのに、こんなにお前を好きになってしまった。その責任は取ってくれるんだろうな?」
 そう戸浪が言うと祐馬は満面の笑みで言った。
「たりまえじゃんか。その覚悟出来てるから、戸浪ちゃんの毎日の暴力にも耐えられたんだぞ」
 と、真顔で言う祐馬に戸浪は久しぶりに拳が飛んだ。
「どうして、そう言うことを言うんだっ!」
「そゆとこが、暴力的なんじゃないか……」
「……うう……」
 戸浪は本当のことを言われてぐうの音も出ない。
「んでもさ……これって」
 祐馬が意味ありげな目をこちらに向ける。
「戸浪ちゃんの一種の愛情表現だよな。ほんと、恥ずかしがり屋なんだから……」
 言われてかあっと赤らめた顔から湯気が出そうだった。だが次に言われた言葉はもっと恥ずかしかった。
「でさ……そろそろ……ベットいこっか?」
 耳元でそう囁かれ、戸浪は目をギュッと閉じた。
 だが……

「……ねえ戸浪ちゃん……もしかしてまだ引っ越しの途中なの?」
 部屋に入ると、まだ空けていないダンボールが積まれている。元々戸浪は物持ちで無いために、それほどの量は無いが、その分、閑散とした感じがする。
 こんな部屋にずっと居たのだろうかと思うと、なんだか余計に可哀相になってきた。
「何をする気にもなれなかったんだ……」
 戸浪はそう言って、ちらりとこちらを見る。
「もしかして……」
 このマンションは2DKであったが、寝室らしき部屋にはぽつんと毛布が置かれているだけであった。
「あのさ、戸浪ちゃん。こんな冷たいフローリングの上に毛布一枚で毎日寝てたの?」
 戸浪はそれを聞いて頷いた。
 信じられない……
 居間は空けてないダンボールだけがぽつぽつと置かれていた。いまこの六畳の部屋も何にも無く、ただ窓際に毛布だけが畳んで置かれているのだ。
 この男、一人にしたら死んでしまうんじゃないかと本気で祐馬は思った。
「……だから言っただろう。何をする気にもなれなかったんだと……」
「こんなの人間の生活じゃないぞっ!そりゃ、もそろそろ暖かくなってきたけどさ、せめて敷き布団くらい引けよ!身体壊したらどうすんだよ!」
 どうしてこの男は自分自身を大事にしないのかと祐馬は思った。
 戸浪は何か悩んだりすると、いきなり人間の生活を忘れてしまうのだ。確かにそう言う所がある。だがこんなに酷いとは思わなかった。
「……済まない……分かっていたんだが……」
「もいい、とにかくこれから俺んちに一緒に帰る!荷物も車に積めるだけ積んで行くよ!」
「祐馬その事なんだが……ここの契約をしたばかりなんだ。だから一緒には……」
 申し訳なさそうに戸浪が言う。
「駄目だよっ!戸浪ちゃん一人にしたらちゃんと生活出来ないじゃないかっ!まだここ借りて間もないんだろ?んじゃ契約破棄だっ!」
 とにかくもう今日から二人で暮らしたいのだ。こんな所に一人置いておけるわけ等無かった。何より、目の届くところに居て貰わないと、戸浪ほどの見目のいい男はどんな誘惑があるか分からない。
 それが一番心配だった。
「破棄って……そんな簡単には……」
 困ったように戸浪が言う。
「出るって言えよ……」
 祐馬がそう小声で言った。
「何が出るんだ?」
「だからお化け……」
「はあ?」
「そんなら、多少違約金は割り引いてくれるよ。上手くいったら払わなくていいしさ。俺、これで逃げたことあるんだ。ま、戸浪ちゃんお金無いんだったら俺も出すよ」
「祐馬お前って……」
 呆れたように戸浪がそう言った。
「戸浪ちゃんが言えないんだったら俺言ってやるよ。ここは出る~ってさ。俺には見える~って。何でも良いけど、さっさと帰ろうよ……俺こんな寂しげなとこ、居るのも気味悪いよ」
「……そうだな……」
「じゃ、さっさと帰ろ。週末にでも全部運べばいいし、とにかく必要なものだけ持っていけば良いじゃない」
 祐馬にしてみれば、今日こそはと思っているのだ。戸浪もその気になっている。随分お預けさせられたのだから、もう我慢できないのだ。気を張っていないと、場所も考えずに襲ってしまいそうな程だった。
「……週末にお前のうちに行くという方が良いんじゃないか?」
 それがどんなに残酷な台詞かということを戸浪は分かっていないのだろうか?
「駄目。駄目だったら駄目だ。俺、死体になった戸浪ちゃんと会いたくないからな」
 それだけじゃないんだよと喉元まで出たのだがぐっと祐馬は堪えた。
「とにかくっ!さっさと帰るんだっ!行くんじゃなくて帰るの!」
 いまいち気乗りのしていない戸浪の背を押しながら、祐馬はダンボールを幾つか持ってマンションを二人で出た。そうして戸浪の車に積むと、ようやくホッとした。
「祐馬……あの……」
 奪った車のキーで、エンジンをかけて車を走らせていると、戸浪が助手席から聞いてきた。 
「何?」
「済まなかった……色々……」
「……俺も謝らなきゃならない事ばっかだから……お互い様にしようよ」
 言って左手を伸ばして戸浪の手を取った。すると今度は戸浪の方からも握り返してきた。なんだかとても幸せだなあと祐馬は思った。
「……あの……」
「今度は何?」
「弟の事だが……誰にも言わないでくれ……」
 こんな時でも弟を心配する戸浪は可愛い。
「何言ってるんだよ。俺が誰に言うんだ?逆に良かったじゃん。お互い家族の中で何かあっても、支え合える相手がいるんだから……」
「……そうだな……」
 戸浪はうっすらと笑った。その表情は対向車のライトに照らされ、まともに見たら事故を起こしそうなほど色っぽかった。
「……う~っ……」
 ずっと見ていたいのだが、必死に祐馬は前を見て運転に集中した。このまま何処か車を停めて、やっちゃってもいいかなあ等と不謹慎なことも考える。
 それはいかんと理性で必死に本能を押さえつけた。
「お前は何を唸っているんだ?」
 不思議そうな顔でこちらを見る戸浪の顔は、拷問だった。
「ああもう、俺さっさと帰りたい……」
 スピードを上げたいのだが、事故を起こしたり、白バイに引っかかることが恐くて祐馬は制限速度を守って車を走らせていた。
 あと少し……
 本当に限界だった。

 うちに帰ると、戸浪はさっさとダンボールを持って片づけだした。先程まで何もしたくないと言っていた本人が、何故か率先して中身を空けている。
「……もさ~それこそ週末でいいじゃんか~」
 戸浪がダンボールを空けている横で、祐馬はゴロンと横になって甘えるように言った。
「なんだか……急にこれを片づけてしまいたくなったんだ……」
 それって、俺とやることを延ばそうとしているのだろうか?
 だけど、片づけている戸浪の表情は嬉しそうだ。
「ここに帰ってきたかったんだ……祐馬……ずっとそう思ってた……」
「俺もずっと帰ってきて欲しかった……」
 身体を起こして祐馬は戸浪の唇を捉え、そのまま舌を滑らせた。最初は逃げ腰だった戸浪の舌も、こちらが捕まえるとすんなりと絡めて来た。
 良い傾向かも~と、内心ほくほくしながら祐馬はそのまま戸浪をカーペットの敷かれている床に押し倒した。
「祐馬……待て……」
 組み敷いた下から戸浪がそう言った。
「途中で止めないでくれる?」
 もう、こっちは止まれないところまで来ているのだ。今日拒否されたらマジで強姦してしまうだろう。
「……あの……先に風呂に入りたいんだ……駄目か?」 
 すがるような戸浪の目を見てどうして駄目だと言えるだろうか?
「うん。……分かった……」
 こっちの方が泣きそうな気分だ。
「……先にベットで待っていてくれるか?」
 だが俯き加減で言う戸浪の顔は真っ赤だ。
「え?」
「……も、これ以上は言わせるなっ!」
 そう叫ぶと戸浪はバスルームの方へ走っていた。
 先にベットで待っていてくれるかって……それって誘ってくれてるって事だよな……。
 うわあ……なんかすんげー恥ずかしいぞ……
 と思いながらも、寝室に走っていくとさっさと服を脱いでベットに潜り込んだ。
 でも俺って、男とやるの初めてなんだよなあ……
 確かにアメリカ留学中には、そういうビデオも見た。友達にそう言うカップルもいた。やり方だって知らない訳じゃない。
 だが、実際やったことは無いのだ。
 俺って実はすげえチャレンジャーなのかもしれない……
 思わずそう考えて笑いが漏れた。
「何が可笑しいんだ……」
 ムッとした戸浪の声が聞こえて思わず布団から顔を上げる。
 白熱灯の柔らかい光に浮かび上がった戸浪は、バスローブを羽織って寝室の扉の所に立っていた。まだ乾かない髪が水分を含んで、重みのある感じに額にかかっている。
 風呂上がりの所為か、戸浪も興奮しているのか分からないが、白っぽい肌がほんのりピンク色になっていた。
 こういう姿を見て興奮しない男がいるなら見てみたいと祐馬は思った。
「え、ちょっと思い出し笑い……」
「……」
「そんなとこ立ってないでこっち来いよ」
 祐馬がそう言うと戸浪はおずおずとこちらに来て、ベットに腰をかけた。そうしてこちらを肩越しにちらりと見る。
「んも~処女みたいに何恥ずかしがってんの?」
 と、祐馬が言うとまた拳が飛んできた。
「あいてっ!」
「お前はっ……こ、こんな時にまでふざけるなっ!」
「ふざけてないんだけど……」
 言って戸浪を後ろから抱きしめる。
「……」
「戸浪ちゃん……すげえ綺麗……」
 後ろからそろそろとバスローブを脱がし、露わになった戸浪の肩に唇を這わせる。まだシャワーの湯の熱さが残る肌はほわりと温かかった。
「……っ」
 巻き付ける腕に戸浪が手をかけて、うつむき加減にこちらを伺っている。何が怖いのか、やっぱり強ばってくる身体の感触を祐馬は舌に感じたが、ここで引き下がる気は無かった。
「……怖い?んでも止めないよ……」
 後ろから首筋を愛撫しながら祐馬は言った。
「止めなくていい……」
 戸浪は小さくそう言った。
「うん。とまんないよ……」
 前に回している手で戸浪の胸元をまさぐると、やはり制止するように戸浪の手がこちらの手首を掴む。それでもその掴む力はそれほど強くない。
 この男、本気を出したら両腕とも折られているだろう。だがそんな気が無いのも祐馬には分かっていた。
「……あっ……」
 胸の尖りを両方とも掴むと戸浪が声を上げて頭を仰け反らした。
「ここ、感じるの?」
「ば、馬鹿……そんな風に……言うなっ……あっ……」
 ぎゅっと親指と人差し指で摘むと戸浪が又声を上げる。
「感じるんじゃない……いいじゃん、気持ちよがってくれたら、俺も嬉しいんだぞ……」
 親指をぐりぐり動かすと、戸浪が腕の中で跳ねる。だがやっぱり身体はまだガチガチだ。
「仕方ねえなあ~も~ほんと身体ガチガチじゃんか……」
 一旦身体を離すと、戸浪が振り返ってこちらを睨み付けた。
「……また……ここで止める気か?」
 そう言う戸浪は瞳を潤ませている。
「違うよ……ほら、ゆっくり身体をほぐそうってね……」
 震えてガチガチの身体を祐馬は自分に引き寄せて、まるで寒さに凍えている子供を温めるようにその胸に抱いた。
「俺……こうやって裸でまず抱き合いたかったんだ……」
 直接肌を触れ合わせて抱き合うと、最初ガチガチだった身体が少しずつリラックスしてくるのが祐馬に分かった。
「な、気持ち良いだろ?人の肌の温もりっていいよな……」
 見ると戸浪はこちらの胸元に頬をぴったり張り合わせて、その温もりに酔ったような目をしている。
 怖いのなら、怖くないようにゆっくりやれば良いのだ。もちろん、祐馬にしてみれば、欲望の赴くまま戸浪を抱きたいと言う気持ちもある。だが、そんな快感を感じたところでちっとも気持ちよくなどなれないのだ。
 多少時間がかかっても、最後までやれたらいい……
 俺がセーブして戸浪を抱いてやれば、身体だって受け入れてくれるはずだ。
 これから何度だってこうやって抱き合えるんだから……
 無理は厳禁……
 理性は必須……
 と、祐馬が考えていることなど何も知らない戸浪は、腕の中でその温もりに浸っていた。
「怖くないだろ?」
 そう言って祐馬は戸浪の背中を上下に撫でる。少しずつ強ばりの取れてくる戸浪の身体に満足しながら祐馬は何度も背や、頭を撫でた。
「ああ……祐馬……気持ち良い……」
 細めた瞳がこちらをじっと見ている。
「もっと気持ちよくなれるよ……」
「……ああ……」
 そろそろ始めても良いかなあ……なあんて祐馬が思っていると、腕の中から寝息が聞こえてきた。
 はい?
「戸浪ちゃん?」
 すー
「もしかして……寝た?」
 すーすー
「う、嘘お……」
 戸浪は気持ちよさそうに、祐馬の胸を枕にして眠っていた。起こそうかと思ったのだが余りにも気持ちよさそうに眠る戸浪を起こすに忍びない。
「はあ……信じられない……」
 ちらりと頭を上げて伺うと、警戒心のない戸浪の寝顔が見える。
「ずっと睡眠不足だったんだろうなあ……って、そんなんこれから一杯寝られんじゃん。何もこんな時に寝なくても……」
 ぶつぶつと祐馬は一人ごちているのだが、戸浪は微動だにせず寝入ってしまっていた。
「寝てる人間を無理矢理やったら……俺……鬼畜だよな……」
 祐馬はそう言って溜息を付くと、自分も目を閉じた。
 


 朝目を覚ますと、戸浪の方が先に起きたのか、こちらを見て怒っていた。
「……何?何朝からおこってんの?」
 怒りたいのはこっちだよと思いながら戸浪の言い分を聞いて目が点になる。
「お前はやっぱり出来ないんじゃないかっ!」
 ってそりゃあんたが寝たからだろう。
「あのさ、戸浪ちゃん……。戸浪ちゃんが先に寝たんだぞ。これからって時にだよ。寝てる戸浪ちゃんとやったら俺鬼畜じゃんか……」
 頭をばりばりとかいて祐馬は言ったが、戸浪は信用しない。
「お前が先に寝たんだろう」
 機嫌が傾いたまま戸浪は言った。
「信じらんねえ……そんな事言うんだ……。先に寝たの戸浪ちゃんじゃないか」
「私が目を開けたらお前はぐーすか寝てたんだぞ!なんて失礼な奴だっ!」
 おいおい、そりゃないよ~
「違うっ!戸浪ちゃんが先だっ!俺は戸浪ちゃんのこと思ってやんなかったんだっ!」
 祐馬は叫ぶようにそう言った。
「五月蠅い!この根性無しっ!」
「そんな風に言うなら今からやってやろうじゃないの!」
 もー我慢ならないっ!と祐馬は思って戸浪に襲いかかると思いっきり蹴り上げられた。
「馬鹿者っ!これから会社だ。そんな事をしている暇はないっ!」
 そう言って戸浪は自分のバスローブを着直すと、さっさと寝室から出ていった。しかも、ばんっと閉められる扉の音付きだ。
 俺……すんげー不幸?
 祐馬はこのことで当分戸浪と出来そうにないことに気が付いて、蹴り上げられた腹をさすりながら肩を落とした。

―完―
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