Angel Sugar

「煩悩だって愛のうち」 第1章

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「なあ~んも~許してよ戸浪ちゃん……」
 玄関で靴を履きながら祐馬はそう言った。が、戸浪はちらりと祐馬の顔を見ただけで玄関の戸を開けた。
 この男、事もあろうに弟の大地の、しかも彼氏に全くもって、くだらないことを相談したのだ。その内容を大地から聞き出し、激怒してから、暫くほとんど口を聞いてやっていない。
 (*ノベル1 「悪夢のレッスン1」参照)
「と・な・み・ちゃん~」
 機嫌を取るように祐馬はそう言ってこちらの腰を引き寄せた。
「なんだ……っ」
 ようやく膝のギブスもとれ、こっちも、少しばかり期待していたものが、祐馬の行動で一気に冷めた。その上、二週間も会社を休んだしわ寄せは、残業という形で戸浪に返ってきた。だから毎日家に帰るのが遅かった。それもいらいらに繋がっているのだ。
「そんな顔したら美人が台無しだよ。ね?」
 にこにこ顔でそう言われ、やや戸浪の表情が和らいだ時、
「祐ちゃん!久しぶりっ!」
 元気な声でいきなりそう言われ、二人とも振り返った。
 玄関は開いたままになっていたのだ。
「え?鈴?」
 祐馬は知っているのかそう言った。が、その瞬間に戸浪は祐馬を突き飛ばした。
「今なんか二人で抱き合ってた?」
 二十代前半に見えるその女の子は、じっとこちらを見て言った。
 髪はショートで段が入っている。顔は美人と言うより可愛い感じだ。肌は何かスポーツをやっているのか、焼けて健康的な色をしている。手首にはブレスレットの類が色々付いており、動くたびにカチャカチャとそれらが鳴った。
 そして背中には大きなリュックを背負っていた。
「あ、違う違うっ、目にゴミがって……っていうか、お前何でこんな朝早く俺んちにくるんだ?」
 祐馬が慌ててそう言った。
「私、就職活動で名古屋からこっちに来たの。で、泊まるところ無いし、お金もかかるからどうしようって、困ってたんだけど、この間爺ちゃんの誕生会で祐の姉ちゃんに会って相談したの。そしたらここなら広いし良いんじゃないの?って言ってくれて、私の母さんも祐の所だったら良いって言ってくれたの。だから来ちゃった~暫く宜しく~」
 鈴香は手荷物を下に置いてぴょこんと頭を下げた。ショートの髪がその動作で揺れた。
「俺、なんも聞いてないよっ!あ、戸浪ちゃん。こいつ俺の従姉妹の鈴香。ってそんな場合じゃないっ!駄目だからなっ!美里おばさんのいる埼玉に行けよっ!何で俺んちに来るんだよ!」
「ええ~あっち遠いでしょ~やーよー」
 むすっとした顔で鈴香は言った。
「埼京線ですぐ新宿とか池袋とかに出られるっ!埼玉に行けっ!俺んちは駄目っ!」
 祐馬はそう言い張った。
 戸浪はその光景を見ながら、こちらにはもう時間がないことに気が付いた。
「三崎……私は時間がないから先に行く……」
 従姉妹がいることで、戸浪は祐馬と言えずに三崎と言うと、さっさとその場を離れた。帰ってくる頃には祐馬が何とかしているだろうと思ったのだ。
「そんな~ずるい~」
 祐馬のその声を聞きながら戸浪は、乗り込んだエレベーターの扉を閉めた。

 その日の午後、会社に祐馬から電話が入った。丁度戸浪はその時、大量の図面に埋もれていた。
「なんだって?」
 戸浪は急に声がでかくなった。
「だから~仕方なくあのうちに暫く居座ることになってさあ……戸浪ちゃんどうしようか?」
 祐馬は情けない声でそう言った。
「どうしようかって……お前……。そんなこと私が知るかっ!」
 ガサガサと図面を整理しながら戸浪は言った。もうこれ以上あれもこれも考えることが出来ないのだ。 
「そんな言い方無いんじゃないの?わかってんの?あいつ居座ったら、俺当分戸浪ちゃんといちゃいちゃ出来ないじゃんかっ!」
 おい、その電話、何処からかけているんだこいつ……
「お前……どこからかけているんだ?」
「営業部っ!」
 と祐馬はそれがどうしたという風に言った。
「場所を考えて怒鳴れっ!分かってるのか?」
 って、あんたもだろう。
 だが戸浪は自分のことなど頭に無い。
「俺んとこ今誰もいないもんね……そんなことどうでも良いけど、俺嫌だ~」
「どうせお前が良いって言うから居座ったんだろうがっ!お前が面倒見るんだぞ。私はこの件に関しては一切関知しないからな」
 言って受話器を下ろした。
 全くどうして次から次へと問題が出るんだっ!
 ガッと図面を引っ張ると、いきなり修正図面を引き当てて、真っ赤になった図面を目の前に、戸浪は深いため息を付いた。
 全く一体何なんだ……
 何より私のことをどう説明したんだ?
 まさかばらしたとか言わないだろうな?
 憂鬱を顔に描いたような顔をしていると営業の川田がやってきた。
「澤村~お前の机すげえ事になってるな……」
 戸浪の机はコ型になっている。そこに一面図面が置かれているため川田がそう言うのは無理もなかった。
「からかいに来たのならあっちに行けっ」
「用事用事、お前、コンパに行く気無いか?振られたようなこと、この間言ってただろ?俺もそろそろ彼女欲しくてさあ~。スッチー様ご一同のコンパあるんだけど、どう?」
 へらへら笑って川田が言った。
 そういえば川田と飲みに行き、そんな話になったことを戸浪は思い出した。あれ以来よりが戻ったという話はしていなかった。する必要も無かった。
 何より余り深入りして聞かれると、こちらは答えられなくなるからだ。
「ありがたいんだが……この仕事、どうにもならないんだ……。行けそうにない……」
 コンパに行く事自体、祐馬にばれても別にどうってことないのだろうが、仕事はまるでピラミッドのような形に積み上がっているのだ。
「……ええ~一応、俺とお前がメインで組んでくれたんだぞ~笹川が~」
「笹川?あいつが幹事か。おい、あいつには彼女がいただろう?」
「いるから遊びで一発やれたらそれで良いみたいだ。気に入ったら今の彼女、さよならするんじゃないか?あいつ遊び人だからなあ」
「……とんでもない男だな……」
 昔からそう言う男だったが、今の彼女で落ち着いていると言っていた筈だった。それがもうこれかと思うと、見知らぬ彼女に同情してしまった。
「人のことはどうでもいいよ。良いから時間を作れ。滅多に無いぞスッチーは。かなり綺麗所が来るらしいから、お前も一人くらい見繕えよ」
 見繕えといわれても……
 私はこれでも祐馬一筋だし……
 祐馬を裏切るようなことなど出来ないし……
 あいつは優しい男で年下の癖に包容力があって……
 抱きしめられると暖かくて……
 触れられると恥ずかしくなって……
 子供だと思っているが、ここと言う時の行動力は驚くべき物だし……
 等と戸浪が、ぼーっと考えていると川田が言った。
「おいっ!なんだ、その顔、お前どっか遠いところに行ってたみたいだぞ」
「え、あ、はは。何でもない。いいよお前は幸せを掴んでくるといい。私は暫く仕事に専念するよ」
「……来週の水曜な。とりあえずメンバーにいれとくから……こっちも見目の良い男を連れて行くって事になってるんだよ。だからお前が餌」
「はあ?」
「だから~一人や二人こっちも見目のいいの連れてかないと、格好付かないからな。頼むぞ~来週~」
 川田は戸浪の肩をポンポンと叩いて、去っていった。
 頼むぞって……
 メインではなく餌?
「全く……」
 まあ仕事は来週一杯までかかるだろうから、前日に断れば良いと、戸浪は気楽に考えていた。
 それよりも問題は祐馬の従姉妹だ。
 溜息が深~く長~く吐き出された。

「ねえ~御飯まだ?」
 鈴香はそう言ってブスくれる。
「あのなあ、うちは戸浪ちゃんが帰ってから夕食なの。勝手に来て居座った癖に何いってんだよ」
 祐馬は夕刊を机に置いてそう言った。
「だって~もう十時すぎてるじゃない~」
「お前ね、居候決め込むなら、感謝のしるしに普通は夕食作るとか考えないか?何お客様気分でいるんだよ。こっちは迷惑だって言うのに……」
 そう言ってジロッと鈴香を睨むと、肩を竦める。
 あーだこーだと結局押し切られて、祐馬は仕方なく鈴香をうちにいれたのだ。最後には「じゃあ私、公園で生活するわ!」と言うのだからもうどうしようもない。
「でもな、同居人が駄目だって言ったら駄目だからな」
「分かってるわよ~。でさ、同居人って朝会った、あの奇麗な男の人よね。祐ちゃんは戸浪ちゃんって言ってるけど……」
 目をキラキラさせて鈴香は言う。
「うちが広すぎるから間借りしてもらってんの。俺こないだ姉ちゃんにこのうち譲って貰うように交渉して毎月金を払ってるわけ、一人じゃ払いきれないから、部屋貸して家賃貰ってるんだっ!お前も食費くらいは入れろよ!こっちだってしがないサラリーマンなんだからな」
 と、ようやく思いついた嘘を祐馬は言った。確かに姉からこのマンションを譲って貰うように交渉し、権利書の名前も祐馬に変更して貰った。今、残りのローンを払っているのは祐馬だった。それはまだ戸浪には言っていない。
 姉夫婦はどうも帰って来られそうに無かったのだ。それならここを愛の巣にするんだ~と祐馬は戸浪に言わずに一人でローンを払っていた。多少の蓄えと、毎年入る生前分与があるのでお金が足りないと言うことはない。だから祐馬が払っているのだ。それを戸浪に言えば、また自分も払うとか言いかねないため、黙っていた。
「ふうん。そうなんだ~いいなあ~自分のマンション……。でもさ、戸浪ちゃんって奇麗だよねえ~なんかモデルさんみたい……」
 ほお~と感嘆の溜息をついて鈴香は言った。
 こいつ、昔から奇麗な男やかっこいい男には目が無いのだ。
「駄目駄目、戸浪ちゃんには相手がいるみたいだから、五月蠅くするなよ。あの人、それに怒ったら恐いぞ。何たって空手やってた人だから、怒ったら殴られちゃうぞ」
 と、毎日殴られている祐馬はそう言った。
「え~そうなんだ~。なんか細くて頼りなさそうに見えたけど、意外に腕っ節があるって事よね~」
 やばい戸浪ちゃんの株を逆に上げたぞ……。
「あ、でもな、戸浪ちゃんの作る料理は毒みたいにまずいんだ。もう、一口食べたら白雪姫状態で死ぬ寸前になるな。それに、ちっちゃいことでもすぐ根に持つしさ……何時までもブチブチ怒ってるぞ、綺麗な顔して性格が無茶苦茶悪いんだから……」
「おい、人の悪口を隠れて言うな」
 いきなり戸浪の声がしたと思ったら、今の入り口に立っていた。
 聞こえたのか怒っている。
「げええええっ!帰ってたんだ」
 祐馬は両手を上げて本当に驚いた。
「帰ってきたら悪いのか。それで、君は居候することになったのかい?」
 戸浪はそう言って鈴香の方を向いた。鈴香はパッと明るい顔になって戸浪に言った。
「あの、祐ちゃんの……えと三崎さんの従姉妹で赤錆鈴香って言います。三崎さんには小さい頃から妹みたいに可愛がって貰ってます。すみません、突然こんな事になって……私どうしても東京で働きたくて、こちらで就職活動したかったから……」
「気にしないで、鈴香ちゃんの居たいだけここに居てくれていいから……早く就職が決まるといいね」
 戸浪はそう言ってニッコリと笑って見せた。久しぶりに見る笑顔は祐馬に向けられたものではなかった。
 ちくしょ~
 なんでこいつにそんな顔見せるんだよ~
 俺なんかずーーーと見てないぞ~
「ほら~戸浪ちゃんだって良いって言ってくれてるじゃない~早く御飯にしようよ祐ちゃん!」
 戸浪ちゃんと鈴香に言われて、ぴくっと身じろぎしたのが、祐馬には分かった。
 おいおい、戸浪ちゃんはお前より歳上なんだぞ~
 怒らせないでくれよ~
 俺に全部降りかかってくるんだから~
 と、祐馬は言いたいのだがそれは口に出して言えなかった。
「ああ、三崎、私は外で食べてきたから、夕飯はいらないよ」
 それだけ言って戸浪は服を着替えに寝室に向かった。寝室からウオークインクローゼットに繋がっているからだ。
 やっば、マジで怒ってるよ。
 戸浪は怒ると、食べてきたと嘘をついて引っ込む癖があるのだ。
「だから言ったじゃない、先に食べようって~」
 何も知らない鈴香はそう言ってほっぺをふくらませていた。
「お前、食べる用意勝手にしてろよ。俺ちょっと戸浪ちゃんに話しあるから……」
 と言って戸浪を追った。
 戸浪はベットに腰掛けて、スーツの上着を脱いでいた。
「あの……さ、ごめん~」
「何が?」
 戸浪の表情は冷たい。先程の笑顔など表情にこれっぽっちも残っていない。
 機嫌がかなり悪い証拠だった。
「あいつ俺の一個下の従姉妹でさ~態度でかいけど、悪い子じゃないんだ。俺の妹みたいなものだし……その……」
「別に構わないよ。ここはお前のうちで決めるのは三崎さんなんだからな」
 が~思い切り怒ってんじゃんか~
 二人きりの時に三崎と言うのは、戸浪が思い切り怒っているからだ。
「なあ……悪いと思ってるんだから……俺もさ……」
 そ~っと近づいて戸浪の座る横に祐馬も腰を下ろした。
「……済まないな……私も仕事で色々気が疲れて居るんだ……お前に当たっても仕方ない事なのに……。本当にここはお前のうちなのだから、別に気にしなくて良いんだ。あの子に良くしてやるといい。お前を頼ってきたんだからな。ああ、鍵はどうするんだ?私の鍵を渡した方がいいか?暫くは私の方が遅いしな……先に誰かが帰っていてくれたらそれでいい」
 戸浪はそこまで一気に言って、祐馬の手に鍵をのせた。
「駄目、これは戸浪ちゃんの。俺がも一個作ってくるからこれは持ってて……」
 言いながら祐馬は戸浪に鍵を返すと自分に引き寄せた。
「……本当は返したくないんだろ?もちょっと素直になれよ……戸浪ちゃんがそうやって早口でしゃべる時って、本当は嫌なのに言おうとする時なんだからな……」
 祐馬は戸浪の頬に手を掛けて額にキスを落とした。戸浪の表情はちょっと困ったような表情になった。 
 もう~可愛すぎる~
 祐馬がキスでもしようかと思った瞬間、鈴香が呼ぶ声がした。
「祐ちゃん御飯用意できたよ~!」
 それを聞いた戸浪が、急にこちらを殴った。
「あいたっ!」
「暫くはこうやってべたべたするんじゃないぞ。あの子にばれたらどうするんだ。で私達のことはどう説明したんだ?」
「うちが広すぎるから戸浪ちゃんに間借りしてもらってるって言ったよ。姉ちゃんにこのうち譲って貰うように交渉して毎月金を払ってるって嘘付いてさ。一人じゃ払いきれないから、部屋貸して家賃貰ってるって言って置いた」
 頭を撫でながら祐馬は言った。
「たまにはお前も上手い嘘を付くんだな。じゃあ祐ちゃん夕食が出来たらしいからさっさとキッチンに行け」
 嫌みったらしく戸浪は言った。こうなるともう今日は宥めることは出来ない。
「はいはい……でも戸浪ちゃん本当に夕飯いらないの?俺待ってたんだけど……」
「ああ、いらん。これからは彼女と一緒にさっさと食ってくれて良い」
 もう、そんな気など全然無い癖に戸浪はそう言った。
「……分かった。じゃ、俺飯食ってくる」
「ああ」
 戸浪はそう言って、脱いだスーツをクローゼットに持っていった。
 祐馬の方は溜息をついて、キッチンへと向かった。
 
「御飯御飯~!」
 何も分かっていない鈴香だけが元気一杯だ。
「はあ……お前頼むからさっさと就職先決めてくれよ……」
 言って祐馬も椅子に座った。
「あ、私御飯入れるね~」
 嬉しそうに鈴香は言って、茶碗に御飯をよそう。
「はい」
「ありがと」
 差し出された茶碗を受け取って祐馬は食事をし始めた。
「こうやってるとなんか新婚みたいね~思わない祐ちゃん?」
 と、いきなり言われて祐馬は御飯を吹いた。
「き、汚あい!!」
「お前がくだらないこと言うからじゃないかっ!ふざけたこと言うなよなっ!」
 口元を拭きながら祐馬は言った。
 全く言うに事欠いて新婚とは何事だ。
「だって~」
「だって言うな!全くも~さっさと食って寝ろ!明日合い鍵作ってきてやるから……明日は一日うちで大人しくしてるんだぞっ!」
 ああもう、さっさと出ていって欲しいよ~
 俺と戸浪ちゃんの愛の巣が~
「ごめん……祐ちゃん。迷惑なの分かってたけど……ここしか頼れないし……」
 急に俯いて鈴香は言った。
 なんだか泣きそうな雰囲気だ。
「あ、いや、俺、鈴が突然来たからびっくりしてるだけで迷惑してるわけじゃないんだぞっ!好きなだけ居ていいんだからっ」
 俺、何言った?
 と、思ったときには遅かった。
「やっぱり祐ちゃんは優しい!鈴、祐ちゃん大好きだからねっ!良かった~これで暫くここに居られる~」
 策略に引っかかったとかいう?
 鈴香の方が一枚上手だった。

 食事を終え、風呂に入り、鈴香に一室をあてがうと、ようやく祐馬も戸浪のいる寝室に向かうことが出来た。
 本日は本当に疲れた。
 ベットに上がり、端の方に眠っているだろう戸浪を伺うと、スースーと寝息を立てて眠っていた。
 眠っているときはほんと、可愛い顔してるのになあ……
 と、祐馬は思う。
 何時も奇麗すぎるほど整った顔は、眠っているときだけ幼い顔立ちになる。もぞもぞ近寄って、そーっと手を伸ばすと、バチッと目が開いた。
「うわっ!」
「何を慌てて居るんだ……」
 可愛かった顔が一気に冷えた顔になる。
 あんた大魔人かと思わず祐馬は思ったのだが、そんな事を言えば殴られるのが分かっていたので口を固く閉ざして顔だけを左右に振った。
「あの子が居る間、私に近づくな。触れるな。それらしいそぶりは見せるな。分かったか?」
 戸浪は真剣にそう言った。
「ええ~ベットじゃ二人きりなんだから……分からないよ~抱き合うくらい良いじゃないかあ~」
 それはあまりにも酷い~!
 やっとH解禁になりそうだったのに~
「忘れていた。そう言う言葉も無しだ」
 そう言って戸浪は又布団に潜った。
「なあ~なあ~そんなんないよ~だってさ~膝治ってやっとこれからって時に、戸浪ちゃん怒ってまた暫く抱きしめるのさえ嫌がったじゃんか~」
 戸浪の後ろから抱きついて祐馬は身体を揺さぶった。
 バキッ!
「あいでっ!」
 やっぱり拳が飛んできた。
「あのな、お前がここに入れたんだ。分かってるのか?そのお前が我慢するのは当然だろう……全く……いい加減にして欲しいのはこっちだって言うのに……」
 と、言って、しまったという顔を戸浪がした。それは戸浪も自分と色々やりたい~っと思っているからだろうか?
 そう思うともう祐馬は嬉しくて、殴られたのも忘れて又戸浪にひっついた。だが更にきつく殴られた。
「キャウン!」
「お前は犬かっ!」
「痛いよ~戸浪ちゃん……」
 ベットの端まで飛ばされた祐馬はそう言って鳩尾を撫でた。もうこうなると指先一本たりとも触れさせてくれはしないのだ。それが分かっていても、果敢に挑戦して祐馬は何時も殴られる。
 学習能力はあっても本能にはかなわないのだ。
「いいか、約束だぞ。私はただの間借り人だ。ったくお前がそう言ったんだからな」
「そやってみんな俺の所為だもんな~酷いよ~」
 そう祐馬が小声で言うと、戸浪が又ジロリと睨んできた。祐馬はもう何も言わずに白熱灯の小さな明かりを消して、布団に潜り込んだ。
 殴られた鳩尾は痛かったが、祐馬は別な部分が腫れそうだった。

 先に目が覚めた戸浪は、まだ眠っている祐馬を置いて、さっさと顔を洗いに洗面所に立った。そして顔を洗い歯を磨くと、キッチンに向かう。朝食は戸浪が用意することにいつの間にかなっていたのだ。
 まあ、食パンを焼くことと、コーヒーを入れるくらいなら、恐ろしげな味にならないからだった。
 だがキッチンに向かうとみそ汁の香りがし、なんだろうと思うと鈴香がエプロンをつけてキッチンに立っていた。
「あ、おはようございます。もう少しで朝ご飯出来るから座って待っててもらえます?」
「え、ああ……済みません……」
 戸浪は言われるまま椅子に座った。だが、はっきり言っていい気はしなかった。
 朝食は戸浪の仕事だと思っていたからだ。張り合う気はないが、嫌な気分になる。だからといってそんな表情はしないが、やはり言っておこうと戸浪は思った。
「あの、鈴香さんはお客さんだから、気を使わないでいいんですよ」
 と出来るだけ笑顔で言った。
「お世話になってる間、朝ご飯くらい私作りますっ!祐ちゃんにも何かしろって言われてるし……。で、戸浪ちゃん祐ちゃんはまだ寝てます?」
 戸浪ちゃんは止めろ……
 祐ちゃんも止めてくれ……
 と思うのだが言えない。
「あ、まだ寝てたよ……」
「も~相変わらず朝寝坊してるんだから……」
 と言って、パタパタと寝室へ走っていった。
 最近の子はあんな感じなのか?
 戸浪には分からない。何より兄弟みんな男ばかりだ。その為女性の扱いなど分からない。
 とにかくどう接して良いのか分からないのだ。
 暫くすると祐馬が欠伸をしながらやってきた。
「戸浪ちゃんおはよ……」
「ああ……」
 それだけ言って立ち上がる。
「どしたの?」
「今日早出なのを忘れていた……」
 嘘だった。
「ふ~ん……」
 ぼーっとした顔で祐馬が言った。朝からこのぼけなすの頭を殴りたい気持ちで戸浪は一杯だった。
「ああ、今日も遅くなるから夕食は勝手に食べていてくれ……」
 それだけ言うと、スーツを着るために寝室へ向かった。
 とにかく説明しがたい、むしゃくしゃしたものが戸浪にあり、さっさとこの家を出たかったのだ。
 スーツを着替えて戻ってくると、キッチンから楽しそうな声が聞こえてきた。
 ああ楽しそうだな全くな……
 憂鬱な気分で戸浪は会社に出かけた。
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