Angel Sugar

「煩悩だって愛のうち」 第4章

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「昨日はありがとう。祐ちゃん……」
「いや……鈴が昔から雷、駄目なの知ってるしな……んでもさ~今まではどうしてたんだよ」
 祐馬はキッチンで椅子に座って生あくびをした。
「ママの布団に潜り込んでた。今もね~」
 昨日の泣いて怖がっていた鈴香は今何処にもいない。
 全く世話の焼ける奴……
「けーっ。お子さま!」
 言って祐馬は又欠伸をした。
「苦手な物は苦手なんだもんっ!」 
 鈴香はそう言って、みそ汁を差し出した。だが一晩眠れなかった祐馬は食欲が全く無い。もちろん、鈴香の方は途中でこちらの膝の上でぐっすり眠ったのだが、そんな状態で寝られるわけなど祐馬には無かった。
 下手に眠って、誤解されるような寝相になっていると困るからだ。
 だから祐馬は必死に朝まで目を開けていた。
「いらねえ……俺、マジ眠いからちょっと寝てくる……」
 椅子から離れると、鈴香が付いてきた。
「何だよ」
「私も寝ようかなあ~」
「ふざけんなっ!お前は、お前の用事でもしてろっ!」
 もう眠くて、祐馬には珍しくいらついていたのだ。
「ぶ~」
「全くお前って、俺の事、男って思ってねえだろ……」
「思ってるもん。だから一緒に居たいんだもん」
 っておい、なんだそりゃ?
「はあ?」
 振り返ると鈴香が、じーっとこちらを見ている。
「……ったくもう。ガキが冗談言ったって全然面白くないぞ」
 鈍感な祐馬だった。
「祐ちゃん~ねーってば……」
「五月蠅いな。掃除でもしとけよ」
 腕に絡まる鈴香を振り払って祐馬はようやく寝室に入った。だが居るはずの戸浪がいない。
「戸浪ちゃん?」
 起きてもう何処かに出ていった?
 いや、俺ずっと起きてたけどそんな気配は無かったぞ。
 よく見るとベットの上には毛布が無い。変だと思いながら祐馬がキョロキョロしていると、クローゼットの方から物音が聞こえた。
 なんだ、服を着替えてるんだと、祐馬がクローゼットの扉を開けると、戸浪が毛布にくるまって眠っていた。
「はあ?何!何でこんなとこで寝てんの?」
 ゆさゆさと戸浪を揺すると、フッと目が開いた。
「ああ……祐馬……朝か?」
「あ、朝かって……何でこんなところで寝てるの?」
 低血圧の戸浪は、まだぼんやりとしている。
「え、あ……どうしてだろう……な……」
 言いながら又寝そうな戸浪を抱き上げた。嫌がるかと思ったのだが、意識がぼんやりしている所為か、素直に身体を預けてきた。
「風邪引いちゃうって……ったく、そりゃもう夏に入るけどね……。それよか又膝が冷えたら駄目だろ~」
 祐馬は言って、戸浪を寝室のベットに下ろした。
「……眠い……」
 言って戸浪は毛布に丸くなった。祐馬もその毛布に潜り込む。
「……俺も眠いよ……」
 約束など吹っ飛ばした祐馬は、戸浪を腕の中に引き込んでそう言った。久しぶりに戸浪とこんな風に眠られるのが祐馬には嬉しい。
「……祐馬……」
 うっすら開いていた目が閉じられ、戸浪は無意識に祐馬に擦り寄ってきた。そんな戸浪を愛しいと思いながら祐馬も目を閉じた。
 幸せかも~
 なあんて思っていたのだが、数時間後、目を覚ました戸浪に思いっきり殴られた。
「痛い……痛いよ戸浪ちゃん……」
 頭を数発殴られて、祐馬は降参した。
「こっ!こう言うのは無しだと約束したはずだぞっ!」
 赤々とした顔でそう言う戸浪には迫力など無い。だが何時もと違って、必死に怒っているという感じが祐馬にはした。
「でもさあ……戸浪ちゃんから擦り寄ってきたんだぞ。俺じゃないもんね」
「……嘘だっ」
 益々顔が赤くなる。
「嘘じゃないよ。俺だって殴られるの嫌だもんな。でもさあ~戸浪ちゃんが、ゆうまあ~って擦り寄ってきたら俺だって、クラってくるじゃんか。そんなん責められても俺の所為じゃねえよな」
 ムスッとした顔で祐馬は言った。
 寝てるときは可愛いのに……。
 どうしてこう、起きてるときは暴力的なんだろうなあ……慣れたけど。
「……そ、そうか……」
 意外に戸浪はそこで怒るのを止めたようだ。珍しいことだった。と言うことは少しは自覚をしていたのだろうか?
「あれ、珍しい~今日はもう怒らないんだ……」
 ニヤニヤして笑うと戸浪は起こした身体をベットに沈めた。
「……お前がずっと拗ねてたから……。あの件とこの件でちゃらにしてやるっ。だからもう、ガキみたいに拗ねるな。私も悪かったと思ってるんだからな……」
「え?俺、拗ねてたっけ?」
 あ、忘れてた。俺、怒ってる状態だったんだ……。
「無視ばっかりされてた……」
 言って戸浪はプイッと向こうを向いた。
 なんか今日はすっげー可愛いじゃんか~
「そうだった?」
 ニヤニヤしながら祐馬は言った。
 殴られたところは痛かったが、気分は最高だった。
「朝起きると居ないわ、さっさと会社に行くわ……お前ガキみたいに拗ねていたからな。仕方ないだろう…。だから今回のは許してやるから、お前も旅行の件が無くなったことをもう拗ねるな。今度私がちゃんと計画してやるから……」
 戸浪はこちらに背を向けてそう言った。一体どんな顔で言っているのか気になった祐馬は、覗き込むように見たが、戸浪はそれに気が付いて毛布に潜ってしまった。
「んな~何、照れてるんだよ~。なあって~」
 祐馬は後ろから戸浪にしがみついて身体を揺すった。
「馬鹿っ!離れろっ!約束はどうなってるんだっ!」
「え~今回は良いって言ったじゃんか」
「け、今朝の事だけだっ!もう駄目だっ」
 言いながらも戸浪は無理矢理祐馬を引き離すことは無かった。それに気を良くして更に抱き込もうとして、又殴られた。
「あのさ、今朝は戸浪ちゃんから抱きついてきたんだぞ。そんで、それがどーして、ちゃらになるの?これからのことで、ちゃらにして貰わないと、俺損じゃんか。そんな怒るんだったら、俺又拗ねるもんな」
 そう言うと戸浪は暫く沈黙して、こちらをちらりと見た。
「……分かった」
 うわ~素直~!無茶苦茶良いなあこういうの!
 と、祐馬はもう嬉しくて仕方ない。
「じゃさ……キスしていい?」
 暫くそう言うことすら出来なかったのだ。だからこのチャンスを逃すわけには行かなかった。
「…………良い」
 かあっと又頬を赤くして戸浪は言った。その表情があまりにも色っぽくて、祐馬は自分の下半身が熱くなるのを、必死に押さえた。
「……いいね、こういうのも……」
 祐馬が戸浪の顎に手を掛けて、もう少しと言うところで、いきなり鈴香の声が響いた。
「お昼作ったんだけど二人ともどうする?食べる?」
 その声に思わずベットの上で固まっていると、鈴香が続けて言った。
「何?目にゴミでも入ったの?それじゃあ目薬が良いよ。手で無理矢理取ったら目が充血して一日痛いのよ」
 と、間抜けた事を言った。だが戸浪はそれに乗るつもりなのか、
「そ、そうだと、祐馬。目薬は何処にあった?」
 なあんて、言い出すのだからもう仕方ない。
「はいはい、目薬は洗面所に置いてるよ。俺が取ってきてやる」
 何でこんなとこに入ってくるんだよこいつ~と憤懣やるかたない気持ちで立ち上がり、ベットから降りた。
「す、済まないな祐馬……」
 戸浪はようやくそう言ったようだった。
「いいのいいの……」
 寝室の入り口で、鈴香とすれ違いざま、また腕にぶら下がってくる。
「もう、うざいんだよ……離せっ。いちいちぶら下がってくんな!」
 折角のチャンスを不意にした分、怒りは大きい。だが何も知らない鈴香にあたるのも筋違いなのだ。
「だって~昨日の晩は抱き合った仲じゃない~!」
 げっ!戸浪ちゃんの聞こえるところで言うなっ!
 まったー機嫌悪くなるじゃんか~!
 チラチラ戸浪の顔色を窺い、祐馬は言った。
「抱き合ったんじゃないっ!何言ってるんだよ。お前、恐い~ってぼろ泣きだった癖に、さっさと先にぐーすか人の膝に涎流して寝るしよ。俺は膝に乗ったお前の頭が重くて朝まで起きてたんだからなっ!ったくもう、色気の無いガキがそんなこと言っても全然可愛く無いってなんべん言ったらわかるんだっ!」
 無茶苦茶説明的な内容になったが、これを聞いたら戸浪も誤解しないだろう。と、思ったが、戸浪の方は我関せずの顔で、又ベットに寝っ転がって眠っていた。
 なんじゃそりゃ!
「……はあもう、良いから離せ。俺は目薬取りに行くんだから……。俺達、昼飯は勝手に食うから、お前が食いたかったら先に食ってろ」
 ようやく鈴香を振り払って祐馬は洗面所に向かった。
 しかし洗面所に向かう途中電話が鳴ったので廊下で取ると相手は大地だった。
「あ、この間はどうも……」
「……こんにちは……あの、兄ちゃんいます?」
 ちょっと元気がない。
「居るけど……何か元気ないね」
「昨日飲み過ぎたんだ……。そう言えば昨日は三崎さん従姉妹と出かけてたんだって?兄ちゃん一人で来たからさ……だから三人でロマネコンティ開けたんだ。俺、それで飲み過ぎて今日は二日酔い……」
 言いながら大地は電話の向こうで溜息をついていた。
「ロマネコンティ……俺も飲みたかった……。そんな話し聞いてなかったもんな~。俺すっげー損した気分……」
 鈴香につき合わされて、本当に昨日は疲れたのだ。その話をもっと早くに聞いていたら一緒に行ったのに……と、祐馬はがっくりと肩を落とした。
「急に決まったからね。又機会があったら誘うよ。でも昨日兄ちゃんまともに帰られた?」
「え、酔っぱらっては居なかったよ。君の兄さんお酒はざるだし……」
 酔ってベロベロになる戸浪など見たことは無い。
「違う違う、兄ちゃんね、いい年して雷苦手なんだ。それで聞いたんだけど……。さっき博貴に聞いて、俺何で兄ちゃんを家に泊めなかったんだって怒鳴ったくらいだもん。事故でも起こしたら大変だろ?でもまあ俺も酔って寝ちゃったし……あんまり言えないんだけどね……」
 嘘……
 戸浪ちゃんって雷駄目なのか?
 それであんなところで寝てたのか?
 で、俺は、そんなことも知らずに鈴香の面倒を見てたって事?
「そうなんだ……」
「ま、無事に帰った事だけ確認したかっただけだから、もう兄ちゃんに代わらなくていいよ。宜しくいっといて」
 そう言って大地は電話を切った。
 知らなかった……
 祐馬は受話器を持ったまま、そこからすぐに動けなかった。
 じゃあ俺、昨日の場合、鈴じゃなくて戸浪ちゃんを優先しなきゃ駄目だったんじゃないか~!
 と後悔するがもう遅いのだ。
 目薬のことなど忘れた祐馬は寝室に引き返した。戸浪の方は相変わらずベットに寝ている。もしかすると朝方まで寝られなかったのかもしれない。
 雷の何処が恐いんだろうと、小さい頃から鈴香を見て思ってきたが、あの恐がりようを見ると本人に取っては、恐怖意外何者でも無いのが分かる。
 鈴香ももう立派な大人だ。普段の態度や言動から、雷で怯えるなんて考えられない。それでも雷の音が聞こえるだけで小さい頃の記憶で鈴香は怖がるのだ。
 戸浪にもそんな小さな頃の記憶があるのだろう。
 いくつになっても小さな頃の恐怖は取れない事は鈴香を見ていて分かるのだ。
「戸浪ちゃん……」
「……ああ。目薬な……、もういい。私はもう一度寝なおすから、お前は昼飯でも食べて来い。私はいい……」
 横になった戸浪はそう言って毛布を肩まで引き上げた。
「うん……そうなんだけど……ごめん……」
「鈴香ちゃんが居る間は、何もするな。私も何も言わないから……。悪かった。お前を止め無いと駄目な私までが、流されてしまった……」
 流されてくれるのは良いのだ。別にその事を謝るつもりはこれっぽっちも祐馬に無かった。
「じゃなくて……その……今大地君から電話貰って……お兄さん無事に帰られたかって聞くからその理由聞いて……」
「……ん?何のことだ?」
 言って戸浪は寝たままこちらを向いた。
「戸浪ちゃん……雷恐いって……」
「……いや、恐くない。小さい頃の話だ。今は大丈夫だ」
「嘘付くな。大地君が心配するくらいだから、すげー恐いんだろ?」
「大は大げさなんだ。小さい頃は確かに恐かったが、今は本当に大丈夫だ」
 戸浪は言って薄く笑ったが、顔が引きつっているのが分かった。
「そんじゃ、なんでクローゼットの中で寝てたわけ?恐かったからだろ?んも~戸浪ちゃんが昨日俺にそう言ってくれたら、俺、絶対戸浪ちゃんを優先してたのに……」
「……そうか……」
 言った戸浪の表情は余り嬉しそうではない。その理由が祐馬には分からなかった。大人の癖に恥ずかしいと思っているのだろうか?
「雷恐いの恥ずかしい事じゃないよ……」
「当たり前だ」
 戸浪はそう言って又横向きに丸くなった。
 こちらに向けられた背中が妙に寂しそうなのは何故だろう。こういう時はギュッと抱きしめてやりたいと思うのだが、先程のこともあり、抱きしめたいと思いながら手が出せなかった。
「お休み……戸浪ちゃん……俺飯食ってくるよ……」
 祐馬はそう言って寝室を出た。
 溜息しか出なかった。
 
 祐馬が出ていく扉の音を聞きながら、戸浪は又更に丸くなった。
 本当に私を優先してくれるつもりがあったのだろうか?
 だが普通に考えて、男と女なら女の方を優先するだろう。先程祐馬から聞かされた言葉は社交辞令なだけなのだ。それが分かっていながら嬉しいような悲しいような複雑な気持ちで戸浪はいた。
 その上、なんだか身体が怠かった。昨日雨に濡れた所為なのか、クローゼットで寝たからなのか、それは分からない。
 ただ、気分が悪く何をする気にもならない。困ったことにお腹も空かない。
 最悪だ……
 どうして祐馬に抱きしめられて眠っていた自分を思い出せないのだろう。それが悔しくてならない。
 暖かかったに違いない……
 きっと祐馬は髪を撫で、背を撫でていてくれたに違いない……
 久しぶりのその感触を覚えていないのだ。
「ああ……もう……腹がたつっ!」
 腹がたつと言えばあの女……
 人の恋人にわがままばかり言うなっ!
 腕にしがみつくなっ!
 そんなことを考え、いらいらしてむかついてきた。
 だが……
 どんどん自分の居場所が無くなっているような気がするのだ。今はここしかホッとする場所がない。だがこの居場所が無くなることだってあるのだ。その事を予想されるように、寝室であるにも関わらず、ノックも無しに扉を開けて鈴香はまるで自分の家のように入ってくる。
 掃除もパンツ以外の洗濯も朝食も夕食もあの子はこなしている。どんどん自分の役割が無くなっているのだ。
 居候は鈴香ではなく自分のような気がする……。
 祐馬は鈴香をどう思っているのだろう……あんな風に可愛く懐かれて嫌な気はしないはずだ。何より元々祐馬はノーマルな男なのだ。
 別に相手は男でなくても良いのだ。逆に男が隣に居るより祐馬は可愛い女の子を隣りに座らせている方が似合う。
 だからどうしたいんだ私は……
 そんな風に良い子に考えては居るが、実際は違う。本当はどろどろした物を心の中に飼っているのだ。
 あんな女など追いだしたくて仕方ない。
 祐馬は自分の恋人だと主張したい。
 だから祐馬に触るなと怒鳴りたいのだ。
 そんなことを言えば祐馬に軽蔑されるだろう。分かっているから良い子でいようと努力しているのだ。何より二人の関係が鈴香にばれると、祐馬の立場がなくなるのが分かっているから、今必死で戸浪は我慢している。
 抱きしめられたいのに……
 キスだって欲しいのに……
 自分の欲望を必死に押さえ込んで、大人であろうと努力している。
 戸浪は祐馬よりも年上なのだ。ここで自分が大人にならないと駄目だと思う気持ちがある。だがそれはとても辛いことだった。
 いつか何処かで抑えているものが破錠してしまったらどうなるのだろう……。
 それは考えたくなかった。



 結局戸浪はコンパに出ることになった。というのも営業の川田に泣きつかれたからだ。
 理由は他にもあった。家に居づらいのもあり、今週はずっと朝早く出、夜遅く帰るという日を過ごしていたので、ほとんど祐馬と顔を合わせていなかった。
 その方が気楽だったのだ。
 祐馬には仕事が忙しいと言うことにしていたが、あまりにも戸浪が仕事を抱えていた為に部長が仕事を分担する指示を出してくれた分、急に仕事が減った。だから今度は残業をする必要が無くなり、水曜はとうとう遅く帰る理由が無くなっていた。
 どうしようと思っているときに川田の誘いだ。戸浪は渋々ながらも、何処かで用事が出来たことにホッとしてコンパに出ることにした。
 だがそのコンパが終わる頃、川田はベロベロに酔っぱらい、自力で帰られそうにないと判断した戸浪は仕方無しに、自分のうちに連れ帰ることにした。
「その人誰?」
 玄関まで迎えに来た祐馬がそう言った。
「ああ、今日はコンパでね……。結局出ることになって連れ出されたんだが、同期のこいつがもう一人で帰られそうに無いからうちに連れて帰ってきたんだ。一人くらい構わないな?居間に布団を敷くから気にしないでくれ。明日はこいつをそのまま会社に連れて行くから……」
 戸浪がそう言うと祐馬は不服そうな顔で川田を見ると、「布団……じゃ用意するよ」と言って布団を取りに奥に走っていった。
「澤村~っ」
 もうへべれけの川田は戸浪の肩にぶら下がりながら叫ぶように言った。
「分かったから、靴を脱げっ!全く何酔っぱらってるんだ……ったくもう……」
 よろよろしている川田の靴を脱がせて、引きずるように居間の方へ連れて行った。すると既に祐馬が布団を敷いてくれていた。
「一組で良いだろ?」
 ムッとしながらも祐馬はそう言った。
「ああ、済まないな……悪いが、パジャマか何かこいつが着られるもの持ってきて貰えないか?私はスーツを脱がせてるから……」
「……分かった……」
 不機嫌そうな顔で祐馬は居間を出ていった。
「澤村……なあ、」
「何だ……いいからまずスーツを脱げっ!」
「ああ……」
 川田のスーツを脱がせて、いると又川田が言った。
「お前さ~もてて良いよな~女共みんなお前を見てたぞ……いいなあ奇麗な顔って言うのはさ~」
 へらへら笑って川田は言った。
「だがお前もほら、ええっと、杉原さんだったな。彼女お前を気に入ってたみたいだぞ」
「あ、やっぱそう思う?俺もそう思うんだよな~彼女奇麗だったよな~頭も良さそうだし……」
 布団に下着一枚で転がった川田は、その上をごろごろしながら嬉しそうだ。
「実はさ、電話番号聞いちゃったんだよ~はは~やった~スッチー様だぞ~」
「お前が言う料理の腕はわからんがな……」
 そのあまりの川田の喜びようにこちらも笑みが漏れた。振られたと落ち込んでいたから、これでようやく川田も幸せになるのだろう。
「ん~俺は料理の腕なんかどうでもいいよ~優しくて奇麗で俺のこと一番好きで居てくれたらいい。あ、浮気しない女が一番だ」
「そうだな……今度何時会えるって言ってたんだ?」
「朝ってフライトだってさ。来週帰ってくるから電話してくれるって言ってたよ。俺もう張り切ってしまうなあ~」
「もう酔っぱらうなよ……」
「分かってるって、分かってる……」
 グニャグニャと軟体動物のように布団の上に川田は伸びた。そこへ祐馬が入ってきた。
「これ……俺のだけど多分あうと思う」
「ありがとう。ほら、川田、これを着ろ」
 身体を起こさせて戸浪は川田に上着を着せようとすると、がばーっと川田がこちらに倒れ込んできた。
「お前な、飲み過ぎなんだよ……」
「うう~俺水飲みたい……澤村~水~」
 もう背骨も無いように、ふにゃふにゃした川田にパジャマをようやく着せると、布団に寝かせた。だがまだ「水、水」と五月蠅いので戸浪が立ち上がると、後ろから祐馬が付いてきた。
「悪かったな……こんなに遅くに人を連れてきて……」
 一応謝っておくのが良いだろう。
「別に……構わないけど……。それよかコンパ行ったんだ……」
「あの男に泣きつかれて仕方なくな……」
 キッチンに入り、コップを戸棚から出した。
「……俺行かないと思ってた。だって戸浪ちゃん仕事忙しいって言ってたじゃんか……」
 本当に祐馬は機嫌が悪い。
「忙しいよ。だがあいつの立場もあったから、断れなかったんだ。別に私は楽しくも何ともなかったんだが……」
 冷蔵庫からミネラルウオーターを取ってコップに注ぐ、その後ろから急に祐馬が抱きついてきた。
「おい……よせ」
「……最近俺のこと避けてない?」
 避けている。
「いや……どうしてだ?」
「本当に避けてない?ならどうして何時も帰ってくるのこんな時間なんだよ。朝だってさっさと出ていくし……仕事だって割りきってたけど……。コンパ行けるって事は早く帰ることだって出来るって事じゃんか。それしないって事は俺と顔会わせたくないって事だろ?」
 ガッと肩を掴まれて祐馬の方を向かされた。
「お前の気のせいだよ……」
 視線を落として戸浪は言った。
 戸浪はただ、祐馬と鈴香が仲良さそうな姿を見たくないだけだった。だから早く出る。帰りも遅く帰る。
 それを知らない祐馬は怒っていた。
「何が気のせいだ?気のせいなわけ無いだろっ!そやって俺の目、最近見ないだろ。なんで俺が戸浪ちゃんを見たら視線を逸らせるんだ?」
「祐馬……」
 そろっと視線を上げると、祐馬は何か思い詰めたような表情をしていた。
「その上、あんな奴の面倒かいがいしくみてるし……」
「あいつはっ……っ……」
 言おうとすると、祐馬はギュッとこちらを抱きしめた。久しぶりの抱擁に戸浪は一瞬酔いそうな気分になったが、すぐに自分を取り戻した。
「離せ。鈴香ちゃんに見られたら何て言うんだ?」
「あいつ寝た」
「川田が来るかもしれないぞ……」
「あんなの寝てるに決まってる……」
「……祐馬……いい加減にしろ……」
 そう溜息をついて言うと、いきなり床に押し倒された。
「っ!」 
「もう俺……我慢できないよ……」
 泣きそうな顔でこちらを見下ろして祐馬は言った。
「場所を考えろ」
 こっちだってきついのだ。
「何で戸浪ちゃんはそんな平然とした顔で言えんの?俺だけ?俺だけが何時もこんな事考えてるって事?」
 言っていきなり祐馬はこちらを抱き込むと、口元に舌を滑らせてきた。それがあっという間であったので、戸浪はそれを押しのけることが出来なかった。
「……う……ううっ……」
 祐馬のキスがあまりにも気持ちよく、抵抗する手に力が入らない。だが、シャツの裾から滑り込んできた手の感触に目が覚めた戸浪は両手で祐馬を力一杯押しのけた。
「……何を考えて居るんだっ!いい加減にしろっ!その場の気持ちだけで突っ走れば、お前も私も立場が悪くなることを、もっと自覚しろっ!」
「……何時だって……戸浪ちゃんはそうなんだな……。何時だって冷静で大人なんだ。俺はガキだよ……ああ、ガキだっ!」
「馬鹿、もっと小さな声で話せ。聞こえたら困るだろうが」
 こっちは場所柄も考えずに怒鳴り散らす祐馬の口元に手を被せてそう言った。
「俺は構わないっ!」
 バシッ!
「馬鹿を言うな。頭を少し冷やせ」
 祐馬を殴った手の方が痛かったが、戸浪は何とかそう言った。
 祐馬の気持ちは充分わかっている。
 だが時と場合があるのだ。 
「……戸浪ちゃん……」
 頬を殴ることは滅多にない。その事で祐馬は呆然とこちらを見つめた。
「頼むから……祐馬……」
 お前の気持ちは分かっている。だからここは引き下がってくれ……
 痛む心で戸浪はそう言った。
「……戸浪ちゃんって……以前から思ってたけど、すげえ淡白なんだな……」
 聞きたくない台詞を又聞かされるとは戸浪は夢にも思わなかった。
「……祐馬……」
「……俺は馬鹿だけど、戸浪ちゃんは冷たいよ……」
 冷えた目で祐馬は言った。
 こんな目つきなど祐馬が出来るとは思わなかった。まるで責めるようなその目は戸浪の心を抉るのに充分だった。
「お前も……そう思うか?うん……そうだな……なかなか変われないんだ。そんな自分が嫌なんだが……。済まな……」
 最後の「い」が言えずに涙がどっと溢れた。
「戸浪ちゃん……」
「いい、もういいから……お前は寝ろ。私は今日は居間で寝る」
 手を伸ばしてきた祐馬を振り払って戸浪は居間まで逃げるように走り込んだ。もう自分が嫌で嫌で仕方ない。
 気が付くと川田がこっちをじっと見ていた。
「あ……目にゴミ……ゴミ入って……。水、水だったな……」
「いらないよ。酔いは醒めてるって……」
 言って川田が笑った。
「そうか……」
 口は必死に平静に保とうとしているのだが、涙が零れて止まらない。
「おまえさ、馬鹿な恋してるぞ……」
 困ったように川田が言った。先ほどの会話を聞いていたのだ。
「……」
「何でもいいけど、明日はマジ会議で早出だから、お前も寝ろよ。俺はもう眠くて仕方ない」
 欠伸をしながら川田はそれだけ言って布団を横向きにした。一つの布団で寝ようと言うことなのだろう。
「腹冷えなかったら良いよな。もうすぐ夏だし……」
 促されるまま戸浪は自分も横にした布団に横になった。
「そうだな……」
「賭をしようか澤村……」
 お互い天井を見て横になっていたが、先に川田からそう言ってきた。
「……賭?」
「俺がスッチーとやれたら、俺におごるの。逆に出来なかったら俺がおごる。どうだ?結構面白いだろう」
 川田は祐馬の事を何も聞かずにそう言った。
「みかんの一つなら賭けてやる」
「お前ならそう言うと思ったよ……面白くない奴……寝るぞ」
 笑いながらそう言って川田はもう何も言わずに目を閉じた。
 何も聞かない川田に感謝しながらも戸浪は悲しかった。
 ただ悲しかった。
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