Angel Sugar

「煩悩だって愛のうち」 第2章

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 いつまで居座るつもりなんだろうな……。
 まさか何ヶ月も居るつもりなんだろうか?
 朝の食事を作るのは私の分担なのに……
 なあにが祐ちゃんだっ!
 誰が、戸浪ちゃんだっ!
 従姉妹だろうが何だろうが、年上に対する態度がなっていないっ!
 何様なんだあの女っ!
 と、戸浪の怒りは止まらなかった。
 本日は朝から仕事をしながら戸浪は、ずーーっとそんなことばかり考えていた。
 暫く残業で良かったと戸浪は思う。
 これで定時に帰られる毎日だとしたら、嫌でも長時間鈴香と顔を合わせなければならないからだ。
 それにしてもいくら従姉妹だからと言って、自分の娘を祐馬の所に泊まらせるというのが理解できない。相手は男だぞ。
 何かあったらと心配しないのだろうか?
 それとも何かあってもいいと親は思っているのだろうか?
 もちろん、祐馬が信用されているのだろうが、それとこれとは違うはずだと戸浪は思った。何より毎日同じ家で、寝起きするのだ。
 間違いが無いとは言い切れないだろう?
 まあ、祐馬は私のことを好きだと言ってくれているのは分かっているからな。間違いが無いのは確実なんだろうが……。
 と、思って何故か顔が赤くなった。
「おい、昼行くぞ……飯、飯!」
 営業の川田が誘いに来た。
「え、ああ。もうそんな時間か?」
 時計を確認すると十二時を過ぎていた。
 二人で廊下に出ると、エレベーターに乗り、三階まで降りる。
 三階はフロア全体が社員食堂になっており、口外はされていないが、一応誰でも入られるようになっているのだ。その為、それを知った他ビルの人間などが、安くて美味しいというのを聞きつけてやってきている。
「あ、Bランチはハンバーグだ……俺、Bランチにするか。澤村は?」
 メニューを入り口で確認しながら川田が言うので「同じので良いよ」と戸浪は言った。
「お前いつも俺と同じって言うけど、何か食いたい物無いのか?」
「無いんだよ……考えるのが、めんどくさいんだ」
 苦笑して戸浪は言った。味覚音痴の戸浪は何を食べても同じようにしか感じない為、逆に食べ物に対して好き嫌いが無い。だから、これが食べたいというのも無いのだ。
 そうであるから何を食べたいと聞かれると、とても困る。だからいつの間にか相手と同じ物を頼むようになったのだ。
「お前らしいなあ……」
 理由を知らない川田はそう言って笑った。
 チケットを買って、食道のおばさんの所で渡すと、すぐにお盆に乗せられた料理が渡された。それを持って窓際の席を取ると、二人は座った。
「ここのハンバーグってさ、手作りなんだってさ。美味いと思ってたけど、ここのおばさんもやるよなあ~。やっぱり手作りが一番だよ~」
 言いながら川田は嬉しそうにハンバーグを食べだした。
「そんなに手作りにこだわる必要は無いだろう……食えたら良いんだ」
「何、言ってるんだよ。やっぱ女は料理が美味くなきゃなあ~。そりゃ最初は顔に惚れたりするけど、付き合いが長くなるとやっぱり料理だぞ。喧嘩してもさあ、相手が美味いもの作ってくれたら、俺すぐ許しちゃう」
「そんなものか?」
「っていうか、それが普通だろう?いくら顔が良くても、やっぱり女は料理の腕だぞ……。俺の知ってる奴さ、すんげー美人とつき合っていたのに、気が付いたら、ぶっさいくな女にいつの間にか変わってたんだ。聞いたら、そのぶっさいくな女っていうのがもう、すごく料理が上手いらしくて、肉じゃがで落とされたって言ってたもんな」
 川田は当然のそう言った。
 料理が上手いというのはそんなにすごいことなのだろうか? 
 自分が味覚音痴なだけに、それが魅力になるというのが良く分からないのだ。料理などは楽しく食べられたら、それで良いんじゃないのか?と、思うのだが、自分以外の男達は違うようだ。
 まあ確かに弟の大地は料理が上手い。その辺りにも博貴がくっついている理由もあるのかもしれないと、戸浪はフッと思った。
 聞くと博貴は百戦錬磨のホストだ。奇麗な女性は掃いて捨てるほどいただろう。なのにどうしてうちの大地なんだと以前は思っていたのだ。
 そうか、あの男は大地の料理にも惚れているのだ……。
 だが自分の料理の腕前はどうだろう……。
 以前、祐馬に作った料理は死ぬだの、毒だの、豚も食わないと言われた。あれ以来まず、祐馬も戸浪に食事を作って等と言ってこない。そのかわり、実害のない朝食だけを今作っているのだ。あれはパンを焼くだけ、コーヒーを入れるだけだからだ。
 普段は祐馬が夕食を作ってくれる。休みもそうだった。だから戸浪はその代わり洗い物を担当していた。
 これが適材適所だ。
 うちの生活はそうなのだから、別に気にすることは無いだろう……。
「おい、お前またぼーっとしてるな。最近多いぞ……なんか悩んでるのか?」
 川田が怪訝な顔でそう言った。
「え、いや……何でもないよ……」
 言ってようやく戸浪も食事をし始めた。
 だが川田が言った、料理に男は惚れるという言葉がずっと頭の片隅に引っかかっていた。

 九時頃家に戻ると、あれ程言って置いたのに、祐馬達は夕食を取らずに戸浪を待っていた。
「何だ、まだ食べてなかったのか?」
 スーツを脱ぎながら戸浪は言った。
「たりまえじゃんか。うちは戸浪ちゃんが帰ってからが夕食って決めてるんだから。んでも今日は鈴が作ってくれたからさ。あいつ、料理は結構上手いから見てびっくりだぞ」
 祐馬は嬉しそうにそう言った。
「ほお……上手いのか……」
 結構料理が上手い……そうか、料理が上手い女が良いのか……お前もそう言う奴かと、戸浪は思ったが、そこを堪えた。祐馬は、昼間戸浪と川田がどんな話をしたのかなど知らないのだ。
「まあまあだけどな。だから今日は一緒に食おって待ってたんだ。鈴も一応ここに居座ってること気にしてるみたいで、当分飯の支度はしてくれるってよ。折角だから家賃がわりに、戸浪ちゃんも色々いいつけてくれて良いよ」
 いくら良いと言われても、言いつけるなど出来るわけなど無いだろう。この馬鹿!
 と、心の中では思っていたが、戸浪は言わなかった。言っても仕方ないことだ。何より祐馬にしてみれば、小さい頃から一緒に育ったも同然の相手だ。だからそれが普通だと思っているのだ。
「お前が勝手に頼むと良い……」
 戸浪はそっけなく言った。
「あいつそんな気を使うタイプじゃ無いぞ。あれ、女の姿してるけど、女じゃねえからさあ」
「女性に対してその言い方は無いだろう。良いから先に行ってくれ。後で行くから……」
 そう戸浪が言うと祐馬はちょっと寂しそうな顔をして寝室から出ていった。
「全く……」
 戸浪は家に帰ったら気を使うのは嫌なタイプなのだ。特に赤の他人が例え側にいなくても、うちの中に居るというだけで気疲れするわ、落ち着かないわで、いらいらする方だ。
 この祐馬との同居当時は本当に毎日いらいらしたものだった。人に慣れるまで時間がかかるタイプなのかもしれない。
 逆に祐馬の方は、うちも外も同じ感じだ。誰が居ても気にならないのだろう。根が大らかな所為か、戸浪のように人見知りする部分が少ない。
 というより無いのかもしれない。
 羨ましいよ……全く……
 戸浪は溜息をついて、渋々キッチンに向かった。

 キッチンでは既に二人とも座っていた。何か話していたのか、こちらが入ってくると会話を止めて、振り返った。
「戸浪ちゃん、座って座って」
 祐馬はそう言って椅子を引いてくれた。
「本当に、遅くなったら先に食べてくれて良いから……」
 戸浪はもう一度そう言った。みんなでこうして食べるより、一人の方が気が楽なのだ。
「また~。そんな気を使う必要ないよ。本当に気を使うのは鈴なんだからさ」
 そう祐馬が言うと、鈴香は頬を膨らませて、拗ねているようだ。
「……いや……そう言うつもりでは……」
 言いながら料理を見るとハンバーグだった。
 おいおい、嘘だろ……
 と、戸浪は深いため息を心の中で付いた。いくら味が分からない味覚音痴だとは言え、同じ物をそうそう続けては食べられない。
 だがここでそんなことを言おうものなら、折角作ってくれた鈴香に申し訳ないという気持ちがあった。
「良いって、んじゃ、食おうか~」
 色々気を揉んでいることを、祐馬は全く分かっていない。
 仕方無しに箸を持って、戸浪は料理をつつきだした。だが食欲が本当に無い。多分このハンバーグは昼間とは違う味なのだろうが、戸浪には同じ味にしか感じられなかった。
 お茶漬けが良いんだが……
 ちらりと鈴香を見ると、褒めて貰いたいのか、こちらをじっとみてニコニコしている。
「美味しいですよ……」
 一応戸浪は社交辞令でそう言った。
「良かった~。これからも頑張って私作るから楽しみにして置いてね、戸浪ちゃん!」
 嬉しくない……。
 が、鈴香は嬉しそうだ。ちらりと祐馬を見ると、笑いを堪えている。味覚音痴の戸浪がそんな褒め言葉を言ったのだから面白いのだろう。
 だがこっちは面白くとも何ともないのだ。
「でも鈴香ちゃん。君、就職活動しにきたんだよね。あちこち廻ってテスト受けていると、食事の用意なんかしてる暇無いんじゃないのかい?うちの中のことは本当に気にしないで自分がしなくてはならないことに、今全力を尽くさないと……」
「戸浪ちゃんって優しい~!祐ちゃんなんかね、掃除しとけだの、料理作っとけだの五月蠅いの~。私だってそりゃ急にきて居着いたの悪いと思ってるけど、祐ちゃん一杯注文つけすぎよね。私だって昼間は就職活動で忙しいんだから……。でも戸浪ちゃんは分かってくれてるじゃない~。もう、祐ちゃん全然優しくない~」
 と鈴香が言うと、すぐに祐馬が反撃してわあわあと二人で言い出した。
 お前達は五月蠅い……
 もう泣きそうだ……
 三崎関係の人間はみんなこんなに機関銃のように話すのか?
 一家何人居るのか分からないが、家族がそろうとさぞかし五月蠅いだろうと戸浪は思った。
 限界だ……
「ごちそうさま……」
 戸浪は御飯一杯を急いで食べると、自分の皿を持って立ち上がった。それに気が付いた鈴香は言った。
「あ、私後かたづけしますから、そのままにして置いてくれていいです」
「いや、この位はしないとね……」
 言って戸浪は自分の分をさっと洗うと、寝室に逃げるように向かった。
 もう頭が痛くて仕方ないのだ。 
 ばったりとベットに突っ伏していると、祐馬がやってきた。
「何、疲れてる?」
「……いや……」
 お前達の声にうんざりして居るんだとは言えなかった。
「なあ……」
 ずい~っと祐馬が寄ってくるのが戸浪には分かった。
「おい、分かってるだろうな」
 身体を起こして戸浪は言った。いちゃつくようなことも、触れることも、臭わせるようなことも言うなとこの間祐馬に告げたのだ。
 だが祐馬は一緒にベットに横になっているだけで、手を出してきていた訳ではなかった。
「分かってるよ……戸浪ちゃんって、こうって言ったら絶対許してくれないの分かってるからさあ……俺、当分自粛することにしてるんだ。だから手を出したりしないよ……。安心してくれて良いって」
 言ってニッコリと笑う。
「……」
 戸浪は又ベットに突っ伏した。
 祐馬のその言葉は当然で、守って貰いたいことなのだが、心の何処かで、なんだか寂しくなっている自分がいる。
「そうじゃなくて……やっぱ鈴のこと気になる?気になるんだったら、あいつに言って埼玉のおばさんの所に行って貰うように言うけど……」
「……いや……違うよ……」
 ここで嫌だと言うと、戸浪は本当に心の狭い人間に思われてしまう。祐馬にそんな人間だと思われたくなかった。
「じゃ、どうしたの?最近、元気ないからさ……。仕事そんな持ってるの?」
「……ああ……」
「戸浪ちゃんって自分で結構持っちゃうタイプだから、周りにも助けて貰わないと駄目だよ。そんなんじゃ身体壊しちゃう」
 本当ならこんな風に祐馬が言ってくれるときは、抱きしめて、髪を撫で上げてくれる。それが無いのが寂しい。
「……そうだな……」
「あ、俺言うの忘れてたけど、戸浪ちゃんとの旅行先の件、俺決めちゃったけど良い?戸浪ちゃんずっと忙しそうだったし、じゃあ俺が決めちゃえって、決めてきたんだけど……」
「何処にしたんだ?」
 急に嬉しくなった。
 私も意外に単純だなと本気で戸浪は思った。
「えっと、中軽井沢。すげえ静かで良いところみたいだよ。で、張り込んでコテージ借りた。周りにもそんな沢山別荘がある訳じゃないから、人もぞろぞろ歩いてないだろうし……。そんかわり、何か食べたいんだったら持っていって自炊するか、近くまで車で出ないと店が無いんだけどね。あ、自転車は貸してくれるらしいからその辺り散策は出来るよ」
 パタパタと足を振りながら祐馬は嬉しそうに言った。
「……静かなコテージか……楽しみだな……」
 都会の喧噪を離れて、そう言うところに行くのはとてもありがたい。
「で、日にちなんだけど、今週末いい?金曜の夜に車で出て、日曜の朝帰るようにしたら良いかなあって思ってるんだけど……仕事入らない?」
「何とかするよ……」
「んでさ~あっちに行っても約束有効とか言わないよな……」
 むううっと祐馬がそう言った。
「……言わないよ……だが、良いのか?女の子一人で家に留守番させても……」
 付いて来るというなら、この話は最初から無かったことにして貰おうと戸浪は思った。
「いいよ。ガキじゃないんだから留守番出来るに決まってるじゃんか」
「……確かにそうだな……」
 二人きりの旅行か……
 静かな場所で二人きり……
 楽しみだ……。
「んじゃ、決めちゃうな。えへへ……俺すげえ楽しみ~」
 意味ありげに聞こえるがまあ、この位は良いだろう。
 週末……
 戸浪は本当に楽しみにしていた。



 すんなり行くと思っていた旅行前日、遅くに帰ってくると、居間で二人が大喧嘩しているのが聞こえた。
 なんだと思って戸浪がそっと居間を覗くと、すごい剣幕で鈴香が怒っている。
「どうして私が留守番しなきゃならないのよっ!私も連れてってよ!」
「何べん言ったら分かるんだよ。お前は就職活動だろ!だから留守番だって言ってるんだよっ!それにお前言ってただろ!金曜は面接に行ってテスト受けてくるって……そんなんじゃ連れてけないだろ!それに、二人分しか予約取ってないのっ!お前の分は入ってないし、今から増やすわけにも行かないんだよっ!」
 祐馬もかなり怒っている。
「祐ちゃんが今日言うから予約増やせないんじゃないっ!どうしてもっと早く言ってくれないのよっ!それに面接なんかブチするわよっ!別に絶対そこって決めてたわけじゃないし、私も行くっ!」
「お前会社をなめんなよっ!ブチするって、そんな失礼なことすんじゃねえよっ!」
 その通りだが、鈴香は今にも泣きそうだ。
「何で男二人で行くのよ。変じゃないそんなのっ!」
 確かに変だ。
「友達同士旅行に行くのが何で変なんだよっ!お前こそ変な事言うなっ!」
 それも考えると言える。 
 だが、鈴香が涙を落としたことで形勢逆転だった。
「酷い祐ちゃん……」
「うわっ!な、泣いたってこれは譲らないからなっ……!」
 はあ……
 戸浪は溜息が出た。
 仕方ない……
「ただいま……何、喧嘩しているんだ……」
 今更ながらにそう言うと、鈴香は涙顔でこちらを見て言った。
「戸浪ちゃん聞いてよっ!祐ちゃん酷いのっ!私置いて旅行に行くって言うのよっ!戸浪ちゃんもそのつもりだったの?そんなの酷いっ!」
「そんなに行きたいのなら二人で行ってくると良いよ……私は仕事でどうにもならないみたいだしな……」
 嘘だった。仕事は出来るだけ片づけてきた。だが本当の事を言えるわけ等ない。
「ほんと?」
 急に鈴香が笑顔になった。
「戸浪ちゃんっ!」
 逆に祐馬は怒っている。
 当然だとは思うのだが、この状況を納めるにはそれしかないだろう。
「そう言うことだから……」
 言って戸浪が居間を出ると、後ろから祐馬が走ってきた。
「ちょっと!どう言うことだよっ!戸浪ちゃん自分が何言ってるのかわかってんの?何で俺があいつと旅行に行かなきゃならないんだよっ!」
 珍しいことに祐馬が本気で怒っていた。
「祐馬……、あんな風に泣いたあの子を見てどうして私達だけで行けるんだ?」
「……」
「私は仕事だしな……折角だから気にしないで行ってきたら良い……」
「分かったっ!俺が必死に選んで、楽しみにしてたのに、戸浪ちゃんはそういう俺の事はなんも考えてくれないって事だよなっ!戸浪ちゃんは、全然楽しみにしてくれてなかったって事だよなっ!良いよもうっ!明日全部キャンセルにしてくるからっ!も、俺、絶対こんなの計画しないっ!戸浪ちゃんのことだからまたどうせ仕事だ、なんだって言って、キャンセルする気なんだろうからなっ!嫌なら嫌って最初からいやあ良いんだよっ!」
 こんな風に怒った祐馬は見たことがなかった。
「祐馬……」
「俺……ばっかみてえ……一人で喜んで……相手はそんな気無かったのに……」
 そう言って祐馬は戸浪に背を向けた。
「落ちついたら……私が計画するから……」
 こんな風に拒絶されたことがない分、戸浪にはどうして良いか分からない。
「もう良いって言ってるんだよ……もういい。考えるのも嫌になった……」
 そう言って祐馬はキッチンへ行ってしまった。
 暫くするとキッチンからまた怒鳴り声が聞こえてきたが一瞬で終わった。鈴香に旅行はキャンセルすると言ったのだろう。今度は鈴香の怒鳴り声が聞こえては来なかった。
 本当に怒らせてしまった……
 すごすごと戸浪はバスルームに入り、熱い湯を頭から浴びた。
 祐馬が本当に楽しみにしていたのは知っていた。それは戸浪だって楽しみにしていたのだ。だがあんな風に鈴香が泣いて、それでも放って行けたのか?
 理屈はそうなのだろうが、祐馬にしてみれば、怒って当然のことを戸浪が言ってしまったのだ。だが戸浪は助け船を出したつもりだった。祐馬が困っているのが分かったからだ。
 ではどう言えば良かったのだろう……
 いくら何でも三人で行く気は戸浪には無かった。
 ではあの時、二人の前でキャンセルしようと言えば良かったのか?
 どちらにしても、祐馬はこんな風に怒ったはずだ。
 はあ……
 溜息が又漏れた。
 楽しみにしていたのは戸浪も同じなのだ。久しぶりに祐馬と二人でゆっくり出来ると思っていた。二人で過ごす中軽井沢での想像を巡らせては、仕事にも力が入ったのだ。それを自分から行かないと言った私の気持ちだって分かって欲しいと戸浪は思う。
 だがそれを言い出せばもっと祐馬が怒るような気がした。

 バスルームを出て、鈴香にあてがわれた部屋を通り過ぎようとすると、泣き声が小さく聞こえたのは、きっとまだ泣いているからだろう。
 苦い気持ちで戸浪は寝室に入ると、既に祐馬は布団に潜っていた。
 戸浪もベットに上がり、布団に潜ると、ちらりと祐馬の方を伺う。だが背を向けた祐馬は何も話そうとはしなかった。
「……祐馬……済まなかった……」
 そおっと近づいて、戸浪はそう言った。
「……」
「お前が楽しみにしていたのは……分かってたんだ……でも……」
 祐馬の背に戸浪が触れようとしたとき、祐馬が言った。
「触らないって約束だろ……。も、ほっといてよ。俺が勝手に決めて喜んでただけなんだから……」
「違うんだ……祐馬……私も……」
「だから、もう良いって言ってるだろっ!もうこの話はむかつくから止めてよね」
 むかつくと言われて逆に戸浪が切れた。
「怒るなっ!私だってむかついてるんだからなっ!何だッ!旅行の一つや二つなくなった位でウジウジするなっ!あの子に就職が決まって、ここから出て行ってからでも、ゆっくり行けるだろうっ!」
「俺、どんなに楽しみにしてかのか、戸浪ちゃん全然分かってない!」
 背を向けたまま祐馬はそう怒鳴った。
 器用な男だ。
「五月蠅いっ!そもそもお前が……」
 と、言って言葉を切った。 
 鈴香に聞こえないとは思うが、聞こえていたら又ややこしくなる。
「……もういい。好きなだけ拗ねて怒ってろ……。私はもうしらん……」
 戸浪は祐馬から離れてベットの端で丸くなった。
 どうしてこんな事になるんだろう……
 だがまあ祐馬のことだから一晩寝たら忘れているだろう……。
 フッとそんなことを戸浪は思いながら、目を閉じた。

 朝目を覚ますと、祐馬の姿は無かった。
 一晩寝たら忘れるタイプじゃなかったのか?
 と、戸浪は思いながら、自分も身体を起こし、ベットから降りると、洗面所に行き、顔を洗ってスーツに着替えた。
 キッチンに行くと、やはり祐馬の姿はなく、鈴香だけがしょんぼりと座っていた。
「祐ちゃん怒っちゃった……」
 腫らした目で鈴香はそう言った。
「放っておけば、忘れているよ。そう言う男だから……根に持つことは無いだろう。気にしないで良いんだよ」
 戸浪はそう言って席に着くと、いそいそと鈴香はみそ汁と御飯を並べてくれた。あと卵焼きがそれに付いてきた。
「御飯も食べずに出て行ったの……。昨日はごめんなさい……」
「気にしていないから……」
 珍しく戸浪の口調は優しかった。
 なんだか可哀相になったのだ。
「……うん」
「今日は試験だろう?頑張ってくると良いよ」
 そうしてさっさと就職を決めて、ここから出ていって欲しいと戸浪は思っていた。どうも今回の事で祐馬はかなりご立腹だ。戸浪が旅行の計画をしない限り、暫く拗ねたままだろう。
 だがその為にも、この鈴香にはここから出ていって貰わないとならないのだ。だが追いだす権利は戸浪にまず無い。
「……ねえ、戸浪ちゃんってずっとここに居るの?」
 鈴香は顔を上げてそう聞いてきた。いきなりの質問に、米粒が喉に詰まりそうだった。
「え?」
「だって……祐ちゃんだって結婚するだろうし……。それに、祐ちゃんだってたまには女の人も連れてくるんでしょ?そう言うときは戸浪ちゃんは外で待ってるの?」
 待ってるって……
 何を?
 それは祐馬が誰か女性とHしているときの話なのか?
「いや、彼が女性を連れてきたことは無いよ……。私のことも、彼がもし結婚する予定になれば、新しく済む場所を探すが……今はまだそんな気配も無いし……」
 自分で何を言っているのか戸浪自身にも分からなかった。
「……そうなんだ……彼女居ないんだ……」
 嬉しそうに鈴香は言った。
 もしかして……
 もしかすると……
 鈴香は祐馬が好きなのだろうか?
「鈴香ちゃん……三崎のこと好きなの?」
 動揺を気取られないように戸浪は聞いた。
「うん。だから戸浪ちゃん、協力してくれない?」
 協力って……何を?
「……え?」
「もう、戸浪ちゃん鈍いっ!私、祐ちゃんに一生就職するためにここに来たの。本当は働く場所を探しに来たんじゃないの!」
 言って鈴香は照れていた。
 いや、そう言う告白を聞かされても……
「そ、それは勘弁してくれないか……」
 戸浪はようやくそう言った。
「え~っ。協力してよ~。私ね、小さい頃から、ずーーっと祐ちゃんのこと好きだったの。それがアメリカに行っちゃって、もう帰ってこないと思ってたら、日本に帰ってきたでしょ。それで絶対祐ちゃんと結婚するんだ~って、ここまで来たの。だからあ~この長年の思いを遂げさせてよ」
 遂げさせてと言われても…… 
 実は私が祐馬の恋人だとも言えない所が辛い。
「こういうのは……関わらないことにしているんだ。君も好きなら直接相手にアタックした方が良いと思わないかい?それに私は彼がこの家に女性を連れてきたことは無いのを知っているが、外で会ってるかもしれないだろう?」
 そう戸浪が言うと、鈴香はじいっと考え込んで暫くしてから言った。
「うん。そうかも……下手に人に協力して貰うより、自分でアタックした方が良いよね。ありがとう、戸浪ちゃん」
 いや……その……
 どうするんだこの子……
 違う。どう言えば良いんだ?
 これは祐馬に話した方が良いのだろうか?
 だが今拗ねて怒っている祐馬には何を言っても聞いてくれないだろうと言う気がした。
 もうどうして良いか戸浪は分からない。仕方なく立ち上がると鞄を持って「そろそろ行かないといけないから……」と言って玄関を飛び出した。
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