Angel Sugar

「煩悩だって愛のうち」 第3章

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 全く……どうするんだ?
 結局の所、鈴香の目的は祐馬だった。
 だからどうする?
 この事を祐馬は知っているのだろうか?知っているなら、まずうちには入れないだろう。
「仕方ない……」
 出社したのは良いが、仕事が手に付かず、暫く考え込んで自分の席に座っていた。が、祐馬に話した方が良いと判断し、戸浪は席を立つと廊下に出た。そして人気のないフロアに行き、自分の携帯を取り出して祐馬に電話をかけた。
「もしもし……三崎?」
 こちらの番号が表示されているので、誰かは分かっているのだろうが、携帯に出た祐馬は無言だった。
 まだ拗ねているようだ。
「おい、いい加減にしろっ!」
「……俺、忙しいんだけど……」
 その祐馬の声は無茶苦茶機嫌が悪い。
「悪い、忙しいのは分かって居るんだが……ちょっと話がある。聞けそうか?」
「……」
 全くどいつもこいつも……
 私がどうして二人のお子さまの面倒を見なけりゃならないんだっ!
 と、思うが、祐馬に関しては自分が悪いとも思っていたので、戸浪は怒りを収めた。
「あのな、今朝……」
「あーーこんな所に居たのか澤村~!来週のコンパの件だけど……」
 いきなり響いた声は川田だった。
「うわっ、馬鹿っ!こっちは電話中……」
 と戸浪は慌てて言ったが、携帯は切れていた。
 聞こえたな……
 戸浪は憂鬱に輪をかけたような気分になった。
 そんなことも分からない川田は「あ、電話してたのか、わりい、わりい」と、全く反省する様子もなくそう言った。 
 恨むぞ~川田……
 今日は余計に機嫌を悪くして帰ってきそうな祐馬を想像して、げんなりとなった。もうこれ以上、事をややこしくしたくない筈が、気が付くと事態は益々悪くなっている。
「言っただろう、コンパは行かん!」
 携帯をポケットに直し、戸浪はフロアを出た。それにくっついて川田が後ろからやってくる。
「そー言うなよ~。店も、予約したし、今更人数変更できねえってばよ」
 どいつもこいつも似たような事を言うなっ!
「……頼む……今はその話は止めてくれ……頭が痛い……」
 はあああっと溜息をついて戸浪は言った。  
 そんな戸浪に川田は不思議そうな顔を向けた。
「なんだ、もしかしてお前だけ抜け駆けで女作ったのか?もう?今の電話その女にかけてたか?」
 もうじゃなく、元々いる奴だと言いたくなった。 
「違う、全くお前も仕事が忙しいはずなのに、どうして、うろうろしてるんだ」
「あ、俺、肝心なこと忘れてた。会議だろ俺達……お前が入ってなかったから、呼びに行けって言われて探しに来たんだ。それが何かミイラ取りがミイラみたいになってるんだな。これが……」
 と、おっとりと川田が言った。
「あっ!そう言えば営業引継があった!」
 急に思いだして戸浪は叫んだ。本当にすっかり忘れていたのだ。
「そうそう、それ」
 はははと川田は言って笑った。
 だが笑い事じゃないのだ。
「呼びに来たお前がどうして慌てていないんだ?行くぞっ!」
 のほほんとしている川田を引っ張って、戸浪は会議室に向かった。
 
 コンパ?
 俺と旅行行くのは嫌な癖にコンパなんか行っちゃおうって思ってるんだ……。
 なあにが仕事急がしいだよっ!
 コンパも仕事だっての?
 見積書きをしながら祐馬は又腹が立ってきた。
 今回は絶対、自分から折れないと決めたのだ。何よりどれもこれも戸浪が悪いと本当に祐馬は思っていたからだ。
 もちろん鈴香を住まわせたことは悪いと思ってはいたが、だからといって、二人きりの時まで戸浪は祐馬に、触れることすら許してくれなくなった。
 ちゃんとしたHだってまだだって言うのに、それは無いだろ……
 でも鈴香のことで神経質になっているんだ、仕方ない……
 と、祐馬は自分に言い聞かせる事で、何とか焦る気持ちに折り合いをつけていた。それなのに、折角の旅行まで戸浪は鈴香と行ってこいと言ったのだ。
 もちろん、今度こそ初夜!という下心的な気持ちが自分にあったのも確かだ。だが戸浪は両膝を壊してから、本当に色々あった。仕事に復帰してからもずっと忙しくしている。
 だから戸浪を何処かに連れだして、ゆっくりとさせてあげたかったのだ。
 そんな俺の気持ちなんかぜーんぜんっ!まあーったく無視してるっ!
 俺がこんな戸浪ちゃんの事考えてるのにさっ……
 だが、あんな風に鈴香に泣かれ、それでもうちに一人置いて旅行なんか行けるわけ無いだろう。戸浪がああ言ってくれてなかったら、もっと酷いことを鈴に言ってた筈だ。
 と、いつの間にか、戸浪を許してしまいそうになった祐馬は、
 戸浪ちゃんはコンパに行くって言ってる!!
 俺が居るのにっ!
 と、そこで許す気持ちをなんとか抑えた。
 実際、もう本当に限界なのだ。
 一緒に暮らして三ヶ月、その間、何て清い交際を続けてきたんだろうと自分で自分が信じられないくらいだ。
 博貴に色々教えて貰って、戸浪を悦ばせてやれるという自信もついた。男同士でのやり方を一から十まで頭に叩き込んだ。
 まあ、それがばれて戸浪の機嫌が傾いたのは確かだったが……。
 ここまで来たらもう不安など無い。後は一気に突き進むだけだけだ~と思っているが、今のところ祐馬のそんな気持ちがだけが失速している。
 戸浪ちゃん……俺、マジ、も、限界なんだよ~
 一人で戸浪の事を思って慰める日はもう止めにしたい。
 側にいるのに、隠れて慰める自分がなんだか虚しい。手を伸ばせば、そこに戸浪がいるのに何故こんな風に我慢しなくてはならないのだ?
 鈴香に何か用事を言いつけてあいつが居ない間に襲っちゃおうかなあ……
 それとも都内のホテルの一室に呼び出して、そのまま一晩泊まるとか……
 なーんて出来もしないことを考えて、祐馬は溜息をついた。
 俺ってほんと馬鹿付くくらい、良い恋人だよな~
 それにしても……
 戸浪はどうなのだろうか?
 それを考えたことは祐馬は無かった。
 戸浪は抱き合いたいと思わないのだろうか?
 ついこの間、ホントに鼻血が出そうな事を戸浪は言った。
 自分からやりたいなんて、あんなお綺麗な顔で言われるとは思わなかったのだ。
 あれは本当に勿体なかった……。
 だがあの時まだ戸浪の足はギブスをはめた状態だった。そんな足を気にしながら最後までやれるわけなど無い。何より、今までそこまでしたことが無かったため、GOが出たらもう自分がどうなるか分からないのだ。
 足のことなど構ってられないという気持ちがあったから、あの場はお触り程度で何とか踏ん張った。ある意味、火に油を注いだようなもので、あの後、戸浪のイくときの顔を思いだして何度も一人で自分を慰めたのだ。
 あれが今までで一番虚しかった。
 だが戸浪はあれで満足したのだろうか?
 戸浪に祐馬のような欲求は無いのだろうか?
 あっさり旅行も諦めた戸浪の気持ちが、いまいち分からない。
 半分涙目で祐馬は机に突っ伏した。今こうやって考えることすら、股下に付いている息子にとって残酷な事だった。戸浪のことは考えるだけで、祐馬の息子はむくむくと起きあがってくるからだ。
 戸浪の限界が、この間を差すのなら、次にそんな状態が来るのは約三ヶ月後と言うことになる。
 犬の発情期じゃねえっての……
 俺は、毎日発情してるって……
 もしかして無茶苦茶淡白なんだろうか……
 それを戸浪に言ったら、どんな風にぼこぼこにされるか祐馬は知らなかった。
 知らない祐馬はやっぱり自分から折れないぞと誓っていた。

 憂鬱な顔で帰宅すると、祐馬と鈴香が居間で楽しそうにテレビを見ていた。そんな二人を見て、チクリと胸が痛む。
「ただいま……」
「あ、俺ら先に食ったから……」
 祐馬はこちらを見ずにそう言った。まだ拗ねているのだろう。
 ガキめ……
 と、戸浪が思っていると、鈴香が意味ありげにこちらを見る。邪魔しないでよ~と言うところだろうか。
 邪魔などするか……
 そんな風に思いながら、一応口元に笑みを浮かべて戸浪は着替えるために寝室に向かった。
 間の悪いときに川田が来た所為で余計に拗ねさせてしまった。
 行く気の無いコンパなのだが、祐馬は誤解しているはずだ。昨日の今日、あまりにもタイミングが悪すぎる。
 鈴香の事も結局言いそびれた。
 疲れた……
 バサッとベットに倒れ込んで天井を眺めた。
 本当なら今日の晩から旅行に出かけたはずだった。
 楽しみにしていたのに……。
 祐馬が感じている不安は、そのまま戸浪の中にもあった。最後まで抱き合ったことが無いというのは、何故かまだお互いが他人の様な気がするのだ。
 抱かれたいという欲求がこの間からずっと戸浪にはある。こんな風に思うことなど久しぶりだった。だから余計にその欲求は強く感じるのかもしれない。
 たまには私が拗ねた祐馬を宥めてやらなければならないのか?
 機嫌が傾いた自分を何時も宥めてくれるのは祐馬だった。性格的に素直でない部分を持っているのが分かっているため、口には出さないが、そんな祐馬が戸浪にはとてもありがたかったのだ。
 だから今回は、あんな風に拗ねてしまった祐馬を宥めるのは自分の役目かもしれない。祐馬が楽しみにしていたのは本当の事だからだ。
 ホテルにでも誘えば良いのだろうか……
 それなら昼間二人で留守にするくらいで帰ってこれる筈だ。
 等と本気で考えて戸浪は一人で顔を赤らめた。
 ……そ、そんなこと祐馬に言えるのか?
 誰もいないのに、一人で焦っている自分が、なんだか馬鹿にも思えたが、ちょっと幸せも感じているのは何故だろう。
 まあ、明日から土曜日で、休みは二日ある。その間に考えるとしよう。
 戸浪はそう考えながら目を閉じた。
 疲れた身体は睡眠と休息を欲しがっていたのだ。
 
 戸浪が寝室に引き上げて、どうもキッチンにも行かなかったのを祐馬は気にしていた。又食事を抜く気なのだろうかと心配になったのだ。
 戸浪は放っておくと本当に食べない。昼はどうしているのか分からないが、疲れて帰ると食事も摂らずに眠ってしまうことも多いのだ。
 だから身体がほっそりとしている。
 仕方ないなあ……と祐馬が立ち上がると鈴香が言った。
「祐ちゃん、明日映画連れてって。買い物もしたい~」
「え、そんなん一人で行って来いよ。俺は家でごろごろしたい」
「うわっおっさんみたい」
「五月蠅い」
「ねーねーいいじゃん。旅行も無くなったしさ~どっか連れってよ」
 鈴香はそう言って祐馬の腕に絡まってきた。まあ、戸浪とは今喧嘩をしているのだ。一日顔を合わせているのは、かなりきつい。
 俺が折れてしまう可能性が高いもんな……
 それは絶対しないって決めたっ!
「そうだなあ……じゃあ東京見物でも連れて行ってやるか……」
「やったーー!」
 鈴香は嬉しそうだ。
 こんな風に戸浪が言ってくれたら本当に嬉しいのに……
 と、思いながらも鈴香を離して、寝室に向かった。

 問題の戸浪はスーツを着たまま、ベットに身体を伸ばしてぐっすりと眠り込んでいた。
 ほら、やっぱり……
 呆れながらも祐馬は戸浪の上着を脱がせてズボンも脱がせた。
「……ん……」
 小さな声を上げた戸浪は、半分目を開けたように見えたが、やっぱりまだ意識は眠っているようだ。
「戸浪ちゃん……ほら、こんな格好で寝たら風邪引くだろ?」
 言いながらパジャマを着せようとするのだが、戸浪はまるで子供のようにぐずってる。
「……ああ……も……いい。寝かせてくれ……」
 戸浪はようやくそう言って、又がっくりと身体を前に倒した。
 なんて手間のかかる男だ~!と思うのだが、逆に可愛いじゃんか~とも思う。
「あのさ、寝かせてくれ~じゃないの。ったくもう……」
 何とかパジャマを羽織らせて、ほっそりした腕を袖に通す。だが戸浪の露わになった胸元が、あまりにも奇麗で祐馬は目がそこに釘付けになった。
 ごくっ……
「と、戸浪ちゃん……ほら、ちゃんと着てよ……」
 口でそう言い、パジャマのボタンに手を掛けているのだが、手が震えて留められない。
「……祐馬……あ……」
 言いながら向ける、ほわ~っとした戸浪の寝ぼけた顔が、もう堪らない。
 俺マジ……駄目かも……
「……戸浪ちゃん……ごめん……俺、駄目だ……」
 意識の寝てる相手にそんなことを言っても聞こえないのだが、祐馬はそう呟くように言った。当然の如く半分眠っている戸浪が返事をするわけなど無い。
 このまま放っておけば朝まで眠っているはずだ。
 だが、祐馬はそんな戸浪を自分の下に組み敷いて、口元に軽くキスを落とした。
 いいやこのまま、やっちゃえっ!
「何してんの?」
 ええええっ!
 驚いて振り返ると扉の入り口に鈴香が立っていた。
「あ、何か疲れてスーツ着たままっ……眠ってるからっ……はは、パジャマに着替えさえてやろうって……」
 はははははと笑いながらそう言って、ささっとボタンを留めると、戸浪に毛布を掛けた。
「……そう言えば何で男同士で寝てるの?」
 不審気な目を向けられて祐馬は言った。
「え、このベットほら、でかいだろ。二人寝たって狭かないから、寝てるんだよっ。別に変じゃないさ」
「……変って言ってないけどね……」
「お前もさっさと寝ろよ。俺もそろそろ寝ようかと思ってるんだから……」
「うん。じゃ明日八時ねっ!」    
 鈴香はそう言って出ていった。誤魔化せたようだ。
 祐馬は冷や汗を拭きながら、ベットから降りるとバスルームに向かった。身体を冷やさないととにかく今は眠れそうに無かったのだ。

 戸浪が目を覚ませると、やっぱり又祐馬は居なかった。
 あのまま寝てしまったのか?
 と、思うのだが、自分がパジャマを着ているのが分かり、思わずボタンを外して何もされていないことを確認して、溜息が漏れた。
 なんだ、人を裸にしておいて、あいつは何もしようとはしなかったのかっ!
 キスマークの一つもつけられないのかっ!
 怒りで一気に目が覚めた戸浪であったが、何もするなと祐馬に約束させた手前、怒るのも筋違いだと思うと、頭が冷えた。
 私があんな事言ったからな……
 せめて二人っきりの時はいいよと言ってやれば良かったのだ。
 後悔先に立たずとはこの事だろう。
 うーんと伸びをして、戸浪もベットから降りた。時間は九時を過ぎたところだ。よく寝たなあと思いながら、ペタペタと居間に向かったが、人の気配はしなかった。
 キッチンまで来ると、テーブルにメモが置かれていた。

 今日は鈴と一緒に一日出かけてるから、勝手に食べてね

 とそれだけ書かれていた。
 ……鈴とね……
 むかついた戸浪はそのメモを破るとゴミ箱に捨てた。
 折角こっちは言える雰囲気があったら、こっそりホテルにでも……と思っていたのだ。それが、これだ。
 私が悪いんだからな……何も言えないかもしれない……
 シンと静まりかえったキッチンで低血圧の戸浪は、ぼーっとしていた。だが電話が鳴ったことで、何処かにとんでいた意識が戻った。
「もしもし……あ……大地?」
「兄ちゃん。今日俺んち来ない?あ、あいつも居たら連れてきても良いけどさ……」
「ああ、祐馬は従姉妹と出かけてるよ。私だけ行くよ。予定は無いから……」
 ここに一人居るのも今日はなんだか寂しいのだ。
「そう、んじゃ、兄ちゃんだけだね。明日暇だよな?」
「ああ、どうした?」
「博貴がロマネコンティ客から見舞いに貰ったんだけど、今日あけるっていうからさ。兄ちゃんもどう?」
「昼くらいにそっちに行くよ」
「天気昼から崩れるらしいから、兄ちゃん傘車に積んで来た方がいいよ」
 そう言って大地は電話を切った。 
「ぼちぼち顔を洗って行く準備をするか……」
 戸浪は酔うことが出来ないくせに飲みたい気分だった。 

 結局だらだらとし、大地の家に着いたのは昼を過ぎていた。その所為か分からないが、大地だけが酔っぱらっていた。
「あ、お兄さん……。ほら、大ちゃん、お兄さん来たよ」
 そう言って博貴に気持ちよく膝枕されている大地の顔が上がった。
「兄ちゃんだ~」
 這うようにこちらに来て膝に絡みつく。
「おい、大は未成年だぞっ!」
「……はあ……済みません。飲むって聞かないもので……」
 酔わせて何をさせようと思ってたんだ!と思いながらも大地を抱えて戸浪は博貴が敷いてくれた座布団に座った。大地の方はもう夢心地だ。
「兄ちゃん~好き~」
 と大地は今度こちらの膝に頭を乗せる。
 こういう大地は可愛い。
 思わず顔もにやけてしまうのは仕方ないことだろう。だがそれを見た博貴はなんだか複雑そうな顔をしている。
「そう言えば私は君にも言いたいことがあったんだっ!」
 いきなり祐馬の事を思いだして戸浪は言った。
「あ、あはははは……」
「笑い事じゃないっ!」
「でも、三崎さん本気で悩んでいましたから……。先輩として……」
 と言ったところで戸浪は拳を上げた。
「あっ!す、済みません……もう言いませんから……っ!」
 焦りながら博貴はそう言って窓際まで逃げた。祐馬と違って逃げるのが素早い。大地に鍛えられているのだろう。
「兄ちゃん飲も!」
 その大地はもうベロベロだ。
「……飲もうってねえ……」
「はいはい私が用意させていただきます」
 言って博貴が新しいグラスを用意しだした。
 
 夕方になると雨が降り出し、暫くすると雷まで鳴った。
 戸浪は雷が嫌いだった。
「すごい降りですね……」
 外を眺めながら博貴はふとそう言った。
 途中で大地が眠ってしまったので、何故か博貴と二人で飲む羽目になったのだ。だが滅多に口にすることが出来ないロマネコンティをここで逃すのも勿体ないと思った戸浪は仕方なくつき合っていた。
「ああ……」
 祐馬達は傘を持って出ただろうか?
 フッとそんなことを考えて苦笑した。
「全く……大ちゃんは弱い癖に飲みたがるんです」
 言って博貴が愛おしげな目を大地に向ける。ああ、この男は本当に大地を愛して居るんだなあと今更ながらに戸浪は思った。
「そうだな。だから気をつけた方が良いぞ。大地は酔うととんでも無いことを昔からするタイプだしね」
 言うと博貴は「やっぱりっ!」と困ったように言った。と言うことは今まで困らせたことがあったのだろう。
 大地は酔っても、自分がやばい立場に立たされるとその気配が無くなるまで相手をぼこぼこにしてきた。だから大丈夫なのだが、少しくらい心配させて置いた方が良いだろうと戸浪は思ったのだ。
「大ちゃんは、強いんですけどね……なんかこう守ってやらないとって思うんですよ~」
 博貴がそう言って照れている。
 私にのろけるなと思うのだが、こちらも少し酔っているのか気が大きくなっており、まあいいかと言う気になっていた。
 だが……
 守ってやりたいか……
 確かに大地は腕っ節も強いのだが、そんな風に思わせる雰囲気がある。だが自分にはどうだろう。守ってやりたいという可愛らしさは何処にもない。
 誰にでもそう思われるのは、戸浪も絶対嫌だと思った。だが祐馬にだけは、そう思われたいと何故か思う。
 だが戸浪にはどこから見ても大地のような可愛らしさは無く、その上守ってやりたいという雰囲気も無い。
 冷たい感じがする。生意気な顔だ……。
 性格も可愛げな所は全くない。強情で、心も狭い。
 何時も鏡に移る顔を見ては、そう思うのだ。
 暫くそんなことも忘れていたが、鈴香が来たことで又思うようになった。やはりあの子は可愛いと思う。守ってやりたいと思うだろう。
「……お兄さん?」
「あ、いや……ちょっと考え事をしていてね……」
 と、戸浪が言うと、大地が「う~っ」と言って起きあがった。
「……どうした?寝てるといい」
 と言うと大地は、じーっとこっちを見つめてくる。その顔はまだ半分眠っている顔だ。
「雷……鳴ってる……兄ちゃん……大丈夫?」
「大丈夫だよ……寝てなさい……」
 言うと大地は又布団に潜ってしまった。そんな大地に博貴が聞いてきた。
「今の大ちゃんの言葉ってなんですか?」
「ああ、私は昔から雷が嫌いでね……今はもうそうでもないんだが、小さい頃は本当に恐かったんだよ。そう言うときは幼い弟の方が私に「よしよし」って言ってくれたものなんだ。変な話だが……」
 それは戸浪が十二歳で大地が五歳の時の話だ。なのに、博貴は羨ましそうな顔を向けた。
「何だその顔は……」
「……いえ……別に……」
 博貴は言いながらグラスを傾けた。
「うちの弟に貴様が「雷が怖いから、よしよし、してくれ」等とふざけたことは言うなよ」
 と言うと博貴は吹き出した。
 何だ図星か……
「全く……馬鹿だな……」
 と言うのだが、この大地より年上の男が大地に「よしよし」されている姿を想像して思わず口元に笑みが浮かんだ。
 戸浪とて今は雷に対して恐怖ほどのものはもう感じてはいない。だがやはり気持ちのいいものではないのだ。
 五歳の頃、家に帰る途中、雨に遭った。そのとき雷が自分の雨宿りしている木に落ちた。幸い戸浪は軽傷だったものの、目の前で真っ二つになった木が忘れられず、それ以来雷が怖くなったのだ。
 小さい頃はよく母親に抱きついて頭を撫でて貰っていた。
 幼い頃の話だった。
「そろそろおいとまするよ……」
 結局大地のうちを十時に後にすると戸浪は又憂鬱になりそうな家に向かった。
 雨はまだ、降りやむ様子は無かった。

 車を駐車場に入れ戸浪は十一階まで上がった。マンションの通路を歩きながら傘を差す。横殴りの雨が通路にも降り込んでいたからだ。
 空は相変わらず雷で時折光り、ぞっとしながらも家の玄関まで早足で歩いた。
 突然ドンとしたものすごい音が近くから聞こえて、戸浪はしゃがみ込んだ。もうこれは条件反射みたいなものだった。
「近くに落ちた?」
 そーっと顔を上げて周囲を見回すと、どうも近くに落ちたのか、木の焼ける匂いだけが漂っていた。
 思わず背筋が凍り付いて、歩を進める足が震えて前に進めない。
 ようやくうちにたどり着いたとき、戸浪は自分が傘を通路に落として忘れてきたことに気が付いた。だが取りに行く勇気は無かった。
「ただいま……」
 震える手でようやく鍵を開けて玄関を上がると、いつも居間から聞こえてくるテレビの音は聞こえなかった。部屋に明かりがついているので帰ってきているのだろうが、その気配がない。
 濡れた身体をパタパタと払い、廊下を歩く。だがホッと安堵するのもつかの間、薄く開いた扉から声が聞こえてきた。
 その部屋は鈴香にあてがわれてた部屋だった。
 覗きは駄目だと思ったが、何故か様子を窺うと、鈴香の為に敷かれた布団の上で祐馬が座り、鈴香を抱きしめていた。
 抱きしめると言うより、鈴香の方がしがみついてそれを祐馬が宥めているような感じだった。
 なんなんだこれは?
 と、思うのだが、見なかったような振りをしてその場を離れ、そのままバスルームに向かった。
 身体が濡れて冷えた所為なのか、先ほどの雷で昔の恐怖が戻ってきた所為か定かではないが、手足の先が冷たくなっている。
 戸浪は服をゆるゆると脱ぎ、熱いシャワーを浴びた。
 風呂から上がると祐馬がこちらに気が付いたのか駆けてきた。
「ごめん戸浪ちゃん。俺、今晩は鈴の所にいるから……あいつ昔から雷が苦手でさ……付いていてやらないとホント駄目なんだ……」
 それだけ口早に言うと又鈴の所へ戻っていった。
 ああ、それであんな風に鈴香が祐馬にしがみついていたのか……
 本当にお前は優しい奴だ……
 戸浪は思いながら寝室へと入りベットに丸くなった。
 外からは相変わらず激しい雨音と雷が鳴っている。
 私だって……
 怖いんだ……
 大の大人が、それも祐馬より年上の戸浪はそんな事を口が裂けても言えなかった。何より、可愛い鈴香が怖がっているのだ。こういう場合は女性を優先して面倒を見てやるのが当然だろう。
 だが戸浪も先ほど急に戻った記憶のために、本当に怖かった。
 余りにも近くで鳴る雷に、もう戸浪は堪らなくなり、毛布を引きずるとウオークインクローゼットに入った。
 そしてホッと息を吐く。
 音があまりしない……
 ここならましだ……
 一人でそんな事を考えて、妙に寂しくなった。
 祐馬は優しい……
 いつもいつもそう思ってきた。
 だがあの優しさは自分だけに向けられているものではなく、祐馬は誰に対しても優しいのだ。
 だから酷い目に合った如月を許すことだって出来たのだ。
 だから雷に怖がる鈴香を放っておくことも出来ないのだ。
 両膝が痛いと言う戸浪を放っておくことが出来なかった。
 誰にでも優しい祐馬……
 私はそんなお前が好きだ。
 だが誰にでも向けられる優しさなら……
 私はいらない……
 それはとてもわがままな気持ちだ。充分わかっている。
 それでも……
 お前の優しさを独り占めしたい……
 
 戸浪は朝までそこでまんじりと過ごした。
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