「身体の問題、僕の事情」 第4章
『なあ…』
暫くそうして、あとデザートだけになるとリーチは再びトシに声を掛けた。
『なに?』
『お前って、どういう奴がタイプ?』
『タイプって…どうしたの急に?』
急にそんなことを言うリーチにトシは驚いた。
『俺にだって恋人がいるし、お前もそろそろ彼女作った方がいいんじゃねえの?だったらそろそろ、品定めしねえとさ…』
その口調はとても真剣だ。
『あのねえ、僕たちは特殊なんだから、そうそう簡単に彼女なんか作れるわけないでしょ。もう、そんな話何で急に振ってくるんだよ…』
『だってさあ、俺ばっかり幸せで悪いだろ?で、お前は彼女欲しいとか思わないのか?そいや、お前女とつき合ったことも皆無だし、つき合いたいって相談してきたことだってねえし、ソープなんかいかねえし。その上、マスタベーションだってごくまれにしか、しねえよな』
と、トシが息が止まって倒れるようなことをリーチは平気で言った。
『なっ…なななななな…何言ってるんだよ!ほっといてよそんなこと!でもそんなの何でリーチが分かるんだよ!!』
『あれ、お前、わからねえか?やった後交替したらすぐに分かるぜ。身体の調子でさ。ん?お前そういうの、わからねえか?』
言いながらようやくリーチはデザートを食べだした。良くこんな話題の最中に何かを食べられるもんだとトシは溜息をついた。
『分かる訳無いだろ。そりゃリーチが散々悪さしてたときは腰が無茶苦茶怠かったから、やりまくったって予想はついてたけどね。その事は雪久さんは知らないんでしょ』
と言うとリーチは飲んでいた御茶を吹き出した。
「あ、はは済みません……」
ゲッとこちらを振り返る社員達に謝りながら、リーチは口元を拭いた。
『い、言えるわけねえだろう!それに、それは俺が学生の時の話で今じゃねえ。今はユキ一筋なんだからな。絶対お前ばらすなよ!』
『ばらしたりなんかしないよ。けどさ、そう言う話ふってきたのリーチじゃないか。もう……』
『そ、そうだけどよ。お前にもやっぱりラブラブな毎日送らせてやりてえじゃんか…』
『僕のことはいいの。別に彼女が欲しいとか考えたこと無いし…そう言う欲求もリーチが励んでくれてる所為か身体で感じることないもん。僕はこのままでいいよ…』
トシの初めての初恋の相手はリーチの恋人だった。リーチはその彼女のことは恋人じゃないと今でも言い張るが…。
奇麗な人だった。細身の身体に腰まである黒髪が印象深かった。その人はもうこの世にはいない。
『アレつっこむと気持ち良いんだぜ。お前しらねえだろうからさ~。知ったら絶対お前猿になるって。いや、マジで』
頭の中が真っ白になるようなことを平気でリーチはトシに言った。
『あのねえ…リーチ……。僕は興味ないの!』
女性とつき合うなんて出来そうにないのだ。トシはあることがあってから利一に自信はあってもトシ自身の性格に自信がもてない。だから自分をさらけ出すことに抵抗があるのだ。かといってつき合ったのなら自分を見せないわけにはいかない。気を使いすぎてきっと胃潰瘍になるだろう。それが分かっているから、つき合いたいなどと思わないのだ。
『なあ、もしかして、男が良いわけ?』
『じ、自分が男とつき合ってるからって何でそうなるわけ?いい加減にしてよ!そりゃ、雪久さんのことは僕も好きだし、決して変な目で見る訳じゃないけど、何で僕までそうなるわけ?』
リーチを殴ることが出来たらきっとトシは殴っていただろう。
『…だって、女が嫌なんだろう?』
意味が違うのだ。嫌とかそう言う問題ではない。
『だからってどうして男になるんだよ』
『でもよもしお前が男とつき合う事にでもなれば、お前って受けっぽいよな。いや絶対受けだぜ…。つーか、利一の顔と身体ってどっちかっつーと受けっぽいじゃんか。なにより、お前が攻めなんて考えられない。ってことは、この身体が攻め受けリバーシブルになるってことだ。俺、絶対そんなの許さないからな!女でも男でもつっこんでも良いけど、つっこまれるなよ!』
この男をどうやって止めたらいいのだろう。トシは消化できない事ばかりリーチが言うので貧血で倒れそうだ。いや、今利一の身体の主導権を持っていたのなら、本当に倒れていただろう。幸いにも今主導権を持っているのはリーチだ。
それがいいのか悪いのか分からないが……。
『何とかいえよ…』
『それ以上言ったら本当に雪久さんにリーチの悪行をばらすからね。僕本気で言ってるんだから…』
『うっ……それは止めてくれ~俺、思いっきりふられちまうじゃんか…』
滅多に泣き言を言わないリーチが名執のことではこうだ。
『分かった?』
『…分かったよ。俺はただ、お前のことを心配してさ…』
『嘘ばっかり。何が僕の心配だよ。どうせからかってるんだろ…』
そうトシがいうと、リーチは一瞬黙り込んで、はははと笑った。なんだか変だ。
『ここのところ、リーチほんっとに変だよ。なんかあったの?』
『別に。お前の気のせいだろ。まあ確かに変になるかな~…。ユキと会えないし、電話も出来ない。エッチも出来ない……もうしんじまいそうだ』
はあ~と溜息をついてリーチは言った。全くどうしてこうリーチは欲望直結型なのだろうと思った。昔からこうなのでどうしようもないのだが…。
『食べおわったんなら代わってよ。そろそろ戻らなきゃ…』
『あ、ああ』
しっかりトレーの物を食べ終えたリーチは今度はトシの言うとおりに身体の主導権を渡した。しかし身体の主導権が戻るとトシは胃が重く感じた。
『げ…こんなに食べて~気分悪くならないの?』
よたよたとトシは歩きながらそう言った。
『ん?俺満足したぞ~このくらい食わなきゃなあ』
気楽にリーチは言った。
席に戻りさて仕事の続きをと思った矢先にリーチが言った。
『人間チェックしたから名簿見せてくれよ』
『あれ?何時の間にチェック入れてたの?』
驚きながらもトシは社員名簿にアクセスした。
『あのなあ、俺達の仕事は刑事。お前こそ大丈夫か?何かここに来てから浮かれすぎて本来の仕事マジ忘れてねえか?』
ちょっと怒った風にリーチは言った。リーチは何時だって刑事という職務を忘れたことがないのだ。
『そ、そんなことないよ……』
慌てて愛想笑いを浮かべたが、確かにここに来てから浮かれているのは自分でも分かっていた。だが自分は刑事だ。本来の仕事をしっかりしないと、いつまで経っても殺された被害者は浮かばれない。
それを思いだしてトシは気を引き締めた。
『ああ、そいつとそいつ…それと。あ、その禿げたのも…』
と言って何人かをピックアップし、メールに載せて捜査本部にメールを送った。それと同時にいつの間にか捜査本部からメールが届いていた。
以前チェックでこちらに報告のあった人物は全て白。だが別件で全員逮捕した。
二人はストーカー、一人は万引き、あと被害者は死亡していないがひき逃げで逮捕が一件、恐喝一件、全て今回の事件とは違うが、隠岐からの報告者全員何らかの犯罪を犯していた。
以上、引き続き宜しく!
『なんだ、雑魚ばっかだな~。って分かってたけどな…』
リーチは返信を見てそう言ったがトシは、そんなリーチの特殊な能力を知っていても、やっぱり毎度感動する。
『雑魚でも犯罪者は犯罪者。すごいなあリーチ…』
『でもビンゴって奴にぶつからねえからなあ…お前、トイレに行くたびに違う階をチョロチョロ回れよ。それととりあえずこの部署の隣だったな、殺された奴のいた部署に顔出して貰いたいな』
本来はその部署に配属されるはずであったが、あまりにも近すぎると目立つ恐れがあるので、四係は利一をその隣の部署に配属するよう依頼したのだ。だがやはりお役所だ。隣の部署とはほとんど関わりがないと槙田は言っていたのだ。なのにどんな顔をして、どういう理由で隣に偵察に行けばいいのだろうか?
まずそれが問題だった。
『新人だし、間違えました~ってのはどうだ?』
『…思いっきりべたなやり方だよそれ…』
トシはそう言って溜息をつく。
暫く貰った仕事に専念しよう。トシはそう思い直して仕事に没頭した。気がつくとかなり遅い時間になっていた。
「藤村!おいまだいたのか、終電が無くなるぞ!」
顔を上げると幾浦が真横に立ち心配そうに言った。
「え…」
気がついて周りを見渡すと誰もいない。実際は他の社員はトシに声を掛けたのだが夢中になっていたトシは全く耳に入らなかったのだ。仕方無しに一人又一人と退社していった。そうしてトシは一人ここに残ってしまっていた。
本来なら声を掛けてくれるはずのリーチはスリープ中だった。
「あれ?」
「あれじゃない。私は会議でずっと他の部署と話し合って遅くなったが、君にこんな時間までやれと指示はしていないだろう?帰れと言われないと帰れないのか?急ぎならいざ知らず……」
困った顔で幾浦は言った。
「済みません。熱中すると周りが見えなくなってしまうんです。でも慣れてますから…」
「慣れてる?名古屋じゃ新人をこんな風に扱ってるのか?」
「あっ、違います。家でパソコンに向かってるときこんな感じですから……それで…」
刑事の仕事は不規則で、まともに帰られない、終電が無くなることなど日常茶飯事だ。だから遅かろうが早かろうがトシにはいつもの事だったのだ。だが普通は違う。その事をすっかり忘れていた。
「寮の門限は十一時だろう……」
「あ、はあ。そうでした」
そのときトシの携帯が鳴った。こんな時間にかかってくるのは本来の仕事関係でしかない。
「ちょ、ちょっと済みません」
そう言ってトシは廊下に出ると、そこから幾浦を眺めながら携帯を取った。
「もしもし隠岐ですが……」
小声でそう言う。
「あ、俺、篠原!どう調子は?」
相手は篠原だった。
「まさか又呼び出しですか?」
「いや、そうじゃなくてお前どうしてるんだろうと思ってさ~」
くすくす笑いながら篠原は言った。そのバックはざわついてる。
「からかいの電話なら止めてください。私はまだ会社にいるんです。そちらも捜査本部から掛けてるんですか?」
「そうそう、目黒の件が片づいたんだ。さっき犯人が逮捕されたよ。それの連絡」
「あ、捕まったんですか。良かったですね」
トシがそう言って話をしていると、幾浦が自分のパソコンをじーっと見つめているが見えた。
「じゃ、篠原さんまたゆっくり電話しますから」
そう言って携帯を切ると慌てて幾浦の所に戻った。
「な、何ですか?」
言いながらトシは自分のパソコンに今何が写っていたか確認すると、昼間見ていた社員名簿が画面に出ていた。
あちゃああ…。
「君はこんなものにハッキングして何を調べたかったんだ?」
訝しげな目で幾浦に言われ、トシは返答に困りすぐさまリーチを起こしてまくし立てた。
『リーチウエイクして!なんか言い訳考えて!社員名簿見てるのばれちゃったよ!』
こちらは許可を貰っていたが、そんなことを幾浦が知るはずもない。
『う~眠い~替わるよ……』
言いながらリーチはトシと交替した。
「で、どういう言い訳が出てくるんだ?」
恐いほどの目で幾浦がじっとこちらを見ている。
「済みません。気になる女の人がいたので…何処の部署にいらっしゃるかどうしても知りたかったんです」
リーチはすんなりとそんなことを言った。
『げええ。リーチ何言ってるんだよ』
トシはびっくりした。言い訳がそんな風になるとは思わなかったのだ。
「気になる女性?」
驚いた顔で幾浦が言った。
「はい。済みません」
そう言って頭を下げて謝ると、頭上から幾浦の溜息が漏れた。
「そんなことはハッキングしなくても同僚に聞けばいいんだ。全く……」
「でも、聞くと変に噂が立って向こうの女性に迷惑がかかると申し訳無いですし、それで……」
「で、分かったのか?藤村の気になる人が誰なのか?」
「……済みません、あの……今日食堂で代理と一緒にコーヒーを飲んでいた方です」
そう言うと幾浦は目を見開いて驚いていた。
『なああああっ!何言ってるんだよリーチ!!』
その人は幾浦の彼女なのだ。一体何を血迷っているんだろうとトシは慌てた。
『だってよー女で名前を知ったのはあの女だけじゃねえか。他に言える女がいるか?』
って、いくら何でも相手が悪いだろうとトシは思ったが、もう言ってしまったのだから後には引けない。
「……長浜さんか。私の同期だ。一緒に居たのを見たのだったら何故私に聞かない?」
「と、とんでもないです。も、いいんです。ちょっと気になっただけですから……」
リーチは、わたわたとした仕草を作って、そう言った。
「これだけは言って置くぞ。ストーカー行為はするなよ」
「はあ?そんなことしません。今後こういうことは絶対しません。だからその、許して貰えますでしょうか?」
利一の大きな目で申し訳なさそうに下から見上げる。その表情は誰だって許してしまうだろう。リーチはそんな利一の顔の利点を利用した。
「……そうだな、理由が理由だったからな。他の人間に見られていたら君は首が飛んでいたぞ。今後二度とこういうことはするな。次見つけたら、本当に首にする。分かったな?」
「はい……」
『ああ、うぜえ。ストーカーとか言われるし、自分だから許してやるって恩売られるなんてよ~。大体な、お前がちゃんと閉じてねえからこんな事になったんだぜ』
『ごめん。そうだよね……閉じるの忘れてたよ……ありがと替わるよ』
トシがそう言ってリーチと交替する。気分は最悪だった。
「ところで、最初の話に戻すが、どうやって帰る気だ?」
「あ、そうでした。でも一泊くらいならここで寝ます。私何処ででも寝られるんです」
トシはそう言った。
「そんなことを得意げに言うんじゃない。仕方ないな。私はこのままタクシーで帰るが、うちに泊まるか?」
『うわっ駄目だぞトシ!』
幾浦の言葉が終わると同時にリーチが叫ぶように言った。何を慌てているのかトシには分からない。
『なに叫んでるんだよ。行く訳無いだろ。上司の家にさ~』
といいつつ、
「気持ちはありがたいんですが、友達の家にでも転がり込みます」
っておい、名古屋から来たのをすっかり忘れているトシがそう言った。
「友達?東京に友達がいるのか?」
「え、あ、はい」
そうだ、僕は名古屋から来たんだった。とトシは思いだした。
『ぐはっ。お前なに言ってるんだよ~友達なんていねえ設定だろ~。いやまて、いることにしろ。いることにしてこの会社にとまりゃあいいんだ』
リーチはそう言った。
「君は嘘がつくのが下手なようだ。そう言うことは気にしないでうちに来ると良い。ただ飼い犬がいるんだが、まあ、ちょっと大変な犬なんだが…それは私が何とかする。君は犬は苦手か?」
「いえ、犬は大好きです。いえ、そうじゃなくて、ご遠慮します。本当に大丈夫ですから……」
「なら、遠慮することはない。さあ、帰るぞ」
幾浦はそう言ってトシの腕を掴んだ。
『ぎゃーートシ、ちゃんと断れよ!俺は嫌だ』
どうしてリーチがそれほど嫌がっているのか全くとしには分からない。幾浦はただ面倒見が良いのだ。
『五月蠅いなあ、何言ってるんだよ』
『俺、犬は嫌いだーー!』
好きなはずなのに何を言い出すのだとトシは困った。
『リーチ……そんなに幾浦さんが嫌いなの?毛嫌いするタイプって言ってたけど、折角の好意すら受け入れられないの?』
ムッとしたようにトシは言った。そのころには既に引きずられるようにトシは幾浦と廊下を歩いていた。
『俺、俺はな……その……だから、こいつは気に入らないんだ!』
もごもご言っていたかと思うと又叫び出す。名執に会えないことで情緒不安定になっているのかもしれない。
『五月蠅いよ。黙っててよもー。そんなに嫌ならスリープしたらいいだろ』
『馬鹿!こんな状況で寝てられるか!』
ってもう、訳が分からない。
『はあ……』
溜息をついて二階でエレベータを降り、出口に向かうと後ろから女性の声が聞こえた。
「幾浦さんちょっとお話があるんですが……」
昼間の長浜だった。
「随分遅くまで残っていらっしゃるんですね、で話とは何です?」
返答する幾浦の口調は事務的だ。これが恋人に対する態度なのだろうか?
「ええ、専務が戻るのを待っていなくてはならなかったので……」
長浜はそういって幾浦をなおも引き留めようとした。
『トシ~お邪魔虫はさっさと退散するこった。だろ?』
妙に嬉しそうにリーチがそう言う。確かにそれはそうだ。自分がいるから二人とも事務的なのだろう。やはりここは恋人同士二人きりにさせてあげなければいけない。
「あ、じゃあ、私は先に帰ります……」
トシはそう言ってそそくさと玄関に向かおうとするのを幾浦が止めた。
「いや、いい」
『トシ、ほら行け!走れ!』
とリーチは怒鳴る。
「いえ、本当に大丈夫ですから」
パタパタと逃げるようにトシは会社を後にした。
『はーびっくりした。あんなとこで待ってるなんてさ~』
『恋人同士だから何でもありだよ』
とリーチは分かったように言った。
『さーて…寮に戻れないし、ここからだったら新宿署の本部に寄って、あっちで仮眠とろうか?』
『トシにしたら良い案だすじゃんか。そうしようか』
と、リーチは先程と違い嬉しそうに賛成した。
『うん』
ここからなら歩いても行ける。トシはそう思いながらてくてくと夜の街を歩き出した。
捜査本部に着くとトシ達は今までの報告を聞き、一通り資料にもう一度目を通し、そこで仮眠を取ることにした。他にも何人かの捜査員が椅子に寝ていたり、空いている会議室で眠っていたり様々だ。
トシはようやく見つけた空き場所に座り、煌々とつく蛍光灯から目を逸らせる為に、近くにあった新聞を顔にのせた。
『なあ…あいつ何してると思う?』
リーチがふとそう言った。
『あいつって?』
『ユキだよ』
何で分からないんだようと言う口調でリーチが言った。
『リーチに会えないときは雪久さん夜勤を取ってるんだろう?じゃ今頃病院で救急患者相手に奮闘してると思うけど……』
名執はリーチと会えない週を夜勤の当番にしているのだ。
『そうだよな……』
はあと溜息をつく。
『会いたいの?』
『ん~まあな。なんかな~会ってないと心配なんだよ。あいつ、ほら、もてるからさ』
『ほんっとリーチって独占欲強いよね。そんなんじゃ駄目だよ。嫉妬深い男は嫌われるよ』
トシがくすりと笑ってそう言った。
『だってな~ユキ相手に心配しないなんて人間はいねえと思うぞ。あいつ奇麗だし、性格も可愛いし、もうなんか思い出すだけでもたまんねえよ』
『はあもう、何言ってるんだか……』
呆れてしまうほどリーチは名執に参ってる。
『確かにね、奇麗な人だよ。優しい人だしさ~。でも僕から見たら患者さんにはすごく優しい目を向けるのに、それ以外の同僚とかには、なんかこう、すごく冷たいっていうか目線に入ってないって言うか……』
それがトシには不思議だった。名執の笑みは本当に奇麗だ。まるで蘭が咲きほこっているようなのだ。なのに、それを向けるのはトシが知っている限りでは、患者と名執の担当の看護婦の田村、恋人のリーチにだけだ。特にリーチに対して向ける笑みはトシもドキドキしてしまうほど奇麗だった。
『まあな、ユキも分かってるんだよ。所構わず笑いかけたら妙なのが数珠繋ぎに後ろをついてくるってさ。だからああいう態度をとってるんだろ』
実際はそれもあるが、本当の理由は別にある。その辺りをリーチはトシには話していない。
『そっか…変なのいるもんね。雪久さんって確かにストーカーにあいそうなタイプ』
トシは納得してそう言った。
『す、ストーカー?』
リーチが妙な声でそう言った。
『だってそうだろ?ああいう人ほど嫉妬的な嫌がらせ受けそうだし、ちょっと目が合っただけで変な気を起こす人も出てきそうな程雪久さんって奇麗だよ』
『た、確かにそうだ。うわ俺また心配になってきたよ』
あわあわとリーチがそう言う。そんなリーチが見られるのは名執とつき合ってからだ。以前のリーチはこんな風に慌てたりしなかった。
恋人が出来て丸くなったのかなあとトシは思いながら笑いが漏れた。
『ねえ知ってる?雪久さんって一番奇麗に笑うのはリーチに対してだけだよ。僕見てて思った。患者さんにもそりゃ優しげな目で笑うけど、リーチに向ける笑顔を見たら、雲泥の差があるんだよ。だからリーチ、もうちょっと自信もったら?』
『え、そうなのか?』
リーチは気がつかなかったのかそう言った。
『うん。だからね、心配はしなくてもいいの。分かったなら、も、寝ようよリーチ。』
トシは疲れていたのだ。
『そうだな……寝るか~』
ようやく眠れると、うとうとしだした頃、身体を揺すられ起こされた。
「隠岐、隠岐っ」
「あ、はい」
「やっぱり隠岐だったか。この辺りで寝てるって下で聞いてな。すまん、ちょっと手伝ってくれないか?」
捜査課の杉原警部がそう言った。
「私に出来ることなら手伝いますよ」
トシはそう言ってニッコリと笑った。
『リーチウエイクして。仕事……』
『はあ??』
『それでさーリーチ、すごく悪いんだけど、交替してくれない?僕今日はもう疲れたちゃって……』
『ん?いいよ。俺は逆にエネルギー未消化でうずうずしてる。なんならスリープしてろよ。お前が必要になることがあったら起こしてやるよ』
リーチはそう言った。トシはそれに甘えることにし、自分はスリープする事にした。
『トシ、ウエイク。おきろって』
『あ~う~ん。おはよ~リーチ……』
『何とか就業時間までに解放して貰ったよ』
『何?どういうこと?』
『いやあ、あっちこっちで手伝ってたら徹夜しちゃったよ~』
はははと笑ってリーチは言った。
『ええ?寝てないの?』
『そう、色々忙しかったんだよって言ってる時間もねえな。さっさと、今の会社に出社!出社!その前に身体交替するぞ』
『うん』
と、気軽にトシは利一の身体の支配権を持ったが、身体が異様に疲れている。
『何……この怠さは……』
『ちょっと捕り物にもつき合っちゃってさーーはは。実は走り回ってたんだよ。ってことで俺は暫く寝るな~。あっちの会社でうろつく頃に起こしてよ。お休み~』
おやすみって……。
『ちょっとリーチ……!』
引き留めるのも遅くリーチはさっさと寝てしまった。
仕方ないか……こっちが本来の仕事だもんなあ~。と呟くように言って怠い身体でトシは今の会社に出社した。
自分の部署に着くと周りは雑談している人もいれば、既にパソコンに向かっている人もいた。幾浦はまだ出社していないのか、机の上が奇麗に片づいたままだ。スーツの上着も何時も掛けているところに無い。
「おはようございます」
そう言うと、真ん中で雑談していた槙田が声を掛けてきた。
「藤村、お前昨日遅かっただろ。こっちは帰ろうって誘っても全然耳に入っていなかったもんな。で、何時頃までいたんだい?」
「え……その十一時頃帰ったんですけど……」
おずおずと言うとそれを聞いていた他の社員が驚きの声を上げた。
「最初から飛ばすと後辛いぞ~」
「なんだか夢中になってしまって」
そう言ってトシは苦笑した。
「あ、そうそう、代理朝から会議に入ってるから、多分昼からこっちに戻ってくるんじゃないかな。だから貰った仕事終わったら、暫く休んでいていいよ」
「はい」
そっか~幾浦さん朝から会議だったんだ~大変だなあ~昨日も会議だったみたいだし。とトシは同情しながら自分の席に着いた
始業ベルが鳴るとトシは早速、昨日の続きを始めた。
槙田の言うとおり、昨日飛ばした所為で仕事はすぐに終わってしまった。だが、出来たと報告したい相手はまだ戻ってきそうにない。
「藤村!代理が机の書類を第三応接室まで今すぐ持ってきて欲しいってさ」
仕切越しに言われたトシは立ち上がって「はい。分かりました」と言った。だが机の書類とは何だろうと思いながら幾浦の席に立つと、それらしき書類はすぐに見つかった。それを掴むとトシは急いで第三応接室に向かった。