「譲れぬ問題、僕のプライド」 第1章
二人で身体を共有していると不思議なことがある。
夢のことだ。
夢は互いに独立して見るときと、共通のものを見るときがある。それはとても不思議な感覚で、これはリーチが見ている夢だと分かっていながら、トシは夢の中で漂っているのだ。人の夢だと気づいていても、自らそこから抜け出すことはできず、目が覚めるまで同じ夢を見ている。目が覚めたとき、トシがリーチの夢を見ていたことにリーチが気づくこともあれば、気づいていないこともあった。
これらは互いにあることで、片方だけに限ったことではない。ただ、共有する夢には一定の法則があって、決して個人的な見られたくないようなものを、共有することはなかった。
例えば、トシが恋人の幾浦といちゃつくような夢や、リーチが名執とエッチなことをしているような夢だ。そういう内容はありがたいことに見たことがないし、見たいともトシは思わない。恋人同士の間にある秘密は、やはり幾浦とトシだけのものであって欲しいし、いくらリーチであっても、知られたくないことがある。
もっとも、共有していることに気づかないときもあるため、もしかするとリーチは打ち明けないだけで、実はトシの恥ずかしい夢を見たことがあるかもしれない。ただ、トシはリーチの恥ずかしい夢は見たことがないため、多分、互いにそういう夢はきっと共有しないものなのだろうと、自分に言い聞かせていた。
だが、その日の朝は違った。
嫌な夢から覚めたくて、ようやく目覚めたときにはすでにいつもの起床時間だった。こういうときは真夜中であっても目を覚ましたいところだが、嫌だ、見たくないと思うような夢からは簡単に解放されないのかもしれない。
トシは額にうっすらと浮かんだ汗を拭い、深呼吸をした。
今日からはトシのプライベートの週に入る。多分、そのことで気持ちが昂ぶり、あんな夢を見たのかもしれない。
やだなあ……もう。
トシがもう一度ため息をついてベッドから下りると、同じように目を覚ましたリーチが声をかけてきた。
『おはよう、トシ』
「おはよう……」
伸びをして、少しばかり気怠げな身体を目覚めさせる。もっとも早起きをしたところで、今は仕事を開店休業中だ。それはあと一週間続き、来週にようやく復帰のめどが立つ――予定だった。
管理官である田原からは一ヶ月の自宅待機を命じられていた。様々な騒ぎに渦中にあった利一が、行方不明になり、ひょっこり戻ってきたのだから、それも仕方がないのだろう。
もっとも日々重大事件が起こり、目を覆わんばかりの悲惨な事件も発生する中、一介の刑事が行方不明になって戻ってきたとしても、元気で生きていているのだから、これでは世間を騒がせるような話題性があまりない。だから、形式的に警視庁が発表した利一のことも、同時に発生した自然災害の記事に押され、新聞には小さな記事に留まった。
あとは、頃合いを見て仕事に復帰できればいいのだが、田原はその期限を一ヶ月とした。その間、リーチはこれ幸いに名執と蜜月を過ごし、トシも同じように過ごす予定だった。が、名執もリーチと同じように警察病院には復帰しておらず、二人はトシから見ても羨ましいほど甘い時間を過ごしていたのだ。
だが、トシは違う。
幾浦はすぐに仕事へ復帰して、トシは自分のプライベートの間は、幾浦のマンションで日々を過ごしたものの、思い描いていたような甘い時間はたくさん取れなかった。
『なあ……』
「今週のプライベートも一日だって譲らないからね」
リーチに言われる前に先に牽制するよう、トシは言った。
『違うって。夢……のことなんだけどよ』
「夢?変な夢でも見たの?」
二人は夢を共有することもあるが、大抵は、独立して夢を見る。
『俺のだとすると変だから……お前の夢かも』
「えっ!どんな夢?」
『幾浦がさあ、なんかすっげ~寂しそうな顔をしてるんだよなあ。ちょうど斜め上くらいから覗いている感じだったから、俺の夢とはちょっと違うかな……ってさ』
「……何か言ってた?」
『ああ、「すまん」って一言。俺の方は見てなかったから俺にじゃないんだろうよ。といっても幾浦の前には誰もいなかったみたいだから、誰に謝ってるのかは見てない』
「その前後ってどうなってるの?」
『さあ……俺が見たのはそこだけだから……つうか、お前の夢か?』
では、リーチが見たのは全体の一部になる。本当はその前後があるのだ。
「う……うん」
『……嫌な夢って言うのは潜在意識の現れだぜ。なんかあったのか?』
「え……うん。ちょうど、僕のプライベートが最後の日に、恭眞とくだらない口げんかしちゃって……多分、それがずっと気になってるんだと思う」
先週、トシは幾浦とちょとした口げんかになったことを、リーチには話さなかった。だが、解決しなかったことが今日、また幾浦との間に話題として出ることが予想され、不安だった。だからトシはリーチに話した。
『え、お前が喧嘩したのか?……へえ、珍しいなあ……』
「……僕もちょっと言い過ぎたって後悔してるんだけど……」
『喧嘩するほど仲がいいって言うからなあ~。たまにはいいんじゃねえの』
楽観的な笑いをリーチは上げながら言った。
「そうだよね」
『それで、喧嘩の理由って、何だったんだ?』
リーチが首を傾げて聞いてきた。
「え……それは……二人の問題だから、話せないよ」
トシは苦笑しながらそう答えた。
いや、二人の問題ではなく、リーチにも関わりがある。以前からずっと幾浦がこだわってきたことが、また再燃したといってもいい。だからリーチに話せなかったし、かといってトシが決められることではなかった。
『まあ……お前もいろいろあるんだろ。なんか面倒なことになりそうなら、すぐに俺に相談しろよ』
「うん。ありがとう、リーチ」
いつもトシと幾浦のことをからかっているリーチだが、いざというときには本当に頼りになるのだ。いや、トシ自身がリーチに随分と寄りかかっている。兄弟とはまた違う二人だけの特殊な繋がりが、互いを強い絆で結んでいるのだろう。
『つうか……幾浦と喧嘩か~なんか俺、からかってやりたくなった。どうせ今ごろ眉間に皺を寄せて、今にも人生が終わりみたいな顔をしてるんだぜ。うっは~俺、すげえ、見たい』
深刻ではないと判断しているリーチは、相変わらず悪趣味だった。
「もう、そういうのやめてよね。恭眞が一番嫌うことだよ」
『それだから、やめられねえんだよなあ~』
「……暇だからってそういう時間の潰し方を考えないでよ。来週からは仕事に戻れるんだから、余ってるエネルギーがあるんだったら温存して、仕事にぶつけてよね」
トシの言葉にリーチはフンと鼻を鳴らした。
「そんなもん、ユキに全部使ってるに決まってるだろ」
リーチの言葉に、トシは肩を竦めた。
トシはリーチにスリープをしてもらい、図書館に行ったり、百貨店のウインドーを眺めて色とりどりのディスプレイを見たりと、一人で時間を潰す。こういう時間の過ごし方も、トシにとって有意義なことであり、思う存分ゆったりした時間を堪能し、夕方には買い物を終えて、幾浦のマンションに向かった。
携帯に今日は七時には戻れるだろうとメールでの連絡があった。トシはその頃にあわせて夕食の準備をしてからアフガンハウンドのアルの散歩に出る。雨が降る様子はなく、空は綺麗なオレンジ色をしていた。
仕事に戻るとこんな日常は当分過ごせないだろう。
一時間ほどでマンションに戻り、トシは中断していた夕食の準備を再開した。互いの間にある溝を思うと、やはり気が重い。今までも何度となくこの問題にぶつかってきたのだが、結局は幾浦が理解を示してくれることで、解決してきたのだ。けれど幾浦が頭では理解していても、本心ではないこともまた、トシは気づいていた。
困ったなあ……。
トシはため息をついたが、幾浦の望む答えは聞かせてやれない。
幾浦はトシに対し、刑事をやめて普通の仕事に就いて欲しいと、真剣に言ったのだ。とてもリーチには相談できないことだった。