「譲れぬ問題、僕のプライド」 第3章
幾浦がどう見ているのか、問題ではない。
トシとリーチは今まで上手くやってきたし、立場はいつも平等だ。もちろん、多少、リーチが強引にプライベートを取ることもあるが、それは事情のあるときで、トシも事情があるときは譲ってもらっている。
だいたい、リーチとトシはもともとくっついて運命共同体であることを、幾浦も充分理解してくれているはずだ。今更の話題を持ち出されても困る。
「恭眞がどう見えてるのか知らないけど、僕たちは上手くやってる」
「私が言いたいのは、お前とリーチは違うと言うことだ」
「当たり前だよ。リーチが僕を、僕がリーチを生み出した訳じゃないんだから……」
「……分かってる。ただ、リーチは危険なところへ簡単に足を踏み入れていく。お前が一緒だというのをちっとも理解していない。私が気に入らないのはそこだ。リーチが怪我をするということは、お前も怪我をするということだろう?なのにリーチは危険なことばかりする。刑事という職業柄、多少危険も伴うこともあるだろうが、注意すれば回避できることでも、リーチは自分からそこへ飛び込んでいく。違うか?」
幾浦はため息混じりに言った。
そういう心配も今まで何度も口にしてきた幾浦だったが、いつもとは違い、すぐに話題を変えるつもりはないようだ。
「別に……危険なところを選んで飛び込んでる訳じゃないよ。あっ、この間のハイジャックのことを言ってるんなら、それは狡いよ。あれはリーチがいたから、みんな助かったんだからね。恭眞だって感謝してくれたじゃないか」
トシがそう言うと、幾浦は前髪を二度ほど苛々と撫で上げて、息を吐いた。
「なあ、トシ。確かに感謝しているよ。これは本当の気持ちだ。だが、ああいう状況に対してリーチは対応できるかもしれないが、お前は無理だろう?確かに上手くいったから、今こうやって話していられるが、もし、リーチがミスをしていたらどうなっていた?名執はそういうミスでリーチが大怪我をしても、いや、仮に最悪な状況になったとしても、納得できるのかもしれないが、私は納得などできない。リーチが無茶をするとそのままお前に返ってくるということを、もっと理解して欲しいんだ」
幾浦は先週と同じことをまた言っている。
堂々めぐりで答えが出なかったことだ。と言っても、トシには幾浦が喜ぶような答えを口にはできない。
「恭眞が僕のことを心配してるからだっていうのは分かってるけど……。刑事だから飛行機に乗り込んだんじゃないよ。恭眞や雪久さんを助けるために行ったんだ。もし、恭眞や雪久さんが乗ってなかったら、リーチは行くって言い出さなかったし、他の人には悪いけど僕だって考えられなかったよ」
「……それは分かってる。私が言いたいのはそういうことじゃないんだ」
幾浦は手に持っていたビールの缶をテーブルに置いて、立ち上がると、トシの側に近寄ってきた。いつもなら心地よく感じられる真剣な眼差しが、今日に限っては受け止めるのが辛い。
「恭眞……」
幾浦は、トシの背に手を回して、身体を軽く拘束する。
「リーチが無茶をするのは分かってる。だったら、せめて普通の仕事に就いてくれたら、私も安心が出来る。私が言いたいのはそこだ」
「……今は他の仕事なんて考えられないよ。僕は刑事の仕事に誇りを持ってるし、毎日が充実してる。何度も言うけど、仕事を変えるなんて今の僕には考えられないし、これは僕の意志なんだ。別にリーチが無理やりこの仕事をしてくれって僕に押しつけてる訳じゃないし……僕がしたくてやってることなんだよ」
見下ろす漆黒の瞳をしっかりと受け止め、トシは言った。
「トシ……お前には刑事は似合わない」
「それは僕のことを否定するのと同じくらい、酷い言葉だよ」
「……私は……いつかお前を失いそうで怖いんだ……何に巻き込まれてなのか、分からないが、必ずリーチが原因だということだけは……分かる」
どこか痛みを堪えるような、苦渋に満ちた表情に、トシも胸が痛んだ。けれど、日常、普通に歩いていても、事故に遭う危険があるし、人間はどこで何に巻き込まれるのか、分からないものだ。確かに刑事という職業は他の仕事に比べて少しばかり危険度が高いだろうが、生死が天秤にかけられるようなことなど滅多にない。
もっとも、崎戸の件もあり、滅多にない……とは断言できない事情もあるのだが。
「……それはリーチに対して失礼だよ。リーチが飛び込んでいくとき、僕も同じ気持ちでいるはずだから……」
「それが……気に入らないと言ってるんだ」
幾浦は何かに取り憑かれたような据わった目でトシに言った。
この話題にトシはもう、うんざりしていた。
幾浦がトシを危険から引き離そうとすればするほど、トシ自身を否定されているような気がして、辛い。
「気に入らないって……。それって、恭眞が僕を全部否定してることだって気づいてるの?僕が誇りを持って働いてる仕事も、僕自身が決断してきたことも、全部だよっ!」
「トシ……そうじゃない」
「ハッキリ言うよ。もしリーチがこの身体の中にいなかったとしても、僕はきっといろいろ迷いながらも警察官を選んだと思う。そりゃ……僕一人じゃ、刑事になれたかどうか……分からないけど」
「私と仕事……そんな子供じみた選択を迫っている訳じゃない。だが、私がいつだってお前のことを心配して気が抜けない辛さも分かってくれないか?」
言葉ではそう言っているが、暗に天秤にかけていることを幾浦は分かっていない。
「分かるよ。それは言われなくても分かってる。でも……恭眞のその心配を僕はいつまで経っても拭ってあげられないし……恭眞がそのことについて、嫌なら……耐えられないって言うなら……」
トシは自分でそう言いながら、目頭が熱くなる。けれど、最後まで言えなかったのは、幾浦がトシの唇を指先で押さえたからだ。
「最後まで言わなくても分かってる」
幾浦の身体にギュッとしがみついて、トシは潤んだ目を閉じた。
この問題はいつまで経っても二人の間に横たわるものだと、感じる。刑事でいる限り、リーチと一緒にいる限りだ。どちらもトシにとって切り離せない大切なものなのに、幾浦は分かってくれない。
これから先、何度もこうやって言い合わなければならないのだろうか。そんな、どうにもならない不毛な時間のことを考えるだけでトシはゾッとする。
「……そんなに僕を心配するってことは、恭眞から見て、僕はしっかりしてないってことだよね?」
ふと目を開けてトシは幾浦を見上げる。
「……トシ?」
「僕一人だと何もできないと思ってるから、心配なんだろ?リーチがいなくちゃ何もできないって思ってるんだ。じゃあ、僕が一人でできることを証明したら、恭眞、安心してくれる?」
そう、一人でもできることを幾浦に証明し、一人前だと理解してもらうのだ。そうすれば幾浦も安心できるはず。
「トシ一人だともっと心配だろうがっ!」
「それって、もっと僕を馬鹿にしてるよっ!」
ドンと幾浦の胸板を叩き、トシは口を尖らせた。
「いや……だからな……」
「リーチがくっついてるからなんでもリーチ任せに見えるかもしれないけど、僕だって主張はしてるし、僕が決めることも多いんだから……あ、ちょっとまって」
携帯が鳴っていることに気づいたトシは、そう言ってポケットに手を入れた。
相手は篠原だった。
『あ~隠岐、休みの最中悪いんだけど、今、いいか?』
「ええ。いいですよ。どうかされました?」
『休んでる隠岐にしか頼めないことがあってさあ……里中係長も隠岐がいいっていうなら、頼みたいって言ってるんだ。協力してもらっていいかなあ……』
どういうことか分からないが、この件はトシが解決すればいい。ちょうどいいところに篠原は電話をしてくれた。
「休みで身体が鈍りがちなので、どういったことでも協力しますよ」
ムッとした表情の幾浦を目の端で捉えながら、トシはにこやかに言った。
『じゃあ、悪いんだけど、ちょっと警視庁まで来てくれないか。詳しい話はそれからってことで……』
そそくさと会話を終えた篠原が気になったものの、捜査一課だ。忙しいのだろう。
「緊急の仕事が入ったから、僕、警視庁まで行くよ」
トシの言葉に幾浦は深いため息をついて「送っていく」と言った。
「あ~隠岐。ほんと、休んでるところ悪いなあ~。頼みたいことってこのことなんだよ」
そういって篠原から手渡されたのは、首がようやく据わったばかりの赤ん坊だった。