Angel Sugar

「君がいるから途方に暮れる2」 第1章

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 自分で言うのも何だが、幸せだと戸浪は思う。
 大地との誤解も解け、といっても、大地自身は余り納得してはいなかったが、とりあえず納得してくれたようだ。
 祐馬の言い方にも問題があったのだろうが、その辺りの微妙な言い回しが大地には分からないのだから仕方ない。
 確かに祐馬の性格は荒削りで言葉を飾らないところがある。なにより遠回しに言うと分からないのだ。
 そのくせ妙に気を使う性格だった。
 だが戸浪が気に入っているのは小さな事にこだわらない大らかな性格も併せて持っているところだった。そんなことを大地に話せば、ただ単にのろけているだけになってしまうため、大地には言うことはしない。
 今は祐馬と合い鍵を互いに交換し、互いのマンションを行ったり来たりしている。
 会社ではメールを交換して、その日どちらのマンションへ行くかを決めるのだ。
 祐馬が遅くなるときは戸浪がこのマンションに来てトナミの面倒を見る。いつの間にか自然にそうなった。
 だが、特に用事が無くても戸浪はこの愛らしいフェレットの顔を見るために祐馬がいようがいまいがマンションを訪れていた。
「おいで……トナミ……」
 自分と同じ名前のこの小さなフェレットは祐馬が可愛がっているペットだ。
 手足や鼻がピンク色で身体は茶色、胸から顔が白い頭の上と目の周りに少し茶色の毛が混じっていて、黒いつぶらな瞳が本当に愛らしい。
 トナミは呼ばれると戸浪の膝の上に乗って餌をねだる。祐馬との誤解を解いてくれたのも、今こうしていられるのもこのフェレットのお陰と言ってもいいだろう。
 名前が同じであるのが、ややこしくさらに恥ずかしいのだが、祐馬は名前を変更する気はサラサラないらしい。
「きゅう……」
 こちらを見上げてお腹が空いたとトナミがアピールするので、トナミの餌と書かれたビニール袋から野菜を取り出して与える。すると、トナミは小さな手でそれを持つとシャクシャクと食べ始めた。
「なんだ来てたのか……今日残業って言ってなかったか?」
 バスルームから腰にタオルだけ巻いた姿で出てきた祐馬がそう言った。
「急に納期が延びたんだ……」
 冷たい顔で戸浪は返す。
 性格からかフェレットのように愛嬌のある言い方や表情が簡単につくられない。
 普通恋人にこんな顔はしないだろうと戸浪自身も思いながら、かといって可愛く甘えたり、拗ねたりなど求められても出来ないものは出来ないのだ。
「ふうん……お互いに仕事に振り回される商売だよなあ……」
 がしがしとタオルで濡れた髪を拭きながら祐馬は別に気にするわけでもなくそう言った。
「私の場合は、お前にも振り回されているしな……」
 戸浪が言うと祐馬は、ははっと笑う。
「まあまあ……」
 言いながら祐馬は戸浪の顎を掴んで、軽く口づけてきた。
「……」
 かあーっと頬を赤らめて戸浪は無言で祐馬を見つめる。するとまだ乾ききらない髪に幾つかの水滴をつけてじっとこちらを見つめる祐馬は、満面の笑みを浮かべていた。
「戸浪は可愛いなあ……」
「何処が可愛いんだ……」
 と言ったところで祐馬によって戸浪は床に組み伏せられた。
「全部……」
 再度キスを落としてそう言う。
「お……お前の美意識は壊れているんじゃないか?」
 本当にそう思うのだ。
 どうして祐馬が好きだと言ってくれるのかよく分からない。
「そういう風に言ってるけど……ホントは祐馬だあいすき、ってお前が思ってるの知ってるもんなア」
 祐馬の言葉に戸浪は顔を更に赤くした。こんな風にストレートに言われると酷く恥ずかしい。
「……ばっ……馬鹿な事を言うな……」
「馬鹿じゃねえぞ……ホントのことだろ?思ってるだろ?俺のこと一番愛してるんだろ?白状しろよ……」
 そう言って祐馬の唇は戸浪の唇に触れ、口内にそっと舌を入れてくる。戸浪は自分からも腕を廻してその愛撫を味わった。
「……あ……」
「これが証拠って所かな……」
 祐馬は戸浪が廻した腕をちらりとみてそう言った。
 確かにその通りだ。
 戸浪は祐馬を愛していた。
 自分でもどうしようも無いほど。
「でもお前の口からも聞きたいなあ……ほら、愛しているは?」
 戸浪の唇を端から端まで祐馬は指でなぞってこちらを見つめてくる。
「……祐馬……」
「俺はお前を愛してるぞ……」
 何度聞いても聞き足りない言葉を祐馬は惜しげもなく戸浪に聞かせてくれている。それが戸浪には嬉しかった。だが自分はと言えばなかなか素の状態では言えなかった。
 とにかく恥ずかしいのだ。
「……そりゃあ……私だって……その……」
 じっと見つめられながら、どうして愛していると言えるのか。
「私だってなに?」
 からかうような口調で祐馬は言った。
「……あ……っ……」
 言葉の途中でトナミが二人の間に割って入り、戸浪の口元をペロペロと舐める。遊んで欲しいときに良くする行動だ。
「こらあ!トナミ邪魔するなっ!駄目だろう、こんな事をしたら……」
 トナミを捕まえて祐馬は言ったが、トナミの方は「?」と言う顔をしただけで、どうして祐馬が叫んでいるのかなど全く分からない表情をする。
 二人の姿に戸浪は思わず笑いが漏れた。
 祐馬は真剣にトナミに話しかけているから。
「言って置くが、戸浪は俺のだからな。例えお前でもキスは駄目だ。分かった?」
 じーっとトナミを見つめて祐馬は言う。その表情は本気だ。
「トナミに言っても動物に人間の言葉が分かる訳無いだろう……。大人気ないな……」
「なんだって?大人気なくてもこれだけははっきりしておかないと駄目なんだ」
 はっきりしておくと言っても相手は動物だ。全く、何を考えているんだと戸浪が溜息をついたと同時に来客を告げるベルが鳴った。
「……こんな時間に?」
 ジロリと戸浪は祐馬の顔を見た。
 祐馬の方は少々困ったような顔をしながら身体を起こすと、椅子に掛けてあったバスローブを羽織る。
「……多分あいつだと思うんだけど……合い鍵持ってるし……」
「合い鍵?」
「いや、誤解するなよ。昔ッからの友達だよ」
 と話しているとガチャガチャバタンと言う音が玄関の方か聞こえた。祐馬の言う昔からの友達が勝手に入ってきたのだ。
「祐馬いるんだろ!」
 そう言って二人のいるリビングにその男は入ってきた。
「おー、雅之。帰ってきたのか」
 祐馬の方はにこやかに雅之に言ったが、戸浪の方はかしこまったように座り直し、次に膝にトナミを抱えると何事もなかったような顔でその男を迎えた。
 だが、膝に抱えたはずのトナミが戸浪の手をすり抜けて走り出すと、問題の男の足に飛びついた。
「やあ、トナミ元気だったかい?ちっと長い旅行だったけどね、あれ、そっちの人は?」
 雅之は丸っこい目で瞳が青い。しかし髪が黒いため、ハーフのように見える。
 眉が切れ長の曲線を描いて、端がやや下がっているため人好きする印象があった。あと肩より長い髪を後ろで束ねている。
 体つきはどちらかというと祐馬と戸浪の間くらいだった。
「ああ、……」
 雅之の顔をペロペロと舐めているトナミを祐馬は何故かムッとした表情で引き剥がした。
「三崎さんの同僚の澤村と言います」
 祐馬が何か馬鹿なことを言う前に戸浪はそう言った。
「……そう、同僚」
 やれやれという風に祐馬が手を振る。
「俺は安佐雅之、職業はフリーライター。この上の階に住んでるんだ。祐馬とは中学からの付き合い。宜しく」
 そう雅之は言って手を差し出してきたのを取ろうとしたのだが、祐馬が先に手を出してその手を掴んだ。
「で、お前はこんな時間に何しに来たんだ?」
「手を離せって。お前と握手するつもりは無いぞ。で、あのさ、こんな時間って……まだ十時じゃないか。お前が会社から帰られないとき誰がトナミの面倒見てきてやったと思ってるんだ?それに今日は土産をもってきたっていうのに、そんな寂しいこというのかい?」
 以前、初めてトナミの世話を頼まれたときに祐馬が言っていた、いつも頼んでいる友達が暫く居ないと言った相手はこの雅之だったのだ。
「ま、まあなあ……」
「じゃあ、三崎さん。私はこれで……」
 邪魔をするわけにもいかないだろうと考えた戸浪は自分のコートを羽織ると立ち上がった。
「え、あ、ちょっと……」
 後ろから祐馬がそう言っているのが聞こえたが、戸浪は聞かない振りをして玄関に向かった。後ろから祐馬が追いかけてくる足音が聞こえたが、さっさと玄関までくると戸浪は自分の靴を履いた。
「どうした?何か言い忘れたことでもあるのか?」
 戸浪は靴べらをシューズボックスにおいて振り返る。
「あの、ごめんなア。あいつ急に来てさあ……」
「元々そう言う付き合いをしているんだろう?それより、あの男に私たちのことはばらすなよ。ばらしたら終わりだからな」
「え?なんで?あいつ別に偏見を持つような男じゃないぞ」
 お気楽な表情の祐馬に対し、で戸浪はジロリと視線を飛ばした。
 祐馬が良くても戸浪は嫌だったのだ。
「私は嫌だね。じゃあ、明日会社で……」
 そう言って戸浪は祐馬のマンションを後にしようとしたが、更に付いてきそうな雰囲気の祐馬に「自分の格好を自覚しろ」と言い、これ以上祐馬が追いかけてくるのを許さなかった。
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