Angel Sugar

「君がいるから途方に暮れる2」 第3章

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 祐馬がマンションに十二時に戻ると、玄関に靴があった。戸浪が来ているのだと思った祐馬は急に嬉しくなり、慌てて自分の靴を脱ぐとリビングの方へ走り出した。
「戸浪!」
 弾んだ声で祐馬が叫んだが、そこにいたのは戸浪ではなく、雅之だった。
「……なんだ、おっせえなあ……ああ、トナミには餌やっといたから」
 膝にトナミを乗せて雅之は足を崩す。
「お前か……」
 落胆した気持ちを隠すことが出来ず、祐馬は肩を落としてため息をついた。確かに昼間の戸浪の様子では来るわけなど無いのだ。それが分かっていながら、祐馬は少しだけ期待していた。
「おいおい、寝ぼけてるのか?誰だと思ったんだ?」
「別に……」
 祐馬はのほほんとソファーに座っている雅之を横目で見ながらコートを脱ぐ。
「あ、そうだ、これこれ、すぐに現像したんだけどさ、お前の同僚の澤村さんに明日渡して置いてくれよ」
 と言って差し出された写真を見て祐馬は驚いた。
 それは滅多に見られない照れたような笑いを口元に浮かべている戸浪の写真だ。こんな笑顔を見せてくれる事は滅多にない。なのにどうして雅之がこんな写真を持っているのだ。
「おい、なんでこんなもん持ってるんだ?」
「今日、取材終わってからお前と飲もうと思って電話したら振られただろ。で、一人でふらっと歩いてたら澤村さんを偶然見かけてさ。ラッキーと思って誘ったんだ」
 とはいえ、雅之は酒を飲んだ顔など一切していない。もともとざるなのだから分からないのだろう。だが、そんな話よりも、祐馬は今手に持っている写真の方が気になった。
「……で、この写真は?」
「写真にこだわるなあ……いい顔したから思わずシャッターを切ったんだよ。習慣だって」
 雅之は膝の上のトナミの背中を撫でていた。
「まあ、誘ったのも彼が何か悩んでるような感じに歩いてたから、思わず声かけたってのがホントの所なんだけど、同僚ならお前相談に乗ってやれよ」
「……悩んでた?」
 そんな風に見えなかったが、戸浪は何か悩んでいるのだろうか?
「これだよ。まあ、その程度の付き合いなら僕が相談に乗ってやるか……。内容まで深く聞かなかったからさ」
「余計なことはするな!」
 祐馬の怒鳴り声に、雅之の膝に乗っていたトナミが頭を伏せた。
「何、怒ってるんだよ。トナミがびっくりしてるだろう」
 何も知らない雅之は慌てている。
「別に……怒ってなんか無い……」
 冷蔵庫から缶ビールを取り出してそれを空けると祐馬は雅之の前のソファーに座った。しかし、なんとなく苛立ちが収まらない。
「会社でなんかあったのかよ。ま、お前の所の会社確かにストレス溜まりそうだもんな。コンピューターのプログラムって言うくらいだからずっと席に座ってるんだろうし……。考えると暗いなあ……」
「人の仕事のこととやかく言うな。それを言うならお前のような浮き草のような生活よりマシだろうが」
「やぶ蛇か……まあ、良いけど、でも澤村さんの悩みなら僕いくらでも聞いてやるよ。そういっといて」
 雅之がそう言うのを横目にジロリと睨んで祐馬は「誰が言うか」と返す。
「意地悪するのかよ?」
「あのなあ、何が意地悪なんだ?お前には関係ないだろう」
「彼……さ、なんかこう、いい感じだよな。最初見たときすごくきつそうで、滅茶苦茶プライド高いタイプって気がしたんだけど……。あれはあの顔の所為で本人は普通なんだよな。でさ、話していて話しやすいって言うか、こっちのこと良く聞いてくれるし、笑うとギャップがあって、なんかなあ……またゆっくり会いたくなったよ。だから協力しろよ」
「誰が協力するって?いい加減にしろ!」
 祐馬は頭に来て怒鳴るように言った。
「……なあ、かなり苛ついてるな」
「あいつの名前は聞いたか?」
 祐馬は恥ずかしかったが、これ以上雅之を暴走させたくなかった。この男はこうだと思うと真っ直ぐ突き進んでいくタイプである。
 戸浪に突き進まれると困るのだ。
「いや、どうして?」
「あいつは澤村戸浪っていうんだ」
 白状してしまえばいい。
 戸浪は言うなと言ったが、ここまで来るとばらしてしまうしかないのだ。
「戸浪!って……お前……」
 目をまん丸にして雅之は祐馬を見た。本当に驚いているようだ。それが分かるように雅之の青い目は深みをましている。
「そうだ。そう言うことだ」
 ちょっと照れくさいが言ってしまうと楽になった。
「僕だって負けないぞ」
 フンと鼻息を慣らして雅之は言った。
「わ、訳の分からないこと言うな!何を聞いてるんだ何を!」
「お前がさ、フェレットに片思いの相手の名前を付けてアピールするのは良いけど、所詮片思いだろ」
「違う!俺とあいつは……つき合ってるんだ。その……男同士だけどな」
 と祐馬が言うと、雅之は何か考えながらこちらを見つめてきた。
 俺の勝ちだと思っていると雅之が口を開く。
「でも、誰かつき合ってる人いるの?って聞いたら、とりあえず……なんというかって言ってたぞ、その言い方って変だよな。お前一人でそう思ってるだけじゃねえの?」
 祐馬はかあああと頭に血が昇った。
「戸浪もちゃんとそう思ってくれてる!余計なお世話だっ」
「こっわー。でもお前っていつも最初だけだもんな……盛り上がるの。暫くしたらどうせ嫌になって、まーた俺が間に入ることになるんだから今のうちにやめとけよ」
「それは向こうから勝手に来た場合の話しだろう。それも学生の時の話しだ!今回は俺が惚れたんだ!お、れ、が、惚れたんだっ!くそ!なんでお前にこんな恥ずかしいことを言わなきゃならないんだ!」
 戸浪が入社したときから目を付けて、数年眺めるだけだった相手を一年とりあえず身体だけの関係を持った。
 今はようやくその誤解が解け、晴れて恋人同士になったのだ。
 それをやめろとは酷いことを言う。しかし経緯を知らない雅之なのだから仕方ないだろう。
「ふうん……じゃ、これ返して」
 と言って雅之は先程の写真を取り上げた。
「あ、おいって」
「今度、僕が渡す」
「何だってえ!お前俺の話聞いてるか?」
「聞いてるよ……」
 ムッとした顔で雅之は相変わらずトナミを撫でている。
「言って置くが、俺達の仲に割り込んでくるなよ」
「あのさあ、祐馬。僕らこんなに付き合い長いのに、一言だって今まで澤村さんのこと言わなかったじゃないか。要するにそれだけの付き合いだってお前が、思ってるからだろ?どうせまた嫌になるから隠してたんじゃないのか?」
「お、おまえなあああ!色々事情があるんだよ!」
 一年間戸浪と身体だけの付き合いだった。今までも強引に理由を付けて抱き続けてきた。
 上手くお互いの気持ちが通じたことで多少は罪悪感も薄れているが、その渦中、どうして雅之に相談できるのだ。
「帰る」
「入ってくるなよ!分かってるな!」
 その祐馬の剣幕をものともせずに雅之はフンとだけ言って出ていった。
 あ、あのやろう……。
 祐馬は苛々しながらリビングを行ったり来たりを繰り返し、とうとう先程脱いだコートを再度羽織ると、マンションを飛び出した。
 そうして下に降りるとタクシーを拾い、戸浪のマンションへと向かった。
 雅之の言う戸浪が悩んでいると言う言葉が気になったからだった。


 マンションに着くと部屋は既に暗かった。そっと鍵を開けて入り、寝室へ向かう。
 扉を開けて中に入ると、規則的な息づかいが聞こえてきた。
 寝てるのか……と祐馬は思いながらベットの脇に立って眠っているであろう戸浪を見下ろした。だが真っ暗なので良く見えなかった。
 祐馬は自分の着ている衣服を脱ぎすてると戸浪が潜っている毛布の中に自分も潜り込んで胸に引き寄せた。
「……ん……」
 目が慣れてきた祐馬はぼんやりと輪郭だけ見える戸浪の頬に唇を走らせた。
「あっ……え……何だ……ひっ……」
 戸浪が目を覚ませて腕の中で暴れ出した。
「しーーーっ、俺……俺だって……」
「三崎?」
 信じられないと言う声で戸浪は言った。
「そう、俺……」
「何をしてるんだお前は……っあっ……」
 組み敷いた戸浪の敏感な部分に手を伸ばして握り込むと身体がビクリとしなった。
「アルコール臭いよ……お前……」
 同時に耳朶に舌を走らせる。
「おい、止めろ……っはあっ……どうしたんだ……一体……」
「どうした?どうしただって?お前、雅之と飲みに行ったんだろ?」
「なに?もう聞いたのか?」
「帰ったら家に来てたんだ」
「ふうん……仲がいいな……あっ……そこは……嫌だっ……」
 先の部分を親指で力を込めて弾くと戸浪は声をあげた。
「戸浪……なあ、俺はお前の一体何だ?」
「何だって……急にどうしたんだ?何かあったのか?」
 戸浪が手を伸ばして白熱灯をつけた。
「……俺じゃなくてお前だろう?」
 白熱灯の光に写る戸浪はいつも通りの顔をしている。
 だが雅之は何か戸浪が悩んでいると言った。
 それは一体なんだ?
 戸浪は悩み出すと人一倍考え込むのを知っている。
 そんな顔を見るのが祐馬は嫌いだった。一人で悩まないで相談して欲しいのだ。
 恋人なんだから、抱き合うだけが付き合いではないだろう。
 なのに……
 一番近い筈の祐馬には一言も相談はなかった。
 そぶりすら見せなかった。
 それが祐馬の気持ちを苛立たせていたのだ。
「はあ?私が?」
 困惑したような表情で戸浪は言った。
「戸浪……俺はそんなに信用ならないか?頼りにならないか?」
「……頭を冷やせ。お前の方が飲んでいるようだぞ。一体今何時だと思っているんだ」
 ぐいっと頭を引き離された祐馬はムッとした。
「違うだろう……そんな話しをしてるんじゃないだろ!」
「あのなあ、眠っているところにいきなり来て、その上これだ。で、理由を聞いたら私のことだと言う。一体何のことか全く分からないんだがね。それをお前は責めるのか?」
「責めてなんか無いだろ!俺が言いたいのは……お前が……」
「私がなんだ?」
 じっと見つめる戸浪の瞳が祐馬を映している。
「なんか……その……悩んでるって聞いたから……」
「はあ……安佐さんに聞いたのか……。だが、それだけのためにこんな時間に来ること無いだろう……」
 呆れた風に戸浪は言った。
「何を悩んでいるんだ?」
「別に何も悩んではいない。向こうが勝手にそう思っただけだ」
「……」       
「他に話しが無いのならもう帰れ。全く……人騒がせな奴だな……」
「なあ、俺達はなんなんだ?」
 こっちは戸浪にしてみれば恋人でもう少し優しくされてもいい権利があるよな。なのにどうしてこう、戸浪は帰れと言うのだろうか?
 これでは以前身体だけの付き合いの延長だ。決して恋人同士の甘い会話ではない。
 確かに戸浪は自分を表現することが苦手だ。その為口調もややきついときもある。分かっているのだが……。
「……だから、私にどうしろと言うんだ?」
「俺達……つき合ってるんだよな……」
「な……何を今更言ってるんだ……」
 やや顔を赤らめて戸浪は俯いた。
「恋人同士だ……そうだよな……」
「あ……ああ……」
 うわずった声で戸浪は言う。
「……でもお前はやっぱり俺に何も言わない……冷たいな……恋人に対してさ……。そりゃあ、俺はお前のこと分かってるつもりだよ。だけど……これじゃあ、以前とあんまり変わらないじゃないか……」
「以前……?何時の以前を言ってるんだ」
 赤みの差したはずの頬がすっと色を失った。
「身体だけの付き合いだった頃……」
 そう祐馬が言うと戸浪は平手を飛ばした。
「あいってえ!」
「私が……私が気に入らないのなら……捨ててしまえ!一言で済むだろう。もう会わないと言えば良いんだ!遠回しに言わなくてもいいんだぞ。それとも、もう飽きたとでもいうか?」
「何言ってるんだよ!どうして、そこまでいっちまうんだお前は……。何でもっと可愛く言えねえんだよっ!」
 と言って祐馬はハッと気が付いた。言ってはいけないことがつい口に付いて出てしまったのだ。戸浪の方はまるで表情が無くなっている。冷たく凍り付いた感じだった。
「では……そう言うのを探せ……。お前が気に入るような可愛い相手を捜すんだな。悪いが私ではお前の期待に添えそうにない……」
 戸浪の感情の無い声は心に鉛が落ちたような気分にさせた。
「え……えと……さ、悪かったよ……」
 背を向けて毛布に潜り込んだ戸浪に祐馬は声をかけた。
「帰れ……」
「悪かったって……謝ってるだろ……売り言葉に買い言葉ってあるだろ……なあ、戸浪って、ごめんって……」
 祐馬は戸浪の肩を掴んでこっちを向かせようとするのだが、背を向け丸くなってしまった戸浪は手強かった。
「悪かったって……だってなア……」
 ようやくこちらに向かせた戸浪は目に涙を溜めていた。
「戸浪……」
「済まない。お前が望むような恋人になれなくて……。私はこれでも必死なんだ。もう少し時間が欲しい……。それが待てないのなら……切り捨てろ……。いいんだ……仕方ないことだから。祐馬……こんな私を……許してくれ……」
 そう言ってぽろりと涙が頬を伝うのを見て祐馬は胸が酷く痛んだ。
「ち、違うんだよ……戸浪……泣くなよ……謝るなよ……俺が悪いんだから……」
 震える戸浪を抱きしめる。
 何て事言ったんだ……と、後悔しても遅かった。
 たった一言がこれほど戸浪を追いつめるとは祐馬も思わなかったのだ。
「優しいな……確かに……それが……私に対する……お前の答えなんだな……」
「当たり前だろ…俺がお前に優しいのは……その……お前を愛しているからだ」
 祐馬はそう言うと戸浪は笑みを浮かべた。目が涙で潤んだその戸浪の表情が、あまりにも綺麗な笑みだったので祐馬はもう一度きつく抱きしめた。
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