Angel Sugar

「君がいるから途方に暮れる2」 第2章

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 翌日出社すると既に祐馬からメールが入っていた。

 昨日はごめんな。

 別に戸浪気にはしていなかったので、普通にメールを返した。

 気にしていない。

 するとすぐに返事が来た。

 友達だと分かるまでちょっと妬けた?

 何をくだらないことを送ってくるんだと思った戸浪はそれをそのまま削除するともう返事を送らなかった。
 その日は仕事が意外に多くて、昼食もままならず、仕事に没頭していたところ、気がつくと夕刻になっていた。
 もうこんな時間か……
 ふと顔を上げ、窓の外が夕焼けに染まっている景色を眺め、小さく息を吐き出すと、戸浪はまたモニターに視線を戻した。すると又祐馬からメールが来ていた。

 今晩来る?
 それとも俺が行くか?

 そのメールを見ながら、さて今晩はどうしようかと考えていたのだが、戸浪はあることに気が付いた。
 合い鍵を持っている雅之がこれからは何時祐馬のうちを訪れるか分からないのだ。同じマンションに住んでいると言うこともあって、気軽に今から行くという事などお構いなしにやってくるのだろう。
 昨日の雰囲気ではそう言う付き合いのように見受けられたから。
 かといって祐馬が戸浪のうちに夜来るとなると、トナミがお腹を空かせてしまう。

 どちらも無しだ。
 週末まで我慢しろ。

 と、仕方なく戸浪はそう書いてメールを返信した。
 その後、祐馬からは返事が来なかった所をみると多分腹を立てたのだ。だが、実際仕方ないのだから腹を立てられても戸浪も困る。雅之に知られたら祐馬自身が困るのだ。
 友達が男とつき合っているなどといくら話の分かる相手でも簡単にハイそうですかと納得してくれる事はまず考えられない。
 それ以上に戸浪自身が人に知られたくなかった。知っているのは同じように男とつき合っている大地だけだ。
 戸浪は溜息を一つついてから、仕事に集中することにした。

 七時に仕事が終わり、身支度をしていると、祐馬から内線が入った。
「もしもし……」
『俺、今日遅いから……』
「言っただろう。私はお前のうちには行かないし、かといって私のうちに来られるのも困ると。それに会社ではこんな話しはしないと約束したはずだ?」
『何だよ、……ははん、雅之のこと引っかかってるんだな……』
 相変わらず戸浪が嫉妬していると間違った事を思いこんでいる。
「馬鹿かお前は。自分の状況を良く考えてからものを言え」
 そう言葉きつく言って戸浪はガンと受話器を降ろした。
 そして降ろしてから後悔する。
 もっとどうして可愛くなれないのだろうか……。
 今はいい。
 だが祐馬がこんな性格に愛想を尽かしたら簡単に終わってしまうはず。
 そうなってしまうと、戸浪自身の気持ちは追いかけたいと思っていも性格的に出来そうにない。どうして大地のように振る舞えないのだろうか。
 あの二人の仲むつまじい会話はまだ耳に残っていた。誰だってあんな風に可愛くなれたらつき合いも長続きするだろう。
 戸浪はようやくお互いに告白ができ、これからだというのに、既にもう先を見つめて、怯えている自分を自覚していた。
 それほど自分に自信がもてないのだ。
 可愛く甘えることなど出来ない自分に自己嫌悪を感じる。
 恋人同士なのだから、もう少し優しい口調で話してもいいはずなのに、口を開けば耳を覆いそうなほどきつい口調しかでない。
 そんな自分が嫌だった。
 変えたいと思ってきたが、こと、祐馬を相手にすると余計に出来ないのだ。
 その理由は分からない。
 いや、分かっているのに、どうにもできないのだ。
 何となく寒々としながら戸浪は会社を出た。
 振り返ってビルの明かりを見る。
 このビルの十五階に祐馬はいるのだ。同じフロアなのに、顔を合わせることなどほとんど無い。つき合っていると言うことが過剰にさせるのか、戸浪は極力顔を合わせないようにしていた。
 普通に友達のように話しかけることは別におかしくないのだろうが、噂として仮に流れたらとんでもないことだろう。
 祐馬は専務に目をかけられている。
 自分とは違い出世コースに乗っているのだ。しかも人付き合いもいいし、明るく行動的だ。そんな彼のお荷物になるような事は避けなければいけない。
 祐馬はその辺全く意に介さないから戸浪は困っていた。
 神経質になっているのは自分だけ。
 そんな戸浪にいずれ祐馬の方が、遠くない時期に別れたいと言ってくるだろう。それに対して戸浪はただ受け入れることしかできないことは簡単に予想がつく。
 鬱々とそんな事ばかり考えている自分に辟易しながら歩いていると声をかけられた。
「澤村さん?ですよね」
 振り返ると雅之が首から一眼レフを二台かけ、大きな鞄を肩から提げて立っていた。
「あ、安佐さん……」
「仕事終わって帰る途中なんですけど、どうです一杯?」
 と言いながらぐいぐいと雅之はこちらの腕を掴んで歩き出した。
「あの、私は……」
「折角知り合いになったんだから、いいじゃないですか。用事無いでしょう?」
 この強引さは祐馬と似ていると戸浪は思った。似たもの同士で仲がいいのだろう。
「は、はあ。そうですね……」
 半ば引きずられるように居酒屋に連れて行かれて生ビールを二つ雅之が注文した。
「ビールで良かったかな……」
「お酒は何でもいける口ですから……」
 とりあえずそう言った。
「よし、それでこそ男だよ。うん」
 嬉しそうに雅之が言った。
「……はあ……」
「で、祐馬の同僚って同じ会社なんだ」
「ええ。チームが違うのでほとんど顔を合わせませんが……」
「ふうん……でも友達なんだ……」
 何となく意味ありげに聞こえて慌てて戸浪は言った。
「新人で入ったばかりの時に三崎さんがチューターだったんです」
「そっかあ、んじゃ、幾つか下なんだ」
「一つ違いです」
 ビールがようやく来るととりあえず乾杯をして飲みだしたが、雅之は戸浪よりもざるであった。
「……大丈夫ですか?」
「まあね。ざるなんだよ。気にしないでいいからさ。俺は気持ちよく飲めたらそれでいいんだ」
 何倍もビールを煽ったような顔ひとつせず、にこやかに雅之は言った。
「……それで……昨日知り合ったばかりなのに、どうして誘ってくださったのですか?」
「んーなんだか難しい顔してたからさあ、悩んでる人を見るとほっとけないの。っていっても誰でもって訳じゃないから。祐馬の同僚だし、それに澤村さんが興味をそそられる相手だったから誘ったんだよ」
 頬杖付いて雅之はこちらを見る。
「興味……?」
「澤村さんは背が高くて、こう、雲のない夜に輝く月のように綺麗だったからね。写真も撮ってる所為か、綺麗なものには目がないんだよ」 
 と、言い終わらない内に戸浪はビールを吹き出した。
「な、何を……」
 戸浪は口元を拭きながら言った。
「わははははは……びっくりした?今の顔面白かったよ」
 その嫌みのない雅之の笑いにこちらも引きずられて戸浪も思わず笑ってしまう。雅之には不思議な雰囲気があったのだ。
「なんだ……いい顔で笑うじゃないか。そうそう、人間悩んで表情暗くするより、そうやって笑ってる方がいいよ。悩みなんて、考えても答えが出ないから悩みなんだよ。答えが出ないんなら、悩まない方が人生にとって得じゃないかな?」
 ニコニコとした笑顔で言われ、思わず戸浪は頷いた。
 そう、答えが出ないから悩むのだ。
 しかし、逆に考えると、答えが出ないもので悩んでも仕方ない。
「結構クールそうに見えたんだけど、そうでもないみたいだね」
「クールなわけでは無いんですが……そう見られます」
「……じゃ、実は、ぼーっとしてるんだ?整った顔立ちの所為でそれがクールに見えるんじゃない?」
 整っているかは自分では分からないが、どちらかと言えば戸浪の顔は、黙っていると怖いらしい。
「はあ……そうですね……。あの、そう言えば安佐さんの目の色が青いのですが、ハーフですか?」
「クオーターだよ。おばあちゃんがフランス人だったんだ。まあ、この目のお陰で女の子達は興味持ってくれて、実は随分、もてるんだけど、小さい頃は良くこのせいで苛められたよ。流行ってわからないよ全く」
 そう言ってくすくすと雅之は笑う。
 本当に苛められたのか、その笑みからは想像できなかった。
「そうそう、祐馬って良い奴だろ」
 いきなり雅之がそう言ったので、戸浪は驚いた。
「え、は、はい」
「あいつは優しい奴だからなア……口は思いっきり悪いけどさ」
 これは同意していいのだろうかと戸浪は悩んだ。
「そうですね」
「恋愛でいつもそれがネックなんだよ」
「恋愛で?」
「あいつ相手ともうつき合えないって思っても優しいからずるずるいってしまう口なんだよ。あいつの外見から想像付かないと思うけどさ。大抵向こうの方が祐馬に熱あげるんだけど、もしそのとき祐馬が誰ともつき合ってなかったら、つき合っていいよって言うタイプだし、で、つき合いだして自分とあわないって祐馬が分かっても、それを相手に言えないでずるずるって……全く、何度間に入ってやったか分からないよ」
 優しいのか優柔不断なのか紙一重だと戸浪は思った。
「安佐さんが間に入るんですか?」
「まあね、やなんだけど、そうでもしないと何時までもつき合ってるからさあ……。腐れ縁もここまで来ればたいしたもんだろ」
 へへんと鼻を擦って雅之は言った。
「……三崎さんが本当に嫌になれば……。自分からどうにかするんじゃないですか?」
「そうなんだけどね……行き着くところまで行ったら、あいつ切れちまうからなあ。俺が間に入ってまーまーって宥めて向こうに諦めて貰った方が絶対良いって」
「……切れる?」
「ごちゃごちゃしたことあいつ苦手だからさ。単純なんだよ。複雑な事を悩めないんだろうなあ……。ああいうタイプにはやっぱり何も考えないタイプがいいんだろうね」
「……はあ、そうですね……」
 そうすると、思いっきり自分は対象外だと戸浪は心の中で溜息をついた。ではどうして祐馬は自分を選んだのだ。
「そうだ、澤村さんは誰かつき合ってる人いるの?」
 興味津々という表情で雅之が言った。
「私?……とりあえず……なんというか……」
 言葉を濁して戸浪はそう言った。
 こういう話題から逸れたいと思っていると雅之の方から趣味の話しをし出した。
 彼は写真が趣味らしい。ライターとしてエッセイや投稿記事を書く時の為に写真も自分で撮ることが多く、それが高じたらしい。今ではプロ級だと言う。
 戸浪も写真は好きであったため雅之の旅先での話しなど思わず聞き入った。
 しかし、雅之の言った一言がずっと心の奥に引っかかっていたことは隠していた。

 結局十一時にお開きになり、会計を済ませて店の外に出るとヒンヤリとした夜風が頬に当たった。アルコールのためにやや体温が高い。
 それがとても心地よく感じる。
 雅之の方は気分が良いのかニコニコとして鼻歌交じりの足取りだ。
「澤村さん。今日は無理矢理つき合わせて悪かった。白状すると祐馬に振られたんだよ……忙しいとか言って……折角誘ったのにさ……」
 ちぇっといいながら雅之は言った。
「いえ……でも私とでは退屈されたんのではないですか?話すのが苦手なもので、良い話し相手になれなくて……済みません」
 戸浪は口べただ。
 それを自覚していて、悩みの一つとなっている。
「じゃあ、俺は五月蠅くて済みませんって謝らないとな。勘違いして欲しくないんだけど、退屈じゃ無かったよ」
「……良かった……」
 戸浪はそう言って笑みを浮かべた。退屈じゃなかったと言われたことが嬉しかったのだ。だが突然フラッシュをたかれて驚いた。
「今、あんまりいい顔してたから写真撮ってあげたよ。今度祐馬に渡しておくよ」
「え、あ、はあ?」
 あまりの素早さに驚いたが、なんだか祐馬に似た雅之が憎めなかった。
「じゃあ、ここで」
 地下鉄の入り口で雅之が言った。
「お休みなさい……」
 戸浪がそう言うと雅之は手を振った。
 そう言えば祐馬と同じマンションに住んでいるのだからこの道は逆方向だ。雅之が気を使って駅まで送ってくれたのだと気が付いたとき、戸浪は既に電車の中だった。
 祐馬は明るく誰にでも好かれる性格をしている。
 しかも小さな事にこだわることがない。
 その友達である雅之もとてもつき合いやすく、人付きのするタイプだった。
 なにより、すぐには気がつかない心遣いが出来る男だ。
 羨ましい……
 戸浪は電車に揺られながら小さく呟いた。
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