「血の桎梏―邂逅―」 第2章
「……この私がわざわざ足を運んでやったのに、居留守を使うなんて、どういう了見だ」
紅はライを抱えたまま、ニヤリと笑う。そんな紅に、ラシャは何も言わず、視線だけをライの方に向けた。
「……ん。いや、手ぶらで帰るのもなんだからな。この子、かなり可愛いし、お前に死体にされる前に手みやげとしてもらって帰ろうと思ってさ。どうせ、始末するんだろうから、いいだろ?お前の手間を省いてやろうって言ってるんだからな」
物騒なことをサラリと口にして、紅は目を丸くさせているライを見上げた。けれど、紅の悪戯っぽい笑みが、どことなく憎めなく、悪い人間には見えない。
「ライ」
ラシャは静かにライのただ名を呼んだが、『部屋に戻っていろ』という言葉も言い含められている。
「え……あ……でも……」
ライは紅によって抱えられているため、降りることができないのだ。今度ラシャは紅を見つめる。
「紅さま。そろそろ戯れはおよしになった方がよろしいかと」
キリーは紅を睨みながらそう言った。一番、この状況を把握して、理解しているのはこのキリーなのかもしれない。
「……ケチ」
紅はようやくライを下ろして解放すると、自らのマントを脱いでキリーに渡した。
「おい、茶くらいごちそうしろよ」
すでに背を向けて歩き出しているラシャの後を紅は追い、ライも追いかけようとしたところで、キリーにとめられた。
「同席できるご身分ではないはずですよ」
その言い方にカチンと来たライだったが、ラシャと付き合いが長いのは自分ではなく彼らだ。ラシャがどんな交友関係を持っているのか、知る機会に恵まれたのだから、ここは成り行きを見守った方がいい。
「あ……はい」
「お前達はここで待機してくれ。僕は……彼にお茶でもごちそうになるよ」
重装備の男たち二人にそう言い、キリーはライに向き直った。
「いけませんか?」
「……いえ、ごちそうします」
ライは慌ててキリーをリビングに案内した。
「何をしに来た?」
冷えた眼差しを送るが、紅は何が嬉しいのか分からないが、ニヤニヤとした表情をしていた。相変わらずふざけた男だ。
「面白い話しを耳にしたからな……」
紅はまるで自分の家のように悠々とソファに座ると、長い足を組む。
「……そうか」
窓際に立ったラシャは、紅から視線を逸らせて、興味のない声で言った。ラシャは紅と話すことなどない。ここに彼がいること自体、迷惑だ。
「殺し屋を廃業したと聞いたぞ」
「だからなんだ?」
「本当のことか?」
「ああ」
ラシャがあっさりと答えると、紅は目を細め、考え込むように手で顎を撫でた。
「……」
「話しが終わったのなら、帰れ」
「……もしかして、さっきのあの……キュートな男の子のためか?」
「……そうなるのかもしれん」
「お前が誰かに執着する日が来るとは……驚きだな」
「私が……執着している?」
「なら、私がお持ち帰りしてもいいのか?」
「あれは私のものだ」
「そこが執着だと言ってるんだ……」
「お前に関係のないことだろうが」
「……殺しを廃業するのは、私もおおいに賛成だ。ま……賛成も反対もしてなかった立場の私としては、どちらでもいいんだが。ただ、廃業するにあたって大きな問題があるだろう?」
紅は今まで陽気だった表情を一変させ、真剣な面持ちでそう言った。
「そうだったか?」
「帝国との関係だ。ほとんどの顧客は帝国の人間だっただろう?特に……バース家の人間だ。あそこの二女と懇意にしていると聞いている」
「紅が海賊を廃業して探偵業を営んでいるとは、知らなかった」
これで紅は、帝国、連邦と並ぶ三大勢力の一つ、EGの代表だ。もっとも勢力としては一番小さい。ただ、組織としての結束力はどの勢力より強固だと言われている。だが、先代が宇宙海賊として名を馳せたためか、未だにそのマイナスイメージが強い。
「誰が探偵業だ。はぐらかそうとしても無駄だ。ハッキリ言うぞ。お前が殺しを廃業するのはいい。だが、バース家からの依頼は、せめて数件に一度は引き受けた方がいい。それができないのなら……戻ってこい」
「……戻る?」
「私のところへ……だ。いまなら守ってやれるぞ」
「お前に守ってもらう必要はない」
「戻る気がないなら、あのキュートな子をさっさとここから追い出して、もとの生活に戻してやれ」
紅は深く座り込んでいたソファから身を乗り出し、じっとラシャを見据えた。冗談を口にしている様子はない。
「何が言いたい?」
「確かにお前なら、例え帝国に睨まれたとしても、自分の身くらい守ることができるだろう。私もそれは心配していない。だが、余分な人間は足手まといにしかならないだろうが」
「心配されるほど、腕は落ちていないつもりだが?」
「お前の心配などしていない。あの男の子のこれからを憂えているんだ」
「何故お前が憂えるんだ?関係のない話だろうが」
苛々と答えると、紅は真剣だった表情を少し和らげて、フッと笑った。
「なあ……ラシャ。自分で何を言ってるのか分かってるのか?今まで守るものなど何もなかったお前が、あの子に関しては自分の手で守ると言ってるんだぜ。冷酷だったお前の気持ちに変化が出ていることに、気付いているのか?」
「……意味がよく分からんな。ライはここに勝手に居着いているだけで、私は何の義務もあの男に対して持たない。ただ、セックスの相手をさせているだけだ」
紅の言わんとしていることが、ラシャには理解ができないのだ。ライはただこの家に勝手に住み着いているだけの存在で、それ以上でも以下でもない。
「……その程度の男なら、私が持ち帰っていいだろう?だが、お前はそれを許さない。どうして許せないのか……そこをよく考えてみろよ」
確かにどうでもいい存在のはずなのに、誰かに譲る気もないし、奪われることに怒りを覚える。不思議な感情が自分の中に生まれつつあった。
「……」
「一番の問題は、殺しを廃業することじゃない。お前が誰か特定の人間に執着していることだ。あの二女がそれを知ったら、どうなるのか……想像したことはないのか?」
「意味が分からんな」
「あの二女がお前に惚れてるってことだ」
「初耳だ」
「……で、寝たことはあるのか?」
「気が向いたときには、断る理由がない」
帝国の女帝であるクレア・バースの妹がレイラ・バースだ。彼女とは仕事の依頼会っていた。大抵向こうから誘ってくるので、気が向いたときだけセックスの相手をした。最近は、呼び出されていても、通信自体を切っているため、話しもしない。
「時々、私よりお前の方が女ぐせが悪くて、残酷だと思うんだが……。じゃあ、今でも誘われたら寝るか?」
「……今のところ、欲望は満たされている」
そういう欲求は不思議と起こらない。欲求を処理する人間が側にいるからだろう。
「やっぱりあの子か……だろうなあ……お前のキスマークのすさまじさに、この私が照れたほどだ」
「……どういう話しになってるんだ……」
「殺しを引き受けなくてもいい。変わりに時々でいいからボランティア精神で、二女と寝てやれ。あと、あの子の存在は一切表にだすな。それが一番だろう」
「余計なお世話だと言っているだろう」
「……ラシャ……帝国を敵に回すのは賢明ではない。それくらい分かるだろう?」
「ああ、分かっている」
「だったら、私にさっさと茶をごちそうしろ」
紅はため息混じりの息を吐き、どこか呆れたようにそう言った。