Angel Sugar

「血の桎梏―邂逅―」 第4章

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「あの……俺、誰とでも寝る訳じゃないんですけど……」
「そりゃまた……勿体ない」
「そういう条件でなければ……教えて頂けないんでしょうか?」
「条件は特にないが……君はラシャに直接、聞いたことがあるのか?ま……話し相手にならない、面白みのない男だがな」
「……聞いたことは……ないです」
 どこで生まれたのか、どうして殺し屋を職業として選んだのか、家族はいないのか、両親はいるのか……いろいろ聞きたいことはあるのだが、どうしてもラシャに聞けなかったのだ。
 答えが怖いのではない。
 はぐらかされるのが怖いのでもない。
 冷ややかな目と、沈黙が返されるのが怖かったのだ。
 そして、そういった答えが返されることが、間違っていないと言うこともライには問わずして分かっていた。だから、何も言い出せないし、聞き出せない。
「君が聞けないことを、どうして私が話せるんだ。君がラシャにとってどういう存在なのか、私には分からないんだよ。だいたい、弄ばれている相手に、私が話せることなど何もないだろう?」
 弄ばれている相手と言う言葉に、ライは唇を噛んだ。
 紅の言ったことは間違っていないのだが、こんなふうに他人に思われるのは悔しい。かといって自分のやっていることに、胸を張れることなど、何もない。確かにライはラシャの性を満たすだけの存在だ。
「……本当に君は可愛いな。なあ、キリー。やっぱり連れて帰ろうぜ。可愛い資源は有効に利用しましょう……って言うだろう?」
「……おっしゃる意味が分かりません」
 キリーは冷ややかに言い、明らかに『早く帰りなさい』という目をライに向けていた。
「じゃあ……俺……帰ります」
「ええっ!キリーお前が睨むから、怖がってるじゃないか……」
 紅は大げさに手を振って、キリーに言った。キリーと言えば慣れているのか、平静な顔で答えている。
「貴方様の変人ぶりに驚かれてるんですよ……」
「……変人?天才だと言え」
「ライ、そろそろ退散した方がいいんじゃない?」
 今まで黙っていたリーガが肩に乗り、耳元でそう囁いた。
「そうだね……あの……俺、ここで……」
 言い合いになっている二人からジワジワと距離を取り、離れていこうとしたが、紅が叫んだ。
「……おい、ちょっと待った!」
「は……はい」
 せっかく広げた距離を縮めて、早足に紅は近づいてくる。
「これを渡しておく」
 金色のピアスを紅は手渡してきた。
「これは?」
 手の中で光るピアスは、今、ライがつけているものより、もう一回り小さい。金色をしていて、透明で琥珀のようにも見える。
「本当に……どうしても助けが欲しいときに、このピアスを強く押して潰すんだ。すると、中に仕込まれているちいさなチップにスイッチが入り信号が発信されて、私に伝わる仕組みになっている」
「……俺がこれをつけていていいんですか?」
 紅は、ライを赤の他人のように突き放したかと思えば、今度はラシャの身内のような扱いをしている。
 ライの存在を紅はどう思っているのか、分からない。それでも紅はライに対し、好意的に接してくれているように見える。
「だが、本当に何か大変なことがあったときだけだぜ。私は宅配ピザ屋じゃないから、そうそう簡単に艦隊を動かすわけにもいかないからな」
「はい……」
 とても重要で大切なものだと認識したライは、手の中にあるピアスが急に重く感じられた。
「もちろん、ラシャに君が捨てられることがあったら、これはラシャに渡せ。本当はラシャに渡しておきたいんだが、ああいう男だろう?私がどれほど優しく接してやっても、ちっとも私の言うことを聞かない。だから君に渡す。だが、必要がなくなったからといって、その辺に捨ててくれるなよ」
 陽気な紅とは逆に、背後に立っているキリーは苦い顔をしていた。ライに緊急用のピアスを渡すことが、気に入らないといった様子だ。
「……はい」
「……また、会うこともあるだろう。その時まで生きてたら、次は私にもチャンスをくれよ」
 紅はウインクを一つすると、今度こそ振り返ることなく、去っていった。
 ライは彼らがエレベーターに姿を消すまで見送ると、手の中に残されたピアスをもう一度見下ろした。
 これは俺を守るものじゃなくて……ラシャを守るものなんだよな。
「捨てるの?」
 リーガの言葉にライは笑って顔を左右に振った。そして、穴を開けたのにピアスをつけることなく放置していた耳に、もらった金色のピアスを付けた。



 家に戻ると、何故かラシャが玄関に立っていた。
「ラシャ……」
「帰ったのか?」
「紅さんっていう人なら……帰ったよ」
「そうか……」
 ラシャの視線はライの右耳に注がれていた。紅からもらったピアスを付けたことに、気付いたのだろう。けれど、ラシャはピアスについて問うことなく、すぐに視線を逸らすと、ライに背を向けた。
「ラシャ……聞いていいか?」
「なんだ?」
「紅さんって……ラシャの……血の繋がらない兄弟って言ってたけど、そうなのか?」
「……ああ」
 あっさりと答えてくれたラシャに、肩すかしを食らったライは、一瞬、次の言葉が詰まった。だがすぐさま気を取り直し、質問を続けた。
「あ……じゃあ……血が繋がらないって……養子ってこと?」
「それがどうしたんだ?」
 面倒くさそうにラシャは言い、キッチンに向かう。ライはラシャの背を追いかけ、質問を続けた。
「俺……ラシャのことが知りたいんだ……。ラシャが誰に育てられて殺しをするようになったのか、いつから感情を失ってしまったのか、養子ならどういうご両親のもとで育ったのか……」
 それに俺……。
 俺はラシャの中でどんな存在として認識されてるのか……。
 最後の質問をライは飲み込んだ。
 聞いたところで、嬉しい答えが返されることなど皆無だと、分かっているからだった。
「私を育てた人間のことが知りたいのか?」
 ラシャはそこで振り返ると、酷薄な笑みを浮かべた。慣れているライでも、こういうラシャの微笑は、背筋が凍る。
「……知りたい……」
「私が殺した」
 ラシャは唇だけに微笑を浮かべ、瞳は恐ろしく冷たかった。
「……どっ……どうして殺したんだよ?」
「本人が殺せと言ったから、殺した。本望だったろう」
「不治の病……だったのか?」
「拷問の末だ」
「……ラシャ……」
「私はそういう時間をかける殺し方はしない。紅が楽しんだことだ」
 育ての親を紅が拷問して、ラシャがとどめを刺したということなのか。
 どうすればそんな状況になるのか、全く想像できないラシャの言葉に、ライはこれ以上何かを問うことができず、息をすることが苦しくなっていた。
「……怯えているのか……ライ?」
 ラシャはライの顎を撫で、頬を指先でなぞる。触れている指が妙に冷たく感じるのは、ライ自身がラシャに恐れを抱いているからだろう。
「ラシャ……俺……ん……」
 重ねられた唇は指先とは違い、温かかった。
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