Angel Sugar

「心の問題、僕の苦痛」 第1章

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 きっかけは些細なものだった。
「うげ……ひでえな……」
 篠原が口元を押さえてくぐもったような声でそう言った。
「……」
 トシは声を出さずに現状の把握につとめた。
 目の前には若い男性の死体が横たわっている。多分リンチにあったのだろう姿はほとんど衣服を身につけておらず、あちこち殴られた痕が鬱血したように皮膚に浮かんでた。周囲には異臭が漂い、飛び散った血がコンクリに変色した色を落としていた。
 すでに犯人たちは捕まっており、自供により死体を確認することができたのだ。
 場所はやや都心から離れた廃屋の地下で、光の入らないじめじめした一室の埃っぽいコンクリートの上に死体が放置されている。
 それは日常の光景で、いつもと何ら変わることのない仕事だったはずなのだが、鑑識が写真を撮っている隣で主任が言った。
「こりゃ……やられてるな……」
 篠原の方は警部となにやら話しており、それを聞いたのはトシだった。
「やられてる?」
 バックで聞いていたリーチが言った。
『犯されたってことだろう?まあ……最近は男でもやられる時代だからなあ……別に意味なんてねえんだろう?要するに暴行の一環だ』
「なんだ、隠岐。分からないのか?はは、隠岐らしいな……。最近は増えたぞ。特に身内でのリンチには男女ともこういうことがあるな……」
 遅れて鑑識の主任が言う。
 そうなんだ……
 女性の方は何度も見てるけど……
 男性もあるんだ……
 自分が男性とつきあっているという事実は理解しているが、日常でリンチと称して犯される男性がいるというのが不思議で仕方ないのだ。
 一般的に見せしめの暴行や仲間内のトラブルだと、ここまでエスカレートはしない。もちろん、無いとは言わないが、まだ日本では少ない方だった。
 海外では少年などよくレイプ目的で誘拐されては死体となって発見される。日本もいずれ同じ事件が増えていくのだろう。だがまだ、少年を犯して殺すという事件は滅多に起こらない。
 鑑識のフラッシュが何度も部屋を真っ白に染める。それをトシは見ながら気分が悪くなってきた。
 こんなの初めてだ……
 どんな死体を見ても、仕事だという意識があるのか、例外を除いてトシは気を失ったりはしなかった。凝視できないと言うこともない。
 だが今日は何故か違った。
 死んだ男の瞳はどんよりと曇っており、すでに生気はない。どこか虚空を眺める瞳が何かを訴えているようにトシには見えた。
『トシ?』
 いつもとは違うトシの様子に、リーチは心配そうな声をかけてきた。
『……だ、大丈夫だよ……ちょっと気分が悪くなってきて……』
 明るくトシは言った。
『交代するか?いいぜ……』
『いいよ……現状把握は僕の仕事だから……』
 トシは精一杯の強がりを言った。
『ならいいけどさ……』
 これは自分の仕事なのだ。トシは自分自身にそう言い聞かせ自分のしなければならないことを続行した。

 夕方捜査本部に戻ってくると、丁度犯人たちの尋問が行われていた。トシは取調室に行き、扉についている小さな窓から中を覗いた。
『どした?中に入らないのか?』
 リーチが怪訝な声でそう言ったが、何となくトシは中に入りたくなかった。
『ん……様子見て入るよ……。この犯人は僕の担当じゃないし……』
 と言いながらもトシは椅子に座り、あくびをしている若者を見た。年齢は二十三歳で現在まだ大学に通っている。彼がリーダーとなり、男を殺させたらしい。
 若者はシャツにジーパンというどこにでもいるようなファンションをしており、髪は栗色に染めていた。
 こちらの尋問者は所轄の警部である本村が行っている。その横に警部より若いが、警視庁捜査一課の里中係長が立ちあい、書記は無言で警部と若者の会話をノートパソコンに打ち込んでいた。
「……だからよう……さっきから言ってんじゃん。あいつが浮気したから俺はむかついたっての……俺はあいつ一筋だったのによ……まあ……死ぬとは思わなかったけどな……」
 はははと笑って若者は自分のしでかしたことの重要さを全く分からない口調で言った。
「浮気ね……死んだ佐々木は男だな……つきあっていたのか?」
 驚くわけでもなく淡々と本村は言った。
「まあな……俺どっちでもいいし、あいつから言ってきたんだぜ。まあいいけどさ。裏切りには死をって言うのあったよな……あれだよ」
「なにも数名で暴行をしなくても良いんじゃないのか?限度というのがあるだろう?人間は意外に簡単に死ぬもんだ。その手前でどうして止められなかったんだ」
 手をあごのところで組み、本村は言った。
「あいつさあ、俺と別れたいっていいだしてよ。なんかむかつかねえ?あいつから俺に言ってきたんだぜ。それがどうして言ってきた本人が別れるって言えるんだよ?信じられねえよなあ……。俺、これですげえプライド高いの。人にやるくらいなら殺しちゃった方がいいと思わない?それって愛だよな刑事さん?」
 話をふられた里中は、ちらりと犯人の男を見て言った。
「ただの殺人だ」
「あったまかてえなあ……本気で恋愛したことなんか無いだろうあんた……」
 そう言ってまた男は笑った。
「笑うんじゃない」
 本村はため息をつきつつ、里中に絡もうとしている男を引っ張りまた椅子に座らせた。
「何にもわかってねえのあんたらだろうがっ!俺はあいつを他人にやるつもりはなかった。だけどあいつは嫌だといいやがったんだ!だから、俺じゃない他人にやられるのがそんなにいいんなら、俺が見繕って他人にやらせたんだよっ!何が悪いんだ?あいつは喜んでたんだろ。俺じゃない他人にやられたんだからなっ!それで死んだからって本望だろうよ!畜生っ!なめやがって!」
 いきなり男は立ち上がり、かみつかんばかりの勢いで言った。そこまで聞き、トシは窓から顔をそらせるとため息をついた。
『馬鹿野郎はどこまで行っても馬鹿野郎だなあ……』
 リーチはふとそう言った。
『ああいう気持ち分かる?』
 理解できないことでトシはリーチにそう聞いた。
『さあな……分かる部分も無いとは言えないけど……あそこまでやっちゃあなあ……』
 そう言うリーチの言葉にトシは驚いた。
『分かる部分ってなに?嫌われたらしかたないじゃないか……それを……今まで好きだった人にあんなことがどうして出来るんだよ……』
 珍しく腹立たしげにトシはリーチに言った。
『つうかな、すっげえ好きな相手なら俺……自分一人のものにしたいって思うんだよなあ……他人がそれについてどう思うかしったこっちゃない』
 当然のようにリーチは言って何故か胸を張っている。
『分からないよ……僕にはそんなの……』
 例えば、幾浦がもし自分以外の人間を好きになったとしてもトシには文句は言えない。それは誰にも止められない人の心の動きだからだ。まだそこで痴話げんかが起こったとしてもトシは分かる。自分は引くタイプだが、引けない人もいるだろう。ただ分からないのは、だからといって自分が好きだった相手を他人に傷つけさせることがとても理解を超えていたのだ。
『まあ……世の中にはいろんな奴がいるってことだろう。お前が理解できないといっても、ああいう奴はごろごろしてるんだからさあ……。いるってことだけはおぼえとけよ』
『リーチには理解できるの?』
 トシは恐る恐る聞いた。
『馬鹿野郎だって言う意味で理解できる。こだわるなあお前……。ああいう奴に納得のいくような説明をさせようとしたって無駄なんだしよ……。あ、変な奴だ~って言ってりゃ良いんだよ。まあトシは潔癖なところがあるからなあ……余計に分からないと思うよ』
 おもしろくなさそうな声でリーチは言う。
 そうだけど……
 僕にはやっぱり分からない……
『そうだね……そう思うことにする……』
 気分が悪くなってきた……
『トシ……誰でもな、暗い部分っていうのはあるんだ。例え見た目は普通で、良い人に見えたとしてもな』
 その言葉がトシの心に深く染み込んだ。
『まあ、こんなおかしな奴のことは忘れて、ラブラブなことでも考えろよ。今晩幾浦のうちにいくんだろう?』
 続けてリーチは言った。
『そうだね。そうする……』 
 トシは幾浦のことを考えることで頭を切り換えることにした。
 今晩はトシのプライベートだったのだ。
 考えても分からないんだから仕方ないよね……
 人間は色々な人がいるのだ。そのすべての人間の考え方や性格を理解しようと思う方が奢りになるのだろう。
 結局は自分のもつ常識と照らし合わせて相手を判断するのだから、そこに当てはまらない人間が出てきてもおかしくないのだ。
 理解できないが、そんな人間もいるのだと思うことで納得するしかないのだろう。
 いつもは、理解できない殺人に対しそう思うことでトシは納得してきた。だが今回の事件が、なんとなく身近に感じ疑問をそのまま口にしてしまったのだ。
 忘れよう……
 今日は恭眞にあうんだし……
 トシは理解できない事件を忘れることにした。

 その晩、意外に早く解放されたトシは、幾浦が自宅に帰ってくる時間まで行きつけの本屋に行くことにした。
 日本で最大の本屋である。フロアには本を吟味する机が置かれており、以前は非番の日に丸一日でもフロアを徘徊していたものであった。だが幾浦とつき合うようになってからなかなか出来なくなった。しかしちょとした時間つぶしにここを利用することは現在も続いている。
 特に来週巡査部長に昇格するためのテストがあるため、今度こそはと色々本を見ていた。受けるには年齢がまだ足りなかったが、上層部からの推薦があり、今までも受けられる状態だったのだ。
 だがどうも昇格テストと相性が悪いのか、試験の時に入院していたり、どうにもならない事件を担当していたりと、なかなか受けることが出来なかった。
 別に巡査でも構わないのだが、巡査部長になれば少し給料が上がる。それがトシとリーチの本当の目的だったのだ。
 学科はトシが担当し、実地はリーチ担当であった。こういう時、トシは二人で良かったとトシは思う。逆に一人で色んな事をしなければならない人達が可哀相だとトシはいつも思っていたからだ。
 不便じゃないのかと幾浦から聞かれることもあったが、プライベートを一週間交替で取ること以外は、特に不便に感じたことが無かった。なにより物心をついた頃からお互いを認識していたので今更自分達が変だと思えないのだ。
 トシは暫く逡巡し、買う物と返すものをより分けて精算すると、幾浦のマンションへと向かった。

 電車から下り、幾浦のマンションのある駅に着くとトシはぼちぼち歩き出した。時間は八時を過ぎており、昼間熱された空気がやや冷め、頬にあたる風が心地よく感じられる。その頃、すでにリーチはスリープしており、今は完全にトシのプライベートだった。
 そうして、いつものように公園を通り抜けようとしたとき、後ろから声を掛けられた。
「あのう……」
「え?」
「道が分からないのですが……」
 明かりが十分でないので、その人物の顔は良く分からなかったが、スーツを着た男性であった。どうもサラリーマンの様だ。
「少しなら分かりますが、どちらまででしょう?」
 リーチなら、その相手が危険であるか無いかが分かっただろうが、トシは普段全く警戒心というものを持っていない。その為、ただ道を聞かれただけだろうと快く応対した。
「一番近い駅はここからどう行けばいいのですか?」
「駅なら分かりますよ。この道をまっすぐ行くと公園を出ますので……」
 と言ったところで意識を失った。意識が遠のく中トシが覚えているのは鋭い痛みだけであった。

 目が覚めると両手を後ろで縛られ、足も縛られていた。周りは薄暗く、所々木箱が並んでいる。床はコンクリートのであった。
『リーチ……ウェイクして……』
 とにかくリーチを起こそうと、トシは合い言葉でスリープ中のリーチを起こした。
『ん……もう朝?』
 だがいきなり起こされたリーチは当然まだ状況を分かっていない。
『それがさ……困ったことになっちゃった……』
 トシも状況が把握できていないのだ。
『なに?どうしたんだよ。って……ここ何処?』
 リーチが花畑で視界を巡らしているのがトシにも分かった。だがそれに答えようにもトシにも何がどうなっているのか分からないのだ。
『わかんない……それより手足が縛られてるんだ……ごめんリーチ……』
 トシは申し訳なさそうに言った。
『はいぃ??』
 リーチは素っ頓狂な声を上げる。当然と言えば当然の反応だろう。
『代われ!』
『う……うん』
 トシはリーチと交替し、様子を窺っていたが、身体をバタバタとさせているリーチが酷く苛立っているのが分かった。
『駄目だ……いくら俺でも無理だ。で、なんなんだこの状況は?』
 腹立たしげになおも身体を捻りながらリーチは言った。
『……公園で……道を聞かれて……そこから記憶がないんだ……お腹が痛かったのは覚えているんだけど……』
 どうリーチに謝ろうかとトシは考えたがうまい言葉が浮かばない。
『ああ、腹を殴られてるよ。そんなことより……相手は誰だ?』
『暗かったし……全然分からないんだ……ゴメン……リーチ……』
 申し訳なさそうにトシはそう言った。
『くそー……動くこともままならねー』
 ジタジタと身体を動かしながらリーチは言う。そのまま芋虫のように這いながらあたりの様子をリーチは見回していた。同じようにトシもその景色をくまなく見渡していた。
 たが、建物の外からの音はなく、周囲はしんと静まり返っていた。何処かの倉庫なのであろうが、所有者を特定できるようなものは周りになかった。
『……誰か来たぞ……』
 気配をいち早く察したリーチがトシに言った。
『え……』
 リーチが窮屈な身体をひねり、トシにもその人物を見えるように移動してくれた。
「やあ……」
 二十代後半のその若者はそう言って笑みを浮かべた。その顔に二人とも何となく見覚えがあった。
「………和田……聡……」
 まだ、警官だった頃、ちゃちな盗みの現行犯で逮捕したことがあった。だが今は神奈川県警に追われていたはずだった。
 今度は人を殺したからである。
「昔、あんたが警官だった頃……俺の事つかまえたよな」
 和田はどこか吹っ切ったような表情をしていた。
「……どうして人を殺したのです?貴方はそんなことを出来るような人ではなかったはずです」
 リーチが顔を上げ、和田の方を見ながら言った。
「殺すつもりなんてなかった……もみ合っているうちに……殺してしまったんだよ」
 和田はうつむき加減に小さく息を吐いた。
「それでは自首して下さい。過失致死で……」
「信じてくれる訳無いだろ……。もう俺はいいんだ……」
 ブルゾンのポケットから和田は銃を取り出してこちらに見せた。
「……私を……殺す気ですか?どうして?」
 リーチは驚いた声を作って言ったが、危険を知らせるベルは鳴っていない。ということは和田には殺す気など無いのだろうと、トシは思った。
「殺す?とんでもない……死ぬ前に……しておきたかったことがあってさ……」
 和田はこちらの足を縛っている紐を掴むとコンクリの床を引きずり、隣の部屋へと連れて行かれた。そこは物置なのか、二畳ほどの広さしかなく、窓は高い位置にあり、外の光は上から入り込んでいた。
 何枚かの毛布と、その周りにはコンビニの袋やペットボトルなどが置いてあるところを見ると和田はここで寝泊まりをし、人目を避けていたのだろう。
「私を人質に取ったとしても逃げ切れませんよ……お願いですから自首して下さい」
 リーチは和田を見上げながら言ったが、和田の方は足の紐を掴んだ手を離さずに天井の方にある窓を見つめていた。
「どうしてこんな事になったんだろう……俺はけちな泥棒だった……それだけだ。人殺しなんていわれてもピンとこない……」
 言いながら持っていた紐から手を離したので、リーチの足はコンクリートに叩きつけられるように落ちた。
「和田さん……自首して下さい……」
 もう一度リーチは言った。
「人質なんかじゃない……」
 ずいっと和田が近づいてきた。
『……おい……こいつって……まさか……まさかだよな……』
 リーチは半信半疑でこちらに聞いてきた。だがトシにもどう答えて良いか分からない。
『……リーチ……』
 おろおろとトシは言った。
「あんただけが俺を信じてくれた……」
 逃げようとするが、身体を拘束されている上に馬乗りになった和田を例えリーチであってもはね除けることが出来なかった。
「ま……待って下さい……一体……何をするつもりですか?」
 何故かリーチのその声は裏返っていた。
「最期に良い思いさせてくれよ……」
 和田の瞳は何かにとりつかれたような色合いを帯びている。
 どうしよう……
 僕のせいだ……
 トシは自分の責任でこんなことになったということが酷く悔やまれた。
「こ……困ります……私は……」
 リーチは相変わらず逃げるために身体を動かしているのだが、きつく拘束された手は完全に自由を奪われていた。
「子供が出来るわけじゃなし……いいだろ……」
 と言ったところでリーチは思いっきり膝をたてて和田の鳩尾を蹴った。
「げふっ……」
『くそ……何なんだよ!俺は嫌だぞ!やられるのはゴメンだ!』
 必死にリーチは和田から距離を取ろうとしたが、立つことが出来ないためにほとんど動けない。
『リーチ……僕……僕が悪いんだ……』
 僕がちゃんと気をつけていなかったからこんなことになったんだ……
 僕の責任だ……
『今はそんなこと言っている場合じゃ……ぐあっ!』
 体勢を立て直した和田にリーチは蹴り上げられた。
「そりゃ……お願いしたって駄目だと言われるのは分かってるさ。だからこんな風にあんたを拘束したんだ。こんなに上手く行くとは思わなかったけどな」
 リーチならこんな事にはならなかったとトシは後悔した。いつも警戒心がなさ過ぎると言われていたのだ。その上自分は刑事であるのに、逆に刑事だから自分がこんな事に巻き込まれるはずなどないと考えていたのだった。
「和田さん……やめて下さい……こんな事をしたってなんの慰めにもならないでしょう……」
 リーチは必死に説得をしようとした。
「なるんだよ……」
 そう言って和田は又足を縛っている紐を掴んで毛布の引いてあるところまでリーチを引きずった。
『リーチ……僕が説得してみるから代わって……』
 トシはリーチに言った。これは自分の責任なのだから、自分でケリを付けなければならないのだ。
『こいつが聞くと思うか?』
 半信半疑の声でリーチは聞いた。
『でも説得は僕の方が上手いだろ。何時だって説得は僕の役目だよ。だから代わって……』
 もしそれが失敗したとしても、この責任を取るのは自分だとトシは思ったのだ。だからこの後、何があってもリーチとは交替しないとトシは決心した。
 リーチの方はそんなことをトシが考えているとは思わずにいつものように交替した。説得に長けているのはトシの方だからだ。
「和田さん……やけになっても何もならないですよ。例え貴方が自殺をしても、貴方が人を殺したという事実は残ってしまう……。後に残された貴方の家族は大変な迷惑を被るんです。それなら、きちんと自分の言いたいことを話して、貴方に殺す気はなかった。あれは事故だったと公の場で話さないと、誤解されたまま貴方の名前は新聞に載るんですよ。そんなの嫌でしょう?嫌ならきちんと……」
 トシは必死に説得し続けた。
 和田は今、自暴自棄になっているだけだという感じがあった。多分、本当に殺すつもりは無かったのだろう。事故であっても人を殺して正常な判断が出来る人間はいない。
 だから今トシがしなければならないことは、和田が理性を取り戻すような説得をすることだった。
「そうやって俺のこと考えてくれるのはあんただけだったよ。あんたに捕まって、説教されて、少しは真面目に働こうとしたさ……でも誰も俺を信用してくれなかった。結局行き着くところまで来てしまった……だからもういいんだ。今はあんたを抱くことしか考えられない……」
 既に馬乗りになった和田が言い、トシは冷や汗が出た。
『トシ!代われ!』
『……僕の責任は僕が取る』
 説得など出来ないと最初から分かっていたのだ。だが、リーチと交替するには説得すると言うしかなかった。
『馬鹿野郎!代われッたら代われ!』
 リーチは酷く怒った口調で言った。
『嫌だ!僕が……僕が悪いんだ。だから責任は僕が取るんだ』
 和田の手がシャツのボタンにかかった。
 責任感だけだトシを後押ししていた。
『駄目だーー!トシ!駄目だ!駄目だ駄目だ!』
『……リーチ……もし僕の事を考えてくれるのなら……スリープして……。責任を僕が取るのは仕方のないことだけど……見られたくない……。ちゃんと……後で起こすから……』
 主導権を取られないように必死に意識を保ちながら、トシは言った。今でも気を抜くとリーチに主導権を奪われてしまうだろう。
『俺がやられてもユキと笑い話で済む……だけど、お前はそうはいかないだろう!』
 宥めるようにリーチは言う。だがそんなわけなど無いことをトシは分かっていた。
『どっちでも笑い話で済まないよ……。どうなの?寝てくれないの?僕の頼み……聞いてくれないの?』
 ギュウッと歯を食いしばり、トシは目を閉じた。
『トシ……』
『僕は自分の責任もとれないような男にする気なの?ね、リーチ……どうなの?僕は自分の責任を取ろうとしているだけなんだ。だからお願いだよリーチ……寝てよ……スリープしてよっ!こんなの……見られたくないんだよ。リーチ!』
 悲鳴のようなトシの声を聞いたリーチは何も言わずにスリープした。それをトシは確認してホッとする。
 もしこの状態でトシの意識がとぶと自動的に身体の主導権はリーチに移行するのだ。それでは意味がない。だからトシはリーチを眠らせたのだ。この状態なら例え自分の意識がとんでも最期まで自分で責任を取ることが出来るだろう。
 恭眞……ゴメン……
 心の中で呟き、閉じた瞳を再度開けるとトシは和田に抵抗した。
 出来る抵抗は最期までするつもりであった。
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