「心の問題、僕の苦痛」 第2章
和田の手が胸元を這うと、トシは身体を強ばらせた。
「俺……ずっとこうしたかった……」
言いながら和田はシャツのボタンを外していく。
「止めてください……」
歯を食いしばりトシはそう言い、身体をよじらせた。そうすることで組み敷いている和田から逃げられるかもしれないと思ったのだ。
「止めない……」
悲しげな瞳をこちらに向け、和田は小さく息を吐いた。
「男を強姦しても暴行罪になるんですよ」
そう言った口元に和田は己の唇を重ねた。
「……っ……!」
手は胸元から腹を撫でさすり、その感触にトシは頭がぶれるような気持ち悪さを感じた。そんな中、和田の舌がトシの口内に無理矢理押し入ってきた。その異物にトシは思い切り歯をたてた。
「つっ……」
鋭い痛みに和田は口元を押さえて顔を上げる。
「俺は……優しくしたいんだ……」
言って和田はトシの頬に二度平手打ちを飛ばした。その痛みでトシは呻いた。
「……ただの強姦だ……」
絞り出すようにトシはそう言って睨み付けた。だが和田はそんなトシに向かって笑みを浮かべるだけにとどまる。
何を言っても無駄なのだろう。
「殺人罪に強姦が加わってもそれほど問題は無いだろ?」
ギュッと胸の尖りを押しつぶされ、トシは歯を食いしばった。気を許すと泣いてしまいそうな自分を必死に押しとどめている。さがそれがどれくらい持つのかトシ自身にも分からない。
心の中にあるのはただ幾浦に対する申し訳なさだった。
「……っあ……」
首筋に舌を這わされ、トシは全身に鳥肌が立った。赤の他人に身体を触られることはトシにとって拷問に近い。
ざらざらとした手の平が腹を滑りズボンのベルトにかかるとトシは目の前が真っ暗になる錯覚を起こした。
気持ち悪い……
吐き気がする……
……
怖い……
怖いよ……
誰かに触れられる恐怖がこれほどのものとは思わなかったのだ。冷や汗が額を伝い、身体はがちがちに固まっている。だが異常に神経が過敏になっており、触れられてもいない部分まで和田の手が這っているような気分に陥る。
その嫌悪しか感じない手がトシのモノを掴むと、ゆっくりと弄びだした。
「やっ……」
「感じてるんだ……だろ?」
和田は嬉しそうにトシのモノを上下にこすりあげ、満足そうな笑みを口元に浮かべた。
「やめろ……っ!……」
無駄な抵抗を必死に繰り返し、トシはなんとか利一としての自分を保っていた。悲鳴を上げそうになることも、涙を流してしまいそうになることも、利一であることで何とか耐えていた。
「……なあ……しゃぶって良いよな?」
すでに和田は自分の身体を移動させていた。
……
い……
嫌だ……っ……
胃が鉛を飲み込んだような重みを感じ、そこからつながる食道が酷く狭くなるのが分かった。息苦しくなり肺が空気を吸えない状態に陥っている。
暫くすると敏感になっている部分に生ぬるい湿ったものが触れた。それは先端を軽くなめあげ弄んだ後、すっぽりと口に含んだ。
「……っ……」
嫌だ……
嫌だ……
気持ち悪い……
こんなの……
耐えられない……
僕……
僕には恭眞が……
「嫌だあああっ……!」
トシが声を上げた瞬間、扉が蹴破られる音がした。いつの間にか涙で曇った瞳がそこに立つ人物を見た。
「神奈川県警だっ!手をあげろっ!」
北村さん……?
北村さんだ……
助かったという気持ちがトシを安堵させ、そのまま意識が朦朧としだした。
トシはそのまま意識を失った。
「隠岐?どうしてここに……」
銃を和田に向けたまま、今目の前の状況を北村は判断しようとしたが、答えは見つかるはずもなく、とりあえず自分たちが追っている犯人を逮捕することにした。
「手を挙げて立ち上がれ。下手なことをしたら撃つぞ……」
入り口からそろそろと歩を進め北村は言った。すると和田は利一の身体から少しずつ離れた。だが手は挙げていない。
「手を挙げろと言ってる」
北村は更にそう言ったが、和田はニヤリと笑っただけで、従う様子はなかった。
「俺は……誰も殺していない……」
「言いたいことがあるなら取り調べの時に聞く。いいな?」
北村が言うと和田は苦笑したような表情になり、突然床にはいつくばったと思うと、何処かに隠していた銃を手に取った。
「捕まる気はないんだよ……どうせ俺が殺人犯にされて豚箱にいれられるんだからな……考えるだけでぞっとするよ……」
銃をもって和田は立ち上がるとそう言った。
「お前が撃つ前に俺が撃つぞ。そいつをおろせ」
なおも北村は言ったが、和田は銃を離す様子を見せなかった。
「もういいんだ……」
言って和田は北村が制止する前に持っていた銃で自分の頭を撃ち抜いた。
「っ……くしょっ!」
遠くの方から銃声を聞きつけた自分の同僚の声が響いている。だが北村は声を出さず、床に崩れ落ちた和田のことなど放って利一の側に駆け寄った。
「隠岐……」
北村は利一の服の乱れを確認し、ここで何があったかを瞬時に理解した。
「おい、隠岐……」
軽く利一の頬を叩くが、意識が戻る様子がない。どうしようか?と北村が考えていると他の刑事がやってくる足音と、声が聞こえた。
とっさに北村は利一のシャツやズボンを整え、身近にあった毛布で身体をくるんだ。その他の証拠になりそうなものをポケットに入れる。
すぐに他の仲間が来ると思ったが、誰もこの部屋には入って来なかった。それよりこんなところに利一がいるとは夢にも思わないだろう。北村はそれを幸いに、キョロキョロと見回し、やはりまずそうなものを全部自分の上着に隠した。証拠隠滅になるなと思いながら今はそれどころではなかったのだ。
手を縛っている紐を解くと、かなり抵抗したのか、手首の皮膚がボロボロになっており、最後の一周は紐が食い込み血糊で固まっていた。それを近くにあったペットボトルに入った水で濡らし、緩んだところで外すと利一が小さく呻いた。同時に固まっていた傷から血がボトボトと流れ出す。その手首に自分のハンカチを半分に切り、手首に巻いた。
「隠岐……おい、隠岐……」
もう一度、頬をぴたぴたと叩くが反応がない。口元には食いしばって切れた痕が残っていた。
「隠岐……ゴメン」
少し強めに頬を叩くと、うっすらと目を開けた。
「俺だよ……分かる?」
「う……あ……」
自由になった身体をばたつかせたので北村はぎゅっと利一の身体を抱きしめた。
「俺だよ。北村だよ……大丈夫……もう大丈夫だから……」
怯えた瞳を覗き込みながら北村はそう言った。するとぼんやりと曇っていた瞳の焦点がこちらに合い始めた。
「……あ……」
「もう大丈夫なんだ……安心しろ」
しっかりと利一の視線を受け止めて北村は言った。すると細めた目から涙がこぼれ落ちる。北村はそんな利一をしっかりと抱きしめた。
「ああ……う……うう……」
「大丈夫……俺に任せてくれていいよ」
背を撫でながら北村は言った。気がつくと腕の中で利一の声が途絶えた為、心配になった北村が様子を窺うと、また気を失っていた。
そんな利一に北村はもう一度腕の中にある身体を愛おしそうに抱きしめた。
気がつくと真っ白な部屋にいた。よくよく観察すると病室のようであった。トシが身体を起こそうとすると体中が痛みを訴えてきた。特に手首と足首が他より痛む。
背中や腰も痺れたように痛い。だが助かったのだと分かると身体の力が抜けベッドに沈み込んだ。
助かったんだ……
助かった……
そういえば……
あのとき北村さんを見たような気が……
気を失う最後の瞬間、北村を見たことを思い出したのだ。だが記憶がまだぼんやりしておりそれが本当の事かどうか判断が付かない。
すると突然病室の扉が開いた。
「やー。やっと目が覚めた」
嬉しそうな表情で北村が入ってきた。それはいつも利一に向ける満面の笑みだった。
「私は……」
「大丈夫。何も心配する必要ないよ。そうだ、お腹空いてない?」
北村は気遣うようにトシに言う。
「いえ……」
まだはっきりと物事を考えられないのだ。
「じゃあ、スープか何か持ってきてやるよ。インスタントだけどさ」
言って北村は病室を出て行くのをトシはぼんやりと見送った。
まだトシの思考はいつも通りに働いていておらず、物事をきちんと考えられないのだ。
身じろぎもせずにベッドに身体を任せていると窓の外から来院する人達の声が聞こえてきた。
車の音……
まぶしい太陽の光。
僕……
助かったんだ……
だが身体に残る嫌悪感はまだ鮮明に思い出せるのだ。
ごめん……
恭眞……
「う……」
トシは涙が溢れて止まらなかった。枕を抱きかかえるようにして俯き、声を殺しながらトシは泣き、それは次第に嗚咽に代わる。
泣いてもどうにもならないのは分かっていたが、裏切ったという事実がトシを苦しめたのだ。身体が引き裂かれそうであった。このままバラバラになっても良いとさえ思った。
「泣くなよ……」
北村が何時の間にか戻ってきており、枕に沈み込んで泣いているトシの背中をさすった。
「大丈夫……です。済みません」
トシはこんな自分を見せたことに恥じながら、北村に言った。
「いや、泣きたいときは泣いた方が良いんだよ」
ぽんぽんと背中を叩きながら北村は言った。
「あ、本当に……もう大丈夫です」
先に涙で濡れた瞳を枕で拭い、次にゆっくり身体を起きあがらせてトシは言った。
「ほら、卵スープ作ってきたからさ、飲む?」
北村は脇に置いてある椅子に座ってカップを差し出してきた。カップからは湯が立ち上り、空中で揺らめいているのが見える。
食欲など全く無かったが、北村の好意を断ることは出来なかった。
「ありがとうございます。頂きます」
そう言ってトシは手を差し出したが、手首には真新しい包帯が見える。それを自分で確認し、思わず手を引っ込めそうになったが必死にその気持ちを押しとどめた。
「持てるか?」
震えるトシの手を見て心配になったのか、北村は窺うように言った。
「大丈夫です……多分」
そっと受け取ったが意外に傷ついた手首に響き、渡されたカップを落とさないように両手でカップを持つことにした。
「気分が悪かったら飲まない方が良いよ。でも体力を戻したかったら何でも、もりもり食べることだ」
相変わらず満面の笑みで北村が言った。
「そうですね……」
じっとスープの入ったカップを眺めながらトシは言った。
それを口元にスープを運んで一口飲もうとしたが、立ち上る湯気が鼻につき、ムッとした気持ち悪さをトシは感じた。それでも何とかスープを口に含んだが、飲み込むことが出来ずに咳き込むと吐き出してしまった。
口の中が気持ち悪いのだ。ただ、その理由を北村に対して説明できなかった。
「大丈夫か?やっぱりもう少ししてからの方が良かったかな……」
咳き込むトシの背中をさすって北村が申し訳なさそうに言った。
「いえ……大丈夫……です。あの、お願いがあるんですけど……」
スープの入ったカップを脇机に置いてトシは言った。
「何?」
「歯……磨きたいんです……口の中が……気持ち悪くて……歯ブラシ……買ってきて貰えませんか?」
その理由を聞くことをせずに北村は「分かった」と言って立ち上がった。トシが説明せずとも分かったのだろう。
北村が出ていくとトシは又ベットに沈み込んだ。現実感がなかった。意識は半分ぼんやりとしていた。幾浦のことを今は何も考えたくはなかった。
考えたとしても涙しか出ない。
『リーチ……ウェイクして……』
目を閉じてトシはリーチを起こした。
『トシ……』
『大丈夫……最悪の事態は同業者に助けて貰って回避できたみたいだから……。北村さんが僕らの面倒をみてくれてるよ。まだその理由は聞いてないけど……』
淡々とトシはそう言った。
『トシ、代わるよ……』
『手足の傷が治るまで僕が利一だよ……。リーチには悪いんだけど当分プライベートは我慢して欲しいんだ。誰にも今の自分の身体を見られたくない。何も無かったみたいだけど……その痕跡は残ってるだろうから……。もう一つ……これは約束して欲しいんだけど……雪久さんにも……もちろん恭眞にもこのことは話して欲しくないんだ。絶対知られたくない。……ただ……事件として新聞に出てたら……言い訳できないけど……。そうなったら恭眞には僕……自分で話す』
途切れながらもトシは、今自分が決めたことをリーチに話して聞かせた。
『分かった……絶対話したりしない……』
リーチは真剣にそう言った。
『ありがとう……リーチ……』
心の底からトシはリーチに言った。
『な、幾浦に……話すことはするな。黙ってろ。何もなかったんだろ?だったら言わなければ分からない。それがどちらにも一番いいんだ』
そう……
僕もそう思う……
というより、自分から話せるかどうか分からない……
トシは小さくため息をついた。
『……そうだね……。でも公になっていたら……嫌でも説明しなきゃならないし……』
問題はそこにあった。
『警察は……良くも悪くも身内には甘い。多分……。恥じゃないんだろうけど、俺たちが拉致されてなにをされそうになったかという報道はしていないと思う。暴行されたとかは報道してるかもしれないけどさ……』
考えるようにリーチは言った。
『うん……そう思いたいよ……』
するとまた病室の戸が開閉する音が聞こえ、トシが目を開けると北村が洗面器を抱えていた。
「隠岐、こんなんで良いかな。これで、とりあえずここで歯を磨けると思うんだけど……」
トシの膝の上に歯ブラシとペットボトル、歯磨き粉を入れた洗面器を置いた。
「水はペットボトルを買ってきたからそれを使ってよ」
言いながら北村が水の入ったペットボトルの口を開けていた。
「済みません……何から何まで……」
「いや、いいよ。それよりお前、歯ブラシ持てる?」
「え、大丈夫です」
震える手で歯ブラシを持ってトシは歯を磨いた。すると傷を負った手首に痛みが走り、そのせいで何度も歯ブラシを落とした。
見かねた北村が「磨いてやろうか?」と言ったが、トシは断った。
トシは口の中から血が出る程繰り返し歯を磨いた。だがそんなトシを見るに耐えられなかったのか、北村が歯ブラシを取り上げて言った
「もうそのくらいにしておいたほうがいいよ」
「……」
トシは仕方無しに口を濯いだが、何度濯いでも気持ち悪さが消えず、ペットボトルが空になるまでトシは口をすすぎ続けた。その様子に北村は何か言おうとしたようであったが、今度は何も言わなかった。
「それで……どうして北村さんが……」
一息ついたところでトシは北村に聞いた。
「ああ、その話がまだだったよな。俺達は和田を殺人容疑で追っていた。で、目撃者の証言であの工場跡を突き止めて、突入したんだ。そこで隠岐と和田を見つけたんだ。俺は捕まえるつもりだったんだけど、和田は俺に驚いたのか、最初からそうするつもりだったのか分からないけど、制止する暇を与えずに持っていた銃で自殺したよ」
淡々と北村は言い、ちらりとこちらの反応を窺う視線を送ってきた。
死んだんだ……
死んでしまったことに対し、別段何の感情もトシは起こらなかった。ようやく北村と話をしているが、まだ頭は物事をきちんと考えられないのだろう。
「……そう……ですか……」
「心配はいらない。やばそうな証拠になるものは俺が全部自分で持って帰った。隠岐を毛布でくるんで、他の人に見つからないように裏口から出て、待たせていた救急車に乗せたんだ。で、俺の親戚のおじさんがやっている病院に連れてきたんだ。で、おじさんに堅く口止めしてから神奈川県警に戻って俺の上司……植村さんにだけは話したよ。公になるのも困るだろ……。出来たら隠蔽……ってはっきり言えなかったけど、隠岐の名誉のためにも何とかして欲しいって言ったんだ。考え込んでいたけど、犯人は自殺してたし別に隠岐の事を公にする必要も無いしさ……あとで鑑識がなんか言ってくると思ったけど、その辺を植村さんに上手くやって貰えたらと思って……」
頭をかきながら北村は言った。
「でも……そう言うわけには……」
何も無かったことに出来るのかどうかトシには分からなかったのだ。
「俺も駄目かな……って思ったんだけど、隠岐自体が事件になってなかったから、追求はやめようってなったみたい。それに警察の威厳が落ちまくってる時だろ?特にうちは酷い失態ばっかやってるし……隠岐はいつもヒーローだったから、地に落とすわけにはいかないみたいでさ。一応、うちの植村さんと隠岐のとこの田原管理官がだいぶ話し込んでたらしいけど、何も無かったと言うことで納まったみたい」
にっこり笑って北村はこちらを向いた。その視線をトシは受け止めきれずにそらせた。
「でも私は……仕事を無断欠勤していることになっていたと思うんですけど……」
俯いたままトシは言った。
「交通事故にあって入院していたのを隠岐が連絡できなかったと言うことになったんだ。結果が不服なら……隠岐が管理官と話してくれよ」
相変わらず北村はこちらに視線を向けたまま逸らせてくれなかった。
「いえ……感謝しています。ゴシップ紙のネタになるのはゴメンですから……」
こんな目にあい、更に追い打ちをかけられるような事にでもなっていたら、自殺したくなったはずである。
『なあ、トシ……普通さ……こんな目に合った男ってもっとあっけらかんとしてないかな?女じゃないんだから……。お前の気持ちも分かるつもりだけど……利一として考えると……。辛いと思うけど……。お前が言えないんだったら俺が代わる……』
今まで沈黙していたリーチが言いにくそうにそう言った。確かにその通りだろう。
『……分かった。そういう風に振る舞うよ……』
弱々しくトシはそう返事した。
「本当に……散々な目に合いました」
トシは顔を上げると北村にそう言った。笑顔を必死に作ってトシは言ったはずだが、北村のほうは笑うこともせず真剣な顔でこちらを見ている。
「男にやられそうになるなんて……私もドジですよね……。どうも仕事を離れると警戒心が無いというか……。道を聞かれて答えていたところに鳩尾に一発当てられて……その辺の記憶がほとんどないんです。気がついたら、あの倉庫に手足縛られて動けなくなっていました。逃げようとしたのですが、出来なかったんです。刑事のくせにドジというか情けないというか……」
続けてトシは言った。どれだけ辛くても利一を忘れることは出来ないのだ。
「もう……いいよ隠岐……」
北村は苦しそうな顔で言った。
「え、でも馬鹿だと思いませんか?新人警官じゃないんですよ……私は……」
「言うなって言ってるんだ」
穏やかだが強い口調で北村は言った。
「済みません……不快な話でしたよね」
思わずトシはまた俯いてしまう。こんな風に北村から言われるのは初めてだったからだ。きっと気分が悪くなったに違いない。トシはそう考えて自分が話したことを後悔した。
「隠岐……さ、お前、自分が言いながら泣いてるの分かってるのか?そんなに苦しい嘘ならつかないで良い」
北村は持っていたハンカチでトシの頬を拭いた。
「確かに……隠岐は仕事も出来るし、頼りがいもある。でもそういうのってどっかで辛いことがあっても自分の心の底に押し込んでいるんだな……って、俺はいつも思ってたよ。頼られるばっかりじゃ疲れるだろ。泣きたいときだってあるだろうし、弱音を吐きたいときだってあるはずなんだよ。それなのに隠岐はみんなの期待に絶対背くことがない。そんな隠岐に対して俺はすごいなあと思う反面、しんどいときがあるんじゃないかってずっと思ってた。なにより隠岐には家族もいないしさ、はき出すところも甘えるとこも無いだろ?それって辛いよな……。だからさ、ここでは今俺と隠岐しかいないんだから、無理すること無いって。お前は優等生な分、こういう事って理解できないことだと思うからショックも大きいと思うんだ。だからショックはショックとして泣いて叫んで、怒っていんじゃないかな。その方が精神的にも良いはずだし、俺だって安心できるよ。変に悟ったみたいに言われると、大丈夫か?って反対に心配になる」
続けて北村は言ってハンカチをトシの手に握らせてきた。その北村のハンカチをトシはギュッと両手の中に包み込んだ。
『無理しなくて良いよ……俺が無理を言いすぎたんだ……』
北村の言葉を聞いたリーチが気まずそうに言った。
「ありがとうございます……」
トシは北村に心からそう言った。
「隠岐……知ってるのは俺とうちの植村さんと田原管理官だけだ。俺達は誰にも話さない。だから安心して良いんだ。和田も自殺してたからどこからもお前が拉致されていたことは漏れない。だけど、明日からは面会があるはずだから、お前は嫌でもしっかりしないと勘ぐられる。それだけは心に留めて置いてくれよ。辛くなったら俺にいくらでも言ってくれていい。頼ってくれて良いから……」
にっこりと笑って北村は言った。その言葉にトシは小さく頷いた。
「色々……ありがとうございました……」
「いや……だってな……俺は隠岐が好きなんだから、それ忘れないでくれよ」
鼻の頭を軽くかき、照れくさそうに視線を彷徨わせていた。
「北村さん……」
「さ、暫く寝た方がいいよ」
北村はトシの毛布をきちんと整えると、病室を出ていった。
『明日から面会か……田原さんが来るな……』
リーチはそう言ってため息をついた。
『うん……でも大丈夫だよ……』
今はそう自分にも言い聞かせないと気持ちが落ち着かないのだ。
『……代わってもいいんだぜ。何もなかったんだろ?だったら……』
何も無かったわけではない。もちろん、最後の一線は越えることはなかった。だが問題はそれだけではない。
まだ自分の身に残る和田の手の感触がトシにはあちこちに残っているような気がした。
『それは僕が嫌なんだ。だから当分僕は譲らないよ』
リーチであっても身体の傷やキスの跡を見られたくないのだ。
『分かった』
トシは脇机に置いた冷たくなったスープを無理矢理胃に流し込むと、目を無理矢理閉じ眠りにつこうとした。
だが睡魔はなかなかトシを包んではくれなかった。