Angel Sugar

「心の問題、僕の苦痛」 最終章

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「はは、ばれたか……」
「ば、ば、ば、ばれたじゃないよ!こ……こんなの……リーチに見せられないだろ!」
 顔を更に真っ赤にしてトシは言った。
「見せてやればいい?私は構わない」
「何言ってるんだよ!も……恭眞の馬鹿!」
「今日ばかりはな……自分の物だというあとをつけたかった。どうしてもな……」
 トシ抱き上げて幾浦は言った。
「恭眞……」
 じっと見つめてくるトシの瞳はいつも通りのものだった。それに満足しながら幾浦は言った。
「な、トシ……ここでやるか風呂に入るかベッドに帰るかどうする?」
「え……あ、ベッド……」
 小さな声で、だがよく聞こえるようにトシは言う。
「じゃ、戻ろうか」
 幾浦はトシを抱き上げたまま寝室に戻ると二人でベッドに倒れ込んだ。
「あのさ……これ以上は痕をつけないでよ……」
 狼狽えながらそういうトシが幾浦には可愛かった。
「いくつあっても同じだろう?」
「……だって……さ」
 もごもごとはっきりしない。
「考えてみろ、お前と会えなかった間、どうせトシの分をリーチがほとんど自分のプライベートとして使っていたのだろう?あいつも少しくらい名執と会わずにトシのプライベートとして返してもらえばいい」
 当然の権利を幾浦は主張した。
「……でも……さ。僕の事情だったし……」
 相変わらずトシは申し訳なさそうに言う。
「今日は私の好きにさせて貰うぞ。ずっとお前とやってないのだからな。酷いときにはお前を思いだして一人で自分を慰めたこともあった。あれは虚しかった……」
 苦笑しながら幾浦は白状した。
「僕を思いだして?」
 視線を幾浦から外さずトシは問いかけてくる。
「ああ、虚しかった……想う相手がいないのだから虚しい……」
 横向きに抱き合った状態で幾浦はトシの身体を愛撫し始めた。自然に絡められたお互いの足が、少しトシの気持ちが落ち着いている事を証明していた。この状態で最後まで幾浦は突っ走るつもりであった。躊躇することは出来ない。トシが何かを考える余裕を与えると、又、最初に逆戻りにする可能性があったからだ。
「あ……」
 背中から蕾へと指を走らせると、小さくトシは呻いた。幾浦にしてみればこちらも限界なのだ。早くトシの内側に己のモノを入れたいと下半身は最初からうずうずとしているのだ。そんなところにトシの手が触れた。薄い布の上から触れられた幾浦の物はびくりとしなる。
「恭眞……触って良い?」
「ああ……」
 トシの指が遠慮がちに幾浦のモノを包んだ。そっと絡められた指は幾浦にとって至福のようでもあり拷問でもあった。
「恭眞の……大きくなってる……僕に感じてるの?僕を欲しいって思ってくれているんだよね。そうなんだよね」
 嬉しそうにトシはこちらを再度見る。
「欲しい……トシ……お前が欲しい……」
 こちらの余裕も無くなってきた幾浦が掠れた声で言った。そんな幾浦のことに敏感に気付いたのかトシは自分の唇で幾浦の肌を愛撫し始めた。
 触れあう互いの体温が高くなってくるのが分かる。どちらの気持ちも高揚しているのだ。
「恭眞……僕も……」
 切なげな声が聞こえると幾浦の欲情は更に煽られる。だが慌てることなく、幾浦はトシのまだ堅い蕾を指先で何度も弄った。
「……あ……」
 暫く指先だけの愛撫を繰り返しているとトシの蕾はねっとりと柔らかくなってくる。
 もう少し……
 もう少しだけ……
 トシに痛い思いだけはさせたくないのだ。
「きょ……ま……あ……」
 荒くなった息のトシが瞳を潤ませてしがみついてくる。それが分かると幾浦はもう我慢が出来なかった。トシの腰を引き寄せて自分の猛ったモノを合図も無しに挿入した。するとトシは「ああっ」といって身体を弓なりにさせる。
「……あ……恭眞……」
 幾浦は何も言わずにゆっくりと腰を動かした。
 最初は聞いてから行動しようと思った。だがトシに合図を送ることで次の事を気負う気持ちが身体を硬直させてしまうかもしれない。だから幾浦は後半は何も言わずに自分の思うままにトシを愛した。
 トシの中は熱かった。熱く、きつい締め付けが更に幾浦の性欲を煽った。余裕を持って挑むつもりが、余裕が無くなっている自分に途中から気がついていた。だが、もうここまで来ると止められないのだ。トシの表情も先程と雲泥の差があった。歓喜の表情を浮かべ、自らも腰を動かしている。
「恭眞ぁ……」
 荒く息を吐きながらトシはそう言って笑みを浮かべた。こういう時のトシはリラックスしているのだ。
「トシ……愛しているよ……」
 そう言うとトシは瞳に涙が盛り上がってきたので、唇で拭いながら「これ以上猿になるつもりか?」と言った。
「さ……猿じゃ……な……い……あっ……」
 悩ましげに顰められたトシの眉が一層幾浦の腰に力を込めさせた。
「あっ……あっ……」
 頭をガクガクと上下に揺らしながらトシは何度も声を上げた。その声に幾浦は思わず口元に笑みが浮かんだ。ようやくトシを手の内に入れたという満足感があったのだ。
 最初はどうなるかと思ったが、こういう時はやはり何も言わずに抱きしめることが一番の解決方法なのだ。言葉はなんの慰めにもならない。身体を重ね合うことでしか癒されない事がたくさんあるのだろう。
 必死にトシは自分の身に起こった事を克服しようとしていたのだ。だが心と身体に深く刻まれた傷は簡単には癒えなかった。なによりトシ一人で克服することなど不可能なことだ。ずっと一人で苦しんできたのだろう。幾浦はそれを思うと苦しかった。退院してから悪夢にうなされていたかもしれない。いやうなされていたのだろう。
 今トシは完全にこちらに身を任せていた。だからといって幾浦は完全に安心したわけではなかった。事あるごとにトシは思いだし時にはこちらを拒否することもあるだろう。その度に出来る限り癒してやろうと幾浦は思った。
「トシ……トシも私を愛してくれるのだろう?」
「好きだよ……恭眞が……大好きだ……」
 酔ったような瞳でトシはそう言った。
「好きじゃなくて愛しているだ」
「うん。愛してる……恭眞だけ愛してる……」
 満面の笑みでトシはそう言った。
「トシの中は……熱くて……気持ちいいな……」
 そう言うとトシは照れたように身体をよじった。
「……やだ……も……変なこと言わないでよ……」
「そうやって話せるのは余裕があるのだな……」
 幾浦はそう言って更に腰を突き上げた。
「あっ……うっ……きょ……ま……っ」
 一瞬引いたトシの身体を逃さないように幾浦は足を掴んで腰揺らした。
「や…あっ………ん……あああっ……」
 弓なりになった身体を抱えながら幾浦は自分の快感も追い求めた。そんな中でトシのモノも同時に擦りあげる。その度に悲鳴のような声をトシは上げた。
 二人は久しぶりに交わることを堪能し、陶酔した。 

 夢心地の中でトシは目を覚ますと、幾浦の胸の中で丸くなっていた。気怠い身体であったが、満足感もあった。今まであれ程苦しみ悩んだことが嘘のようにすっきりとしていた。 より幾浦に寄り添おうとそっと身体を寄せたが、その動きで幾浦の瞳が開いた。
「ん……どうした?」
 良いながら幾浦の手は自然とトシの背に回る。
「もう少しひっつこうかなって思ったんだ」
「こんな風にか?」
 幾浦はそう言ってトシの身体を自分の上に乗せた。
「……うん」
 顔が火照りながらトシは言った。
「性欲が満たされるというのは気分が良いものだな」
「……何恥ずかしいこと言ってるんだよ……」
 幾浦がはっきりと口に出したことでトシは照れくさかった。元々生真面目な性格であるが故にこういう会話が苦手なのだ。
「愛している人と一つになる。これほどの満足感を味あうことが出来ることを、私はお前と出会うことで知ったんだ。だから余計に麻薬のような習慣性が出来ている」
 ふふっと意味ありげに幾浦は笑い、トシの背を撫でた。
「……僕は涼しい顔して、エッチなことを言う恭眞が信じられないよ。最初会ったときの恭眞の印象から考えられないもん」
「誰だって性欲はあるさ。周囲に話して回っているわけじゃない。お前だから言えるんだ」
 確かにそうなのだろうが、やはりはっきり言われるとトシは例え幾浦と二人きりであっても恥ずかしくて堪らない。
「ふ……ふーん」
 羞恥を誤魔化したようにトシは言った。
「なあ、トシ……お前から色々聞いた。その事はもう良いんだが……疑問がある」
「何?」
「どうして北村がお前達の面倒を見ていたんだ?私はあれが本当に気に入らなかった。いつもなら名執の役目であるから何とも思わなかったが、あれはかなりむかついたぞ」
 ムッとしたように幾浦は言った。
「……犯人を追いかけていたのは神奈川県警の一課だったんだ。それで北村さんに見つけて貰った。その上何もなかったように全部処理してくれて……。今回の件を知っているのは北村さんと神奈川県警の本部長……警視庁の田原管理官、それと病院の院長先生……そのくらいしか知らないんだ。だから北村さんが面倒見てくれていたんだ。北村さんには本当に迷惑かけちゃった……」
 トシは本当にそう思っていた。
 優しい北村は自分に気がないことを知っていても、態度は変わらない。
 本当に優しい男なのだ。
 だから申し訳がないとトシも思う。
「……理由は分かったが、気にいらん」
 ムッとしたように幾浦は言った。
「北村さんのこと……恭眞すごく嫌ってるみたいだけど……いい人だよ」
 その言葉に幾浦は更に不機嫌になった。
「いい人か……」
 チラリと幾浦の目線がこちらに向く。
「だから……誤解しないで欲しいんだけど……」
 肩をすくめてトシは言った。
「退院した日に……お前は北村と一緒に食事をしたんだな?」
 え……
 気付いていたんだ……。
「……し、知ってたの?」
 恐る恐るトシは幾浦に聞くと小さく頷いた。
「まあな……」
「……あのね恭眞……僕ねはっきり言うけど北村さんの事好きだよ。本当に優しくていい人だし……。でもね、僕が……その……愛してるのは恭眞だけなんだ。北村さんの気持ちを知ってる。でも応えられない。だからといって無下に出来ないんだ。考えてもみてよ、もし立場が逆だったら……僕が北村さんの立場だったら……すごく辛いよ。だって好きな人にいくらアタックしても応えて貰えないんだよ……」
 そう言うと幾浦は急にニンマリと笑みを浮かべた。その笑みの意味がトシには良く分からなかった。
「何、笑ってるんだよ……」
「愛しているのは私だけなんだな……」
 今更のように言う幾浦になんだかトシは腹が立った。分かっているくせにどうして北村にこだわるのかが分からないからだ。
「どうしてそんなこと聞くの?僕の気持ち……知ってるじゃないか。それなのに北村さんの事出して……」
「分かっていても、やはり気分が悪いんだよ。自分の愛している人に想いを寄せる奴がいるというのはな。それも相手がいい人だと始末が悪い」
 幾浦の言うことは分かるようでいてやはりトシには分からなかった。
「分かんないな……恭眞って……」
 トシは幾浦の胸に頬を寄せてそう言った。
「では私に北村のような人がいると言ったら、トシどう思う?」
 突然そう言われたトシは顔を上げた。
「えっ……いるの?」
 そんな話は聞いたことが無かったのだ。もしかすると聞かされていなかっただけなのかもしれない……。
「私は断っているが、私のことをいつも気にかけてくれる女性がいる。私のことを本当に愛してくれているのも分かる。だがその事に応えてあげられない」
「……」
 何となく嫌な気持ちになったが、トシは口にはしなかった。
「ほら、やっぱり嫌だろう?そう言うものだ」
 苦笑しながら幾浦はトシの頬を、大きな手で撫でてきた。
「……ね、僕の知ってる人?」
 少しだけ……ほんの少しだけ気になったトシは聞いてみた。
「あ、そうだな。知っているな」
「誰?」
 急にトシは心配になった。
「まあ、それはいいとして……」
「はぐらかさないでよ。ね、教えてくれないの?」
 知らないのは不公平だとトシは思った。
「だから会ったことがあるだろう」
 会ったこと?
 恭眞を気に掛けている人で、しかも女性で……
「え……あーーっ……もしかして恭眞のお母さんのこと言ってる?」
「そうだ」
 ふふふと笑って幾浦は言った。
「……狡いーーー!」
 なんだか騙されたような気になったトシは叫んでいた。
「だが事実だろう?」
 幾浦はそう言って煙草を一本くわえて火をつける。トシは幾浦のその姿が大好きであった。
「そうだけど……あのさ、冗談じゃなくて……その、恭眞にそういう人いるの?」
「どう思う?」
 なんだか嬉しそうに幾浦は言った。
「いるんでしょ?」
 これだけ男前の幾浦に誰もいないのはおかしい。トシはどうあっても問いつめるつもりだった。それが嫉妬だと言うことをトシは気付いていない。だがトシの姿に満足している幾浦のことも分からない。
「いないよ」
「……嘘だっ!」
「どうして嘘だと言うんだ?」
「知ってるもん」
「何を?」
 不思議そうな顔で幾浦は言った。
「僕は恭眞の会社で一週間ほど働いたでしょ?そのときいつも恭眞の方を見ている女性がいた。あの人はどうなったんだよ……」
 とにかく幾浦にはあちこちの女性の目が向かっていたから、トシも誰をさしていいか分からなかったが、適当に言えば幾浦が白状してくれるのではないかと考えた。
「あ、ああ。そうか……」
 そう言って幾浦は誤魔化すように煙草をふかした。
「ものすごく綺麗な人だった……何時もその人の視線は恭眞を追ってた」
 一人じゃなくて数名いたけど……さ。
 複雑な表情でトシは言った。
「彼女は専務の秘書だよ。とても優秀な人だ」
 それだけなのかどうか幾浦の言い方では分からなかった。
「……」
「不服そうだな……」
「それだけ?」
 更に出てきそうな気がして仕方がない。幾浦は寡黙で無口なタイプだが、頼りがいのあるタイプなのだ。仕事も出来る。そんな男性を世の女性が放っておくとは思えない。
「……ま、お前もきちんと話してくれたのだから、私も話すが……。お前を初めて抱いた日に……つき合っていた女性とは別れたと言ったのを覚えているか?」
「そういえば叩かれてたよね……。あんなに綺麗な人をふっちゃったの?」
 そうトシが言うと幾浦はむせて咳き込んだ。
「お前は馬鹿か。お前の事を愛したから、彼女とは別れたんだ。そのくらい分からないのか?」
 まだ小さく咳き込みながら幾浦は呆れていた。
「……でも……優しくて……綺麗で頭が良くて……完璧な人じゃない……なのにどうして僕を選んだのかなって……だって、絶対おかしいと思うから……」
 だって僕は男で……
 綺麗でもないし……
 可愛くもないし……
 と、うじうじと考えてしまうのがトシだ。
「どうして優しいと分かるんだ?」
「え、あ、時々お茶を入れてくれたんだ。長浜さん……。お疲れでしょうとか言って飴とかも貰ったし……」
 思い出すようにトシは言った。
「餌付けされてどうするんだ」
 幾浦はたいしたことではないように笑う。
「……分からないよ……どう比べても長浜さんの方がいいよ……」
「お前は私に二股をかけろと言ってるのか?」
 またムッとした顔になる幾浦は怒っている訳ではなさそうだった。
「そうじゃないけど……けどさ……」
 だんだん言葉が小さくなってくるトシに幾浦が言った。
「確かに……いい奥さんになってくれただろうな。だが、私は彼女よりトシを選んだんだ。私にとってお前だけが大切な人だ。僅かな時間でも会いたいと思い、会えば抱き合いたいと思ってる。そして、アルが初めて認め、トシをこのマンションに入ることを許してくれたんだ」  
「?アルが認めたってなに?」
 トシは怪訝な顔で聞いた。
「あの犬はこのマンションに入る私の友人達を入り口から中に入れないんだ。入ろうとすると牙を剥き出して戦闘態勢を取るんだよ。何人か噛まれそうになったほど、アルはこのマンションに他人が入ることを嫌うんだ。私は最初テリトリーを守るために、他人に攻撃的になるのだと思ったのだが、お前だけは違った。だからトシはアルに認められたと言ったんだ。ま、大抵そんなアルの所為で人を家に呼ぶことは無かったのだが、あのときはアルが反抗したら、首輪に鎖をつけて繋いでやるぞ、とまで覚悟していたんだ。だがあっさり家に入ることを許してくれた」
 幾浦も不思議そうな顔で話してくれた。飼い主に分からないこともあるのだろう。
「……どうして僕だけ大丈夫だったんだろ……」
「さあな。だがアルにも分かったんじゃないか?お前が鈍くさくてほっとけないタイプだとな」
 くくくと笑いながら幾浦は言った。
「あーもー……どうしてそれがプラスになるんだよ。鈍くさいとかほっとけないとか……僕だって……しっかりして……」
 と、言いかけたが、今回の事件を思い出して自分がそうでなかったことに気がついた。「トシ……そうだな。お前はしっかりしてるよ」
 幾浦はトシが何を今思い出したのかが分かったようにそう言った。
「ううん……僕はやっぱり鈍くさくて馬鹿なんだ……」
 幾浦の胸に顔を埋めてトシは言った。そんなトシの頭を幾浦はそっと撫でた。
「トシが彼女と……いや、今までつき合った人と違うのは、本当に美味しそうにご飯を食べるところだ。感情表現が豊かなんだ。それに何事にも一生懸命になるところ、一見完璧そうに見えて、何処か抜けている。可愛らしい鈍くささ……。純粋で真っ白なところ……人と競おうと考えないところ……他にも色々あるが、全部ひっくるめて私はお前に参っているんだ」
 思い浮かぶトシの良いところを幾浦は言ってくれているのだろうが、あまり嬉しい言葉が含まれていなかった。
「何処か抜けてるとかって……良いのか悪いのか分からないなぁ……」
「そうか?ま、いいんじゃないか。理由はどうあれ私がお前を愛しているんだからな。じゃあお前は私をどう思ってるんだ?」
「恭眞は……色気があるよ……」
 トシがふと言うと幾浦は又むせた。
「お前……何を行っているんだ。色気があるのは名執のような奴を言うんだ」
 慌てたように幾浦が言う。よほど驚いたようなのだが、トシは本当にそう考えているのだ。
「雪久さんとは違うよ。雪久さんはね。色っぽいんだ。中性的な綺麗さっていうのか……うん。雪久さんは綺麗なんだ。でもね、雪久さんが本当に綺麗に笑うのはリーチにだけだよ。あの笑みを見たら普段の雪久さんの笑顔はちょっと嘘っぽく見える。それほどリーチには綺麗に笑うんだ。恭眞の場合は男の色気を感じるって言いたいの」
 得意げにトシは言った。
「……気持ち悪いな。色気があると言われると」
 複雑な笑みを幾浦は浮かべた。
「煙草を吸っている時とか、じっと考え込んでる恭眞が色っぽく見える……。僕ね、恭眞と初めてあったときから何となく気になってたよ。ちょっと怖くて……だって寡黙で、あんまり話をしなかったでしょ。それが怖かった。でも自分の部下がミスしたとき、責めずに一緒に残業してた……僕にはそんな恭眞にすごくいいなって思ったんだよ」
 にこにことトシは思い出を語った。
「そんなところをいつ見たんだ?」
「内緒」
「おかしな奴だな……」
 嬉しそうに幾浦はそう言った。
「気になるとさ、恭眞が側で手伝ってくれているだけでもドキドキしてた。でもそんなの顔にも出せないし……確かにリーチ達を見ていて別に何とも思わなかったけど、やっぱり男同士っていうの不自然だと思ったから……恭眞に何も言えなかった」
 更に幾浦にすり寄りトシはつぶやくように言った。
「私の方は……結果がどうあれお前をものにしたかった。そんな自分自身にとまどいながらも、賭にでた。結果は良い方に向いたが、あれで嫌われていたら暫く立ち直れなかっただろうな……」
「恭眞……好きだよ……」
 頬を幾浦の胸に押しつけ、染み込むような体温を受け止める。この温かい抱擁を失ったら生きていくのが毎日地獄になるんだな……と、トシは心の底から思った。
「今度からは何があっても必ず話すんだぞ。で、つかぬ事を聞くが……」
 ゴホッと咳払いをして幾浦は言いにくそうに言葉を濁した。
「何?」
「……あ……その……いや……いい……」
「何だよ……途中で止めないでよ……気持ち悪いよ……」
 ちらちらとこちらに視線を落としてくる幾浦にトシは何が言いたいのか想像が付かなかった。だが言いにくいことを聞こうとしているのだけは分かる。
「……」
「言って!」
 再度聞くと重い口を開いた。
「……北村と寝たのか?」
「……きょ……恭眞っ!そんなことするわけ無いだろうっ!僕は……こういうのするの恭眞だけなんだからねっ!」
 顔を真っ赤にしながらトシには珍しく怒鳴った。
「……まあ……あ……その……だなあ……」
 頭をぽりぽりかきながら幾浦は天井を眺めている。
「あの……犯人にだって……僕……最後までされてないし……」
「えっ?」
「えって何?」
「いや……その……じゃあ死んだ男とは……何をやったんだ?」
「何だよその言い方っ!やめてよ!あいつは僕の身体中なめ回したんだっ!僕……どれだけショックだったか分かる?すっごい……すっごいショックだったんだからねっ!」
 涙がまたこぼれ落ちたトシだったが、それでも踏ん張りながら言った。
「そうか……いや……悪かった……」
 言いながら幾浦はトシの身体をぎゅうっと抱きしめてくる。何故だか幾浦がホッとしているように感じられた。
「恭眞……それでさ、何時から転勤?」
 聞きたくなかったが、トシは聞かされるまで待てなかった。
「あつっ……」
 口にくわえていた煙草の灰を肩に落とした幾浦がトシを離してぱたぱたと手で払った。
「お前は人の話を聞いているのか?私はお前の側にいると言っただろう。返事はまだしていないのだから転勤を断るに決まっているだろうっ!」
 あ……
 そうか……
 でも……
「僕……本当に恭眞の側にいて良いのかな……」
 かすれるような声でトシは言った。
「馬鹿な事をいうな」
「だって……僕は……恭眞の出世……滅茶苦茶にしてる……」
 自分がいなければ幾浦はもっと違う道を進んでいたに違いない。それが良いのか悪いのかトシには分からなかったが、気がかりに思っていたことだ。
「言っておくが、私は出世するために働いているわけではないぞ」
「僕がいなければ……恭眞は出世できるはずだし……出合わなかったら……恭眞の両親も悲しませることが無くて、きちんと結婚して……そう思うと……」
 何度も考えた。
 トシ自身は後悔をしないと誓った。だが当の幾浦が今、どう思っているのか分からないのだ。
「くだらんこと言うな。考えるな。そんなことを言われても私はちっとも嬉しくない。それより腹が立つ。ではなにか?私と出会わなかったら北村とつき合えたのにとでも言いたいのか?」
 何故か茶化すような幾浦の口調だった。
「ち……違うよ!どうしてそうなるの?」
「お前は何故そんなことを言うんだろうな。相当な覚悟が無いと男とはつき合えないと思わないか?一番お前を優先したかったから、そのほかの何もかもが二番になっているんだ。全く……。そんな事より、愛してると言ってくれるだけで充分なんだが……」
 その言葉はトシの心を温かくした。
「恭眞……」
「なんだ?」
 大好きな幾浦の瞳がこちらを向いている。
「……その、愛してるよ……。だから……」
 この世でたった一人、僕自身を見て愛してくれる人がいる。
「だから?」
 瞳を細めて笑う幾浦の仕草がトシはとても好きだった。
「一杯迷惑かけるけど……それでもいい?」
「トシこそ私に隠し事はしないこと。回り道するのは今回だけだ。いいな?」
 安心感を含んだ抱擁をくれるのは幾浦だけだ。
「うん……」
 抱きしめられ、それに応えるようにトシも自ら手を回して幾浦に身体を添わせた。

 回り道は一度だけ。
 歩いていこう……
 二人で……
 辛くて泣いてしまうことがあっても……
 苦しくて言葉が出なくなったときも……
 いつだって受け止めてくれる人がいる。
 もう苦しくない……
 悲しくもない。
 大好きな人が側にいてくれるから……
 支えてくれるから……
 僕はもう大丈夫だよ。

「お腹空かないか?」
 ふと幾浦が言った。
「なんか食べたい……すごくお腹が減ったよ」
「シャワー浴びてから何か食べようか?」
「うん」
 心の底からの笑顔をトシは幾浦に向けた。

―完―
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