Angel Sugar

「唯我独尊な男5」 第1章

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 朝、珍しくニュースの画面に目が止まった。
 普段ニュースなど、あまり真剣に見ない。真剣に見たところで内容はいつも似たようなものだからだ。
 殺人、汚職、交通事故、自殺、虐待、失踪。
 最近のニュースに並ぶ文字のほとんどが殺伐としたものばかり。人々は驚き、また同情して目頭を押さえ、自分がそれらの事件と無関係なことに感謝しつつ、テレビの向こう側のことだと割り切り、変わらない日々を送る。
 それでも悲惨な事件も似たようなものが続くと、見慣れて無関心になる。どれほどの惨事も、視界に映り流れていくだけの画像となるのだ。
 幾浦恭夜もその中の一人だった。
 だが今朝は違った。
「……あれが犯人?」
 画面には意外に若い男が映し出されていたが、両側にいる捜査員が途中から上着を頭から被せて顔を隠した。
 男は「俺じゃない」としきりに叫んで、捜査員に抵抗しているものの、あっという間に黒いワゴンに押し込められて、去っていく。
 恭夜は他のチャンネルでこのニュースがやっていないかどうか見てみたが、どれも車に乗せられて去っていくものばかりで、新しいものはなかった。
 以前、ショッピングセンターが爆破され、当時その地下で買い物をしていた恭夜は例外なく巻き込まれた。
 建物の左右にオープンカフェがあって、入口が内部に作られており、一階部分を支える鉄骨が少なかった。そのため、鉄骨の少ないカフェが爆破で崩れたことで、上部の階が建物の重みに耐えきれず、一気に下へと崩れたのだ。
 そのためショッピングセンターは全面がナイフで切られたように崩れ落ちたが、後ろの部分はビルの形をとどめていた。だから死者は地下の食料品売り場の階に集中していた。
 だが、恭夜は非常階段の下に作られた薬局にいて、助かった。階段の構造が強固だったために、そこは崩れずにすんだのだ。
「キョウ、何を朝から見ているんだ。さっさと朝飯をすませないと、仕事に遅れるぞ」
 恋人のジャック・ライアンが、リビングでテレビに釘付けになっている恭夜に言う。
「あ……でもほら、ジャック。以前さあ、俺が巻き込まれた、ショッピングセンター爆破事件ってあっただろ。あれの犯人が捕まったってニュースがやってるんだけど、あんた知ってた?」
「ああ。そんなことより、食べるのか、食べないのか?」
 ジャックは興味なさそうにそう言い、キッチンへと向かう。
「……食べるよ」
 恭夜はローブ姿のまま立ち上がり、ジャックの後を追ってキッチンに入った。
 テーブルにはすでに熱いコーヒーがカップに注がれ湯気が漂っている。カリカリに焼いたベーコンと目玉焼きは、軽くトーストされたフランスパンに添えられていた。
「なあ、ジャック。あんた、知ってたって言うけど、じゃあ昨日の晩からあのニュースってやってたのか?」
 椅子に座ってカップを手に取った恭夜は、斜め前に座ったジャックに聞いた。
「まあな」
 ジャックは機嫌悪そうに眉間に皺を寄せる。
 それでも彼の美貌は決して輝きを損ねないのだから、不思議だ。
 恐ろしく整った顔立ちに、肩より少し長い金髪は煌びやかで、薄水色の瞳は老獪さが窺え思慮深い。
 そんなハリウッドスター並みの容姿を持ちながら、ジャックはもとはFBIのアカデミー行動科学課に所属していた男で、現在はフリーの交渉人だ。
 その業界では名実共にナンバーワンで、交渉を引き受ける金額も相当な額らしいが、依頼が絶えることはなかった。
 ただ、現在のジャックは、日本の科警研で講師の仕事をしている。恋人である幾浦恭夜と暮らすために、生活の基盤を日本に置いているのだ。そのため交渉の仕事はかなり制限しているようだった。
 それでも仕事の引き合いが多く、よほど断れないものであればジャックは重い腰を上げる。
 また、交渉人という特殊な仕事であるためか、たいてい連絡を受け取ってすぐに出かけていくことがほとんどだ。そしていつの間にか帰宅している。
 だが、ここしばらくジャックは仕事を引き受けることなく日本にいて、恭夜ともに仕事にでかけ、恭夜にあわせて帰宅していた。
 ようするに恭夜の送り迎えをジャックがしていくれているというわけだ。そのためもともとジャックの勤務時間は十時~四時なのだが、恭夜にあわせているために、九時~五時半と伸びている。
 恭夜は科警研の法科学第一部生物第三研究室で仕事をしていた。血液や唾液、尿などの体液斑痕から、その種類の判定や血液型を検出するための研究と、それらを応用した鑑定を行っている。
 そんな恭夜の仕事は残業もあるため、ジャックを待たせることもしばしばあった。
 先に帰ってもいいと言っても、ジャックは自分のオフィスでなにやらごそごそと仕事をしていて、恭夜が終わるのを待っている。
 そう、帰国してからというもの、驚くほどジャックの過保護ぶりが加速しているのだ。
 その理由も分かるし、ジャックが神経質になるのも分かる。けれどこうもべったりだと恋人とはいえ、息が詰まりそうだ。
「なあ……ジャック。もう送り迎えはいらないって。あんたが心配するのも分かるけど、サイモンさんはもう帰国してるんだから、大丈夫だって」
 二ヶ月ほど前、恭夜はジャックの知り合いだという連中に拉致された。といっても酷い扱いを受けることなく解放された。そこで何があったのか、恭夜はよく覚えていない。
 一ヶ月ほど前には、公式に発表はされていないが、アメリカの副大統領が人質に取られ、ジャックが交渉人として向かった事件があった。
 そんなジャックの留守を狙うかのように、ライアン家の執事であるサイモンが自宅へやってきて、恭夜を拉致しようとしたのだ。だが友人であり、警視庁捜査一課強行犯三係の隠岐利一(おきとしかず)の助けもあって事なきを得た。
 とはいえ、サイモンのこともあってか、恭夜はアメリカで仕事をしていたジャックのもとへと連れて行かれた。
 アメリカに着いてからも大変だったのだ。
 立て籠もり犯は恭夜と人質の交換を条件に出してくるし、ジャックは肩を撃たれて怪我を負うし、同じように恭夜も左上腕部を撃たれて怪我を負った。
 アメリカで仕事をしているジャックに付き合わされると、さんざんな目ばかりにあっているような気がする。
 とはいえすでに怪我は完治して傷口も塞がっているし、無事に日本に戻って来られた。
 日常はいつになく心地よく訪れ、なんの問題もなく日々を送るはずだった。けれど事件がすべて終わったというのに、ジャックはそれ以来、とても神経質になっている。
「ジャック、無視すんな。俺は大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫だっ! 俺、二十五の大人だぜ。一人で通えるに決まってるだろ」
「却下だ」
 ジャックはあっさりとそう言い、恭夜とは違い食事を終えて、口元をナプキンで拭っている。
「ここはアメリカじゃねえんだぜ。そんなに心配することなんてねえよ」
「さっさと食べないと、着替える時間がなくなるぞ」
 言われて恭夜は慌ててベーコンや卵を口に放り込み、モグモグと咀嚼した。
 まずは無言で食べることに専念しながら、ジャックの様子を窺う。
 ジャックは新聞を読み、相変わらず不機嫌な様子で眉間に皺を寄せている。何か気に入らない記事があるようには見えないが、楽しくはないようだ。
 ジャックだけが知る何かがそうさせているのだろうか。それが恭夜に関わることならなおさら、一番知らされてもいいはずの恭夜に対して情報は知らされないだろう。
 それが恭夜のためだとジャックが信じているからだ。
 本当に腹立たしい男だ。
 恭夜は口の中のものを飲み込むと、パンをちぎって頬張り、モグモグと噛んだ。
 朝食はいつもどおりで手を抜いている様子もなく、喫茶店で飲むコーヒーでは足元に及ばないほど、ジャックが淹れるコーヒーは美味い。
「……食ったぜ。それでさっきの話にもどるけど……」
 パンくずがついた手を払いながら、恭夜が話を蒸し返そうとしたが、ジャックは聞く耳持たずに立ち上がり、キッチンから出て行った。
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