Angel Sugar

「唯我独尊な男5」 第5章

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 もしかしてジャックからいろいろ聞いているのだろうか。
「……あの……あのさ。俺のこと……その……ジャックからいろいろ聞いてるとか?」
「いえ。私が知っているのは、ほんの少しですよ。以前も話しましたけど、恭夜さんがショッピングセンターの爆破事件に巻き込まれたときに少し。ちょっとした事件に巻き込まれて記憶障害を持っているというくらいですよ。だから心配しているんじゃないですか」
「……そか。でさ、兄貴はどの程度知ってるのかな?」
 恭夜は恭眞とその話をしたことはない。
 事件に巻き込まれていたとき、暫く連絡が取れなかったことの理由を恭夜からはうまく話せていない。ただジャックが二人で濃密に暮らしていたと説明してくれているため、恭眞もどことなく不審を抱きながらも、一応信用してくれているようだ。
「私からは何も。これは恭夜さんが直接話されることですし、余計な心配をかけたくないのなら言わなくていいと思いますよ。もちろん、いつだってお兄さんは恭夜さんのことを心配されていますから、その気持ちは分かってやってくださいね」
 それは言われなくても分かっている。
 兄は恭夜とは違い寡黙な男だが、家族や友人をとても大切にする。今までもどれほど助けてもらったか分からない。精神面だけでなく金銭面も。
 そんな兄に全てを告げられないのは辛いことだ。
 だが、知れば互いに目を合わせることすら苦しくなるだろう。知らなくていいことも世の中にはある。
「分かってる。いい兄貴なんだ……」
「でも、ジャック先生にいつも弄られてますけどね。どうしてお兄さんはあんなにジャック先生に弄られるんでしょうか。嫌いなら無視すればいいんですよ。そのほうがジャック先生らしいじゃないですか」
「ジャックは兄貴をあれで気に入ってるんだよ。別に弄り回そうって気はないと思うぜ。なんていうか……ジャックって好き嫌いをはっきり態度に出すタイプだから、嫌ならブリザード級の無視だぜ。つうか視界から抹殺してるって」
 もちろん最初は恭夜もジャックが恭眞を気に入らないのだと思っていた。
 けれど正月にはどういう挨拶をして何を持っていくのかと、ジャックは真面目に調べていそいそと準備をするのだ。
 いくら恭夜の兄だからとはいえ、あのジャックが嫌いな相手に対し、そんなことはしない。
 気に入られたいという気はないようだが、嫌いというわけではないのだ。
「……それじゃあ、気に入らなくて無視してくださる方がよかったのかもしれませんよ。最近じゃ、ジャック先生のジャの字が出ただけでも胃を押さえるんですから」
 仏頂面の恭眞が胃を押さえて、顔を歪めている姿がありありと想像できて、思わず笑いが漏れた。
「まあ生真面目な兄貴からすると、ああいう自己中で傲慢な男は合わないだろうな。仕方ねえよ」
「……ジャック先生に合うのは恭夜さんだけですよ。……あ、もうこんな時間ですね。そろそろ帰りましょうか」
 そう言われて、恭夜はもうすぐ十一時になることに初めて気付いた。
「……ああ、本当だ。もうこんな時間だよ……。でもあと一時間くらい……」
 久しぶりに利一に会ったからか、ただ話しているだけなのに、時間が経つのが早い。
「駄目です。ジャック先生は十一時には店を出るようにとおっしゃっていたでしょう? それに私が自宅マンションまできちんとお送りすることを約束していますからね」
 利一はそういって伝票を手に取ると、立ち上がった。恭夜も渋々腰を上げ、上着を羽織った。
「全然酔いが回ってねえよ……もうあと二杯は飲むつもりだったのにさ」
「今から帰っても十二時ですよ。恋人のいるひとの夜遊びにしては、遅い時間です。これを許してくれたジャック先生にちゃんと感謝しなくては……ね」
 精算はもちろんワリカンですませ、二人で店を出る。時間は十一時になるころだったが、通りには人がまだあちこちにいて、夜のひとときを楽しんでいた。
 利一が通りに出てタクシーを停めようと手を挙げている姿を、恭夜はガードレールに凭れて眺めていた。
 頬を撫でる風はひんやりしているものの、少し火照った身体には心地いい。
「恭夜さんっ!」
 利一の警告とも取れる叫び声に、恭夜は我に返ったが、同時に誰かに腕が掴まれ、あっという間に身体が引きずられた。自分の脚で踏ん張ろうとしたが、引っ張られる力が強くて、だらしなく引きずられている。
「――――なっ!」
 恭夜を掴んでいる男は二人いて、どちらも白いシャツに黒のスラックスという、取り立てて目立つ格好はしていない。だが大柄で筋肉質な身体をしていて、日本人にはない浅黒い肌をしているところを見ると西アジアから南アフリカにかけての人種だ。鼻の下や顎に短い髭を生やしていることから、アラブ人かもしれない。
「恭夜さんっ!」
 利一の鋭い声が再度飛ばされ、恭夜は我に返った。
 道路の端に停められたワゴンは紺色で、スライド式のドアがすでに開けられている。そこから顔を出している男は手を伸ばし、恭夜を引きずり込もうとしていた。
 振り払おうとしても掴まれている手は緩まない。さらに悪いことに恐怖が身体を支配して、力が抜けていくのだ。
「なっ……なんだよお前らっ! 放せよっ! 放せよっ! 隠岐っ!」
 利一は自分を恭夜から引き離そうとした男を倒すと、驚くべき早さでワゴンに駆け寄って、スライド式のドアを蹴り閉めた。ワゴンから身体を乗りだしていた男は勢いよく閉められたドアに挟まり絶叫を上げ、そこでようやく恭夜を掴んでいた男が掴んでいた手を離して、利一に向かっていく。
 恭夜はすぐさま利一に加勢しようとしたが、尻もちをついたまま腰が抜けたように立てず、指先から急激に血の気が引き、心臓から痛みが走った。
「……っ」
 利一が声を上げているが、恭夜は聞き取れなかった。それよりも突然襲ってきた胸の痛みに、恭夜は蹲った。
 ……身体が……変だ。
 耳に伝わるのは自らの鼓動のみ。
 手足が冷たくなっていき、感覚が失われていく。
 恐怖が身体を包み、理由は分からないが、息苦しくなってきた。
「恭夜さんっ!」
 戻ってきた利一が道路脇に蹲る恭夜を覗き込んでくる。だが恭夜は息が吸えずに、必死に喘ぐので精一杯だ。
「胸……胸が痛い……お……隠岐……息……息が……できない……っ!」
 心臓がいつもと違う鼓動を体内で響かせ、それは早かったり遅かったりとリズムが狂っている。同時に胸から伝わる激しい痛みから、息が吸えない。
 心臓に何か原因があるのだろうか。
 それとも自分で気付かないだけで、どこか怪我を負わされているのだろうか。
「胸が痛いのですか? 刺されたりしていませんね?」
 利一が恭夜の上着を引き剥がし、シャツの上から怪我はないか確かめている。その手の温もりすら、恭夜に伝わらなかった。
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