Angel Sugar

「唯我独尊な男5」 第4章

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 利一との約束をジャックは渋い顔をしていたが、駄目だとは言わなかった。相手が利一だから安心してくれたのか、それとも恭夜が何度も行くと言い張ったから、折れてくれたのか分からない。
 それでも行きはジャックが送ると言い張り、帰宅は迎えの連絡をするか、利一に送らせるようにと強く約束させられ、恭夜はジャックの言うことを素直に聞いた。
 本当に何処のガキだよと呆れるくらいの過保護ぶりだが、素直に聞かずに文句を言って、やはり外へは出せないと言葉を翻されるよりましだろう。
「……ジャックはさ、心配しすぎなんだよ。アメリカは銃社会だから、街中を歩くことにも神経を使うけど、ここは日本だぜ。そうそう危険な事なんてねえだろ」
 恭夜が機嫌良く二杯目のビールを空けて、つまみの枝豆を口にする。
「少し前に拉致された事件を忘れたんですか?」
 前に座る利一はアルコールではなくオレンジジュースを飲んで、おでんをつついていた。利一はいつもノンアルコールの飲物を飲んでいて、恭夜は酔った姿を見たことがない。
「……ていうか、隠岐がアルコールを飲まないのは、もともと飲めないからか? それともいつでも事件に向かえるように飲まないのか?」
「え……あ~……飲めないわけじゃないですよ。ただ、随分前に、酷く酔っぱらって警察手帳を落としたことがあるんです。それ以来、自粛してるんですよ」
 利一は苦笑しながら鼻の頭を掻く。
「自制しながら飲めばいいんじゃん」
「それもできないわけじゃないんですけどね。そのとき減棒をくらったんですが……本当に骨身に沁みました。以来、外では飲まないことにしているんです。すみません、飲む相手としては面白くないでしょう」
 嫌味ではなく楽しそうに利一はそう言ってクスクスと笑った。
「そんなことねえよ。俺は隠岐と友達になれてよかったって思ってるんだからな。信頼できて心から頼れる奴ってあんま、いねもん」
 利一は可愛い顔をしているため、一見すると頼りなさそうにも見えるが、話すと分かる年齢にそぐわない落ち着きを持っている。
 どんな大事件に出会っても利一は柔軟に受け止め、受け流す。殺伐とした殺人課という中にあっても、利一は自らの感情で人を振り回すことなく、いつも同じ笑顔で笑える男なのだ。
 頭もいいし、恭夜のようにどちらかというと人付き合いが下手な相手にも、話していて楽しいと思わせる話術を心得てくれている。何に巻き込まれても助けてくれるし、無理難題をジャックから告げられても、簡単に逃げられるはずなのに、悪態をつきながらも付き合ってくれる。
 友達として最高の男だ。
「そうやっておだてても何も出ませんからね。それともまた問題を抱えてるんですか?」
「問題かあ……今は特にねえな~。ジャックはずっと不機嫌だけどな」
 日常は相変わらず淡々と過ぎていくし、両親は健在。兄の恭眞も元気だ。友人とこうやって会って美味い酒も飲める。問題があるとしたら、神経質になっているジャックくらいだろう。
「……変なことを聞きますけど、いいですか?」
 利一は意味深な目つきを向けた。
「なんだよ」
「……夜の生活、うまくいってます?」
 その問いに恭夜は思わず、三杯目のビールを吹いた。
「だっ……大丈夫ですか、恭夜さんっ!」
 ナプキンを差し出し背を撫でる利一に、恭夜は怒鳴った。
「げほっ……ごほっ……おっ……お前が変なことを聞くからだよっ!」
「だってジャック先生が不機嫌だとおっしゃるからですよ」
「……べ……別に、そんな理由じゃねえよ」
 浮かした腰を下ろして恭夜は渡されたナプキンで口を拭った。
 ジャックはどれだけ機嫌が悪くても、夜はしっかり恭夜をベッドの上で喘がせる。
 ネットリと濃いセックスは何処までも甘美だ。
「ならいいんですけど……いえ、よくないですよ。そういう理由じゃないとしたら……科警研に通勤する恭夜さんに危険があるかもしれないから、ジャック先生が送迎されてるってことですよね?」
 ジロリと横目で見つめられ、恭夜は肩を竦めた。
「かもしれないけどさ……」
「ジャック先生は恭夜さんのことに対して、理由なくそういう行動をされませんよ。あ、もちろん理解不能な行動も多々ありますし、よく意味不明な言葉を口にされて、会話が通じなくなりますけど……ジャック先生の頭の中では筋が通っているんですよね」
 利一の言葉に今は笑えない。
 何か危険があるかもしれないから、ジャックは不機嫌で神経質になっているのだ。
 分かっている。
 だが認めたくない。
 認めたら、見えない恐怖によって、自宅から一歩も出られなくなる。
「分かってるって」
「ホントですか~?」
 からかうような口調でありながら、利一の目は笑っていない。
「……なんべんも同じ事をいうなよ」
「ねえ、恭夜さん。冗談抜きで、真面目な話。狙われる理由が何かあるんでしょう?」
「……そりゃあ……あるんだろうけど」
 恭夜は覚えていない記憶に原因があることだけは分かっている。分かっていても、原因になっている記憶が蘇らないのだから、どうしようもない。
「私……恭夜さんとはまだそれほど長い付き合いではありませんが、危険が伴う相談にものれる程度の付き合いはしているつもりだと勝手に思ってるんですが」
 利一が言わんとしていることは恭夜も分かっている。
 恭夜だって上手に説明できるのなら、もっと早くにしていただろう。
 ただあの事件を語るときどんな目に遭わされたのか。
 自分が輪姦されたことを告白することは、どれほど親密な相手であっても恭夜にはできない。
「……うん」
「無理にとは言いませんけどね」
 残念そうではあるが、利一はいつもの笑顔を浮かべていた。
 利一が本当に恭夜の力になりたいと考えてくれていることが、ヒシヒシと伝わってくる。
「いや……その……俺もよく分からないんだよ。ただ……以前、アメリカにいたときちょっとした事件に巻き込まれてさ。……なんていうか……結構酷い目に遭ったから、そん時の記憶が……俺、あんまり残ってねえんだよな。でもさ……その記憶に何か問題があるらしくて……知りたい奴らが寄ってくるって感じかな。……うまく説明できないんだけどさ」
 言葉を選んで恭夜は利一に話した。
 勘の鋭い男だから、回りくどい言い方をしても気付かれるかもしれない。
 なのにこうやって話しているのは、それだけ利一を信頼しているからだ。
「……知りたい奴らが寄ってくる感じって……感じってなんですか……」
 言い方が可笑しかったのか、利一は苦笑している。
「う~ん……。俺もうまく言えねえんだけどさ。ようするに俺がなんだか不味いことを知ってるってことみたいなんだよ。でも俺は覚えてねえ。けど、いつか思い出すはずだから、それを知りたい奴がやばいんだと思うんだ」
 突き詰めたらそういうことなのだと恭夜は思う。
 思い出せない記憶の中に何があるのか。
 戻ってきた記憶がどれもこれも辛いものだったから、自ら望んで覗きたいと思わなくなっている。
 けれどふと、全てを思い出して吐き出してしまえば、とても楽になれるのではないかと思えるのだ。
 どちらがいいのか、恭夜には今もって答えが出ない。
「……恭夜さんと初めてお会いしたときのことですけど、あのときジャック先生と付き合っているということも忘れていらしゃいましたからね。普通は忘れる事じゃありませんから、よほどのことがあったんでしょう」
 利一の言葉に、恭夜はドキリとした。
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