Angel Sugar

「唯我独尊な男5」 第2章

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「……ったく」
 恭夜は空っぽになった皿をシンクでざっと水で流して、食器洗い機に突っ込んだ。
 ジャックの気持ちは本当にありがたいし、神経質になるのも分かっているつもりだ。けれど、恭夜だってたまには友人と飲みに行きたいし、兄の恭眞にも会いたい。
 そう訴える恭夜にジャックは「今度にしろ」というのだ。だが今度がいつなのか明確にしてくれないから困る。
「キョウ、さっさと着替えるんだ」
 もどってきたジャックは手に真新しいシャツやスーツを持っていた。
「……分かってるよ」
 着替えを受け取ろうと手を差し出したが、ジャックによってローブが解かれ、下着一枚の姿になった。
「……ちょ……ちょっと……」
「いいから、じっとしていろ」
 ジャックは呆れた顔で恭夜にシャツを着せてボタンをとめ終えると、次に恭夜を軽々と抱き上げ、テーブルの上に座らせた。こうなるともう、好きにさせるしかない。
 恭夜が諦めながらもジャックの行動を目で追っていると、真剣な顔で靴下やスラックスを穿かせてくれた。
「俺は着せ替え人形かよ」
「人形は文句を言わないだろうが。用意はすんだ。行くぞ」
 恭夜がテーブルから下りるよりも先にジャックは背を向けて玄関へと歩き出す。
「だからさ~。もう送り迎えはいいって」
「私もキョウから同じセリフばかり聞かされて、うんざりしている。では二つに一つを選べ」
 ジャックは恐ろしいほど冷たい表情で振り返った。まるで切れ味のいいナイフのようだ。こういうときのジャックは警戒した方がいい。
「……な、なんだよ、二つに一つって」
「家(ここ)に監禁されたいか、それとも私の送迎で仕事に行くか。どっちにする?」
 ジャックは冗談を口にしない男だ。
 だから間違っても前者を選んではならない。冗談でも監禁などと口にした瞬間、有無を言わせず実行するだろう。
 いや、そうしたいと願っているジャックだ。
 嬉々として恭夜を監禁するに違いない。
「……あ……あのさ。ほら、俺はジャックに送り迎えしてもらうの悪いと思って気を遣ってたんだって」
「ほう、なら監禁されたいんだな?」
 ジャックは冷えた目つきのままそう言う。
 身体の芯まで凍えてしまいそうな視線に、ジャックをよく知る恭夜ですらゾッとすることがある。
「ちっ……違うよ。いや、でも、ジャックが機嫌良く送り迎えしてくれるっていうんだったら、それでいいかな。はは……うん。送り迎え最高!」
 引きつった笑いを浮かべながら恭夜が言うと、ジャックは珍しくため息をついて、自らの金髪を撫で上げた。
「監禁を選んでくれると面倒がなくていいんだがな」
「ジャック……早く行かねえと、遅れるだろっ!」
 恭夜はジャックの腕を掴み、自ら進んで玄関に向かった。
 


「恭夜さん。ニュース見ましたよね?」
 同僚の三上智宏が、やってきた恭夜に真っ先に聞いてきた。
 今朝、この話題を向けてきたのはこれで六人目だ。
「……見たよ。つ~か、この話題さ、ここに来るまでに五人に言われたよ」
「あっ……すみません。そういう気遣いができずに聞いちゃって」
 智宏は両手をせわしなく振って、顔を赤らめた。
 目がぱっちりと大きく、それでいて小作りな顔立ちの智宏は、本来は恭夜の好みの外見を持っている。けれど、その容姿に目が奪われたり、ジャックには言えない感情を一瞬たりとも抱くことはなかった。
 智宏はとてもお人好しで、いい奴だからだ。
 恭夜は見た目は可愛くても、猫のように気紛れな性格の男ばかりに惚れる傾向があった。
 もっとも、ジャックと付き合うようになってからは、他に目移りすることもないのだが。
「あ……いや。なんかつっけんどんなものの言い方になってたよな。悪ぃ。実は問題はそいつじゃなくて、相変わらず送迎してくれるジャックにストレスが溜まってさ、ちょっと苛ついてるんだ。ごめんな、三上。お前にあたることじゃねえのにさ」
 隣の席に座り、あまりの多さに数える気にすらなれないため息をついて、恭夜は頭を掻いた。
「え。じゃあ、一緒に帰国されてからず~っと送り迎えされてるんですか?」
「ああ、すっげ~マメだぜ」
 どこか投げやりな口調で恭夜は言った。
 恭夜と智宏の会話が聞こえてしまったのか、他の同僚は仕事に没頭しているフリをして、何も聞かずに黙々と仕事をしていた。
 同僚だからこそ、他の課の人間よりも気になるはずだ。
 だが恭夜がここにいることで同僚は思い知っている。
 ことジャックに関しては見ざる、聞かざる、言わざるが一番なのだと。
 ジャックを尊敬する智宏だけは別なのだが。
 智宏にとってジャックの恋愛観は尊敬すべきもののようで、恭夜からすると狂気に近く見える行動も、智宏には羨望になるようだ。
 確かに第三者として見ているだけなら、容姿端麗で仕事も一流、財産だって相当持っている。そんな文句の付けどころのない男に、心底惚れられて大事にされることは、羨ましいことなのかもしれない。
「ジャック先生が行き帰りもご一緒されているということは、恭夜さんを一人にできない事情があるからでしょう? 恭夜さん、一体あちらで何があったんですか?」
 天然でどこか抜けているようにみえる智宏だが、勘は意外と鋭い。
「いや……別に大したことはなかったけど……」
 本当の事を話したらきっと智宏は口をあんぐりと開けたまま驚愕し、暫くして理性がもどってきたら、ボディガードを雇えと言い出すに違いない。
「だったら、ジャック先生の愛の深さがそうさせてるんですよ。問題がなかったのなら、いずれジャック先生も飽きて送迎をやめてくれるんじゃないですか?」
「だといいけどな……あ、ちょっと席外すわ」
 ポケットの中の携帯が鳴っているのに気付いて、恭夜は席を立った。
 携帯の表示は利一だった。
 恭夜は廊下に出てから携帯を耳に当てた。
「あ、隠岐。もしかしてニュースの件か?」
『ええ、そうです。爆破魔逮捕、ごらんになりました?』
「まあな。でもマジであれが犯人か? やってねえ~っておっ叫んでたけど」
『……ええ。そうですね。爆破犯を追うのは特殊犯捜査三係ですので、殺人課の私から何かを言える立場じゃないんですが、確かにあれは犯人ではないと思われます』
 きっぱりとそう言う利一に、恭夜の方が驚いた。
「隠岐、身内がそんなにはっきり否定していいのかよ」
『心配なんですよ。今は鳴りを潜めていますが、犯人の性格によって、別の人間が逮捕されたことが引き金になり、自らを誇示するために再度爆破を行う……なんて可能性もありますからね』
 珍しく利一の声は緊張していた。
 だが、恭夜はあまり実感がない。
 事故に遭った当時は犯人は誰だろう随分と気にしていたのだが、今では言われてみてようやく、ああ確かに自分は巻き込まれたんだったと思い出す程度になっていたからだ。
 もちろん亡くなった人のことを思えば、怒りも再燃するが。
「……なあ、前回の爆破事件だけどさ、実は警察だけが持っている証拠とかあったから、今回逮捕にこぎ着けたんじゃねえのか?」
 爆破があった数週間はその話題でもちきりだったが、いつしか新しく発生した事件に埋もれ、まだそれほど日が経っていないのに、あの事件自体が随分と昔のことに思えてしまう。
『それが……あれほどの事件なのに、犯人を特定できる証拠がほとんどなかったんですよ。鮮やかな手口と簡単に入手できない材料が使われていたことから、組織的な背景を持つテロだとも考えられましたが、犯行声明が出されていないこと、テロが日本で起きる理由として考えられるだろうサミットなどの開催もありませんでしたし、政治的決定もありませんでした。なのでテロの可能性は薄まりました。だいたい何故、リスクの高いショッピングセンターを犯人は爆破しようと考えたのか、今もって不明です』
 電話の向こうからため息が聞こえ、恭夜は思わず苦笑していた。
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