Angel Sugar

「嘘かもしんない」 第5章

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「大ちゃん……そろそろ起きないと会社に遅れるよ」
 そう囁くように言われて大地は意識がぼんやりと戻ってきた。何となく身体が怠く感じられるが、爽快感もあった。
「ん……」
 丸めた身体を更に丸めて小さくなる。
「ほら、シャワーを浴びないと……」
 博貴に身体を揺すられて、大地はうっすらと目を開けた。朝からシャワーを浴びるという習慣はない。だから別にそんなことはどうでも良かった。それよりもう少し眠っていたかった。
「も、ちょっと……」
「全く……君は仕事だっていってるでしょ」
 確かにそうだった。でもどうして博貴の声がするのだろう……確か昨日酔っぱらってこのベッドに寝ることになったはずであった。そして……
「う、ぎゃあああああーーーっ!」
 ガバッと起きあがって思わず大地は叫んだ。
「そんな起きあがり方をするのは君だけだよ……」
 博貴は耳を塞いでそう言った。
「おおおお、俺……俺……」
 昨日の記憶が戻りだし、その事実が大地には受け入れられず思わず叫んだのだった。
「いや、お前!だっ……大良……て、てめえ!」
 力を込めた拳を前に突きだした大地に博貴は昨日の誓約書をペラリと見せた。
「あのねえ、君が望んだの。それにこの誓約書は君が書いたんだよ。忘れたとは言わせないからね」
 ニヤニヤとしながら博貴はベッドに横になってそう言った。目を上下させて誓約書を見、確かに自分が書いたことも大地は思い出した。
 確かに……確かに……俺は、あいつに頼んだんだ……でもそれは酔っぱらっていて……正常に判断できなかったんだ。それをこいつは……俺が悪いんじゃないぞ……と、大地は繰り返し頭の中でそう思ったが、何もかも済んでしまった後ではどうにもならなかった。
「お、お前!酔っぱらった俺の言うこと……し、信用したのか?酔っぱらってんだぞ、まともじゃなかったんだぞ、それなのに……お前は……」
 怒りがこみ上げて来た大地は声が震えた。
「だから嫌だったんだよ……でもねえ、こっちは相手にしなかったのに、大ちゃん最後には泣き落としにかかったんだよ。私も困ったんだからねえ……」
 ふうっと溜息をついて、博貴は言った。
「……うあああ……俺……男にやられたんだあああ……」
 その事が酷くショックだった。大地は思わずベッドに突っ伏してしまった。
「それを言うなら、私は男とやらせられたんだーーって言うしかないねえ」
 飄々とそういう博貴をジロリと睨んだ。あまりのショックに瞳の端に涙が浮かんだ。
「ん、だよ……お前には理性ってものがあったんだろ。普通断らないか?」
「責任転嫁するの?そういうの潔くなくて嫌だね」
 困ったように博貴は言った。
「……うううう……くっそう……。忘れるぞ。悪い夢だったんだ……大良!お前も忘れろよ!誰にも言うなよ!い、言ったらぶっ殺してやるからな。脅しじゃねーぞ」
 それしかないと大地は思った。
「どうでも良いけどね。すっぽんぽんでばたばたしてないで、さっさとシャワー浴びて来なさい」
「え、ひゃあ!」
 大地は真っ裸の自分の姿を見て思わず布団を引き寄せ身体を隠した。その姿が可笑しいのか博貴は必死に笑いを堪えている。
「ホントに……困った子だね、ほら、さっさとシャワー浴びてきなさい」
 ポンとバスタオルを渡されて、それを掴むと大地は風呂場へ走った。まだ頭の中が混乱している。夢だったんだ、悪夢だと必死に思おうとしているにもかかわらず、身体に残った痕が生々しく目に入るのだ。
 キスマークだ。それが身体のあちこちにあるのだ。見た瞬間、貧血に似た目眩を感じて倒れそうになった。それこそ衣服を着込めば見えないところにあったのだが、そういう問題ではない。
 大地はシャワーを浴びながら、身体中を洗いまくった。心の中で何度も何度も博貴に対して悪態を付いた。そうでも無ければ根性が萎えてしまうのだ。しかし、大腿に流れ落ちる水とは違うぬるりとしたものがつたうと、がっくりとタイルの上に膝を付き、ここで気を失ってしまいそうになった。
「ああ……神様ア……」
 流れ落ちるものが分かるとショックで大地はそう言った。男同士がどうやってやるかを知らなかったとは言わない。だが、実際自分がその立場に立たされると、後始末をどうして良いのか分からない。
「大ちゃん。大丈夫かい?」
 バッとバスルームの扉を開けて博貴が入ってきた。軽くシャツを羽織った姿であった。
「……」
 多分向こうから見てこちらは途方に暮れたような顔をしていたに違いない。シャワーを浴びていたために、涙がぽろっと零れたことには気付いていないだろうが、気を張っていないと泣き出してしまいそうだった。
「なんて顔をしてるんだい……ほら、こっちにおいで……」
 博貴から伸ばされた手から離れるように大地はバスルームの端に後ずさった。
「困ってると思って来てみたんだけどね……」
 そっとこちらに近づいてくる博貴から逃げたいと考えているのに、後がない所為か大地は身動きが取れずに、その場に立ちすくんだまま、じっと博貴の目を見つめた。
「大良……俺……」
 何を言って良いのか、どうして良いのか全く分からなかった。そんな大地を博貴はそっと捕まえると、博貴は浴槽に腰をかけ、それをまたぐように大地を座らせた。両足を広げた姿に大地は恥ずかしくて堪らなかった。
「な、何でこんな格好させんだよ……」
 僅かに残った精一杯の強がりで大地は言った。
「ここ、気持ち悪かったでしょ」
 手を後ろに回し、指で大地の窄んだ部分に触れると、優しい声で博貴は言った。
「ば、馬鹿……止めろよ……」
 両手で博貴の肩を掴んで大地は抗議するが、その声に力が入らなかった。酔っていたとはいえ、身体は正直に昨晩の事を覚えているのだ。理性は必死に抵抗しているのだが、本能は博貴の指の運びを歓迎していた。変だった。もう酔ってなどいなかった。酔いが残っている訳でもない。それにも関わらず、博貴のペースに引きずられているのだ。
「シャワーで流しておいたほうが、いいよ。暫く我慢してるんだよ」
 博貴はシャワーのヘッドを、指で少し広げた蕾に当てて、水の飛沫を当てた。
「うあっ……」
 その刺激に思わず博貴の首に手を巻き付けて項垂れた。
「大地……」
 耳元で博貴が熱い息と共にそう吐いた。こちらは下からかかる水しぶきと、休まず動く博貴の指の刺激で身体が震えだした。
「あ……やだよ……」
 変だった。気持ちいいと感じているのだ。朝っぱらからそれも男に触られて気持ちいいなどと感じているのだ。大地は泣きそうであった。こんな情けない自分が嫌であった。男にされて喜んでいるのだから、頭がおかしくなったのではないかと考えた。だが、色んな理由をつけようと、今感じている事は確かな事実であった。ただ、それを認めることがどうしても出来ないだけであった。
 それは自分が男で博貴も男だからだ。
「はい、終わり」
「……」
「どうしたんだい?もしかして感じちゃったのか?」
 その一言で大地はバキッと頭を殴った。二人であんな事やこんな事をして、どうしてこの男は普通でいらるのか全く分からないのだ。要するに、博貴にとっては、ただ女性にすることが男性に変わっただけで、そこに特に違いがないのだろう。こちらはショックで倒れそうにも関わらずだ。慣れたいつものことなのだ。
「殴るか?普通……」
 驚いたように博貴は言った。
「うるせえ……ふざけやがって……マジで忘れろよ!」
「自分が一番喜んでたくせに……」
 ぼそっと博貴がそう言ったことにもう一度大地の拳が飛んだ。

「澤村さん。ねえ、この間会った、大良さんのことなんだけど」
 結城に呼び止められて大地はげんなりした。
「なに?」
「今度ね、事務員の女の子で大良さんのいる店に行こうって事になったの。ね、一緒に行ってみる?」
 結城はニコニコとそう言った。この頃には最初感じた結城に対する淡い想いは何処にも無かった。
「え、いいよ。別に……」
 ホストクラブに何故男が行かねばならないのだ。何より、例の一件以来、大地は禁酒及び博貴宅には入らないと決めていたのだ。博貴自身は全くいつも通りに食事の時間にはいそいそとやってくる。普通の、出会ったときと同じような時間が流れていた。こだわっているのは大地だけであった。
「だって、あの店に行った事のある人に聞いたんだけどね、大良さんってそこでトップなんだって。だから初めてのお客は大良さんを指名できないらしいの。でもさあ、友達の澤村さんが一緒に行けば、指名しなくても来てくれるじゃない」
 そういう理由だったのだ。大地は最近癖になっている溜息をついた。
「あいつは仕事に私情は入れないよ。俺が行ったからって特別扱いはしてくれないと思うけど……。あいつが特別扱いするのは……」
 金を持ってる女だけ……と、言いそうになって思わず口をつぐんだ。悪口は言いたくなかった。博貴は性格はいいのだ。声を荒げて怒鳴ったことなど今まで見たことが無かった。いつもニコニコと笑みを絶やさない。だからといって、おしゃべりな方でもない。一緒にいてホッとする相手だった。ただ、女にだらしないだけだと大地は思っていた。
「なに?」
「え、いや、何でもないよ。でも、ホストだって立派な仕事だから、あいつのやり方や、店の方針に口を出すこと出来ないよ」
「ん……言ってること分かるけどね……でも、それは行ってみないと分からないでしょ。大良さんだけが目的じゃなくて、みんなそういうお店行ったこと無くて、知り合いがいたら行きやすいってことで決まったんだけど……駄目かなあ……」 
 そこまで言われて嫌だとは大地には言えなかった。
「じゃ、日が合えば良いよ……」
「よかったあ、じゃあ、みんなで合う日を幾つか決めるから、後は澤村さんの都合の良い日を決めてくれたらいいわ」
 嬉しそうにそう言って結城は戻っていった。その姿にもう一度溜息をついた。その日は夜勤であった為うちに着いたのは朝早くであった。部屋の玄関を開けると既に博貴がいつものように新聞を広げて座っていた。
「おつかれ、大ちゃん」
「ん……ただいまあ……」
 鞄を置いて、台所で手を洗いながら大地は「そうだ」と今思い出したかのように切り出した。
「どうしたんだい?」
「あのさあ、ほら、以前本屋で会った女の子覚えてる?」
 そう聞くと博貴はやや上向きに視線を彷徨わせてからこちらを向いた。
「……あ、そう言えばいたなあ……誰だったか忘れたけど」
 新聞から目を離さないで博貴は言った。
「お前、仕事柄女の顔や名前を忘れないんじゃなかったか?」
「客でない女は一瞬で忘れる」
 こういう男なのだ。
「金のない女もだろ……」
「おお、良く分かってるじゃないか、大ちゃん」
「そんなことはどうでもいいか……で、その結城さんなんだけど、うちの事務の女の子達でお前が働いてる店に遊びに行くってよ」
 そういうとちらりと博貴は大地を見ると、興味なさそうに新聞に目を落とした。
「関係ないね」
「なにそれ」
「私はね団体客は嫌いなの。うるさいし、平等に扱うのが大変だからねえ……まあ、そんなのは後輩が面倒見てくれるだろうしね。来るのは良いけど特別扱いは出来ないよ」
「それはちゃんと言っといた。でさあ、俺も担ぎ出されちゃったんだ。やだったんだけど頼まれて断れなくてさあ……」
 決まり悪く大地はそう言った。
「はあ?」
 驚いた顔で博貴はこちらを見た。そうして暫く考え込んでいる。
「なんだよ……」
「君が危ないなあと思ってね」
「何が危ないんだよ」
「うちのオーナー君が気に入っていてね。転職しないか聞いてくれとせがまれてるんだ。その度に断ってるけどね」
「何で俺の事知ってるの?」
「新聞に写真載ったでしょ。それを見たんだよ」
「……あのなあ、俺に出来る訳ないでしょ」
 自分がホストをしている姿は考えられなかった。
「世の中には毛色の変わったのが好みの客がいるんだよ。それにねえ、大ちゃん見た目はほんっと可愛いからなあ……性格もからかうと面白いし、母性本能をくすぐるタイプだからねえ……」
 くくくと笑って博貴は言った。
「面白がってんな……」
「それにね、うちのホストの一人が君を随分気に入ってね。紹介してくれって言われてるんだ。もちろん丁重にお断りしたけどね。でも時々やっぱり聞いてくるよ。そんな所に大ちゃんが行くとねえ……かなり危険だと思わないかい?」
 確かにぞっとした。
「お前さあ、そういうこともっと早くに何で教えてくれないんだよ。知ってたら絶対断ってた」
「そんなの聞きたくないだろう?言うと状況によっては殴られるような事を、わざわざ君の耳に入れることでもないし、私がこっちで断っておけばそれで済むと思っていたからね。何より大ちゃんがうちの店に遊びに来る事なんて考えたことも無かったし、行きたいと君が言い出すとは思わなかったからね」
「……確かにそうだ……お前俺の性格良く分かってるな」
 がっくりと肩を落として大地は言った。
「でしょ」
 得意げに博貴が言った。
「あーどうしよう……俺やだよ……スカウトされるのも、男に好かれるのも……」
「そうだねえ……早い時間なら私が目を配ってあげられると思うよ。開店と同時に来るのが一番だね。遅くなると私が動けなくなってしまうし、遅くなればなるほど帰りが心配だしね」
「別に子守してくれって頼んでねーよ」
 ムッとして大地はそう言った。
「大ちゃんって酔うと訳の分からない事言い出すし……そっちも心配だからさ」
「お前!それは言わない約束だろ!」
「本当のことでしょ。あの時は、私だから良かったものの、盛り場で酔っぱらってくだまくならまだしも、君みたいな可愛い子が欲情しまくったら、目が覚めたら海外、もしくは変な金持ちのハーレムに監禁ってことも考えられるからねえ……」
 ふうっと溜息をつきつつ博貴はそう言った。何処まで本気で言っているのか全く分からない。
「あーのーなーーー!誰が欲情しまくったって言うんだよ!それにな、なんでお前で良かったんだ?そんな風に言ってるけど、お前が俺をやったじゃねーか!結局。お前のやったことだって良くないだろ!」
「ああ、そうか、気持ち良かったのは大ちゃんだったね」
 隠している本心にズバリと切り込まれて大地は意識を失いそうになった。
「そ、それ以上言ったら、ぶっ殺してやるぞ……」
 思わず握りしめた拳に力が入って震えた。
「冗談はそこまでにして、君は飲まない方が良いね。わかってるだろ大ちゃんも」
「分かってるよ……でも、俺酔ったってお前に……そのあんな事言うようなの今まで一度だって無かったぜ。いつもはただ、テンションが上がるだけだぞ」
「そういうことにしておきましょう」
 相手にしていないという風に博貴は言った。
「それにな、お前の店ってそんなに危険な奴らばっかなのかよ。確かにお前を筆頭に危険人物がごろごろいそうだけどな」
「大ちゃん。真面目な話し……君、男に口説かれたことがないとは言わせないよ」
 じいいっと大地の瞳を見つめて博貴は言った。確かにないことはない。どちらかというと女性より男性の方が多かった。空手を止めた原因もその辺にあるのだ。
「……あったけど……冗談ぽくってのが多かったし、お前だってあるだろ」
「ないよそんなの」
 止めてくれという風に手をひらひらさせて博貴は言った。
「嘘つけ、そんな男前の顔してよくそんな嘘言えるよな」
「君は自分の顔を鏡でちゃんと見たことないのかい?大ちゃんはその方面にものすごくもてるタイプなんだよ……」
「それって、お前は、女にもてるけど、俺は男にもてるって……い・い・た・い・のかああああ!」
 思いっきり大地は頭に血が上った。
「なんだ、分かってるんだ」
 ははと笑って博貴が言った。
「もーー我慢ならないぞ……てめえ!それだけよく人をこけに出来るなあ!」
「誰もこけになんかしてないよ。心配してるんだ。それが分からないのかなあ」
「お前の言葉の何処に心配が見えるっての!ああ、もう、いいよ!勝手に行って勝手に帰るから、お前なんかの世話になるか」
 むかついた大地は台所でガタガタと朝食を作り出した。持った包丁を思わず博貴に向けたいという殺意に駆られるのを必死に押さえて食パンの耳を切った。
「……ねえ、大ちゃん」 
「うっせー!」
「で、結局その誘いを断るつもりはないのかい?」
「今更出来るか!」
「……そうか」
 困ったなあという風に聞こえた大地はあれ?っと思った。先程から散々苛められたのは大地が恐れをなして結城に断るようにし向けたかった為だろうか?
 それって、俺が他の男に言い寄られたりするのが嫌だから?そうなんだろうか?そう大地は考え急にドキドキし出した。確かに博貴のことは嫌いではない。それが恋愛という事として考えるとピンとこない。だが、実際、あの晩の事を大地は忘れたことは無かった。心が思い出すと言うより身体の方が正直なのだ。
「だ、大良……あのさあ……」
「あのねえ大ちゃん……」
 それは同時だった。
「え、あ、なんだよ大良」
 博貴は何を言おうとしているのだろうか?大地は急に鼓動が早くなった。
「先に言って良いの?」
「いいよ……なに?」
 なんだよ……さっさと言ってくれよと、思いながら大地は言った。
「君だって嫌だろう?働いてる姿を人に見せるの……だから大ちゃんが来るの嫌なんだよねえ」
「え、そういうこと?」
 その博貴の言葉に大地は急に熱が冷めた。
「?どう言うことだと思ったんだい?」
「あ、はははは……何でもねーよ……そうだよなあ……嫌だよなあ……」
 包丁を振り回して大地はそう言いながら虚しく笑った。
「気持ちの悪い笑い方をするんだねえ……で、大ちゃんは何を言おうとしたんだい?」
「べっ……別に何でもねーよ……そだ、今日の朝食はサンドイッチな」
 慌てて大地はそう言った。この話題からさっさと逃れたいのだ。そんな大地に不審げな顔を博貴は向けた。
「何をはさもうかなあ……」
 ばかばか俺って本当に馬鹿だ。何を一人で考えて盛り上がってるんだ。いや、盛り上がるって言うのも変なのだ。自分は別に博貴をそんな目で見ているわけではないのだ。それなのにあの一件以来、気になって仕方ないのだ。しかし、博貴の方は別段何とも思っていないようであった。結局答えはそこら辺りに出ていた。
 例え本気で好きになったとしたと考えても、大地にしても、博貴の客にしてもレベルは同じなのだ。ただ、こっちは貢ぐものは何もない代わりに博貴に食事を作っている。客の方は食事は作らないが、博貴の言う気持ちのいい嘘と与えられる嘘の愛情を自分だけに向けられていると信じてそれに金を払うのだ。何も変わらない……。同じなんだ……大地はそう思った。こっちが本気になったりしたら、きっと博貴は手の平を返したように冷たい態度を取るのだろう。以前聞いたような声で……。それは絶対嫌であった。自分は散々博貴から聞かされているのだ。私の言うことは嘘だ……と。向こうがそう言って先に彼が言う予防線を張っているのだから、こっちがのめり込んで文句を言ったとしてもその予防線として張られた言葉が冷たく放たれるのだろう。
 そんなことを考えて又笑いが漏れた。何を考えているんだろうと。別に博貴を好きだと、抱き合いたいと思っているわけではないのだ。友達だ。
 馬鹿げていると首を振ってサンドイッチを作り終えた。
「大ちゃん。なあんか、悩んでる?」
「別に……なんで?」
「君がねえなんか相談したいなあって思ってるときは目が泳ぐんだよ」
 そんなこと知らなかった。
「え、そ、そっかな……別に何もないよ」
「……不気味だねえ……」
「何が不気味なんだよ!いちいち構うな!俺が何を悩んでようがお前には関係ないことだろう!」
 さっき思ったことをなど言えるわけなどないのだ。何より自分の気持ちも良く分からなかった。
「寂しいことを言うんだねえ……と・も・だ・ちなのに……」
 小さく溜息をついて博貴は言った。
「何でも良いから食ってあっちに帰れ!俺は食ったら寝るんだから」
 友達……友達なのだ。大地は言い聞かせた。
「ああ、言うの忘れてたけど、大ちゃんが気に入ったならうちのベッド使ってくれていいよ」
「ばっきゃろう!あんな事のあったベッドで寝られるわけねーだろうが!」
「思い出して、興奮して眠れないとか?」
 笑いながらそう博貴は言った。
「うるせーよ……くそ……俺、お前にあの事で、永遠に苛められそうだ……」
「あ、分かった?」
 目を細めてそう言った。その目は本気だった。
「……勝手にしてろ」
「残念だ。又君を食べられるかと思ったのに……」
「てめえ!そんなこと言ってんじゃねーよ!」
 大地は思わず拳を振り回したが、博貴はひらりとそれをかわし、お腹を抱えて笑っていた。ふと、大地は楽しいな……と思った。こうやって、ふざけるのが楽しかった。博貴に会わなかったら本当に寂しい毎日を暮らすことになっていたのだ。
 こうやって楽しく暮らせば良いんだ。大地はそう思った。



 困ったことになったと博貴は思った。大地が今日来ると聞かされたのだ。もう少し先ではないかと思っていたのだが、意外に早く決まったらしい。
「成人くん……ちょっと」
 最近入ったホストを博貴は呼んだ。彼は、年齢は二十三で、どちらかというと年齢より幼い顔立ちをしていた。今風に短くした髪に、瞳は大きくないが、一重でスッキリと目尻が伸びており、なかなか好男子であった。話術も巧みであった為、結構若い女性に人気が出だしている。但し、入ったばかりで、まだそれほど固定客を持っていないので、子守をして貰うのに都合が良かったのだ。
「なんでしょう」
「悪いんだけど……今日さ、私の知り合いが来るんだよ。で、本当に申し訳ないんだけど面倒見てやってくれないかな」
「光さんのお客様ですか?」
「いや、知りあいなのは中に混じった男の子だけでね。あと八人の女性は私は知らないんだ。その代わり、その女性の権利は君に全部渡すから、君のお客にしてくれて良いよ。但し、それは君が頑張らないといけないことだけどね。その事で後から私は文句を言ったりしないから、頑張ってみないかい?」
「え、良いんですか?」
 成人は嬉しそうにそう言った。同じ店でも客を奪い合う争いは激しいのだ。
「私もこれ以上、固定客をさばく自信がないんだよ。嬉しい悲鳴なのかもしれないけれど、頼めると助かるんだ。聞くとお金は持ってるようだから、気にしないで好きにやっちゃってくれていいよ。その代わり、中に混じってる男の子はお酒が酷く弱いんだよ。本人は禁酒してると言っているんだが、こんな所に来て勢いで飲まれても、店としても困ったことになると大変だから、プライドを傷つけないように飲ませないようにして欲しいんだ。何より彼は社会人だけど、まだ未成年だからね」
「酒乱ですか?」
 酒乱ではないがまあ、そういうことにしておこうと博貴は思った。
「ああ、酷いよ。一度見たことがあるが、危険だねえ……」
 笑いながら博貴はそう言ったが、成人の方は真剣に聞いていた。
「分かりました。気をつけて見ておきます。でも、八人プラス一人は結構大変ですね」
「そうだね。君と一緒に入ってきた悠斗を誘ってくれていいよ。それとも他に誰か適役がいるかな?あ、南は止めてくれよ。男の子の方に興味あるらしいから」
 以前、南は博貴に大地を紹介してくれと言っていたことがあったからだ。手を出されると困ると博貴は思ったのだ。只でさえ今は、例のこともあって、男に触られるのも拒否するはずである。限度の知らない南が大地を口説いて無事で済む筈がないのだ。
「え、南さんって……そっち方面ですか?」
「あ、いや、そうじゃないんだけどさ、まあ、見たら分かるよ」
 大地を見たら納得するだろう。
「分かりました。後で文句はいいっこなしですよ」
 成人はそう言って、控え室にいる悠斗を誘いに行った。
「全く……」
 ふうっと溜息をついて博貴は椅子に座り込んだ。出来れば大地に来て欲しくなかったのだ。確かにこちらが女を口説いているところを見て、あらぬ誤解をされるのも不本意だった。それもあるがなにより、大地をあまり人に見せたくなかったのだ。あれほど大地に来るという気持ちを削ごうとしたのは、自分でも理解できないそんな正直な気持ちだったのだ。だからといって大地に言えるわけはない。言ったとして何故かを答えられないからだ。
 もしかしてこれは愛情なのだろうか?ふとそう考えることもあったが、その度にまさかと否定していた。おもしろ半分で大地を抱いたが、だからといっていつものことであった。特別な何かがあって、大地を抱いたわけではない。
 それなのにも関わらず、あの晩のことを良く思い出すのだ。思い出しては笑みが漏れる。今まで女性と抱き合っても思い出すことなど無かった。半分仕事で半分自分の欲求の解消であった。なのに、大地とのことは違った。あれは仕事ではない。半分は欲求の解消だ。後の半分が説明できない。
「大良くんどうしたんだい?」
 オーナーの榊がカウンターからひょっこりと顔を出した。榊はミーティングと、閉店後のミーティングに必ず顔を出すのだ。
「え、いえ。何も……」
 博貴は笑顔でそういった。
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、例の子今日来るんだって?」
 榊は嬉しそうにそう言った。スカウトを諦めていないのだろうか?
「小耳に挟んだんじゃなくて聞いていたんでしょ。かなわないなあ……」
「実物を見てみたいね。裏で待ってるよ」
「本気でそんなことを言ってるんですか?」
「本気本気。それにスカウト云々より君がそれほど肩入れしている男の子を見てみたいという興味の方が大きいねえ」
 榊は顎をさすってそう言った。
「別に肩入れしているわけじゃないですよ」
「でもねえ、君、成人くんに子守を頼んでたじゃないか」
 鋭いなあと思いながら笑うしかなかった。
「彼を見たら榊さんも納得しますよ。そろそろ開店ですね」
 そう言って博貴は立ち上がった。
 店が開店すると最初に来た客は博貴の馴染みの牧瀬であった。大抵来るのは遅い時間であったので、何かあったのだろうかと博貴は思った。
「奥様……今日は早いのですね」
 手を取って席に案内する。
「ええ、ちょっと人がいない時間にあなたと話がしたかったのよ」
 四十過ぎの牧瀬はやや、疲れた笑みを見せた。
「そうですか。では出来るだけ奥の席に……」
「有り難う……」
 博貴が席に案内し、そこに座ると牧瀬はタバコを取り出した。博貴はすかさずライターで火を付けた。
「主人がね……亡くなったのよ。折角、光ちゃんが色々相談に乗ってくれたお陰でまともな夫婦生活ができるようになったのに……その矢先……。酷い話ね」
「そうだったのですか……ですが、奥様に看取られてきっとご主人様も満足されたと思いますよ。こんな月並みな言葉しかおかけできませんが……申し訳ありません」
「いいえ、あなたには感謝してるの。あの人を理解できずに、好き放題していた私が馬鹿だったの……それに気がついてやっとあの人に愛情を感じることが出来るようになったの。あのまま、好き放題していたら、きっとこんな風にあの人を偲ぶことも出来なかったと思うわ……。うふふ。あなたにしかられたのよね」
 牧瀬は随分前に博貴に諭されたことを思い出して、笑った。主人を失ったことは悲しいのだろうが、思い出が残った分幸せなのだろう。
「今から思うと……大それた事を申し上げたと……本当に穴があったら入りたい気分ですよ。ですが、奥様が心の広い方でしたので、今私の首がつながってるのです」
「上手いこと言うのね……」
 牧瀬がそう言ったと同時に団体がやってきた。
 また間の悪いときに来る……博貴はちらりと入り口に視線を投げかけて、大地達を確認すると牧瀬の方を向いた。
「今日はにぎやかねえ。繁盛していて良いことだわ」
「奥様がせっかく静かな時間を選んで来られたというのに、申し訳ないことです」
「いいのよ。私は光ちゃんを独占できたらそれで良いの」
 ふふふと笑って牧瀬が言うと、そっと成人がやってきた。
「失礼、どうしたんだい?」
「あちらのお客様が……」
 酷く困ったような顔で成人が言った。
「こちらの奥様がお帰りになられるまで、指名は受けないよ」
 それを聞いた牧瀬が言った。
「いいのよ光ちゃん。あなたは売れっ子なんだから」
 そうは言っているがこの客はへそを曲げると大変なことを博貴は分かっていた。何よりかなりの額をこの店と自分に貢献してくれているのだ。だから様子を見には行きたいが出来なかった。
「いいえ、今日は奥様を優先させていただきます。ということで成人くん頼むよ」
「はい。分かりました」
 成人はそう言ってまたあの団体席に戻っていった。悪いなあと感じながらもこれも試練だということにしようと博貴が思った瞬間大地の声が響いた。
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