Angel Sugar

「嘘かもしんない」 第6章

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「お前らいい加減にしろよ!大良は来られないっていってんじゃんか!」
「でもさあ、早かったら席に来てくれるって澤村さんいったじゃない」
「い、言ったけど、大事な客が急に来たかもしんないだろ」
「えーだってねー。やっぱりナンバーワンのホストがみたいじゃない。それに私たちだって大事な客よ、ねえ」
 と、結城がいうと、他の七人の女性達はいっせいに頷いた。こいつら、団体になると強気になりやがってと、大地は呆れながらも対抗して言った。
「ちゃんと、ホストの兄ちゃんが二人も来てくれてんだぞ!そりゃ、ナンバーワンじゃないかもしれないけどさ、こっちの二人だって一生懸命なんだぞ。それにどっちも男前じゃないか。別に大良じゃなくても楽しめりゃ充分だろ!なあ!」
 そう言って大地は成人と悠斗を見て言った。二人は複雑な顔をしてどうしようかと困り果てている。他のホストはまだ店に自分の客が来ていないことを良いことに面白そうに眺めていた。その中に南もいた。
「あんた年下の新人のくせに生意気……」
 事務員の中でも一番年上で派手めな川田が言った。
「うるせーよ。年下だろうがなんだろうが、あんたらの言ってること無茶苦茶なんだよ」
「ま、そういうのが憎めないのが澤村さんの良いとこだから許してあげる」
 大地にはその訳が分からない。
「折角来たんだからさあ、やっぱり見たいよねえ。私雑誌に載ってたの見たことあってさあ、本物見て帰りたいと思って来たんだよ。それなのにねー」
 中堅の村上が言った。 
「ねーねー言って頷き合うな!雑誌に載るような男が簡単に初めての客を相手するわけないだろ!」
 ねーねー頷き合うなと言った言葉で周囲に押し殺した笑いが漏れた。成人と悠斗も笑いを堪えた表情をしていた。
「佳奈に聞いたけど澤村さんってさ、大良さんと友達なんでしょ。それを当てにしてきたのにねー」
「大良と俺とは住んでるところが隣同士なだけだよ!そんなことまで頼めるわけねーだろ」
 一応頼んだけど、と言う言葉は割愛した。
「えーーなんだあ、そんだけじゃあ、駄目じゃん」
「駄目じゃんってねえ、あーもう。大良だってなあ、最初はぺーぺーだったんだから、そういうときに出来た客は大事だろ。だから、固定客も一杯で今頃目えつけたって、高嶺の花じゃんか。なら、この二人の兄ちゃんだっていつ化けるかわかんないだろ。だったら、今のうちにこの二人に目をつけとけば、いいだろ。数年後に化けてさ、雑誌に載ったりしたらお前らみんな後悔するぞ」
 大地がそういうと、八人の女性達は互いを見合わせて、次に前にいるホストを眺め納得したのか、いきなり博貴の事を忘れたかのように、質問しはじめた。大地はげんなりしながら、椅子に頭を乗せて溜息をついた。
 暫くぼんやりしていると、横の女達は口々にボトルを注文していた。すると、成人がそっと耳打ちしてきた。
「先ほどは申し訳ありませんでした。光の方はどうしてもはずせないお客様が来られていまして……助かりました」
「別に感謝されるようなことしてません。あ、俺にもなんか軽いの作って貰えます?」
 笑みを見せてそう大地は言った。
「未成年だとお伺いしております」
 やられたと大地は思った。こんな状態の団体に一緒にされて飲むなと言うのだろうか?
「えーそんなにかたい事言うお店なんですか?」
「一応あなたがこちらにいらっしゃる理由としてあのお客様が保護者と言うことになりますのでね」
「はあああ?……ちくしょ」
 あと二つの年齢の所為でこんな目に合うのかと、溜息が出た。ふと視線をあげるとカウンターの向こうから手招きする男性が見えた。
「あの、あそこで手を振ってる人誰ですか?」
 大地が悠斗に聞いた。
「オーナーの榊さんですよ。あの方は気に入ったお客様に一杯ごちそうする趣味のある方ですから、良かったら誘いに乗って下さい」
「ふうん。そうしよっかな」
 ここにいてもうるさいだけであったので、大地は立ち上がった。
「大ちゃーん何処行くの?」
 既に酔った結城がそう言った。
「手洗い!」
 大地はそう言ってカウンターに向かった。
「君が大地君だ」
 榊はにこやかな笑みでそう言った。浅黒い肌に白い歯が良く映える。その大人の雰囲気が気に入った。
「はい」
 こちらもにっこりとした笑みを返した。
「さっきの面白かったよ」
「え、あ、済みません……お店で怒鳴ったりして……その」
「良いんだよ。きっと大良もホッとしてると思うしね。それにあの二人の良いお客さんになってくれそうだし」
 そう言ってグラスを前に置いてくれた。
「え、頂いて良いんですか?」
「どーぞどーぞ」
 やったあ、やっとありつけたと思ったら、それはウーロン茶であった。
「……これ、お茶?」
「そう、お茶」
「……」
「未成年だしねえ」
 そう言って榊は笑った。
「年齢が後二つ足らないだけなんですけど……」
 出されたウーロン茶を渋々飲みながら大地は言った。 
「駄目駄目。大良が心配するからね」
 そう言って一口チョコをグラスに入れて、榊は大地に出した。
「これも食べて良いんですか?」
 嬉しそうに大地は言った。
「ああ、食べて良いよ。おごりだよ。それにしても君は見かけと性格が全然違うのが面白いね」
「よく言われますけど……そんなに違いますか?」
 チョコを食べながら大地は言った。
「もっとこう……大人しそうに見えるね。黙って座っておれば、ちっちゃくって可愛いんだが、話すとちゃきちゃきだから……それが面白い」
「可愛いですか?ん……確かに鏡見ると自分の顔が嫌になりますけど……」
「嫌かね」
 不思議そうに榊が言った。
「嫌ですよ……よく女の子に間違われたし……こっちに来てからそれが酷くて……。会社帰りに野郎に声をかけられたり、怪しげなプロダクションから肩叩かれたりしても嬉しくないです」
 げんなりしながら大地は言った。東京に出てきてからそれが益々酷くなったのだ。あんまりしつこい奴は一発見舞ってから逃げ出すのだ。
「やっぱりねえ、そうだろう。そうだろう」
 榊は腕組みして納得したように言った。
「でも、あんまりしつこい奴は、がつんと一発殴って逃げますから」
 得意げに大地は言った。
「殴る?穏やかじゃないね」
「軽く、ですけど。人によって手を掴まれたりホント迷惑なことされるんです」
「なんだか君が殴るなんて想像できないね。何かやってたのかい?」
「え、空手を少し……」
「ああ、そう言えば大良がそんなことを言っていたことがあった。そうか、そりゃあ、良かった。君が今無事にここで座っているのも護身術を身につけているからなんだね」
 何が無事なのか良く分からなかったが、大地は「はあ」といって榊に合わせて笑った。
「そう言えば大良にお客さんが来てるんですね」
「ああ、あそこのお客さんが来なかったら、君の団体をちょっと面倒見ようと思ってたみたいだねえ。でも彼は団体客は嫌いらしいから、今頃ラッキーと思ってるだろう」  
 そう言って榊が指を差した方向に博貴はいた。こちらからちょっと見えない所の席である。店がコの字型になっているの所為であった。その上、こちらに背を向けているためどんな顔で接しているのか分からない。だがその背にしなだれかかる結構年上の派手な女性を見て思わず視線を外した。
「顔が赤いよ」
 榊がめざとく見つけてそう言った。
「あ、はあ……はは……」
「こういうの苦手かい?」
 男は誰だって苦手だと思うぞと大地は思った。
「え、はあ……。そうだ、大良ってこの世界長いんですか?」
「そういう話を大良から聞いたことあるの?」
「ないですけど……」
 聞いたことも話してくれることも無かった。
「彼が話さないことを私が話すことは出来ないね。まあ、ここで働く人間は色々あるって事は教えてあげるけど。ただ単に金が欲しくてやってくる子もいるし、もてたいだけで来る子もいる、反対に色んな事情を抱えてここに来る人間もいる。そういうことだよ」
 そのどれに大良が当てはまるのかは大地には分からなかった。だが本人を見ていると金と女だなと何となく思った。
 少しずつ客が入り出すとにわかに騒がしくなってきた。博貴を呼ぶ指名が聞こえたり女性達の笑い声が響いたり、大地はだんだん居づらくなっきた。一緒に来た女性達は全く帰る気配がないのが辛い。その上、席に戻ると店内が見渡せるので、博貴が女性を口説く姿も見えるのだろう。それも嫌であった。それが仕事だと聞かされていたにも関わらず、博貴に関わらず、他のホストが女性を口説いたり持ち上げたりする姿も見たくないのだ。こういう気分の時は飲むしかないだろう。
「榊さん。一杯だけご馳走して下さい。駄目ですか?」
 手を合わせて大地が必死に頼むと、榊は仕方ないなあといって、隣でカクテルを作っている男性に一言言ってくれた。
「一杯だけだよ。軽いカクテルを作ってもらったから、それで我慢しなさい」
 まるで子供に言い聞かせるように榊は大地にそう言った。大地相手だとみなこうなるのだろう。
「ありがとう」
 満面の笑みで大地が言うと、榊も嬉しそうに「可愛い笑顔に騙されて出すけどね、一杯だけだよ」と念を押していった。
 ピンク色のカクテルはとても綺麗であった。大地はそのグラスを両手でそっと持ち上げて一口飲んでみた。
「美味しいや……」
 カクテルを飲んだことが無かった大地は驚いてそう言った。
「うちは何でも一流を目指してるんでねえ」
 自慢げに榊は言った。
「甘いし、全然お酒を飲んでる気がしないです」
 それが怖いのがカクテルなのだが、大地にはそんなこと分からなかった。一杯飲み干して、もう一杯をせがんだ。榊の方も、最初渋ってはいたが、大地のお願い攻撃に逆らえる者はいなかった。何杯か飲んで何となく大地は酔ったかなあと自覚したが、そのときには足下がふわふわしていた。
「……もしかして……酔った?」
 榊が後悔をしながらそう聞いた。
「えへ?だいじょうーぶです」
 終始ニコニコとしている大地の様子に不安になった榊が言った。
「まずいねえ、忠告されていたのに…。大良に怒られてしまうなあ。そうだ、店が終わるまでスタッフの控え室で休むといい。後は大良に連れ帰って貰うよ。君は隣に住んでるらしいし、その方が安心だね」
 そう言って榊が大地の手を引いて、連れ出すのを心配そうに博貴が見ていたのを大地は気が付かなかった。 
 控え室は六畳ほどの部屋で、両側にロッカーが並んでいた。店の中とは違い、きらびやかさがない。ただ、真ん中に置かれた広い机に客から貰った花束やプレゼントの箱が山のように積まれていた。それを通り過ぎると奥に応接セットの長ソファーが向かい合うように二つ置かれていた。大地はそこに座るように榊に言われた。
「気持ち悪かったら横になってくれて良いからね」
「大丈夫ですって……気分良いんですよ」
 自分はそれほど飲む前と変わっていないと思っているのに、榊の方は不安そうだった。
「いや、酔っている人間は自分で自覚しないところが怖いんだよ。はっきり言って君は酔っているよ。水はここにあるから飲んで、暫くここにいた方がいい。君と一緒に来た彼女たちには先に帰ったことにして置いてあげるから、大良が帰る時間まで寝てなさい」
「はあい……」
 といって大地はソファーに腰掛けた状態で横に寝転がった。そうすると確かに目が回っているような気がした。榊はそれを見て安心したのか、店の方へと戻っていった。
「ん……俺……酔ってねえよなあ……」
 ぼうっとした顔で独り言を言った。
「しっかし、すっげー貢ぎもんだなあ……ばっかじゃねーの……」
 机に置かれている花束やプレゼントが自然と大地の目に入るのだ。どうしてホストに貢いだり、つぎ込んだり出来るのだろうと大地は不思議なのだ。彼らからは本当の愛情など貰えないのに、だ。見る限り綺麗な人も多い。確かに夫がいるような女性も見受けられた。赤の他人に相談するなら、夫にした方が家庭円満になるのではないかとも思う。
 そんなことを考えていると、うとうととしだした。寝ちゃってもいいっか……と思いながら、浅く寝たり、意識がぼんやりと戻ったりを繰り返していた。時折ぼそぼそ聞こえるのはここに戻ってくる従業員の声だろう。すると、何度目か目を開けた頃、いつの間にか誰かがこちらを覗き込んでいた。博貴なのだろうかと大地がその覗き込む相手に視線を合わせると、見たことのないホストだった。
「大丈夫かい?」
 意識がぼんやりとしているので、髪を茶色に染めていることしか認識できなかったが、博貴ではなかった。
「誰え?」
 大地は起きあがろうとしたが、相手に「辛いだろ、いいよ、横になってくれていて」といってソファーに戻された。
 ぼーっとした、視界の向こうにいる誰かを大地は必死に見ようとしたが、やはり顔は良く分からない。
「君さあ、大地君って言うんだよね」
 なんだか相手の声は弾んでいた。
「はあい……」
 酔っている所為か、適当にしか受け答えできないのだ。
「新聞で見た君より実物の方がもっと可愛いね」
「……ん、眠い……」
 なんだか話すのも大地はうざったかった。靴も脱がずにソファーで丸くなった。
「ねえ、良かったら、今度食事でもどうかな?」
「……ふうん?」
 閉じた目を何とかこじ開けて様子を窺うと、誰だか分からない男が随分近くに見えた。
「ああ、ホンット可愛いや。俺、君みたいなのタイプなんだ」
 そう言って、男は両手でソファーをまたぐように置き、こちらが逃げられないようにしてから、どんどん顔を近づけようとしてくるので、危険を感じた大地は動物的な本能のみで、その男を蹴り上げた。
「げふっ!」
 そんな反撃に出られるとは思わなかった男は蹴り上げられ、後ろの机の脚に大きな音を立ててブチ当たり、ずるずると床にのびた。やっぱりこの店は危険だと大地は身体を起こすと、側に置いてあった水を頭からかぶって、酔いを醒まそうとした。だが酔いはなかなか頭と身体から抜けてくれなかった。
 ぷるぷると頭を振って立ち上がると大地は、危なっかしい足取りでその部屋を出た。出口を探したが、見あたらない。フッと視線を後ろに向けると、裏口らしき扉が見えた。ラッキーと思いながらその扉を開けて外へと出た。そこはビルとビルの裏側にある小道であった。だが表通りに出る脇道がない。
「まあ……ここ……真っ直ぐ行って曲がればいっか……」
 大地はそう思い、歩き出した。

「大良……ちょっと」
 榊が困った顔で博貴を呼んだ。今丁度、自分の客を店から送りだしたところであったので、振り返る余裕があった。
「どうしたんですか?」
「いやあ、大地君がねえ……申し訳ない」
「え?」
 何となく嫌な予感がした。大地が暴れたとでも言うのだろうか?
「ちょっと裏に来てくれないか?」
 そういうので博貴は榊に付いて行った。
「実はね、彼にせがまれて二、三杯ほどカクテルを作ってあげたんだよ。いや、最初はウーロン茶を出していたんだが、彼に頼み込まれるとどうも断れなくてね」
 博貴にはその榊の気持ちが良く分かった。駄目だということに対し相手を簡単に懐柔する事が出来るのは、大地の天性と言うしかない。
「分かりますよ」
 思わず博貴は笑みが漏れた。
「で、酔ったようなので、こっちの部屋で休ませていたんだが、様子を見に来たら、南くんが伸びていて、大地君はどうも裏口から出ていったみたいなんだよ」
「え?」
 部屋に入ると南が腹を押さえてソファーに腰をかけていた。こちらに気が付くとばつの悪い顔を見せた。
「南君ねえ、言ったでしょう。彼に悪戯しようとしたら、ただで済まないって……」
 どうせ、何かしようとして大地に蹴り上げられたか、拳が飛んできたのだろう。ちゃんと釘を差して置いたにも関わらず、全く……と博貴は呆れ返った。
「べ、別に何かしようとした訳じゃないですよ。ホンッと誓って!大丈夫かいって覗き込んだらいきなり蹴り上げられたんですって!」
 その程度で大地とて蹴り上げたりしないだろう。全く一体何をしようとしたんだと問いつめたい気持ちに駆られたが、痛みで悲痛な顔をしている南を見て同情してしまった。その所為か、まあ、そういう事にしておいてやるよ、と博貴は思った。
「病院に行って置いた方がいいよ。折れてはいないだろうけど、肋骨にヒビが入っているかもしれないからね。普段なら手加減するだろうけど、酔ってる彼は加減が分からないだろうし……。かなり激しく蹴られたんじゃないのかい?」
「痛いです……かなり……」
 青い顔をして南は言った。
「南君、店では嫌がる相手と酔った相手に手を出そうとするのは違反だったね」
 榊が冷たくそう言った。こういう場合の榊はとても厳しいのだ。このクラブには色々約束事というより絶対的な決まり事が幾つかある。それを守れない者は榊によって首をきられるのだ。
「す、済みません」
 南はかなり反省しているようであった。大地によって既に罰を受けているのだから、許すしかないだろう。
「いいですよ。彼には私から謝っておきますから……」
 博貴はそう榊に言った。それでも暫くは南がこの店で肩身の狭い思いをするのは目に見えていた。それで良いだろう。しかし、出ていった大地は何処へ行ったのだろうか?博貴は顔に出さなかったが心配であった。この辺りは妙な道に入り込むと、抜け出せなくなる。その上、この時間は怪しげな人間もうろつくのだ。だからといって探しに出たとしても、何時間か前に、既に出ていった大地を見つけることなど出来ないだろう。携帯番号を聞いておけば良かった。いや、せめて自宅の番号くらいは控えて置けば良かったと博貴は後悔した。
「どうしようかね大良……警察に連絡した方がいいかい?」
「いえ、彼ももう社会人です。ちゃんと家に帰っていると思いますよ」
 それは博貴の希望であった。

 ふらふらと道を歩きながら、方向感覚がほとんどないのに気が付いた。ただでさえ、まだ地理が良く分からないのだ。新宿駅の方に行けば良いのだが、どっちの方向か分からない。人は沢山歩いているのだが、聞くのもなんだか田舎者のような気がして恥ずかしかったのだ。いや、田舎者は田舎者であるのだが、知られたくないのだ。
 だんだん、なんだか良く分からない通りを歩いており、ちょっとまずい?とふと酔った頭で考えた大地は道の端の方へ寄って、ちょっと休むことにした。とにかく眠くて眠くて仕方なかった。
 壁にもたれてぼんやりしていると、遠くから何処かで聞いたような声が聞こえた。それは真喜子の声であった。大地はなんだか嬉しくなってその声のする方へ歩き出した。

「真喜子さああん……」
 嬉しそうに走ってくるのは大地であった。この状況を見て、それでも笑顔で走ってこようとしているのなら、ただの馬鹿だった。
「大ちゃん!馬鹿!来ちゃ駄目よ」
 真喜子はトラブルに巻き込まれていたのだ。真喜子は客と歩いていると、客の方がどうも因縁を付けたがっている男の肩に触れたようなのだ。それで、男達は良いカモだとばかりにこちらに怒鳴りつけて金を巻き上げようとしているのだ。暫く我慢すれば警官が走ってくる。いつものことだ。違うところは、そうやってもめているところに大地が割って入ってきたことだった。
「えー……なんでえ?」
 大地の目は潤んだように光っていた。
「可愛い兄ちゃんじゃないか……」
 急に割り込んできた大地を三人の男達は舐め回すように見た。
「ちょっと、この子は関係ないのよ。ほら、大ちゃん、あ、貴方酔ってるわね。そんなことはいいわ!さっさと帰りなさい。ほら……」 
 大地の腕を掴んで、ここから離れるように言うのだが、大地は嫌々をするのだ。何て可愛い仕草なの?と、一瞬思ったが、そんなことを考えている場合じゃないのだ。下手すると、大地がぼこぼこにされるかもしれないのだ。
「真喜子さん……綺麗……」
 じいっと大地は真喜子を見つめて言った。大地の場違いな台詞に思わず真喜子は言葉を失った。
「大ちゃん!良いからさっさと……」
「いいぜ、俺達。彼も仲間に入れてやってもさあ、なあ」
 三人の男はそう言ってニヤニヤしている。どうも金だけじゃなくて他のものも手に入れようとしているのかもしれない。そう考えると真喜子は自分より大地がやばいと思った。
「さっきから五月蠅いなあ……」
 どうしようかと考えていると、大地が三人に向かって言った。ちょっとまってえ!と思った時には大地が喧嘩を売っていた。
「なにかなあ、可愛い僕ちゃん。お兄さん達と良いことしようかあ」
 へらへらと笑っている一人の男の急所に大地は涼しい顔をして蹴りを入れた。
「げええっ!」
 といってその男は倒れた。
「てめえ、甘い顔してるとつけあがりやがって、その可愛い顔を滅茶苦茶にしてやろうか?」
 すごむ男達をジロッと睨んだ大地は真喜子の前に仁王立ちした。
「あああ、もうっ!五月蠅い!俺……真喜子さんと話してんだから……外野は黙っててくれない?」
 えへっとした笑顔を残った二人に向けると、二人は大地に魅入られたような顔で立ちすくんだ。そこへ大地は右の男の鳩尾に一発拳を付きだした。男は一瞬で気を失った。それを見た左の男が、我に返って刃物を取り出し大地に向かって斬りつけたが、大地はそれを簡単にかわして刃物を持つ手首を右手で叩き、刃物を落とさせ、同時に腹を蹴り上げた。それがかなりの威力だったのか、五メートル先まで男は吹っ飛んで倒れた。まるでアクション映画のワンシーンのようであったため周りで見ていた人達からパチパチと拍手が起こった。だが、当の大地は何事もなかったように、えへえへ笑っている。
「だ、大ちゃんって……すごい……」
 あっと言う間に三人をのした大地を見て真喜子は呆気にとられた。そんな真喜子に近寄って大地は言った。
「迷子になっちゃったんだ……」
 先ほどの鋭さが無く、そこには途方に暮れた子供がいた。
「え??」
 あまりの間抜けな言葉に真喜子は急に笑い出した。
「君すごいねえ……」
 そこへスーツをきっちり着込んではいるが、まっとうな職業ではなさそうな男が近寄ってきた。髪を後ろに撫でつけ、薄いサングラスをかけている。濃い眉にやや薄い唇が真喜子には軽薄な印象を与えた。何処かで見た顔なのだが思い出せない。
「……あんた誰え?」
 急に現れた男に思わず大地が戦闘態勢を取ると、ニコリと笑って「すごいものを見せてくれたお礼にこれをあげるよ」といって、大地の手にキャラメルを幾つか乗せた。
「あーキャラメルだア……」
 急に破顔して大地は嬉しそうにその男に言った。真喜子はそんな大地を後ろから抱き寄せて「大ちゃん。知らない人から貰っちゃ駄目よ」と言った。先程の男達より危険な感じが真喜子にはしたのだ。
「毒は入っていませんよ。シャガールの真喜子さん」
 口元に笑みを浮かばせて男は言った。
「え?」
 この男は何故自分の名前を知っているのだろうか?もしかしてうちの店に来たことがあるのだろうか?だが真喜子は思い出せないのだ。
「君、名前は?」
 男は屈んだ姿勢で大地に言った。
「大地……大きいに地面の地……」
 キャラメルをしっかり握って大地は言った。
「そうか、済まなかったね。若い衆によく言い聞かせておくから、無礼を許してくれるかい?」
 そうだ、この男はこの辺りを仕切っているやくざの若頭の藤城だ。真喜子はそれに気が付くと余計に大地を掴む手に力が入った。
「はあい……」
 真喜子の緊張を全く気がつかない大地は手を上げてそう言った。生徒か大ちゃん!と、真喜子は呆れたが、藤城は嬉しそうだ。これってまずいの?とふと考えたが大地が酔っているのでどうにも身動きがとれない。
「貴方にはお店にお詫びの花束でも贈りますよ……では」
 そう言って藤城は去っていった。気が付くと大地の、のした三人の姿は何処にも無かった。今の会話の間に藤城が片づけたのだろう。
 真喜子はとりあえず座り込んでいる客を立たせて、タクシーに乗せて片づけると、うつらうつらとしている大地の手を取った。
「帰るわよ。大ちゃん」
「ん……眠い……」
「帰ってから寝なさい。で、どうしてこんな時間にこんな所をうろうろしてるの?」
 よろよろとしている大地を引っ張りながら真喜子は聞いた。
「大良の店に……無理矢理つき合わされて……カクテルのんでえ……寝てたら襲われそうになったからさあ……逃げてきたんだあ……」
「はあ?誰に襲われそうになったの?」
 タクシーに押し込んで真喜子は聞いた。
「知らない……人お」
 へへへと笑って大地は言った。
「誰かに帰ること、ちゃんと言ったの?」
「ううん……店に入るの怖くて、そんなの……考えなかったよ……」
 一体博貴の店はどうなってるのだろう、あそこは男を口説く場所ではないはずだ。では、博貴の方もいなくなった大地を探しているのではないかと考えた。時計を見て時間を確認すると、博貴の店が終わる時間にはまだ一時間ほどあった。
「仕方ないわね。子守を呼んであげるから、暫くうちで休んでなさい」
「はああい……」
「手は上げなくて良いの」
 タクシーの運転手がその光景を見て含み笑いをした。
「全く……」
 マンションに着くと、真喜子は大地をたたき起こし、部屋へ何とか入れさせた。ベッドまで案内しようとしたが、途中でぐったりと倒れ、すやすやと寝ようとするのを又たたき起こして歩かせた。
「真喜子さああん……眠い……」
 涙目で大地は訴えるように言った。
「ほら、ここで横になってなさい。光ちゃんには私から連絡してあげるから」
「はああい」
「だから手を上げなくて良いの。私は先生じゃないよ」 
 今日は何度大地に笑わされたのか分からない。真喜子はベッドに丸くなる大地を見ながら携帯をかけた。
「もしもし……光ちゃん?今いい?」
『どうしたんだい?珍しいね。真喜子さんから電話が入るなんて』
「あのねえ、そんなのんきなこと言ってる場合なの?」
『え?』
「うちに大ちゃん来てるのよ。というより、連れてきたという方が正しいわ」
『ええ!どうして大ちゃんがそこにいるんだい?』
「詳しいことは貴方が来てから話すわよ。帰りにこっちに寄ってちょうだい」
『分かったよ。後一時間ほどでそっちに行くよ』
「出来るだけ早く来てよ。私も眠いんだから」
『了解』
 電話を終えると、真喜子はベッドに座って大地の寝顔を見た。大地は、まるで小さな子供のような顔で眠っていた。着ている上着から携帯が覗いていた。真喜子はそれを取り上げて自分の携帯の番号を打ち込んだ。そして何かあったときのために自分の番号も大地の携帯に打ち込んだ。
「いつ気がつくかしら……」
 そうして真喜子は大地の上着のポケットに携帯を戻した。すると大地が寝返りをうった。左手にはしっかりと先ほど貰ったキャラメルを握りしめている。
「可愛いなあ……。ちょっと勿体ないことしちゃったなあ」
 クスッと笑って真喜子は立ち上がると、暫くそっとして置いて上げようと寝室から出た。 三十分ほどすると大地が這って出てきた。
「どうしたの?」
 真喜子は丁度ワインを飲んでいた。
「水が欲しい……んですけど……頭痛い……」
「クスリも飲んだ方が良いわね。そこのソファーに横になってなさい」
「はあい」
 大地はやっぱり手を上げていた。
 クスリと水を持って戻ってくると大地はソファーに寝ころんでいた。
「はい、これ酔い覚まし。それと水ね」
「すみませえん……」
 大地は貰ったクスリと水を飲んで一息ついて、又目を閉じた。
「光ちゃんには連絡して置いたからもう少ししたら来てくれるわよ」
 そういうと大地はうっすら目を開けてじっとこっちを見た。
「どうしたの?」
「ん……と、真喜子さん……ここ……一人で住んでるの?」
「そうよ」
「彼氏いないの?」
「いるわ沢山……」
「一番好きな人はいるの?」
「ええ。でもよく自分の気持ちが分からないから……今離れて暮らしてるの」
「好きなのに?」
 なんだか大地は悲しそうであった。
「好きだと思うからよ」
「ふううん……」
 複雑そうだった。
「まだね、本当に好きかどうか分からないの。そういうときは一緒に暮らしてみるか、離れてみるかを選ぶのよ」
「なんで?」
「一緒に暮らしたら相手の性格が分かるでしょ、合うか合わないかね、離れて暮らすとものすごく寂しかったり、やっぱり近くに居たいと思ったら好きな証拠でしょ。だから私はある程度相手の性格分かってるから、離れてみて判断してるのよ」
「どう?」
「そうね……一人で暮らせてるわ。寂しいと時々思うけど……側で暮らしたいと思わないわ……。きっとあんまり好きじゃなかったのね。それが少し辛いかな」
「真喜子さああん……」
 大地が涙ぐんでいた。
「どうして大ちゃんが泣いちゃうの?馬鹿ねえ。私は大丈夫よ」
 真喜子は笑顔でそう言った。
「うん……」
 そう言って大地は又眠った。今の話を次目が覚めたときに思い出すだろうか?忘れてくれた方がいいと真喜子は思った。自分がつい本音を言ってしまった事に後悔したのだ。
「大ちゃん……今の話し……忘れようね」
「はー……い」
 眠っているはずの大地が小さな声でそう言った。
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