「ユーストレス 第2部」 第5章
愛してるって……?
宇都木さんは如月さんに言ってるの?
だって……如月さんは男の人だよね?
宇都木さんも男だよ。
おびただしい疑問が一気に沸いてきて、恵太郎は混乱していた。
「未来……大きな声を出すと、気付かれるぞ……」
如月が笑いながらもそう囁いている声が恵太郎の耳に入る。
「あ……あ……邦彦さん……もっと……もっと奥を突いてっ……足りないんです。もっと……私を……滅茶苦茶にして……」
喘ぎながらも懇願する宇都木に、恵太郎は全身が赤らみそうな気がした。なにをしているのか未だ定かではないのだが、それでも宇都木の声だけで何故か羞恥で一杯になる。このまま扉の隙間からなにが見えるのか恵太郎には想像もつかなかったが、一度止めた手足を機械的に動かして、扉の隙間を目指した。
見たいという好奇心よりも、なにが行われているのか、ただ、目にしたかっただけだった。見ては駄目だという理性もあるにも関わらず、手足はゆるゆると動き、ようやく扉の隙間から覗ける位置まで恵太郎は移動した。
心臓の鼓動が、耳にまで聞こえてきそうな程、早まっている。額から落ちる汗が頬を伝って、恵太郎は震える手で拭った。口の中のつばを飲み込み、音をさせないように深呼吸する。そうして、まるで自分が亀にでもなったような仕草で首を伸ばして隙間を覗いた。
ヘッドボードに取り付けられている小さな明かりに浮かび上がった宇都木は裸だった。如月も裸だ。
そんな姿で二人は大きなベッドの上で抱き合っている。宇都木は如月の首に手を回し、しっかりと抱きついて恍惚とした表情をしていた。如月の方は宇都木の両脚を抱え、腰を動かしている。ギシギシとなるスプリングの音はその動きから聞こえたに違いない。
半開きの宇都木の唇を如月は何度も舌で舐めていて、時に合わさっていた。あれがキスというものなのだと、恵太郎はぼんやりしながらも理解した。だが、二人は男同士で、普通は考えられない行為だった。
……あれって……
セ……
セックスっていうのかな……
思考が止まっているにもかかわらず恵太郎の脳裏にはそんな言葉が浮かんだ。
「あ……あっ……あ……イイ……もっと……」
既に如月をしっかり抱きしめている宇都木の腕に更に力が込められている姿は、恵太郎には刺激が強すぎた。こういう行為を見たことがないとは言わない。テレビの二時間ドラマでは必ずと言って良いほど見られるのだ。大抵は下半身は毛布で覆われている。だが、今目にしている二人には毛布など掛けられていない。
隙間に近づいて見てしまったことで、今まで聞こえなかった粘着質な音が耳に入った恵太郎は、一瞬息が止まるかと思うほど衝撃を受けた。テレビでみた場面にはこんな音など入っていなかったのだ。
伸ばしていた首を元の位置まで戻し、恵太郎は息を止めたまま、四つんばいの格好で後退した。爪が床を引っ掻いて音が鳴らないように、恵太郎には珍しく細心の注意を払って隙間から距離を取ったのだ。
こんなところを見たと気付かれたら、どう言い訳して良いのか恵太郎には、何の言葉も思い浮かばなかった。怒られるのか。それとも二度と恵太郎と会いたくないと言われるのか。いずれにしてもばれてしまったのなら恵太郎は宇都木から聞きたくないような言葉を発せられるに違いない。
み……
見なかったら良かったっ!
心の中で何度も後悔しつつ、恵太郎は目をギュッと閉じたまま後ろへと下がり、玄関のところでひっくり返り、慌てて廊下へと戻ると、そろそろとリビングの方へ戻って、先程まで座っていたソファーに腰を下ろした。
無言のまま恵太郎は冷めた紅茶を一気に飲み干して、クッキーを籠から数枚掴んで口の中に放り込む。バリバリとモグモグと歯でかみ砕き、呑み込んで喉が詰まった。飲物はもう既になかったため、慌ててキッチンに走ると蛇口を捻って水道水をごくごくと飲んだ。
「はあ……」
ズルズルとその場に座り込み、恵太郎は頭を掻いた。二人をどう判断して良いのか分からないのだ。ああいった行為を間近で見たことが無いのもあるが、それよりも男性同士で抱き合っていることに衝撃を受けたのだろう。
宇都木さんって……
あの人のこと好きなんだ……。
男だけど……さ。
両脚を抱えて天井を見つめつつ、恵太郎は大きく息を吐いた。焼き付いた二人の光景が頭から離れてくれない。振り払おうとしても、浮かび上がってくるのは宇都木の恍惚とした表情だった。
男性に対して色っぽいという表現をしていいのかどうか分からないが、恵太郎は確かにそう見えた。いつもの宇都木とは全く違う姿を見てしまったが、落胆した気にならないのが恵太郎には不思議だ。
好きなんだよね……。
誰かを愛することは素晴らしいことだと父親である駿は良く言っていた。母親は恵太郎が物心つく前に亡くなってしまったために覚えていないのだが、元々長生きできないと言われていたらしい。恵太郎を生んでから、更に体調を悪くしたのだろうと、駿はなにも言わなかったが、恵太郎はそう考えていた。
如月さんは男だけど……
好きになるって良いことなんだよね。
宇都木が嫌だと思うのなら、ここには住まないはずだ。最初、表札を見たときに疑問を感じたが、あの、青い目の如月のことを愛しているから、このうちに宇都木は暮らしているのだろう。
だけど……
なんだか……は、恥ずかしいかも……。
抱え込んだ両脚の膝に額を擦りつけて、恵太郎は後悔した。向こうも見られたくなかった二人だけの世界だったに違いない。こっそり見てしまった行為は責められるべきものだ。
謝ったらいいのかなあ……。
だけど……
向こうだって見られたくないはずだから黙っていた方が良いんだよね。
擦りつけていた額を上げて、今度は顎を膝に乗せて、うじうじと悔いながら、尻が冷えてきたことでようやく腰を上げた。
もう一度リビングに戻り、ソファーに座ると、恵太郎はまだ聞こえている小さな声を無視しつつ、ようやく問題集に取りかかった。とにかく一問でも解いておかないと、恵太郎がなにをしていたのかと宇都木が疑問に思うに違いない。そうなったら、覗いたことが知られる可能性もあるのだ。
一問でも解くぞっ!
やる気だけは満々になっていた恵太郎だったが、耳に入ってくる小さな声が気になって集中ができない。仕方なしに恵太郎はテーブルに置いてあったティッシュケースから一枚柔らかな紙を引き抜いて耳栓代わりにした。
すると、声など全く聞こえない状態に落ち着く。これなら、問題集を解くことに集中できるに違いない。
恵太郎はようやくシャーペンを掴んで問題集に取り組むことができたが、一問を解き終わったところで逸輝のことをふと思い出した。
逸輝……
そういえば、僕のこと好きとか言ってたけど……。
もしかして、宇都木さんと如月さんみたいな意味だったのかなあ……。
……
…………
えーーー!
ちょっとやだ。
逸輝と自分がベッドで絡む姿を想像してしまった恵太郎は、持っていたシャーペンに力がこもったために芯を折った。
ちょっとじゃなくて、思いきり嫌なんだけど……。
宇都木と如月は良くて、自分が嫌というのも変な話なのだが、逸輝はどうみても友達にしか思えないのだ。そんな逸輝と『恋人同士』の姿など想像しただけで、嫌な気分になってくる。
逸輝は恵太郎が好きだと告白してくれたのだが、恵太郎にはとても受け入れられない言葉だった。恵太郎にはとても逸輝に対して恋愛感情など持てない。これからどう付き合おうと逸輝はただの友達だった。何故そう思うのか恵太郎にも分からないが、好きという感情が無いから仕方ない。
男が相手って言うのが悪いんじゃないけどさ……。
恵太郎は唇の上にシャーペンを挟んで、ほおづえをつく。
同年代というのがまず恵太郎にはそういう対象には見られない原因かも知れない。もし男性で、好きだと思える相手が出てくる可能性があったとしたら、恵太郎は年上の方が良いと考えた。
自分が子供だからというのもあるだろう。包容力があり、自分の小さなミスも笑い飛ばしてくれるような相手がいいのだ。そうなると年上しか考えられない。
年上……
年上かあ……
真下さんならいいかなあ……
ふと真下の顔が頭に浮かんだ恵太郎は、思わず顔が赤く染まった。
自分は一体なにを考えているのだろうと。
考えを払いのけるように頭を左右に振った拍子に、シャーペンを脇に落とし、慌てて拾おうと手を伸ばしたところで、宇都木が困惑したような表情で立っているのが見えた。