「ユーストレス 第2部」 第10章
「どうしたんだね?」
扉に手をかけながら真下は恵太郎に問いかけた。
「……え。なんだか、僕に彼女ができるっていうのが……その……想像がつかなくて……」
恵太郎は鼻の頭を掻きながら、不思議そうな表情をしていた。言われてみると自分が言った言葉であるのに、恵太郎の隣に可愛い女性が立っている姿が想像できないでいた。理由を問われてもピンと来ないが、確かに真下も恵太郎と同じ気持ちだった。
「……まだ君は恋をしたことがないからだよ。ああ。きっとそうだ」
どうしても恵太郎の幼さが、そう見せるに違いない。なにより顔立ちも悪い方ではないのだ。もう少し大人になれば、ぐっと真実みが出てくるのだろう。
「僕、思ったんですが……。宇都木さんって、最初見たとき、恋人がいるように見えなかったんです。ううん。女性が隣にいるのが想像付かないって言うか……。でも、あの、如月さんって人と一緒にいるとき、なぜだかぴったり!って思ったんです。これって変ですか?」
恵太郎はわくわくとした表情で嬉しそうだ。なにが嬉しいのか真下には一向に分からない。確かに宇都木はそういった女性の影がちらつかないタイプだ。いや、付き合うと言われても多分ピンと来ないに違いない。それは昔から宇都木が如月に想いを寄せていたことに気づいていたからなのか、女性にたいして宇都木が一向に目を向けなかったからかどうか、真下にも分からない。
とはいえ、世の中にはどう見ても『女性の恋人』が想像つかない男性がいるのだ。そういった男性はやはり同性に惹かれている場合が多いようだ。
「……まあ、男性であっても女性であっても、好きな相手が側にいるとお似合いに見えるのではないかな。そういうものだろうね」
「……あの……僕って、女性が似合いますか?それとも男性?」
真面目な顔で問いかけてくる恵太郎に、真下は笑って誤魔化すことができなかった。というより、一体どういうつもりで問われているのか全く理解ができない。相手によってからかわれていると判断することができただろうが、恵太郎だ。しかも真剣な顔つきなのだから、真下の方が慌てそうだった。
「もちろん、女性だろうね。可愛いタイプが鳩谷君には似合うと思うよ。さあ、本当に遅い時間だ。私もそろそろ仕事に戻ろう」
当たり障りのない答えを口にして真下は恵太郎の部屋から出た。とにかくあまり長居すると本日は不味いような気がしたからだった。
可愛いタイプの女の子か……
頬杖をついて恵太郎は思わず考え込んでしまった。自分の隣に可愛い女の子が一緒に並んでいるところを想像できないのだ。逸輝は何度か同級生の女の子と付き合ったことがあったようだが、恵太郎にはそういう経験はない。
ラブレターなどもらったこともないし、告白されたこともない。いや、そういう対象に見られないと言った方が正しいのだろう。これは恵太郎自身もそう思うのだ。
恵太郎くんって、安全パイよね~なんてことは良く言われたことだ。何がどう安全なのかよく理解できないのだが、要するに恋愛対象には考えられないと言われているのだろう。もっとも、恵太郎も付き合うということや、初体験など意識したことなどないから、現実に考えたことがなかった。
とはいえ、宇都木のちょっと照れくさそうにしている姿や、如月を見つめる瞳に浮かんでいた絶対的な信頼を見ると、少しばかり恋をしてみたいと思うのだ。しかも宇都木は好きな相手と一緒に暮らしている。とても幸せそうに見える二人を目の当たりにして、当てられたといった方がいいのだろう。
恋人か……
あこがれた相手はいたが、よく考えてみるとどの人も男性だった。もっとも、恵太郎自身が自分に対して自信がもてない性格であるから、男らしい相手を見るとあこがれるのだ。これは恋とは全く違う。
……なんだか僕……
変なことを考えてる?
自分の相手を考えるとき、どうして男性を思い浮かべているのだろうか。普通なら女性であるべきなのに、恵太郎は先程から男性のことばかり考えている。もしかすると、以前世話になっていた佐中家で女性の怖さを知ってしまったからかもしれない。
おばさんはいい人だったけど……
あ……
あそこの姉妹も悪い人じゃなかったけど……。
ちょっと怖かったもん。
引っ込み思案の恵太郎からすると、ずばずばと口にする彼女たちがとても羨ましくて、反面怖かった。女の子はこういうものなのかな……と、思うものの、見てはならないような姿まで目撃してしまったのだから、女性に対して退き気味になるのも仕方ないだろう。
はあ……。
もう、どっちでもいいけど……。
でも、やっぱり宇都木さんはいいなあ……。
自分がもっと大人で、しっかりしている男性であったら、宇都木に惹かれていたかもしれないと本気で恵太郎は思った。頭がよくて、とても綺麗で、しっかりしていて仕事もできるのだろう。仕事をしている姿は電話での会話でしか分からないものの、あの、真下が信頼しているのだから余程、仕事ができるに違いない。何よりもともと東家に仕える秘書だったのだから、普通のサラリーマンではできないことでもサラリとこなしていたのだろう。
いいなあ……。
あんなふうになりたいな……。
ため息を一つついて、恵太郎はようやく椅子から腰を上げた。そろそろ就寝しないと明日が辛いに違いない。
目を擦りながらパジャマに着替え、恵太郎が室内の電灯を落としたと同時に携帯が鳴った。こんな時間に誰だろうと思いつつ携帯を取ると逸輝からだった。
「逸輝……こんな時間になに?僕、もう寝るんだけど……」
ベッドに腰をかけて恵太郎は小さなあくびを漏らした。
『悪い。なあ、明日出てこないか?俺、暫くはそっちに顔出せそうにないし……』
言いにくそうに逸輝はもごもごと言葉を濁している。
「……僕、本当に宿題ためているから、ちょっと真剣に取り組むつもりなんだ。だから……ごめん。出て行けそうにないよ……」
聞きたいことはあるのだが、逸輝と遊びに行くと真下に話して許可が貰えると思えなかったのだ。いや、逸輝が恵太郎にどういう気持ちを持っているのかを知った今では、それにかこつけて会いたくないのが恵太郎の本音だった。
逸輝には本当に悪いと思うのだが、二人きりになるのが怖かった。
『……宿題か。だからさあ。俺の写せばいいよ。すぐに終わるだろ?』
「僕、全部できなくても自分でできるところはやりたいんだ。だって、このままじゃ本当に僕、お馬鹿さんになっちゃうもん。今まではなんとか留年せずに学年を上がれたけど、これからは分からないし……。もう少し真面目に勉強する気でいるんだ。って、言っても僕のことだから、逸輝みたいにすごく頭がよくなるとは思わないんだけどさ」
えへへと笑いで誤魔化すように恵太郎が話すと、逸輝はしばらく沈黙した。なんとなくこの間が恵太郎には居心地が悪い。逸輝のことは嫌いではないが、恋愛感情など恵太郎にはこれっぽっちもないのだから仕方ないのだ。
『……俺、もうケイに変なことしないからさ……』
ようやく口を開いた逸輝はそう言った。
「別に……そういう意味で駄目って言ってるわけじゃないんだ。本当に僕、真剣に勉強がしたくて……」
『違う。俺が変なことこの間しようとしたから、ケイは警戒してるんだろっ!もしかして真下のおっさんがなにか俺のこと悪く言われたんじゃないんだろうなっ!』
いきなり鼻息荒く怒鳴られたことで恵太郎は驚きつつも、真下のことをおっさんと言い放った逸輝に腹が立った。
「真下さんはおっさんじゃないし、何も逸輝のこといってないよ。どうしてそんなふうに言うんだよ」
『俺達からするとあの年齢は全部おっさんだろっ!なにか間違ってるのかよ』
逸輝の怒りは収まらない。とはいえ、自分達を基準にすると確かにここにいる人間は皆大人だ。
「間違ってないけど……。逸輝の言い方には棘があるよ。真下さんは、仕事もできるし、東家の筆頭秘書ですっごい信頼されている人なんだから、そういう言い方は、僕、感心しないよ。逸輝からするとああいうできる人は苦手なのかもしれないけど、僕を甘やかすこともないし、かといって厳しすぎることもない、優しい人だと僕は思う。それに、父さんが亡くなってからずっと僕のことを遠くからいろいろと面倒見てくれた人なんだから、恩人って言ってもいい人なんだ。だから、そんなふうに言わないでくれる?」
思わず恵太郎がムッとした口調で返すとまた逸輝は沈黙した。
「ごめん……逸輝。僕、本当に明日は駄目なんだ……。だから……また今度にしてくれない?本当にごめん。じゃあ……もう遅いから……切るね?」
申し訳ないと思いつつも、引っかかっている逸輝に対する気持ちが、早く携帯を切りたいと恵太郎を急かしていた。
『……俺、あそこですごいものを見付けた……』
逸輝がぽつりと言ったことで恵太郎は携帯を切ることができなくなった。