Angel Sugar

「監禁愛2」 第1章

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 その男の口から忘れようとしていた過去を叩きつけられるとは名執はこれっぽちも思わなかった。

 名執雪久は警察病院の外科医であった。
 恋人もいる。
 恋人の名は隠岐利一、警視庁捜査一課強行犯捜査三係の敏腕刑事であった。
 彼らには秘密があり、そのことに気づいたのが付き合いの始まりであったが、彼らは一つの身体に二つの魂を有している特殊な人物であった。
 名執はその二人のうちの一人、リーチと付き合っていた。
 もう一人のトシにも恋人がおり、そちらは散々もめたが、現在はうまくいっているようだった。
 一人の男性に恋人が二人という構成もさることながら、それを認めた恋人たちもとりあえずお互いの約束事をきちんと守り、結構うまくやっている。
 一週間交替でトシとリーチは身体の主導権を交替させており、プライベートはお互いスリープと言う意識の休眠状態に入り完全にプライバシーを守ることにしていた。 
 そして今週主導権を持っているのがトシであった。
 早く一週間経てばいいのに……
 名執はそう思いながら、その日も診察やオペに追われていた。
 あと四日……
 トシが主導権を持っている週は一度たりともリーチから連絡は来ない。名執も連絡は一切取らない。それが決まりであったからだ。
 窓から見える薄曇りの空を眺めながら名執は小さく溜息をついた。



 その日名執は昼食を終え、昼からの検診に向かう途中、声をかけられた。
「雪久!雪久じゃないか!」
 見知らぬ男が自分の名を呼びこちらに駆けて来た。
「あの…どちら様でしょうか……」
「昔、お前のうちの隣に住んでいた宮原成人だよ。覚えているだろ?」
「宮原……」
 そういえば……
 名執は霞のかかった様な記憶に残る昔を必死に思い出した。
 祖父に引き取られ、暫くすると隣の家に自分と差ほど変わらない年齢の子が住んでおり、学校に登校しようと玄関を出ると、いつもニヤニヤとこちらを見る目があった。その男の子の家が宮原と言った筈であった。
「お前、昔と全然変わってないからすぐに分かったよ。じいさんが死んで、すぐにお前は留学しただろう。あれから忘れられなかったよ」
 宮原は名執が覚えているニヤニヤ笑いを向けた。
「私はこれから診察がありますので……」
 名執は早くこの男から離れたくて、そう言うときびすを返そうとした。
「そんな邪険にすんなよ。いいのか、本当のことみんなにばらしても……」
 小声で宮原は意味ありげに言った。
「何のことをおっしゃているのか分かりませんが……」
 心の動揺を気取られないように必死に自分を押さえて名執は言った。
 もしかして祖父が自分に対して行った事をこの男は知っているのだろうか?
「ちょっとこっちへ来いって」
 宮原は有無を言わせず名執の腕を掴むと、人気のない所まで引っ張って行った。
「離して下さい」
 ぎりっと眉を引き、名執は言ったが、宮原は全く意に介さない様子で言った。
「お前だって聞かれちゃまずいだろ。こっちは気を使ってやったんだぜ」
「言いたいことがあるならさっさと言って下さい」
「お前が知らないことを俺が知ってるんだ……」
「私の……知らないこと?」
「俺の母さんが、お前んちの掃除に週二回行ってたの知ってたか?」
 確か週に二回掃除におばさんが来ていたことを名執は思い出したが、この男の母親とは知らなかった。何より、名執が学校に行っている間に来ていたようであったので、話す機会がなかったのである。
「じいさんに聞いたんだってよ……お前の本当の父親のこと……。俺もそれ母さんから聞いたのは随分後だったけどな」
 くくくと低く笑って宮原は言った。
「本当の……父親?」
 名執は一瞬ドキリとしたが、顔には出さないように平静を保った。
「そうさ、お前が何でじいさんに酷い目にあわされたのか知ってるか?」
「どうして……それを……」
 ここに来て初めて名執の顔に動揺が走った。
 宮原は知っているのだ。名執があの祖父に一体何をされていたかを……それが分かると名執はもうどうして良いか分からなくなった。今ここで立っているのも奇跡に近い。
「お前の両親は心中だったんだ。お前の本当の父親は、父親の父、祖父がお前の母親にに邪まな気持ちを持って、力ずくで犯してできた子供だったからさ。それに気が付いたお前の父親が自分の父親を殺し、母親を道連れに死んだんだよ」
 あまりの事にすぐに言葉が出なかった。
 この男は一体何と言ったのだ?
 周囲の空気が凍りついたように冷たく名執には感じられた。
「う……嘘です。そんなのは貴方が作った嘘です!」
 名執は必死に自分に言い聞かせるような声で宮原に言った。
「よく考えてみろよ、父方の親戚がどうしておまえを引き取らなかったかさ。おまえが不義の子供だったからだよ。ま、恥ずかしいことだから世間には固く口を閉ざしていたみたいだけどな。新聞には小さく、ただの無理心中って記事が載っただけだし」
 顔面蒼白の名執に宮原はそう言って口の端を歪めて笑った。
「そん……な…」
 分からない……。それが本当の事か、それとも嘘なのか名執には確かめる勇気はなかった。だが、両親が心中する前の日、父親が酷く荒れ、自分に理由も告げずに手を上げた記憶はある。それを止めた母親が何故か謝っていたことも……。
「お前、母親似なんだって?俺の死んだ母さんが言ってたよ。じいさんに娘の写真を見せて貰ったってさ、その娘さんは本当に可憐で、色白、奇麗な瞳を持つお嬢さんだったって、そしてお前にそっくりだったってな」
「嘘……」
「これは俺の連絡先だ、気が変わったら電話してこいよ。気が短い方だからあんまり遅かったらみんなにばらしてやるぜ」
 宮原はそう言って名執の首筋を撫でた。
「ずっとお前の身体を狙ってたんだ……それなのにやっとじいさんが死んで俺の思い通りになると期待していた矢先にどっかに留学しやがって、俺がどれだけ悔しかったと思う?ま、久々に日本に帰って来てやっとお前を見つけることができたから許してやるよ」
 宮原はそう言って名執から離れて去って行った。
 名執はそれを見送りながらどうしていいか分からなかった。
 リーチに……リーチしかこんなこと相談できない…リーチなら…話してもきっと力になってくれる。あまりの事実に一人では抱えきれないことだったのだ。
 名執は自室に戻ると震える手で、リーチの携帯に電話をかけた。
「はい、隠岐です」
 二コールめで電話が繋がった。
「トシさん…済みません雪久です……リーチに代わって貰えませんか?」
 暫くすると交替したリーチが出てきた。
「俺だ…どうしたユキ?」
 名執は愛しい恋人の声を聞いて思わず涙が零れた。
「リーチ……ご…ごめんなさい…今週はトシさんの番だと分かってるんですが……。どうしても、どうしても聞いてほしい事があるんです。夜遅くても待ってますから……待ってるから来てくれませんか?お願いリーチ……ここでは言えないんです……」
 最後の方は涙声であった。
「何だ……どうしたんだ?お前泣いてるのか?」
 そんな名執の様子に驚いてリーチの問いかける声のトーンが上がった。
「どうしても電話では話せないんです。駄目ですか?来られない?リーチ……」
 今こうやって立っているのも名執には奇跡に近かったのだ。
「行くから、今晩だけトシに代わって貰う…。遅くなってもユキの家に行くから泣くな!分かったな?」
 優しく宥めるリーチの声を聞き、名執はひとまず安堵した。
「ごめんなさい……トシさんに謝っておいて下さい……」
「トシの事は気にするな……それよりお前、大丈夫か?」
 心配そうなリーチに名執は言った。
「大丈夫……です」
「ユキ、待ってろよ。ちゃんと話を聞いてやるからな。心配するな」
 そう言ってリーチは電話を切った。
 リーチならなんとかしてくれる…。
 リーチならきっと真実を明かしてもきっと私を嫌わないでいてくれる……
 名執はそう信じて、夜になるのをひたすら待ち続けた。



 時間は十時を過ぎたところだった。
 名執はただじっとリーチがやってくるのを祈るような気持ちで待っていた。今までこれ程時間が経つのが遅いと感じたことは無かった。
 ピンポーン
 来訪を告げるベルが鳴り、名執は玄関へ駆け出した。
 しかし、鍵を開け扉を開くと、もう二度と見たくなかった人物が立っていた。
「お前が帰るのを待って後をつけたんだ」
 扉を閉めようとしたが、宮原は足を扉の間に入れてそれを阻止した。
「帰って下さい!」
 それでも名執は必死に扉を押さえて宮原の侵入を拒もうとした。
「冷たいじゃないか雪久…」
 そう言って宮原は思いっきり扉を押した。
「つっ!」
 名執はその勢いに負けて、押された方向に倒れた。
「気が短いと言った筈だよ……。お前を昼間見てから我慢できなくなって来たんだ。それを拒否する事はできない筈だぜ」
 宮原はそう言って室内に入り扉を閉めた。
 立ち上がって逃げようとする名執の腕を宮原は掴んで捩り上げた。
「痛っ……」
「雪久…やっと俺のものに出来るんだな……」
「だっ…誰が貴方のものになんかなるものですか!」
 パンッ
 宮原の平手が飛んだ。
「つっ……」
「逆らうなよ…お前の良いところは逆らわない事だろ?あのじいさんには思い通りにさせて俺にはさせてくれないなんて、そんな馬鹿な話しは無いじゃないか……」
 そう言って宮原は暴れる名執を引きずるように寝室を探して回った。
「離して下さい!いやです!離して!」
 名執は絶叫に近い声でそう言った。しかし宮原はそんな声に耳を貸すことも無く、寝室を捜し当て名執を突き飛ばすと、持って来た乗馬鞭を取り出した。
「覚えてるよな、お前がじいさんにこれで散々叩きのめされたのも知ってるんだぜ……」
 名執はその鞭を認めると全身が震えに襲われた。
 思い出したく無い過去が今再現されようとしていたからである。
「い……嫌……」
 ベットの端に身を後退させて名執は言った。
「じゃ、脱げよ……ほら、服を脱げって!」
 逃げようとする名執の胸倉を掴んで宮原は言った。
「そんなこと出来ません!」
 宮原はそう言った名執を思いっきり鞭で何度も叩いた。
「嫌ですっ……!止めてください!」
 名執は身体を丸くして腕で頭を庇いながらそう叫んだ。
「ほら、じゃあ脱ぐんだ。手間をかけさせるな……」
 有無を言わせぬ声で宮原がそう言うと、名執は自分のパジャマのボタンに手をかけた。が、自分が今何をしようとしたかに気付いた名執は、ハッとしてその手を下ろした。リーチを裏切りたくないという気持ちが名執を正気にさせたのだ。
「出来ない!」
 そう言ってまた逃げようとしたが、宮原に捕まり鳩尾に拳を当てられた。
「あ……っ」
 その衝撃に名執は気を失った。
「手間かけさせんなよ」
 宮原はそう言って低く笑った。
 名執をベットに横たえ、衣服を取り払った宮原は感嘆のため息を漏らす。
「ああ、想像していたより綺麗な身体をしているじゃないか……」
 気を失い、ぐったりをしている名執の身体に宮原は覆いかぶさると、項に舌を這わせた。「すべすべの肌だな……」
 そうして宮原は手を内股にかけ辺りを弄った。その刺激に名執の意識は戻った。
「あっ!なっ…こんな!いっ……」
 宮原は叫ぶ口に自分の口を重ね黙らせようとしたが、その唇に名執は噛みついた。
「つっ!」
 唇に噛み付かれた宮原は、横に携えていた鞭を再度掴み、名執の白い身体を打ちすえた。すると白い肌に朱色の筋が浮かび上がり出した。
「ひっ……やめて……いや……ぶたないで!」
 過去の悪夢が蘇り出した名執は身体の震えが止まらなかった。
「お前が言うことを聞かないからだ!」
 宮原は執拗に名執の身体に鞭を入れる。その度に朱色の筋は血のように赤く肌に刻まれていく。
「こういうのも欲情するな……」
 宮原は筋の入った肌を唇で嘗め廻しながらそう言った。
「やめて下さい!私には愛している人がいるんです!その人を裏切りたくない……お願いだから許して!」
 名執は宮原にそう懇願した。しかし宮原は自分の行為を止めようとはせず、目の前の白い肌を貪り出した。
「お願いです!お願いだから!私の全てはもうその人のものなんです!だから……だから止めて下さい!」 
 涙声で叫ぶ名執に宮原は言った。
「愛してる人がいるだと?全てはその人のものだと?笑わせるな!お前にそんな資格があるのか?お前の身体には汚れた血が流れているっていうのに……」
 せせら笑いながらのその言葉は名執の心臓をえぐり出すほどの衝撃を与えた。
「あ……」
「それにな、俺はお前の身体さえ自由に出来たら他には何も要らないんだよ!身体だけ頂ければそれで十分だ。お前ってそれだけの存在だったろ?」
「私は……汚れてなんかいない。そう教えてくれた人がいる。私のことを全て知って抱きしめてくれる人がいる!」
 リーチはそう言ってくれたのだ。彼だけが自分を癒してくれた。過去を全て一緒に背負ってくれたのだ。リーチがいるから、今ようやく自分は心から笑えるようになった。
「そんな言葉を本当に信じているのか?笑えるな……。俺と同じようにお前の身体だけが目的に決まっているだろう……騙されてるんだよ。それにじじいの子供だということは知らないんだろう?いくら寛大なお前の彼氏でもそれを知ったらどうなるんだろうな。あ、でもまった上手いこと言ってお前を騙しそうだな。お前の身体は本当に手放せなくなる身体だからさ。騙されてるのもしらねえなんて、可哀相な男だな」
 宮原はそう言って笑い出した。
「彼は……それでも……私を愛してくれる……。あの人は私を騙したリなんかしない!」
 リーチは何時だって名執を大切にしてくれてきた。そんなリーチをこんな男の言葉で疑ったリなどしない。
「俺とこんなことしてるの知ったらそれで終わりだ」
 胸の突起を口に含み手は内股のまだ熱の籠もっていない名執のモノを掴んだ。
「いやーっ!」
 必死に逃れようと名執はするが、身体を押さえ込まれて身動きが取れなかった。それでも手で宮原の肩や頭を殴りつけた。
「この、いいかげん観念しろ!」
「誰がっ……観念などするものですか!」
 そう言った名執の瞳は怒りに燃えていた。それを見た宮原は小さなため息を付くとポケットから小さな錠剤を一つ取り出した。
「これが何か知ってるか?」
 それはピンクの錠剤であった。
「知らないだろうな……日本にはまだ入って来ていない代物だ……ま、言ってる間に広がるだろうがアメリカで人気のファンタジーというセックスドラッグさ。かなり習慣性があるが、お前の身体を縛り付けるにはもってこいの代物だろ?」
 宮原は卑猥な笑いをその顔に浮かべ、名執の奥を指で探った。
「ひっ!」
 名執は身体を捩るようにして、今からしようとしている事を止めさせようとしたが、宮原の指が蕾を探り当て、痛みを伴ってそれが奥に沈められたのを感じると、絶望感で心が砕けてしまうかと思った。
「我を忘れて俺に求めるがいいさ……」
「そんなこと……しないっ!」
「この薬に逆らえる人間はいない。即効に効いてくるから安心しろ」
 拒絶する心があるにも関わらず名執は身体の奥から徐々に熱の波が身体を支配するのが感じられた。
 リーチ……早く来て!
 来てくれるって言ったのに……
 リーチ!助けて!
 このままじゃ私は…この男に……
 名執の頭はぐるぐるとトリップを起こしたようにふらついて来た。
 必死に意識が遠ざかって行こうとするのを、僅かに残った理性が踏ん張るのだが、それもいつの間にか何処かへ追いやられてしまった。
 心が遊離した名執の身体はベットに横たわり、宮原を受け入れた。



 遅くなってしまった……
 リーチは独りごちて、名執のマンションの玄関に立った。
 事件が一つ解決したのでその処理に追われ、既に十二時を過ぎていた。
 本来ならばベルを鳴らすところであったが、遅い時は近所迷惑を考えて貰っていた合鍵で家に入ることにしていた。しかし扉が少し開いているのを見て、リーチは不用心だな…と思いながら中へ入った。
 すると玄関に見知らぬ靴があるのを見てリーチは不審に思った。
 なんだか……妙だな……
 リーチがいつもここに来ると、必ずといっていい程、名執は玄関まで迎えに来る。それが今夜はそれが無かった。
 シンと静まり返ったマンションの部屋がリーチには気味悪かった。名執がいるのかいないのか分からなかったがリーチはとりあえず自分も靴を脱ぎ、部屋に入った。すると寝室の方から小さな声が聞こえて来た。
 リーチは鼓動が早くなるのが分かった。
 止めた方がいいと思いながら、足は勝手に寝室に向いて歩きだしていた。
 声が少しずつはっきりと聞こえ出し、リーチはそれが名執の声だと確信した。
 誰かを求める声と喘ぐ息、甘く掠れた悦びの声……それらはリーチが良く知っている声であった。
 鼓動が益々激しく打ち出す。寝室で何が行われているのか分かっていながら信じられずに、少しだけ開いた寝室の扉から中をリーチは意を決して覗き込んだ。
 そこにはベットで見知らぬ男に抱かれ、快感に酔いしれた名執の姿があった。
 リーチは呆然とその場に立ち竦んだ。
 嘘だ……
 男は名執の腰を掴み何度も何度も己のモノ打ち込んでいた。その度に名執の悦びの声が漏れる。
 夢……だっ!ユキがこんな……こんなことをする訳が無い!
 頭の中が、グラグラと回るような錯覚をおこした。
 これは……きっと夢なんだ……
 夢だと何度も否定しながら、首を無造作に振る。しかし現実は、名執は見知らぬ男に抱かれ、歓喜の表情を浮かべる姿であった。
「もっと……深くして……」
 名執が身悶えながら男に哀願している姿を目の当たりにしたリーチは、心の中で何かが音を立てて崩れた。
「入れてくれと言えばそうしてやる」
 と、男が言った。
 名執はそれを受け、入れてと言った。
 その言葉を聞いた瞬間、リーチはその場から逃げるように名執のマンションを後にした。
 リーチは、今見た光景を忘れようと夜の闇を思い切り駆けた。
 ユキ……俺のユキが……ユキが……
 絶望が心を支配してリーチはなす術もなく、ただ走るしか無かった。



 名執が目が覚めたのは毎日セットしてある時計が鳴ったからであった。
 重怠い身体を起こすと、もう宮原の姿は無かった。
 ホッと安堵すると、病院に行く準備にかかった。体中にキスマークと、鞭で打たれた跡が蚯蚓脹れになっていたが、昨夜のことは忘れようと心に誓った。
 何より、全く記憶が抜け落ちていたからであった。
 確かに吐き気がするほどの快感を味わったことはぼんやりと覚えていたが、それをもう一度求めようとは思わなかった。
 今込み上げているのは激しい嫌悪と、リーチに対する申し訳なさであった。
 名執にとって、リーチが来なかった事だけが救いであった。
 良かった……。
 たとえ薬の所為とはいえ、抱かれている所を見られたくは無かったからであった。
 リーチごめんなさい……
 名執はそう心で呟き、瞳からは涙が零れた。
 貴方を裏切ってしまった……
 名執はどんなにリーチに責められても全てを話すつもりであった。隠し通せる訳が無いことが分かっていたからであった。
 リーチは敏感である。自分の様子が変だときっと気付く。そしてこの身体に付けられたものは当分消えないことが分かっている。必ずリーチの目に止まる。ならば、正直に話すしか無いー……と名執は思いながら決心した。
 全て話そう……と
 名執はシャワーを浴び身支度を済ませるとリーチの携帯に電話を入れた。
「隠岐です」
「雪久です。あのリーチを……」
「雪久さん。リーチと……」
 トシがそこまで言うと次にリーチが電話に出た。
「ユキ……」
 妙に掠れた声でリーチは言った。
「あの……リーチ……昨日は忙しかったのですか?」
 暫くの沈黙の後リーチは言った。
「行ったよ……お前んちに……」
 その言い方が暗く沈んでいたので名執は昨日の醜態を見られたことを知った。その衝撃で目の前が真っ白になった。
「俺と別れたかったのなら、こうやって電話で言ってくれれば良かったんだよ。何もあんなの見せびらかさなくてもさ。そんなことしなくても俺は身を引いたんだ。残酷だよ……ユキ……俺がお前をどんなに……。もういいさ、言ったって仕方ないしな……」
 それだけ言うとリーチは電話を切った。
 名執は愕然と受話器を持ったまま凍りついていた。
 どう説明すればリーチに分かって貰えるの分からなかった。説明したところで自分がリーチとは違う人間に抱かれていたのだから言い訳のしようが無かった。
 それでも自ら望んであんな事になった訳ではない。事情を説明すればリーチは許してくれる……。許してくれるならどんなことでもする。
 必ず許してくれる。
 名執はどうあってもリーチを失いたく無かったのだ。
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