Angel Sugar

「監禁愛2」 最終章

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 宮原は脅えていた。
 自分は人を殺してしまったと、脅えていた。
 しかし、もうすぐ船に乗ってこの国から出て行ける事だけがありがたかった。
 刑事すら俺を追うことはもう出来ない……そう思って一生懸命に自分を平静に保とうとしていた。
 すると、黒い背広を着た人物二人と、紺のスーツを着た若い男がやって来た。
「宮原さん。困りますね……人殺しをしては……」
 紺のスーツを着た芳一はサングラスを外しながら言った。
 宮原は黒い背広を着た二人に両腕を捕まれ、引きずられるように連れ出された。
「待て!違う!俺は殺してなんか無い!待ってくれ!」
 掴まれた腕を払おうと暴れるが、両脇にいる二人はしっかりと掴んだ腕を放そうとはしなかった。
 そうして宮原は船から降ろされ、側の倉庫に連れて行かれた。
 倉庫に入ると、そこに一人の男が立っていた。
 宮原にも見覚えのある男性であった。
「よう……」
 暫くするとリーチは冷えた瞳でそう言った。
「お、お前……」
 脅えた声で宮原は言った。
「下がっていい……」
 芳一は宮原を連れて来た男達にそう言うと、彼らは無言で倉庫を出た。
 ガシャンとという音を立てて倉庫の戸が閉められると、倉庫の上にある窓から入る月明かりだけが中を照らしていた。
「人を散々こけにして逃げられると思ってるのか?」
 リーチの射るような瞳が宮原を見据えていた。
「お……俺じゃない!あいつが勝手に……」
「うるせーーーーっ!」
 倉庫を響き渡る声が宮原に浴びせかけられた。
 その声はどんな人間もひれ伏すような声色であった。
「ひっ……」
 宮原は思わず後ずさった。
「芳一……」
 そう言ってリーチは芳一に手を出した。その手に芳一は拳銃を渡した。
「足はつかないな?」
「もちろんです」
 その二人の会話を聞いた宮原はやっと気付いた。
 こ……殺される……!
「こんなことをしてただで済むと思ってるのか!ロバートさんが怒って、お前らに薬は回さなくなるぜ!」
 それを聞いた芳一は言った。
「ロバートさんにさっき電話をかけた。お宅の部下がへまをして、人を一人、刑事の目の前で殺したとな。そしたらなんて言ったと思う?」
 芳一はふふっと笑って宮原に言った。
「な、なんて……言ったんだよ……」
「そっちで始末してくれと言ってたな。ご迷惑をおかけしましたとも言ってた」
「そ……そんな……」
 蒼白の宮原は膝をついて呆然とした。
「苦しんで……死んでもらいたいな……」
 リーチはそう言ってまず右足を撃った。
 宮原の悲鳴が倉庫の中を反射させるが、誰もそれに気が付く人間は周りにはいなかった。
「いい思いしたんだろ?ん……?その償いはしなきゃな……」
 顔色一つ変えずにリーチは、左足を撃ち抜いた。
 宮原の絶叫が木霊する。
 その声を聞くたびにリーチは歪めた笑いを口元に浮かべた。
「た……頼む……許してくれ……頼む……俺が悪かった……」
 泣きながら宮原はリーチの足にしがみついて懇願した。しかしリーチは冷ややかな表情ですがりつく宮原を蹴りあげた。
「ぐぁっ!」
 リーチは地面に転がる宮原に再度、蹴りを入れた。
「謝って済むことと済まないことが、この世の中にはあることを、誰もお前に教えなかったようだな……」
 足で何度も蹴りながらリーチはそう言った。その瞳には人間性のかけらも見られない。
「ゆ……許してくれ……た……頼む……頼む……」
 宮原がそう言って差し伸べた手をリーチは撃ち抜いた。
「ぎゃあああ……!」
 全身を走る痛みで宮原の思考は麻痺寸前であった。
「け……刑事の……癖に……こんなことが……許されると……思ってるのか……」
 宮原は地面の泥を顔につけながら、なんとかそう言った。
「まだ自分が何をしたのか分かっていないのか……」
 声を荒げずそう言うリーチの声音は周囲の温度を一気に下げた。
 芳一は背筋を昇る寒気に、思わず身を竦ませる。
「本当は、散々苦しめて殺したかったが、色々忙しくてな……」
「やめ……やめてくれ……!」
 額に当てられた銃口の冷たさが、宮原を恐怖のどん底に突き落とす。
「地獄に行くといい……」
 ドンッという音と共に宮原の懇願する声は永遠に消えた。
 無言で銃を芳一に返すとリーチはもう一度、宮原に蹴りを入れた。
 暫くすると倉庫の戸が開けられ、先程の黒服の人間が木箱をもって入って来た。
「後はこちらに任せて下さい。太平洋に出たところで、捨てますので……」
「こいつは人間のくずだが、魚の餌にでもなって少しは役に立つんだな……」
 帰ろう……早くユキの所に……
 リーチはそう思いながら、まだ暗い空を見ていた。



「お前!遅すぎるぞ!」
 リーチが芳一に送ってもらって病院に着くと幾浦が真っ青な顔をして廊下を駆けて来た。
「ユキが……まさか……!」
「まだ大丈夫だ。だが容体が急変していま大変なんだ!」
 幾浦がそう言い終わらぬうちにリーチは駆け出していた。
 ユキ……ユキ……!
 リーチが病室に着くと、院長と看護婦が名執のベットの脇に付いていた。
「ユキ!」
 名執は紙のように白い顔をして、激しく喘いでいた。
「ユキ……ユキ……しっかりしろ!」
 リーチが掴む手も氷のように冷たかった。
「一時間ほど前から急に苦しみ出しまして……」
 川崎が言った。
 喘ぐ名執に覆いかぶさるように体を寄せると、リーチはその耳元で囁いた。
 ユキ……聞こええるか?……
 宮原は……俺が始末した……
 もう何も心配することは無い……
 分かるか……?
 もう二度とお前があの男に付きまとわれる事は無い……
 ユキ……始末したんだよ。お前を苦しめた奴は……
 もしお前が死んだら……向こうであいつに会うかもしれないぞ!
 そんなの嫌だろう?
 だったら、生きるしかないだろ……
 分かるか……聞こえているか?
 死んだら宮原に会うんだ! 
 それが嫌なら死ぬな!分かったな、死ぬな!
「隠岐さん……」
 看護婦に肩を引っ張られたリーチは名執から離れて床に座り込んだ。
 ユキ……頼む……死なないでくれ……
「院長先生……」
 リーチが離れると、名執の顔色が少し赤みが差したことに看護婦は気づき川崎に言った。
 激しく喘いでいた呼吸も、段々と落ち着きをみ始めた。
「隠岐さん……今、何をおっしゃったのですか……」
 川崎は何を言っているかまでは分からなかったが、名執の耳元で確かにリーチが何かを語りかけているのに気付いていたのだろう。
 だがリーチはその事は何も言わずに視線を名執に移した。
「とりあえず危険は去ったようです。呼吸も落ち着き出しました。ごらんのように顔色もやや戻って来ましたよ……」
 聞こえたのか……ユキ……
 俺の声が……聞こえたんだ……!
 ユキ……
 名執の手を握り続けるリーチをおいて、川崎と看護婦は病室を後にした。その外で待っていた幾浦に川崎はまた何かあればすぐに呼んで下さいと言い、去っていく。
 幾浦はそっと病室に入り、二人の姿を確認して安堵した。
 リーチが戻って来て名執は安心したんだな……
 ふっと幾浦は笑って、広い病室の端にある看護人用のベットに横になった。
 大丈夫……きっと名執は助かる……あいつが側にいるからな……
 そう思いながら幾浦は目を閉じた。
 リーチは名執の側についてまんじりと朝が明けるのを待った。



 窓から太陽の光が注ぎ込まれていた。
 眩しい……
 カーテンを閉めるのを忘れたのでしょうか……
 光が瞼を通して瞳を刺激する。
 閉めないと……目が痛い……
 名執はぼんやりそう思いながら身体を起こそうとするが、痺れたような痛みと鉛のように重い身体がその行為を止めた。
 身体……動かない……どうして……?
 必死に動かそうとするが、身体がなかなか言うことを聞いてくれなかった。
 必死に目をこじ開けると、真っ白な色彩が目に入ってくる。目を擦りたいのだが手が上がらないのだ。
 ゆっくり視線を横に向けると、リーチがこちらのベットに頭をおいて眠っているようであった。なんだかそれが酷く嬉しくて、名執は必死に震える手を伸ばしてリーチの頭を撫でた。その仕草にリーチの身体がぴくりと動き、次にがばっと顔があがった。
「ユ……ユキ……?」
「リーチ……こんなところで寝たら……風邪……引きますよ……」
 そう言うと、いきなりリーチは怒り出した。
「おまっ……お前、死にかけたのに、目覚まして最初の台詞はそれか?」
 リーチはボロボロ涙を落としてそう言った。
「なん……だ……死ね……なかったの……ですね……」
 ぼんやりとそう言った名執にリーチは更に怒鳴った。
「ばっ…馬鹿野郎!なんてこと言うんだ!俺が……俺がどんなに心配したと……思っ……」
 リーチはそう言って口元を押さえた。何故か唸るような泣き方だ。
「だって……あいつを……刑務所に一生入れてやりたかったから……ごめんなさい……」
 名執はそう言って、視線を落とした。あの男は一体どうなったのだろう。リーチは警察があの男を追っていると言っていた。捕まったとき、私のことを言うのだろうか?
 そう思うと名執は死んだ方が良かったと本当に思った。
「あの男な、俺が始末した。安心しろ……」
 リーチが鼻を擦りながら一言そう言った。
「えっ……リーチ……何を言ってるんですか……」
「殺した……」
 憮然とした表情でリーチは言った。
「リーチ……!」
「お前が何を言っても、もう遅い。昼には太平洋で魚の餌になってるだろうからな……」
「リーチ……」
 名執は心配だった。
 確かにもう宮原に付きまとわれる事は無いとホッとしたが、もしリーチに罪が及ぶようなことになれば……そう考えると居ても立ってもいられなくなった。
「もう、忘れろ。世の中には闇から闇に葬ることのできるところがある。お前にそこら辺の詳しいことは話せないが、俺の立場が危うくなることはまず無いから。だからもう忘れるんだ」
 リーチの有無を言わせぬ瞳が安心しろと語っていた。
 名執はそのリーチを信じることにした。例えもし、その事がばれても、そのときは自分が殺したと言えば良いのだ。
「はい……」
「ユキ……良かった……本当に……」
 名執の頬を優しく撫で、リーチは顔を近づけてきた。
「お前が死んだら……俺も生きてはいられなかった……」
「リーチ……」
 涙が頬を伝った。
「愛している……ユキ……」
 そう言ってリーチは、もう必要の無い酸素注入を外すと、名執の唇に優しくキスをした。
「お前らなー……」
 眠そうな目をこすりながら幾浦は不機嫌そうに立っていた。
「私は会社に行くぞ……説明は今度きっちりしてもらうからな……」
「ありがとう……幾浦……」
 リーチのその言葉に、手を振って幾浦は病室を出て行った。
「幾浦さんにも心配をかけてしまったのですね……」
「ああ、少し見直したな……あいつのこと……。でも心配するな、あいつには何も話していない」
「良かった……」
 名執は、ようやくほっとした。
「そうだ、お前が目を覚ましたら言いたいことがあった……」
「なんでしょうか?」
 一体何を言いたいのだろうか?
 また名執は急に不安になってきた。
「確かにお前は自分で生まれて来ない方がいいと思うような人生の始まりを経験したと思う……でもこうやって今、お前は生きている。苦しくても生きなければならない理由があったんだよ……」
 リーチはそう言って名執の手を握り締めた。
「俺と出会うためにお前は生かされてきたんだ……俺はそう思う……」
「え……」
「俺と幸せになる為にお前はここまで生きて来た」
「リーチ……」
 リーチの言葉を受けて名執は、自分の心が春の日だまりのような暖かさが拡がるのを感じた。
「だから……もう、生まれなければ良かったとか言うなよ!」
 そこまで言ってリーチは真っ赤な顔をして照れた。
「なんか……すげー臭い台詞言ったよな……俺……」
 頭を掻きながらリーチはそう言った。
「いいえ……嬉しい……どんな言葉よりもリーチのその言葉で私は救われました……」
「本当?」
「はい……本当に嬉しい……」
 満面の笑みでそうリーチに言った。
「ユキ……生きてるんだな……本当に……」
 そう言ってリーチは名執の胸に頭を置いて、心臓の鼓動を確かめた。
「リーチの声が……聞こえました……」
 名執はそう言ってリーチの頭を撫でた。
「死ぬな……という声が……遠くから聞こえた……」
「本当に聞こえたのか?」
 不思議そうにリーチは名執を見つめた。
「ええ、暗い意識の中ではっきりと聞こえた……そこに行こうとするのになかなか行けなくて……何度も貴方を呼んだんです。でもリーチには聞こえないようだった……。それでも一生懸命声のする方に行こうと努力したんです。なのに声がだんだん聞こえなくなって来て……怖くて……本当に寂しくて……身体が震えた。暗闇に独りぼっちでどうしていいか分からなかった。しばらくしてまた貴方の声が聞こえ出して……やっと安心できた……今度こそ、そこに行こうと必死になったんです。そこからは意識が途切れて良く覚えてないのですが……」
「そうか……うん。俺ものすごいタイミングで戻って来たんだな……」
 名執にはその意味が分からなかったが、リーチは一人分かり切ったような顔でそう納得していた。
「リーチ?」
「愛してるよ……ユキ……」
 リーチは名執の唇に自分の唇を重ね、生きている事を確認するように口内の隅々まで舌で愛撫された。
 しばらくそうしてリーチが唇を離すと今度は名執が言った。
「愛してます……リーチ……」
 やっとお互いがお互いのあるべき所にたどり着いた二人は幸福に満ちた朝を迎えた。
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