Angel Sugar

「監禁愛2」 第7章

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 幾浦は驚いていた。
 リーチから連絡をもらったからである。
 夜の十時に幾浦の家に電話が入り、酷く掠れた声のリーチからお願いされたのである。
 俺が着れそうな着替え……持って来てくれないか……と。
 嫌だとは言えずに幾浦は指定された川崎病院に車を走らせた。
 そしてリーチが待っていると言った待合室に着いて、更に驚いた。
 リーチのシャツやズボンが茶色く染まっていたからである。
 誰が見てもそれは血であった。
「お前……なんだその血は……」
「着替え……くれよ……」
 リーチの何かに取り憑かれたような瞳が幾浦を素直にさせた。
「ほら、多分合うだろう」
 幾浦から差し出された紙袋を奪ったリーチは着替えるために洗面所に向かった。
「おい、説明はないのか?」
 リーチが何も言わず立ち去ろうとしたので幾浦は思わずそう言ったが、リーチは振り返りもせずに洗面所へと消えた。
「なんだあの態度はっ!」
 幾浦は腹を立てていた。
 暫くして着替えを済ませたリーチが帰って来ると、幾浦は再度問いかけた。
「何があったのだ?」
「これ、捨てといて……」
 リーチは幾浦に脱いだ服の入った紙袋を渡した。
「自分で捨てろ」
「もう……触りたくもない!」
「お前なぁ……」
 ただでさえトシとの時間をことごとく奪われていた幾浦は、我慢の限界を越えた。
「いいかげんに……」
 そこまで言うと、看護婦が走り寄って来た。
「隠岐さん手術、終わりましたよ」
「あの……それで……結果は……」
「手術は成功しましたが、出血がひどかったのと、体力が無いことが心配されます。今後の経過を見ないことには……。さ、病室に案内しますのでついて来て下さい」
「なんだ、誰がどうしたのだ……?」
 訳が分からずにうろうろしている幾浦を無視して、リーチは看護婦に付いて行った。幾浦もその後を追った。 
 案内されたのはVIP用の病室であった。
 広く間取りが取られ、まるで高級ホテルを思わせる程の室内装飾が施されている部屋であった。
 その奥に、手術を終えた名執の姿があった。
「ユキ……」
 細く痩せた腕に点滴と輸血、栄養剤の管が刺され、酸素注入の装置も口に付けられていた。
 胸元から伸びる線が機械に繋がっており、脈や心電図を取っていた。
「おい、どういうことだ?」
 大混乱の幾浦が一人浮いていた。
「隠岐さん、院長先生がお話しがあるとお呼びです」
「はい、今行きます」
 看護婦に付いてリーチは部屋を出て行った。
 幾浦はそれを見送ってため息を付いた。
「名執……お前に何があったのだ?」
 いくら何でもリーチがこんな目に合わせたとは幾浦は考えなかった。
 病室には規則的に響く呼吸音だけが辺りを支配し、一人頭を抱えた幾浦がこの状況を説明してくれるであろうリーチを待っていた。



「院長先生、隠岐さんです」
「入って下さい」
 リーチが室内に入ると看護婦は一礼をして出て行った。
「この度は……ありがとうございます」
 リーチはそう言って頭を下げた。
「質問をして宜しいかな?」
 川崎は難しい顔をしてリーチに言った。
「質問はしないで下さい。なにも答えることは出来ません」
 その言葉にに川崎は当然のごとく驚いた顔をした。
「創傷は警察に届ける義務が病院にはあります。ですが……それはせずに頂きたいのです。彼の名誉の為に……」
 もし、これで宮原が殺人未遂で捕まるような事になれば、名執がどんな目に合わされたのかが白日の下に晒されてしまう。
 その上、裁判になれば言いたくも無い証言をしなければならなくなる……
 そんなこと絶対にさせられない!
 これ以上名執を傷つけたくないと……これ以上辛い目に合わせられないと……それが自分に残された償いだとリーチは思った。 
 だが、それを聞いた川崎は困った顔をした。
「規則を曲げることは出来ません」
「私は……以前貴方の娘さんが誘拐されたとき、身を挺して命を救いました。刑事として規則を曲げて犯人を追い、貴方の娘さんを無事に保護しました。状況が状況でしたが、貴方が憎いと、殺したいと思った犯人を私は射殺しました。そのとき川崎さん……私に約束してくれましたよね。この恩は一生忘れないと…何か力になれることが出来たら何でもしてくれると……そのときの借りを…今、返して頂きたい。いえ、今、私の力になって欲しい……助けて下さい……」
 リーチはそう言って土下座をした。
「お願い……します……私を……彼を助けて下さい……」
「隠岐さんそんなことはしないで下さい……妻と娘に叱られます」
「川崎さんが……うんと言ってくれるまで……私は止めません」
 川崎は暫く考え込んで言った。
「一つだけはっきりさせておきましょう」
「何でしょうか……」
「貴方があの男性をあんな目に合わせた訳では無いのですね」
 川崎は名執の身体を見て、大体のことが分かったのだろう。
「私ではありません……私は彼をあんな目に合わせた男を今、追っています」
 リーチはそう言った。
 すると川崎は暫く考え込み、そして口を開いた。
「分かりました。あれはリンゴを剥いていて、刃物を滑らせた結果、悪くも脇腹に刺さったという事にしましょう」  
 川崎はにっこり笑ってそう言った。
「川崎さん……」
「早く立って下さい。見ていられない……」
 そう言って川崎はリーチに手を差し出した。それを掴んでリーチは立ち上がった。
「ありがとうございます……この恩は一生忘れません……」
「麻酔が効き始めるまで、あの男性は、暫く意識を取り戻してね……何度も小さな声で言ってましたよ……」
「なんと……言ってました?」
「貴方が刺したのではないと、自分が転んで怪我をしたと……黙るように言ってもそう繰り返しておりました」
 ユキ……お前……あんな目にあっても俺のことを……
「さ、彼の病室に行ってあげなさい。費用はこちらで持ちますので心配なさらないで下さいね。それと、彼のご家族をお呼びした方が……」
「そんなに……状態が悪いのですか?」
「もう駄目だとは言いませんが……ここ暫くが勝負だと思います。何より体力が無い……それが一番心配です。後は生きたいという彼の気力にかかってます……」
「そうですか……」
 リーチのその返事はひどく沈んでいた。
「隠岐さん、彼のご家族は……」
「彼には家族も親戚もいません……私と同じに……」
 その言葉を最後にリーチは院長室を後にした。
 それを見送った川崎は、この二人はきっと小さい頃から身を寄せ合って生きて来たのだと思った。天涯孤独など本当にあるのかと思っていたが、きっと同じ施設の出かもしれないとも思った。
 だからあんなに心配するのだと……



 ようやく戻って来たリーチを見て幾浦は再度、問いただしてきた。
「リーチ、説明してくれないか?」
「ユキ……」
 だが、今は幾浦など目に入らないリーチは名執のベットの横に行くと、その場に座り込んでしまった。
「ユキ……しっかりしろ……死んじゃだめだ……」
 名執の手を取り、しっかりと握る。
 その指先は冷たく、リーチが握る力に応えることも出来ずにいた。
「ユキ……俺の……ユキ……」
 リー……チ……
 微かな名執の声がリーチに聞こえた。
「ユキ……ここにいる。ここにいるよ……」
 た……す……けて……
 何かにうなされているように名執は言い続けた。
「ユキ…もう大丈夫なんだ……心配しなくていい……」
  ご……めん……な……さい……
「お前が謝るようなことは何もしていないだろう?俺がみんな悪かったんだから……」
 お……とう……さん……
 おか……あ……さ……ん……
 うま……れ……て……ごめん……なさ……い……
「ユキ……言うな!そんなこと言うな!」
 リーチは更に名執を掴んだ手に力を込めた。
 そんなリーチを見ていられなったのか、幾浦はいつの間にか病室の外へと出ていった。
「ユキ、俺にはお前が必要なんだ……!」
 わた……し……が……うま……れて……
 みん……な……不……幸に……なった……
「ユキ……」
 おと……う……さんと……おかあ……さんは……
 てん……ごく……に……いるから……
 わたしは……そこ……には……いけない……
「ユキ……!」
 いけ……ば……わたしの……所為で……またみんな……不幸……になる……
 そう言って名執は一筋涙を流した。
 リーチはそんな名執を本当は抱きしめてあげたかった。
 出来ない自分が悔しくて、ただしっかり手を握り締めてやるしか無かった。
「ユキ……駄目だ!どこにもいくな……生きて……生きてくれ……!」
 ああ……じ……ごく……しか……いく……ところ……が……無い……
「馬鹿!何言ってるんだよ!お前は俺の側にいるって約束したろ!守れよ!守ってくれよ!」
 混濁した意識の中、名執は切れ切れに言葉を紡いでいた。
 リーチは一生懸命、そんな名執に語りかけるが、その言葉は届いてはいなかった。
 リー……チ……
 愛……し……てる
 それ……だ……けが……真実……だったの……
「ユキ、俺も愛してるから……死ぬな生きてくれ!頼む……俺を一人おいて行かないでくれ……お前が居なくなったら俺はどうやってお前に償えばいいんだ……」
 悲痛な声が辺りに木霊した。
 ごめ……んね……リー……チ……
 わた……しと……出会……っ……た……所……為で……
 貴方まで……不幸……に……して……しまった……
「お前に出会って俺は幸せだったんだよ。不幸は……お前がこの世から居なくなることだ。お前が俺の側から消えることだ……俺を不幸にしたくなければ、元気になってくれ!一人で……こんな風に逝かないでくれ」
 リーチは名執のベットに突っ伏してそう言った。
 どうしてお前が苦しまなければいけないんだ……
 お前は何の罪も犯していないのにどうしてこんな目に会わなければならないんだ!
 宮原……成人……
 貴様の所為だ……
 お前がいたから……ユキはこんな目に合ったんだ……
 ユキの過去を持ち出して脅し……
 暴力を奮い……
 薬を使ってユキの心と身体を蹂躙した……
 その上、命まで奪おうというのか!
 リーチの瞳はギラギラと燃えていた。
 許さない……
 絶対許さない……
 お前がこの世に存在することが、ユキを不幸にする……
 ユキの過去とお前がユキに対して行った所業を封印するためには……
 お前の命が必要だ……
 お前が死ななければユキは安心してこれから生きて行けない……
 殺して……やる……
 俺が……殺してやる……
 それが俺のユキに対する償いなんだ……
 俺が地獄に送ってやる……
 この手で……殺す……!
 リーチはそう決心すると立ち上がり、名執の汗で湿った額にキスをした。
「ユキすぐに帰ってくるから……待ってるんだ……それまでは死ぬんじゃないぞ……」
 そう言ってリーチは病室を後にした。

 病室から出てきたリーチを認めて幾浦は驚いた。
「リーチ……お前、名執に付いていてやらないと駄目だろう……」
「暫く……あいつの面倒を見ていてやってくれ……すぐに戻るから……それまで一人にしないでやってくれ……一人になったらきっと死んでしまう……」
 そう言って顔を上げたリーチは今までにない表情をしていた。
「そ、それは構わないが……お前は何処に行こうというのだ……」
 問われたリーチは口の端を歪めるように笑った。
 見たことも無いリーチの瞳の輝きを初めて知った幾浦は恐怖を感じた。
 それはトシの時には絶対見られないものであった。
 これが……リーチという男の本当の姿なのか……
「怖いか……幾浦……俺が……」
 リーチはそう言って酷薄な笑みを浮かべた。
「……」
「俺はね、トシがいなかったらきっと今、こんな風に誰かを思いやることも出来ない屑みたいな男だったはずさ。トシの存在は俺の良心みたいなものなんだよ」
 そう言って口元だけでリーチは笑った。
 その笑みはぞっとするような凄味を含んでいた。
「リーチ……」
「トシの存在があるから俺はまだ人間でいられるんだ。まあ、悪いことは散々あいつに隠れてやってきたけどな。決定的な犯罪は出来なかった。俺一人ならやってただろうな。だけど、いくら猫をかぶったところで本質はかわらねえ……」
「何故お前はそんな自分を私に見せるんだ?」
「さあ、脅してるんだろう。トシを泣かせたら、こういう俺が待ってるって事だ」
 そう言ってリーチは玄関に向かって歩き出した。
「どこに行くんだ?名執の側に……」
 そこまで幾浦は言って、言葉を飲み込んだ。振り返ってリーチが見せたその表情が本当に恐ろしいと思ったからだった。
「こういう俺が出なきゃいけない理由が出来た……それだけだ……」
 言い終わると二、三歩歩いて再度リーチは立ち止まった。
「頼んだぜ……」
 そう言うと今度はもう振り返る事なくリーチは病院を出て行った。



 リーチが向かったのは、関東を仕切る暴力団の大元である岩倉組の本部であった。
 当たり前のことだが、屋敷に入ろうとするとチンピラらしき男に止められた。
 しかしリーチはそのチンピラ二人を簡単にのすとずかずかと入り込んだ。
「貴様!誰か!あいつを止めてくれ!」
 のされたチンピラが、仲間を呼ぶように叫んぶ。その声を聞き付けた男たちがすぐさま駆けつけ、リーチを取り囲んだ。
「私にこんなことをすると、貴方たちが後で困ると思いますがね……」
「何だと!」
 リーチを囲む男の一人が言った。
 その男が掴みかかろうとすると、それを止める男の声がした。
「馬鹿野郎!てめーらっ!誰に手をあげてやがる!」
 屋敷からあわてて飛び出して来た男がそう叫んで、若い男共を一喝した。
「若頭……」
「すんません隠岐さん。こいつら何にも知らない奴らばかりで……失礼を致しました」
 若頭の芳一はそう言ってリーチに頭を下げた。
「おじいさん……います?」
 リーチはそう言った。
「ええ、まだ起きておられます。今晩は、おじいさまに会いに来られたのですか?」
「お会いしたいと……お伝え下さい。ここで待っていますから……」
「いいえ、すぐに案内したしますので、さ、入って下さい」
 芳一はあわててそう言った。
 リーチを連れて屋敷内に入って行く芳一をみた男たちはキツネにつままれたような顔でそれを見送った。
「あいつは一体何者なんです……」
 それに答えられる人間はいなかった。

 長い廊下を進み、奥の部屋にリーチは案内された。
 障子の前に芳一は座ると、元造に言った。
「おじいさま、隠岐さんがお話しがしたいとおっしゃって来られました」
「入ってもらいなさい」
 障子戸の向こうから、低い力強い声が響いた。
「はい」
 そう言って芳一は障子を開けると、リーチに入るよう促した。
「では、私はこれで……」
 芳一はそう言って、今来た廊下を去って行った。
「久しぶりだの……」
 布団に身体を起こした元造は言った。
 一年ほど前から少し体調を崩した元造は、息子に組頭を譲り隠居生活を送っていた。しかしもう八十を過ぎているはずのこの老人は、年齢を感じさせない精力を漲らせていた。
「お願いがあって参りました」
「わしの前で、その言葉使いは止めてくれんか」
 元造はそう言って笑った。
 リーチが学生のころ、よく自分のプライベートの時に歌舞伎町などで遊んでいた。そのころ知り合ったのがこの元造と、その息子の元一であった。二人は忍びで豪遊していたが、折しも抗争のさなかで、二人は銃をもった男たちから狙われ、リーチは行きがかり上、助けてあげたのである。
 付き合いはそのころから続いているが、トシはそのことは知らない。 
 元造はリーチを知っているが、それは利一という仮面を普段被った男である思っていた。
 だからトシの存在は知らない。
「元気そうじゃないか……じいさん」
 ニヤリと笑うリーチは、もう利一では無かった。
「ふふ、それでこそわしが見込んだ男じゃ。何だ今頃になって養子になりたいと言いに来たのか?」
 元造は事あるごとに養子になれと言い続けて来た。しかし、利一が刑事になってからはさすがに誘わなくなった。
「だれが……今日は頼みが合って来た。聞いてくれるか?」
「内容によるな……」
「宮原成人……何も言わずにこちらに渡して欲しい……」
「そんな人間は知らん……」
 元造はとぼけた。
「国際手配中の男だ、知らないとは言わせない……お前らにもファンタジーを売りに来ているはずだ。いや、まずここの組から話はするだろう。岩倉組といえば薬に関する事も国内の第一関門みたいな所だからな……」
「知らんね……」
「俺は課が違う。何もそいつを逮捕しろと言われている訳じゃ無い。あんたらももう用は無いだろう。どうせ薬の販売ルートは既に構築済みだろうからな……。別に宮原がいなくても、既にあっちとは繋がりができて契約は済んでいるんだろう?それなら、どちらかと言えば宮原のことはお荷物じゃ無いのか?麻薬局の方も宮原を絞り込んで来ているようだし、あいつが捕まって、あんたらの組の名が出るとやっかいになるんじゃないのか?」
「宮原という男に何故そんなにこだわるんじゃ?」
「俺は薬には興味が無い……欲しい奴は買ってせいぜい悦しめばいいんだ。だがな……」
 そこで言葉を切ったリーチは元造すら脅えるような怒りの炎を身にまとった。元造が養子に欲しいと言う利理由はリーチのこの姿を知っていたからである。
「俺の大切な人に宮原はそれを無理やり使った……しかもその上、刃物で刺した……」
 腹の底から出たリーチのその言葉は、豪気な男でも怖がらせる声色であった。
「お前の大切な人に手を出したのか?」
「そうだ……今病院にいて……生死をさまよっている……」
 苦しそうにリーチはそう言って肩を落とした。
「もし、わしがその男を知っていて、お前に渡したとしよう。で、その男をどうするつもりなんじゃ?」
 元造は分かっているのだろうが、そう問いかけた。
 しかしリーチは口を歪めて、ただ笑った。
「こちらで何とかしてもいいが、どうする?」
 それは暗にこちらで始末しようと仄めかしていた。が、リーチは自分でけりを付けたいと思ったからここに来たのだ。
 獲物を横取りなどさせはしない。
「これは俺の問題だ……どうなんだ、渡してくれるのか、くれないのか?」
 苛々とリーチは言った。
 元造は滅多に付かないため息を付いて言った。
「今日の明け方に、横浜港から出る船に荷物を乗せようと思っとったが、お前にやろう」
「済まない……じいさん」
 ややホッとしてリーチはそう言った。
「芳一に送らせよう。今からなら間に合うだろう……」
「何から何までありがとう……」
「玄関で待っていてくれんか?すぐ車を回すように言う」
「分かった……」
 出て行こうとするリーチに向かって元造は言った。
「お前の大切な人……一度連れて来てくれんか?お前をそんな風にさせることのできる人間がどんな人間なのか興味がある。それで、ちゃらにしてやるぞ」
「助かったらな……」
 背をむけたリーチはそのまま障子を閉めて玄関に向かった。
 そうしてリーチが玄関で待っていると、芳一が車を前に止めた。
「乗ってください」
「済みません……」
 リーチはそう言うと、助手席に乗り込んだ。
 車は制限速度をオーバーさせて高速を夜の中を走った。
「おじいさま久しぶりに笑顔を見せておられました」
 芳一はそう言った。
「元一さんの姿が見えませんでしたが……」
 リーチは芳一にそう聞いた。
「組頭の父は今、関西に出掛けております」
「そうですか……できればお会いしたかった」
 リーチは暴力団は嫌いだが、この人達は何故か憎めなかった。
 妙に人間くさくて、恩義という言葉を知っているからかも知れない。
 だからといってリーチは自分が担当した事件で、もし絡むことがあったら容赦はしないつもりでいた。
 それはお互い暗黙のうちに了解していることであった。
「着いたら……教えてください……」
 そう言ってリーチはシートに身を沈めた。
「はい。分かりました」
 芳一はそれだけ言って、沈黙した。
 暗い闇夜が辺りに垂れ込めていた。
 高速の明かりと行き交う車のヘッドライトがリーチの瞳に反射する。
 ユキは……大丈夫だろうか……
 俺は側に付いていてやるべきじゃなかったのか……
 リーチは充分、分かっていた。
 それでも……
 分かってくれるよな……ユキ……
 お前は死なない……
 そうだよな……ユキ……
 死神がお前に微笑みかけているのだとしたら……
 俺は代わりの魂を用意してやる……
 宮原という男の魂を……
 ユキ……それまで頑張るんだぞ……。
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