Angel Sugar

「監禁愛2」 第3章

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 トシが急に「ちょっと恭眞に用事があるから、少しだけ会っても良いよね」と、トシが言うので、リーチは気軽に『良いよ』と答えた。それを聞いてトシは嬉しそうに警視庁から外に出、近くにある公園に走り出した。
 すると公園の横を走る道路に幾浦の紺のベンツが止まっていた。幾浦自身は車から降りて煙草をくわえていた。
「乗るといい」
 幾浦はそう言ってトシを助手席に座らせた。
「ごめん、ちょっと同僚と仕事の打ち合わせしていて、あんな風にしか返事できなかったんだ」
 嬉しそうな顔をしてトシがそう言っているのが、幾浦のにやけた顔からも分かる。トシが幾浦に笑顔を向けるとこの男、寡黙な顔が一気に、ただのヤニ下がった顔になる事をリーチは知っていた。
『トシ、俺は寝てるぞ』
 二人がラブラブしている所を見せつけられるのは、暫くリーチは勘弁して欲しかったのだ。スリープしてしまえば見ずに済む。
 だがトシは「駄目」と言ってリーチが寝ようとするのを止めた。
『何だよ……』
 リーチがそう言うのを無視してトシはとんでもないことを幾浦に言った。
「恭眞……それで雪久さんどうだった?」
『何!何の話をしているんだお前達は!』
 こいつら、一体何故ユキの話をしているんだ?
「おい、リーチは起きてるのだろうな」
「うん、聞いてるよ」
『俺は寝る!』
「だめだよ!今から交替するからちゃんと恭眞と話しをして!」
 暫く揉め、渋々リーチはトシと交代した。
「おい幾浦、なんだよ。ユキが何だって言うんだよ」
「目上に対しておいとはなんだ!」
 幾浦は先程見せていた表情などこれっぽっちも残さずに、リーチに言った。
「俺はお前と同い年だと言ってあるだろう」
 常々リーチはトシより二つ上で、幾浦と同じ年齢だと言い張って来たのだ。それが本当の事なのだから仕方ない。
 だがいくら言っても幾浦は信用しないのだ。
「戸籍は私より二つ下だろう。あーそんなことはいい、正直に答えるんだ」
 幾浦はそう言ってリーチを睨んだ。
「なんだよ?」
「お前、名執に暴力を奮って無いか?」
 不審気な目で幾浦にそう言われ、リーチはブチ切れた。
「馬鹿野郎!俺はお前とは違うぞ。どんなことがあってもあいつを殴ったことなんかねーよっ!」
 以前、幾浦は誤解の末にトシを叩いたことがあったのだ。幾浦自身それを酷く後悔していることをリーチは知っている。だからそう言ったのだ。
「貴様……殺されたいのか?」
 幾浦の切れ長の目が本気で殺意を持っている。だがリーチにはちっとも堪えなかった。
「お前の大好きなトシも一緒に殺すことになるぜ」
 ケケッと笑いながらリーチは言った。
『もーっ!リーチやめてよ!ケンカしてる場合じゃないだろ!』
 二人の会話をはらはらしながら聞いていたトシが思わずそう言った。
「分かった、分かったって。怒るなよトシ……。で、ユキが何だって言うんだよ」
 どうも幾浦と会話をすると何時もこんな風に喧嘩になってしまうのだ。幾浦と初めて会ったときの第一印象も、性格的にこいつとは合わないとリーチは思ったが、そのまんま今に至っている。
「最初からそういえば良いんだ。さっき名執の家に様子を見に行った。名執は両頬に青痣を作って口元も切れていたようだ……その上、身体も殴られたのか歩くのもやっとという感じだった。何か心当たりがあるか?」
「え……」
 それを聞いたリーチは真っ青になった。
 もしかして新しい恋人が、名執とリーチが会うことを知って逆上して殴ったのだろうか?それで、昨日は帰って来れなかったのか?
 そうとしか考えられない……
 今、名執の新しい恋人は嫉妬心の強い男なのだろう。だが殴るなんてどういうことなんだ?あいつに手を上げられるのか?
 俺には絶対出来ない。
 何でそんな奴が俺よりいいんだ?
 俺だったら……
 リーチはそう考えて、自分が馬鹿なことを今更考えていることに気が付いた。
 選んだのは名執なのだ。
「私は名執に何かして欲しいことがあるかと聞くと、お前に会いたいと言っていた。会ってやれ」
 幾浦は今、何も知らない幸せな男だからそんなことが言えるのだとリーチは思った。
「お前に関係無いだろう!」
 リーチは吐き捨てるように言った。
「お前な……」
「ユキにはな、新しい恋人が出来たんだ!それなのに会えると思っているのか?」
 トシと幾浦はそれを聞いて驚いた。
「え、あ、だがな、名執はお前に会いたいと言ってるんだ、一度くらい会ってやれ」
 そんなことを聞かされると思っていなかった幾浦は、慌てた風にそう言った。
「殴られた理由も、きっと俺と会う約束が新しい恋人にばれて喧嘩になったんだろ!それが分かってて会えるか!」
 それでなくてもリーチは諦めきれないでいる。必死に自分の心を押さえつけているのに、何故、何も知らない二人に、会えだのなんだのと、お節介を焼かれないといけないのだ?
 リーチは二人が心配してくれていることは分かっているのだが、逆にそれが負担に思えたのだ。
 今は暫くそっとして欲しい。
 二人の望むのは沈黙だった。
「私はな、約束をしたんだよ。引きずっても連れて行くとな」
 余計なことを更に幾浦は言った。
「俺のいないところで勝手に話を決めるなよ!会えだって?お前、見たんだろ?ユキの姿をさ。それなのに会えっていうのか?」
「あんなに酷く殴る男に名執を渡すのか?」
 私なら絶対渡せないという表情で幾浦が言った。
 全く幸せな男だよお前は……
 リーチは心の中で溜息をついてそう思った。
 だがこれ以上ごちゃごちゃと自分の知らないところで動かれることも、心配されるのもリーチは拒否したかった。
「お前達は見て無いからそんな事を軽々しく言えるんだ!俺はな、あいつが……ユキが新しい恋人とベットで……ベットで絡み合うのを見たんだ!それもユキの陶酔した顔も一緒にな!あれは愛し合っていなければ出来ない顔だ!それを見せられて耐えられると思ってるのか?お前がトシと自分じゃない誰かがベットで乳繰り合ってる姿を見た後、平気な顔をして会えるのか?答えろよ!」
 それを聞いた幾浦はぞっとした顔で言葉に詰まった。多分、リーチが言ったことを想像したのだろう。
「ほらな、嫌だろうが。俺だって嫌だった。でもみちまったものは仕方ない。あいつは……ただ俺に情が移って切れないだけなんだ……ユキ自身答えが出ているのにな。お前らの心配してくれる気持ちはありがたいけどさ。頼むから、俺を、これ以上……惨めにさせないでくれよ……」
 リーチはそう言うと、トシと交替しスリープを決め込んだ。
 今はもうとにかく、名執のことをリーチは考えたくなかったのだ。

「恭眞……どうしよう……」
 リーチは何も言わ無かったが、交替してくれというのが分かったトシは引き留めることも出来ずに、ただ交替した。
「ああ、リーチは寝たのか……」
 はあ~と珍しく幾浦が溜息をついて言った。
「うん。あんな辛そうなリーチ……初めてみたよ……あ、一度だけやっぱり雪久さんのことでこんなふうに落ち込んだことはあったけど……以前とはまた違うかな……」
「さて、どうしたものか……。私は名執と約束した手前、どうしてもリーチを連れて行かなければならないんだ」
「ね、本当に雪久さんに恋人が出来たと思う?」
 トシはどう考えても、名執に新しい恋人が出来たなど信じられないのだ。
「出来たとしても、余り幸せそうには見えなかったが……。リーチに会いたいと本気で言っているように私には見えた」
 名執と会った時のことを思いだしているのか、幾浦の目は何処か遠くを見ている。
「そう……」
 トシにはそう言うしかなかった。
「どうにかリーチを説得出来ないか?」
 あくまで約束にこだわる幾浦であった。
「僕にはリーチを説得でき無いんだ。分かるだろ?あの性格……。たまに出来ることもあるけど、大抵駄目なんだ。ただ、僕自身の意見は、もう会わない方が良いと思う。リーチの気持ちを考えるとね……。好きな人が他の人と……その……ベットを共にしている所を見せられたなんて……。恭眞がもし……って考えたら僕には耐えられないよ。僕は雪久さんのこと大好きだけど……大切なのはリーチなんだ。リーチはずっと……雪久さんがリーチの気持ちに気づく前から…本当に好きな人だったんだ。誰よりも、何物にも代えがたい程、雪久さんを愛してた。リーチ本当はすごく会いたんだと思う。そのリーチが会えないと言うなら僕には強制出来ないよ」
 トシはそう言って俯いた。
 そんなトシを暫く見つめていた幾浦が、座席に深く座り込んだ。
「私が以前、お前と名執が愛し合っていると誤解したとき……」
 幾浦はそう言って煙草を一本取り出して火を付けた。
「諦め切れなくて、二番でもいいとさえ思って付きまとった。お前に誰がいようと……その想いは止められなかった。誰かを愛するとはそういう事だろう……?」
 それを聞いてトシは首まで真っ赤にして照れた。
「でも……もしもだよ。恭眞に僕以外の好きな人が出来たら……僕はきっとリーチと同じく身を引くと思う」
 それを聞いた幾浦はジロッとこちらを睨んだ。
「え、何か怒るようなこと言った?」
「別に……」
 少しむっとした顔で幾浦は言った。
「恭眞……聞いて……。僕たち小さいころからお互いしか頼る相手がいなかったんだ。だから人を愛したり愛されたりするのがすごく苦手。リーチもあれで人の顔色を読むのが上手いんだよ。それはね、僕たちが特殊だから……人が自分達のことをどう思うかがとても気になるからなんだ。本当は人の愛し方や甘え方を両親に教わるんだろうけど、僕たちには無かった。だから怖い。自分に自信を持てない。本当に大切にしたい人に出会うとどうしていいか分からないんだ……。強く出過ぎて嫌われたらどうしようとか、大切にしすぎて鬱陶しがられたら嫌だとか、そんなことばっかり考えてしまう。そうやって生きて来たから恭眞のように考えられない……。そう身に付いたものはなかなか変えることが出来ないんだ。だからって僕やリーチの愛情が薄っぺらいものだとは思われたくない。そういう恋愛のし方しか出来ない事だってあるって分かって……」
 トシは一生懸命幾浦に分かって貰おうと話した。
「分かっている。そういうお前に惚れたんだ。だが言っておくが私の望みは一つなんだぞ」
「なに?」
「お前と共に年を重ねたいと……死ぬときも一緒だとな」
 幾浦は真剣にそう言った。
「や……やだな……もうどうしちゃったんだよ……今日の恭眞すごく変……」
 トシはリーチがこんな時に不謹慎だと思いながらも顔を真っ赤にして言った。
「それに……私は一生お前しか見えないから良いが、お前のことの方が心配だ。いつ誰かに奪われるかも知れないと、本気で心配している。恐怖とも言えるな……」
「恭眞それは、ないない」
 あまりにも真剣に幾浦がそう言うのでトシはそう言った。
「でも覚悟するんだな、私は諦めない男だからお前が心変わりしても嫌と言う程付きまとってやるから……」
「それって、ストーカーじゃない」
「ああ、今でもストーカーだ」
 そう言い合ってお互い思わず吹き出してしまった。
「トシの言いたいことは分かった。しかし私も名執と約束をしたんだ。だからリーチを無理にでも連れていく」
 約束を守りたいのだろう。幾浦の気持ちもトシは良く分かっていた。
「ん……恭眞がそれほど言うなら……僕、雪久さんの所へ行ってみるよ。それから無理矢理リーチを起こせば何とかなると思うし……」
 自分が約束したとはいえ、また自分達の時間がリーチに奪われるということが気に入らないのか、憮然とした顔で幾浦は言った。
「あいつらが元通りになったら、旅行は絶対、私達が先に行かせて貰うからな……」
 そんな幾浦を見てトシはただ笑うしか無かった。



 幾浦が約束してくれた事で名執は希望を抱いていた。
 名執はリーチに全て話すつもりであった。どんなに非難されようと、罵詈雑言を並べられても耐えるつもりであった。それでリーチの許しが貰えるのならどんなことにも耐えられる。そう考えリーチの暖かい腕の包容を思い出したくて名執は自分で自分を抱きしめた。
 だってリーチ……
 私は望んであの男に抱かれたのではないから……
 許してくれますよね……
 しかし名執はそう思いながらも宮原に抱かれたことは動かせない事実であった為、許して貰おうという方が都合の良い話であることは分かっていた。
 それでも僅かなリとも思わずにはいられなかったのだ。
 どんなことがあってもリーチという存在を手放したくはなかったからである。
 名執の過去を全て知ってなお、リーチは愛してくれたからであった。
 暫くするとのどが渇き、名執は身体をゆっくりと起こすとキッチンへと向かった。歩を進める度に身体のあちこちがギシギシと音を立てるように痛む。そんな身体を引きずりキッチンに着くと、戸棚からグラスを取り出しミネラルウオーターを注いだ。
 そのグラスはカットが非常に複雑なものでリーチが買ってきてくれたものであった。
 これは置いていってくれたんだ……
 椅子に座り外から入る太陽の光にグラスをかざすとモザイクの様な光の影をテーブルに描き出した。
 綺麗……

 俺さ、小さい頃ガラス製品に水を入れては天気のいい日に表に並べたんだ。すると地面に水が映って光に揺れてすごく綺麗だった。それが見たくて孤児院のコップとか一杯並べてよく怒られたんだ……

 リーチがよくそう言っていたことを名執は思い出した。
 グラスは光をそこかしこに反射させ、キラキラと光る。その光を受けた名執はだんだんと眩しくなり、思わず手でグラスを覆ってしまった。
 叶うのなら綺麗な身体で生まれたかった。誰に恥じることもない身体でリーチと出会いたかった。汚れた血と身体をこれから一体誰が愛してくれるのだろう……。
 いつのまにかこぼれる涙がテーブルクロスを染める。
 ユキは綺麗だ……何処も汚れなんか無い……
 リーチは今度もそう言ってくれるのだろうか……
 ユキを愛してる……
 今度もそう囁いてくれるのだろうか……
 暫くそうして身じろぎもしないでいると、名執は身体が妙なのに気がついた。
 なに……?
 身体の異変は顕著に現れだした。水を飲んでも喉の乾きが収まらず、身体が熱く火照りだし小刻みに震える。その身体をどうしても名執は止めることが出来なかった。
 名執はその熱を冷まそうとバスルームへと駆け込み冷たい水を浴びたが、その間に息が荒くなり益々身体は熱くなる。認めたくは無かったが、特に下半身が熱い。
 ファンタジー……宮原がそう呼んでいたことを名執は思い出した。習慣性があると、そうも言っていた。
 まさか……麻薬系の薬?
 水を頭から浴びながら名執は呆然となった。
 何度その薬をこの身体に使われたのか名執は思い出せなかった。それでも禁断症状が出ていることはこの身体の反応を見る限り明らかであった。
 意識は何処まで正常に保てるのか名執には自信がなかった。まさか自分の意志でこの家の鍵を開けることはしないだろうと思いたかったが、確信は持てなかった。
 恐怖がまだある名執の理性を支配する。自分から宮原を求めるかもしれないという考えが頭を支配し吐き気がした。それなのに薬を欲しがろうとする身体をどうしていいか分からなかった。
「助けて……誰か……助けて……リーチ!」
 タイルに蹲って名執は絶叫していた。



 トシは仕事を早めに上がった。
 タクシーで名執のマンションまで行ったが後悔することになった。
 見知らぬ男が名執の家の前で、恥ずかしげも無く濃厚なラブシーンを演じていたからであった。
 呆然としながらもその男にまとわりついているのは名執だと言う事にようやく気が付き、トシは二重のショックを受けた。
 名執は何度もキスをねだり、挙げ句の果ては早く欲しいと上気した顔を男の胸に擦り寄せていた。トシは動けずに暫くその様子を見ていたが、やがて二人が家に入っていくのを見送ると、幾浦のマンションへと急いだ。
 扉を開け、出てきた幾浦にトシは飛びつくように抱き付いた。
「ト……トシ……?」
「恭眞……」
 トシは瞳を潤ませ、半ば上気した顔を幾浦に向けた。先程見たラブシーンが頭にこびりついて離れないのだ。あれを見てから何故か自分の身体もおかしい。
「どうしよう……僕……変だ……」
 トシは身近な人間がラブシーンをしている所をあんな間近で現実に見たことが無く、その熱に当てられてしまったのであった。
「おい、どうしたんだ?」
 幾浦はそんな事など知る由も無かったので、初めて見るトシのそんな姿に狼狽えていた。
「これって……欲情してるのかな……?」
 トシがとんでもない台詞をさらりと言ってのけたので、幾浦の理性の方が保たなかった。
「トシ……」
「あ……なんか落ち着いてきたみたい」
 幾浦に抱きしめられたトシはそれで落ち着きを取り戻したが、幾浦の方はそうもいかなかった。
「もう、大丈……」
 トシが言い終わらぬうちに幾浦は唇を奪い、拘束した腕を更にきつく締めた。
「ちょ、恭眞!」
 トシを抱えあげた幾浦は足早に寝室へと急ぎ、ベットに二人で倒れ込んだ。しかし既に熱の醒めたトシはそんな幾浦を押しのけようと必死であった。
「待って!待ってってば!」
 自分が煽ったことに全く気付いていないトシは必死に幾浦の行為を止めようとした。それでも幾浦の手はトシのシャツに伸び、ボタンを外し出す。
「きょうーまっ!いやだっ!」
 その声を聞きつけたアフガンハウンドのアルが幾浦に体当たりをかました。
「痛い!主人に何をするんだ!この馬鹿犬!」
 馬鹿と言われたアルは唸り声を上げて怒りを露にした。
「恭眞……もう、何考えてるんだよ……」
 トシは本気で怒った。これっぽっちも自分が悪かったなどと思いもしなかった。
「ちょっと待て、お前が私を煽ったのだろう。今更それは無いだろう……」
「誰が煽るんだよ……もうやだな……」
「はいはい。私が悪かった」
 不機嫌な顔をして幾浦は言った。
「恭眞…ね、聞いて。僕、雪久さんの家に行って来たんだけど……とんでもないものを見ちゃった……どうしよう……リーチに言えないよ」
「何を見たんだ?」
 ちらりとこちらを見て幾浦は言った。まだ怒っているようだ。
「それがね、多分リーチの言っていた新しい恋人だと思うんだけど……。マンションの通路で……その恋人とキスしてたんだ。そ、それだけじゃ無くて……あの……早く欲しいとか何とか……」
 トシは顔を真っ赤にして言いにくそうに言った。
「はあ~トシはそれに煽られて帰ってきたのか……まあいい。で、どう思った?」
「雪久さんは新しい恋人の方が……好きみたいに見えた……」
 でなければあんな人目の付くところで普通しないだろうとトシは思ったのだ。
「そうか……」
 暫く二人の間に沈黙が流れた。
「恭眞……約束……守れなくても良い?」
「仕方ないだろう……行くには行ったんだ。一応守ったことになる」
「ごめんね……」
 幾浦の方にコツンと頭を寄せてトシは悲しげにそう言った。その頭を幾浦は優しく撫でる。
「お前が謝ることは無いんだ……」
 トシはいつの間にか涙が滲んだ。その雫が幾浦の指に触れた。
 リーチが辛いと自分も辛いのだ。一つの身体を共有している所為なのか分からないが、傷ついた痛みがこちらにもヒシヒシと伝わってくるのだ。
「馬鹿、泣くな」
 その幾浦の口調は宥めるようなものであった。
「だって、リーチに何て言えばいいのか分からないんだもん」
「話さない方がいいだろう。もう、そっとして置いてやるのがあいつの為だ」
「わ……分かってる……けど……」
「トシ……」
「リーチ……ほんとに雪久さんの事……愛してるのに……こんなの……ない……」
「どうにもならないことで泣くな」
 その言い方にトシは信じられない思った。
 幾浦はもっと優しかったはずだ。いや、人のことならどうでもいいのだろうか?それは例えリーチであっても、人ごとになるのか?
「恭眞って冷たい……そんな人だったなんて……」
 トシは驚きで目が見開かれた。そんなトシを見た幾浦が慌てていった。
「待ちなさい。トシと私は出来るだけのことをして、それでも駄目なのだから仕方がないと私は言っているんだ」
「冷たい!冷たい!」
 そんな簡単に駄目だと思う幾浦がトシには信じられないのだ。トシ自身も幾浦のいわんとしていることは分かっている。分かってはいるが納得できないのだ。
「違うんだ。私はそう言うつもりで言ったわけでは……」
「僕、今日は帰る!もういい。恭眞に相談なんかしなければ良かった!」
 そう言ってトシはさっさとベットを降りて玄関へと急いだ。
「トシ!」
 幾浦は急いで後を追った。
「旅行の計画は当分無しだからね!リーチが一人なのに僕が見せつけるようなことできないもん」
 靴を履きながらトシはそう言った。
「そ……それとこれとは話が違うだろう?」
 幾浦の口調は必死に宥めようとしている。それが余計にトシを腹立たせた。
「それに僕、こんな冷たい恭眞と二人で旅行になんか行きたくないもんね。じゃ、帰る!」
 バタンと音を立てて扉を閉めたトシを止めることも出来ずに幾浦は呆然とした。その後ろではアルが、幾浦がトシを追い出したと思って睨んでいた。
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