Angel Sugar

「やばいかもしんない」 第3章

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 昼過ぎに博貴が会社に出社すると、やはりというか首元のキスマークを同僚にめざとく見つけられた。今は決算時期で土曜なのだが、平日のように社員は出社しているのだ。それらの人達と挨拶を交わすと必ず視線が首元に走る。恥ずかしいことなのだろうが、ある意味良かったのかもしれないと博貴は思った。
 意外にあからさまに擦り寄ってくる女性が多かったのもその理由であった。顔には出さなかったが、博貴はうざったくて仕方なかったのだ。それも一ヶ月だけだと言い聞かせているから耐えられるのだろう。
 ホストという仕事をしているときは、これほど思わなかったのだが、きっとホストでもないのに、どうでもいい女性に、にこやかな顔をしないといけないことが嫌なのだろう。それでお金を稼いでるわけではないからだ。
「大良さん。昨日の資料出来ました?」
 大崎がそう言ってやってきた。 
「なんとか出来ましたよ。それより昨日つき合わせてしまって、申し訳ありませんでしたね」
 そう言うと大崎はパッと明るい顔になった。だが視線がやはり首筋へと向かうのが分かった。
「あ、いえ、そんな、気になさらないでください」
 照れたように視線を逸らせた大崎は、そう言って頬を赤らめた。
「……ばれますねえ、やっぱりこんな所にあると」
 博貴はそう言って笑った。
「あ、その……」
「情熱的なんです。私の恋人は」
 そう言うと大崎の顔は、益々赤くなっていく。言わない方が良かったかなあと博貴は思ったが、遅かった。
「大良さんの彼女ってきっと可愛らしい人なんでしょうね」
 大地相手だと気付いてないのだろうか?と、考えたが、普通は分からないだろうなと博貴は思った。
 まあ、そこ迄話すことも無いだろうと、大崎に合わせるように博貴は言った。
「自分で言うのもなんですけど、可愛いですよ。私の方が惚れてますね」
 もう、大地には心底参っているのだ。
「……そ、そうなんですか……。大良さんにそこまで言われると羨ましいです」
 何故か大崎はうつむき加減で照れながらそう言った。
 あんたの事じゃないよと思うのだが、博貴の顔はそんな事を考えているような顔ではなく、すっかりホストの営業用だった。
「でも相手は私がそこまで想っていると言うことを分かってくれていませんね」
 大地のことを思いだして博貴はそう言った。こっちがやきもきするばかりで、余り大地は博貴にそんなそぶりを見せない。それがちょっと悔しいのだ。
「え、本当に?」
 そう言って大崎は顔を上げた。
「まあ、仕方ないと思ってるんですけど……じゃ、そろそろ行きますね」
 博貴は時計を確認して大崎に言った。
「はい、じゃ、また後で……」
 ぺこりと頭を下げた大崎をその場に残して博貴は社長室へと向かった。
 扉を開けて入ると、紙に埋まるんじゃないかと言うくらい、机に書類を置いて酒井は椅子に座っていた。
「おはようございます」
「大良君、昨日の書類は出来上がったのか?」
 酒井は博貴のことを大良と呼ぶ。
 まあ、馴れ馴れしくされるのは勘弁して欲しかった為、その呼び方で満足していた。酒井に会って言いたいことは沢山あったのだが、今ではどうでも良くなっていた。
 あれ程憎んでいた相手であったはずなのに、実際何年かぶりにあった父親はただの中年も半ば過ぎの男であった。そして父親の本音を病院で聞かされたとき、許すしかないと思ったのだ。
 思い起こせば、母は一度も博貴に父親の愚痴を言ったことはない。母は例え陰の身であってもこの酒井という男を愛したのだと、今だから理解できるのだ。
 本当の恋愛をして初めて分かることなのかもしれない。
 それは大地がいてくれたからだと博貴は思った。
「出来ております」
 そう言って博貴は、昨日遅くまでかかって仕上げた書類を酒井に手渡した。
「済まないな……」
 酒井はやや口元に笑みを浮かべた。
「いえ、仕事ですから」
「少しは慣れたか?」
「そうですね。ですがサラリーマンはやはり水に合いません」
 博貴がそう言うと、酒井はちらりと視線をこちらに向けた。
「そうか?他の者の話しでは随分と良くやっていると言うことを聞いているが?」
「そういう部下は信用できませんよ」
 博貴が酒井と血が繋がっていることは、暗黙の内に知られているのだ。
「かもしれんな」
 又パラパラと書類に目を通して酒井が言った。
「あと、高良田のシステム手帳に接待の約束事があるのですが、あれは?」
「ああ、それはいい。一生サラリーマンとして過ごすのなら、頼んだろうが、高々一ヶ月の社員に裏の接待を頼むわけにはいかん」
「なら辞退させて貰います」
「本気でサラリーマンになるつもりは無いのか?」
「ホストの方が気楽でいいですよ。それより本気で約束を守ってくれるつもりなんですか?簡単に人にあげられるものでは無いでしょう」
 博貴がそう言うと、酒井は立ち上がって窓の外に広がるビルを眺めながら言った。
「あの場所はお前達のものだったんだ。まあ、事情があって勝手に売り払ったことは仕方ないことだ。だがね、あそこに他の人間が自分のものだと言って所有されるのは許せなかった。覚えていないのだろうが、三人で楽しく過ごした時間もあったところだ。私にとっても思いでの多い大切な土地なんだ」
 何処か遠いところを見ながら酒井は言った。そんな時期があったことなど博貴には思い出せない。だが、老いた男の思い出を壊すことも無いだろう。
「……そうですか」
「ただで移譲してやるというのに、強情を張る男がいて困ったがな」
 酒井はニヤリと笑ってこちらを振り返った。
「あそこに今、何が立ってるか分かってらっしゃるでしょう。土地だけなら私も、くれるものなら、貰ってやろうと思えますがね、それに今の条件もただ同然でしょう。端から見たら気が狂ったと思われかねませんね」
 呆れた風に博貴は言った。
「それで、一生サラリーマンになってくれと頼んだとしたら、受け取ってなどくれないだろう?」
「当然ですよ、ただ、あの時は本当にお金が欲しかったんですよ」
 母親の医療費のために博貴は土地と家を売ったのだ。
「そうか、まあ、いい。どうせ私が死ねば、どうなるか分からない所だ。今の内に分与したい相手にさっさと渡してしまう方が良いと思っただけだ。ただ、私が不思議だったのは、どうして断らなかった?」
「そうですねえ……、最初断るつもりだったのですが、よく考えて最上階を愛の巣にするのも良いかと思っただけですよ。ホストに戻るよりオーナーもいいかなと。まあマンションの一部屋二部屋買えないわけではありませんが、私が買ったと言ったら嫌がったでしょう。仕方なく譲り受けたという方が、素直に一緒に住んでくれると思ったから断らなかったんです。素直じゃない恋人を持つと苦労します」
 そう言って博貴はクスッと笑った。それを見て酒井は最初驚いた顔をしたが、次に破顔した。
「なるほど、意外に策士だな」
 何故か満足そうな顔で酒井は言った。
「そうですか?」
 博貴はこんな風に酒井と話せる日が来るとは思わなかった。だが、悪い気分では無かった。何処かで母親がこれをみて喜んでいるような気がした。
「そうだ、秘書の大崎君はなかなか仕事が出来るだろう。で、どう思う?」
「ええ、良く手伝って貰っています。その後のどう思うとは?」
 怪訝な顔を酒井に向けて博貴は言った。
「いや、大良君にどうと聞いているわけではないぞ。そうではなくて、大崎君は副社長の娘さんなんだが、以前からなかなか見合いが決まらなくてな。私や父親から見て分からないところで、何かあるのだろうかと……」
 酒井は腕を組んでそう言った。
「いえ、別にそんなところは……。とても性格の良いお嬢さんだと思いますが。もしかしたら、どなたかとおつきあいされているのではありませんか?だから見合いが上手くいかないとか?」
「それなら何か父親に相談していると思うが……」
 相手がいてその相手を相談できない理由は不倫か、後は余程仕事が好きかどちらかだ。だが博貴はその事を言わなかった。そんなことに関わりたくないからだ。
「さあ、ご本人に聞かれたらどうですか?私はそう言うことには力になれませんよ」
「分かっている。そろそろ時間だな」
 時計をちらりと見て酒井は言った。
「既に下に車を用意させています」
 まるで自然な口調で博貴は言った。酒井はそんな博貴に頷いて立ち上がった。



 夕方秋田の実家に着いた大地達は懐かしの我が家の玄関をまたいだ。ふと大地は自分の家がこれほど古かっただろうかと、思った。
 都会は奇麗な建物が多い。だからそう思うのだろうか?
「疲れたでしょう?」
 母親がそう言って二人をすぐに居間へと座らせた。父親は既に座ってくつろいでいる。
 戸浪が二人に土産を渡し、久しぶりに家族で食事をとった。
「そういや、うちってこんなに古かったっけ?」
 大地がそう言うと母親が困ったような顔をしていった。
「そろそろリフォームしたいのだけどね。家自体が古いでしょ?道場もかなり古くなってきて居るんだけど、先立つものが無いのよ」
「ふうん……お金か。あ、俺少ないけど出そうか?」
 そう言えば、大地には事故にあったとき支払われた慰謝料が、銀行に入ったままだった。入院費などは別に博貴の父親が全て精算しており、その後勝手に振り込まれた三千万は手をつけるのも躊躇われたのだ。
 それ以来、銀行からの定期の案内も全て断り、口座に入ったままだった。だがそんなことを知らない父親は笑いながら言った。
「薄給の息子から金はもらえんよ」
「お父さん、私も少しなら出せますよ」
 戸浪がそう言った。
「そりゃあ薄給だけどさ、俺この間事故にあったじゃん。それで慰謝料貰ったんだけど、使い道無くてさ、給料で俺充分満足してるし……。うんそれがいいよ。俺振り込むから後で口座番号教えてよ」
「大地、お前が貰ったものなんだからいいのよ。取って置いて将来の為に役立てなさい。これから結婚だってするんだろうから、お金はいくらあっても困らないわよ」
 結婚かあ、するのだろうか?
 博貴とつき合っている限り、相手は男なのだから結婚などできやしない。この先、ずっと一緒に居るのだろうか?それとも将来、自分は誰かと結婚して子供をもうけるのだろうか?そんなことをぼんやり大地が考えていると戸浪が意味深な目線でこちらを見た。
「あ、結婚資金はこれから貯めればいいしさ。俺まだ十八だよ、結婚なんて考えてねえもん。今まで育てて貰ったお礼だと思って気軽に受け取ってよ。俺の金じゃねえしさ、俺入院したとき母さんが速攻来てくれただけで充分だよ。それにこの年で金もったら俺身持ち崩しちゃうよ。それよりさー今度帰ってきたとき家潰れてるといやじゃない。それに一番上の早樹にいが結婚に一番近いけどさ、嫁さんぼろ家見て嫌がったらかわいそうだろ」
 そう言うと両親は顔を見合わせて苦笑した。
「大、それでお前、いくら貰ったんだ?家を直すのはかなり金がかかるんだぞ。そんな気前よく言って百万程度じゃ屋根の瓦を直すくらいしか出来ない」
 戸浪が呆れてそう言った。
「戸浪、良いのよ。母さんいい息子達をもって幸せだわ……」
「いくらって……俺、戸浪にいに言わなかった?」
 大地がきょとんとした顔で言った。
「ああ、聞いてないよ」
「三千万」
 と大地が言った瞬間に父親と戸浪が飲んでいたビールを吹き出した。母親は呆然としている。 
「どうしたの?」
「お、お前、慰謝料ってそんなに貰うものなのか?だってお前、確かに跳ねられはしたが、命に別状のある怪我じゃなかったし、すぐに退院しただろう?」
 戸浪が口元を拭きながらそう言った。
「しらねえよ、俺は病院代だけ出してくれたらそれで良かったんだけどさ、俺が悪い事故だったし……。でもあっちが勝手に振り込んできたんだよ。返すっていっても聞いてくれなかったし、仕方ねえから銀行に入れたままなんだ。見た事ねえ大金なんか怖くてつかえねえし……使い出したらマジで、会社も行かずにギャンブルとか使ったりして遊び回りそうだろ?だからそっと置いたままになってるんだ。だけど家直すのに使って貰ったら有意義じゃない?」
 大地がそう言うのだが、両親はかたまったまま無言だった。
「もー……口座教えてくれねえんだったら、俺、今度来るとき鞄に詰めて持ってくるよ」
 と、どの位の札束になるか分からない大地はそう言った。
「分かった、大地分かった。口座は教える。だから持ってくるんじゃない。誰かに襲われたらどうするんだ?」
 大地はこうだと思ったことは必ず実行するのを知っていた父親がそう言った。だがその声は震えている。
「三千万あったら瓦新調して壁もなおせるかなあ……」
 大地はのほほんとそう言った。だが秋田の田舎でしかも土地は澤村家の物だ、家自体リフォームかけるだけなら何千万もかかりはしない。
「大地……ごめんねえ」
 母親が何故か涙ぐんでいる。
「なっ……何で泣くんだよ!俺別に悪いことしたわけじゃ……」
「お前が事故で身体を痛めたその慰謝料でしょう?大切なお金じゃないの」
「だーかーらー俺が使い出したら人の道はずしちゃうよ」
 ははっと笑って大地は言った。
「まあ、確かに言えるな……」
 戸浪がそう言って笑みを零した。
「うるせえ!自分のことを良く分かってるって言ってくれよ」
 そう言って大地は母親の作った料理を口に頬張った。今度帰ってくるときには奇麗な家になってるだろうと考えると、大地はなんだか嬉しくなった。
 夜九時頃になると大地が帰ってきているのを聞いた友人達から電話が入り、遊びに行くことになった。母親に遅くなったら玄関を閉めて置いて貰うように言いながら飛び出して行く。戸浪はその後に続くように靴を履いていた。
「全く、折角戻ってきたんだからゆっくりすればいいのに……」
 母親が戸浪の後ろに立ってそう言った。
「友人と会う機会が無いですからね。嬉しいのですよきっと」
「お前もでしょう?」
「え、あ、はい」
 戸浪の場合は、祐馬が泊まるホテルへ行くのだが、それは言えなかった。
「まあ、相変わらずってところかしら……」
 ふふっと笑みを見せて母親は微笑んだ。
「でも大地……本当に良いのかしら……」
 先程のお金のことを母親はまだ気にしている。
「良いんじゃないですか?あいつがああ言ってるんですから。都会に居ると色んな誘惑がありますが、大地は本当に無関心で……あいつは何処にいても変わらないでしょうね。あれだけ金があったのに、この間、俺金が無くて米買えなかったんだって笑ってましたよ。なんだかそれも大らしいというか何というか……」
 だが、すぐに大地の彼氏の博貴が米を買ってきたのは黙っていた。
「お米が無いの?言えばそのくらい送ってあげるのに……あの子……」
「あいつはあいつで一生懸命自立しようと思ってるんでしょう。最近私もそれに気が付きましたよ」
 戸浪はそう言って立ち上がった。
「ところで戸浪、貴方も朝帰りするつもりなの?」
「え、多分……友人達と朝まで飲むつもりですから……」
 違うが戸浪はそう言った。
「こういう時、女の子が欲しかったと思うわ……」
 呆れたように母親が言った。戸浪は苦笑した。

「大ー!ひっさしぶりだなあ」
 同級生が六人ほど集まった居酒屋で大地はこづき回された。
「いてえよ!何すんだよ」
「挨拶代わりじゃん」
 そう言って一番仲の良かった徹は大地の首に腕を巻き付けてそう言った。
「離せよ……もー……」
 パシパシと徹の手を叩いて大地は言った。
「そういやお前は就職したんだよな……」
「うん。そっかーみんな大学生だよな」
「そうそう、でも一番学生っぽいのお前だよ」
 拓也がそう言って笑った。
「……うーっせいっ!んで、何処の大学?」
「お前知らなかったよな。そういや、俺らお前の連絡先知らなかったんだ。お前のお母さんに聞いたけど教えてくれなくてよ」
 それは大地がきつーく母親に言うなと言って置いたからだ。来られたら困る状況なのだから仕方ない。
「まあ、ね……突然来られると困るからさ……ちっさいコーポだし……」
 大地はそう言った。
「俺と千尋と金澤は東京の大学だよ」
 徹がそう言ってビールを飲んだ。
「えっ!?何処何処?」 
「千尋と金澤は早稲田、俺は慶応……後は地元だよ」
「……そんなに頭良かったっけ?」 
 確かに徹は頭が良く、いつもテスト前大地は頼っていた。
「これだよ……だから俺達三人は良く飲みに行ってるよ。まあ、学校も学部も違うからなかなか会えないけどね。そん時は必ず大の話しも出てたよ。やっぱり社会人になって会いづらいのかなって……ちょっと気を使ってたんだけど……教えろ住所!」
「あ、うん。ごめん……会いづらいなんてそんなことねえから……ただ俺……警備会社に勤めてるから、時間が不規則でさ……」
 そう言って大地は自宅の住所を裏に書いた名刺を渡した。
「あれ、一流の警備会社じゃない?」
 千尋がそう言った。
「んーまあ、商社とか無理だし……営業なんか出来ないし……空手しか知らないからさ」
 大地はへへっと照れた笑いで言った。
「この就職難!お前は良い選択したのかもしれないぞ、今ちょっとばかり良い大学出ても就職口無いからな」
 徹が分かったように言った。
「じゃあ、たまには会おうな大!」
 そう言って金澤は自分の住所を書いた紙を渡した。
「うん。俺、都会で寂しかったから、すげー嬉しい」
「おお、都会に行ってこいつ口も上手くなったぞ」
 徹はそう言って、笑った。
「……はあ、んなわけねえよ……」
 大地は溜息をついてそう言った。
「で、何でお前ジュースなんか飲んでるんだ?ビール飲めよ」
「え、ほら俺、未成年だし……」
 外では飲むなと博貴にきつく言われていたのだ。守るつもりは無かったが、何となく飲まない方が良いと自分でも分かっているので、ずっとジュースを飲んでいたのだ。
「なーにいい子ぶってんだよ!飲め飲め!」
 そう言って無理矢理飲まされているうちに、大地の方もまあ良いかという気分になってきた。久しぶりに友人達と飲む酒は格別だったのだ。
 そうやって、はしゃいでいると大地の携帯が鳴った。
「もひもひ?」
『……飲んでる?呂律廻ってないよ』
 博貴だった。しかもこちらの状況に気付いたのか、急に声のトーンが下がった。
「の、飲んでない……飲んでないよ……」
 必死に平静を装って大地は輪を離れ、手で電話だからとみんなにジェスチャーすると、店の外へと出た。
『それにこんな時間に何処に居るんだい?無茶苦茶バック五月蠅かったけど……』
 大地は目を擦りながら時計を見ると一時を過ぎていた。
「……うーん……居酒屋。昔の友達と騒いでる……」 
 店の外にある川沿いのガードレールに腰を下ろして大地は言った。
 頬を撫でる風が気持ち良い。
『それで飲んでる?』
「……ちょっとだけ……ちょっとだけだよ……ほら、ちゃんと俺しゃべってるだろ?」
 心許ない意識を必死に叩き大地はそう言った。博貴は飲んだ大地に関してものすごく心配をするのだ。
 まあ過去の所行を知られている為、仕方ないことではある。
『未成年』
「……だってさー久々なんだぜ、いいじゃん」
 ムッとして大地はそう言った。
『言っておくけど、君の身体には何が付いてるかよーく思いだして、裸踊りとかしないようにね』
「だっ……誰がんなことするよ!」
『酔うと君は信じられないこと平気でしちゃうから心配なんだよ』
「……まあったく……俺だってやって良いことと悪いこと……あいたっ!」
 後ろから徹に羽交い締めにされて大地は仰け反った。
「あーれー何やってるんだよ大……彼女に電話?」
「いてえって、離せよ……俺……電話……」
「夜はこれからだろ?電話なんか後にしろよー……」
 背中に張り付いた徹は完全に酔っぱらっていた。
「うるせえな……何だって良いだろ……抱きつくなよ、俺大事な電話……」
 うっ!俺今何言った?抱きつくなとかいっちまった!まずい!
「酔っぱらってるんだ友達……あの……あのさー」
 切れていて欲しいと思いながら、携帯を耳にあてて大地は言ったが、しっかりまだ繋がっていた。
『ふうん……楽しそうだね』  
 博貴の機嫌が無茶苦茶悪いのが聞こえてくる声で分かった。
「電話するから……あの……切るよ」
『仕事で疲れて帰ってきて、声だけでも聞きたいと思って電話すればこれだ。こっちは欲求不満だよ』
 溜息と共に博貴は言った。思わず顔が赤らむ。
「……ごめん……あの、あのさあ……」
『そろそろ私帰りますね……』
 と、ちょっと離れたところからそう言う声が聞こえた。女の声だった。博貴の側に誰か居ると言うことに大地は気が付いた。
「な、今の何だよ!!」
『え、あ、違う……今の……』
 急に慌てたような博貴の声だった。問いつめようとした大地を、後ろから押しつぶすようにのしかかった徹の所為で前に転んだ。その拍子に携帯が転がり、慌てて掴んだが電話は切れてた。
 なに?今の……
 あいつもしかして女の連れ込んで、その上、二人でいちゃついている所から電話かけてた?
「大ーーっもっと飲めえ」
 こっちは頭がこんがらがっているというのに、酔っぱらった徹は背中に張り付いて離れようとしない。頭に来た大地は思いっきり引き剥がした。
「こんのー酔っぱらい!」
 その拍子に徹はコロンと転がって川へ落ちた。
「嘘っ!!と、徹!!」
 大地は慌てて浅い川に入り徹の首根っこを掴んで上へ引き上げた。びしょびしょになった徹は何が起こったのかも分からないようだが、水に浸かった所為で意識を取り戻した。
「……あー何?俺何でからだ濡れてるの?」
「お、お前が川に落ちたんだよ!飲み過ぎ!!」
 正確には大地が川に突き落としたようなものだったがそう言った。
「んーごめん……何か久々に嬉しくてさ……」
 そう言って徹の瞼が落ちてくる。
「馬鹿寝るなよ。俺にどうしろっての!?」
 うとうとしてこちらの言葉が耳に入らない徹を引きずって店に戻ると、徹状態の他五名がそこにいた。
 俺も一緒に酔った方が良かったんじゃねえの?ふとそう後悔しながら、ポケットの携帯をみると、携帯は水に濡れてびしょびしょだった。
「げ、こ、これじゃあ壊れたよな?……嘘だろう……」
 はあああっと大きな溜息をついて大地はタクシーを呼んで全員を送った。最後に徹をタクシーから降ろすと、眠っていたはずの徹が目を開けていた。
「寒い……」
「ったりめえだよ、ざぶざぶ川泳いだんだから……」
「お前も濡れてるじゃん……」
「しゃーねーよ。お前を引きずり上げるのに、こっちまで濡れちゃったんだ」
 その上携帯までおじゃんだ。
 もう最悪だった。
「ごめんなー……そだ、うち寄ってけよ、そんなんじゃお前だって風邪引くぞ。どうせ両親も今日はいないし、俺の服貸しやるよ」
 酔いが醒めたのか、徹ははっきりと言った。川に入った所為だろうと大地は思った。
「……んーその方が良いかな」
 大地は徹に促されるままに大地は徹の家に入った。学生の頃は良く、ここの家に遊びに来たものだと大地は思いだした。
「どうしたんだよ?」
 玄関で徹は上着やズボンを脱ぎながら、ぼんやりしている大地にそう聞いた。
「俺、ここによく遊びに来たよなあって思いだして、なんだか懐かしくてさ」
「そうだよなー、ふすまとか破って良く怒られたよなあ……お前見かけに寄らずやること派手だから……母さん困ってたよ」
「そ、それはいいっこなしだろ」
 大地は、あわあわと言った。
「ちょっと待ってろよ、俺、タオル持ってくるから」
 徹はいつの間にかパンツ一丁になって、ぺたぺたと廊下を裸足で歩いていった。大地も自分の上着を脱ごうとして、はたと気が付いた。
 ちょっと待て、俺は服ぬげねえんだった!!
 博貴が執拗につけたキスマークが身体中にあるのだ。
 こんなものを徹に見られる訳にはいかない。
「大、さっさと脱げよ」
 徹が戻ってきてタオルを差し出しながらそういった。
「あ、いや、俺、ついこの間、手術してるし、その跡見られたくないから……いいよ」
 ちがーう、キスマークが一杯ついてるんだ~
 こんな事をしでかした博貴に対して怒りがこみ上げてきた。
「手術?どっか悪かったのか?」 
 心配そうに徹が言った。
「あ、ちょっと事故にあってさ、じゃ、俺帰るわ……」
 慌てて大地が玄関を出ようとすると、徹が腕を掴んで引き留めた。
「俺別に見たって気味悪がったりしねえぞ、良いから服脱いで着替えろよ、あ、それともそのまんま風呂に入る?」
「……そ、そうだ。風呂、風呂入るよ」
 そこで服を脱げば良いだろうと大地は思った。
「俺も入ろうと思ってタオル取りに行ったついでに今湯を入れてるから……何でも良いけど、脱げ!風邪ひくっての……」
 呆れた風に徹が言うのを色々理由を付けて大地は断った。
「……何か変だよな……お前……」
「いや、別にいつもと同じだよ……」
「ふうん……でもさ、その濡れた格好で上には上げられないぞ」
「ここで待ってるからいいよ、あ、そだ、電話貸してよ。母さんに電話いれとくから。俺の携帯お前を引き上げるときに濡れちまってぶっこわれたみたいだから……」
 ははっと笑って大地はそう言った。
「え……そうなのか?ごめん……」
「ううん、気にするなよ……俺も不注意だったから……」
「電話、ちょっとまってろよ」
 大地は仕方無しに玄関の入り口のところで座って待つことにした。もうすぐ夏だというのに濡れた身体が冷えて寒い。これもそれも博貴の所為なのだ。その上、あの電話の最中に聞こえた女の声は一体誰なんだろうと、そちらの方が気になった。
 時間も時間である。昼間ではない。夜それも十二時を過ぎて側にいる女はどう考えてもベットを共にしている女としか考えられないのだ。
 モヤモヤ考えているところに徹が携帯を持ってきた。
「俺のでよかったらつかえよ、お前が電話してる間に、ちょっと風呂見てくるわ……」
「わりい……」
 大地は携帯を受け取り、博貴の携帯に電話を入れた。もう寝たかもしれないとは思ったが、寝ていたとしてもたたき起こせば良いのだ。
 携帯はすぐに繋がった。
「もしもし?」
『あ、大地?』
「うん……あのさ」
『さっきから大地の携帯に電話を入れようとしてたんだけど繋がらなかったんだ』
「俺の壊れたんだよ。川に落ちてさ」
『川?なんだいそれは……』
「そんなこたあ、どうでも良いんだよ、俺の聞き間違いかどうかしんないけど……まさかお前女と一緒にいる?」
 大地は聞いた。
『あれはねえ、ほら、会社の大崎さんだよ。君もこの間あったでしょ。仕事でね……』
「あーそーか、大崎さんかーってな、それで俺が何でも納得すると思ってるのか?時間お前分かってる?そんな遅くに何でお前んちに居るんだよ!」
 大地はそう怒鳴るように言った。
『嫉妬してくれてるの?嬉しいな……』
 クスッと博貴が口元で笑うのが大地には分かった。
「だっ……だれが!違うだろ!俺が言いたいのは……」
『さっきのは大崎さんが、いつまでも私が携帯を離さないから、仕方なく声をかけて帰ろうとしていたんだよ。いつもの如く仕事を持って帰ってるんだ。それに大崎さんがつき合ってくれているだけ。君が気にすることは何にも無いよ』
「……ほんとか?あ、でも……」
 博貴がそう言うのならそうなのだろう。大地は仕方無しにそれを信じることにした。
「大、風呂沸いたぞー久々に一緒に入る?」
 そこへ徹がやってきた。いつも間の悪い男なのだ。
「誰が?。じゃ、また……そういうことで」
 げ、と、思った大地はそそくさと会話を終わらせようとした。
『君……君こそ何処に居るの?』
 ムッとしたような口調で博貴が言った。
「友達の家だよ。じゃ、俺明日帰るから……」
 と、まるで母親に話しているように言うとさっさと電話を切った。帰ったらまた博貴にどやされるなあと思いながら徹に携帯を渡した。
「先に入って良いよ、パジャマ置いといたから勝手に着てくれていいからさ、まあ、勝手知ったるなんとかだし、風呂場も覚えてるよな」
「うん……じゃ俺風呂入ってくる」
 大地はそう言って風呂場に向かった。さっさとこの濡れた服を脱ぎたくて仕方なかった。
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