Angel Sugar

「やばいかもしんない」 最終章

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 藤城の家に着いて応接室に通され、一通り話しを聞いた。
「結局……」
 いつもと変わりない口調で藤城が切り出した。
「君のトラブルが大君に飛び火したと言う訳か」
 ムッとしたが、確かにそうなのだから仕方ない。話の内容はこうだ。藤城の所の人間が、五十万出すからといって大地の事を依頼したのだ。頼まれた方ももしもの時のために隠しカメラで依頼者の女性をビデオに収めていたからその人物が分かったが、それは大崎だった。まさか大崎がそこまでするとは思わなかった。
「それを引き受ける方も引き受ける方だと思うがね」
 博貴はそう言った。
「……まあ、大君を助けたのもうちの安佐なんだし、以前彼が事故にあったときもすぐに病院に運んだのも安佐だ。私に文句を言って貰っても構わないが、安佐に対しては感謝してもらいたいね」
 そう言って藤城はニッコリと笑った。この藤城の独特の雰囲気に博貴はなじめない。年齢が自分より上というのもあるが、年より落ち着いた物腰といい、何を考えているのか計れない。どうも博貴の知り合いにはいないタイプだ。
「……」
「それで、君はその知り合いの大崎という女性に対してどうするつもりでいるのかな?」
「私が何か言うと彼女が今度何をしようと思うのかが怖いですから……殴ってやりたいのは山々なんですけどね」
 それが本音であった。下手に責め立てると、周りに何を言うか分からない。これ以上大地を傷つけられるのはごめんである。
 ただ、どういう理由でこちらに絡んでくるのかが漠然として分からない。
 何か事情があるのだろうか?
 だがそんな理由などこれっぽっちも思い当たらないのだ。
「とりあえず、大地はうちのビルの担当を外して貰います。私の方も期限あと少しで終わりですからそれが済めば、あの会社に行くことも無いでしょうし……」
 そう博貴が言うと藤城がニヤッと口元を歪ませて笑った。
「実は相談なんだがね。今回は私も怒っているんだよ。私にとっても大君は大事な友人だからね。その上、煽られるだけ煽られて、さっさと連れ帰られちゃこっちもたまったものじゃない。その怒りを何処かにぶつけることが出来ないと、気分が悪いんだよ。だから君が出来ないと言うならうちで何とかしようと思うんだが?」
 気分が悪いという表情などこれっぽっちもしていない藤城はそう言って、なんだか嬉しそうな口調で言う。
「何とか?」
「ああ、断って置くが、私が提案したんじゃない。安佐がそうさせてくれと言ってきたんだよ。ああ、大君を酷い目に合わせようとした若い奴らは安佐に腕を一本ずつ折られてるからそれで許してやって欲しいんだが、安佐が言うにはその女性を強請ってもいいかと聞いてきた。だが返事はまだしていない。こちらはむこうが依頼してきたときのビデオを押さえている。それを餌にしてと言う訳なんだがね。まあ、別に君に許可を貰わないといけないことでは無いんだが……どうかね?」
 本当に期限付きで雇われている若頭か?
 と思うくらい藤城のその姿は堂に入っている。
「……金が欲しいのか?」
 そう言うと藤城は笑い出した。
「そうじゃない。こんな事をしたら反対に酷い目に合うと心底思って貰いたいんだよ。また同じように、それも私の所じゃない組に大君のことを依頼されると困るからね。少し痛い目に合って貰わないと自覚しないだろうからな。だが強請った金は後で君のうちに慰謝料として届けさせて貰うよ」
「金はいらない。あとは勝手にしろ。私は知らなかったと言うことにしてもらう。やくざのことはやくざのやり方でケリを付けてくれればいい」
 話しはもう終わりというように博貴は立ち上がった。藤城の方は「私だって君と同じように期限付きの雇われなんだが」と言って肩をすくめた。だが、どこから見ても藤城はやくざの若頭といわれて抵抗のない雰囲気と度胸を持っている。
「私もまだ腹が立っている。でも、ま、……ありがとう……。感謝している」
 博貴は玄関口に立って、藤城に背を向けたままそう言って扉を開けて外へと出た。
 そこで一つ思いついた。
「……少し提案がある……」
 博貴は見送ろうと出てきた藤城に言った。
「なんだね?」
 そういう藤城にあることを話し、了解を得た。
「……この位のオプションがあっても良いだろう?こっちは酷い目に合ったことだし……理由も知りたい……」
 そう博貴が言うと藤城はただ頷いた。
 外はもう日がビル群にかかっている。大地はまだ眠っているのだろうか?
 博貴は、小さく溜息をつくとようやく家路についた。

 気が付くと周りは薄暗かった。いや、正確には分厚いカーテンが窓を覆っているために薄暗いのだ。大地は目を擦りながら起きあがり、ベットを降りるとカーテンを開けてみた。すると、真っ赤な夕日がビルの谷間から顔を出しており、ビル群全体を赤く染めていた。その光を受けて部屋には大地の長い陰が出来上がる。
「すげえ……奇麗……」
 夕日の反射したビルは赤いと言うよりピンク色をしている、真上の空は深い青色で星の輝きも見えた。都会でも星は見えるんだと大地は何故か感激してしまった。普段はスモッグに曇り、星など余り見えない。だが時折気まぐれのように澄む大気が、星の存在を思い出させてくれるのだ。
 ちらりと大地は室内時計を確認してもうすぐ六時になることに気が付いた。
「大良遅いなあ……」
 呟くようにそう言って広いベットの端に座り、そのまま仰向けにシーツに沈んだ。スプリングが程良く効き、羽布団はくるまっているだけでも至福だ。このベットでは何時間でも眠れるなあと大地が考えていると、またうとうととしてきた。
 遠くの方でカチャンと音が鳴った。その音で大地は顔を上げた。博貴が帰ってきたのだろう。大地がうーんと身体を伸ばして、ベットからおり、床に足をつけると同時に博貴が寝室に入ってきた。
「ただいま大ちゃん」
 言ってギュッと抱きしめる。
「あー……もー……お前いちいち抱きついてくるなよ……」
 くったりとして大地が言った。
「よっぽどお疲れだねえ」
 廻してきた腕を解くこともせずに博貴が言った。
「……でさ、話し……聞いてきたんだろ?」
 大地はそう言って博貴の顔を見つめた。すると今まで笑顔だった顔が急に真剣な顔になる。
「実はね。最初隠しておこうかと思ったんだけど、事実は事実として知る権利が君にもあると思った。だから話すよ……」
 そう言って博貴が続けて話した内容に大地は声が出なかった。
「……」
「ショックだと思うんだけど……済まない…」
「……俺そんな恨まれるような事……してねえぞ。お前か?お前がなんかやったのか?」
 自分に思い当たることがないとなれば、後は博貴しかいない。
「私を疑ってるのかい?」
 博貴は驚いた顔で言った。
 何だか嘘臭いのだ。
「疑いたくないけどさ……じゃ何でこんなこと俺されなきゃなんないんだ?」
「疑われた……」
 じとーと博貴に見つめられて大地は慌てていった。
「だからっ!理由が分からないからどっちかってことになるじゃないかっ!お前じゃなかったら俺じゃないかよっ!俺は心当たり無いんだから……」
「だから私って言いたいのかい?」
 ムッとした顔で博貴が言った。
「だってさあ……じゃ何でこんな事するんだよ……あの人……」
 どう考えても理由が分からないのだ。
「私もそう思ったんだよ。だからね……」
 くすくすっと笑って博貴が意味ありげに言った。
「何だよその笑い……」
「ちょこっと、大崎さんにも痛い目にあって貰おうと思ってね」
 と、言うので大地は博貴を殴った。
「自分がされたからって相手にも同じ事をするっていうのは俺感心しないぞっ!」
「痛いなあ……違うよ大地。同じ事をするつもりは無いけど……理由を聞くには少しばかり怖い目にあわせなきゃ吐かないだろ?それにねえ、君はそう言ってるけど、君が無事でなかったら、例え相手が女性であっても私は許さないよ」
「……お前って……」
 怖い……
 だってこいつ、自分の腹まで刺せる奴なんだ……
 実際、本気になったら怖いんだよなあ……
 普段のへらっとした表情はホストとして博貴が身につけた仮面なのだ。本来は真面目でいつだって真剣なのを大地は知っている。
 いや、エロいのは元々だけど……
「なんだい?」
「何でもねえよ。でもさ、痛い目って……怪我なんかさせたら俺許さないぞ」
「そんなつもりは無いよ。納得できる理由ならまあ、少しくらいは許してやろうと思えるだろうけどね……藤城が心配しているのは、藤城のところで失敗したから、違うところに頼んだ場合、今度は本当に君が危ないって言うんだよ。だからそんな事されないように釘を刺しておかないと君だっておちおち表を歩けなくなるだろ?」
「……げ……」
 それは勘弁して欲しかった。
「藤城も謝ってたよ。済まなかったって」
「……そか……」
 だが藤城はそれを知っていてあんなことを裏でやっていることを黙認しているのだろうか?それは考えたくない。
「大ちゃん?どうしたの」
「え、あ、そのさ、藤城さんってそう言うこと裏でやってるのかなあ……やくざってそう言うことしてるわけ?俺……藤城さんは違うって思いたかったんだけど……違うのかな?やっぱり雇われでも犯罪みたいなことやってるのかなあって……」
「……大ちゃん。あれは藤城の本意じゃないよ。若いちんぴらみたいなのが、勝手にやったみたいだしね。藤城自身はその事にすごく怒ってた。じゃあ君じゃない誰かを金のために、そんな目に合わせようなんて藤城は許さないよ」
 博貴はそう言って大地の額を撫で上げた。
「……本当か?藤城さんがそう言ったのか?」
 そう大地が聞くと博貴は頷いた。
「……良かった……俺……藤城さんは違うって思いたかったんだ……」
 ホッとして大地はそう言った。
「はあ、藤城の弁護なんてしたかないんだけどね。嘘を言うわけにもいかないし」
「良かった……俺……それずっと気にしてたんだ……」
 そう言うと博貴は大地を抱え上げた。
「あのさあ、もう藤城の話は止めようよ大地……私は藤城って名前が出るだけでも嫌なんだからね」
「……はいはい」
 藤城を弁護したことだけでも奇跡なのかもしれないと思いながら大地は言った。
「そうだ、大ちゃん。君明日からうちの警備外れたからね」
「はあ?」
「酒井がね、知ってる人がいると恥ずかしいんだって」
「恥ずかしいって?なんだよそりゃ??」
「この間廊下で会って、どうも照れくさかったらしい。それで警備会社に連絡したんだって。知っている人だから出来たら外して欲しいってさ。働く姿は見せるのが気恥ずかしいって君の上司に言ったそうだよ。さっき電話貰ったんだけどね」
「……なんだよそれ」
 そんな理由が通るのかどうか大地には分からない。
「私だって君に見られたくないよ。似合ってないサラリーマン姿なんてねえ」
「……お前が何か言ったんじゃねえのか?」
「言うわけ無いでしょ。全くもう。君の仕事に口出しする気はないよ。それにただの雇われサラリーマンが君の上司にそんなこと言えるわけないでしょ。社長特権だろ」
 だからお前が父親に頼んだんじゃねえのか?と聞きそうになったがそれは止めた。博貴がいくら酒井のことを許したとしても、父だとは決して言わないだろう。頼み事もするほど仲良くなっているように見えない。 
「恥ずかしいかア……」
「恥ずかしいよ。何たって君は私の大事な恋人なんだからねえ」
 くすくす笑いながら博貴が言った。
「……だったな、お前ばらしてるんだもんな……」
「はいはい、それで君、歩けるかい?今晩は外で夕食を摂ろうと思ってるんだけど……」
 博貴がそう言うので大地は頷いた。
 何とか歩けるだろう。
 なあんて思っていたのだが、外に出てマンションの外観を確認し、大地はまたよろけたところを博貴に抱きかかえられた。


■     ■     ■



 新しいマンションにようやく慣れだした頃、藤城から電話が入った。だがそれを横から取ったのは博貴だった。
 何、話してるんだろう……
 と、大地は電話で話す博貴を見ながら、夕食の準備を続けていた。
 ようやく電話が終わると、博貴はこちらを向いていった。
「大地、今から出かけるよ」
「え?」
「拉致成功」
 ニッコリ笑って博貴は言ったが、何が拉致なのか分からない。
「は?」
「大崎さんの事だよ。捕まえたってね。下にバンを待たせてるからそれに乗ってくれってさ」
「……犯罪だ……」
 こっちも色々されたのだが、何故か喜べないのだ。逆に博貴はうきうきとしている。
「なにが犯罪なんだい?向こうのやったことの方が犯罪だろ?」
「だってな……」
 あれ以来、大崎から何も言ってこなかった為、大地はもう半分忘れていたのだ。何より博貴はもう既にあの会社での勤めを終え、またホストとして働いている。そう言うこともあって日常を取り戻した大地には、あれはもう忘れて良いことだと思っていたから、今更と言う気がしてならないのだ。
「ほら、行くよ。君は何だってそうすぐに忘れるのは良いことだけどね、理由ははっきりさせておかないと私が安心して眠れないんだよ。分かるかい?」
 博貴は言い聞かせるように大地に言った。
 確かにあれがあった後、暫くは本当に博貴は毎日心配していたのだ。
「う、うん……でもさ、怪我とか追わせたりしてないよな……俺そういうのは……」
「藤城は気質だよ。そんなことしやしないさ……」
「そうだよな……」
 藤城は優しい男だ。いくら何でも酷いことはしていないだろうと大地は思った。
「じゃあ行こうか……」
 大地は促されるまま上着を羽織って出かける用意をした。 
 マンションの玄関まで降りてくると確かにグレーのバンが止まっていた。だが硝子が全て黒いシートに覆われており、外から中が見えなかった。
 そんなバンから安佐が降りてきた。
「ぼん、久しぶりです。今回は本当にすんませんでした……」
 安佐は恐縮しながらそう言った。
「え、いえ、俺安佐さんに助けて貰ったんだし、俺の方がお礼言いたかったから……安佐さんありがとうございました」
 大地はそう言ってぺこりと頭を下げた。
「いや、止めてくださいよ……俺、そんなのされたらまた若頭に怒られてしまいます」
 手をぶんぶん振って安佐は言った。
「ところで藤城さんは?」
 博貴がそう言った。
「若頭は先に向こうに行って待っておられます。ちょっと場所を知られるとまずいんで、こういう車を用意させていただきました」
 苦笑いしながら安佐は言った。
 何だか色々言いたいことがあるのだが、何も言わずに大地はその車に乗り込んだ。

 降りたのはどこか分からないマンションの地下駐車場だった。そこから三人は歩き、上に上がらずに更に地下に降りた。
 こんなところがあるんだ……と、思っていると機械室らしき部屋の奥に扉があり、その前に住友と藤城が立っていた。
「やあ大君、久しぶりだね……」
 こちらに気が付いた藤城がそう言って微笑んだ。
「あの……俺、一杯迷惑かけちゃって……」
 やや視線を下に逸らせて大地は言った。以前、自分の醜態を見られたのだからそれも仕方ないだろう。
「あれはこちらが悪いんだ。君が申し訳がることは何も無いよ」
 と言って藤城が大地の頭を撫でようとするのを博貴が遮った。
「で、問題の彼女は何処です?」
 ムッとしながら博貴が藤城に言うと、苦笑しながら「この扉の向こうだよ」と言った。
 博貴が扉を開けて中に入る後から大地もついて入った。藤城達は入ることなく、外で待つ体勢で動かなかった。
 中は六畳ほどで、床や壁はコンクリートのまま内装されていない部屋だった。そこにパイプ椅子にくくりつけられた大崎が座っていた。
「やっぱり貴方だったのね……」
 意外に怖がる様子もなく大崎は博貴を見つめていった。そんな大崎の度胸の方が大地には怖かった。
 あの何もかも捨てたような表情が余計に怖いのだ。
「見当を付けてたんですか?」
 言いながら博貴も近くにあったパイプ椅子を二つ引いて、一つを大地に座るように勧め、もう一つ引いた椅子に博貴は座った。
「いい気味……彼、酷い目にあったんでしょ?ふふっ……可哀想にね」
 と、言ってこちらを見る大崎は笑っていた。
「安心してください。何もないうちに私が助けましたから……」
 博貴も言って笑った。すると大崎の顔が青くなる。
 って、お前が助けた訳じゃないだろう……と大地は思ったのだが、何も言わずに二人の会話を聞いていた。
「なによっ!気持ち悪いっ!男同士で何がたのしいのよっ!」
「私のセックスライフに口を出さないで下さい」
 博貴は真面目にそう言った。
 なんだそりゃ?
「……」
 やっぱり大地は何も言えなかった。こういう駆け引き?は苦手だ。
「私には分からないんですけどねえ……どうしてこういうことをするんですか?私は貴方に何も危害は与えたつもりも、これほど恨まれるような事をした覚えも無いんですけどね」
 そう言うと大崎は笑い出した。
「貴方って本当に幸せな人よね。愛人の息子のくせにどの面下げて、あの会社に来たのかしら……私はそんな貴方の面の厚さが信じられないわっ」
「……」
「貴方は死んだ本妻の息子の身代わりじゃないのっ!遊ばれた女が作った息子のくせに、堂々とあの会社に入れたなんて、やっぱりそう言う生まれなのねっ」
 見下したその大崎の表情に博貴はただ何も言わず、じっと視線を大崎に向けていた。
「あんたなっ!」
 大地は大崎のその台詞に頭が来て、とうとうそう叫んだ。
「大地、いいから」
 博貴は大地を止めるようにそう言った為、浮かせた身体をもう一度椅子に座らせた。
「それで、私が愛人の息子であることが貴方にどういう恨みを買うんでしょうねえ?」
「……あの人は貴方を恨んでいたわ……貴方と貴方の母親をね……」
 あの人って誰だ?
 大地には検討がつかなかった。
「ああ、もしかして腹違いの兄と貴方はつき合っていたんですか?」
「兄なんて言わないでっ!そんな風に辰郎さんは思っていなかったんだからっ!」
 そうか……
 この人は亡くなったと聞いてた本妻の息子とつき合っていたんだ……
 大地はようやく分かった。
「私だって思っていませんよ。で、それで死んだ男の為に何を貴方がしようとしてたんですかねえ……」
「貴方を恨んでいたわ……あの酒井って男は母親を愛することもしなかったってね。いつまでたっても忘れずに、貴方が生まれたときの写真やあの女の写真を後生大事に家族に触れさせないように金庫にまで入れていたって聞いたわ。馬鹿馬鹿しい……思わない?貴方はただの愛人の息子で、辰郎さんが本当の息子なのにいつまで経っても愛人のことを忘れなかったのよ。その息子のこともね」
 大崎は目を潤ませてそう言った。
「……そうですか……でもねえ、そんな事私に苦情を言わないでくださいよ。一度だって会ったことのない男に恨まれていたのは仕方ないとして、貴方が私を恨むのは筋が違うと思いませんか?」
 大きな溜息を付いて博貴は言った。
「あの人は……愛されていないってずっと言っていたわ。だから見返してやるって……あの会社を必ず継いで、自分が立派な息子だって証明して見せるって言っていたわ……それが……あんな事故にあって……。それなのに、愛人の息子はホモで、しかも幸せそうな顔をして暮らしてる……そんなの耐えられなかったのよっ!だから滅茶苦茶にしてやりたかったっ!」
 そこまで言って大崎は涙をはらはらと零した。
 ああ、この人は辰郎という男を本当に愛していたのだと大地は感じた。
 だからその男が恨んでいた博貴をみて耐えられなかったのだ。辰郎が必死になって継ごうと思っていた会社に、その本人が死んでから博貴がきたものだから、恨みをそのままこの大崎が引き受けたのだ。
 だがそれは余りにも悲しい復讐だ。
「私が誰とつき合おうと貴方に関係ないでしょう……。それより、貴方も知っていた筈ですよ。私にあの会社を継ぐつもりはこれっぽっちもなかったってね。なのにどうして?」
「足を踏み入れられるだけでも鳥肌が立ったわっ!あの会社は辰郎さんが愛していた会社なのよっ!それなのに、どの面下げて敷居をまたげたっていうのっ!」
「あれは酒井の会社ですよ。だれの会社でもない。あの男があれだけ大きくして沢山の社員を養っているんです」
 博貴はきっぱりとそう言った。
「私が一番腹が立ったのは、貴方の態度よっ!愛人の息子で、しかも職業はホスト、ちゃらちゃらして、へらへらして……真面目さなんかこれっぽっちも無い。そんないい加減な男にあの中へ入られるかと思ったらぞっとしたわっ!」
「いい加減にしろよっ!」
 事情は分かったが、余りにもそれは博貴の事情を無視してる。それが腹が立つのだ。
「何よっ言いたいことがあるなら言いなさいよっ!」
 怒りの矛を今度はこちらに向けて大崎は言ったが、大地もひるまなかった。
「博貴は……ちっとも幸せなんかじゃ無かったんだぞっ!愛人の息子息子って連呼するけど、こいつ一杯苦労してるんだからなっ!ホストが悪いみたいにいうけど、じゃあ、植物人間になった母親の医療費をどうやって稼げっていうんだよっ!月に何百万もかかるお母さんの面倒を母親が息を引き取るまで、ずっとこいつは一人で見てきたんだっ!嫌な女にだっていい顔しなきゃならないことだってあったと思う。人生投げやりになったことだって絶対あったと思う。だけどその事、あんたの言う辰郎の所為にも、酒井の所為にもしたこと無かったんだぞっ!死んだ奴を悪く言うのは反則だけど、自分はぬくぬくとお金に困らない生活してっ!それで父親の会社を手伝えて、自分の思い通りに生きることが出来たじゃないかっ!博貴はっ博貴だってやりたいこともあったと思う。将来色々選んで好きな仕事だって選べたんだっ!だけどお母さんの事があったから、仕方無しにお金を稼げる職業を選んだんだっ!こいつはそれを父親に無心したことなんか無かったんだぞっ!それなのにあんた、こいつが全部悪いって言うのかよっ!博貴だって好きで愛人の息子として生まれた訳じゃないっ!生まれる家庭をえらべやしないだろっ!そんな神様が決めるようなことで何であんたに文句いわれなきゃならないんだっ!辰郎って奴が文句言ってくるならまだしも、あんたなんか全然関係ないだろっ!」
 大地が一気にまくし立てるようにそう言うと、大崎は、わあっと泣き出した。
「大地……帰ろうか……」
 博貴がそう言って立ち上がった。
「え、でも……」
「私が言いたいことは君が全部言ってくれたからいいんだよ……彼女も分かってくれたと思う……」
 そう言って博貴の表情は悲しげだった。
「う……うん……」
 外に出ると、藤城が聞いてきた。
「で、どうする?」
「ああ、もう家に帰してあげていいですよ。話し合いは終わりました」
 それだけ言うと博貴はさっさと歩き出した。
 家路に向かう車の中、博貴は一言も話さず、ずっと大地に寄りかかっていた。大地も何も言わずにただ、前だけを見ていた。

 マンションに戻ると、中断した夕食を作り、大地はソファーに横になっている博貴の様子を窺った。
 ショックだろうなあ……
 見たこともない兄に恨まれていることを知ったらやはりショックだろう。大崎があんな事をしでかす位なのだ。会えばその話を大崎に聞かせていたのかもしれないと思うと、逆にゾッとする。
 だがこの場合どういって博貴を慰めて良いのか大地にも分からない。
「博貴……飯出来たよ……」
 低いソファーに横になっている博貴に大地は側に近寄ってそう言った。
「大ちゃん……」
 瞑っていた目を開けて博貴は言った。
「何?」
 大地は座り込んで博貴の髪を撫でた。
「私だって……見たこともない兄を恨んだことはあったよ……」
 寂しげにそう言った。
「うん……良いよ恨んでも……」
「そうなのかい?」
 ちょっと笑いながら博貴が言った。
「誰だって恨むよ……でもお前はその事を俺に話したりしなかっただろ?そう言うことは話しちゃいけないと俺思う……。人間だから時には誰かを恨んだりするだろうしさ……言ってしまったら、後に引けなくなっちゃうだろ?」
「時々大地はすごく大人に見えるよ……」
 くすくす笑いながら博貴は言った。
「俺……大人だよっ!」
 ムッとして大地は言った。
「でもねえ……自分が不幸だとは思ったことは無いよ……母は優しかった……私を本当に愛してくれた。確かに父親を恨んだこともあった……でも自分が不幸だとは思わなかった。きっとそれが兄とは違うところなんだろう……」
 言って博貴は目を閉じた。
「いいじゃんそれで……お前が生きてきたことを否定することもねえし……。たださあ愛人の息子っていうけどさあ、そんなの人間として生まれて、どう差別化する言葉になるのか俺わからねえよ。愛人の息子に生まれることが、そんな悪い事か?相手の生まれなんて、どうでも良いことだし……。俺の中じゃあ、悪い奴、良い奴っていうふうにしか人間を分けられないんだけど……わかんねえなあ……」
 と、大地が言うと博貴が本当に笑い出した。
 何が可笑しいのかちっとも分からない。
「大ちゃんって最高だねえ……」
 言いながらこちらを引き寄せて抱きしめてくる。
「俺、何が最高なのかちっともわかんねえけど……」
「うん……良いんだよ……君のそう言うところに惚れたんだから……」
 言ってぎゅうぎゅうと抱きしめてくるので、大地はぐいと博貴を引き剥がした。
「だから、飯って言ってるだろ……」
「はいはい」
 笑いながら博貴は身体を起こした。
「ああそうだ大地……」
 キッチンに向かって歩いている大地に博貴は後ろから言った。
「何?」
「今晩は大地が、落ち込んでいる私をベットでやさし~く慰めてくれるんだよね」
 ニコリと笑う博貴の表情にはこれっぽっちも落ち込んでいる気配はなかった。
 忘れていた……
 こいつ、こういう男だったんだ……
 大地は溜息を付きながら、その博貴の言葉を無視した。
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