Angel Sugar

「やばいかもしんない」 第7章

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 頭痛の所為で大地は目が覚めた。だが頭がガンガンとして目眩がしそうであった。暖かいものの上に寝ているなあと、頭を抱えながら見ると、自分の身体が博貴の上にピッタリ寄り添っていた。
「……俺……あ、そうか……ああっ……」
 大地は酔っぱらっても、そのときのことをほとんど覚えているのだ。自分がどんな醜態をさらしたかを思いだして、身体の体温が上がった。身体を離そうとするのだが背中でがっちり組まれた博貴の手が、全くほどけそうにない。
「……あ、あ。大ちゃん起きたの?」
 ニコリと笑って博貴がそう言った。ごそごそ動く大地に気が付いたのだ。
「……え、ええっっと……その……」
 顔がどんどん赤くなる。きっと首まで赤くなっているに違いない。
「ねえ、大ちゃん……お腹空いちゃったよ……。昨日あのまま寝てしまったから夕ご飯食べてないんだよね。朝ご飯……作ってよ」
 と言っているのだが、組んでいる手が緩まない。
「大良……俺……その……」
「なんだい?」
 緩やかな笑みを向けられて、全身熱を帯びたようになってくる。恥ずかしくて仕方ないのだ。
「会社……行けよ」
「朝起きていきなりそれは無いだろう」
 博貴はくすくす笑ってそう言った。
「俺……色々いっちゃったけど……ごめん……」
「大ちゃんの正直な気持ちが聞けて私は嬉しかったよ……」
「……あのっ、でも会社、やっぱり約束したことはちゃんとしなきゃ……」
 うわずったような声で大地は言った。
「大ちゃんが不安なら私は良いんだよ。別に誰に気兼ねすることも無い」
「うん。その気持ちだけで俺……嬉しいから……でもやっぱり、引き受けたからにはきちんとしたほうがいい。人に迷惑かけちゃ駄目だと思うし……ごめん……」
 ようやくそう言うと博貴は「そうだね」と言って組んでいた手を離した。
「大良……俺……」
 赤々とした顔に博貴が手を伸ばし、こちらの頬を撫でながら言った。
「何も言わなくていいよ。君の気持ちは充分分かったから。嬉しかったよ大地……」
「そ、そうなのか?」
「そうなんだよ……」
 といって、博貴は大地の唇を軽く噛んだ。
「……っ……ひ……ろきっ……」
「ね、だからご飯作って……もう、限界だよ……」
 ぐうっとお腹を鳴らして博貴が言った。
「うん。あ、そうだ徹!」
「さあ、君の家で寝てるんじゃないか?彼、随分飲んでいたようだしね。大地、君もね」
 意地悪く博貴はそう言ってジロリとこちらを見た。
「ご、ごごごごめんっ……俺、ちょっと徹の様子見てくる、その後飯作るよ、俺も仕事朝からだし……」
 言いながら大地は二階へと走り出した。
 何度も昨日の晩の事を思いだして大地は顔から火が吹き出そうだった。何であんな事言ってしまったんだろうと言う後悔と、言って良かったという安堵が入り交じって、とんでもない程の羞恥が身体を走るのだ。
 俺ってもう……と後悔しても全て終わった後ではどうにもならない。頭はまだガンガンしていて正常に物事を考えられないのだ。
 はあっと声を出して溜息を付き、自分の部屋に戻ると、徹の方はまだ眠っていた。気持ちよさそうに布団に丸くなり、どうも当分起きる様子はない。ぐるりと周囲を見回してみると、空のビール缶がそこら中に転がっている。
 情けねえ……と、その缶を拾ってゴミ箱に入れると、大地は博貴の部屋へと戻った。冷蔵庫を開けて、とりあえず朝食の用意をしようと思った。
 時間はまだ六時であったので、充分何かを作る時間はある。だが、大地は食欲はない。軽くお茶漬けでも食べられたらそれで良かった。
「博貴は夕飯食べてなかったんだよなあ……いや、俺だって食ってねえけど……。朝だしあんまり重いものもなんだから……」
 大地はみそ汁を作りながら、アジの開きを焼いた。後、厚焼き卵を作ってから博貴を呼んだ。博貴の方は既にシャワーを浴びて、バスローブ姿で上がってきた。
「いい匂いだ……益々お腹が空いてきた……」
 椅子に座って博貴が手をあわせ、早速箸を掴むと、まずみそ汁を飲んだ。
「ん……やっぱり大ちゃんの作るものは美味しいねえ、あれ、大地はお茶漬けかい?」
「え、なんだか頭痛くてさ……飲み過ぎたみたい……」
 そう言うと博貴はニンマリした顔で言った。
「そうだよね、私はいつも飲むなって言ってるのに、限度超えて飲むからそうなるんだよ。全く未成年のくせに見つかったら警察に連れて行かれるの分からないのかなあ」
「……う。それは言わないでよ。反省してるんだから……」
 梅茶漬けをすすりながら大地は肩をすくめた。今回に限り反論できる要素がない。
「なら良いんだけどね……はあ、苦労させられるよ君には……」
 博貴はアジをくわえてそう言った。
「……ごめん……もう俺……穴があったら入りたいよ……。何で酔っぱらってる最中のこと、ちゃんと覚えてるのか時々いやんなる。普通忘れてるもんなのに……」
「覚えていていいんだよ。覚えてなかったら説明しなきゃならないし、二度手間になるしねえ、お代わり」
 そう言って博貴は既にからになった茶碗を大地に差し出した。
「お前、朝から良く食えるな……」
「不摂生なことしてませんからねえ」
「うう、いちいち嫌みな奴……」
 こんもりご飯を盛った茶碗を博貴に渡して大地は溜息をついた。
「……でもねえ大地……誰が君にはた迷惑なこと言ったか知らないけど、今度言われたら君も負けてないで言い返したらいいんだよ。私が君にどれだけ惚れてるか知らないだろうってね」
 クスッと笑いながら博貴は言った。
「……あのなあ、そんなん言えるわけ無いだろ……」
「私は言えるけどねえ……」
 どうしてという不思議な顔で博貴が言った。
「おまえさ、まさか酒井さんにもそんなこといってんじゃねえだろうな……」
 この男に常識は無い。
「え、ああ。言うよ。私が一番大事なのは大地だって。彼と一緒にこれからも愛を育むんだってね」
 さらっと言うので大地は絶句してしまった。
 この男は一体何を考えているんだろうか?
 よくまあ、身内にそんなことを平気で口に出来るものだと呆れて言葉がでない。
 逆に、博貴らしいとも思う。
「……あのさあ、お前っ……はあ、もういいけど……」
 嬉しそうに厚焼き卵を頬ばっている博貴を見ると、大地はもう何も言えなくなってしまった。何より、その言葉に不覚にも感動してしまった。 
 だが何を言う気力もなくてボソボソと茶漬けを食べていると、ふとあるべきものが無くなっていることに気が付いた。
「お前、徹の分までくっちまったのか!」
 慌てて除けてあったお皿を確認すると、アジと厚焼き卵が無くなっていた。
「あんな男を養うほど私は裕福じゃないんだよ」
 そんなことはこれっぽっちもない博貴がしれっとそう言った。
「そ、そう言う問題か?人のもんまでくっちまいやがって……」
「お腹空いてたんだもんね」
「あーのーなー」
「それにね、酔っていたのか知らないけど、君に迫ってたんだからね。うちから蹴り出されなかっただけでも感謝して欲しいんだけど」
「……はい」
 大地は観念してそう言った。
 徹がそんな目で自分を見ていたなんて今でも信じられないし、信じたくないのだが、昨日の徹はやっぱりおかしかった。博貴がそう言うのも仕方ない。だが人のもの迄食べるとは全く何を考えているんだろう。
 だがやっぱりこういう男なのだ。……で、博貴の場合、落ち着いてしまうのだ。
「大ちゃんの手料理を食べて良いのは私だけなんだからね。分かってる?あんな男にはレトルトで充分だよ」
 ごちそうさまをしたと博貴が言ってお茶をすすった。
「……はあっ」
 溜息をついて大地は自分のものを片づけた。博貴も自分の皿や茶碗を持って来た。
「ねえ大地……」
 皿を洗っていると博貴が後ろから手を伸ばし、大地の前で組んだ。
「んっだよ……さっさと準備しなきゃお前遅れるぞ。俺はまだ時間あるけどな……」
「うん……分かってるよ。でね、誰に言われたの?」
 やっぱり博貴は気になっているようであった。確かに、気にならない方がおかしいのだが、大地は言うつもりはなかった。
 大崎も博貴のことを心配して言ったのだろうから、責めることなど出来ないのだ。
「……」
「言う気無いんだ」
「ねえよ……」
「まあ、良いけど……。あんまりごちゃごちゃ言ってくるようだったら、告げ口嫌かもしれないけど、ちゃんと話すんだよ。何より私に何も言わないくせに君にだけ言うのは卑怯だと思わないかい?」
「……別に卑怯とは思わないよ。お前の事、考えて言ったんだろうし……」
「大地」
 咎めるような瞳で博貴が言った。
「この話もう止めよう。俺、話したくねえ。俺は言いたいこと言ったし、お前の気持ちも分かったし……。これ以上……何ものぞまねえ。俺、お前と一緒に居られたらそれで良いから……」
「そうだね……とりあえずそう言うことで今回は引き下がりましょうかねえ」
 そう言って博貴は大地のサラリとした髪に鼻を擦りつけた。
「……そうしてよ……」
 大地は泡だらけになった手をじっと見つめてそう言った。
「ホントに今回は引くけどね、これだけは約束して欲しいんだ。人から言われたことを信用して私に相談もなく一人で悩んだり、泣いたりしないこと。それと、そんな事は無いと思うけど、自分で勝手に思いこんで、私に黙って姿を消したりしないこと。いいかい?それだけは約束してくれるね」
「え?」
「約束してくれるね」
 言うと同時に博貴が大地の前で組んだ手が締まる。
「うん……」
 自分が博貴に必要とされているということが大地の心を温めた。照れ隠しに下を向いて小さく返事したが、顔が赤くなるのをごまかせなかった。
「さて、お勤めをこなすか」
 博貴はそう言って大地を拘束する手を離した。
「勤めが終わったら、俺が喜ぶことあるんだよな……」
 ふと思い出して大地はそう言った。
「そうだよ、絶対、大地が喜ぶことだから、楽しみにして置いててね」
 それは一体何だろうと大地が考えているうちに博貴は支度を終え、玄関で靴を履いて立ち上がった。すらりと背の高い博貴はスーツ姿も似合う。
「大ちゃん大ちゃん」
 博貴がニコニコとした顔で呼ぶので、駆け寄ると、いきなり抱きしめられ唇に吸い付かれた。あっと思う間もなく博貴の舌は大地の口内に侵入して、こちらの舌を絡め取って吸い付いた。
「……ん……ふっ……」
 暫く互いの熱を交換して口元を離すと博貴が言った。
「デザートが一番いいね」
 次に軽くキスを落とす。
「はあ?あ、おまえな!」
「はは、じゃあ、行ってくるよ。ああ、君の友人ね、さっさと帰って貰ったほうがいいよ。それと彼と一緒に二度と飲まない方がいい」
 口早にそう言って博貴は出ていった。
「……もう、あいつ……」
 呆れながらも、やっぱり照れた頬の赤さはなかなか戻ってくれなかった。
 徹は全く起きる様子が無かったので、仕方無しに寝かせたままにし、メモを置いて大地も会社へと向かった。
 それにしても頭痛が酷く、全くもって最悪の一日が始まりそうな気配であった。

 本日から日勤であったため、夜勤の人達と交代し、大地は警備員の詰め所に入った。夜勤の時より日勤の方が人の数が全く違う。こんなに人が勤めているのかと驚きながら詰め所でモニターをチェックしていた。
 昼過ぎ、あまりにも頭痛が酷かったため、薬を飲んで、ぼーっとしていると若井に声を掛けられた。若井は三十代前半の男で、愛想が良く、みんなから好かれている。大地はこのビルと担当するのは初めてだが、若井は随分長くここで警備を担当していた為、このビルの事を良く知っていた。
「気分が悪そうだね」
「え、いえ、ちょっと昨日夜更かししてしまって……」
 大地はそう言って何とか笑い顔を作った。今は声を掛けられるのも頭に響いて痛いのだ。
「遊びたい盛りだからねえ」
 若井はそう言って大地の肩を叩いた。
 肩から響く振動が、頭に響いて辛い。
「はは、はあ……あ、そろそろ巡回の時間ですよ」
「……あ、本当だ、じゃあ、村上さん、後宜しくお願いします。巡回行ってきます」
 モニターを見ながらこちらを向かずに村上は手だけを上げてそれに答えた。
 大地は若井と一緒に警備員の詰め所を出ると、屋上までまず上がった。屋上は十一時から三時まで空いている。だから空いている時間帯はそこも巡回するのだ。
 時折、何やってたんだろうなあ……というカップルのような二人組が走り出てくることもたまにあった。そう言うときは何事もなかったような顔をしてやるのだ。
 屋上を一通り巡回し、機械室をまわり、異常が無いのを確認してエレベーターで下の階に降りた。
「こういうところで自分の部屋を貰って働くのってのは良い気分なんだろうな」
 若井がそう言った。
「でもなんだか寂しくないですか?」
「そうかな、煩わしく無いから、自分の仕事出来て良いんじゃないのかな?秘書と悪いことしても分からないしさ」
 顔色を変えずに若井はそう言った。
「悪いこと……何言ってるんですか」
 プッと吹きだして大地はそう言った。
「秘書ってなんだか響きがエッチぽいだろ?」
 そんな事考えたことが無かった大地には、何がエッチっぽいのか分からなかった。だが若井は嬉しそうだった。
「なんだか、若井さんにかかるとみんなエッチっぽくなりそうですね」
「まあ、このビル内でも色々あるからな」
 急に小さな声で若井は言った。
「そうなんですか?」
「何処の会社でもほら、あるだろ。不倫とか、ただのカップルも居るけどな。酷いのなんか、モニターの前で知らずにHし出したことがあったよ。注意するのも躊躇われたなあ、あの時は」
「それでどうしたんですか?」
「見てるわけにもいかないしね、その近くに巡回している振りして物音立てたら、さっさと退散してくれたよ」
「ふうん。色々あるんですね。俺、そんなの見たこと無いです」
「のぞき趣味あり?」
 クスッと若井が笑って聞いてくる。
「と、とんでもない!いえ、俺がいままであった事なんて、ビル内に侵入した犬捕まえたりとか、ネズミが出たってかり出されたりとか、酔っぱらいがビルの玄関に寝転がっていたとかそのくらいで……だからそんな事もあるんだなあって思って……」
「へえ、澤村君も結構色々あるじゃないか。それに有名だよ、強盗犯のしてしまったって話し」
「あ、あれ、そんな大したこと無いですけどね」
 頭をかいて大地は言った。そのとき後ろから声がした。どうも後ろから人が歩いてくる。二人は社員達をやり過ごそうと端に下がった。
「社長だ……」
 若井の一言で大地はドキリとした。確かに歩いていくのは酒井だ。あの時見た顔よりも精力的な表情をしている。どことなく目元が博貴と似ているなあと大地は思った。だが視線がちらりと合うと酒井の方は「えっ」と言う顔を一瞬し、次にニッコリと笑いかけられた。だがそれも一瞬で戻り、さっさと歩いていく。その後ろを大崎が追っかけて歩いていった。大崎の方もこちらに気が付いてぺこりと軽くお辞儀をした。
「なあ、澤村君二人と知り合いかい?」
「え?いえ……どうしてです?」
「あの社長が警備員ごときに笑いかけるなんてあるわけないだろう。なら知り合いしかない。それに秘書の大崎さんも君にどうも挨拶していたように見えたんだけど」
「……え、見間違いですよ」
 大地は慌ててそう言った。が、社長がこの辺りをうろうろしているとなると、博貴もこの辺にいるのかもしれないと思った大地は「さっさと行きましょう」と言って若井の背を押した。
「ふうん……見間違いかなあ」
 まだ悩んでいるようであったが、若井は「見間違いに決まってるよなあ」と言って歩き出した。
 ああもう、このビルは心臓に悪いと大地は思った。別に知り合いでも良いのだろうが、気持ち的に嫌なのだ。
 何より社長の酒井は大地と博貴の関係を知っている。大崎もそうだ。何かの間違いで、その事がこの社内で噂になるのは困るのだ。
 ふと自分はどうなんだろうと大地は考えた。
 博貴とつき合っていることが両親にばれたら自分はどう答えるのだろうか?
 それは一瞬で答えが出た。
 両親にばれたらはっきりと言おう。それしかない。自分に嘘など付けない。両親にそれで勘当されても仕方ないなと思える。それは博貴とずっと一緒に居たいと考えたときに、同時に考えたのだ。
 ただし、それは身内だけの話だ、社会的な周りの人間関係まで壊してしまうことは出来ない。酒井の立場もある。例え愛人の息子でも、息子は息子なのだ。その息子が事もあろうに男とつき合っているなど、会社で噂が立てば大変だ。
 大地はそう考えると仕事に熱中する事にした。
 


 二日ほど特に事件もなく過ぎ、大地はいつものように平凡な毎日を過ごしていた。確かにまだ、博貴は毎日遅く、夜はこちらが寝てから帰ってくるようであった。にもかからわず、一時期ストップしていた夕食の準備をしておいていやると、奇麗に食べてくれており、毎日メッセージを添えて置いてくれるのだ。あんな遅くからでも食べてくれているのだということが大地にとって、とても嬉しいことだった。
 あれから徹からも連絡があり、羨ましいことに徹は酔っぱらっていた時の記憶は全くなく、こちらに迫ったことなどこ覚えていなかった。
 まあ、それは自分の胸の中にしまっておけばいいと大地は割り切ることにした。徹が親友であることは間違いないからだ。
 徹の方も、素の状態ではそんなそぶりも言動もない。向こうも大地が誰とつき合っているのかを知りながら、友達であろうとしてくれているのだろう。そんな徹の気持ちがとても大地には良く分かり、裏切りたくなかった。
 三日目の夜、大地が会社から帰ってくると、博貴の家の前に大崎が立っていた。
 あれ?博貴もう帰って来たのかな……と思って一応大崎に声はかけずに頭を下げるだけの挨拶をし、通り過ぎようとすると、大崎の方から声を掛けてきた。
「あの……っ……」
「はい……なんですか?」
 こうやって大崎に声をかけられるのは嫌であった。この人は嫌いではない。博貴の事を考えているからあんな風に言っただけだ。
 それは大地も分かっているのだが、やはり気分が良いものではない。
「この間のことなんですけど……あとで考えて酷い言い方したって……」
「いえ、気にしないでください……大崎さんが考えることも分かりますから……」
「そう、考えて下さったの……それで……どうされるんですか?」
 どうされると言われて、何故大崎に答えないといけないのか大地には分からなかった。
「え、それは……別に大崎さんに話すことでは無いですし……」
 そう言うと大崎はちょっと困ったような顔をした。
「澤村さんは止める気がないってことですよね」
「あのう……どうして俺がそんなことを大崎さんに話さないといけないんですか?」
 大地はちょっときつくそう言った。
「……私もこんな話ししたく無いんです。人の恋路を邪魔するなんて誰だって嫌ですもの。でも大良さんのことはこのままには出来ませんから……」
「それって、もしかして大崎さんが、大良さんのこと……?」
 何となくそう気がしたのだ。だからそこまで言うのだと。
「違いますよ。私はそんな気ありませんもの。大良さんはとても良い方ですけど、恋愛感情はありませんわ。ただ、うちの姉が大良さんと近々……それで、もしそのことを知らないで、大良さんを信用されていたら……澤村さんが可哀相だって……。私は彼がどう何を考えているか分かりません。姉に貴方の事を話してもはなっから信用しませんし、澤村さんも信用して下さらないかもしれないし……。でも私は姉の方が大切です。大良さんを本当に信頼してる姉を見ていると、もうどうして良いか分からなくて。だからこんな事言ってしまって……。大良さん……どう考えていらっしゃるのか……。このまま上手く二人ともと関係を続けて行こうと思っているのか、その辺も私には分からない」
 本当に申し訳なさそうにそう言う大崎が嘘を言っているようには見えない。じゃあどういうことなんだろう。
 博貴は自分と、この大崎の姉、両方に嘘を付いているのだろうか?
「……なに、言ってるんですか?そんなことする訳無いじゃないですか」
 大地は震える声でそう言った。精一杯虚勢を張って言おうと思ったが言えなかった。
「だって……マンション……既に用意してるんですよ……大良さん」
「え?」
「二人で住むために……どういう間取りにするかとか姉と良く話してます。そんなの見たら……どちらを大切にしているか分かるじゃないですか……」
「マンション?」
「ええ、それは社長も御存知です。大良さんに生前分与されるそうで、その手続きを私が今しているんです」
「……」
 頭が混乱して大地は何をどう言って返して良いか分からなかった。
「こんな風に言いたくはありませんが……騙されているのかもしれませんね。うちの姉か貴方か分かりませんけど……どちらも騙しているという気も私にはしますが……」
 小さく溜息をついて大崎は言った。
「きっと聞き違いです。あいつ……そんな奴じゃない。俺、信じるって約束したんです。だから誰に何を言われても……俺は誰よりもあいつの言葉を信じるって……」
「……そう、可哀相な人……別に女みたいにされるより、可愛い彼女作った方が、貴方に似合うと思うのに……」
 呟くようにそう言って大崎はコーポの階段を降りると、下に待たせていた車に乗った。
「……俺は、あいつを信じてるんだ。あんな知らない女を信用する事無いんだからな」
 大地は手をぐっと握りしめてそう言った。自分のうちに入り、台所で手を洗う。その手が震えているのに大地は気が付いた。
「馬鹿、俺の馬鹿野郎っ!あいつ信じなきゃ駄目だろ……」
 そうだ、これこそ聞けば良いのだ。本当の所どうなのか?
 自分が知らないだけなのか、どうなのか?
 大地は博貴の部屋へと行き、じっと待った。例え遅くなってもそれだけは知りたかったのだ。
 これが終わったら俺が喜ぶことがあると博貴は言った……
 まさか……
 自分の結婚のことでも言うつもりなのだろうか?
 いや、そんなのは変だ。俺が喜ぶことなんかじゃない。
 分からない……
 大崎が嘘を付いているようには全く大地には見えなかったのだ。
 ではどちらが本当のことを言っているのだろう……。
 床に座りまんじりとしていると、既に時間は十一時を過ぎていた。今日も遅いのだと大地が溜息をついたと同時に玄関の戸が空いた。
「大ちゃん……ただいま。どうしたんだい?部屋真っ暗で……電気付けないと……」
 そう言って博貴は部屋の明かりを付けた。
「あのさ、大良……俺……」
 その場から動かずに顔だけ上げて大地は言った。
「ん?君顔青いよ。風邪でも引いたのかい?」
 上着を脱ぎ、ネクタイをゆるめながら博貴はそう言った。
「ううん。俺、聞いたんだけど、お前、酒井さんから生前分与して貰うって本当か?マンション……貰うって……」
 そう言うと博貴はびっくりした顔をしてこちらを見た。
「え、誰に聞いたの?あちゃあ、ばれたのか……」
「……そうなのか?」
 大地はおそるおそるそう聞いた。
「まあ、ばれたら仕方ないね。そうだよ。言い出しっぺは酒井のほうだよ。そこは私と母さんが元々住んでいた土地なんだよ。そこを私が昔売り出したのを、業者はさんで私たちに気がつかれないように買い取ったのが酒井なんだ。思い出のある場所だから買い取ったらしいんだけどね。それを分与してやるっていうから、いくら何でもただでは貰えないからね。丁度高良田が入院していた事で、秘書が足りないというから、それじゃあ一ヶ月何でも手伝いしますよって話しになってねえ……今、嫌なサラリーマンしてるんだけど」
 ニコニコとした顔で博貴がそう言う姿に、後ろめたそうな所など見あたらない。
「ま、ばれちゃったから仕方ないけど、大地が喜ぶことってその事だったんだよ」
 足を投げ出して床に座り込んでいる大地の前に膝を付き、こちらの顔を覗き込むように博貴が言った。
「喜ぶ?俺が?」
「……大ちゃん?なんか又誰かに何か言われたの?」
 心配そうに博貴がそう言った。
「……なあ、お前……誰とそこに住むつもりなんだ?」
「何ふざけたこと言ってるんだい?君と住むつもりに決まってるだろ?約束しただろ一緒にいようって。嫌だっていわせないからね」
「……え?」
「えってねえ、じゃ、誰と住むんだ?私は。一人でなんか嫌だよ。あんな広いところ」
 怒ったように博貴は言った。
「……大良……あのさあ、お前誰かと婚約したとか聞いたけど……」
「はああああ?」
 博貴は目をまん丸にして驚いている。嘘でこんな風に驚きは出来ないだろう。もしこれも嘘なら博貴は立派な役者になれる。
「……違うのか?」
「ねえ、大地。君にこの間からくだらないこと吹き込んでるの誰?ここまで来たら教えてくれないか?私はいい加減、頭にきているんだよ!」
 博貴は本当に頭に来ているのか、目が異常に怒っていた。
「……でも……」
 大崎が後で責められたらと思うと大地は声が出なくなった。大崎は大崎で心配しての事なのだ。
「言いなさい。私はね、こそこそ君にそう言う話しを聞かせている人物に腹を立てているんだよ。分かるかい?」
 肩を掴まれて大地は涙目になった。声を荒げてはいないが、博貴は本気で怒っている。
「……」
「私の嘘ばっかり並べ立てて、その上君に仲良しを装って有りもしないこと君に吹き込んでるの誰?」
「……俺……は……」
「言うまで離さないからね。今日という今日はもう頭に来た!なにより、なにもかも嘘なのに君がそれを鵜呑みにして、そんな風に辛そうな顔をするのは見たくないんだよ」
「博貴……」
「どうして私を信じてくれない?」
「しん……じてる……よ」
 そう、信じてる。だが混乱しているのは確かだ。博貴も、大崎も嘘を付いているように見えないからだ。何が本当でどれが嘘なのか大地には全く分からない。
「じゃあ、なんでそんな顔するんだい?良いから言いなさい。私からきちんと話すから」
「……崎さん……」
「大崎さんかい?」
 大地は項垂れるように頷いた。
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