「やばいかもしんない」 第5章
翌日昼過ぎ目が覚めると、既に博貴はベットにいなかった。会社に行ったのだろう。大地の方は先週末事情があったので一旦日勤にして貰ったが、現在は夜勤であったため、今日は夕方までごろごろ出来るのだ。
ふと博貴が眠っていたであろう隣を見ると、シーツがくしゃりとなって、人がここにいたことを証明していた。
大地は博貴が眠っていた場所に身体をずらして、頬をシーツに擦りつけた。すると博貴がいつも使っているコロンの香りが微かに香る。
「博貴……」
なんだか俺って女みたいなことしてるなあ……と、ふと思って大地は苦笑した。
まあいいかあ誰もみてねえし……呟くようにそう言って笑みが漏れた。
「あれ?」
気が付くと脇机に博貴からであろうメモが置いてあった。
大ちゃんおはよう
君を起こさずに私は会社に行くね
あんまり気持ちよさそうに眠っていたから起こすのを躊躇われたんだ。
早くいつもの生活に私も戻りたいよ。
でもこれが済んだら、大地をほったらかしにした埋め合わせちゃんとするからね。
大地がもういやっていうくらい愛してあげるよ
「……あいっつ……」
照れくさくて大地は顔を赤くして毛布にくるまった。
それにしても、楽しみとは何だろうと考えたがやっぱり分からなかった。
「ま、いっかーシャワー浴びて夕飯の用意でもしておいてやろっかー」
うーんと伸びをしてから大地はシャワーを浴び、バスローブを軽く引っかけると二階へと上がった。上がりきったところで大地は、いるはずのない博貴の姿と、大崎がいるのが視界に入り、驚きすぎて固まってしまった。
そんな大地に気が付いた博貴の方が慌てて駆け寄ると、大崎から隠すように大地を抱きしめ、そのまま一階へと連れて行かれた。
「……な……な……なんで?何でお前がいるんだ?イヤ違う……なんで大崎さんがいるんだよ?」
「ああ、大ちゃんの身体見られたっ!私だけのものなのに!」
博貴はこちらの事など聞こえていない風に、大地を抱きしめたまま、そう言って怒っていた。
「違う!そんなこと俺聞いてんじゃねえよ!なんでお前らいるんだよ!」
「忘れた書類を取りに、こっちに来たついでに家に寄ったんだよ。一瞬で終わる用事だと思ったし、こんな事になるなんて……君が間の悪いところに現れちゃったんだよ」
「……なあ、ばれたと思う?」
大地はおそるおそるそう尋ねた。
「さあねえ……ま、ばれても私は別に構わないよ。大ちゃんだって別に大崎さんと知り合いじゃないし、例えばれたって二度と会わないんだから、かまやしないだろ。私はそんなことどうでも良いんだよ。私だけのこの肌を一瞬でも大崎さんに見られたのが気に入らない!」
そんなことに真剣に怒っている博貴に大地は呆れた。だが思い出しながら自分はバスローブを軽く引っかけただけであったから、前は半分全開だった。キスマークだって見られてるはずだ。それを思いだし、羞恥で頭に血が昇った。
「だ、だって、家の中でそんな自分の格好に気を使う奴がいるか?裸で歩こうが逆立ちで歩こうが、俺の勝手だよな。そんなの、入ってくる奴が悪いんだ。いや、こんな時間に帰ってくる奴が悪い!そもそも赤の他人をこのうちに入れることが悪いんだ!!」
目の端に涙を溜めながら大地は言った。
見られた羞恥と、博貴との関係を知ったのかもしれないという事が大地を打ちのめした。とにかく穴があったら入りたいとはこの事だった。
「うん。ごめんよ。先に連絡しておけば良かったね……起こしたら悪いと思って……」
ギュウッと抱きしめて博貴は言った。だが、こっちは大混乱だ。
「お、お前の所為だからな!くっそー……何で俺がこんな目に……」
「だからごめん……」
背中をポンポンと叩かれ、大地は零れそうな涙をぐっと堪えた。
「も、いい。俺、当分お前とエッチしねえ!またこんな事になったらやだからな!」
「そんなー大ちゃん……」
「う、五月蠅い!さっさと上にあがれよ!あの人連れて出てけ!もー……俺お前がサラリーマンやってる間はぜってー嫌だ!」
博貴が廻している手を振り払って大地は言った。
「……帰ってくるまでに機嫌直しておいてくれよ?」
何を言っても無駄だと思った博貴はそう言って大地を拘束している手を離した。
「……も、もし大崎さんが気が付いてなかったら……お前、自分からばらすなよ。俺はお前とは友達だからな。友達だっ!分かったか」
「……はいはい」
呆れたように博貴が言った。
「分かったのか!?ちゃんと誤解といておけよ!」
「……別に良いのに……」
「お前が良くても俺は良くねえんだよ!さっさと上行けよ!!」
仕方なく博貴は二階へと上がっていった。大地はそれを見送ったあと、深いため息を付いてベットに倒れ込んだ。
当分、何をする気にもなれなかった。
「……あの……さっきの人、隣に住んでる人ですよね」
大崎は戻ってきた博貴にそう聞いた。
さて、どう答えようと博貴は思案した。あのキスマークまで見てしまっていたのなら、大地がいくら友達だと言えと言ったところで相手は信用などしない。それにそんな嘘は付きたくないのだ。
「ええ、この間紹介したお隣さんです」
顔色を窺うように博貴はそう言った。
「お隣さんと……その……つき合ってらっしゃるの?」
ちょっと困ったような顔で大崎はそう言った。やっぱり一瞬とは言え、全部見られてるんだと博貴は思った。
「ええ。それが何か?」
ニッコリとした笑みで平然と、それも、だからどうしたと言う感じで博貴が言った。別に卑屈になることも、こそこそする気も無いからだ。
「あ、そ、そうなんですか?でも……男の人でしたよね」
興味本位で聞かれるのは博貴はまっぴらであった。
「そうですよ。さて、そんな話しは仕事に関係ありませんね。さっさと社に戻りましょうか?」
そう言って目的の書類を小脇に抱えて博貴は外へと出た。大崎はそれを追うように後ろから着いてくる。
「あの……」
遠慮がちに、それも小さな声で大崎は博貴に言った。
「私のプライベートに付いて、大崎さんに話すことは一切ありません。聞かれても私は答える気はありません。だから聞かないで下さい」
博貴は満面の笑みでそう言った。それを見た大崎は面食らったような顔で、とりあえず頷いたというようだった。
大地の怒りが怖い……
博貴は大崎にばれたことより、そっちの方が怖かった。
大崎が社内で自分のことをホモだと公言しようが、そんなことはどうでも良いのだ。父親である男もそれを承知である。知られて恐れる相手はいない。
だが大地は違うのだ。サラリーマンでいる間、本当に手出し出来ないんだろうかと真剣に博貴は悩んだ。大地は言ったことを撤回など簡単にしないのだ。ただの強情とは違う。筋金入りだ。
車を運転し、博貴はそんな事を考えながら、大崎に気がつかれないように溜息をついた。
何て間の悪いときに帰ったのだろうか。大地が今頃起きて、それもこっちが鼻血が出そうな格好でうろついていたとは思いもよらなかったのだ。
ケーキでも買って帰ったら機嫌直してくれるだろうか……
博貴は真剣にそう考えた。
夜勤の為、夕方会社に大地が出社すると、今日からのシフト表が渡されたのだが、今晩から詰める会社の名前を確認して大地は硬直してしまった。
「ISAKA物産……」
博貴の父親の会社であり、今博貴が働いている所である。
「ん?どうした?」
シフト表を眺めて呆然としている大地に、部長の杉田が覗き込むようにそう言った。
「え、いえ、大きな会社だと思って……。お、俺なんかにはまだ……」
出来たら違うビルにして欲しかったのだ。
「社長から警備を増やして欲しいという依頼があってね。ま、はっきりとは分からないんだが、どうも夜に誰か忍び込んで会社の備品を持って帰る人間がいるらしい。備品だけならまだしもこの間はOHPが盗まれたそうなんだ。それが社員なのか外部者なのかいまいち良く分からないんだと」
「それでは、警察に頼む方が……」
「それが社員なら大事にしたくないそうだ」
杉田は困ったように腕を組んでそう言った。
「捕まえて欲しいって事なんでしょうか?」
上目遣いに大地はそう聞いた。
「目撃したら、警備員として不審者を捕まえないとね……」
「そうですね……はい。分かりました」
「澤村君は空手の有段者だし、刃物を持った男だって平気だろう?」
以前、現金を運んでいる時刃物を持った男二人組に襲われたことがあったのだ。大地はその二人組を、軽くのして新聞に載ったことがある。ことあるごとに未だにその事を引合に出されて大地はいつも困るのだ。
「そう言うわけではないんです。大きい会社ってやっぱりまだ気が引けてしまって。じゃあ、交代しに出ますね」
「大丈夫、慣れるよ。君もこれからどんどん大きな会社にも行って貰うよ。そうそう、他に同じように夜勤交代の浦川君達が、もうすぐ来るから一緒に車で出ると良い」
「はい」
暫く大地は自分の席に座り、作業報告書を書きながら浦川達を待った。だがふと気が付くと手が止まる。どう考えても、気が重いのだ。ま、大きな会社であるから、出合う確立など無いと思う。それに夜勤だ。
そうこうしていると浦川達が出社し、大地は気が乗らないままISAKA物産へと向かった。モヤモヤとバンの中で考えているうちに到着した。
ISAKA物産は一部上場企業でこの不景気のさなか堅実な経営で、毎年黒字経営を誇っている。自社ビルは25階建ての近代的な作りで、ISOがらみの緑化計画の一環により屋上には木々が植えられ、社員の憩いの場として公園となっていた。
大地はそんな瀟洒なビルを見上げ溜息をついた。ただ今は見つからないことだけを祈りながら、警備員用の扉をくぐった。
「……はあ」
仕事の山を見て博貴は聞こえないように溜息をついた。これでは今日も残業である。どうもデスクワークは性に合わない。こったことのない肩が今ではかちかちだった。それもこれも後のご褒美の為だと思えば多少我慢できる。だが大地と過ごす時間が減ったことがとても堪えていた。
悔しいことに大地は博貴が思うようなことなど、それほど感じていないようだ。
好きという感情の比重が違うのだろうか?
大地はこの間実家に帰ったとき、悪戯されキスマークを付けて帰ってきた。それに対して博貴は大人げないくらい腹を立てていたが大地はそんなこちらの気持ちをあまり良く理解していない。
少しくらい嫉妬した姿も見せてくれてもいいのにと博貴は思う。大崎を最初紹介したときは多少気にしているようであったが、同僚と言うことが分かると、それで終わりであった。
この間電話での話もそうだ。大崎が仕事を手伝いに来ていると言っただけで、すんなり信用するのだ。それがいいところでもあり少々不満が残る。
「ほんとに愛されてるのか不安だねえ」
小さくそう呟き苦笑する。
それにしても大崎はやばい。意外に積極的に色々こちらにアタックしてくるのだ。だから大地のことがばれてある意味ホッとしていた。
ただ博貴が男とつき合っていることを、ばらしたにも関わらず、いまいち半信半疑であった。それでもあれから少し大崎の態度も落ち着いた様に思える。
彼女にはこちらに来た当初から博貴は困っていたのだ。
誰かが大崎を焚き付けているのだろうかと思うくらい、大人しい性格の割には積極的にこちらにアタックしていたように思えたのだ。
まあ、こっちは誰とつき合っているのかばれたことだし、もうアタックはしてこないだろう。
「はあ……」
ボールペンを机に置いて、身体を伸ばす。時間を確認して九時が過ぎるところなのを確認するとコーヒーでも買おうかと博貴は立ち上がった。
「大良さん?」
部屋を出ようとしたところで大崎と鉢合わせした。
「ああ、大崎さんもまだ残っていらしたんですか。いえ、コーヒーでも飲もうと思いまして、ちょっと自販機まで……」
ポケットから小銭を取り出して博貴は笑顔で言った。
「私もおつきあいしますわ」
大崎は嬉しそうにそう言った。こっちは遠慮したいが、こういうことまで神経質になるわけにはいかない。
「じゃあ、一緒に自販機の所までいきます?」
「ええ」
博貴は仕方ないという顔を一切せず一緒に歩き出した。
夜の見回りのため同僚と二人で、ビルの上から各階を確認しながら大地は歩いた。随分遅い時間にも関わらず、結構な人数が各フロアに残っていた。
サラリーマンは大変だなあと思いながら、既に帰ったフロアの部屋にキーがかかっているのを確認したり、不審な人物がうろついていないかを見ながら、一階又一階と降りていく。
暫くそんな風に巡回していると、二十三階にある自販機の所に博貴と大崎の姿を見つけて大地は、思わず廊下を引き戻って身体を隠した。
「どうした?澤村君」
一緒に見回りしている長瀬が言った。
「え、いえ……ちょっと」
何でこんな所にいるんだよー、忙しいんだろ!と思いながら困った。
自販機は各階、ビルの端一角に設置されており、そこを社員の休憩スペースとして椅子が等が置かれていた。だからそこを通ってぐるりと廻らないといけないのだ。
手前の廊下からそこだけを避けて向こうの通りに出ると良いのだが、同僚も一緒なのでそれができない。仕方無しに、二人を見ない振りをして長瀬と一緒にそこを通り抜けた。
何となく視線を感じたが、思いっきり被り込んだ帽子で顔が良く分からないだろうと思うことにし、息を止めたような気分で二人をやり過ごした。
だが向こうはこちらに気が付いていないのか、二人で何か話しをしているようであった。それはそれでホッとしながら、非常階段を降り次の階へと向かった。
大地はふと、大崎と博貴は仲がいいのだと思った。あの感じでは大地を博貴の恋人とは思っていないのだろう。男とつき合っているのを知って、あんな楽しそうに会話が出来るだろうか?
楽しそう?
大地は胸の奥がちくりと痛んだ。
大崎は博貴が好きなのだろうか?
こんな時間に二人きりで自販機の前にいるのは何か特別だからだろうか?
いや、サラリーマンの付き合いはこんなものなんだろう。ああいう光景は他の会社でもよく見るからだ。同期や、同じ課のもの同士、休憩所で話したり、廊下で立ち話するのはこういうビル内では良く見る光景であった。だから別に気にすることなど無いのだと大地は思った。なにより、ただでさえもてる男のことをいちいち心配するとこちらの身が保たない。それに大地は博貴を信じているのだ。
確かに全く気にならないと言ったら嘘になる。だが好きな相手を疑うことはしたくないのだ。
俺って大人じゃん。っと思いながら大地は下まで警備を終えた。
警備室の詰め所に戻ると、監視カメラをみていた細井が御菓子の箱を差し出した。
「これ差し入れだと」
「あ、済みません頂きます」
大地は菓子箱に入っている最中を二つ取ると、一つを長瀬に渡し、冷蔵庫から麦茶を出して三人分入れて配った。
「このビルは楽で良いだろう」
長瀬は最中の包みを開けながら言った。
「そうですね。何より区画が奇麗に出来ていて入り組んでいないのが良いですよね。出口も、夜は一つだし」
「ここは警備員の人数も多いからね。随分楽だよ。社員もあんまり無茶を言ってこないしねえ」
そう言って細井が笑った。
警備員は下に三人、上にも詰め所があり、やはり同じ人数が詰めているのだ。
「だが若い子にはこんな仕事退屈なんじゃないのか?」
長瀬が不思議そうにそう言った。
「いえ、俺、人付き合い苦手ですし、何より、どっちかっていうと営業より身体使う仕事の方が気が楽で……」
そう言って大地は、はにかむように笑った。
大地がこの仕事を選んだ理由は他にもあった。この会社の人間は、年齢が自分よりかなり上なのも気が楽なのだ……と、いうことは今ここであえて言わなかった。
「おじさんの相手じゃ若い子は楽しくないだろう?」
細井がそう言った。
「いえ、色々楽しいですよ。ほんと」
「はは、澤村君は意外に社交的じゃないか?」
長瀬がそう言って笑った。
「そ、そんなことは……あっ俺出ます」
内線が鳴ったので大地は電話を取った。
「警備室です。はい、はい。電気?分かりましたすぐに伺います」
「どうしたんだい?」
「二十五階のフロアの二百五十五号室、誰もいないのに鍵閉まってないらしいです。俺ちょっと鍵かけてきます」
「ああ、行っておいで。でもさっきは誰かいたはずなんだけどねえ」
長瀬がそう言って頭をひねった。
「そうですよね。ま、いいや、行ってきます」
大地はそう言ってキーを持つと、詰め所を出てエレベータに乗った。二十五階に付くと目的のフロアに向かって歩き出した。この階は役員室がほとんどで、一つ一つに部屋がそれほど広くない。だから、役員もしくはその秘書が部屋を出るときに鍵をかけていく。
そうであるから他のフロアのように社員が、いるのかいないのか分からずに鍵をかけ忘れることは滅多に無いはずだった。
変だなあと思いながら大地は二百五十五号室へ向かった。
扉の前に着くと一応部屋に誰もいないことを確認するために、ノックをし「入ります」といって中に入った。中は既に電気は消され誰もいない様であった。
「……帰っちゃったのかなあ……もう閉めちゃっていいってことだよ……」
後ろに人の気配がして大地は思わず振り返えって懐中電灯を向けた。
「……おーまーえ何の冗談だ?」
そこに浮かび上がったのは博貴だった。
「なんだー脅かそうと思ったのに、気が付いちゃうなんてねえ。面白くない」
博貴が嬉しそうにそう言って笑った。
「……ったく、俺、泥棒かと思ったよ」
大地は溜息をつきつつ部屋の電気を点けようとしたが、博貴が後ろから覆い被さってきたので出来なかった。
「うちのビル担当なんだあ……」
「あのなあ、俺仕事中、お前も仕事中だろ?あ、さっきの電話、お前か?でも声違ってたぞ!」
抱きすくめられながら大地は、じたばたと手足を動かしてそう言った。
「声色変えて電話したんだよ。さっき大地の姿を見たからね。どう見ても君だったから、呼び出したんだよ」
首筋にチュッとキスを落とされて大地は、慌てて博貴を引き剥がした。
「ふざけんな!ここ会社だろ?誰か見てたらどうすんだ?」
「べっつにー」
しれっと博貴はそう言った。
「……あーもう、呆れてものいえねえ……」
小さく溜息をついて大地は言った。
「ねえ、大ちゃん。昼間のことまだ怒ってる?」
「当たり前だ。いっとくけど、お前がサラリーマンの間、ぜってーしねえからな」
大地は速攻にそう言って部屋の電気を点けた。部屋を見渡した後、今度は電気を消した。
「……あーもーへそ曲げないでくれよ」
「曲げるわ!ほらほらさっさと出ろよ。ここ閉めるんだからな」
背中を押して大地は博貴を外に押しやると、入り口の扉を閉めた。
「当分楽しみが出来たねえ。そうだ、今日は一緒にご飯食べようか?家じゃなかなか食べられないし……」
「馬鹿かお前?俺は夜勤。それにな、お前と一緒のところ俺、絶対誰にも見られたくねえぞ。くだらねえ事言うな」
プイッときびすを返して大地はエレベータのフロアに向かって歩き出した。
「冷たいなあ……大地……」
ちぇっと口を鳴らして博貴は後ろをついてくる。
「五月蠅い!ここは会社だろ」
「別に友達だって言ってご飯一緒に食べてもいいじゃないか」
「良くねえよ!」
エレベータに乗り込むと博貴も一緒に乗り込んできた。
「ん?何だよ……」
「そろそろ帰るんだよ。帰るのにエレベータに乗っちゃ駄目なのかい?」
「え、別に……」
お互い無言で一階まで降りてくると、大地はさっさと警備の詰め所に戻った。博貴が苦笑しているのが後ろを振り向かずともわかったが、無視をした。
さっさと帰るのかと思ったら、博貴は丁度入り口のところで時間を確認して立っている。なんで詰め所前に立ってるんだろうと訝しげに見ていると、暫くしてエレベータから降りてきた大崎が博貴に合流した。
「済みません。待たせてしまいましたか?」
「いえいえ、さて、帰りましょうか?」
博貴はそう言うと、大崎はこちらの詰め所に笑顔で頭を下げると二人で帰っていった。
何だろうなああの仲の良さは……。
無茶苦茶むかつきながら椅子に座り直して、大地はさっき貰った最中を口につっこんだ。
「あれ確かここの社長の息子だろう?」
長瀬が言った。
「愛人の子供らしいね。ほら、だいぶ前だが、本妻の息子……飛行機事故で亡くしたから、仕方無しに呼んだんじゃないのか?跡継ぎの事もあるだろうしな」
細井が椅子に深く座り直してそう言った。
「無茶苦茶男前だったねえ……社長にちょっと似てるかもしれんな。一緒に帰ったのは、大崎副社長の娘さんだね。そうか、これで縁談をまとめて身内で固める気なんだろう」
長瀬がお茶をすすりながらそう言った。
「え、副社長の娘さんなんですか?」
「ああ、君は今日初めて来たから知らないんだね。そうそう、副社長の娘さんだ。性格のとても良い子だよ。随分彼女ももてるようだ。だがまだ決まった人がいないはずだよ。なんだい、澤村君も一目惚れでもしたのかい?」
「え、ち、違いますよ……」
二人が消えていった後を大地は複雑な気分で眺めながら、何となく気が沈んだ。
兄の戸浪たちもそんなことを言っていた。このサラリーマンという職業を一ヶ月試し、会社の水にあうかテストするのだと。
それにあえば将来この会社を継がせようと酒井は思っているのだろうか?
大崎と博貴をくっつけようと考えているのだろうか?
博貴はその事について、どう思っているのだろうか?
そんな話しは一度だってしたことが無かった。今は本当に二人で過ごす時間など無かったというのも一つの理由だろう。ようやく出来た時間は会話するより、ベットで過ごしていたからだ。
将来のことを博貴が真剣に考えて、この会社を……父親の跡を継ごうと考えてもおかしくはない。博貴は家族がいないのだ。それを大地とでは望めない。
そうなると大崎と結婚し、子供を作って、家庭を築く。そちらの方が魅力的に思えるのかもしれない。
男同士など先は無いのだから……。
博貴はどう考えているのだろう。話し合う時間がない分、不安が生まれる。かといってこんな話しを切り出す勇気も大地には無い。何より当分大地は夜勤なのだ。博貴と会う時間は当分とれない。
仕方ねえよな……
溜息を心の中でつくと大地は、仕事に集中することにした。悩んでもどうにもならないことだったからだ。
暫くの間、夜勤に従事したが、あれ以来博貴が大地にちょっかいをかけてくることは無かった。そんな時間が無いほど働いているようであった。
時折、巡回途中に見る博貴は普段見られない真剣な顔で仕事をしていた。その姿を見ていると自分と違う世界にいるようであった。何より不満なのは大抵博貴の側には大崎がいた。
大崎はどうも大地に気が付いているようであったが、向こうから話しかけてくることはなかった。
何だか博貴が遠くに行ってしまったような気がする……
大地は屋上の鍵を確認するために上がったのだが、かけられている鍵を開けるとライトで照らされた公園に入っていった。誰もいないのは分かっていたので、ベンチに腰をかけて眼下に映るネオンを眺めながら溜息をついた。
博貴と話せないことがこれほど堪えると思わなかった。正直に大地はそう思った。
何で夜勤なんだよとぶつぶつ言いながら、靴をがしがしと地面に擦りつける。
「今晩は……」
「うわあっ……!」
誰もいないところで声をかけられた大地は、驚いて椅子から転げ落ちた。
「ご、ごめんなさい……驚かせてしまって……」
オロオロとそう言ったのは大崎であった。
「大崎さん?」
「声……かけたかったんですけど、ずっと忙しそうにしてらしたから……となり座っても良いですか?」
「え、はい……何でしょう……」
大地はベンチに座り直してそう言うと、大崎は少し距離を置いて隣に座った。
暫く無言で二人とも座っていたが、大崎の方から話しを切り出してきた。
「あのう……その、澤村さんは大良さんとおつきあいしてるんですよね」
「はっ?」
博貴はそんな話しを、この大崎にしたのだろうか?
それともこの間のことで、ばれているのだろうか?
大地はその辺りが分からずに、絶句したまま声が出せなかった。
「人のこと……こんな風に言うのは何ですけど……止めた方がいいんじゃないですか?大良さんには将来がありますし、もちろんずっと先ですけど、この会社を継がれる方だし……何より、男同士なんて……気持ち悪いと思いません?」
そんなことあんたに言われたくないと言いたいのだが、そう言うとつき合っていることを認めてしまうので、やはり何も言い返せなかった。
「澤村さんだって、男性ですし……女みたいに……その……されるの、嫌にならないんですか?自分で自分が恥ずかしいことしてると考えたこと無いんですか?私には理解できません」
別に責めるような言い方ではなく、哀れむように言われた大地は怒鳴ることも出来なかった。
「……」
「それにもし、仮に……澤村さんが本当に大良さんのこと大事に思っているのなら、身を引くのが本当の愛情じゃないんですか?彼の将来のこと、世間体のこと、色々考えて、私だったら……私がもし澤村さんの立場なら……絶対身を引きます。一緒に居るだけが愛情とは思いません。それはただのエゴだと思うんです」
じいっと大崎は大きな目でこちらを見てそう言った。
「あ、あの……俺別に……その……」
頭が混乱して何を話して良いか大地には分からなかった。
「私の言ったこと……少しで良いですから……考えてみてくださいね。気を悪くされたら謝ります。済みません……」
立ち上がって大崎はそう言うとぺこりと頭を下げて去っていった。大地はじっとベンチから動けず、相変わらずネオンを眺めた。
「……俺の存在って……あいつの為になってねえって言いたいのかよ……」
ぎゅっと膝を掴んで大地は呟いた。
「……俺が……俺があいつを好きだって最初に言った訳じゃねえんだ。あいつが……あいつが俺を……」
ネオンの光がぼやけて滲み出す。
「俺……」
ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
何故赤の他人にあんな風に言われなくてはいけないのだろう?
あの大崎に俺の何が分かるって言うんだ?
俺が一番悪いのか?
俺が身をひかなきゃ駄目なのか?
本当に博貴を好きだったら、あいつの事考えて身を引くのが愛情だっていうのか?
そんなの嫌だっていうのは俺のエゴになるのか?
「エゴ……エゴってなんだよ……」
自分とは住む世界が違うと、この会社で博貴が働いているのを見て実感したのは確かだ。どう考えてもホストとして将来の見えない職業に就くより、サラリーマン……それも将来はこの会社を継ぐのを保障されている所に就職する方が博貴の為だろう。亡くなった母親もその方が安心して眠れるはずだ。
俺さえ……俺さえあいつの側からいなくなったら良いのか?
「違う……あいつはそれを拒否して……高良田にだって抵抗したんだ。俺の為に……あいつ自分の腹だって刺して……」
だが、それは博貴が父の酒井を誤解していたときの話しだ。今は違う。博貴は父親の告白を聞き、自分の中で許しを見つけた。だから今、あれ程毛嫌いしていた父親の側で働いているのだ。それは親子として和解しているからだ。なら、あの時と状況は全く違う。強制ではなく自然に事が運んでいるだけなのだ。
「……何だよ……一体何なんだよ……畜生……」
涙が止まらず地面にシミを作った。