「終夜だって愛のうち」 第7章
俺、戸浪ちゃんに一体、何を言ったんだ……
違う……何をしたんだ……
頭を冷やせっ!
自分のイライラをそのまま戸浪ちゃんにぶつけてどうしたかったんだよっ!
馬鹿だ……
馬鹿だ俺……っ!
あんな風に責めて……
酷いことをして傷つけてっ!
頭を冷やせって!
祐馬はバスルームで冷たいシャワーを頭から浴び、自分自身にそう怒鳴った。何度も水を浴びながらようやく気持ちを落ち着けて、祐馬はバスルームを出た。
そこで戸浪が出ていったことをようやく思い出した。
「戸浪ちゃん……何処へ行ったんだろう……」
祐馬は慌てて玄関へ走ると、扉を開けた。すると如月が戸浪を抱えて立っていた。
「なんだ……?今頃扉を開けても返す気は無いぞ……」
如月は気を失い、ぐったりしている戸浪を腕に抱きかかえていた。そして睨みをきかせた青い瞳をこちらに向ける。隔世遺伝だという如月のその瞳は、日本人には不似合いな青い目だった。
「なに……どうして如月さんがいるんだ……」
呆然とその二人の姿を見ながら祐馬は言った。
「下でな、偶然見つけたんだ……。戸浪は雨の中、靴も履かずに壊れた時計のかけらを這いずり回って探していた……」
そう言って如月は目を細めた。その如月の非難しているような瞳から祐馬は目を逸らせた。
「……俺……」
自分がしてしまった事の重大さに祐馬は愕然としたのだ。戸浪は自分が投げ捨てた時計を、この雨の中拾っていたのだ。そんなことをしているとは祐馬は全く予想が付かなかった。
「戸浪の……手を見て見ろ……っ!」
そう怒鳴られたことで祐馬は視線を上げ、戸浪のだらりと下ろされた血塗れの手を見た。
「なっ……どうして……血が……っ!」
祐馬はそう言って駆け寄ろうとしたところを如月に足で払われた。
「……戸浪に近づくことを私が許すと思ってるのか?こんな目に合わせて……それでも許すとでも思っているのか?思っているならお前は本当の馬鹿だ」
払われた勢いで床に尻餅をついた祐馬は、如月の方を向くことが出来なかった。
「誰にも……奪われないように……戸浪は壊れた時計をしっかり握りしめていたんだ。だから手が血塗れなんだ……。これはお前に返してやるよ……どうせ、こんな事をしたのはお前だろうが……」
言って如月は戸浪が握りしめている拳を緩め、手の中のものを床に落とした。すると壊れた時計二つと、細かいガラスの破片が辺りに散らばった。それは血塗れだった。
「……あ……」
「私はこれから戸浪を医者に連れていくよ……手のひらにはガラスが突き刺さっているからな……。戸浪が開けてくれと言ったとき、お前が扉を開けてあげたのなら……私は黙って帰るつもりだった」
「俺……頭冷やしてて……気が付かなかったんだ……」
「どんな理由があってもお前はあそこで扉を開けてあげなければならなかったんだ……」
そう言って如月は戸浪を腕に抱いたまま、きびすを返した。
「待ってくれよっ!俺……俺が悪かったんだ。だから……」
「だから?返してくれ……か?」
冷えた視線をこちらに向けて如月は言った。
「俺は……」
謝らなきゃ……
戸浪ちゃんに……どんな事をしても謝らないと……
俺……本当に酷いことしたんだ……
俺……
「こんな……こんな戸浪は見たことがないよ……祐馬……。こんなに傷ついて……あんな風に泣くなんて……想像も出来なかったほどだ。そこまで追いつめたお前に戸浪を返すつもりは無い」
淡々とそう言って如月はもう振り向かずに歩いていった。祐馬はそれを見送るしか出来なかった。
柔らかいシーツの感触を頬に感じて戸浪は目を覚ませたが、頭がぼんやりしており、自分が何処にいるか分からなかった。
ああ……
なんだ……
手の平が……痛いな……
ピリピリとした痛みが手から感じられ、戸浪はそっと手を上げてみた。すると両手とも包帯が巻かれていた。
……どうしたんだろうこれは……
まだはっきりしない意識が、自分のしたことを思い出せずに、戸浪は目をしばたいた。
周囲は木目調の壁で、落ち着いた雰囲気だ。脇机には何故か薬の袋と、水差しが置かれている。その側にランプに似せた、可愛らしい電灯が置かれていた。
ここは……何処だ……?
ようやく自分の知らないところにいることに気が付いた戸浪は、身体を起こそうとした。が、間接の節々が痛み、結局ベットに又身体を沈めた。
そうだ……
時計……
その事を思い出した戸浪は、起こすことを諦めた身体をなんとか持ち上げると、ベットから降りようとした。だが頭がクラクラし、真っ直ぐに立てず、カーテンを掴んでようやく立った。
「戸浪……何をしているんだ?寝てないと駄目だろう……」
突然そう言われて顔を上げると、如月が扉の所に立っていた。
「……如月……?」
そう言えば……
時計を拾っているときに会ったような……
いや、だが、どうしてここに如月がいるんだろうか?
違う……
ここが如月の住まいなのだ。
戸浪はようやくその事に気が付いた。
「記憶でも抜け落ちてるのか?それよりもう昼だ。何か食べるか?お腹空いただろう……」
如月はそう言って、戸浪のふらつく身体を支えると、ベットに座らせた。戸浪の方は自分の足下が頼りないため、如月の助けの手を拒むことはしなかった。
「あの……ここは……お前のうちか?」
どういう反応を見せて良いか分からない戸浪は、とりあえずそう如月に聞いた。
「なんだ……お前、ほとんど覚えてないようだな。お前がマンションの扉の間で倒れたから仕方無しにうちに連れて帰ってきたんだよ。と言っても先に医者に連れて行ったがね……」
如月はそう言いながら、脇にある椅子を引き寄せて座った。
「……そうか……。で、医者?」
「お前のその傷だらけの手には硝子の破片が一杯刺さっていたんだ。先に服を着替えさせたかったがね……。それに、酷い熱だったから、外科と内科を廻ったんだ。その間に服を着替えさせた」
そう言われて思わず顔を赤らめたが、続けて如月は言った。
「ああ、お前が診察を受けている間に着替えを用意したから、私は知らないよ。看護婦さんに感謝しろ」
如月はそう言って笑った。
「……迷惑を……かけた」
小さな声で戸浪は言った。
「気にするな……」
「……如月……それで……私の持っていた時計なんだが……」
今何処にあるのだろうか……
あれを修理して貰わないと……
戸浪はそれが一番気になっていたのだ。
「……あれな……修理に持っていくとお前が散々言っていたから……私が持っていってやったんだが……」
言いにくそうに如月は言った。
「……それで?どの位日数がかかると言われたんだ?」
「買った方が早いだと。あれは酷く壊れすぎて修理が出来ないそうだ……」
それを如月に聞かされて、戸浪は思わず涙が零れた。
「……っ……あ、そうか……駄目か……うん。分かった」
如月に涙など見られたくないのだが、自然に後から後から零れてくるものを止めることが出来なかった。
時計が直れば、祐馬とのこともきっと元通りになると思ったのだ。
あそこまで言い合い、どう考えても元通りに戻ること等考えられないのだが、僅かな希望に戸浪はすがりたかった。
祐馬……
もう……
駄目なんだな……
分かっていても認めたくない……
どうしても受け入れられない……
「戸浪……もう泣くな……」
座っていた椅子から離れた如月は、戸浪が座る真横に腰を下ろすと、こちらの肩に手を回してきた。
「放って置いてくれ……」
廻してきた手をはね除けることはせずに、戸浪はただそう言った。だが、如月はその言葉を無視してそのまま手を回していた。
「何か食べた方が良い……丸一日お前は眠っていたからな」
「……今は……何もいらない……」
何をする気も無い……
生きているのも煩わしいほどだった。
「そう言うな……ほら、もう横になっていた方が良い」
「……私は……帰らないと……」
うちに帰って……
もう一度祐馬と話をしないと……
何度だって……
分かって貰えるまで……
話し合うんだ……
「何処に帰るんだ?」
「祐馬の……家に帰るんだ……あそこが私のうちなんだ……」
「玄関から閉め出されたのに?」
「……違う……あれは……」
確かに玄関を開けて貰えなかった。だがあの時もう祐馬は会社に行っていたのだ。だから家には誰もいなかったのだ。
「現実は……時々辛いが……ちゃんと見ないとな……」
そう言って如月は戸浪の頭を撫でた。
「ちゃんと見てる……」
祐馬と……
一緒にこれからも……
これからも……暮らすのが私の現実なんだ……
「見ていないよ……お前も分かってるんだろう?」
「分からない……私はうちに帰る」
言って戸浪は立ち上がったが、貧血のような立ちくらみを起こし身体がぐらりと傾いた。その戸浪の身体を如月は受け止めた。
「帰っても良い……だからもう少しまともに歩けるようになってからにしろ……。それとも祐馬に迎えに来て貰うか?」
迎えに……
迎えに来て欲しいと言えば来てくれるだろうか?
言って来てくれなかったら……どうする?
なら……自分で帰った方がいい……
「いや……連絡しなくていい……自分で帰る」
如月に身体を支えられながら戸浪は頭を振った。
「じゃあ……何かまず食べろ。体力を付けるんだろう?」
苦笑した顔で如月はそう言って、戸浪をベットに戻した。
「……そうだな……そうする……」
仕方無しに戸浪は如月の言う通りに、枕を背にして座った。
「ああ、雑炊か、粥を持ってくるよ。待ってろよ」
そう言って如月が部屋から出ようとするとき、戸浪は一つ思い出したことがあって言った。
「如月……時計の修理は出来ないのは分かった。それで……その壊れた時計は?」
「捨てたよ……」
こちらを振り向かず、如月はそう言って部屋を出ていった。
直せない時計など捨てるしかないのだ。あの時計の意味を如月は知らないのだから、それも仕方ないと諦めるしかないのだろう。
病めるときも……
健やかなるときも……
その誓いはもう戻ってこないのだろうか?
「祐馬……」
指輪の代わりに交わした時計はもう無い。
形として見えていた愛情の姿が、今本来の姿に戻ってあやふやな、形を確かめられないものとなってしまった。
戸浪にはあの時計こそが、愛されているという実感を味わうために必要なものだったのだ。気が付けば時計に触れ、祐馬のことを想い、あの時の真剣に交わした誓いを心の中で反復していた。
それはもう修理も出来ないほど壊れてしまったのだ。
そしてもう手の中にはない。今頃ゴミとして処理されているのだ。
「……どうしたらいい?」
呟くように言って戸浪は手を見つめた。すると真新しい包帯が目に飛び込んでくる。
それほど深く切っていたのだろうか?
時計を拾い集めている時には痛みなどこれっぽっちも感じなかった。今も多少ピリピリとしているものの、痛くて眠れないというほどではない。
色々考えているところに如月が戻ってきた。手に持つ盆の上には雑炊と、湯飲みを乗せ、それらを脇机に置いた。
「自分で食べられるか?何なら食べさせてやるが……」
嬉しそうな顔で言われたが、戸浪は「自分で食べる」と答えた。
「残念だな……」
そうは言っているが、如月は嬉しそうだった。
「……今日は……何曜日だ?」
戸浪は膝にお盆を乗せて、その上に乗せられている雑炊をスプーンで掬って少しずつ口に運んだ。食べても味などしないのだが、体力を付けるには食べるしかない。
「今日は土曜だ。昨日、お前を連れて帰った後、丸一日眠っていたからな。一日分記憶が無いのはその所為だ」
「……土曜……か……」
祐馬は休みなはずだ。
うちに居るのだろうか?
平日にうちに帰るより、祐馬が休みの日の方が良いのか?
「さっき電話したが……祐馬はいないぞ」
「え……」
スプーンを持っていた手が下がった。
「ほら、そんなことよりちゃんと食べるんだ」
如月にそう言われたことで戸浪は、止めていた手を又動かした。そうして、茶碗一杯分を何とか食べ終えた。
「あと、薬な」
言いながら何故か如月が医者からも貰った薬の袋から錠剤を幾つか取り出した。
「手を意外に深く切っていたから、化膿止めと、内科でビタミン剤やら色々薬が出ているからそれもだ」
五つの錠剤をこちらの手にそっと乗せた。
「……ああ……ありがとう……」
薬を飲み干して戸浪は又横になった。すると、何も言わずに如月はこちらの布団を整えた。
「……如月……」
「何だ?」
「どうしてこんなに良くしてくれるんだ?」
「馬鹿だな……お前は……。好きだからに決まっているだろう……」
今更何をという風に如月は言った。
「それは……」
「別れたところで……そんなに直ぐ気持ちを切り替えらるものなら苦労はしない……。そんなことはどうでもいいから、さっさと寝ろ」
薄く開いていたカーテンを閉めて、如月は部屋を出ていった。
如月……
お前の気持ちが……
今なら良く分かる……
必死に引き留めようと思っても無駄なのに……
それでもあがいている自分は……
とても情けないな……
なのにその気持ちを止められない……
ああ……そうなんだ……
分かってるとも……
もう駄目なんだ……
祐馬とはもうどうしようもない所まで来てしまったんだ。
ただ私が目を閉じて、その事を認めないだけなんだ……
祐馬……
私達は……
何も始められないうちに……
終わってしまったんだな……
壊れた時計が直らない様に……
それが二度と戻らない様に……
祐馬……
お前を私は失ってしまったんだ……
だが……
こんな終わり方は嫌だ……
何も始められず……そのまま終わるなんていうのは嫌だ……
もう一度……
もう一度だけ会って……
最後に一度だけ……
一度で良いから……
お前に抱かれたい……
それでもう終わりにするから……
それ以上、何も求めないから……
だから……
一度で良いから抱いてくれ……
その位は、私を哀れんでくれるか?
それすら私は望めないのだろうか?
戸浪はそんなことを考えながら目を閉じた。
祐馬は散々悩んだ末、とにかく如月が今何処に住んでいるのかを探したが、最近戻ってきたばかりらしく、自分の姉も、姉の旦那である、如月の兄も居所を知らなかった。
「どうしよ……」
受話器を持ったまま祐馬は床に座り込んだ。
ようやく頭が冷えた祐馬は自分のしたこと、言ったことを酷く後悔していた。
このまま……
俺……
謝ることも出来ずに……
失ってしまうのだろうか……
そう考えるとぞっとした。
嫌だ……そんなの嫌だ……
俺が悪かったんだ……
信じていればそれで良かったのに、疑ったから……
あの時の俺はどうかしていたんだ……
周囲の噂に振りまわされていたことに祐馬はようやく気が付いたのだ。誰が何を言おうと、自分が見て知っている戸浪を信じておればそれで良かったのだ。それなのに、信じ切ることが出来なかったのは祐馬の心の弱さだった。
俺……謝らなきゃ……
でも居場所が分からない……
そこに一本の電話が入った。
「もしもし……あ、宇都木さん……え……あっ!ほんと?ありがとう……うん。分かった……じゃあ俺……そっちに行ってみる」
かかってきたのは東都の会長である祖父の秘書の宇都木からだった。何故か淡々と如月の今住んでいる住所を告げると、電話を切った。
もしかして俺達のこと見守ってくれてるのかなあ……
色々頼んでも快く引き受けてくれるし……
そうなんだ……
祐馬は直ぐに上着を羽織ると、マンションを後にした。向かった先は如月の住むマンションであった。
夕方近く、戸浪は如月から起こされた。
「……あ……何だ?」
目を擦りながら戸浪は目だけを開けた。
「お前に客だが……会うか?」
「……え?」
よいしょと身体を起こして戸浪は、まだぼんやりしている意識をはっきりさせようとした。
「祐馬だ……」
「あ、会うっ……会わせてくれ……」
戸浪はそう如月に懇願するように言った。
「お前が会いたいなら……」
そう言って如月は部屋を出ていった。
祐馬が……
来てくれた……
戸浪は嬉しくて仕方なかった。
暫くすると、そっと扉を開けて祐馬が入ってきた。
「戸浪ちゃん……俺……」
視線をやや下げて祐馬はそう言った。
「祐馬……良いんだ……もう……。それより、そんなところに立っていないで……こっちで話をしてくれないか?」
戸浪は扉の所から動かない祐馬にそう言い、笑みを浮かべた。
「……うん……」
祐馬はベット脇にある椅子に腰を掛け、視線をこちらの手に向けてきた。
「あ、これな……ちょっと怪我をしてね……」
そう言って戸浪は毛布に手を隠した。
「ごめん……」
「いや……お前が謝る事じゃないよ……。私が鈍くさかったからちょっとな……」
祐馬はこの怪我の理由は知らないはずだ。
「あの……戸浪ちゃん……俺……謝らないと……酷いことした……」
途切れ途切れ祐馬はそう言った。
「いいんだ……もう……祐馬……良いんだ……」
お前は悪くない……
何も……
あんな風にお前に言わせてしまった私が悪いんだ……。
「戸浪ちゃん……」
祐馬はそこでようやく顔を上げた。
「……祐馬……お願いがある……」
「何?」
「最後に……一度だけ抱いてくれないか?」
意外にすんなりとその言葉が出た。
「……えっ?」
だが祐馬の方は驚いた顔をこちらに向けた。もちろんそれは覚悟していた。
「……祐馬……頼む……そのくらいしてくれないか?私に対して……色々思うことはあるだろうが……嫌か?」
「嫌とか……そんなんじゃ……」
言って身体を引こうとする祐馬に戸浪は自分から抱きついた。
「祐馬……頼む……お願いだ……このまま何も無しで終わりたくない……」
ギュッと祐馬に抱きついて戸浪は言った。
「頼む……」
ここで断られたら……
私は……どうしたら良いんだ……
頼むから……
うんと言ってくれ……
すると急にベットに倒され、祐馬が馬乗りになってきた。そのまま祐馬の腕の中に戸浪は抱き込まれた。
「……ああ……」
感嘆にも似た吐息が戸浪から漏れた。
これで……
ようやく始められて……終われる……
自分の気持ちもなんとか整理できる……
戸浪はそう思いながら、祐馬にしっかり自分の身体を密着させた。
暫くすると祐馬の唇が首筋にあてられ、その刺激に身体が小さく反応して震えた。
だが……
祐馬はそれきり、こちらを抱きしめたまま顔を上げなかった。
「祐馬……頼む……そこで止めないでくれ……」
一度で良いんだ……
たった一度で良い……
「頼むから……。私を無茶苦茶にしたっていい……お前の怒りをそのままぶつけてくれたっていい……だから……一度……一度で良いんだっ!」
どうして……
ここまで言っても駄目なのか?
「祐馬ッ!どうしてっ!どうしてなんだ?ここまで言ってもお前は私を抱いてはくれないのか?」
私はそれほどお前の目に汚れて映るのか?
もう抱きたいと思わない……そんな存在になってしまったのか?
あれ程私を望んでくれたお前はもういないのか?
「……何か……何か言ってくれ……。頼む……止めないでくれ……」
祐馬……嘘だ……
そこまで私は嫌われてしまったなんて……
「ごめん……俺は……」
そう言って祐馬は顔を上げた。これでもかと言うくらい悲しそうな顔をしていた。
「……いいんだ……もう……帰ってくれ……」
戸浪は何とかそう言った。
「戸浪ちゃん……俺……っ……」
「いいからっ!帰ってくれっ!……お前は何も悪くないんだから……」
そう言うと、祐馬はベットから降りて言った。
「俺……ちゃんとして……又来るから……」
じっとこちらを見る祐馬の目は、哀れんでいる様に感じた。それが酷く戸浪には恥ずかしく思えた。
「もう来なくて良い……」
期待させるような言葉などいらない……
「戸浪ちゃん……俺……こんな状態で……」
「もう何も言わないでくれっ!」
叫ぶようにそう言って戸浪はシーツを握りしめた。
哀れみの言葉をかけられても……
逆に宥められても余計に自分が惨めになるだけなのだ。
「……又……来る……」
そう言って祐馬は部屋を出ていった。
シンと静まりかえった部屋に自分一人が残された。
要するに……拒否されたのだ……
あそこまで言って、頼んで……それでも祐馬に戸浪を抱く気は起こらなかった。
身体が痛い……
バラバラになりそうだ……
そんな自分の身体を抱きしめるように腕を交差させ、ギュッと力を入れた。
「痛い……どうしてこんなに痛いんだ……」
どうにかなってしまいそうだ……
心が壊れてしまいそうだ……
「戸浪っ……どうした?」
祐馬が帰ったことで、如月が今度部屋へと入ってきた。こちらに気を使って二人きりにしてくれたのだろう。
「……身体が痛い……」
ベットに丸くなって戸浪はそう言った。
「何処が痛いんだ……?医者に行くか?」
戸浪の背を優しく如月は撫でた。その温もりを本来望んではいけない相手だ。それでも溺れてしまいたいときがある。
戸浪には今がその時だった。
「私は……もう……駄目だ……身体がバラバラになりそうなんだ……」
枯れたはずの涙が又頬を伝った。
「私が側にいる……大丈夫だ……」
如月は言いながらこちらの身体を起こして自分の方へと引き寄せた。
「そんなに私は汚れているか?私は……お情けでも抱けない存在になったのか?」
辛い……
あんなに求めあっていたのに……
ずっと最後まで抱き合える日を待ち続けていたのに……
何にもなしで終わってしまうなんて……
「そんなこと無いぞ……誰がそんなことを言ったんだ……」
「そんな風に言うなら……頼む……身体が壊れそうなんだ……」
ギュッと如月のシャツを掴んで戸浪は言った。そんな戸浪の頭を引き寄せ如月は、何度も手で撫で上げた。
「何でも聞いてやるよ……」
「邦彦……私を抱いてくれ……」
昔、如月をそう呼んでいた名前で戸浪は言った。