Angel Sugar

「周囲の問題、僕の涙」 第7章

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「お腹空いたな……」
「うん……でも……」
「先にシャワーでも浴びるか?」
「恭眞、お先にどうぞ」
 そう言ってトシは毛布にくるまった。
「一緒に入ろうか?」
「えっ……い……いいよ……」
 と言うトシを既に抱え上げた幾浦はバスルームに向かった。
「ちょ……いいって……」
 バスルームでトシの身体に巻き付けているシーツを引き剥がそうとするとトシはそれをさせまいとシーツを反対に引っ張った。そうやって押し問答をしていたが、結局幾浦が裸にした。
「やだよ……恥ずかしいじゃないか……」
 壁に張り付くように身を寄せてトシが言った。
「今更だろう?私はトシの身体で知らないところは無いぞ」
 そう言ってトシの腕を捕まえこちらに引き寄せた。
「恭眞……」
 耳まで赤くしてトシはすごすごと浴室に入った。
 明るい中で見るトシの身体は小さな傷が随分あった。こんなにあったかと改めて幾浦はマジマジと見つめた。
「なに?なんか付いてる?」
 浴槽に湯を入れながらトシは聞いた。
「いや……結構身体に傷があるんだな……と思ってな」
「そうだね割と無茶してきたから……仕事上だけどね。僕がミスするのが殆どなんだ……リーチが主導権を持ってるときには怪我は不思議としないから……。だから犯人と対峙するときはリーチに交替することになってるんだけど、最初、瞬時に入れ替わるって事が出来なかったんだ。慣れるまで僕が怪我してた……」
 くすっと笑ってトシは言った。
「あまり無茶はするな」
 真剣に幾浦は言った。納得しているとはいえ、やはり刑事という職業は出来ることなら辞めて欲しかったのである。特にトシはシステムエンジニアとしても充分やっていけるだけの腕があるからだ。
「今は大丈夫だよ。そうだ、背中ながしてあげよっか?」
 トシはそう言ってスポンジを泡立てた。
「そうだな……」
「そう言えば一緒にお風呂にはいるなんて、初めてだよね」
「いつも振られていたからな」
「だっ……だって見られるの恥ずかしいからさ……」
「男同士なのにか?」
「…………」
 何と答えて良いのか分からないのか、トシは無言で幾浦の背中をスポンジで擦っていた。「トシ……背中だけじゃなくて他も洗ってくれないのか?」
 言いながら後ろにいるトシを掴んで、自分の前に引っ張った。その勢いで幾浦にもたれかかるような格好で向かい合った。
「え……あ……うん……」
 トシはまず首筋からスポンジを滑らせた。幾浦は何処まで洗ってくれるのだろうと思いながらじっとトシのされるがままに任せていた。しかしなかなか下半身には触れようとしなかったので幾浦はトシの手を掴んでいった。
「トシ……ここは?」
「あ……」
 トシは先程より赤い顔をして迷ったような顔をしていた。
「優しくしてくれ」
 幾浦がそう言うと少しためらいながらもトシはその部分にスポンジを当てた。
「痛かったら言ってね……分からないから……」
 言いながらトシはやんわりとその部分を泡立てた。その何とも言えない感触に幾浦は酔った。たどたどしい手つきであったが、時折強く擦る瞬間があり、痛みより快感が身体を走った。
「トシもして欲しいだろう?」
「ぼ……僕はいいよ……」
 そんなトシの言葉を無視して、スポンジを奪うとトシに馬乗りになった。
「やだっ……いやだよっ!やぁっ……」
 嫌がるトシの下半身を擦ると一瞬ビクッと震え、すぐに又暴れ出した。しかしそんなことはお構いなしに幾浦は更に煽るように大腿部から上へ向けて泡立てると、トシの口から喘ぎが漏れた。
「や……あっ……嫌だ……」
 その表情は快感に身を任せるのを必死に堪えているようなものであった。
「ここは大切なところだから優しくしてやる」
「だめ……あ……ああっ……」
 身を捩りながら力のなくなった手でなおもトシは抵抗を続けた。本能と理性が入り交じった表情が何とも艶めかしく、幾浦はいつの間にかトシの首筋に舌を這わせていた。
「駄目だよ……こんなとこで……きょ……ま……」
 重なった身体の間に泡がぬるぬると漂い、今まで感じたことのない快感が幾浦の身体を走る。トシもその感触に酔い始めているのか、小さく空いた口元から甘い息を吐き出していた。
「ぬるぬるしてなんだか気持ちいいな……」
 新しい快感を知って楽しむように幾浦は、トシの身体を自分に密着させ、やたらめったら動かした。
「背中……痛い……」
 マットを引いていないタイルは痛いはずであった。それに気が付いた幾浦はマットを買わなければと思いながら、備え付けのプラスチックの椅子を引き寄せ端に置くとそこにトシを抱えて座った。トシは幾浦の膝に股を開く形で座らせた。
「痛かった?」
「ん……少し……」
 荒い息を整えながらトシは言った。そのトシの手は幾浦の首に巻き付けられており、自分がどんな格好で座っているのか気付いていないようであった。また、反抗されて暴れられる前に、幾浦はトシの蕾を探った。
「な……なに……」
「シャボンがいい潤滑油になっているな。ほらトシ……こんなに簡単に指が入った」
 幾浦はそう言ってトシの敏感な奥まで一気に指を沈めた。
「ひっ……!」
 その刺激にトシは幾浦の首に抱きついた。
「や……も……今日は……身体もたないよ……」
 泣きそうな、顔でトシは言ったがトシの身体は既に熱く火照っていた。
「トシのここは堅くなってるぞ……」
 蕾から指を抜き、今度は泡と一緒にトシのやや堅くなったものを握りしめた。
「はぁッ……!」
 声を上げてのけぞるトシを後ろに倒れないよう手で支えながら、幾浦は更に握りしめた手を上下に擦った。泡がただの石鹸水になり、手の間から流れ出しタイルに落ちた。
「きょう……ま……お願い……もう……今日は……」
 涙を零しながら、トシは訴えた。確かにきついだろうと思った幾浦はからかうのをやめ、シャワーで泡を落とすと、トシを抱えて湯船に浸かった。
「恭眞……」
 幾浦に抱き留められながらトシは呟くように言った。
「何だ……?」
「良いのかな……」
「何がだ?」
「僕さ……こんなに幸せで……なんだか……怖い……」
「ずっと幸せだ……怖くなどないさ」
「うん……そうだよね……」
「トシ……愛している。この言葉を信じられないのか?」
「信じてる……」
 その返事が幾浦には「信じたい」と言ったように聞こえた。



 幾浦と連絡が取れなくなって四日も経っていた。自宅の電話も携帯も通じず、更に最悪な事に、インターネットのプロバイダーがシステムダウンを起こし、自分宛のメールが全部消去されたので幾浦から来ていたのか、来ていなかったのかも分からなかった。
 何度か夜に訪れたが、家主が帰ってくる様子は無かった。それでもドックフードは切らされておらず、毎日水も入れ替えているようであったので、日に一度は帰っては来ているようであった。しかし、何時帰ってきているのかトシには見当も付かなかった。
 何かあったのだろうか……そんな風に考えてはみたものの、その何かは全く分からなかった。ただ、こんな事は初めてだった所為か、トシはだんだん不安になってきた。
『どうしたんだろうな……あいつ……』
 リーチがふとそう漏らした。
「何かあったのかな……」
『恭夜に聞いて見ろよ……』
「そうだね……それしかないよね……」
 何となく気が進まなかったが、今トシはわらにもすがる思いで、詰め所にいる恭夜を訪ねた。
 詰め所にはありがたいことに恭夜しかいなかった。彼はコンピューターとにらめっこしている。
「あの……恭夜さん……」
「え……あッ……」
 本当に驚いた顔で振り返った恭夜は、その勢いで倒れるのではないかというほどであった。その驚き方は、ただ真剣に仕事をしていて声をかけられたことに驚いたのか、予期せぬ訪問者だったからなのかトシには分からなかった。
「大丈夫ですか?」
「あ、だっ大丈夫!」
 彼のそのつくろった笑いが部屋の空気を白けさせた。
「少しお尋ねしたいのですが……貴方のお兄さんのことなんですが……何処か旅行でも行かれてるのでしょうか?」
「え……ちょっと分からないな……ほら、俺達仲悪いだろ?何かあっても連絡なんかくれやしないから……兄貴がどうかした?」
「え……いえ……いいんです……ご存じないなら……」
「仕事で急に外国でも出張に行ったんじゃない?ほら、兄貴海外出張多いしさ、心配することないって……」
「会社の方に訪ねたのですが……お休みをとってるそうなんですが……」
「え……あ……あっそう……じゃ知らないな……悪いな」
 そう言って恭夜は仕事に戻った。
 詰め所を出るとリーチが言った。
『あれはなんか知ってるぜ……』
『僕もそう思う……でも何で隠すわけ?』
 閉めた扉を振り返りながらトシは溜息を付いた。
 何か自分は幾浦に対して気づかぬ間に不愉快なことを言ったのだろうか?
 それともしたのだろうか?
 いくら考えても答えは出なかった。
 愛犬の食事の用意がされているということは、毎日一度は帰ってきているということだ。それならば、会いたくない…連絡したくないという理由があるのだろうか?
 トシは不安な気持ちに駆られた。今までは自分の週に入ると幾浦から「何時会える?」と頻繁に連絡がメールであった。夜は携帯が鳴る。それが今週はじめの月曜日に別れたきりであった。
 この不安は何だろう……気にすることはないと一生懸命自分に言い聞かせるが、こんな事は今までに無かったこともあり、なかなか心に住み着いた不安は消えなかった。
 今晩は一晩中でも待っていよう……今日で僕の週は終わりなんだから……そうトシは心で誓うと、自分の課へと向かって歩き出した。

 夕方から降り始めた雨が、警察官や捜査官を何時間もうちつけていた。都会の谷間にあるうち捨てられたビルに立てこもった犯人を捕らえる為に、皆一様にそのこしゃくな空からの仕打ちに耐えていた。
 とうとう号令がかかり、捜査員達が飛び込んだ結果、五時間にらめっこに終止符を打った。その中に三係のトシ達の班も入っていた。
「隠岐……俺達は帰って良いってさ」
 篠原がタオルで顔を拭きながらそう言った。
「じゃぁ……私はここで……」
 ようやく済んだという安堵と寒気が身体を襲っていたが、トシはそれだけ言うときびすを返そうとした。
「隠岐、お前酷く顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
 それに対してトシは大丈夫というように手を振って帰り道を急いだ。頭の芯がズキズキし、何となく視界がぼやける。
『おい、トシ、風邪じゃないのか?』
 リーチが心配そうにそう聞いてきた。
「そうみたい……でも大丈夫だよ……」
『ところで帰り道が違うんだけどさ……』
「ごめん……今日で僕の番が終わりだから……恭眞の家に様子見に行こうと思って……」
『良いけど……身体やばそうだったら早めにクスリ飲んでくれよ……明日から俺の番なんだからな』
「ごめんね……」
『じゃ、俺寝るぞ。何かあったらいつでも起こせよ』
 そう言ってリーチはスリープをした。
 今日こそ会えるよ……大丈夫……
 心配しすぎだって恭眞にいつも言われてるじゃない……
 何度も心でそう繰り返して、幾浦のマンションに着いた。
 時間は十二時を少し廻ったところであった。扉の鍵はやはりかかっていた。トシは合い鍵を取り出して中に入った。この約一週間そうであったようにやはり部屋は暗かった。その暗闇で尻尾を振ってアルが座っていた。
「ねぇアル……恭眞……どうしちゃったの……僕……どうして良いか分からないよ……お前なら知ってるよね……教えて……」
 そう言ってトシはこみ上げてくる涙を必死に堪えながらアルを抱きしめた。
 一体どうしたら良いんだろう……
 明かりの消えた部屋が冷たくトシを包んでいた。明かりをつける気力もおこらず、トシはじっとアルを抱きしめていた。
「誰だ!」
 突然後ろから声をかけられてトシは驚きながら後ろを向いた。するとそこには恭夜が立っていた。
「恭夜さん……」
「お……隠岐……脅かすなよ……泥棒だと思った」
 ホッとするよな顔をして恭夜が言った。
「幾浦さんに何かあったのではと思いまして……心配で……」
 そう言ってトシが俯くと、濡れた髪から滴が点々と床に落ちた。
「そういえば……夕方、捕り物があったな……そこから直接来たのか?」
 恭夜にそう聞かれ、トシはコクリと頷いた。他にも恭夜が何か言ったがトシには聞こえなかった。頭の痛みと寒気が限界に来ていたのだ。
 ぼやけた視界に最後に見たのは、アルの心配そうな顔であった。

 気が付くとトシはベットの上に寝かされていた。服は脱がされ、幾浦のシャツを着ていた。額には濡れたタオルが置かれている。身体を起こしたかったが身体が熱く、間接の節々が痛んで起きあがることは出来なかった。
「恭眞……帰ってきたのかな……」
 熱のある息を吐きながら、頭だけ横に向けると恭夜がベット脇の椅子に座り、腕組みをして眠っていた。
 僕をここまで連れてきてくれたのは恭夜さんだったんだ……
 そう思いながらぐるりと見回すと、やはり幾浦は帰ってきていないことに気が付いた。そんなトシに気が付いたアルが尻尾を振ってワン!と吠えた。その声に恭夜は目を覚ました。
「あ……気が付いた?」
 目を擦りながら恭夜は言った。
「済みません……」
 あまりの格好悪さに思わず毛布をずり上げてトシは言った。
「もう……二時か……隠岐……お腹空いてないか?」
「いえ……大丈夫です……」
「風邪薬さ、さっき慌てて探して見つけたんだけど、飲む?」
 心配そうに恭夜はそう言ってこちらをのぞき込む。
「気にしないで下さい。幾浦さん帰ってこないみたいですし……私も帰ります」
 トシは言って身体を起こそうとしたのを恭夜が止めた。
「お前さ、熱三十九度あるんだぜ、そんなんで帰れるわけないだろ」
 真剣に怒った顔で恭夜はトシに言った。
「ですが……」
「いいから……とにかく薬飲めって……」
 その時寝室の扉が開いた。
「幾浦さん……」
 トシの視線の先に驚いた顔をした幾浦が立っていた。
「あ……」
 トシは思わず涙を零した。ようやく会えた安堵感が胸に一杯になったのだ。
「なんだ……どうしたんだ……」
 ベットに駆け寄った幾浦は、恭夜をジロッと睨んで言った。
「隠岐が玄関で倒れたんだよ。あんたが連絡もしないから心配して来たんだってよ」
「どうした?」
 幾浦が側で膝をついてかがむ。
「連絡……つきませんでしたし、メールも無かったものですから……心配で……ホントに心配で……」
 こんな時でもトシは恭夜がいることで必死に利一として幾浦に話した。
「メールは出したが……」
「私の入ってるプロバイダーがシステムダウンしたんです。それでメールが……」
「そうか……心配をかけた……出張だったんだ……」
「え……」
 会社には連絡をして、幾浦は出張では無いことを知っていたトシは一瞬身体を強ばらせた。どうして幾浦が嘘を付くのかトシには分からなかったが「そうですか……」とだけ言った。
「風邪みたいだから休ませてやりなよ……」
 恭夜が慌ててそう言い、幾浦を部屋から連れ出した。
 なんだか……変だ……
 トシはふらふらする身体をやっと起こして、そっと廊下に出た。二人は居間で話しているようであった。トシは見つからないようにそっと近づいて聞き耳を立てた。
 最初はこそこそ二人で話しているのでよく聞こえなかったが、次第に何を話しているのかが分かった。
「親父……どうだった?」
「ああ……あんまり良くない…お前も一度戻って顔を見せてやるんだ」
「今更……会えないよ……」
「もう、怒ってはいない。気も弱くなっているようだからな……」
「そんなに悪いんだ……」
「ああ……」
 幾浦は溜息を付いてそう言った。
「ところで……隠岐のこと話したのか?」
「馬鹿か……あんな父親に話して見ろ!又発作を起こしてしまうだろうが」
 幾浦はイライラと言った。
「そりゃ……そうだろうけどさ……」
「あんな風に弱った姿を始めてみた……。私も何年も実家には帰っていなかったので気付かなかったが……父は歳をとった」
「ふーん……お袋どうしてた?」
「お前にも帰ってきて顔を見せてくれと伝えて欲しいと言われたよ」
「え……遠慮するよ……どうせ、俺自体が血圧上げそうな存在だし……」
「それはいえるな……医者の話では、すぐどうとかではないそうだが、心臓に負担がかかっていて興奮するようなことは避けるように言われたよ」
「じゃ、当分兄貴の話は言えないなぁ」
「それより困ったことになっている」
「どうしたんだよ?」
「孫は諦めるが、せめて結婚してくれと言われた」
「何だよそれ……そんなの勝手に決められたくないよ……」
 恭夜はそう言って手を振った。
「お前の事ではない。私のことを言ってるんだ。孫が生まれるまで持ちそうにないから、嫁の顔くらい拝んでから死にたいと言っていた」
「そんな無理な話……」
「そうだ、無理だ。だが……」
「何で悩むんだよ……悩むこと無いじゃないか……兄貴には隠岐がいるし……どうにもならないことだろ」
「どうして良いか分からなくて悩んでいるんだ……」
「適当に流して、うやむやにしてしまえば良いんだ。時間が経てば忘れるさ」
「お前は父親を見ていないから言えるのだ」
「見たところでどうしようも無いだろ!やっぱりそう言う事じゃないか……兄貴は両親には逆らえない。昔からそうだったからな。結局隠岐を切るんだろ」
「なんだと……」
「やめて下さい!」
 幾浦が恭夜に掴みかかったところでトシがそこに割り込んだ。
「兄弟で喧嘩なんかしないで下さい……」
「トシ……まさか……今の話し……」
 真っ青になった幾浦がそこにいた。その顔は疲れていた。余程悩んだのに違いなかった。
「はい……聞こえました……」
 トシはそう言って、幾浦の手に今まで大切にしてきた物を握らせた。
 それは幾浦から贈られた指輪だった。
「ト……」
 信じられないと言う表情で幾浦はこちらを見た。
「いいんです。どちらも選べないのは当然の事ですから。だから私が選ばせてあげます。これで終わりにしましょう」
 そう言ってトシは幾浦の側を離れた。その横で呆然としている恭夜にトシは言った。
「私のスーツ……何処ですか?」
 熱のためにふらつく身体と頭を押さえつけて必死に利一をトシは演じた。
「お……隠岐……ちょっと……待てって……兄貴!」
 そう言って恭夜がこちらの腕に手をかけるのを思いっきり振り払った。
 トシは自分でスーツを見つけると、まだ濡れている服に着替えた。
 とにかくここから逃げ出したかった。自分で何を言ったのかもよく分からないほど混乱していた。頭も身体も痛かった。間接もギシギシと身体を痛めつける。それでもここから出ていかなければと、それだけが自分の身体を動かした。
 マンションから出ると外はまだ雨が降っていた。やっと温もったはずの身体が、刺すように冷たい雨に一瞬にして体温が奪われる。それでもがむしゃらに走った。限界まで走って立ち止まる。
「馬鹿だな……僕……」
 呟く言葉は雨音に消えた。
「両親より僕を選ぶような恭眞なら……好きになんか……ならなかっただろ!」
 叫ぶようにそう言ってその場に蹲った。そんなトシに雨は容赦なく降り叩いた。
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