Angel Sugar

「監禁愛3」 第4章

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 目を覚ますといつの間にか眠っていたことに気が付いた。横には名執が眠っていた。首が大きく空いたセーターから覗く白い肌はきめが細かそうであった。伏せた睫は長く、彫りの深い顔立ちに彩りを添えていた。薄く開いたピンク色の唇には艶があり、柔らかくウエーブした髪は茶色であった。
 一瞬その髪を撫で上げて指に絡ませてみたい……リーチはそう思ったが、相手は男なんだと自分を叱りつけた。
 細い首……身体もほっそりしている。同じものを食べているとはとうてい思えない体型であった。そして顔の横に添えられた手、指が長く彫刻のような完璧さでそこにあった。 触れてみたい……そんな思いが心を占めて払えない。
 触れてその先どうしたいんだ?
 何度もそのことを自分に問うが、これと言った答えは出ない。
 芳一には感じなかった何かが名執にはあった。もし芳一にこんな目に合わされておれば、躊躇せずに殴り飛ばし、謝罪をさせるだろう。それは確信があった。
 しかし、名執に対してはどんなに腹がたつ言葉を浴びせられても、手は挙がるが実行に移せなかった。それに芳一が側にいると神経が落ち着かず、イライラとしたが、名執は違った。側にいると何故が安心するのであった。
 言葉を交わすわけでも無し、二人でゲームをするわけでもない。ただそこにいるだけでホッと身体の力が抜ける。
「お前は一体俺の何なんだ……」
 名執の言葉を借りれば恋人同士になるのだろう。しかしそれも肯定しかねていた。
 触れてみれば分かるのだろうか?相手はどうせ眠っていて気付く事はないだろう。
 そう思って指をゆっくり名執の頬に差し出した。すると突然名執は目を覚ました。
「いや……別に……」
 リーチは差し出した手を引っ込めて、そう言った。何となくばつが悪かった。
 しかし、名執は自分を見ていなかった。怯えたような目で周囲を見回していた。
「どうしたんだよ……」
 その声にビクッと身体を一瞬震わせ、名執はこちらを向いた。
「な……何でも……ありません……」
 次に名執は睫を伏せ、小さくそう言った。その顔が怯えた小動物のようであった。その姿が何ともいえない感情をリーチに呼び起こした。そっと手を伸ばし名執の肩を掴むと自分に引き寄せた。
「リーチ……」
「お前……いい匂いがするな……」
 ホッとする匂いであった。
「リーチ……?」
「な、試しにさせてくんないかな……」
 そう言うと名執はリーチから逃げようと手を突っ張って身体を離した。
「嫌です……」
 怯えていた目に動揺が透けて見える。
「また……俺は昔の俺じゃないとか言うんだろ……分かってっけど、やってみりゃ思い出すかもしんねーだろ」
 リーチは本気でそう考えていた。相手が男にも関わらず、触れてみたいと思うと言うことはそっちの経験があるのかもしれない。では、やってみれば答えが出るのではないかと思ったのである。
「今日は……許して下さい……落ち着くまで……待って……」
「今日だって明日だっていつだって同じだろ?お前の言ってること分かんねーよ」
 恋人だって言ったのは名執の方である。散々こっちに気を持たせて、その気になったら今度は、はぐらかす気なのであろうか?そう思うとリーチは腹が立った。
「駆け引きなら、俺の記憶が戻ってからにしてくれよ。だが俺は今したいんだ」
 そう言ってリーチは名執を自分の下に組み敷いた。
「リーチ……お願い……!」
 今にも泣きそうな顔で名執は叫ぶように言った。
「そんな顔もすげーそそられるんだな……」
 リーチは抵抗する名執をものともせずに衣服を手荒に剥いだ。
「リーチ……嫌……いやぁ!」
 自分のバスローブをさっさと脱ぎ、名執の肌に自分の身体を重ねると驚くほどしっとりと馴染んだ。
 嘘みたいだ……
 名執の身体は不快どころか、気持ちよかった。白い肌は暖かく、自分に鼓動を伝える。その鼓動がリーチを安心させるのであった。しかし当の名執はまだ必死に抵抗していた。
「気分をぶち壊すなよ……」
 そう言って名執の首筋に舌を這わせた。すると名執の身体はビクッと震えた。
「リーチ……嫌……お願い……お願いだから……やめて……」
 泣きじゃくるように名執は切れ切れにそう言ってリーチを止めようとしたが、リーチは目の前の獲物を逃がすことも哀れむことも無かった。そんな余裕は無かったと言った方が良かったのだ。初めて玩具を与えられた子供のように無心に遊んでいる。そんな表現がピッタリであった。
 愛撫する手が、途切れなく名執の肌を這う。その手に迷いはなかった。リーチはそんな自分が不思議であった。やり方に躊躇することもなく、習慣の様な自分の行為が信じられなかったが、その事でやはり自分は名執を抱いたのだと感じた。抱いたことがあるから、躊躇することもなく、相手が男だと言うことに嫌悪感も感じない。それより心の底から沸き上がる愛しさの方がリーチを驚かせた。優しくしてやりたい。愛してやりたい。自分では信じられないような感情が支配した。それにも関わらず、名執の方は相も変わらず必死に抵抗するのがリーチの癇に障った。
 暴力を振るっているわけでは無い。しかし名執は泣きながら抵抗する。確かに自分は以前の様に抱いているのでは無いだろう。だが、自分なりに気を使って抱いていると考えていた。それなのに名執は涙を流す。それがリーチを逆切れさせた。
「以前の俺は良くて、今の俺は気に入らないってことかよ」
 名執の両足を抱えてリーチは言った。
「違う……そうじゃないんです……そうじゃ……」
「憎んだって構わねーよ。それに俺をここに拘束したのはあんたなんだから、文句は言えないよな……」
 そう言ってリーチは無理矢理準備の整っていない名執の蕾に自分の欲望をねじ込んだ。
「ーーーーーーっ!」                          
 名執の悲鳴はリーチの手によって塞がれていた。目には大粒の涙がいくつもいくつも流れ落ちる。リーチは痛いだろうな……と、一瞬思ったが、それを振り切って自分の行為に専念した。
「ーーーーーーーっ!ーーーーー……」
 リーチが腰を揺らすごとに名執の身体はその痛みで仰け反った。抵抗するために振り上げられた両手は、空を切ってその役目を果たせずにいた。口を閉じさせているリーチの手に名執の涙が伝う。苦しいのか、顔色は真っ青であった。
 どうせこの間のことで俺は嫌われている。今更であった。こんなやつは面倒見切れないと思えばここから出すだろう。それでいいさ……と、リーチは思うことにした。
 何より今自分を止められなかった。名執の中は自分にピッタリと張り付き、快感の刺激を伝えていたのだ。女では感じられない快感がそこにあった。最初はきついと思ったが、徐々に滑りが良くなり、そんなことも気にならなくなった。
 リーチはただ自分の快感だけを追った。

 事が済むとリーチはさっさとバスルームに向かった。名執は身体を動かすことも出来ないまま放心状態でぼんやり天井を見つめていた。
 バスルームからシャワーの音が聞こえると、名執は自分の服を無言で掴みゆるゆると立ち上がった。身体がギシギシと痛んだが、早くこの場から逃げたかったのである。
 身体を引きずって隣の部屋へと逃げ込むように倒れ込んだ。太股に伝うリーチの残した液が惨めな自分をさらに惨めにするように思えた。
 抵抗さえしなければ優しくしてくれたのだろう。そんな後悔があった。しかしあの夢の後、どうしても嫌だったのだ。思い出したくない……最近は忘れていた過去……。それがあの夢によって甦った。
 自分は強くなれたと思っていた。過去を忘れることにも成功したと思っていた。しかしそれは違ったのだ。忘れていたのはリーチがいたからであった。リーチが支えになってくれたから、自分を卑下することも、人と付き合うことも怖くはなくなった。
 リーチに出会う前の自分は、人と接するのも怖かった。自分を見る他人からの目が怖かった。医者を選んだのは、患者を助けると感謝されるからであった。元気になった人から葉書を貰う。それが何年と続かなくとも良かった。
 一瞬の短い時間であっても、患者の人生に自分が少しでも力になれ、さらにその人の心の中に残る自分だけが生きていく糧であった。人から逃げながら人の中に自分の居場所を求めていたのだ。そんな自分が情けなかったが、過去は執拗に名執にまとわりついて離してはくれなかったのだ。そんな自分を自分として認めてくれたのはリーチであった。過去も今もすべてを知って抱きしめてくれるリーチがいてくれたから強くなれたのだ。
 その強さはいつの間にか自分の中で確固たるものになったとばかり思っていたが違ったのだ。リーチがいないと言うことでこれほど自分が動揺しているとは思いも寄らなかったが、実際は不安定になっていたのである。
 リーチが身体をあわせた瞬間、身体が強張った。リーチであるにも関わらず。目の前にいる男はリーチではない。そんな気持ちが硬化させたのだ。 
 触れられた手が冷たかった。まるで祖父の手のようであった。
 気がおかしくなりそうな程の嫌悪感が身体を支配した。受け入れたいという気持ちとは裏腹に身体はそれを拒否したのだ。
 自分で望んだ環境に自分が先に沈没しそうであった。この閉鎖された環境がよけいに名執の精神を不安定にさせているのだろう。そしてこれでリーチの記憶を呼び戻せるかどうか分からないと言う不安がそれに拍車をかけているのだ。
 止まらない涙を拭く手がまだ痙攣しているかのように小刻みに震えていた。
 外に出たいと思うのはリーチだけではなかった。住み慣れた家にリーチを連れて帰りたいと何度も思った。そちらの方がお互い良い方向に向くのは分かり切っていたからだ。それでも帰ればきっと芳一がどこからか見ていてリーチを連れ帰るだろう。それを止めることは名執に出来るはずは無かった。
「……」
 このままではなにも進展せぬままリーチを帰すことになる。計画は無惨な結果に終わるのだ。だがこれ以上何が出来ると言うのだろう?
 涙だけがボロボロと零れ落ちる。
 どうしたらいいのだろう?
 このままリーチの記憶が戻らなければ、こんな所に監禁した名執を恨んで二度と自分の元へは帰ってきてくれないだろう。もし、このまま、記憶が本当に戻ってこなかったとしたらどうする?
 そんな時のことは名執は考えることを今までしなかった。だが、戻らないということだって多々あるのだ。それが記憶喪失の難しいところだ。
 それなら私はどうしたらいい?
 例え記憶が戻らなくても、芳一になど渡すつもりなど毛頭ないのだ。例えどんなリーチであっても自分の元にいて貰いたい。
 離したくない。
 リーチは私のもの……
 例えどんな目に遭わされたとしても……
 憎まれようが、恨まれようが……
 誰にも渡すつもりなどない。
 そこまで考えて名執はまっすぐ前を見つめた。先ほどのリーチのしたことなど、もうこれっぽっちも辛いとは思わなかった。
 名執は作戦を変更することにした。

 みそ汁のいい匂いがしてリーチは目を覚ました。いつの間に眠ったのか分からなかったが、時計は九時を指していた。朝方眠りについたのだろう。まだ眠かった。しかしお腹が空いて限界であったので、みそ汁の匂いを吸い込んだ今となってはもう眠ることは出来なかった。昨日は昼も夜も食事を抜かれたのだ。
 しかし、自分から名執を呼ぶのも躊躇われた。いくら何でも今日は何か食べさせてくれるだろうと思いながらも、昨日のことを根に持って自分を餓死させるつもりでは無いかと不吉な考えも払えなかった。
 ようやくやってきた名執にリーチは「飯」と一言だけ言った、だが名執は、昨日の弱々しさを一掃するような態度で言った。
「お腹空いたんですか?あんな酷いことを昨日したくせに、そんな私が貴方に食事を作るとでも思っているのですか?」
「お前っ!ここに監禁したのはお前だろうがっ!俺が何しようと俺の勝手だろ!」
 睨み付けてリーチはそう言ったが、名執の瞳は冷えたままこちらを見下ろしている。
「一日食事を抜けば、少しはおとなしく言うことを聞いてくれるようになると思ったんですけどね。野生の動物でも餌付けって出来るらしいじゃないですか……。貴方だって似たようなものですから、もう一日反省してると良いんですよ。ここでは私が貴方の命を握っていることを分かって貰わないと……」
 そう言って名執は笑った。
 こいつ、俺を本気で餓死させる気かもしれない……
 そう思った瞬間、リーチは名執を捕まえようと手を伸ばしたが、足の鎖はそこまで届かなかった。
「くそっ!」
「昨日は御免なさい、俺が悪かった。そう一言、言えたらちゃんとご飯を持ってきてあげます。言えないのなら我慢して貰うしかありませんね。そういう躾はきちんとしておかないといけませんので」
 名執はそう言ってさっさとキッチンの方へと行ってしまった。
「あの野郎っ!今度捕まえたらぶっ殺してやる」
 リーチは本気でそう考えた。
 誰が、あんな奴に御免なさい等言うものかと布団に丸まった。だがお腹が空いて眠れないのだ。そのストレスと、この環境が益々いらつかせる。
 暫くおとなしく布団に丸くなっていたのだが、余りにも腹が立っていたので、置かれていたパソコンを壊して次に回りに置いてあった本も片っ端からビリビリに破いて部屋にまき散らした。散々壊しまくってようやく少し気が落ち着いたリーチは、再度布団に丸くなった。
 絶対俺からは何も言わない。
 それで死んだとしても構わない。
 自分が誰だか、分からない上に、家族も親戚もいないのだ。飢えて死のうが、後始末に困るのはあの男だ。俺じゃない。
 だらだら考えながら結局眠れずリーチは仕方無く毛布にくるまると、時間が経つのに身を任せた。 



 リーチに食事を作らなくなって二日経った。さすがに名執も心配になって部屋の隅からリーチの様子を窺うのだが、布団に横になって、ぼんやりと壁を見ているだけだった。最初の日にあちらこちらのものを壊したので、それも片づけることが出来ずに、リーチの布団の回りに散らかっていた。
「……もう……」
 名執は一言そう呟いて、キッチンへ戻る。
 あの男はどうしてこう持久戦に強いのだろう。自分が死んでも構わないとでも思っているのだろうか?それともこっちが先に根を上げるのを待っているのだろうか? 
 リーチが何を考えているのか全く分からない。
 それより医者としての判断の方が優先するのだ。多少食事を抜いてもすぐには死ぬことはないが、水分は別である。風呂場には鎖が届くので勝手に水道水を飲むだろうと思っていたが、リーチはそれもしなかった。
 動くのを止めた大型動物のように、ただ身体を横にしてぼーっとしているのだ。この状態はかなりまずい。
 仕方ありません……
 名執は冷蔵庫からスポーツドリンクの入ったペットボトルを取り出すと、リーチの鎖の届く所に置くことにした。
 リーチが横になっているのを確認して名執はペットボトルを持って部屋に入った。確かこの辺りなら大丈夫だろうと思って、ボトルを床に置こうとした瞬間に、先ほどまで横になっていたはずのリーチに捕まった。
「捕まえたぞ……」
 こちらを睨み付けるリーチの瞳は爛々としている。
「……あの……水分は取らないと……」
 自分が間抜けなことを言っているのは分かったが、名執は思わずそう言っていた。
「な~に~が~水分だっ!」
 ズルズルと部屋の真ん中に引っ張られ、リーチの鎖によって首を絞められた。
「りっ……」
 身体の上にどっかりと座り込まれて身動きのとれない名執は首元に絡まる鎖を掴んだ。だが、巻かれた鎖はその両端をリーチが持っているので全く外すことが出来なかった。
「良い度胸してるよ、あんた。人を餓死させようとするなんてな、先に死んでみるか?どうせ俺をここから出す気無いんだろ?なら、俺も死ぬしかないって事だ。それが早いか遅いかだよな。だったら先にあんたが死ぬか?どうせ死ぬんだったら、道連れがいた方が楽しいよな」
 クククと笑ってリーチは言った。
「リーチ……」
 鎖を掴んでいた手を離して名執はリーチの頬を両手で挟んだ。
「貴方がそうしたいならしても良いんです……。それなら貴方は私のもので終わる……誰にも渡さずに済む……」
 その方が嬉しいと名執は本当に思った。
 幾浦には悪いが、諦めて貰うしかない。これは自分の傲慢なエゴだった。分かっているが、リーチを誰にも渡したくないと言う気持ちが名執の最大の優先事項だ。
 トシさん御免なさい……
 幾浦さん……御免なさい
 それでも私は誰にもリーチを渡したくない。
「ああ、そうかい。良かったな」
 言いながらリーチは両手に持った鎖を引いた。ジャラッと鎖は細い首にめり込む。
「……う……っ……」
 鎖の冷たさを最初感じていた首は、今はせき止められた血流のために熱く感じられた。
 こんな状態であるのに、名執はふっと、この締め方なら脳から血液を送る頸静脈が塞がれて死ぬんだ……と、こんな時でも医者の知識が頭に浮かんだ。 
「本当に死ぬぞ……」
 リーチの声がそう遠くから聞こえた。何だか頭がぼんやりして聞き取りにくい。
「……リー……チ……貴方を……愛してる……ずっと……一緒に……いられるなら……それで……いい……の……」
 どうせ何度も死のうと思っていた自分だ。
 こんな風に死ねるのなら幸せだと名執は思った。
「……あっ……」
 ぐっともう一段階閉められて名執の顎が仰け反った。息苦しいが、ぼんやりしている頭は意外に気持ちが良いと感じていた。
 なんだ、全然苦しくない……
「くっそうっ!」
 リーチがそう叫ぶと同時に、急に首元が楽になった。そして急激に送られる血液が名執の顔色を真っ赤にさせ、酷く咳き込んだ。
 はあ……はあっ……はあ……
 涙目の視界に、悪態をついているリーチの姿が目に入った。
「んっだよっ!お前おかしいんじゃないのか?」
 言って胸ぐらを捕まれ、上下に揺すられた。こちらはまだ声が出ない。
「こっちが首を絞めてるのに、幸せそうな顔されて、殺せるとでも思ってるのか?あんた絶対変態だ!」
「……がう……」
 ようやく言葉が出たが、掠れていた。
「んだよ。言いたいことがあるなら言え!」
「違う……」
「何が違うんだ?気色の悪い奴だなっ!」
「貴方を……愛してるから……その人と一緒に死ねるなら……私は幸せだと思った……だから……痛みも……怖くも……無かった……それだけ……です……」
 言ってリーチに抱きついた。
 この身体も心も全部私のもの……
 リーチはそう約束してくれたから……
 例え記憶を失っていてもそんなものは問題じゃない。
 約束を反故に出来るのは、リーチだけなのだ。
 名執を愛してくれたリーチしかいない。
 それまではこの記憶のない男が何を言っても、それはリーチの言葉であって言葉でない。
 だから、お前を知らないと言おうが、変態だと言われようが、ちっとも辛くない。悲しくもない。
 今のリーチなら絶対突き放していたであろうはずが、意外にリーチは抱きつく名執を離そうとはしなかった。
 そして……
「俺がっ……俺が、悪かったよ。飯作ってくれっ……これで良いんだろうがっ!」
 唸るようにそう言った。
 続けて……
「だってな、俺、お前怖いんだよ……」
 その言葉が名執の口元に笑みを浮かべさせた。

 リーチがようやく言ったことで名執は料理を作った。リーチの好物ばかりを沢山作り、お盆に乗せてリーチの待つ部屋へと戻る。
「……はあ、なんか調子狂う……お前マジ、俺よか根性座ってると思うぞ……」
 呆れた風にそう言うリーチの言葉も名執には嬉しい。
「でもって、殺そうとした相手に飯作ったり、笑いかけたり、あんたほんと怖いよ……」
 続けてそう言ったリーチは、目の前に置かれた料理を早速食べ始めた。
 見ているとやはりお腹が空いていたのだろう。がつがつという音がしてきそうな食べ方をしたからだ。
「……私にすれば、貴方のハンガーストライキの根性の方がすごいと思うんですが……」
 名執は困ったようにそう言った。
「ほうか?」
 口元に一杯頬張っているために、言葉が変に聞こえる。その声でまた名執は笑ってしまった。何だか今日は笑ってばかりだ。
 久しぶりに名執は気分が良かった。
「笑いごっちゃねえんだけどな……」
 お茶をごくごく飲んでリーチは言った。
「おかわりはいりませんか?」
 三杯もご飯を食べたのだが、一応リーチにそう聞いた。
「もう、いらねえ……俺眠いわ……」
 ふあと欠伸をしてリーチが言った。
「あ、そうだ、あんた、俺寝てる間にここ片づけといて」
 言って、自分が壊して屑にしてしまったものを指さした。名執はそれは自分で片づけたら良いんですという言葉を言おうとして飲み込んだ。
 リーチも気分が良さそうだ。
 また逆上させることは避けた方がいいだろうと、判断したのだ。
 強気にリーチとやり合うと決めたのだが、どうしてもこの辺りは甘くなるのは仕方ないだろう。
 名執は元々リーチに逆らうことなど出来ないからだ。
 だからどんなわがままでも聞いてあげたいと、いつもいつも思っている。それは普段リーチに寄りかかっている自分の精一杯の感謝の気持ちからだった。
 こんなに愛してるんですけどねえ……
 既に寝ころんで、スースーと寝息を立てているリーチを後目に名執は音を出来るだけ立てずに、散らかったものをそっと片づけ始めた。

 数時間眠っただろうか……
 ふっと目が覚め、時間を確認すると、九時になるところだった。外は夜なんだなあと考える。お腹が一杯になって気持ちに少し余裕の出てきたリーチは、身体を起こしてのびをした。
 名執を本気で殺すつもりはなかった。脅してやろうと思っただけだった。主導権を握られるのがむかついたからだ。だが結果はあの男を喜ばせて終わってしまった。
 怖い……あいつ……
 リーチは本気でそう思ったのだ。何処の人間が殺してやると首を絞められて、にこやかに笑えるのだ?
 首を絞めながら、その下で笑う名執は本当に怖かった。そんな人間は見たことが無かったからだ。
 こいつに脅しは利かないと判断したから途中で手を緩めた。
 全くよ……調子狂うんだよな……
 独り言のようにそうごちた。
 愛してるからと言われても、愛しているから殺されても良いのだろうか?そんな風に思えることこそリーチには理解しがたい。
 こっちは無理矢理強姦までやってのけたのだ。
 それなのに、あの男はリーチのする事なす事責めることはない。多少困惑したりする場面はあるが、声を荒げて罵ったり、叫んだりしない。
 まあ、無理矢理やったときは泣いてたけどな……
 あれも今ではちょっと悪かったかなあ~なんて、ほんの少し後悔していた。そんな自分が信じられない。後悔などしたことが無いような気がするのだ。いつだって自分の思い通りに生きてきたような気がする。目の前に立ちはだかるような奴は殴りつけてきた……と、思うからだ。
 それがあの女みたいな顔をしている名執にはどうもそれが出来ない。ぎりぎりまで行って、思わず退いてしまうのだ。最後の一線が越えられずに、振り上げた拳はいつも所在なげに空を舞う。
 だから調子が狂うのだ。
 これが芳一だったら絶対、顔の形が無くなるまで殴っているだろう。なのに名執にはそれが出来ない。しようと思っても駄目だった。
 俺、やっぱり記憶の正常なときはあいつのこと好きだったのかな?等と思って思わず笑いが漏れた。
 やばい、これも怖い感情だ。違うぞ俺は、俺は男なんか相手にしない。
 確かにこの間は名執を抱いて、無茶苦茶気持ちよかったのは認める。一瞬愛しいなあ等と恐ろしいことまで考えた。だが、男は一回経験したら止められないほど気持ち良いと誰かに聞いた覚えがあるのだ。
 要するに生理的なものだ。好きとか嫌いとか、そういう感情ではない。
 これ以上はまると確かに止められなくなるかもしれないと思ったリーチは二度と手を出さないと決めた。
 男なんてとんでもない。それが今のリーチの出した答えだった。
 だが……
「リーチ……起きたのですか?」 
 名執はバスルームから淡いピンクのバスローブを羽織って出てきた。風呂に入っていたのかと思うと同時にその身体から発せられる、独特の色気がリーチの目を釘付けにした。
「どうしたんです?」
 言って名執はこちらに近づいてきた。
「おい、寄るなっ……」
 ジリジリと後ろに下がってリーチは言った。
「強姦して散々自分だけ気持ちよくなった貴方が何を言ってるんですか」
 名執はそう言って、腰元に巻き付いている紐をするりと床に落とした。すると前がはだけ、身体が露わになる。
 白いはずの肌が、風呂上がりの所為でピンク色になっている。その上、拭き逃した水滴がそこかしこに玉になって肌に吸い付いていた。
 リーチはそんな名執の身体を上から下まで見ると、思わずごくりと喉を鳴らした。この間とは違うむせるような色気が、名執の身体から出ているのが分かった。
 違うっ!色気じゃなくて……ありゃ湯気だっ!湯気に違いない!と、必死に思うのだが、目は名執の姿から離せない。
「リーチ……貴方はずるい……」
 名執は、着ていたバスローブまでも床に落とした。
「お、おい、俺に強姦されて嫌になったんじゃねえのか?」
 何故俺が狼狽えなきゃならないんだっと、思いながら、益々後ろに下がった。だが、壁に背が当たり、これ以上下がれないところまで来た。
「お腹もふくれて……後はこれしかないでしょう?」
 どこかで聞いた台詞だった。
「リーチ……私も愉しませてください……」
 名執はそう言って宛然と笑った。
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