Angel Sugar

「監禁愛3」 第12章

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 周囲は音も無くただ闇が広がるばかりであった。そこがどのくらいの広さがあるのか全く分からない。ただ一筋の光も通さないところであることだけが分かる。
 リーチはそんな場所に胎児のように丸くなり、浮かんでいた。
 辛いことも哀しいこともここではリーチを傷付けはしなかった。闇が守ってくれるのであった。
 自分が誰なのかもよく分からなかった。ただここにいれば安心だと言うことだけが分かる。
 リーチ……
 誰かが呼んでいるような気がした。しかし気のせいだと思うことにした。ここは誰にもも来ることは出来ないところなのだ。
「リーチ……何をしてるの?」
 今度ははっきりと聞こえたが無視することにした。
「リーチ……目を開けて……」
 誰かが自分の側にいるのが分かった。しかしリーチはよけいに目をぎゅっと瞑った。
「弱虫……」
 弱虫?ああ、俺は弱虫だ。ほっといてくれ……。リーチは心の中でそう呟いた。
「自分で認めるなんて貴方らしくないわ……私が言ったときはあんなに怒ったのに……」
 フフッと笑う声がした。同時に誰かの腕がそっと自分を抱く。
「リーチ……貴方はもっと強いはずじゃない……そうでしょう?」
 俺は強くなんか無い……大切にしたい人を失ったんだ……
「失った?失うというのは私みたいになることじゃないの……」
 えっ……       
 思わずリーチは目を開けた。そこには春菜がいた。
「春菜……」
「しーっ……」
 春菜の腰まで流れる黒髪がリーチの頬をさらさらと落ちる。彼女は死んだ筈なのに、この場所では暖かな肌の温もりが伝わってくる。
「春菜……」
 リーチは自分も手を伸ばし、遠慮がちに春菜の髪を梳いた。それは確かな感触を伝えている。ここに彼女は存在するのだ。すると、春菜は細い指で、そっとリーチの頭を撫でた。ずいぶん前、良く彼女がしてくれた仕草であった。
「こんな所に逃げ込むなんて……ね」
 くすくすと春菜は笑った。
「こんな場所があるなんて知らなかったよ……」
 うつらとしながらリーチは言った。
「普通はここには来ることは出来ないわ……だってここは私の場所だもの……」
「えっ?」
「私はここにいて……あなた達を見守っているの……ずーっとね。だからここに来ては駄目なの。ここは想いだけが形となって漂うところ……貴方は戻らなければいけないの」
「俺は……もう……」
「名執さんが……本気で言ったと思っているのなら、貴方の感は鈍ったどころか、使いものにならないくらい、壊れてるわ……」
「何だと……」
 むっとしてリーチは言った。
「私の嘘はみんな貴方にばれたのに……名執さんの嘘は見抜けないなんて……。壊れているので無いのなら、きっと名執さんを心底愛しているのね……リーチ……。だから気が動転していつもの貴方でなくなったんだわ……」
 ちょっと寂しそうに春菜は言った。
「春菜……」
「強情で我が儘で……超が付くほど独占欲が強い。その上、意地っ張りで、短気。すぐに怒るし手に負えない人なのに、こっちが隠したい気持ちを簡単に暴露しちゃう。優しくて頼りがいもある。ほんと、不思議な人……」
「誉められてるのか馬鹿にされてるのかわかんねーな……」
 口元に笑みを浮かべてリーチは言った。
「そんな貴方を愛しているのよ……リーチ……」
「春菜……」
「困った顔しないでよ……哀しくなるわ……分かっているの……貴方が誰を愛しているか……。それに私も名執さんのこと好きよ……」
「…………」
「名執さんが貴方に言ったこと……その事で貴方が思ったこと……それは逆も言えるんじゃないの?」
「あ……」
「優しい人たちね……でも、どうでもいいことで悩むんだから……二人とも滑稽よ」
「お前な……」
「だってそうでしょう……それとも貴方は別れたいの?彼は貴方と別れたいと思っているの?私には、どちらにもそんなこと出来ないと思うけど……」
「…………」
 リーチは何も言い返せなかった。
「たいそうに、お前の好きにしろと名執さんに言ったくせに、別れる事なんて出来ないからここに逃げてきたんでしょう?」
 きゅっと春菜はリーチの鼻を掴んだ。
「…………」
「本当の貴方は分かっているはずよ……どちらも別れられないって事……。さ、話は終わりよ……貴方を待つ人の所に帰るのよ……」
「春菜……」
「でもただじゃここから出さないわよ……」
 春菜の瞳は涙で潤んでいた。誰よりも優しく、こんなに美しい春菜がどうして今この世にいないのか……リーチは世の不条理を呪った。
「春菜……」
 リーチは春菜を引き寄せて軽くキスをした。唇が離れると視界がぼやけた。そのぼやけた中に春菜の笑顔が揺れていた。



 目を覚ますとトシが悪態を付いていた。
「信じられない……も……刑事やめた方がいいのかも……リーチは起きそうに無いし……手足は怪我しまくりだし……」
『やめるって……冗談だろ?』
「リーチ!」
『でかい声を出すなよ……』
「でかい声出すな?だって?何言ってんだよ!勝手に眠っちゃうし……僕は死んじゃったんじゃないかって……」
 トシはそう言って泣き出した。
『悪かったよ……俺もあの時はこの世の終わりみたいにショック受けたしさ……』
「雪久さんもすごくショック受けてたんだよ……」
 ヒックヒックと喉を鳴らしながらトシは言った。
『分かってるよ……で、今何日?』
「リーチが眠って一週間くらい経ったのかな……」
『そんなに経ってたのか……で、ユキはどうしてる?』
「それは分からないよ。僕もずっと捜査で奮闘してたし……一人でさっ!」
 当たり前だが機嫌が悪いトシだった。
『あいつ家にいるんだろうなあ』
 リーチは自分が家にいることを確認してそう言った。
「だと思うけど……時間も遅いし明日にした方が……」
 柱時計は一時を指していたが、リーチにはそんなことは関係なかった。早く名執の顔を見たい。それだけが今のリーチの求めるものであった。
『トシ……代わって……』
「もう……」
 トシはそう言いながらも嫌がらずにリーチに主導権を渡した。リーチは久しぶりの身体の感覚に違和感を感じた。それもその筈、身体には数カ所包帯が巻かれていた。中には血が滲んでいるものもあった。
「なんだこの傷は……」
『仕方ないじゃない……僕には犯人と対峙できる技が無いんだから……怪我もするよ…この所為で周りから冷やかされるわ……大変なんだから……この分だと人事異動でオフィスワークに回されるよ……』
 トシは真剣にそう言った。犯人逮捕の役目はリーチである。トシは頭脳で勝負できても体力は無い。その上、喧嘩やとっくみあいは苦手どころか素人である。そんなトシが一週間保っただけでも奇跡に近いだろう。
 今更ながら自分がいない間に、怪我だけで済んだことに安堵した。本当に起きることが出来なくなる事態にならなかっただけでも幸運なのだ。
『ぼく寝るね……ああ……やっと安心できるよ……でも、明日ちゃんと説明してよね!』
 語尾をきつく言い、トシはスリープした。
「さてと……」
 リーチは電話の受話器を取り、名執の家に電話を入れた。眠っているか、夜勤なら出ないかもしれない……そう思ったが、予想に反してワンコールで繋がった。
「ユキ……俺……」
「リーチ!」
 その名執の声は悲鳴に近かった。
「頭を冷やしてたんだ……で、今起きたとこさ……」 
 リーチは世間話でもするような口調で言った。
「リーチ……あの……」
「考えたんだけどさ、お前の人生だから好きにしていいって事に気が付いたよ。俺がとやかく言う事じゃないしな、それだけ言いたかったんだ……」
「その事で……話が……」
「いいって、俺怒ってないし、気にしなくてもいいって。それだけだから……遅くに電話して悪かった」
「リーチ待っ……」
 リーチは名執の言葉を途中で切るように受話器を置いた。その顔は笑みが浮かんでいた。
 さあ……ユキ……来るんだ……俺の家に……
 笑うのを堪えながら、キッチンの椅子に座る。
 リーチには分かっていた。名執がどんなことがあっても自分から離れられないのだ。それは自分も同じであったが、この間、どうしてその事に気が付かなかったのかリーチは不思議で仕方がなかった。きっといろんな事があって動転していたに違いなかった。
 どんなことがあっても離れないと互いに約束をしたのだ。それだけではない。今更離れることが出来ない慣らされたものがあった。
 二人で抱き合うこと……その温もりとそこからもたらされる安心感。リーチが思うように名執にも分かっているだろう。
 リーチはそう考えてくつろいだ。今のリーチには自信があった。例えどんな事を名執に言ったとしても、名執は自分と別れられない。何日も一人で夜を過ごすことなど出来ないはずだ。感情とは別のものがそこに在るはずなのである。
 冷静になれば分かったことが、あの時どうして分からなかったのか本当に俺って馬鹿だな……とリーチは思う。
 春菜に指摘されてやっと気が付いたのだ。
 今頃名執は必死にこちらに向かっていることだろう。そんな名執を愛しく思いながらも、簡単に許してやるつもりはなかった。例え自分のことを思っての事だったとはいえ、約束を反故にしようとした事は、苛めだけの理由になるだろう。
 名執が来るのにそれほど時間はかからなかった。
 玄関の来訪を告げるベルが鳴らされると、リーチは気は急っていたが、ゆっくりと玄関に向かい鍵を開けた。そこには以前より少し痩せた名執の姿があった。顔色も良くない。
「リーチ……」
 今にも泣きそうなその顔に少し心を痛めたが、あくまで冷静にリーチは言った。
「どうしたんだよ……話は済んだんじゃないのか?」
 その言葉に一瞬名執は身体を竦ませた。そんな身体を抱きしめたいと思いながら、リーチは必死に自分を押さえた。
「入って……いいですか?少しだけ……話が……」
「いいよ……お茶くらい入れるよ」
 リーチはキッチンでお茶を入れると、名執に椅子に座るように促した。
 話は名執の方から切り出された。
「私……本当に……申し訳ないことをしました……すみません……」
 視線は机に落とされながら名執は言った。
「別に……いいさ。トシは死んだんじゃないかって言ってたけど、そんなことあるわけ無いじゃないか……心臓が止まれば死ぬかもしれないけどさ……気にすんなよ。済んだことだって」
 そう明るく言ったリーチに対して、驚いた様に名執は顔を上げたが、また俯いた。
「で、俺はお前はもう研修に行ったのかと思ってたけど……」
 名執はその事に答える様に首を横に振った。
「起きたことだし、俺のことに責任を感じることはもう無いし……行けよ。お前は一年って言ってたけど、帰ってくるつもりがないのは分かってる。だから……これで終わりだ。別にその事で、お前のことを怒ったりしてない。それより俺みたいな人間にも愛してくれる人がいたって事が分かって良かったと思ってるんだからさ……。またきっとお前みたいに俺たちを理解して俺を愛してくれる人がきっと現れるって信じられるようになった。ただ、一度安らげる場所を知ってしまったから、出来るだけ早くそんな人を見つけないとちょっと俺もきついかもしれないな……」
 リーチは笑みを浮かべながら言った。そんなリーチを名執はまだ見ようとしない。
 そろそろ何か言ってもいいんじゃないか?
 リーチがそう考えていると名執がやっと口を開いた。
「私があの時ああ言ったのは……貴方が記憶を失っていた間の事でリーチが悩んでいるのが手に取るようにわかりました。私が側にいる限り、きっとずっとリーチは悩むだろう……そう思うと、リーチが可哀想で……リーチが悪い訳じゃないのに、私を見るたびに失っていた時間の事を思い出すリーチに申し訳なくて……それなら少し時間をあけた方が……リーチの為になるんじゃないかって……そう思って……ただそれだけだったんです…………だから……私は……」
 震えるような声で名執が言う。
「ふうん、本当は研修に行きたくて、理由をつけただけなんじゃないのか?」
「リーチ……私は……」
 名執は涙を堪えるように顔をしかませながら、必死に何かを言おうとするが言葉にならなかった。
「確かに……俺は監禁されていた間、お前に酷いことをしたよ……その上、俺の所為で……お前が酷い目に合った。だが、あの時俺に何が出来たんだ?お前に許しを請うために、お前をあんな目に合わせた奴らを半殺しにした。それ以外何ができる?なにより自分自身も分からない俺にさ……。責任転嫁する訳じゃない。ただ、あれが精一杯だったんだ。だがお前は違うんだろう?お前は俺を見る度にあの時の事を思い出す……それが辛いから離れたいんだろう?そんなお前の気持ちは分かっているつもりだ。だから……もうこれでいいんだ。お前が選んだ道は間違ってないよ……最善を選んだんだ。俺に申し訳がることないさ」
 リーチは淡々とそう言った。言いながらも名執の様子を窺っていた。名執は悲壮な顔色をしていた。限界だな……と思いながらも、リーチは名執からどうしても聞きたい一言があった。それを聞くまではリーチも譲れなかった。こんな様子を何処からか見ているであろう春菜は、呆れているだろう。
「私のこと……もう……」
「違う。そうじゃないだろ……言い出したのはお前だ。お前が離れたがったんだ。俺じゃない」
「私が……悪いのですか?」
 名執の声が震える。
「だから……悪いとか悪くないとか……そんな話をしてるわけじゃないだろう?俺はお前を尊重して言っただけだ。お前を大切に思うから……お前の思うようにしてあげたい」
 優しくリーチは言った。
「尊重……って……なんですか?私に相手を捜せ、自分も見つけると言うことが尊重なんですか?そんなの……」
 名執は押さえていた涙をポトポト机に落としながらそう言った。
「だってユキ……お前は帰ってくる気のない研修に行くんだぜ……その理由は分かってる。なのに俺が待てると思うか?本当に研修だけが目的なら、お前も待ってくれといっただろう……だけどそんな言葉は無かった。待てないよ……希望も無いのにさ……。それに俺は昔の俺とは違う。誰かの膝で安らげる事を知ったからさ……それを他に求めることをお前は責めるのか?」
 そう言うと名執は机に置いた手をぎゅっと握りしめた。
 ユキ……ここまで俺は言ってるんだぜ……良いのか?
 言うべき言葉は分かっているだろう?
 聞かせてくれよ……ユキ……
 俺が必要だと……
 俺を愛してるって……
 そう思いながらリーチは、名執の方をじっと見ながら待った。
「約束したじゃないですか……貴方は私のものだって……」
「その約束をお前が反古にしたんだろ?」
 静かにリーチは言った。名執はそれを聞くと同時にリーチに抱きついた。

「嫌です!この腕が私のものでなくなるなんて……そんな……嫌……リーチ……嫌です。私……私は……ご免なさい……ご免なさい……」
 名執は必死にそう言った。あの時は研修に行くことが一番良いことだと本気で考えたが、リーチが暫く眠っているのか、それとも死んでしまったかもしれないという日々が続いて気が付いたのだ。
 自分にはリーチのいない人生は考えられないことだと……。
 しかし気付くのが遅かったのだ。毎日毎日、リーチが目覚めたら、そのことを話そう。許して貰おうと考えていた。しかし、リーチの方は、眠っている間にけりを付けたかのように、落ち着いて残酷なことを言ってのけた。それが名執には、死ねと言われるよりも辛い言葉であった。
「ユキ……」
 困ったようなリーチの声がした。何を言ってもリーチはもう自分には何の感慨も無いのだろうか?そう思うと更に名執は、しがみついている手に力を込めた。
「貴方のいない日々なんて耐えられない……あの時は……あの時はそれが良いって思いました。でも貴方がいないこの一週間……私は……耐えられなかった……。こんな事言っても信じて貰えないかもしれない……でも……貴方が必要なんです……例え私の存在が貴方にとって良いもので無いとしても……私は……リーチがいないと生きて行けない……」
「ユキ……」
 拒絶しているような口調でリーチが言った。名執はそんなリーチの顔は見たくなかった。ギュッと掴んだまま目を伏せていた。
 別れる別れないでもめているカップルと見て、あんな醜態を晒すくらいなら、別れた方がいいのに……と思ったことがあったが、自分が今その状況に立たされて、彼らの気持ちが分かった。どんな醜態を晒し、どんなにそれが惨めでも、譲れないことがあるのだ。「ユキ!」
 リーチはそう言って名執の肩を掴んで自分から引き離した。そんなリーチを呆然と名執は見つめた。
 もう……駄目なのだ……それに気が付いて一気に身体の力が抜けた。
「しっかりしろよ……」
 へたりこんだ名執の腕を掴み、リーチは笑みを見せた。何故この男は笑っていられるのか名執には分からなかった。もしかしてそんなに今の自分は滑稽であるのだろうか。
「…………」
「だってお前……すげー力で俺の腕を掴むんだもんな……トシの馬鹿がどじ踏んで腕や脚に怪我してるんだよ、さすがの俺も痛かったんだ」
 笑いながらリーチは言った。何故笑えるのか名執には理解できない。
「あの……リーチ……」
「御免……ちょっと意地悪しすぎたよな……でも、お前も悪いんだぜ、研修に行くなんて言い出すからさ……」
「あの……どういう……」
 話が見えなかった。
「うーん……きっとお前は怒ると思うけど、お前が俺から離れられないのは分かってたから、ちょっと意地悪したんだ……」
「意地悪?」
 何に対して意地悪をしたと言っているのか、名執には分からなかった。
「だから……俺はお前が別れられないのを知ってて、ま、俺だってそうなんだけど……とにかくちょっとお前の本音を知りたかったから、からかったというか……」
 その一言で名執は理解した。やけにリーチが冷静であったのは、どんなことを言っても名執が別れられないと言う事が分かっていたからだったのだ。
 それを知って急に名執は腹が立った。
「リーチ……酷っ……」
 しかし抗議をする間もなく、名執の口唇は塞がれた。
「ん……」
 リーチの舌は口腔に入り込み、逃げを打っていた自分の舌を捉えると、器用に絡ませ吸い付いた。その肉厚の舌が柔らかな感触と熱を伝えてくる。
 名執は暫く、その心地よい刺激に酔った。
「怒ってる?」
 唇を離してリーチは名執に言った。その瞳はとても優しい。
「少しだけ……」
 本当はこれぽっちも怒って等いなかったが、少しは怒っているポーズを取らなければ、名執は自分が完全に踊らされたことになり、なんだかくやしく感じたのだ。
「少し?」
 リーチの身体がじわっと迫り、名執は少し身体を引いた。すると椅子の足に背が当たり、後ろにはもう下がれなかった。
「ユキ……なんだか俺……すげー長い間……お前に触れていないような気がする……」
 真面目な顔でリーチはそう名執に言った。
「この間……お前に公園に呼び出されたとき……有無を言わさず抱きしめてたらこんなに待たずにすんだのにな……」
 言いながらリーチは名執のシャツに手を伸ばし、弾くようにボタンを外していく。全部外し終わったところでリーチの手が止まった。
「リーチ……?」
「こんな狭い所でやると、また傷が増えそうだから……あっちも狭いけどベットに行くか……」
 独り言のようにリーチは呟いて、名執を抱え上げた。名執は何も言わずにリーチの首に手を廻してしがみついた。
 ベットに降ろされ、リーチの下に組み敷かれると名執は身体が火照り始めた。慣らされた身体は既に、リーチを受け入れることに何の躊躇いも見せていない。こんな身体に禁欲的な生活をさせようとしたことに今更ながら恐ろしく思った。
 本当にリーチがいない生活を、円滑に過ごせるわけは無いのだ。片翼を失って飛べない鳥と同じなのだ。彼がいるから飛べるようになった。そんな大切なことを、ついこの間まで何故、忘れていたのだろうか?きっとそれ程、精神的に追いつめられていたのだろう。
 ズボンに収まっているシャツの端を引き抜き、露わになった名執の胸をそっとリーチは手のひらで愛撫した。手の温もりと、微妙に動く指が名執の身体を更に熱くさせた。
「あ……っ……」
 名執は思わず小さな呻きを上げていた。
「な、ユキ……。ここってお前ん家と違って壁が薄いんだ……だから……あんまり大きな声はよしてくれよ……」
 そっと耳元でリーチは言うと、そのまま耳朶に舌を這わせた。声を立てるなと言う割に、声が出そうになることばかりリーチはするので、思わず非難の声を上げようとしたが、胸の尖りに爪を立てられ、言葉を失った。
「感じる?感じるよな……だって俺お前の感じるところ全部知ってるからな……」
 リーチはそう言ってニヤリと笑った。
「リーチ……すごく嫌らしい顔してる……」
「そう?お前もエッチな顔してるぜ……」
 名執はその言葉に血が顔に集まってくるような恥ずかしさを感じた。
「な……何言ってるんですか……」
「ホントのことだよ……」
 と言った口でリーチは名執の顎を軽く咬んだ。
「ん……」
 声を出すなと言われた手前、必死に名執は出すまいと自分の手で口を覆っていた。それなのにリーチは、まるで無理に声を出させようとしているように、ズボンのベルトを外し、手を名執の股間に忍ばせた。その手は迷うことなく名執のモノを掴み、指の間で弄んだ。その刺激に名執は、何度もくぐもった声を上げた。
 リーチの手は本当に良く自分の敏感なところを突き止める。名執は頭の隅でそれを憎々しげに思いながらも、そんなリーチの愛撫が心地よかった。
「ああ……もー鬱陶しい……」
 リーチはそう言って自分の服を脱ぎ捨て、名執の上半身を起こして自分に引き寄せた。直に感じるリーチの肌は、うっとりするほど安心感をもたらしてくれる。
「ユキ……ごめんな……」
 抱きしめながらリーチは言った。その手は背骨を上下にさすっていた。
「リーチ……?」
「俺……記憶を失ってたとき……色々あったからさ……」
 気まずそうにリーチは言った。そんなリーチに名執は自分から唇を合わせた。
 そんなことはもう言わないで……口に出さずともリーチに伝わるだろう。
「ユキ……」
 リーチは膝に名執を抱えながら、手の愛撫によって尖った胸の膨らみを口に含んだ。そうして舌で転がされ、刺激が背を駆けた。
「あっ……ああ……」
 仰け反りながら名執は声を上げた。その声に驚いて自分で手を口に当てる。するとリーチの舌は胸から鎖骨を通り、首筋に進んだ。舌が這う度に、敏感に身体は反応する。そんな自分の身体を少し疎ましく思いながらも、快感に名執は身を委ねはじめた。
 リーチの手は片方は仰け反る自分の背を抱え、もう片方で股間に立ち上がったモノを緩く上下に扱いている。既にぬめりだした自分のモノは、久しぶりの刺激に悦び鎌首を振っていた。
 名執はじりじりと後退し、壁に背をが当たると、後ろに退がれなくなったことに気が付いた。リーチは名執の身体が仰け反ることが出来なくなったことを確認して、態勢を沈ませて名執の股間に顔を埋めた。
「や……あっ……」
 座ったまま両足を開かされ、自分の股間にリーチが沈み込んでいる姿を見て恥ずかしくなった。何より自分はシャツもまだ両手が通っており、肩からは下ろされていたが、腰の辺りでくしゃくしゃになっている。両足の足首にはズボンと下着が団子になっており、気持ち悪かった。
 シャツは何とか脱いだが、ズボンがなかなか脱げなかった。その上、下半身からやってくる快感に身を捩りながらも、もそもそと足首を動かしたが脱げなかった。そんな名執に気が付いたのかリーチは、名執の残りの衣服を手荒に脱がした。
「リーチ……済みま……あっ……っ」
 リーチは自分の行為に没頭しており、名執の言葉など聞いてはいなかった。名執のズボンを脱がしたのも、自分にとって邪魔であったからで、名執が足を動かして脱ごうとしていたのを気が付いたわけではなかったのだろう。
 口に含んだ名執のモノを、飢えた者がするように、貪るような愛撫を繰り返した。そこから頭の芯に直接響くような、快感が目眩をおこさせる。視界が薄ぼんやりと歪み、襲ってくる快感に我を忘れて名執は腰を揺らめかせた。
「……っ!」
 悦びの声を上げた名執の口をリーチの手が塞いだ。
「ああ……間に合った……」
 口元に伝う、白濁した液をペロリと舐めて、リーチは言った。
「リーチ……今から……私の家に……来ます?」
 荒い息を吐きながら名執は言った。
「馬鹿……おあずけはもう沢山だ……」
 そう言ってリーチは名執の身体を横向きにさせ、自分に身体を密着させると、名執の背中に腕を廻し、後ろから蕾に指を挿入させた。
「あ……ん……」
 リーチの指は円を描くように内部で蠢き、内側から外へ押し広げるように抜き差しが繰り返される。名執は額に汗を滲ませながら、指を深く誘い込むようにリーチの腰に自分の脚を絡めた。
「ユキ……」
 頬や首筋、時には唇に舌で愛撫しながら、リーチは名執の蕾の奥をまさぐった。粘っこい粘着音が響く度に、名執は羞恥に耳を塞ぎたくなったが、リーチはそんな名執を面白がり、わざとしつこく音を立てているようであった。
「や……リーチ……」
 瞳から快感の涙を一筋流し、名執は言った。呼吸の回数が増えているので上手く言葉が出なかった。それでもリーチに対する抗議をしていたが、リーチは全く堪えない。ただ執拗に蕾を抉り、その度に跳ねる自分の身体を楽しんでいるのは明らかであった。
「リー……チ……早く……」
 指では満足できない欲望が、頭を渦巻いていた。この身体をバラバラにしてしまうような刺激が欲しくて堪らなかった。だが、無意識に腰を擦り寄せている自分に気が付いた名執は、一瞬我に返り、腰を引いたがリーチはそれを許さなかった。
「声を出すなと言うと、お前すぐ素に戻るから嬉しくないな……もういいよ。出したきゃ出せよ……。俺だって健康な男の子だ。たまに誰かを連れ込んだって誰も文句は言わないだろうさ……」
 そんな噂が流れたら、トシはここを引っ越すと言い出すに違いない。リーチはそんなことも分からないのだろうか?
 だから名執は出来るだけ声を上げないように、自分を見失うことだけは避けようとしたが、リーチはそんな名執の気持ちなど意に介さないように、いきなり名執の蕾に己の鉄を突き立てた。
「あー……っ……!」
 響きわたる自分の声が、快感によって耳が麻痺しているのか、かなり遠くに聞こえた。
「うん……やっぱお前のそういう声は良いな……。すげーそそる……」
「あ……やっ……ああ……」
 口を閉じたいが、閉じられず、手で覆いたいと考えるのに、リーチによって手首を押さえ込まれているので、開いた口からは声が断続的に出る。
「もう……良いんだ……快感に酔って、悶えて……俺を欲しがってくれ……」
 リーチはそう言って腰を突き動かした。その勢いは激しく、突かれる度に内蔵を突き破りそうな程の衝撃を受けた。狭い中を突き動くリーチの欲望は、身体の奥底から熱く滾る奔流となって名執に伝わる。あられもない嬌声が響きわたるが、押さえることを止めてしまった。名執はただ、深くリーチを感じ、一体となる事だけを望んだ。
「もっと……リーチ……貴方を……感じさせて……もっと……欲しい」
 熱を持った息が、激しく吐き出されていた。空気が足りない。身体が熱いと、必死に新鮮な空気を求めて吸い込むが、熱病に侵されたような身体を落ち着かせるだけの酸素と、、冷やすだけの余裕はなかった。
「ユキ……ああ……お前のここは俺のだ……分かってるよな……お前は全部俺のだ。分かっているな?」
 リーチも息を吐き出しながら、名執に言った。名執はその言葉にガクガクと頭を上下させて、そうだと伝えたが、果たしてリーチに伝わったかどうか不明であった。
「あ……ああ……」
 ギシギシとベットのスプリングが軋み、身体がリーチの腰の動きに合わせて揺れる。名執はもう我慢が出来ないと泣いて訴えたが、リーチはその度に名執の根元を掴み、阻止された。頭の中が形のないものを歪ませて、マーブル状に見せていた。元の形は分からないが、快感に支配された頭の中は、理解できない模様を描き出している。時折フラッシュのが光るような瞬きが周囲に見えた。それは幻想でしかないにも関わらず、光が瞬く度に脳の奥がじいんと痺れるような感覚がした。
 それには痛みはない。何ともいえない感覚であるが、一度知れば麻薬の常用者のように習慣性を持ってしまう類のものである。ただ麻薬と違うのは副作用がない自然の産物であるところだろう。
 快感……それをこう呼ぶのだろうが、果たしてこれほどの快感を誰もが知っているとは思わない。全ての人が知り得ることが出来るのなら、例え相手を嫌いになっても、別れることなど出来ないだろう。
「ああ……あ……あ……」
 何度も立ちくらみに似た感覚に襲われ気を失いそうになるが、リーチはギリギリまで追いつめるが、あと少しと言うところで名執を引よせる。名執は朦朧としながら、達かせて欲しいと訴えるが、リーチは全く聞く耳を持たなかった。
「リーチ……お……願い……お願いだから……達かせて……も……駄目……」
 涙がポロポロとこぼれるが苦痛の為でないことは、自分にも分かっていた。それでも限界を超えているために知らずに流れ落ちるのだ。快感なのか苦痛なのか分からない。
「ユ……キ……」
 リーチの方も眉間にしわを寄せ、荒く息を吐き出していた。彼から絡み合わされた指に力がこもっている。彼も限界なのだろう。思わず自分の口元に笑みが浮かぶ。ではもうすぐ……もう少し我慢すればいい……あと少し……
「あーっ……!」
 同時に二人はベットに倒れ込んだ。
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