「過去の問題、僕の絶叫」 第1章
「うわ……日本海の波はやっぱりすごいなぁ」
トシはこの冬のさなか、車窓を開け、外を眺めて言った。
「トシ、暖房がきかないぞ」
嬉々としているトシに幾浦は笑みを見せながら言った。
「寒いけど、気持ちいいよ」
「風邪をひかれては困る。トシ、窓から手を離すんだ」
そう言って幾浦は窓を閉めた。
「あーあ……閉められちゃった……」
今度は窓に張り付くようにトシは景色を眺める。
これが初めての旅行である所為か、トシは落ち着けないのだった。嬉しくて仕方ないのだが、二人っきりの時間が長くて照れくさいのだ。
旅行の計画をたてても、たいていトシの方の都合で潰れていた。刑事という職業柄、何時事件が起こるか分からない。例え非番であっても出ていかなければならない事が多い。
リーチの方は自分の都合のいいように平気で名執の予定を決めてしまうので、彼らの方は旅行もまぁまぁすんなりといっているようであったが、トシの性格上、自分が急に休みが取れたと言ってそれを幾浦に強要しないのである。出来ないといった方が正しい。それが今回は大きな事件もなく、奇跡的に予定通りに事が運んだのだった。
「ねー温泉もあるんだよね」
「ああ、大きな露天風呂があるそうだ」
「僕、大きなお風呂大好きなんだ。自分のうちは狭いから余計にそう思う」
自分たちの住むコーポはユニットバスであったので、トシは楽しみであった。
「そうだな、ただそう言う場所ではトシになんにもできないことが少し残念だ」
幾浦は笑いを含んだ声でそう言った。
「なっ…何、言ってるんだよ」
照れはするが、そんな会話も楽しい。トシは本当に来てよかったと思った。
そうしているうちに旅館に着いた。このあたりでは老舗の旅館で、一泊の料金はかなりするらしいのだが、幾浦がすべて手配をしたので、トシはきちんとした金額は知らなかった。
割り勘にして欲しいと頼んでも幾浦はいっこうに首を縦に振らなかった。
「約束だったからな、確かに約束では海外だが、お前がそれだけの日数の休暇を取れないのだから仕方ないだろう。それでもこれは約束のうちだ」
そういってはぐらかすのだ。
ただ、本当に割り勘などされるときっとその所為で旅行はつぶれたであろう。
刑事の給料では贅沢はできないからだ。
甘え過ぎかな……とトシは思ったが、幾浦が嬉しそうに計画をしているのをみて思いっきり甘えることにした。
車を降りると冷たい空気が肺に入り、思わずトシは身を竦めた。
「寒ーいっ……けど気持ちいい」
「隠岐さん、風邪引を引きますよ」
旅館の玄関で幾浦はそう言った。
「そうですね幾浦さん」
そう言いながらトシは幾浦の横に走り寄った。
トシは一歩外をでると利一モードとなる。どこで誰がみているか分からないからであった。幾浦もそれを心得ているので、トシに合わせてくれていた。
玄関を入ると四十代半ばに見える仲居がやってきて荷物を持ってくれた。幾浦の方は台帳に記入している。するとカウンターの宿屋の主人が、「後ろの方はご兄弟ですか?」と、突然言った。
「え?」
二人は同時に振り返った。
「あれ、トシ……だよね。俺、高校一緒だった緒方だよ」
そこに立っていたのは緒方であった。
「緒方……さん??」
トシは驚いた。たしかに昔の面影が残っており、トシの会いたくない人物のトップに上がる緒方であった。
「あ……お久しぶりです」
血の気が引くような気分であった。
「で、お客さんのご兄弟ですか?」
主人は幾浦と緒方を見比べてそう言った。
「いや、違うが……」
幾浦が言った。
「違いますよ」
緒方が言う。
トシはそっと二人を見比べ、そう言えばなんとなく似ていると思った。緒方の方が少し幾浦より背は低かったが、切れ長の瞳や雰囲気がよく似ていた。
嘘……
緒方さんって……こんな感じだったかな……
こんなに恭眞に似ていたのかな……
トシは混乱しながら交互に見比べたが、やはり似ていた。兄弟だと言っても別に違和感がない。幾浦の弟である恭夜より兄弟らしくみえる。
「何年ぶりだろ……でも俺はトシのこと良く知っていたよ」
「は……はぁ」
「東都新聞の文化部の記者なんだ。ホントは社会部希望してるんだけど……だからトシの関わった事件とかは全部チェックしてるよ」
「そ、そうだったのですか……知りませんでした……」
俯き加減の視線でトシは言った。
「隠岐さん、仲居さんが部屋に案内してくれるそうですよ……」
幾浦がそうトシに言ったが、トシにはその幾浦が不機嫌なのが分かった。
「あ、はい。行きます。では緒方さん……」
「トシ……どこの部屋?」
「え、……と」
チラと幾浦を見て「一階の蓮の間です」と言った。
「俺は二階の椿の間だよ。そうだ後で時間貰える?トシに話したいことあるし」
「はい」
トシはそう答えるしかなかった。
自分たちの部屋に入案内され「ごゆっくり」と言って仲居が出ていくと、トシに座る余裕も与えずに幾浦が言った。
「あいつは何だ」
「高校の時の……先輩……」
「で、どうして「トシ」と馴れ馴れしく言ってくるんだ。あいつはリーチのことも知っているのか?」
幾浦は滅茶苦茶機嫌が悪い。
「そ、それは無いよ。でも……利一は僕だと思っている人なんだ。色々……相談に乗ってくれて……ね、座って良い?」
「あ、そうだな……」
今、気がついたような顔をして、幾浦は座った。
「お茶……入れよっと」
トシはそう言って気分を変えようとしたが、緒方に会った事で動揺が収まらなかった。そんな気配を敏感に感じ取った幾浦が訝しげな目をこちらに向けている。
暫くお茶を飲みながら二人に沈黙がおりた。
窓から見える外の景色は、日本庭園風の素晴らしい眺めであったが、トシは全く目に入っていなかった。とにかくどうすれば緒方を幾浦から遠ざけておけるかが、トシにとって大問題だったのだ。
それには理由があった。緒方はトシの事を良く知っているのだ。そしてトシの性格を良く知っている。本当の性格を……。
トシは幾浦にそれを知られたくなかったのである。
高校三年の頃、その事が原因でリーチに黙って自殺未遂まで引き起こしてしまったのだ。その事を緒方は知らない。緒方が転校してからの話であったが、引き金は緒方との会話からである。会話と言っても、その会話で緒方はトシに怒り、トシは逃げ出したのだ。
トシがトシとして接していたのは緒方だけであった。そのトシの性格を否定されたものであったからショックも大きかったのだ。
自分の性格は嫌われるんだ……
他に基準の無かったトシはどうして良いか分からなかった。リーチもそう思っている可能性もあったのだ。同じ身体を共有している為、本当のことを言えなかったのかもしれない。そんなことを鬱々と考える日が増え、次第に自分に自信を無くし、リーチが何を言っても慰めにならなかった事があった。
自殺未遂後、散々リーチに怒鳴られ、やっと我に返り、あれからは死のうとは思わなくなった。自分の性格も少しずつ自分の中で認められるようになってきた。
しかし、あのときのショックは今も自分の中で燻っていた。
「トシは気を使わなさすぎる……それじゃ嫌われるよ……」
その言葉は今も抜けない棘のように、心に深く突き刺さっているのだ。自分は心を許すと馴れ馴れしくなるのだろう。それが相手に不快とうつるのだ。それを知っているから幾浦にも気を使ってきた。
怖いのだ。
幾浦からもしそんな風に言われたら、今度は立ち直れないだろう。
「トシ……顔色が悪いぞ」
「え……あ、ごめん」
ハッと気がついて、心を落ち着けようと既に温くなったお茶を一口飲んだ。
「あの男と……昔何かあったのか?」
「え、そんなこと無いよ。ないない」
引きつった笑いでトシは言ったが、幾浦は引き下がらなかった。
「ではどうしてそんな青い顔をしているのだ?」
「……あ、そう?別に普通だと思うんだけど……」
「……」
幾浦は瞳を覗き込むようにこちらを見つめていた。
「あの……恭眞……ちょっと外歩かない?」
トシは気分転換をしたかったのだ。しかし、そうなるとこんな風にくだけた話し方が出来ない事を知っている幾浦は首を縦に振らなかった。
「何も無くて、そんなに気分の悪そうな顔にはならないだろう。何があったんだ?」
「だから……何も無いって……気の所為だよ」
「トシ……どうして話せない?」
「話せないんじゃなくて、何もないから話せないの」
「私には……お前が嘘をついているようにしか見えないが……」
「嘘なんかついてないよ、ね、外出よ。僕、海見たい」
出来るだけいつも通りの顔を作ってトシは幾浦に言った。
「……ああ。そうだな」
あきらめた風に幾浦は言って立ち上がった。
風は冷たかったが、太陽が出ていたので気温はそれほど低くはなかった。その所為か海岸にはまばらであったが人が行き来していた。
「寒いのに結構人が来ているんですね」
トシはそう言って嬉しそうな笑顔を幾浦に向けた。
「……そうだな」
しかし幾浦は心ここにあらずであった。トシはその理由は分かっていたが、どうしようも無かった。
トシは幾浦とふたりっきりが嬉しくて仕方なかったはずが、今では息苦しく感じた。幾浦のことだから又緒方の事を聞いてくるだろう。それが怖かったのだ。
「トシ……」
と、幾浦が言ったところで携帯が鳴った。
「私か……」
ポケットから携帯を取り出して暫く話しをし、終えるとトシに言った。
「会社からだ……部屋に戻ってパソコンを繋げないといけなくなった……」
「あ、いいですよ。私はもう少しぶらついてから戻ります」
え、と言う顔を幾浦はしたが、「そうか」と言って宿の方に戻っていった。
「どうしよう……かな……」
トシは砂浜にちょこんと座って膝を抱いた。気分は最高に悪かった。幾浦がいくら聞いたところで話せないことである。それでも幾浦は執拗に聞いてくるだろう。それに対して自分はどうすればいいのか全く分からないのだ。
「トシ!」
いきなり声を掛けられて振り返ると問題の緒方が立っていた。
「緒方さん……」
吐きそうだった。
「友達はどうしたんだ?」
「あ、さっき会社から連絡が入ったみたいです」
「幾浦っていうんだよな……あ、例の事件で人質になった人じゃなかったか?」
良く覚えているなと思いながらトシは頷いた。
「私の友人で……それを逆手に取られました」
「そうか……俺も……本当はあの時、見舞いに行ったんだよ。でも中に入れて貰えなかったんだ。それから何度か行ったけど追い返されて……それで避けられてるような気がして行けなかった……。トシはあの時も俺を避けていたから……今もそうだと思って諦めた」
ぎょっとするようなことを緒方は言ったが、平静を保った。
「あの時は誰も入れませんでしたよ。緒方さんだけお断りしていたわけじゃないです。それに緒方さん記者なんでしょう。それではいくら友人だと言っても誰も信じませんよ」
ようやく作った笑顔でトシは言った。
「そうか……それもそうだな……避けてたわけじゃなかったのか……」
「ええ」
トシはじっと足下の砂を見つめていた。暫く沈黙して二人は砂浜に座っていた。
「トシ……どうしてそんなに他人行儀に話すんだ?前みたいに普通に話してくれ」
「他人行儀……ですか?私……いつもこんな風ですが……」
そうしてまた沈黙する。
暫くして緒方が口を開いた。
「俺は……謝りたかったよ……トシ……」
何を?
「喧嘩……したからさ、それからトシはもう俺とは会ってくれなかった。いや、トシは俺から逃げ回ってた……」
逃げるしか無かったのだ。
「転校してからも……ずっと……いや、この年になってからもずっとあのことを忘れられなかった。会おうと思えば会えたのに……俺は怖くて会えなかったんだ」
「怖かった?」
「そうだ……昔、嫌われて逃げられているんだ。今度、逃げられると俺だって立ち直れ無いないだろ。だから会えなかった」
「僕は……嫌ってなんかっ……」
思わず立ち上がって緒方に言っていた。緒方の方はそんなトシを見て笑みを見せた。
「やっと、昔みたいに話してくれた」
「あ……」
トシは顔が真っ赤になった。
「良いじゃないか……それで……プライベートなんだろう?それに俺達は友達なんだよ」
友達?
「ぼ……いえ私は……その……」
「無理するな。トシにそんな話し方似合わないよ」
「そ……そうですか」
「ま、良いけど……それでずっと謝りたかった話だった。あの時トシが相談を持ちかけた内容覚えてる?」
忘れるわけは無かった。
「……」
「あの時俺、トシに酷いこと言ったよね」
あれは真実だから酷いことにはならない。
「いいんです……本当の事ですから……」
認めるしか無いのだ。本当の自分は、いかに無神経で、馴れ馴れしい性格であることをあの時以来心得ている。
「トシ……それは……」
「隠岐さん!」
今度は幾浦がこっちに向かって走ってきた。どうしてこう都合の悪いことばかりになのだろうか?
「じゃ、トシ、後でゆっくり時間とってくれる?今度はうやむやにしたくない」
こちらの返事も待たずに緒方はそう言って去っていった。去り際に幾浦には挨拶をしていたようだがトシにはもうそんな事は目に入らなかった。
ただもう何処かに逃げたかったのだ。
もう……嫌だ……心の中でそう呟いた。
折角並んだ豪華な食事も、心ここにあらずのトシは箸を持ったままぼんやりしていた。時折思い出したように造りをつつくが、食欲は無いようであった。幾浦には理由が分かっていた。あの緒方という人物に会ってからおかしくなっているのだ。
「トシ……これもうまいぞ……」
そう言って幾浦は、トシの皿に色々と運んでやってはいるが、運んだ分だけ皿が増え、一向に片づく様子は無かった。
「恭眞……」
俯き加減のトシがやっとこちらを向いた。トシが何か言いたそうなそぶりの時は無理強いせずに待つしかないのだ。無理に聞こうとすると貝のように口を閉じてしまうのだ。それが分かっているだけに強くは聞けない。
「どうした?」
「僕……恭眞に謝らなきゃならない……」
一瞬心臓が飛び出しそうなほど幾浦は驚いたが、顔には出さずにじっと次の言葉を待った。
「たぶん……緒方さんのことは……恭眞に話せない……」
目に涙が盛り上がっている。それほど何に苦しんでいるか全く分からなかった。
想像しても最悪のことしか思いつかないのだ。
「トシ……」
「ごめ……ん……」
ぽろぽろ涙を落とすトシを見て追求など幾浦には出来なかった。
「トシ……」
幾浦は近づいてトシを抱きしめた。
「ごめん……ごめんなさい……」
あまりのトシの情緒不安定な姿を初めてみた幾浦の方がとまどった。
何があったらこんな風になるのだろうか?疑問ばかりで要領を得ない。
「いいから……話したくなければ話さなくて良い。せっかくの旅行だぞ……」
優しくそう言ったが、それは逆効果だった。
「せっかくの……旅行なのに……僕が台無しにしちゃてる……僕……」
どうにもトシの涙が止まらない。仕方がないので幾浦は無言でただじっと抱きしめ、背中をさすった。トシはぐずった子供のように泣いていた。
やっと泣きやんだトシは又俯いて無言になった。
「とにかく……食べよう。でないと料理を作った人に申し訳ないだろう?」
トシはそれを聞くと小さく頷いて、箸をとった。
かなりの量を残して食事を終えたトシは、気分が悪いと言ってさっさと布団に潜り込んでしまった。時間はまだ七時を回ったところであったので、ドライブでも連れ出そうと思っていたがトシの状態を見て幾浦は諦めた。
リーチなら何か分かるはずなのだろうが、この状態では呼び出せない。だが名執ならリーチから聞いているだろうか?そう考えた幾浦はここでは電話が出来ないので、外に出ることにした。
「トシ……私は風呂に出かけるがどうする?」
「うん……もう少し気分良くなったら行くよ…」
布団に潜ったままトシはそう言った。
「分かった。じっと寝てるんだぞ」
「ん……」
トシを一人にするには少し気が引けたが、とりあえずフロントに行き、そこに並んでいる椅子に腰を掛けると、名執に電話を掛けた。
「幾浦だ」
「あ、どうなさったのです?何かあったのですか?」
名執は驚いた声でそう言った。
「いや、ちょっと聞きたいことがあってな……」
「なんでしょうか?」
「トシとリーチの友人で……確か高校の時の友人だそうだが、緒方って男の話を聞いたことは無いか?」
「緒方……」
と言ったまま名執は黙ってしまった。どうもその様子から何か知っているようである。
「何か聞いているな……頼む教えてくれないか?」
「私からは……ちょっと……私もリーチから聞きましたので……」
言いにくそうに名執はそう言った。
「聞いたのなら教えてくれても良いのではないのか?」
「それは……申し訳ありません……」
「名執……頼む……トシの様子がおかしいのだ……」
「何が……あったのです?」
「その緒方にこちらで会った。それからトシが情緒不安定だ」
「幾浦さん……私からは何も話せませんが、トシさんから目を離さないで下さい……」
真剣な名執の口調であった。
「目を離すな……だと?一体何があったんだ。どうしてお前達が知っていて私には教えてくれないのだっ!」
幾浦は名執に怒鳴っていた。
「私達がもめたときに……偶然、緒方さんの話をリーチから聞いただけで、あらたまって聞いたわけではないのです。ただトシさん自身の問題ですので、私から幾浦さんには申し上げられないのです。私が知っていることをトシさんはご存じありません。リーチから口止めされていますので……」
申し訳なさそうに名執は言った。名執を責めても仕方がないことは幾浦にも分かっていたが、トシからは既に話せないと宣言されているのだから、他から情報収集するしかないのだ。
「考えたくは無いが……緒方という男に……トシは……何かされたのか?」
ずっと疑っていた事を名執に聞いた。
「そ、そういうのではありません。安心して下さい」
「名執……」
「これ以上は許して下さい……」
懇願に近かった。
「リーチなら……教えてくれるだろうか?」
「それはリーチに聞いていただけないことには私には判断が付きません……」
「……そうか……」
「力になれなくて……申し訳ありません……」
すまなさそうに名執は言った。
「いや、……いい。悪かった」
そう言って幾浦は電話を終えた。暖房が利いているはずなのに、妙に寒く感じた。
幾浦が出ていって暫くするとトシは布団から起きあがった。
「頭……痛いな……」
風邪ではない精神的なものだと分かっていたが、理由も分かっていたのでどうしようも無かった。
恭眞に……悪いことしてる……これじゃ駄目だ……
トシは布団に座って笑顔を作ろうと必死になった。怖がることはない。明日、早くにここを出れば良いのだ。これ以上幾浦を心配させたくは無かった。
入り口でことりと音がしたのでトシは幾浦が帰ってきたのだと思った。
「あ、恭眞。帰ってきたの?」
そう言って扉を開けると、そこには緒方が立っていた。
「トシ……」
「……な……何の用ですか……」
扉を閉めようとしたが緒方が扉を押さえていたので出来なかった。
「話……あるんだけど……ちょっといい?」
良くなかった。
「え……あの……」
「友達は?」
「ちょっと出てますが……」
「そう……じゃ、いいよね」
「あ、ここでは駄目です」
いつ幾浦が帰ってくるか分からなかったのでトシはそう言った。
「じゃ……夜の海でも見に出ようか……」
「……はい」
トシはそう言ってコートを羽織ると緒方と外へ出た。外は空気が異常に冷たかった。
「う……やっぱり寒いなぁ。雪ふるかもね」
緒方は息を白くさせてそう言った。何故だか嬉しそうに見える。
「そうですね……」
そうやって歩いているとトシは昔のことを思い出した。緒方に対して警戒心のひとかけらも無く、自分のことを分かってくれる大切な友人であった。何でも相談し、たわいのないことを話していたあの頃が懐かしくも思った。それなのに今は一緒に居るだけでも苦痛なのだ。それがやけに悲しかった。
「駄目だ……寒すぎる……車に乗って話しよう」
緒方の言うままにトシは緒方の車に乗り込んだ。ヒーターをすぐに点けてくれたが、底冷えの空気はすぐには暖まらなかった。
「ね、トシ。幾浦さんて俺に似てるよね……」
「そ、そうですか?」
「いや、そっくりと言っているわけじゃなく、目とか雰囲気が……」
「……」
確かにそう思った。
「俺は喜んで良いのだろうか?」
何を緒方が言おうとしているのかトシには分からなかった。
「トシは幾浦さんに俺を見てた?」
「なっ……」
「俺のこと忘れてなかったから、俺に似た友達を作った?」
そんなことは考えたことは無かった。何より幾浦と初めて会ったとき、これっぽっちも緒方のことなど思い出さなかったのだ。
「ち……違います」
慌ててトシは言った。
しかし無意識の中では認めていたのだろうか?
確かに最初幾浦と対面したとき苦手なタイプだと思ったのだ。それは心の何処かで緒方とだぶらせていたのか?
幾浦に惹かれたたのも幾浦の後ろに緒方を透かしていたのだろうか?
いや、そんなことは無いはずだ。それでは惹かれるのではなく逃げ出していたはずだ。
「では代償……」
「代償?」
「俺から逃げた事をトシが後悔していて、俺に似た人と友人になったのか?」
逃げたことを後悔しているのだろうか?
トシは自分の気持ちも分からなかった。まして緒方が何を言おうとしているのかなど分かるはずもない。
「トシ……どうしてあの時……逃げたんだ?」
緒方がそう言った。
「逃げるしか……なかったから……」
「そうか……やっぱりお前は……」
やっぱりおまえは??
何……何が言いたいのだろう。
トシはびくびくしながら次の言葉を待ったが無かった。
「そうだよな……そうじゃなければ女の子から手紙預かってくるわけがない。あれはいい迷惑だったよ……」
苦笑しながら緒方は言ったが、トシには苦々しく緒方が思いだしているのだと感じた。
「す……済みません……私は……」
トシは一気に過去の自分に戻ってしまった。何度も言わなくても分かっている。トシはそう叫びそうになった。
「トシは鈍感すぎる」
と言ってトシの方を向いて緒方はぎょっとした。
「何故……泣くんだ?」
「言わないでくれる?」
緒方の腕を掴んでトシは言った。
「何を?」
「お願い……恭眞には言わないで……お願い。お願い……」
トシは泣きながら緒方に訴えた。自分のことを幾浦に知られたくなかったのだ。それしか頭になかった。
「だから……何……を?」
「お願い!お願い!」
必死に緒方に懇願した。緒方の方はただじっとこちらを見ているだけであった。暫くすると緒方はフッと笑った。トシには不敵な笑いに見えた。
「何でも……するから……言わないで……」
「何でも?」
トシが頷くと緒方がトシの座っているシートを倒した。
「……」
「何でもする?」
ただ頷いた。すると緒方がトシに馬乗りになった。
ごめん恭眞……
トシの意識がとぎれた。