Angel Sugar

「過去の問題、僕の絶叫」 第4章

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「トシ……」
 緒方だった。
「……はい」
『誰だったっけ?トシ知ってる?』
 リーチは緒方のことを知っていたがとぼけた。
「トシには悪いんだけど……」
「え?はぁ……なんでしょうか……」
 バックでトシと話している間も緒方は話しかけてきた。仕方無しにリーチは適当に相づちを打った。
『あ、うん……リーチ、もう良いから交代して、スリープしてくれて良いよ……』
 平静を保ってトシは言っているが、リーチには早くスリープして欲しいというトシの気持ちが手に取るように分かった。
「色々……幾浦さんと話したんだ……」
 緒方がそう言うとトシは凍り付いた。
「話し?」
 リーチは更にとぼけたように言った。
『おい、トシ大丈夫か?』
『……話したって……何を話したんだろ……』
 トシは交代するのも忘れて震える声でそう言った。
「何をおっしゃっているのか分からないのですが……」
 リーチはそう緒方に言った。
『リーチ……交代して……リーチは……スリープしてて……』
 トシは口ではそう言っているがリーチと交代する気配を見せなかった。
『おい、トシ……』
「トシは……本当に人を上手く傷つけるよ……。分かっていてやっているなら、残酷だ……」
「な……」
 リーチは一瞬緒方を殴りつけたい衝動に駆られたが、そんなことよりトシの方が心配だった。
『トシ……大丈夫か?おい、トシって……』
『リーチ……リーチ僕ってそんなに人を傷つけることしてる?僕が気が付いていないだけでリーチも僕のこと嫌になったりする?……恭眞も……恭眞もそう思ってるのかな……僕がこんなだから……本当のこと言えないのかな……でも僕……僕は……』
「あの時も……トシにうんざりしたけど……今も変わってないよ」
 緒方はリーチを見据えてそう言った。
『トシ!あいつの言うことに耳貸すな』
「私が貴方を傷つけたといいたいのですか?」
 リーチはそう緒方に言った。
「……まだ分からない?」
「緒方さんが、あのラブレターのことを言っているのなら……貴方の方が悪い」
『リーチ……』
『黙って聞いてろ!』
 リーチはトシにそう言った。
「……分かってるじゃないか」
 緒方は悲しそうな表情で笑みを浮かべた。
「気が付いたのは……随分後でした……。私は……あの事で随分落ち込んだんです。しばらくは自分に自信も持てませんでした……。親友だと言っても過言でない緒方さんに理由の分からないまま怒鳴られたのですから……」
「トシ……」
「ただ、今頃になってそんな昔のことを蒸し返して……どうしたいのですか?」
「……」
『リーチ……緒方さんのこと……思い出したの?』
 震える声でトシはそう言った。
『忘れるわきゃねーだろ!お前が自殺未遂まで起こした原因を作った奴だぜ』
 リーチは怒鳴るようにトシに言った。
『でも……あれは僕……が……』
 尻窄みの言葉のトシを無視してリーチは更に緒方に言った。
「どうして……あの時言ってくれなかったのです?あんな風に怒る前に、その怒った理由をどうして言ってくれなかったのですか?」
「トシ……」
 緒方は苦しそうであった。
「あの時言えなかった貴方に……。その事を気付くことが出来なかった為に貴方が傷ついたと言われるのなら、そんなこと分かるわけがないと言わせていただきます。私は貴方を友人としか見ていなかったのです。それ以外を感じ取れなかった私に貴方はただ怒鳴っただけだった。それを鈍感だとおっしゃるのなら世界中の人間はみんな残酷な人間になってしまうでしょうね……」
 リーチは出来るだけ利一として言葉を選んで言っていたが、やや口調がきつくなるのは仕方がなかった。
『な、……何のことを言ってるんだよリーチ……ね、何を言ってるの?』
『ごめんトシ……俺、ずうっと昔に気が付いてたことがあった。でもお前に言えなかったんだ……』
『何……』
「私は……」
 緒方が小さな声で言った。
「トシを好きだったんだ……」
『……う……嘘だっ!』
 トシは思わず叫んでいた。
「酷いことを言って……済まなかった……」
 緒方はそう言ってきびすを返した。去っていく緒方をトシは複雑な気持ちで見送った。
『リーチ……』
「俺だって……すぐに気が付いた訳じゃないんだ……。緒方さんが転校してから……もしかしてそうだったのかなって……でも、それが本当のそうなのかはっきり分からなかったから、お前に言えなかったんだ……」
『……僕……』
「だからお前は何も悪くないんだ。悪くなんかなかったんだよ」
 リーチは椅子に座って小さな声でそう言った。暫くの沈黙の後トシが言った。
『僕も……嫌いじゃなかったよ……』
 その言葉にリーチは何も言えなかった。
「トシ、部屋にいないと思ったらこんな所にいたのか」
 幾浦が足早にやってきた。
「……」
 見上げるように幾浦に顔を上げたリーチは小さなため息を付いた。
「どうした?事件で戻らないと駄目になったのか?」
「別に……」
 それだけ言ってリーチは床に視線を戻した。何時になったらこの男は二人の区別がつくのだろうか?
 いやもちろん、簡単に見分けられるのも困るのだが……
『リーチ……交代するよ……恭眞には内緒だよ……』
『ああ。でも、お前大丈夫か?』
『うん……』
 疲れたようなトシの声であった。
『じゃ、俺スリープするよ……』
『ごめんね……リーチ……』
『気にするなよ……』
 心配そうにしている幾浦に「ちょっと話したいことがあるんだ……」と言った。

 チェックアウトまでまだ随分時間があったため、二人は部屋に戻った。いつの間にか布団を片づけられた部屋は広々とした感じがした。
 トシは幾浦に座布団を勧めると、自分も座布団に座った。
「トシ?」
「恭眞……僕が席を外してから……緒方さんと何話してたの?」
「何も話していないぞ。何故そんなことを聞くんだ?」
「緒方さんが……恭眞と色々話したって言ったから……」
「なんだ、あいつと会ったのか?」
「さっきロビーで……会ったんだ」
「それで?」
 幾浦はトシの側に寄ってそう聞いた。
「聞いてるの僕だよ……」
「そうだったな……」
「何話してたの?」
「先ほどから言っている。私は何も話していない」
 幾浦はきっぱりとそう言った。
「恭眞……」
 泣きそうな表情でトシは幾浦を見た。
「僕が……緒方さんのことを話せないって言ったから恭眞もそう言うの?」
「違う。私はあの男とは何も話していないから、そう言っているんだ。それに話したいとも思わなかったからな」
「じゃ、緒方さんが嘘言ったって言うの?」
「……トシ……お前は私のことを全く信じてないようだな。それなのに緒方の言葉は信じるのか?」
 意外に穏やかに幾浦は言った。
「……僕……緒方さんに言われたんだ……」
「何を?」
「恭眞が言っていたとおり……緒方さんは僕のこと……」
「好きだとでも言われたのか……」
 そう言うとトシは小さく頷いた。
「……どうして……あの時言ってくれなかったんだろう……」
 トシはすがるような目で幾浦を見た。
「トシ、お前は昔あの緒方と言う男と何があったのか私には話せないといったな。それが分からない私に聞かれても答えようがないぞ……」
「……そうだよね……ごめん……」
 じっと畳み目を見てトシは言った。
「なぁトシ、これだけ色々あってまだ私に話してはくれないのか?」
 何処か遠くを見ながら幾浦は言った。
「……」
 トシの無言の答えに幾浦はため息を付いた。
「帰ろうか……トシ……。私といるのも今辛いんだろう?一人になりたいんだろう?ならもう帰ろう……これ以上一緒にいてもお互い辛いだけだ……」
「きょ……」
 幾浦は立ち上がって扉の方に向かった。
「車を取ってくる」
 拒絶したような幾浦の背中にトシは何も言えなかった。
 精算を済ませ車に乗り込んだが、幾浦は口をつぐんだままであった。トシもそんな幾浦に何を話して良いか分からなかった。
 その沈黙を破ったのは幾浦であった。
「お腹が空いているのではないか?朝食も取り損ねているだろう」
「えっ……あ、大丈夫だよ」
「ほら」
 幾浦は何時買ったのか、トシに紙袋を渡した。その中にはサンドイッチと缶ジュースが入っていた。
「恭眞……ありがとう」
 幾浦が気にかけてくれていることで、トシは嬉しくて涙が出そうになった。それなのに自分は一体何をしているのだろうと考えた。せっかくの旅行を台無しにしたのは他ならぬトシであったのだ。幾浦もきっと苛ついているに違いない。トシが何も話さないからだ。
 今言えば楽になるのだろうが、なかなか言い出せないトシは、無言でサンドイッチを頬張りジュースで胃に流し込んだ。考えながらの所為か味が良く分からなかった。
 外の景色がどんどん変わっていく。瞳が追いつかずにじんと痛んできた。瞬きを何度かしながらも視線を外へと向けていた。
 一体緒方と何故再会したのだろう……トシはぼんやりとそう思った。偶然にしては出来過ぎているような気がしてきたのだ。
「……」
 会おうと思えば会えたのだ。同じ都内で働いており、いくらでも会えたのだ。今更昔のことを蒸し返すのは何となくしっくりこなかった。
 トシがそう考え出すと止まっていた脳の回転が高速で廻りだした。
 とりあえず一課だけのことを考えてみた。まず今極秘で捜査している件は無かった。次に事件で他の係が担当しているものでニュース性があるものを考えてみた。
 いくつか事件を思い出すうちにトシは顔色が変わった。
「……もしかして……」
「どうした?」
「え、あ……うん。ちょっと待って……」
 トシは言いながら携帯をかけた。
「もしもし……隠岐です」
 そんなトシの為に幾浦は車を道路から逸らせて路肩に止めた。
「篠原さん。申し訳ないですけど、今良いですか?」
「良いけど、どうしたんだよ」
「二係が担当していた件ってどの位進行してるんですか?」
 捜査一課で、強行犯捜査二係は特殊なのだ。部屋も他の係より一階下にあり、密告や投書による殺人事件の発掘や迷宮入りした難事件の継続捜査を行っている。
「え、あのややこしいやつだよな。うーん……詳しいことはちょっと分からないけど、結構詰めに入ってるみたいだぜ。昨日の晩、かなりあわただしかったからな」
「マスコミにはどの程度発表してました?」
「向こうが気が付いてないから、たしか発表はしてないよ。政治家も絡んでるし、二課とも調整しないといけないだろ。公安だってごちゃごちゃ言ってきてるみたいだし……」
「公安……私が聞いたところでは公安は入っていませんでしたが……」
「昨日の時点で向こうから連絡があったそうだ。それで又ややこしいみたいだ」
「……そうですか……」
「興味出たの?それともなんか掴んだの?隠岐」
「いえ、別に興味も無いですし、ネタもないのです。ちょっと気になって……3係が応援に入るのかなって……」
「いや、それはないと思うぜ、お前が休んだ日に一件殺人事件が有ったから、そっちに廻ってるしさ。高田馬場の方の捜査本部に何人か行ってるし」
「あの……本当に私帰らなくて良いですか?」
「明日出て来るんだろ。よっぽどせっぱ詰まったら係長から連絡行くと思うけど、いまのとこそう言うつもりは無いみたい。楽しんでりゃいいんだよ」
「済みません……ありがとうございました」
 そう言って電話を切った。
「トシ?」
「そうなら酷いな……ホント……」
 幾浦はトシを覗き込むように体勢を変えた。
「恭眞……聞いて欲しいことがあるんだ……出来たら……ゆっくり話せるところがいい……」
「昼には都内に入るだろうから、私の家に寄るか?」
 笑みを浮かべ、幾浦は言った。
「うん……ごめんね……」
「私の恋人は、気を使うなと何度言ったら分かるんだろうな」
 笑みのまま幾浦は車を車道に戻して走らせた。
 トシは色々ありすぎて、かなり疲れている自分に気が付いた。その為睡魔が襲ってきた。
 人が運転している横で眠るのは失礼だと考えるトシは必死にその睡魔を払いのけようとしたがうつらとするのはどうにもならなかった。
「トシ……着くまで眠るといい……」
「大丈夫だよ……」
 その返事は頼りなかった。
「良いから……」
 そう言って幾浦はトシの頭を撫でた。それが気持ちよかったのか、トシはいつの間にか眠りについた。

 トシが目を覚ますと既に車はマンションの駐車場に入っていた。
「もう着いたんだ……あっ……寝ちゃったんだ」
 目を擦りながらトシはそう言った。
「なかなか可愛い寝顔だったぞ」
 すると後ろからワンという声がした。
「アル、随分独りぼっちにしてごめんね。今度はお前も行けるところを考えるから……」
 トシは振り向きながらそう言うと、アルは後ろから身を乗り出してトシの鼻面を舐めた。
「ペットホテルと、スーパーにに寄ったことも気が付かなかったのか」
 笑いながら幾浦は言った。その間にアルは助手席に座っているトシの所まで身体を寄せていた。
「スーパーにも寄ったんだ……」
 驚いた顔でトシは言った。
「少し買い物をしておかないと冷蔵庫になにも無かったからな。昼抜きで、しかも今晩飢え死にしたくないだろう?」
 その会話の間に入ったアルは、必死に自分の方に感心を引きつけようとトシの頬や鼻をなめまわしていた。
「そ、そうだね……と、アルってば……狭いんだから駄目だって……ほら外に出よう」
 そう言ってトシは車から降りた。アルは嬉しそうにその側にぴったりくっついていた。
「眠っているお前にちょっかいを出したそうにしていたんだが、アルも気を使ったのか後ろで大人しくしていたんだ」
「アルは本当に賢いね」
 トシはそう言ってアルの額を撫でた。アルは「もちろん」という顔をした。
「さ、部屋に戻って少しくつろごうか」
「うん」
 二人と一匹は仲良くエレベータに乗り十階まで上がると、幾浦の自宅へと入った。トシはその瞬間、慣れた部屋の空気を吸って安堵した。
「なんだか僕ごろごろしたいよ……」
 そう言って十二畳あるリビングの床に敷き詰めてあるカーペットに転がった。そこへアルが同じようにゴロンと身体を横にした。
「アルもやっぱり家がいいんだ」
 くすくす笑いながらトシは言った。アルはその言葉にワワンと鳴いた。その通りだと言わんばかりであった。
「お前達はなんだか似たもの同士だな……」
 あきれた風に幾浦は言った。アルはそんな幾浦に今度はタックルをした。
「おいアル……止めなさい……こら」
 アルは尻尾をぐるぐると勢い良く振りながら幾浦の顔中をなめまわした。嬉しくて仕方がないのだろう。
「甘えただな……全く……」
 嫌な顔一つせず、幾浦はアルの背中や首を撫でてやった。アルはふんふんと鼻をならしながらそんな主人の仕草に満足しているように目を細めていた。
「何か飲み物でも持ってくるか……」
 幾浦がそう言って立ち上がろうとするのをトシは手を引っ張って止めた。
「待って……」
「どうした?」
「今を逃したら……僕きっと話せなくなるから……聞いて欲しいんだ……」
 幾浦は何も言わずにトシの横に腰を下ろした。アルはそんな幾浦の膝に頭を乗せて目を閉じた。
「僕とリーチは小学生から利一を演じてきたんだ。そうしなければ生きていけないことが分かってたから……。だから本当の僕たちを知っているのはリーチで僕だけだった。仲のいい友人も利一しかしらない。どんなに仲良くなっても僕たちのことは誰にも話せなかった。それが罪悪感としてずっとある。いつも本当の自分を誰かに知って貰いたいって思ってた。自分を偽らなくても良い相手が本当に欲しかった。一人で良いんだ。一人で良いから嘘をつかなくても良い友達が欲しかった」
 一息ついて幾浦を見ると真剣にトシの告白に耳を傾けていた。安心したトシは先を続けた。
「緒方さんと会ったのは僕が高校の時なんだ……。一つ上の先輩だった。色々しんどい時期だった。気分を変えたく思って学校裏にある小さな広場に行くことにしたんだ。周りに木が沢山生えてたから結構穴場的な広場で、いつも静かだったから僕いつも疲れたりするとそこに行ってぼんやりしてた。秘密の場所ってリーチと呼んでた。ある日そこでノートを広げて勉強してたら緒方さんが来たんだ。あんまり話したことのない剣道部の先輩だったから、どうしようかなって思案してたら、緒方さんは僕を覚えていたみたいで、やあって声を掛けてくれたんだ。それから毎日のように会うようになったんだ。緒方さんの学年の校舎が離れていた所為で僕は僕として緒方さんに接することが出来た。初めて僕を見せることが出来た相手だったんだ」
「リーチはそれを止めたりしなかったのか?」
「うん。ま、トシが利一の性格だってことにすればって言って緒方さんだけは認めてくれた。ただ、僕たちの秘密は話せなかったし、話すつもりも無かったけど……。本当に嬉しかったんだ……。でも僕は有頂天になりすぎたんだ。毎日あって色々話したり相談したり……緒方さんはどんな話にも耳を傾けてくれたし、真剣に相談に乗ってくれたんだ。だから何でも話したし、緒方さんの事……大好きだったよ……」
「それでどうして今、お前は避けているんだ?」
「ある日、クラスの女の子が僕と緒方さんの仲が良いのを知って、手紙を渡して欲しいって頼まれたんだ。利一としても断れなかったから、それを持って、いつものように緒方さんに会った。そして手紙を渡したんだ……そうしたら急に緒方さんが怒りだしたんだ……。僕は……」
 喉が詰まって息苦しさをトシは感じた。自分の声が掠れるように聞こえた。
「何を怒っているのか全然分からなくて、一生懸命謝ったんだ。それでも緒方さんは怒ったまま理由を言ってくれなかった。暫くして緒方さんが言ったのは……何でもかんでも相談すると嫌われるよって……トシは気を使わなすぎるって言われたんだ。僕、ショックで倒れそうになったんだ。緒方さんに言われても自分が悪いことをしたなんて意識が無かったから……人が傷ついているのにその理由も分からない鈍感な人間だって初めて知ったんだ」
「トシ……」
「もう少し聞いてて……。そのとき本当の僕……トシという人間が、他人にどんな風に見えるか初めて分かったんだ。他人が不快だと思うことも気が付かない、馴れ馴れしい奴だって知った。それから緒方さんとは会えなくなったんだ。怖かったから……。きっと緒方さんは優しいから許してくれるって分かってた。だから会えなかった。緒方さんに許して貰って又いつも通りに緒方さんと接してたら、きっと又傷つけてしまう……そう思った。トシはそんな人間なんだって自分に言い聞かせて……緒方さんから逃げたんだ……。リーチはそんなこと無いって慰めてくれたけど…リーチは優しいし、僕と喧嘩になってもお互い離れること出来ないからホントのこと言えなかったんだって思った。そうしているうちに緒方さんは転校していったんだ……。一番大切な友人だったのに、さよならも言えなかった……」
 当時のことを思い出してトシの瞳は潤んだ。そんなトシの肩をそっと掴んで幾浦は自分に引き寄せた。
「絶望したんだ……自分に……。だから……僕は……生きている価値なんて無いって思った。一生僕を……本当の僕を隠していかなきゃいけないって考えると、呆然としたんだ……。初めて……死にたいと思った……」
 我慢していた涙がトシの頬を伝った。
「……リーチのことも考えずに……僕は自殺しようとしたんだ」
 幾浦の方を見てトシは言った。その表情は泣き笑いであった。そんなトシを幾浦は引き寄せた。
「トシ……」
「死ねたと思ったら僕助かったんだ……後でリーチに滅茶苦茶怒られて……リーチも道連れになることをやっと思い出した……。それからは死のうとは思わなくなったよ。それでも自分に自信が持てなくて……働けるようになってからやっと自分に少しだけ自信が持てるようになったんだ……。僕は生きていても価値なんか無いと思ってた。でも刑事になってリーチとお互い出来ることを分けて担当して……僕が出来ることと、リーチが出来ること二人で解決できたとき……やっと生きていて良かったって思った。自分は誰かのために何かが出来るって……生きる理由が見つかったって……でも……」
「でも?」
「僕は……恭眞にあって又怖くなったんだ……恭眞に嫌われたらって……昔みたいに嫌われたらって……毎日怖くて……僕は……僕は……」
「トシ……大丈夫だ……安心しろ……私は今のお前で充分なんだ。飾る必要も無い。気を使うこともしなくて良い。ありのままのお前でいてくれたらいいんだ」
「恭眞……ホント……ホントに信じて良い?僕は……僕は……」
「それにな、緒方が言ったんだろう?お前が好きだから怒ったんだと……お前の性格じゃなくてそれが原因だったと……」
「……うん。でもそれに気が付かなかった僕は何て鈍感なんだって……。誤解して自殺までした僕って何て馬鹿なんだろうって……」
 ムッとした幾浦はトシを担ぎ上げた。
「恭眞!」
「気付かなくて良かったんだ。そんなところで両思いになられたらお前達は絶対分かれたりしないだろうからな。トシの性格からもそれは分かる。だから気付かなくて良かったんだ!」
「……そ、そうなの?」
「当たり前だ。トシは私のものなのだから言う権利はあるぞ、今頃奴が後悔したところで時間はもどらんのだからな。それに好きなら好きと言うのが男だろう。そう言う感情に鈍感なお前が気付くまでなど待てないから……」
 といって幾浦は言葉を濁した。
「恭眞……」
 トシはやっと笑みを浮かべることができた。
「自分を偽ることはとても苦しいだろう……私も出来るなら何とかしてやりたいが、こればかりは力になってやれない……だが、本当のお前は私が知っている。名執もお前を知っている。当然リーチもだ。それは満足できる人数ではないだろうが、友達が沢山いたところで心を許せる相手などそれほど多くないぞ。お前達のように仮面を被っている人間は沢山いる。私とて会社での顔とお前に見せる顔は違う。だから違う自分を演じるのはお前達だけじゃないんだ。少し違うのはお前達は二人で一人を演じていることだけだ」
「ありがとう……」
 トシはそう言ったのだが、あることが心に引っかかっており、心から笑い顔を作ることが出来なかった。そんなトシに敏感に気が付いた幾浦が言った。
「どうした?」
「ただ、僕……気が付いたことがあって……」
「なんだ?」
「ね、恭眞。どうして緒方さんと会ったと思う?だって僕は代休だし、恭眞は有給休暇を取ってくれたんだよ。だから今回の旅行は平日の旅行なんだ。それなのにどうして会ったのか気になるんだ……。緒方さんは僕が何処に働いていたか知ってたって言ってた。会おうと思えば何時だって会えたんだ……なのにどうして今頃会ったのか不思議で仕方ないんだ……偶然にしたら変だと思わない?」
「……確かに偶然にしたら奇跡的だな……」
「それで僕、今事件で特ダネになりそうな事件が無いか考えてみたんだ」
 じっと床を見ながらトシは言った。
「あるのか?」
「……うん。内容は僕も係が違うし詳しいことは分からない。それに恭眞でも話せないんだ。だから聞かれても答えられないんだけど、もしそのネタが新聞社にばれたら大変な事になるんだ……本当にトップニュースになるほどのものなんだ。もしかして……その事を知りたいから僕に近づいたのかなって……もしそうなら、なんだか悲しくて……」
「そう言うことを考えるな」
「……」
「そんな事を仄めかすような質問をされたわけではないのだろう?」
「うん……」
「昔は良い先輩だったのだからそういう思い出だけ大事にしておれば良いんだ」
「そうだよね……そう考える方が良いよね……」
 ちょっと気分が楽になったトシは、ようやく笑みを浮かべることが出来た。
「まあ、私にとっては良い先輩だったという思い出すら嬉しくとも何ともないがな。相手は私の知らないトシを知っている。それだけで充分こっちは気分が悪い」
 ムッとした顔で幾浦は言った。
「恭眞……」
 トシは思わず吹き出した。
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