Angel Sugar

「過去の問題、僕の絶叫」 第7章

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「トシ……」
 どうして緒方さんが……
 でもただ道を聞かれただけかもしれないし……
「ト~シっ!」
「ワンッ」
「あ、え、何……」
 ソファーに腰を落としてクッションを抱きかかえながら、トシが顔を上げると幾浦とアルがこちらをじーっと見ていた。
「何ってな。さっきからずっと呼んでいるのにお前がぼーっとしていたんだろう……」
 幾浦が困ったように言うと、アルもクウンと鼻を鳴らした。
「そう、そうなんだ……御免……」
 アルを抱き寄せてトシは笑った。
 幾浦の家に帰ってきてからずっとトシは緒方のことを考えていたのだ。
 今日会った事だって偶然にしたらすごい偶然だよな……
 あまりにも重なる偶然は偶然じゃないぞ……
 リーチはスリープする前にふとそんなことを言っていた。
 偶然じゃない……の?
「ほらまただ……どうした?何か心配事でもあるのか?」
 幾浦はトシの隣に座り、肩に手を廻してきた。
「リーチがね……」
「リーチが?……なんだ?」
「重なる偶然は偶然じゃないって言うんだけど、恭眞はどう思う?」
 理由を言えずにトシはそれだけを幾浦に言った。
「偶然じゃないだろうな……。それは緒方とのことを言っているのか?」
 ど、どうして分かるんだろ……
「え、あ。う~ん……」
 トシが言葉を濁すと幾浦はじいっとこちらを見つめて暫くすると言った。
「やっぱり友達としても駄目だと言いたいな……」
 廻してきていた手にキュッと力が入る。
「……は?」
「緒方は……お前との事を最初からやり直すつもりなんじゃないか?」
「まさかっ……」
 あまりの発想にトシはそう言って笑った。が、幾浦の方は真剣そのものの表情を崩さなかった。
「やり直してみたいと思うか?」
「友達として僕はやり直したいとは思う……。緒方さんも……多分そのつもりだと思うし……」
 誤解し、決別してしまう以前は、とても楽しい日々を過ごした。あれはとても綺麗な思い出だ。それを取り戻したいとトシは何故か無性に思うのだ。
 もう一人くらい自分を知ってくれる人が居ても良いのではないか?
 そんな事をトシは考えていた。もちろんリーチに言えば許可してくれないのは分かっている為、その話はしていない。
 今の利一の友達……そいうい付き合いでしかリーチは許してくれないだろう。
 過去あった誤解は解け、自分に起こった苦い思い出は、一気に忘れられない思い出となった。
 楽しかった学生時代。トシがトシで居ることを許された最初の人。
 誤解が解けた今、緒方がいたからあの二人の時間が楽しかったのだとようやく気が付いたのだ。
 今まで思い出すのが辛かった過去の時間が、今では躊躇することなく思い出せる時間となった。
 過去は過去、決別してしまってから今までの時間を埋めることは出来ない。それは分かっている。
 だが……
「トシ……」
「僕は……緒方さんにあこがれてたよ……。みんなに好かれて……明るくて……いつだって僕に優しくしてくれてた……。思い出すのが怖くて……今まで思い出すことをしなかったから……忘れてたけど……。本当にいい人なんだ……。それなのに僕は緒方さんの気持ちなんか考えずに……自分で勝手に思いこんだことで死のうなんて思って……。その事すら今まで緒方さんの所為にしてきた……。僕は酷い奴だよね……」
 幾浦にもたれかかりながらトシは独り言のように言った。
 学校裏の小さな空間で……
 いつも二人でささやかな時間を過ごしていた……
 お弁当を二人で分け合ったり、テストの山を張り合ったり……
 分からないところを教えてくれたり……
 一緒にただぼんやりと雲を眺めていた……
 たったそれだけの事だった……
 それでもいつも緒方の視線は自分を見ていた。今だから分かるのだ。二人でいつも居たからそれが分からなかった。
 あの時何も気が付かなかったが、緒方の告白を受けて、思い返すと分かることが沢山あったのだ。
 僕は僕であった……
 嘘の利一でなく……
 本当の僕だった……
 初めて僕を受け入れてくれた人だった……
 生まれて初めて……
 本当の僕自身を好きになってくれた人……
「トシ……もういい……」
 幾浦はそう言ってこちらに回している手に力を入れた。
「僕も……」
 あの時……
 告白されていたらどうなっていたのだろう……
 僕は……とまどいながらも……
 受け入れていたような気がする……
 だけどもう僕には恭眞が居る……
 一番好きなのも……
 一番大切なのも……
 今隣に座って肩を抱き寄せてくれるこの手を持つ男だ……
 だから……友達で居たい。
 あの綺麗な思い出をいつだって思い出せるように……
 自分自身に自信を持つためにも必要な思い出だから……
 自分を必要だと思ってくれた人の思い出を綺麗なまま持っていたい……
 なのに……  
 緒方は友達としてやり直したいと思っているのか、それとも別の理由があるのかその真意はまだ分からない。
 もし最悪の事態になったら僕はどうしたら良いんだろう……
 今持っている仕事はとても微妙な位置に居るのだ。各担当係の情報が一手に集まるような位置にいる。それを欲しいと思って近づいているのなら、あまりにも辛い結果が待っているのだ。
 緒方は最初再会したときに社会部に異動したいと言っていたのだ。事件などを扱う部署だ。スクープでも上げられたらきっと移動できるだろう。
 そして今トシはそのスクープの情報を提供できる位置にいる。
 違う……
 そんな人じゃない……
 疑ったら駄目だ……
 緒方の扱ったルポはとても優しさに満ちていた。それを書いた緒方を信じたいのだが、一度心に根を下ろした疑惑はなかなか心から去ってくれないのだ。
「僕も……緒方さんが好きだった……多分……あの時……告白されていたら……今どうなっていたか……分からない……」
 自分の思ったことを否定するように、トシはそう言った。幾浦は何も言わなかった。



「珍しいですね……どうされました?」
 突然訊ねてきた幾浦に名執がそう言うのも無理はなかった。
「時間……いいか?」
 どうしようか迷ったのだが、幾浦は名執の勤める警察病院にやってきていたのだ。何かを相談する場合、状況を分かっている名執にしか話せないのだ。
「ええ……そうですね……三十分ほどなら時間がとれますが……」
 ちらりと時計を眺めて名執は言った。
 机の上には沢山のカルテが置かれ、専門書も幾つも置かれている。そんな机から名執は移動し、部屋に置かれているこぢんまりした応接セットに座るよう幾浦に言った。
「すまない……」
 幾浦は名執に促されるままソファーに腰を下ろした。
「楽しかった旅行の話しを私に聞かせるつもりで来たようではないようですね」
 言いながら名執が向かいのソファーに座る姿も絵になっている。ゆるりとしたその名執の立ち居振る舞いにすら、恋愛感情など無くても目が行ってしまうのだ。
 本当にいつ見ても綺麗な男だ……
 あの誰よりも嫉妬深そうなリーチが、この名執に鎖を付けて閉じこめないのが不思議なくらいだと幾浦は思った。
 いや、そんな事ではなくて……
「トシがな……」
 言いづらいのだが、聞いてくれる相手も聞かせて良い相手も名執しか居ないのだ。ここまで来たのだから言うしかないと幾浦は口を開いた。
「トシさんがどうかされました?」
 不思議そうに名執はこちらを見つめる。
「緒方の話を……きちんとトシから聞いた。昔、自殺未遂をしたことも話してくれた。それもリーチから聞いて居るんだろう?」
「ええ……かいつまんでですが……」
 言って名執はうっすらと笑った。
「……それでな。その……自殺未遂での誤解は緒方と解けたようなんだ……どうせリーチから聞いてるだろう?」
 あの男のことだから話しているに違いないのだ。
「そうなのですか?」
 だが名執は驚いた顔でそう言った。
「リーチから聞いていないか?」
「いいえ……。リーチは何でもかんでも私に話したりしませんよ。多分貴方とトシさんの問題だということで話さなかったのだと思うのですが……。ですが……そうなのですか……誤解は解けたのですね……。良かったではありませんか……トシさんずいぶん悩まれていたようですし……」
「……そうか」
 なんだ、結構良いところがあるじゃないか……と幾浦は思った。普段が普段だけに、リーチは名執に何でも話して聞かせていると思っていたのだ。だがトシにしても余りリーチや名執の話をしない。もしかして二人でそんな約束事を決めているのかもしれない。
「……それで。どうされました?」
 ニッコリと笑って名執が言った。
「ああ、それでな。誤解が解けたのは私も良かったと思って居るんだ。それでトシが自分に自信を持てるのなら、とても良いことだと……。だが……緒方はトシにはっきり言ったんだよ……自分はトシが好きだったと……」
「……え?」
「それだけではなくて、今もその気持ちを持っているようなことを言ったようだ。それから……緒方の方がトシを追いかけ回しているようだ……」
 溜息を付いて幾浦は言った。
「……それはストーカーのご相談ですか?」
「違う違う、そうではなくて……トシもまんざらじゃないんだ……。友達としてやり直したい……そんな事を言っていた……」
 いやもっと爆弾発言をされたのだが……
「心配なのですね……」
 くすくすと名執は笑いながら言った。
「名執……笑い事じゃないんだが……」
「大丈夫ですよ。トシさんは幾浦さんに惚れてます」
 はっきりと名執は幾浦に言った。
「お前は緒方に会ったことがあるか?いや、見た事があるか?」
「いえ……それが?」
「私とよく似てる……。多分血の繋がっている弟の恭夜よりも似ている。どう思う?」
「まさか幾浦さん……トシさんが、緒方さんと貴方が似ているから、ご自分を選んだとでも思って居るんですか?」
 驚いたように名執は言った。 
「トシ自身は違うと否定していたがね……。私もそれを信じては居るんだが……最近は少し自信が無い……。トシは……この間私に緒方を好きだったと言ったよ。過去形でもあまり聞きたくは無い台詞だと思わないか?」
 あの時本当に幾浦は背筋が凍るかと思ったのだ。
「幾浦さんだから安心してトシさんも言ったのだと思いますが……。過去、例えそうであっても、今は幾浦さんだけをきちんとトシさんは見られてますよ……」
「私はね……不安なんだよ……名執……。トシは最近緒方と頻繁に会っているようだ。聞くと言葉を濁すから、最近は聞かないようにはして居るんだがね……」
「え……」
「トシは全てをやり直したいと思っているのだろうか……そんな事も考える」
「大丈夫ですよ……トシさんは自分を自分としてみてくれる人をお友達に一人欲しいだけですよ。彼らは特殊ですから、そういう欲求があってもおかしくありませんし、私たちがそれを止めることも出来ないでしょうね……。ただリーチはいい顔をしないとは思いますが……」
「リーチが?」
「リーチが緒方さんとそう言う付き合いを認めるとは思わないのです。恋人としてという意味ではなくて、友達だからと言って本当の自分を相手に見せる事に余りいい顔をしないのですよ……。特にトシさんは、普段はそう言うことは無いのですが、プライベートになるとその辺りの守りが甘いですから、リーチがいつもぶつぶつ言ってますよ……」
「……そうなのか……」
「過去あった二人のこと……それが現在に迄持ち越されて幾浦さんは怖いですか?」
 意味ありげに名執は言った。
「……怖いな……。特にトシは緒方に思い入れがあった分、これからどうなるかが怖い……」
 トシがもし、緒方のことを好きになったとしたらどうなる?
 そんな事ばかり最近考えるのだ。緒方の書いたルポや記事を読み、それが益々強くなった。
 緒方は自分にない優しさを持っているのだ。それは書かれた文章からも滲み出ている。あの様な優しさを自分は持っていない。
 不器用な自分にはそれが脅威として感じらるのだ。 
「……リーチには……過去とても愛した女性が居たのをご存じですか?」
 突然名執はそう言った。
「え……」
 幾浦はその名執の言葉に顔を上げると、やや寂しげな瞳をこちらに向けていた。
「その事をリーチは私に何も話してはくれませんが……、彼の人生や生き方を左右するほどのお相手だったそうです……」
「それは……」
 聞いたことは無かった。
「その方はもうこの世にはいらっしゃらないのですが……。今もリーチはその方のことを……多分……。生きていらしたら今、彼は私の側に居てくれなかったと思います……。実際……こんな事を医者が思うのは許されないことなのでしょうが……私はその方が亡くなっていることを幸運に思っているんです……駄目ですね……本当に……今のは忘れてください……」
「名執……」
「ただ……もし、生きていらしたとして……もし……もしもそれでもリーチが私を選んでくれたのなら……そんな無理なことを時々考えてしまいます……。綺麗な思い出はいつまでも綺麗なんです……私がそこに入り込むことをリーチは許してくれない……。でも幾浦さんはトシさんに許されてるんです……。その違いを分かって下さいますか?」
 泣いてしまうのではないかという表情で名執は言った。
 こちらから見ていると本当に何も問題なくつき合っていると思っていたのだが、名執は名執で色々あるのだ。
 トシが辛い過去を話してくれたのは、そこに入り込むことを許してくれたからなのだ。あの時のトシの告白は聞いていても辛いほど、トシは苦しみながら話してくれた。
 そんなトシを疑うことは恋人失格だろう。
「済まない……辛いことを話させてしまった……」
 幾浦がそう言うと名執は首を左右に振った。
「……いつか話してくれると信じていますから……」
 そう言って名執は笑みを浮かべた。
「そうだ名執……私とトシの場合最悪だったぞ……」
「最悪……ですか?」
「トシに告白する前に……実は、何となくつき合っていた女性がいてね。私自身はつき合っていると言う気持ちは無かったのだが……そのなんだ……時々お互い暇なときに会っているという位の気持ちだな……。女性の方は真剣だったらしいんだが……それは知らなかった。それで、トシとつき合いたいために精算しようとしているところを……トシに目撃されたんだ」
 苦笑いしながら幾浦は言った。
「……目撃?ですか?」
「どうもリーチも見ていたんだが……まああの二人はいつも一緒だから仕方ないのだが……。それで、私が女性に対して酷いことを言っているところも、女性に思いっきりひっぱたかれたのも見られた。最悪だろう……」
 そう言うと名執はプッと吹き出した。
「情けない所を見られて、その上最低な男と見られた。まだつき合う前の話だ。あれを見られた私は、駄目だもう終わりだ……と本気で思った」
 幾浦は名執につられて笑いが漏れた。
「それで良くトシさんとおつきあいできたのですね。トシさんそう言う事に対してとても真面目な部分がありますので……。嫌な男と思われた場合、撤回するのが難しいでしょう……」
「そうだな……嫌われているのが分かっていながら、かなり強引に事を進めた。まあ……向こうも少しは好きだという気持ちを持っていてくれたのが救いだったんだが……」
 ごほんと一つ咳払いして幾浦は言った。
「それでだ、私はリーチの過去などしらんが……あの男の本性は知っている。リーチはお前のためなら何だってする様な男だぞ。それだけちゃんとお前を愛している。それは分かっているな?名執がその亡くなった女性を気にしているようだが、リーチが何も言わないのは私のように嫌な自分を隠したいと思っているからだと思うぞ。誰だって好きな相手には良いところだけを見て貰いたいと思うものだからな……ばれた私は最悪だが、実際は隠しておきたかった」
 そう言うと名執はこくりと頷いた。
「変だな……相談に来たのは私のつもりだったんだが……」
 頭をかきながら幾浦は言うと、また名執がくすくすと笑いだした。
「そうでしたね。済みません……ところでトシさんの事ですが、心配することは無いと思いますよ。それだけ最悪の所を目撃したにも関わらず、今トシさんが幾浦さんの側に居ることを考えても、緒方さん……ですね、その方に今更どうこうとは思えないのです……。なにより、彼らのプライベートはそれほど一般の人より多くありません。その時間を費やすというのは何か事情があるのではありませんか?思い当たる節はありませんか?」
「……え」
 そう言えば……

「ね、恭眞。どうして緒方さんと会ったと思う?だって僕は代休だし、恭眞は有給休暇を取ってくれたんだよ。だから今回の旅行は平日の旅行なんだ。それなのにどうして会ったのか気になるんだ……。緒方さんは僕が何処に働いていたか知ってたって言ってた。会おうと思えば何時だって会えたんだ……なのにどうして今頃会ったのか不思議で仕方ないんだ……偶然にしたら変だと思わない?」

 と、トシは言っていた……

「それで僕、今事件で特ダネになりそうな事件が無いか考えてみたんだ」

「内容は僕も係が違うし詳しいことは分からない。それに恭眞でも話せないんだ。だから聞かれても答えられないんだけど、もしそのネタが新聞社にばれたら大変な事になるんだ……本当にトップニュースになるほどのものなんだ。もしかして……その事を知りたいから僕に近づいたのかなって……もしそうなら、なんだか悲しくて……」

 とも言っていた……
 まさか……
 それが真実だとしたら、どうなる?

「どうされました?」
 急に黙り込んだ幾浦に名執は言った。
「あ、いや……ちょっと思い出したことがあってな……。名執……お前、今リーチ達が関わっている事件を聞いているか?」
「そんな話は絶対しませんよ……私からも聞きませんが……医者と同じように守秘義務があるのだと思っているので、聞かないのです」
 とんでもないという口調で名執は言った。
「当たり前だな……」
 確かにトシも事件の内容は言わなかった。
 一体どういう事件に関わっているんだ?
 それにどう緒方が絡んでいるのだろう?
 トシはそれを確かめたいのか?
 確かめてどうするんだ?
 自分で又傷つくことにでもなったらどうする?
 幾浦はそう考えてゾッとした。
「なあ……名執……過去死にたいと思うような事があって自殺未遂までした男が、今になってようやく誤解が解けて、綺麗な思い出を取り戻したとしてだ……。その思い出が又壊れるような事になったら……過去と同じ事を繰り返したりはしないだろうか?」
「……トシさんのことですね……」
 名執がそう言うので幾浦は頷いた。
「過去のトシさんと現在のトシさんは生活環境も、過去から積み上げてきた人生の経験も違います。一概に同じ事を繰り返すとは思えませんね……。何より貴方がいる……」
 こちらをじっと見つめて名執は言った。
「大丈夫だと言いたいのか?」
「そう思います」
「信じて良いのだろうか……」
 不安は益々幾浦の心に膨らんでいくのだ。
 もしまた酷く傷ついたらどうなる?
 また死にたいなどとは考えないだろうか?

「……リーチのことも考えずに……僕は自殺しようとしたんだ」

 いつも一緒にいるリーチのことすら忘れて死のうとしたことがあるのだ。そうであるのに、その瞬間に、自分のことを考えてくれるのだろうかという不安が幾浦にはあるのだ。
「貴方という存在が無かったら、分かりませんが……、大丈夫ですよ。支えてくれる相手がいるなら、どんなことでも乗り越えることが出来ます」
 名執はきっぱりとそう言った。その口調は妙に真実みがあった。
「……私がトシにとってそんな立派な存在だと思うか?」
「ええ、もちろん。彼らの秘密を貴方が共有しているという事実は、充分自信を持てる理由になると思うのですけど……」
 フフッと笑って名執は言った。
「そうだな……」
 だが……出来るなら……
 自分が思ったことが現実にならなければいいのだが……
 幾浦はそう思って溜息を付いた。
 トシの笑顔が曇るような事は起こって欲しくないのだ。
「あ、済みません。そろそろ……」
 名執はそう言って立ち上がった。
「ああ、済まなかった。忙しいところ悪かった」
 幾浦も立ち上がり、名執にそう言った。
「幾浦さん……」
 こちらが扉の所まで来ると名執はそう後ろから声をかけた。振り返ると名執は笑顔で言った。
「大丈夫ですよ……」
 幾浦は名執という友人が居て本当に良かったと思った。

 公安の佐波に呼ばれたトシは、自分の三係の聞き込み最中であったが、仕方無しに警視庁へ戻った。
「あの……何でしょう……」
 トシがそう言うと、佐波は相変わらず、は虫類のような顔をし、こちらを睨め付けるような目を向けた。
「君は……緒方という男と高校が同じなんだね。それで交友がある」
 いきなりそう言われたのだが、昨日緒方と会ったところで、公安がちらついたのをリーチが目ざとく見つけていたので、驚くことはなかった。
 ただこんなに早く呼びつけられるとは思わなかったのだ。
「そうです。高校時代の先輩だったんですが……それが?」
「で、どうして君がその緒方という男の事を調べて居るんだ?」
 じいっと目を逸らさずに佐波は言った。
『トシちゃんばればれだよー……交替するぞ』
 リーチはそう言った。言い訳をするのが上手いのはリーチなのだ。
『うん。ごめん……』
「どのことをおっしゃっているのでしょうか?」
 リーチはそう言って佐波を見た。こういう場合視線を下手にそらせると嘘と思われる。逆に見過ぎても、嘘と思われる。適当に視線を外したり、戻したりが一番なのだ。
「緒方の母校である大学に色々と調べに行ったね……君が調べた後、うちの部下も行ったんだよ。偶然ね。それで君のことが分かった」
「ああ、その事ですね。緒方さんが以前、有働の秘書と話しているのを見たものですから、気になって……。友人に、一体あれはどういうことなんだと聞けなかったんですよ。妙な繋がりがあれば困るでしょう?刑事として調べさせていただきましたが……それが?」
「君は根っからの刑事なんだね……」
 ほほとまた妙な笑いを口から吐き出して佐波は満足そうに言った。
「いくら友人でも、もし事件に関わりがあるなら、私は刑事として行動します」
『リーチ……そんなぶっちゃけた話しをしてもいいの?』
『俺が止めろと言うのにお前がこそこそ動くからこうなるんだ。それに、この間有働の秘書と話していたのはこいつらだって知ってる。妙な作り話はできないね』
「それで、君はどういう結論を出したんだね?」
 何故か佐波はこちらの腰の辺りに視線がチラチラと行く。
『げろ……こいつやっぱ気持ち悪いわ……』
 リーチは止めてくれと言う口調で言った。
「あの有働の秘書は中村といって、私の友人と同じ大学だったのを確認しました。担任の話だと、仲の良い友人だと言ってましたので、ただの立ち話だったのだろうと思いましたが……」
「ほう……そんなに簡単に友人で君は納得したのかね?」
 目を嬉しそうに三日月にさせて佐波は言った。
「ええ。違うのですか?」
『こいつなんか掴んでるぞ……』
『え……何を?』
 トシは不安げにそう言った。
「有働の子供は二人居る。息子が一人、娘が一人それを頭においてだ、君のお友達は、高校三年の時に母親を事故で亡くし、その母親の親友であった、有働の長女がその身柄を引き取っている。この意味がわかるかね?」
「……では有働は義理の祖父になるんですか?」
 ここまで近い間柄だとは思わなかったのだ。何より姓が違うために、そんな風には考えなかった。
「そうだ。こんな時期に君に絡んでいるのも別の意味がありそうだとおもわないかね? それとも君は分かっていて、お友達しているなんてのは無いだろうねえ」
「まさか……そんな事知りませんでしたよ」
『リーチ……』
 トシが泣きそうな声を上げた。
『黙ってろ……』
「ではその友達から……君は逆に何かを探ろうとしているのかね?」
「もし、犯罪に荷担しているのであれば……そうせざる終えないでしょう。何より私も高校時代に別れてから、つい最近再会したのです。なら、この偶然も疑ってしかりでしょう……。それほど深い付き合いがあったわけではありませんので、向こうがその気で近づいてきたのなら、逆手に取るだけです……」
 そうリーチが淡々と言うと、佐波はふふふと笑った。
「君は絶対公安向きだよ……どうかね……真剣に考えてみないか?」
『死ね……は虫類目っ!』
 と、リーチは心の中で毒づいた。だがトシからは何も言葉は無かった。
「いえ、私は捜査一課に満足しています……」
「残念だよ……本当に残念だ……」
 そのときリーチの携帯が鳴った。
「あ、済みません……電源を切るのを忘れて……」
「いいんだよ……さあ、君は自分の仕事に戻ってくれていい……」
 非常に残念そうに佐波は言った。リーチは一礼をすると、その場を後にした。
『リーチ……僕……スクープ狙いの方が良かった……』
 廊下に出るとトシはぽつりとそう言った。
『俺が止めろと言うのにお前が動き回るからだ……』
『だって……気になって……どうしようもなかったんだもん……』
 トシは小さな声でそう言った。
『最近のお前の行動はな、どうしても緒方さんを悪者にしたいっていう感じだったぞ。で、ここにきて雲行きが怪しくなってきた。お前の思っていた通りじゃないが、どうも胡散臭くなりそうだ。それで……気は晴れたのか?』
『そんなんじゃないよ……』
『だったらどうしてそっとしておかない?お前が何も調べ回らなくても、回りが勝手に動いてくれる。この事件は適当にすればいいんだ。結果だけを俺達は知ればいい。なのにトシは……自分から緒方さんに接触してるだろう……そんな必要なんか無いのにだ。友達としてならいい。だけど、トシは疑ってばっかりだろ……。緒方さんはお前に何も聞かないのにだ。そりゃもちろん、緒方さんが事件のことを仄めかすような事を聞いてきたのならいざ知らず、あっちは本気でお前に会うのを楽しんでいたぞ。それなのに……』
『僕は……自分でもどうして良いか分からないんだ……』
 トシはぽつりとそう言った。
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