「過去の問題、僕の絶叫」 第8章
公安をあとにして廊下に出ると、先程なった携帯の履歴をリーチは確認した。
『三係からだ……なんだろうな……』
リーチはそう言って、すぐに捜査一課の三係に戻ると、篠原が待っていた。他には誰もいなかった。
「木島を殺した犯人が特定できたそうだ。家宅捜査にみんな出向いて行ってるけど、隠岐はどうする?」
意味ありげに篠原がそう言った。
「え、もちろん行きますよ。篠原さんは行かないんですか?」
リーチはそう言って出ようとしたが、篠原が動かないことに不審を抱き、立ち止まった。
「犯人誰か聞いたのか?」
「いえ、ここんところずっと公安に振り回されていましたので……嫌だな、それ篠原さんもご存じな筈ですよ」
リーチは言って笑った。
『なんか変だぞ……』
『うん』
「犯人はお前の友達だそうだ。緒方って言ったな……」
こちらから視線を外して篠原は言った。
「えっ?」
『ええっ?』
「だから、嫌なもん見るの嫌だろう?行かない方がいいだろうってさ。それに身内じゃないけど、お前それに近いだろう……だから係長が、どうするかは隠岐に決めさせろって……」
椅子に腰を下ろして篠原が言った。
「ちょっと待ってくださいよ。そんな話、私は聞いていませんが……」
「朝からバタバタしてたんだよ。その件でさ。お前は公安に行ってたし……緒方の名前が出てきたとこで、隠岐に情報が回らなかったんだよ」
キイッと椅子をならして篠原が溜息をついた。
「それは……私が彼を逃がすかもしれないということから、こちらに情報が来なかったのですか?」
リーチはジロッと篠原を睨んでそう言った。
「違うって。それを止めたのは公安の佐波管理官だよ。うちの係長に電話してきたんだ。隠岐と緒方は情報交換をしてるとかなんとかふざけたこと言ってたらしい。里中さんすんげー怒ってたけど、もしものことがあったら……ってことで田原管理官と決めたそうだよ」
「……」
『あんの~は虫類っ!良い根性してやがる!なあにが俺達は公安向きだよっ!くっそーむかつく!!』
リーチはそう怒鳴った。
『リーチ……そうなの?』
『何が?』
『リーチは誰かを殺した人って分かるよね……緒方さんも……』
言いにくそうにトシは言った。
『馬鹿っ!そんな奴なら最初からお前に言ってるよ。くだらねえこと言うなよ。俺がいくらこの件に乗り気じゃなくて、適当にしか関わらないつもりで居たとしても、緒方さんが誰かを殺って居たら速攻捕まえてたっての……!』
腹立たしげにリーチは言った。
「どうする?行くか?やめとくか?」
相変わらず篠原は椅子を左右に揺らしてキイキイと音を立てていた。
「誤認逮捕になっちゃいますよ……あの緒方さんと友人であるのは認めますが、彼は殺しなんかしてませんよ……」
リーチはそう篠原に言った。
「お前のその妙なカンも、今回は友達だって言うことで鈍ったんじゃないのか?それとも……」
「私を疑うつもりですか?情報を流したなんて……。いくら篠原さんでもそんなこと許せませんっ!」
言いながらリーチは篠原に冷たい視線を投げつけた。
「えっ!違うよっ!俺がそんな事思うわけ無いだろうっ!隠岐~そう興奮するなよ……俺は言われたようにお前に聞いて居るんだから……」
その時篠原の携帯がなった。
「わりい、ちょっと待ってくれよ……」
「……」
篠原が携帯で話している最中、リーチとトシは又話し出した。
『これじゃあ俺達の立場で、緒方さんが犯人じゃないって言っても誰も信じてくれそうにないな……』
リーチは溜息を付いてそう言った。
『でも……違うんでしょ?じゃあ、これで捕まえたら誤認逮捕じゃないかっ!それに緒方さんにそんな事出来る訳無いだろっ!』
トシはそう言った。
『お前……疑ってたんじゃないの?そりゃ殺人とまではいかなくても、なんだか変だと思ってただろ……』
『僕は……確かに疑ってたよ。余りにもタイミング良く、緒方さんが現れたから……だから変だって……だけど……』
「隠岐、家宅捜査に行った連中から連絡が入ったよ。血の付いたナイフが天井裏から見つかったってさ。これからすぐに鑑識で調べられると思うけどさ……隠していた場所からして、それが殺人に使われたかどうかは別にして、本人が後ろめたく思ってるからそんなところに隠したんだってこと分かるよな」
携帯を切った篠原はそう突然そう言った。では今の電話は、家宅捜査に行っている係の連中からだったのだ。
「分かってますよ。そんな事今更私に聞かせないでください。ところで、緒方さんは家に居たんですか?」
ムッとしながらリーチは言った。こんな風に疑われるのが腹立たしいのだ。
「行方不明だ。新聞社の方にも今日は出社してないってさ。鑑識がナイフを調べて木島の身体についた刺創と一致したら、逮捕状が出て緊配が敷かれるだろうさ」
ギギイ~と椅子と一緒に後ろに反り返って篠原は言った。
「で、篠原さんは私に緒方さんから連絡が入らないかどうか見張ってるって事ですか?」
目を細めてリーチがそう言うと、篠原が「ぎく」と言った。
「馬鹿馬鹿しい……私の携帯の番号を教えている訳無いでしょう……こっちは大抵仕事中なんですから……いくら友人でもそんな時にかけてこられると困るので教えていません」
「……別に俺、隠岐を疑ったりはしてないけどな……」
「どうせ公安の佐波管理官あたりがそうだと言ったんでしょ。ところで一体公安は何をしてるんですか?こんな普通の事件に関わる自体、変じゃないですか……。誰を本当は狙ってるんです?いい加減種明かしして貰っても良いんじゃないですか?」
「そんなのこっちに回ってくるわけ無いだろ……。公安が何をこそこそかぎ回ってるのかなんてな……。隠岐こそ、あっに行ったりしてるんだから何か気付いたこと無いのかよ……」
身体を起こして膝で両手を組んだ篠原がそう聞いてきた。
「知りませんよ。私はただの連絡役でこき使われているだけで……逆にこの事件から遠ざけようとしているのかもしれませんけど……」
溜息を付いてリーチは言った。
「お前が緒方って言う奴と友達だからじゃないのか?」
「あのですねえ、友達だからどうこうっていうのは止めてください。事件になったらそんな感情はこれっぽっちも入れるつもりはありません。緒方さんが本当に殺していたら、私は犯人として逮捕します。違うのなら、無実を証明して見せます。それだけです」
イライラとリーチは言った。どうも、友人というのがネックになっているようだ。それは篠原だけではないはずだ。
「で、お前のカンはどうなんだよ……」
じーっとこちらを向いて篠原は言った。
「殺してません」
殺していないのだからそう答えるしか無いのだ。リーチには自信があった。自分のカンを信じて生きてきたのだ。それはいつも自分を救ってくれた。一度感じたカンを疑ったことはリーチは未だかつて無い。
「言い切れるか?」
「もちろん」
「何にかける?」
「篠原さんの溜めている報告書をかけましょう」
ニッコリ笑ってリーチは言った。
「え~そりゃまずいよ……」
「何がまずいんですか……」
「それってもし、緒方が犯人じゃなかったら、お前の分を俺がかぶるってことだろ?お前今どのくらい未提出の報告書ためてるんだ?」
「十五件です」
何故か胸を張ってリーチは言った。
「そ、それは嫌だぞ。俺は五件しかためてないんだからな……」
手を左右に振って篠原は言った。
「篠原さんは殺したと思ってるんでしょ?なら私は自分のカンを信じて殺してないっていいます。ほら、賭成立です」
「……なあ隠岐……お前のそのカン……今まで外したことあるか?」
恐る恐る篠原は聞いてきた。
「無いですっ!」
きっぱりとリーチは言った。すると篠原が少し考え込んだあと又口を開いた。
「よし、緒方の無実を証明しようっ!賭の話は無しだっ!」
『うっわ~こいつ節操無いぞ……』
リーチは呆れたようにそう言った。
『どうでも良いけど……緒方さんどこいっちゃったんだろ……このままじゃ本当に殺人犯として逮捕されちゃうよ……』
トシは情けない声でそう言った。
その日の夕方、木島の身体についた刺創と緒方のうちで見つかったナイフの形状が一致し、係内だけの捜査会議が開かれた。事件の流れは一気に緒方を犯人として逮捕状を請求しようと言うことになったのだが、トシはそれに反対した。
「だが、それは隠岐君の友人であるために、そう思いたいだけではないのかね?」
係長の里中は、言いたくないであろうが、仕方無しにそう言ったという風な口調で聞いてきた。
「違います」
「理由は?」
「緒方には木島を殺す理由がありません」
「有働に頼まれたと言うことも考えられるだろう?なにより、有働はどうも木島に脅されていたようだ。それは二係が確認を取っている。何をどう脅されていたかはまだ分かっていないがな……。木島の銀行口座には毎月定期的に百万振り込まれていた。そんな木島を殺したいと思った有働が、緒方に依頼したと思わないか?緒方には恩があるからな……」
里中はそう言って溜息を付いた。
「緒方には恩があっても、身内にそんな事をさせると思われますか?」
「それなんだがね、調べたら今は養子先が代わっていたんだよ」
「え?」
「有働が、面倒を見ている飲食屋の夫婦に養子先が変えられていた。手続きもあったのかしらんが、緒方の勤務先の新聞社の方や、お前にはその事はまだ知らせていなかったようだがな……。それは木島が殺されたあとすぐ役所に申請されていたよ……」
何故その情報が自分に回ってこなかったのか?
やはり疑われていたのだろうか?
トシは苦いものを口内に感じた。
「どうして私にその情報が回ってこなかったのですか?」
「それは二係が確認した。うちじゃない。うちも殆ど蚊帳の外だったからだ」
困惑したような顔で里中は言った。
「……逮捕だけ三係と言うことですか?」
「花を持たせてやると言ってきたよ……」
「……もしこれが誤認逮捕になればうちがその責任を被ることになると思いませんか?私は……そんな気がして仕方ないんです……」
トシは漠然とそんな気がしていたのだ。
蚊帳の外に置かれた三係……周囲だけが何か不穏に動き回っている。何かが変なのだ。
「誤認逮捕か……そこにやはり戻るか……」
「ええ。田原管理官はなんとおっしゃって居るんでしょうか……?」
トシがそう言うと里中は組んでいた手を組み直した。
「私に任せるとおっしゃった」
「……私は三年前の殺人をはっきりさせてからがいいと思います。それに緒方の方ですが、こちらはまず任意の事情聴取で引っ張った方が無難だと……」
トシがそう言うと、篠原が「賛成」と弱々しく言った。
「もう少し証拠固めをするか……」
里中はようやくそう言った。
『どうするリーチ……?』
『少し時間を稼げたが、周囲の圧力もあってどうせ言ってる間に逮捕令状が取られると思うぞ……』
リーチはそう言った。
『なんか……変だよ……』
『変だな……確かに。さっさと緒方さんが出てきてくれたらいいんだけどな……』
溜息混じりにリーチが言った。
『……死んでないよね……』
『こればっかりは保証できないな……俺はやったかどうかは判断できるけど、先を見通すことはできねえんだ』
『……うん』
トシは力無くそう言った。
その日、一旦自宅に戻り、メールをチェックすると幾浦からと、問題の緒方から入っていた。トシは幾浦のことも気になっていたが、先に緒方から来たメールを開けた。
会えないか?
明日、新宿のサイドランドビル屋上の展望台で四時に待ってる。
「リーチ……どうする?」
『お前が決めろ。俺は三係に連絡したほうが良いと思うけどな……。外に二人俺達のことを見張ってる連中が居ることだし……』
疲れたようにリーチは言った。
「え、そうなの?」
そんな事気付かなかった。
『ほんっと、お前って人の気配わかんねえ奴だよな……何処の係かはしんねえ。見たこと無い顔だったから……』
今度は呆れたようにリーチは言った。
「……僕ははっきりさせたい……」
『んじゃ、仕方ないから……明日そこに行くか……』
「でも……見張りが付いてるんでしょ?」
『俺が巻く』
何を言ってるんだという風にリーチは言った。
「そ、そうなの……いいの?」
『いいのって……良いわけ無いだろうけどな……お前が会いたいっていうんなら仕方ないだろう。まあ、そこでとっつかまえて、連れ帰るのが条件だけどな』
リーチはきっぱりとそう言った。
「……捕まえるの?」
『任意の事情聴取だ』
「うん。分かった」
トシは納得して緒方にメールを返した。次に幾浦のメールを開けると、トシを心配する内容であった。
恭眞……
ごめんね……
もう少しだけ待ってよ……
トシは幾浦に「ありがとう、大丈夫だよ」と返信した。
『あのさあ、もっとこう、愛してる~とかどうしてかかねえんだよ?』
「……五月蠅いなあ……恥ずかしいだろそういうの……」
ブチブチとトシは言った。
『絶対、幾浦悩んでるぞ~誤解してるぞ~』
嬉しそうにリーチが言った。
「ほっといてよ。恭眞はこのくらいで誤解なんかしないよっ!」
と、自信は無かったがトシはそう言った。
「僕は……もし緒方さんが何かに巻き込まれているなら救ってあげたい。僕が貰った大切な思い出のお礼に……僕があそこで誤解したことのお詫びもあって……さ。絶対犯人になんかさせない……」
それが僕の出した結論なんだ……。
緒方さんは僕を利用しようとして近づいたんじゃない。
それを疑った僕の方が最低だった……
だったら、僕は緒方さんを救ってやらなくちゃならないんだ……
昔、自分が自分であるために、彼から貰った大切な思い出の為にも……
『お前がそういう気でいるなら俺はいくらでも協力してやるよ』
くすっと笑ったリーチはやはり頼りになる存在であった。
「ありがとう……リーチ……」
『きにすんな……あ、そのメールは削除しておいた方がいいぞ』
「え、あ、僕のパソコンはロックかかっているから大丈夫だよ。そんな多少心得がある奴が触っても開かないし、全部吹っ飛んじゃうことになるだけだからね」
くすくす笑いながらトシは言った。
『吹っ飛んだらどうするんだ?』
「あ、報告書……途中まで作ったのはバックアップとっとこ……」
トシはそう言ってフロッピーに保存すると、うちを後にした。
翌日の夕方、篠原と一緒に行動をしていたが、一休みしている喫茶店の裏口からリーチは走り出した。すると、こちらを監視していた男が当然のごとく追いかけてくるので、ビルの裏側に回り込み奥へと走った。
『リーチっ!まだ追いかけてくるよ』
「分かってる。この辺りは俺の庭みたいなものだから任せろっ!」
そう言って、突き当たりまでくると、ゴミ箱に昇り、塀を乗り越えて向こう側に降りた。そのままダッシュし、裏道を走る頃には追いかけてきていた男達の姿は無くなっていた。
「俺を捕まえようなんて百年早いんだっての」
ハハッと笑いながらリーチは表通りに向かい、そこでタクシーを拾うと、サイドランドビルへとタクシーを走らせた。その途中何度か携帯が鳴ったので、電源を切った。
『大丈夫かな……』
『携帯が?それとも緒方さんか?』
リーチは息を整えながらそう言った。
『どっちも……僕たちがこれで処分されたとしても文句は言わないけど、追っかけてきた人とか、篠原さんとか……何か処分されると悪いなあって……』
トシは申し訳なさそうに言った。
特に篠原に悪いのだ。彼は一応、緒方のことを犯人ではないと認めてくれたからだ。
『ばーか。ほっとけっての』
どうでもいいよ……と言う口調でリーチが言った。本当にお気楽な性格だ。トシもこんな風になりたいと本当に思う。だがもしこんな性格になったら幾浦が嫌がるような気もした。
『着いたぞ』
リーチはそう言って、運転手にお金を払うと車から降りた。
目の前にあるサイドランドビルは別名双子ビルを呼ばれている。それは施主が買った土地のど真ん中にある道路を買収できなかったために、同じ形のビルを二つ建て、それを繋ぐ通路を下の道路をまたぐように上で橋渡ししている為である。
通路は側面がガラス張りで、そこを歩くと下から覗かれそうで困るという苦情が出ているのだが、今のところビルのオーナーはそれを何とかしようとは思っていないらしい。逆に眺めがいいと、訪れる客からは好評だからだ。
そのビルにリーチは入ると、最上階にある展望台を目指すためにエレベーターに乗った。ここの最上階は屋上に展望台を設置しているのだ。そこは屋根が無くある程度の高さの柵が付けられ、風を感じながら下の景色を眺められるというのが売りであった。その為に何かあったときのために警備員も常駐している。
最上階手前の階に着くと、まず入り口でチケットを購入させられた。これはもう一つ上にある展望台に入るためのものだった。
『高い……千五百円もするぞ……経費で落ちるかな……』
うう……と唸りながらリーチはそんな事を言った。
『知らないよ……そんなの……』
トシはそう言って笑った。
『そろそろ交替するか?お前が話したいんだろう?』
『うん……ごめんね……』
そこでリーチとトシは交替した。
エスカレーターを上がり屋上に出ると、風が結構吹いていた。こちらのスーツがバタバタと風にさらわれそうなほどである。
何処に居るんだろう……
屋上はそれほど広くなく、円状に柵が作られ、等間隔に双眼鏡が設置されていた。人はそれほど多くなく夕日が柵の影を地面に長く伸ばしている。ここは五時までなので、あと一時間ほどしたら追い出されるはずだ。
キョロキョロとトシは周囲を見渡したが、緒方らしき人物は居なかった。
来られなかったのかな……
柵にもたれながらトシは夕日に照らされる眼下のビル群を眺めた。
駄目だったのかな……
信用されてないのかな……
僕は……刑事だし……
そんな事をトシが考えているとリーチが言った。
『おい、来たみたいだぞ……』
『えっ……』
トシがそう言って振り返ると、帽子を被り、サングラスをかけた緒方が立っていた。
「びっくりした……急に振り返るから……さすが刑事さんだ……」
言って緒方はサングラスを外して、ニッコリと笑った。
「緒方さん……」
「お友達一杯連れてくると思ったら……誰も連れてこなかったみたいだな……いいのかい?」
先程までトシがもたれていた柵に緒方がもたれてそう言った。
「私は緒方さんの友人として来ました」
「俺が……殺したんだよ……で、感想は?」
緒方は淡々とそう言った。
「貴方は殺してなんか居ません。私は人を殺した人間は見分けがつくんです。もし緒方さんが誰かを殺していたら……すぐに分かります」
トシはきっぱりとそう言った。
「随分……信頼されてるんだな……俺……」
くすくすと笑いながら緒方は言った。
「大事な友人です」
「友達ね……」
そう言って緒方は暫く沈黙した。
「緒方さん。貴方は今非常に困った立場に立たされて居るんです。任意で事情聴取を取りたいのですけれど……今から捜査本部に同行していただけませんか?」
トシが緒方の方を向いてそう言うと、緒方は下を向いて言った。
「俺がやったんだ……」
「緒方さん……誰を庇ってるんですか?有働ですか?恩を返そうと思って……」
「そんなんじゃない……」
小さく緒方はそう言った。
「じゃあ……」
「なあトシ……」
「はい……」
「一度で良いから……トシを抱きたいと言ったら……どうする?」
「え?」
いきなりの事でトシは何を言われたのか理解できなかった。
「……分かってるよ……あの旅行先で会った男がお前の彼氏だろ……何となく分かったよ……だからさ、これからもずっとなんて言わないから……最後の思い出に俺と……」
こちらに向いて緒方は真剣眼差しでそう言った。
「……済みません……それは出来ません」
トシが言うと緒方が笑った。
「そうだよな……うん。トシは真面目だから……あの頃とちっとも変わってない。ここしばらく会って、何とかそんな雰囲気に持っていきたかったけど、全然駄目だったしな……トシはあの時と同じ、俺に対しては友人としての目でしか見てくれなかったんだ……」
「緒方さん……」
「いや、逆に嬉しいかな……。全く変わらず俺に接してくれたから……。俺のこと色々捜査会議で出た筈なんだ……それでも……トシは俺を今でも友達だと思ってくれてる……本当は恋人になりたかったけど……」
視線をやや下に向け、緒方は小さく言った。
「……他人行儀な話し方は直してくれなかったけど……」
続いてそう言うと、緒方は顔を上げた。
「貴方は人を殺して等居ない……」
「ああ……そうだよ……でも俺が犯人だ……犯人でないと……な」
何か決心したような顔で緒方は言った。
『……やばい……トシ気を付けろ……』
リーチが突然そう言った。その理由はトシには分からなかった。その後リーチの言葉が無かったので、トシは緒方との話を続けた。
「何故そこまでして犯人になろうとしてるんですか……私では力になれませんか?どうなんです?」
「トシ……お前は正義の味方になったんだな……ほら、昔良く言ってただろ……正義の味方になりたいって……なんだかトシらしくて可笑しかったけど、刑事になってたなんてな……」
相変わらず淡々と緒方は言った。その目は夕日を捉えている。
「……緒方さん……お願いですから……ちゃんと本当の事を話して下さい」
必死にトシはそう言った。
ここまで来るとトシにも緒方が何かを隠しているのが分かるのだ。それが何かが分からないだけだった。
「夕方の新聞には俺の記事が載る……それで俺は完全に犯人だ……」
「緒方さんっ!貴方もしかして自分で情報を流したんですか?」
トシは緒方の腕を掴んでそう言った。
「……さあね……まあいいじゃないか……俺の人生なんてそんな大したものじゃないしな……」
「どうしてそう決めつけるんですか?良いとか悪いとかそんなのは死ぬときに考えたら良いんです。今人生について語るのは早すぎますっ!」
トシがそう言うと緒方は本当に嬉しそうに笑った。
「はは……そうか……うん。確かにそうだな……面白いな……そういう考え方もあるんだ……」
「笑い事じゃないんですっ!」
トシがムッとした顔でそう言うと、緒方の笑い顔が急に真剣な表情に変わった。
「トシが……トシがもし、俺と一晩過ごしてくれたら……全部話したっていい……」
じっとこちらを見る目が熱かった。何度も会って時折感じた瞳だった。トシはそれに対して知らないふりを通してきたのだ。だが、直接的な言葉で言われたのはこれが初めてであった。
「……駄目です……」
「真面目だな……黙ってたら恋人には分からないじゃないか……」
呆れたように緒方は言った。
「不誠実なことはどんなことに対しても出来ません。それが私の性格です」
トシはやや視線を落としてそう言った。
どんな場合でも……
幾浦を裏切るようなことは出来ないのだ。
「……確かになあ……トシらしいよ。逆にさ、本当に良いよって言われたら俺が今度冷めてたのかもしれない……」
くすっと口元で笑って緒方は言った。
「俺はね……ほんと、あんま良い人生送ってないからさ……良いんだ……もう……」
言って緒方はすんなり柵を越えて向こう側に立った。同時にリーチが叫んだ。
『気を付けろと言っただろうがっ!代われっ!』
『待ってッ!僕が説得するからっ!説得は僕の方が上だろっ!』
トシはそう言って自分も柵を越えた。警備員二人が大声を出して走ってきたがそれを無視した。
「緒方さん……お願いです……止めてください……」
もう一つある柵を越えた緒方にトシは言った。
「トシ……こうやって会えたこと……俺……忘れないから……」
泣き出しそうな表情で緒方が言った。風の勢いが益々強くなり、二人の髪や上着がバタバタと揺れる。
「君たち!何をやってるんだっ!」
警備員の一人がこちらに駆け寄ってトシの腕を掴んだ。
「私は刑事ですっ静かにしていて下さいっ!」
捕まれた腕を振り払い、警備員の方は向かずにトシはそう言った。
「トシ……刑事として俺を止めるのか?無駄だよ……」
建物の端ぎりぎりに立った緒方がそう言った。その数メートル離れたところでトシが言った。
「違うっ!僕の……僕の大切な友人として止めるんだっ!友達が苦しんでいるのを放っておけるわけ無いじゃないかっ!」
これでもかと言うくらいの声でトシは叫ぶようにそう言った。すると、緒方は笑みを浮かべた。
「ようやく……本当のトシの言葉を聞けたな……」
「緒方さん……緒方さんは僕のたった一人の……本当の友達なんだ……。だから……失いたくない……。本当に……本当に……僕は心からそう思ってる……。昔も……今も……これからも……ずっとだっ!」
そう言うと緒方は、ぽろりと涙を落とした。
「……トシ……大好きだったよ……愛していた……ずっと……ずっと……出会ったときから……ごめんな……」
そう言って後ろに倒れていく緒方を見ながらトシは絶叫に近い声で叫んだ。
『リーーーーチッ!お願いっ……助けてっ!助けてっーーっ!お願いだよ!』
既に主導権を奪っていたリーチは走り出し、緒方を掴もうとしたところで失敗した。が、そのままリーチは緒方を追いかけるように自分も四十階建てのビルの屋上から地上に向かってダイビングした。