Angel Sugar

「過去の問題、僕の絶叫」 第2章

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 ぼんやりした中で誰かの唇が触れていた。
 ん……ユキ?
 リーチが目を開けると見知らぬ男が覆い被さっていた。
 ぎゃーーーーーっ!!
 どかっ!
 リーチは目の前の男を蹴り上げて後ずさったが、後ろがなかった。よくよく見ると車の中である。
「え……ええ???」
「トシ……」
 じゃないけど……誰?
 リーチは相手に聞くに聞けずに車外へ飛び出した。
「さぶっ……」
 気がつくと上半身は裸である。周りはちらちら雪が降っていた。
 何処?ここは何処なんだよ!!!!
「トシ!」
 さっきの男がやはり車から降りてきた。手にはコートを持っている。
「あ……」
 逃げた方が良いのだろうか?
 暫くじっとしているとその男は肩にシャツとコートを羽織らせてくれた。そんな男をリーチはじっと観察した。
 何処かで見たことがある。リーチはそう思ったが良く思い出せなかった。
「済まない……」
 肩を抱き寄せられたが、リーチは無意識にはね除けていた。
 気色悪いんだよっ!
「……っ」
「す……済みません……」
 そう言ってとりあえず建物の方に逃げ出した。しかし男は後ろから追いかけてくる。
 わーーー幾浦は何処にいるんだよ!!
 すると宿屋の入り口から幾浦がこちらに走ってきた。
「幾浦!……さん」
 幾浦と呼び捨てになったのを訂正してさんを付けた。
「トシ!」
 がしっと抱き留められ、ぐわあートシじゃないと叫びそうなのを堪えた。先ほどの男が追いついて目の前に立つ。
「緒方……さんでしたね。どういうつもりですか?」
 緒方?そうか緒方さんだ。
 だが、どうしてここにいるのか?
 何故トシと、やばいことになっていたのかリーチには理解できなかった。
「いえ、トシと私の問題ですので……」
 そう言って緒方はこちらを見た。その顔は笑みを見せている。
「トシ……又会おうな……」
 リーチは答えられず幾浦の方を上目遣いで見たが酷く怒っていた。そうして緒方は去っていった。
 幾浦はリーチを羽交い締めしたまま部屋へと引きずり込まれた。その為こちらは首元が締まって言葉が出ない。やっと離され、自由になったところでリーチが怒鳴ってやろうとすると、逆に幾浦に怒鳴られた。
「一体……どういうつもりだトシ!」
「あの……」
「どうしてそんな格好をしている?あの男と……お前は……」
 はっきり言って幾浦は怖かった。
「えーその……それは無かった……みたい」
 苦笑いしながらそう言った。
「笑い事では済まないだろうが!」
「あの……俺だよ」
 伺うようにリーチは言った。
「何が俺だっ……俺?」
 怒り狂っていた幾浦が急にきょとんとした表情でこちらを見た。
「リーチだって」
 にこりと愛想笑いでリーチは言った。
「どうしてお前が出てくるんだ?」
 やっと表情を平静にして幾浦は言った。
「どうにもこうにも……トシの意識がぶっ飛んだみたいだから、自動的に主導権が回ってきただけだ」
 やっと座ってリーチが言った。
「どうしてトシの意識が飛んだんだ……」
「知るか……それより無茶苦茶腹が減ってんだけど……何か食わせて」
 くーとお腹を鳴らせてリーチは言った。
「どうしてお前に……そうか、そうだな……よし、何か食べさせてやる」
 急に愛想良く幾浦が言ったので、ちょっとリーチは驚いたが、好意に甘えることにした。
 幾浦は宿屋に食事所があったので、そこから料理を取り寄せてくれた。
「うまうま……何か良いとこ泊まってるんだな……パンフレット持って帰ってくれよ。今度俺達がいくわ」
「そうだな……持って帰っておいてやる……」
 あまりの幾浦の素直さにリーチは訝しげな目を送った。
「なんか……お前……気持ち悪い」
「リーチ……頼みがある」
 うわ……来た。そういうことか。
「聞けない」
「まだ何も言っていないだろう!」
「お前の頼をなんで俺が聞かなきゃならないんだよ……」
 もりもり食べながらリーチは言った。
「緒方という男と……トシと何があったんだ……」
 喉が詰まるような事を幾浦が言ったので、咳込んだ。
「お、おい。大丈夫か……」
「それより……何で緒方さんがいるんだよ……」
「偶然会った」
「で、トシの様子はどうだった?」
「酷く気分が悪そうだった……いや……情緒不安定になった」
「だろうな……」
 何でこんなところで会うんだか……
「だから……」
「トシに聞いたか?」
「聞いた……しかし、言えないと言って泣かれてしまった……」
 困惑した顔で幾浦は言った。
 それはそうだろう。幾浦はそんなトシの事情を知らないからだ。
「そうか……でも何であいつとやろうと考えたんだ?トシは……」
「何処までいった?」
 幾浦は恐ろしいほどの顔だった。
「キスだけだよ。それも俺が引き受けた」
 憮然とそう言うと、幾浦に笑みが戻った。
「なんだそりゃ、俺なら良いのか?」
「減るもんじゃないだろう」
「俺だってこんな事ユキにばれたらどうすんだよ」
「お前のことはどうでも良い」
 きっぱりと幾浦はそう言った。
「全く……それより緒方さんか……」
 リーチはだいたいの予想はついた。
「教えてくれないか?」
「一つ聞いて良いか?」
「なんだ」
「そんな情緒不安定のトシを一人行動させたのかお前は!」
「違う。理由が分からなかったので名執に電話していたのだ。そのちょっとした隙にトシはいなくなっていたんだ」
 慌てて幾浦はそう言った。
「ユキは教えてくれたか?」
「いや……だからお前に聞いているんだろうが」
「そうか……」
「そんなにまずいことなのか?私にだけ何故話せない?」
「お前だから話せないんだよ……って言ってもな……ん……」
 リーチは困り果てた。自分が話したことがばれれば、今度どんな行動をトシがとるのか予想がつかないからだ。だからといって幾浦に話しておかなければ、自分の目の届かないところで何をしでかすか分からないと言う不安もあった。
「リーチ……頼む……」
 幾浦は頭を下げてそう言った。
「……幾浦……俺には話せない……」
「リーチ!」
 リーチが見たこともない幾浦の悲壮な顔だった。
「……と言いたいところだけど……話しておかないとまずいことになりそうだから……」
「リーチ……」 
「その代わり……絶対、知っているという顔はするな。そぶりも駄目だ。トシが気付くような事は絶対しないでくれ。その保証が出来ないというなら俺は話さない」
「保証する」
「くどいようだが、本当にそれがばれたらトシは立ち直れなくなる……本当に約束してくれ……俺はお前を信用しているから……。お前はどんなことがあってもトシを最後まで見放さないって思うから話すんだ。それを分かっていてくれる?」
「分かった。約束する」
 幾浦がそう言ったことで、リーチは座り直した。
「話は……別にたいそうなことじゃないんだ……ただトシの受け取りが間違っただけで、本当に些細な事なんだ……でもトシはその所為で自殺未遂まで引き起こした」
「自殺……未遂だと?」
「順を追って話すからとりあえず聞いてくれ……」 
 幾浦は頷いた。
「高校二年の時に緒方さんとは知り合ったんだ。校舎が別だったからトシはトシ自身として緒方さんになついてた。何でも相談に乗ってもらってたし、勉強も見てくれてた。学校裏にちょっとした広場があってね、そこで毎日放課後会ってた」
 リーチはそこまで言ってお茶を飲んだ。
「あいつ……嬉しかったんだろな……利一としての友達はいても、本当の友達はいないだろ、だから緒方さんに本当になついてた。緒方さんの方もトシから緒方さん緒方さんって言われると嬉しかったみたいで、面倒よく見てくれたよ。分かるだろ幾浦……トシがこう、なついてくるとほっとけなくて、可愛くて仕方ないだろ……。今よりもっと素直で可愛かったぜ……本当はあいつそういう性格だからさ……」
 そう言うと幾浦は頷いた。
「子犬みたいなんだ……トシって、それがあいつの魅力なんだけどね。それが緒方さんと仲がいいのを知ったクラスの女の子が緒方さんにラブレターを渡してくれってトシは頼まれたんだ。トシの性格でも利一としても断れなくってさ、トシは鈍感だからそれが何かを分からずに、緒方さんに渡したわけ、そしたら緒方さんが切れちゃったんだ……」
「……」
「切れた理由分かるよな。俺は分かった。緒方さんはトシの事を好きだったんだ。だからトシからそんなものを貰って腹が立ったみたいでさ、緒方さんが言ったんだ」
 もう一度お茶を飲んだ。
「で、「何でもかんでも相談すると嫌われるぞ、トシは気を使わなさすぎる」ってさ、トシは緒方さんがそんな風に怒った姿を見たことがなかったんで、びっくりしてしまって……随分謝ったんだけど機嫌直らなくて……。トシはその事で自分の性格はぜーんぶ駄目だって思いこんでしまったんだ。だってな、トシとしての性格を判断する基準ってないだろ。だから自分の性格は、気を使わない馴れ馴れしい性格だって判断してしまって、落ち込んだんだ……。普通の落ち込みじゃなかった。本当の自分は人から不快と取られるんだって泣いて泣いて……。俺がいくらそんなこと無いって言っても聞かなくて……で、緒方さんも悪いと思ったみたいで毎日門のところで待ってたみたいだけど、トシは逃げ回って……俺がいくら会えって言っても聞かなかった……。そのうち緒方さんが転校して一段落ついたと思った矢先にトシが自殺未遂を起こしたんだ」
「…………」
「俺は緒方さんが、お前を好きだから怒ったんだって言えなかった。そんなことを言えばきっと余計に混乱して避けるだろうと思ったから……。あの頃のトシはもっと潔癖性だったしな……。ただ、今は後悔してるよ……あの時言っておけば良かったって……」
「だから……酷く気を使うのか?」
「ああ、たぶんお前には特に使っているはずだよ……あいつにとって一番大切だからな……」
「そうか……」
「俺は寝るぞ、俺と切り替わったことは言わないでくれ。たぶん後少ししたら起きてくると思うから、適当にごまかしてくれ……幾浦……いいか?」
「分かった……しかし……お前満腹だろ……トシがそれに気がつかないはず無いのではないか?」
「腹八分目で、押さえたよ。それにこのくらい食っておかないと、交代したときに力が出ない。後かたづけと土産よろしくな」
「ありがとう……リーチ……」
「やめろ……お前からそんな言葉は聞きたくない……気味悪い……」
「おい」
「はは……とにかく絶対目を離すなよ、じゃな。お休みぃ」
 リーチはそう言って布団に潜り込んで眠りについた。
 幾浦はそれを見届け、速攻に机の料理を片づけると眠っているトシを引き寄せた。
 もっと素直で可愛かったぜ……そのリーチの台詞が耳に残っていた。
 トシが恭眞、恭眞と甘えてくる姿を想像すると、それだけで堪らなく愛しくなる。昔はそうだったのだと思うと残念でならない。
「トシ……」
 トシが気を使いすぎるほど使う理由をやっと知った。しかし聞いても、どうしてそこまで落ち込むのかは良く分からなかったが、考えてみると二人は利一という架空の人物を演じてきたのだ。本当の自分を否定されたと感じたとき、ショックはやはり大きいかもしれない。
「ん……あっ」
 トシが目を覚まして真っ青になった。布団に潜り込もうとするのを幾浦が止めた。
「トシ……どういうつもりだ」
 トシは幾浦の腕の中で暫くもがいていた。
「何で……恭眞が……僕は……」
「そうだな……緒方という男ともう少しでと言うところで私が見つけ、気を失っているお前を引きずり出した。それでどういう弁解を聞かせてくれるんだ?」
「……僕……」
「お前は合意であの男に抱かれるつもりだったんだぞ」
「ごめんなさい……」
「謝られても、私は納得いかない」
「恭眞……」
 幾浦は優しい包容とキスをトシに与えた。
「なにかの事故で無理矢理抱かれてしまったのなら……私はお前を許すことが出来る。……だが合意なら許せない……」
 唇を離して言い聞かせるように言った。
「ごめんなさい……僕……どうかしてたんだ」
「な、トシ……いつも私はお前に言っているな」
 いつもを強調する。
「どうしてもっと私に素直になってくれないんだ?」
「恭眞……」
「苦しかったら何故相談しない?私は役不足か?」
 トシの髪を撫でながら優しく言う。
「そんなこと無い……」
「例えお前があの男と昔関係があったとしても過去のことだろう。私は嫉妬をしても、お前を責めたりはしない」
「そんな関係じゃ無い。それだけは信じて……」
 トシは泣きそうな顔で幾浦に言った。
「違うぞトシ……疑ってはいない。例えだよ」
 幾浦はそう言った。
「分かるかトシ……お前を私がどんなに愛しているかを……お前が私に気を使うことがどれほど悲しいと思っているか……。もっともっとわがままを言って欲しいいつだって思っている。その事をお前に何度も言ってきたな」
 前からと言うことを分からせるように幾浦は言った。とにかく、リーチから聞いたからそう言っていると言う事を、気付かせないようにしなければならないのだ。
 だからこうやって話すことで、トシが遠回しに真実にたどり着いてくれたらと期待していた。
「うん……」
 トシは幾浦の胸に身体をすっぽりと納めて頷いた。安心しているのか、少し表情に余裕が出ていた。
「あの男は……トシが好きなんだろうな……」
「えっ……」
 トシが初めて知ったように驚いたので、トシがやはり気付いていなかったことに幾浦は、密かにため息をついた。
「トシを見る目つきが熱い……。私は最初見たときから怪しいと思ったが、先ほどの事で、それは確信に変わったな」
 とにかく緒方はお前が好きなのだ、と言うことを幾浦はトシに違和感無く教えなければならないと考えたのだ。それが分かると過去の出来事での緒方の態度が理解できるのではないかと幾浦は考えた。
「そんな……嘘だよ……そんなこと考えられない……」
 信じられないという顔でトシは言った。
「では何故お前を抱こうとしたんだ……好きで無ければ男は抱けないぞ……」
「……」
 トシの瞳は幾浦を見ていなかった。
 過去を思い出しているのだろうか?
 それとも今を思い出しているのだろうか?
 幾浦には判断が付かなかった。
「違うよ……緒方さんは僕のことなんか好きじゃない……」
 フッと視線をそらせてトシは言った。
「どうしてだ?」
「僕は……緒方さんに嫌われていること知ってるもん」
 幾浦はあっけに取られてしまった。何故肝心なことに気がつかないのだろうか?過去の状況を思い出しても分かるであろう。トシはラブレターを緒方に渡し、その事で緒方は怒った。それも普段怒らない緒方が怒るのだ。何が原因なのか、少し考えると分かる事であろう。
「嫌っているようには見えんが……」
 そういう風にしか言えなかった。
「嫌っているから……僕がいやがることをしようとしたんだよ……きっと……」
 何故こんなに頑固なのだ……幾浦は歯がみしそうであった。
「私はお前を愛している……盲目と言っていいほどだ。だからお前を、いつか横から奪われるのではないかと心配している。だからお前に好意を寄せる人間には敏感なつもりだ。その私が言うのだから間違いない」
「……」
 納得していないトシの表情である。
「まぁいい……とりあえず私はトシが又馬鹿なことをしないように見張っているだけだ」
 きゅっとトシに廻している腕に力を込めて幾浦は言った。ずっと思いこんでいたことを急に変えることは難しいのかもしれない。
「恭眞……僕……」
 おずおずとトシが言った。
「なんだ……」
「怒ってる?」
「当たり前だ」
「ごめん……」
「謝って済む間で良かった事を感謝しろ」
「うん……」
 小さく頷いたトシはこんな時に非常識であるが、幾浦には可愛く思えて仕方なかった。
「恭眞……」
「ん?」
「もし……もしだよ……緒方さんに……その……僕が抱かれてたら……僕のこと嫌いになった?」
 恐ろしいことを言う。どう答えた方がトシの歯止めになるのか幾浦は暫く考えた。そんなことは無いと言えば又あんな事をしでかすかもしれない。
 かといって嫌いになると答えたとしよう、最悪の場合トシは又安易に死ぬことを考えるのではないかとも思う。
「緒方という男を五体満足では帰さない……」
「え……」
「許せないのは緒方だからな」
 きっぱりと幾浦は言った。
「そ、それって変だよ……だって僕が……」
 トシが慌ててそう言った。思いつかない答えが返ってきたからだろう。
「そうさせるのは緒方だろう。だからそいつに責任をとって貰う」
「……」
「しかしだ、言っておくがそれは話の上だけだ。わかっているだろうな」
 幾浦はそう言ってきつい瞳でトシを見た。トシは意外に瞳を逸らさなかった。
「恭眞……恭眞恭眞……」
 トシは何度も幾浦の名を呼んで抱きついてきた。小刻みに震える身体が何に不安を感じているかを伝えてくる。
 原因は分かった。理由が分かれば大したことのないものだ。それなのにはっきりと口に出して言えない自分が辛かった。
「トシ……」
 優しくキスを繰り返してやるとトシの身体が熱くなってくるのが衣服を通してこちらに伝わってくる。しかしこのままなだれ込むように行為には走りたくは無かった。まだもう少し話し合わなくてはならない。
「私に初めてあったとき……トシの第一印象はどうだった?」
「恭眞の?」
「ああ」
「うーん……怖かったかな……ばりばり仕事しているのは分かったけど……いっつも僕を馬鹿にしているような雰囲気があったよ……」
「あ?そんな風だったか?」
 困ってしまった。
「うん……じーっと僕が何をやっているのか何も言わずに見てるし……それだけで冷や汗かいてた……」
 ようやく笑みを見せてトシは言った。
「それはお前が気になっていたから何だが……。トシには良い印象が……ないのだな……」
 苦笑しながら幾浦は言った。
「冷たい感じがしたよ」
 笑いを堪えるようにトシは言った。
「…………」
「でも、他の人を見ていて、恭眞のことをみんなが頼りにしているのが分かった。嫌な奴ならみんな頼ったりしないから……だからきっといい人なんだと思った」
「いい人……か」
「うん。安心して頼ることが出来る人なんだって分かったんだ。ただきっと感情をうまく出せないんだろうって思った」
 良くこちらを観察しているくせに、何故緒方のことが分からないのか幾浦には不思議で仕方なかった。
「いい人ではないな……」
「え……そうなの?」
「いい人では出世は出来ない。味方より敵の方が多い……仕方ないが……」
「……意外……」
「お前達の仕事と少し違う環境だから分からないのも無理はない……。中傷も随分受けた。お前など嫌いだとはっきり言われたこともある。もっとも好かれたいとは思わないからいいんだが、結果を残せばそれなりに評価が貰える。悪口を言う間に仕事をする方がいいのさ」
 そうだ良い方向に話が向いた。幾浦はそう思った。
 誰もが自分を認めてくれるのではないことを上手く話せないか?
 嫌われることも多々あると上手く話すことが出来れば……
「そうなんだ……」
「外資系企業で働くと言うことはそう言うことだ。結果が出なければ解雇だ」
「恭眞って……大変な所で働いてたんだ……」
「なんだ、そんなことも分からなかったのか?お前は一週間だったが一緒に働いただろう。周りも少しは見えたはずだぞ」
「みんな良くしてくれたから……」
「そうだな……そういうことは長ければ長いほど分かるものだから、二週間そこいらでは無理か……」
「そうかもしれないね……それに僕は部外者だったし……」
「そんなに深刻に考える必要など無い。多かれ少なかれ何処の企業でもあることだ。うちだけが特殊ではない。それにトシは好かれる性格をしているから私とは少し違うだろう」
「好かれる?僕が?違うよ……利一が好かれる性格をしてるんだよ」
「あの時のお前はトシだったよ……」
 思い出して思わず含み笑いが漏れた。
「ええっ……何で?」
「鈍くさいところが……」
「……」
「お前がツールを作るのを見て、すぐに優秀だと分かった。しかし、優秀なのに何処か鈍くさい。折角作ったのに妙なところに入れ込んで……動かなかったり……全く、色々楽しませて貰った」
「なっ……何でそんなこと覚えてるんだよ」
 トシは顔を真っ赤にしてそう言った。思い出したようであった。
「可愛かった……そこが又な。だから惹かれたんだ……お前に……」
「鈍くさいところが可愛いわけ?」
 ムッとした顔でトシは言った。
「私に無い部分をお前が持っていたからさ」
「無い部分?それって自分は鈍くさくないって思ってるって事?」
「違う。ギスギスしていた自分がホッとできるということさ」
「なんか……変」
「トシは……純粋なんだ……競おうとか先に立とうとかそんなことを全く考えていない。意地は張るが一生懸命なんだ……そこが可愛い」
「なんか……僕馬鹿みたい……」
 うううと唸ってトシは言った。
「違う。そうじゃない……お前といるとホッとするんだ。それはトシの性格に裏表が無いから……企むという言葉に無縁だからホッとするんだ……」
 髪を撫でながらそう言った。
「それ……買いかぶりだよ……」
 急にシュンとなってトシが言った。だからそれが裏表がない性格だと言うことが分からないようであった。
「僕だって恭眞に良く思われたいから……一杯嘘ついてる……」
「会いたいのに我慢して気にしていないふりをしたり、言えば迷惑を掛けるかもしれないから言葉を飲み込んだり、本当はこうしたいのに、わがままだと思って言わないところ……だろ」
 そう幾浦が言うとびっくりしたようにトシは大きな目を更に大きくした。
「そうやってばれているのは嘘とは言わない」
 ふふっと笑って幾浦は言った。
「び……びっくりした……」
「そういう嘘は悲しいな……トシ……」
「僕……でもわがまま言い出したらきりがないよ。だって……だって……」
 確信に近づいている。幾浦は緊張したが顔には出さなかった。
「きっと恭眞も嫌になるよ……」
 も、と言った。よし、そこから突ける。
 幾浦は内心ほくそ笑んだ。
「も?他の誰かに嫌われたのか?ん……嫌われるというのは緒方さんに嫌われていると言っていたな……緒方さんにわがままを言って嫌われたのか?」
 知っているのに知らないふりをするのは難しい。しかし幾浦はここでそれをトシにばれないようにしなければならないのだ。そうであるから細心の気を使って言葉を選んだ。
「あ……」
 急にトシの表情は真っ青になった。
「トシ……」
 ここでトシを後込みさせるわけには行かなかった。
「あ……違う……そうじゃ……」
「お前のわがままが緒方さんの苦痛になったのか?」
「違う……違うんだ……」
 そう、わがままではない。だが似たようなことだ。違うことなど無いだろう。言いそうになって言葉を飲み込んだ。
「トシ……」
「怖いんだ……」
 聞き取りにくいほどの小さな声であった。
「トシ……」
「怖い……恭眞に嫌われたら……きっと僕……立ち直れないよ……」
 心なしかトシの身体が震えている。
「お前が実はものすごい浮気者で私の他に両手に余るほど誰かとつき合っていたならきっと嫌になるな」
 そう言うとトシはプッと吹きだした。出来るだけ深刻にならないように幾浦は気を使っているのだ。
「そんな器用な事できないよ……」
「お前が考える嫌うはなんだ?」
 トシは目を逸らせて黙り込んだ。
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