Angel Sugar

「過去の問題、僕の絶叫」 最終章

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「村上課長……」
 里中はライトを向けて絶句したように言った。村上の方はライトから顔を隠すように手をかざしていたが、その顔を見間違えるわけは無かった。その村上は無言でこちらをじっと見ている。
『んだよ……なんか文句あるのかよ……』
 リーチはトシにそう言った。
「君には失望したよ……隠岐君」
 村上はそう言って笑った。そんな村上から銃を取り上げ、その手に里中が自ら手錠を掛けていた。
「……私の仕事をこなしたまでです……」
 一言そう言って他の二人にリーチは視線を移した。
 細い男の顔は何処か見たことのある顔だった。その男は村上と違い気が狂ったように暴れた為に捜査員達に取り押さえられていた。
『有働の息子かな……顔が有働に似てる……』
 トシはそう言った。確かに面影がある。だがリーチ達は有働の息子である篤の顔は見たことが無かったのだ。
『ん……こいつ何人か殺してるな……』 
 のほほんとリーチはそう言った。
『ほんと?じゃあ……こいつ?』
『……さあ、殺しはしてるだろうけど、誰を殺したのかは分からないな……』
 もう一人は有働だった。
「あんたが、上手くいくと言ったんだ。わしはしらん!」
 有働は村上にそう言って噛みついていた。やはり捜査員に手錠を掛けられていた。
「上手くいくなんて言ってない。勝手に抜かすな……。貴様も同じ穴の狢だろうが……。元々はお前の息子に問題があったんだっ!」
 村上はそう怒鳴った。
『へんだね……有働には公安がついてるはずなんじゃないの?』
『根暗な佐波が何か企んでるんだろう……あいつ、あなどれねえからな……』
 リーチは溜息とついてそう言った。
「隠岐……で、それには何が入っている?」
 近づいた里中がそう言ってこちらの手に持っている袋を眺めた。
「あ……そうでした……」
 リーチはポケットから手袋を取りだし、手にはめると中身を開けた。そこには大量の手形のコピーが出てきた。
『これ……って……裏金を送った証拠になるよね……。すごい~政治家の名前とか一杯だよ。大騒ぎになるね……』
 驚きの声を上げてトシは言った。
『……ん~俺こういうの苦手……あとは任せるしかないな……』
 溜息をつきつつリーチは言った。

 事件はまず過去から解決した。
 元々有働の息子には殺人を犯す性癖があったのだ。小さな事件はいくつも起こってはいたが、それを有働はかねてから金を渡していた村上に頼み、何かある事にもみ消してもらっていた。
 そんな中、過去におこった中野弘文の事件は、通り魔的に篤が殺したのだ。それを知った有働はすぐに息子を海外の病院に送った。だが向こうでも事件は起こっていたのだ。ただ、篤も学び隠すことを覚えた。
 治療過程の間に、医者を騙すことを覚え、篤はようやく退院し、日本へと戻ってきた。だが、父親が金庫番である木島に揺すられているのを知り、また殺人を犯したのだ。だがそれは父親を助けるつもりではなく、殺人に理由を付けただけのものであった。

「俺は父親の為にやったんだ……」

 あくまで篤はそう言い張った。だが確認されただけで4人は殺している男の言葉は誰も信用しなかった。
 手形のコピーが出たために、かなりの政治家が地検によって検挙された。村上は殺人陰徳も加えられ逮捕された。
「隠岐……良くやった…」
 複雑な表情で管理官の田原は言った。
「……まさか……こんな事になるとは思わなかったんです……あんなところで村上課長と会うなんて……」
 トシはそう言って項垂れた。
「ああ、何故あんな所に彼らが出てきたのか不思議だったな。だが、聞けばなるほどと思ったよ。人を雇うとまたその人間にゆすられる。だから関係者がお互いに一つの罪を犯して、抜けられないようにしようとしたそうだ。隠岐君を殺すつもりだったんだろう……」
「……悲しいですね……」
 やはり身内が絡んでいたことがショックだったのだ。公安との連絡員として自分たちを指定したのは、やはりトシ達が緒方と知り合いであったからだった。上手く情報を漏らさせて、自分たちにとって有利に事を運ぼうとした。だが緒方はそのトシに一切そんな話を切り出さず、友人の立場を守ったことで計画が狂った。
 仕方無しに緒方を犯人として仕立て上げるつもりであったのだが、それはトシ達の行動で失敗した。
「あの日……どうして有働に対する公安の尾行が解けていたんですか?私はそれが一番気になっていたんですけど……」
 トシがそう言うと田原は苦笑した。
「佐波管理官にな……うちに花を持たせてやると借りを作られたよ……」
「はあ?」
「……今回のことで……まあ……良いのか悪いのか分からないのだが、課長の席が空いただろう……それでな、まだ正式に辞令は下りていないがスライド式に上に役職が上がるんだ。それすらお祝いだと言われたよ……。で、自分が譲ってやったんだからうちに君をくれと言われた。」
 と言うことは、田原が今度理事官になるのだろう。
 トシは何だかそこはかとなく虚しいものを感じた。
『佐波ってもしかしてそれだけのために尾行とったんじゃねえのか?』
 リーチがこわごわそう言った。
「……あのう……管理官……もしかして私は今度公安に行くんですか?」
 トシがそう言うと、田原はびっくりしたような顔で言った。
「まさか、うちから君を出すつもりはないぞ。隠岐はうちの人間ですとはっきり言って置いた。冗談で言ったんだろう……」
『んなわけ無いだろう……って。絶対佐波、それが一番の目的で今回動いたんじゃねえのか?ああ……寒い……』 
 ぶるっと身体を震わせてリーチは言った。
『かもしれない……だからあんな風に立ち回ってたんだ……。うちに花をもたせるつもりで、適当にしか絡んでこなかった。何より緒方さんの妹さんの話だって知っていて絶対黙ってたに違いないんだ。僕らが動くと思ったんだよ……』
 む~と怒りを蓄積させて、トシは腹を立てていた。
「殺人事件以外の事後処理はうちには関係のない政治のはなしだ。君は心配しなくて良い」
 ニッコリと田原は言った。
 警察批判で警視庁が新聞で叩かれようが、田原は出世するのだ。嬉しいに違いない。だがそんなことはトシ達には関係のない話であった。
「はい。じゃあ……私はこれで……」
 そう言ってトシは一礼すると田原の部屋から退出した。すると、廊下で公安の佐波と鉢合わせした。
『うは……相変わらずは虫類系だ……な、気味悪いよなあ、こいつ』
 リーチが笑ったが、トシは無言だった。
『……』
「やあ隠岐君。おめでとう。君の活躍で事件が丸く収まった」
 実際は丸くなど収まっていないのだ。検挙された政治家は地に落とされ警察はマスコミに散々叩かれており、現在庁内は混乱状態だ。そんな中、緒方のことだけが美談として報道されているのだ。別に緒方は犯罪を犯したわけではない。事情聴取を取り、書類送検で終わるはずなのだ。その事だけはトシ達もホッとしていた。
「私は……貴方に言いたいことがあったんです」
 トシは顔を上げて佐波を見つめてそう言った。
「なにかね?」
 7.3の髪をかきあげ、佐波は言った。その佐波の頬をトシは思いきり殴った。その拍子に佐波は床に転がった。
『うわお~トシちゃんやるう~利一思い切り謹慎処分~!』
 バックでリーチが手を叩いて喜んでいた。
「黙っていたのは貴方です。佐波管理官……。どういう事か言わなくてもわかってらっしゃいますよね。別に私は謹慎だろうが、階級を下げられようが構いません。とにかく……むかついているんですよ。貴方にね……」
 ニッコリ笑ってトシはそう言った。だが佐波の方は怒る気配はなく、自分の殴られた頬を撫でて言った。
「ああ、隠岐君……君は素晴らしい……謹慎なんてさせたりしないからね。君のその熱いところが気に入ってるんだ……」
 何故だか殴っていない方の頬まで赤い。
『きっ!気持ち悪いーーーーー!トシっ!もう構うなって!』
『そ、そうする……』
 トシはその場を脱兎のごとく逃げ出した。
 その後ろから田原が扉を薄く開けて様子を窺い、青くなっていた事には気が付かなかった。

 翌日休暇を貰ったトシは緒方の見舞いに警察病院を訪れた。その途中、やはりあちこちにマスコミ関係者らしき人間がうろうろしていた。多分何とかして緒方と接触を取りたいのだろう。だがマスコミよけのため、緒方は面会謝絶になっていた。
 そんな中を歩きながらトシはエレベータの前で名執に会った。
「隠岐さん……緒方さんのお見舞いですか?」
 ニコリと笑う名執は相変わらず綺麗だった。
 ホント雪久さんって綺麗だよなあ……
「あ、はい。ようやく休暇貰えたのでお見舞いを持って訊ねてきたんです」
 そう言って見舞いの菓子折をトシは名執に見せた。
「お休みですか……久しぶりで良かったですね」
 花が咲くような笑みを名執は浮かべ、そう言った。
「めまぐるしかったのが、ようやく落ち着いて……あ、由香里さんのことですけど……」
「数日中には検査の結果が出るでしょうから、来週には手術する事になります。本人の同意書がとれましたので……」
「良かった……。でもお金ってどうしたら良いんでしょう……」
 トシはそれが気になっていたのだ。今の入院費はもう有働が出してくれている訳など無いからだ。かといって外科手術の代金を緒方が払えるとは思えなかった。
「それは緒方さんに伺ってくださいね……あ、済みません。これから診察がありますので……」
 名執は申し訳なさそうにそう言った。
「済みません。じゃあ緒方さんに聞きます……」
 トシはそこで名執と別れ、緒方の病室に向かった。緒方は個室をあてがわれその入り口には警官が一人立っている。その警官にやや頭を下げて、トシは中に入った。
「トシ……」
 緒方はこちらにすぐ気が付き、驚いた顔を向けた。
「こんにちは……これ、お見舞いです。大したものじゃないんですけど……」
 苦笑しながらトシはそう言って、脇机に菓子折を置いた。
「気を使わせて……悪いな……」
 その言葉にトシは無言で顔を左右に振った。
「あ、その椅子に座ってくれたら良いよ……」
 言って緒方は側にある椅子を指さした。トシは促されるままその椅子に腰を下ろした。
「……事件は……もう解決しましたから、安心してくださいね。緒方さんの場合は多分事情聴取くらいで済むと思うんです。誰かを殺した訳じゃないですし……妹さんの事もありましたから……」
 白いベットに身体を起こしている緒方にトシはそう言った。襟元から覗く包帯が白く目にしみる。やや痩せたように思えたのだが、多分体重は減っている筈だとトシは思った。
「……何だか妹のことで随分美談に語られてるよな……」
 苦笑しながら緒方は言った。
「そうでもしないと、緒方さんの立場が悪くなると思ったので、全面に出させていただきました」
 トシがその事をリークしたのだ。
「……そうか……うん。俺には多分話せなかったよ……」
 やや視線を外に向けて緒方は言った。
「妹さんの手術も来週だと伺いました。治るそうですよ……」
 トシはそう言って笑顔を作ったが、緒方は複雑な笑みを浮かべた。
「難しいらしいけど……やらなきゃ数年で死ぬって言われたんだ……」
「……らしいですね。でも治ったら普通の生活が出来ますし……妹さんはそれを望んでいると思います」
「ああ……あいつの夢は結婚じゃなくて、思い切り走ることだからな……叶えられたら良いと本当に思う……」
 緒方の視線は外から膝で組んでいる手に移った。
「……大丈夫ですよ。主治医の名執先生はとても腕の良い先生ですから……」
 励ますようにトシはそう言った。
「……ああ。看護婦さんにそれを聞いてホッとした。だけど……あの先生から由香里を今までどんな風に扱われていたのかを聞いて……俺は本当に頭に来た……。今まで……俺は有働に恩を感じていたんだ。これは本当の事だ。それが……治す気も無く、ただ生かしていただけだと知って……有働を殺してやりたいと思ったよ……まあ、刑務所に入ったらそれが出来なくなるけどな……」
「緒方さんっ!」
「いや……もうそんな気は無いよ。元気になれるのが分かったから……。有働も刑務所に入るのが分かってるし……。俺は……もうあいつらの事など忘れて、これから由香里と一緒に普通に生きていこうと思ってる」
 言って緒方はこちらを見た。その顔は笑顔だった。
「ええ……」
「……トシには……本当に感謝してるよ。由香里を助けてくれたんだよな……俺は……酷いことを考えていたのに……」
 緒方は手をギュッと握りしめてそう言った。
「情報を取ろうとしたことですか?でも、緒方さんはそんな事一切私におっしゃりませんでした……。だから謝って頂かなくても良いことです。逆に私は……そんな緒方さんを尊敬します」
「尊敬なんかいらないんだけど……」
 苦笑して緒方は言った。その中に含まれている言葉の意味をトシは分かっていたが、何も言わなかった。
「ところで……木島からどうして貴方があんな書類を譲り受けたんですか?」
 ずっと気になっていたことをトシは聞いた。
「……あれは俺が貰ったんじゃなくて、向こうが勝手に送りつけてきたんだ。どういう意味で俺に送ってきたか分からない。木島さんが死んだ後に届いたから……」
 どうしてだろうなあという顔で緒方は言った。
「有働の周囲りにいる人間で一番信頼できると思ったのではないですか?もしくは貴方がマスコミ関係者だから、うってつけと思ったのかも……」
 緒方は新聞社に勤めているのだ。
「俺は文化部で社会部じゃないんだけど……考えるとそうかもしれないな……」
 小さく溜息を付いて緒方は言った。
「そうだ……就職先の新聞社……。仕事の方は大丈夫なんですか?辞めろなんて言われていませんか?」
 トシが一番気になっていたことを緒方に聞いた。
「ああ、新聞社な。俺、今度社会部に異動になるそうだ。それで今回の事を告白するものを書けと言われたよ。はは……あんなに移動したいと言っていたときは無視されていたのに、社会部なんて気が無くなるとこんな事になるんだなあ……」
 呆れた風に緒方は言った。
「もう嫌ですか?」
「いや……なんていうか……今回のことで殺伐としたことに関わってしまったから、逆に文化部の方がいいかもしれないと思ったんだよ。ただそれだけだ。でもなあ、入院費に手術費だろう?これを稼ぐにはやっぱり告白書の一冊でも出さないと駄目かなと思ってとりあえず移動してみるつもりだよ。うちの新聞社の方も独占で俺の告白書を出す契約をするかわりに、入院費と手術代を出してくれるって言ってくれたしさ。色々内情で知っていることもあるし……今までは有働に恩を感じて出来なかったことが、本当の事を知って、もうそんな恩なんかどっかに行ってしまった……。あんな汚い奴らのことなんだから、別に俺がそれで稼がせて貰っても構わないだろうってね……」
 ははっと笑って緒方は言った。だがその笑いはとても心から笑っているようには見えなかった。
 ああ、雪久さんの言っていたのはこの事だったんだ……
 でも緒方さん……
 告白書なんて……辛いだろうな……
 トシはそう思いながらも、その事は口に出さなかった。
 既に緒方は色々傷つき、そして反省もしているはずだった。なら、その緒方自身が整理し、決めたことに口出しする権利はトシには無いだろう。
 これで良いんだ……
 トシはそう思った。
「そう言えば……すごく不思議なことがある……」
 緒方はそう言ってこちらをじっと見つめてきた。
「何でしょう?」
「どうして一緒に落ちたはずの俺がこんな怪我をして、トシはぴんぴんしてるんだろうと思って……」
 う~んと唸りながら緒方は言った。
 まあ……
 普通はそう思うかも……
 僕だって不思議だもん。
 多分リーチだったからじゃないかなあ……
 とは思うがもちろん緒方にそんな話はできない。
「運が良かったんだと思います」
「……そういうと思ったよ……」
 ふふっと笑い緒方は言った。
「じゃあ……あんまり長居すると緒方さんの傷にさわりますから……帰りますね」
 言ってトシは立ち上がった。
「トシ……また会えるよな?」
「緒方さんは友達ですから……また会えるでしょう……」
 そうトシが言うと、緒方の瞳は寂しげに伏せられた。
「あの告白だけど……」
 ビルの上から飛び降りようとしたときに言った言葉だろう。
「……」
「俺は多分今回のことを含めて……またトシのことが余計に好きになった。そういう気持ちは……トシにだって止められないよな?」
「……緒方さん……」
「好きなものは好きなんだ。別に襲ってやろうなんて思ってないから安心して良いよ。俺の気持ちを押しつける気もない。ただ……俺はこう思ってる。それを知ってくれていたらいいんだ……」
 緒方はそう言って目を閉じた。それを合図にトシは緒方の病室を後にした。

 病院の玄関まで来ると、いきなりトシは呼び止められた。
「幾浦さん……」
 あまりのタイミングの良さにトシは驚いた。
「名執からな。電話を貰ったんだ。今日はトシでしかも休暇だってね」
 小さな声で幾浦はそう言った。
「後でご連絡しようと思ったんですけど……でも……まだ昼間でしたし……」
 本日は平日なのだ。普通のサラリーマンならまだ働いている時間だった。だからトシは幾浦への連絡を夕方するつもりでいたのだ。
「半休を取ったよ。全く……あの役員がまたくだらないことを企むものだからこっちの仕事が出来ないんだ。ああいうのからはさっさと逃げることにしている」
 苦笑しながら幾浦は言った。
「企む?なにを?」
 トシにはその企むという意味が分からなかった。
「いや、いいんだ……こっちの話だ。車で来ているからドライブでもどうだ?アルも一緒だ」
 幾浦はこの間大破したベンツ以外にもう一台ソアラを持っていた。だから今日はそれに乗ってきたのだろう。
「はい。ドライブに連れて行って下さい」
 トシはニコリと笑って、幾浦が車を停めているところまで一緒に歩いた。
 そうして駐車場に着くとすぐに幾浦の車が分かった。後部座席の窓からアルが必死にこっちを向いて吠えていたからだ。
「アルもトシに会えなくて不満だったんだろう……」
 言って幾浦は車のロックを外した。
「ごめん……やっと落ち着いたよ……」
 周囲に誰もいなかったため、トシは普段通りにそう言った。
「だろうな……新聞は事件のことで大騒ぎになっているようだしな……」
 車に乗り込みながら幾浦はそう言った。トシも助手席に座る。すると後ろからアルが顔を出してぺろぺろと頬を舐めてきた。後ろに見えるしっぽはまるで扇風機のように回転していた。
「うわあ~すっごい喜んでくれてるんだ~。アルほんと久しぶりだね……く、くすぐったいよ……」
 舌を払いのけても払いのけても、トシの顔をアルは舐めようとするのだ。
「アル、車を出すから後ろで大人しくしないか……」
 幾浦がそう言うと、顔を引っ込め、大人しく後部座席に座った。
「アルってほんと賢いよね……」
 後ろのアルを見ながらそう言うと「トシもちゃんと座るんだ」と幾浦は言った。
「はあい……」
 トシはそう言ってシートベルトをすると、幾浦は車を出した。
「何処に行きたい?」
「何処でもいいよ……僕ぼんやり出来るところに行きたいな……」
 とにかくどっと疲れが来たのだ。ホッとしたのもあるだろう。
「そうだな……公園にでも行くか……」
 車は公園に向かって走り出した。

 公園に着くと、アルも外に連れ出し、三人でぶらぶらと歩いた。大きな公園で、中心に人工池のある公園だった。
 木々が緑に萌え、さわさわと風に凪いでいる。
 辺りはまるで事件など無かったように穏やかで、ここだけが世間から隔離されているようにトシは思えた。
「座るか?」
 幾浦は道に沿って置かれているベンチを見てそう言った。丁度池を眺められるように設置されていた。
「うん……」
 トシはそう言って先に自分から座った。視界に見える池には水鳥が楽しそうに泳いでいる。それをアルは顔を右へ左へと向けて不思議そうに眺めていた。
「アル……あんまり近づくと落ちるぞ……」
 柵を越え、池の縁ギリギリに座って水鳥を眺めるアルに幾浦はそう言った。アルの方はチラリとこちらを向いて、又水鳥を眺めだした。
「分かってるよ……って顔してたね」
 トシはくすくすと笑いながらそう言った。
「そうだな……あいつには分かってるんだろう……」
 言って幾浦はトシの隣に腰を下ろした。
「……終わったよ……」
 小さくトシはそう幾浦に言った。
「ご苦労様……」
「でね……色々話があったんだ……」
 トシはそう言って、事件の経過を最初から全て幾浦に話した。

「……という感じかな……話せるのはこんな所……」
 全て話し終えたトシは喉がカラカラに乾いていた。一人でこれほど長く話したことが無いからだろう。
「複雑な事件だったんだな……」
 幾浦は池を見ながらそう言った。
「……うん。でも僕は……綺麗な過去を取り戻して、そのまま過去のものに出来たから……結果的には良かったと思う……」
 トシはそう言って幾浦の肩に身体をもたれさせた。
「でも……疲れちゃったよ……。何だか色々あって……。人を疑うのはやっぱり嫌だから……。これってすっごい体力使うんだよね……」
 目を閉じてトシはそう言った。そんなトシの肩にいつの間にか幾浦の手が回っていた。いつもならこんなところで肩を抱かれるのは嫌なのだが、今日はなんだか幾浦のその手を振り払う気は起こらなかった。
 暖かい手……
 安心できる手だ……
 ホッとする……
 そんな事を思いながらトシは目を閉じ、幾浦の温もりに浸っていた。
「緒方が良い奴と分かって良かったじゃないか……。ずっとお前は気にしていたしな……私は緒方にお前が騙されてショックを受けたらどうしようかと、そればかり考えていたよ……」
 淡々と幾浦はそう言った。
「え?」
「情報を取るために近づいたのではないかと、悩んでいただろう?だからな……」
「……うん。でも緒方さん命令されても出来なかったんだって……。間に挟まれて辛かったと思う……」
 葛藤した緒方の気持ちは今だからトシもよく分かるのだ。
「お前が好きだからだろうな……」
「うん……そうだね……」
 トシはもう否定はしなかった。否定すると緒方の気持ちを踏みにじるような気がしたのだ。
 緒方さんは僕を好きだと言ってくれた……
 これからも……
 だけど僕はその気持ちに応えられない……
 それでいいんだ……
 誰かを好きになる気持ちを、人が止められるわけ無いんだから……
 僕だって……
 恭眞とこうやって一緒にいられるけど……
 それが一方通行の気持ちになっていた可能性だってあるんだから……
「……気に入らない……」
 ムッとした口調で幾浦は言った。
「……でも、僕が好きなのは恭眞だもん……。緒方さんがいくら僕を好きでいてくれても……僕の気持ちはもう決まってるんだ。昔告白されていたとしても……あの時の僕だったら拒否してた……。今だから僕は……恭眞を好きになることが出来て……恭眞とこうやって付き合えるんだ……」
 あの頃は自分達の身体が特殊であることに悩みだした時期だったのだ。そんな時に片方だけが誰かとつき合うなど考えられないことだ。あれから更に深く悩み、そして苦しんだ……。自分達がどうあっても一人の身体を二人で共有しなければならないと言うことを本当に受け入れらるまでトシとリーチは、もがくように毎日を過ごした。そんな中で色々な事を学んだのだ。
 その過程を踏まずに、互いが誰かと自分達の秘密を共有しよう等とは思えなかっただろう。今だから、好きな相手に告白し、そして付き合えるのだ。
 時間は確かにトシ達を大人にした。
「……なんだか……照れるな……」
 幾浦はぼそりとそう言った。その声にトシは目を開け、幾浦の方を見ると、照れくさそうにちょぴり頬を赤くしていた。
「恭眞……心配かけてごめんね……」
 今回のことで本当にトシは幾浦に申し訳ないと思っていたのだ。
「いや……お前が側にこうやっていてくれたら……私はそれで良いんだ……」
「僕は……側にいるよ……恭眞の側が一番安心できて……好きだから……」
 トシがそう言うと、幾浦は先程より頬を赤くした。滅多に見せない表情の所為か、いつの間にか戻ってきたアルが不思議そうな顔で幾浦の顔を見つめていた。



 翌週、トシ達に由香里の手術が成功した知らせが入り、トシは全てが終わったとようやく安堵する事ができた。

―完―
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