「駄目かもしんない」 第1章
仕事から帰ってくると、通路で四十代後半に見える男性がうろうろとしていた。
大地はチラチラその男を伺いながら、玄関に鍵を差し込み扉を開け、自分の家に入ろうとすると、その男性に声をかけられた。
「ここは大良博貴さんのお住まいでしょうか?」
低い声でその男はそう言った。こっちは博貴の家を知っているが、博貴は表札を出していないことを知っていたので、この男には分からないのだろう。
男は背が高く、紺色のスーツをきっちり着こなしていた。頬骨がスッキリしており、白髪が少し交じった髪を後ろに撫でつけていた。顎は細く瞳はやや冷たい感じだが、殺気らしきものは感じなかった。
「そうですけど……」
「何時お戻りか御存知ありませんか?」
「多分明日朝早く戻ってこられると思いますが……」
博貴はホストであるので、夕方出勤して帰宅は次の日の朝方であった。
「そうですか…」
ちょっと困ったような顔で男は言った。
「何か伝言がありましたらお伝えしますけど」
そう言うと男は暫く考えるようにじっとこちらを見て、胸ポケットから名刺を取り出し差し出した。名刺には一流企業の社名が入っており、社長秘書の高良田義人(たからだよしと)と書かれていた。
「ええっと……高良田さん……」
珍しいみよじだなあと大地は思いながらそう言った。
「そうです。申し訳ありませんが、大良さんがお戻りになられましたら、こちらに連絡を頂けるようにお伝え願いませんか?」
「それは構いませんけど……」
今週一杯博貴とは仕事の時間が逆転するので、なかなか会えそうに無いが、言葉を交わす時間くらいあるだろうと大地は思った。
「では宜しくお願いします」
深々と礼をし、高良田はコーポの階段を降りていった。その後を追うように見ていると、下にでかい黒塗りの車が停まっていた。そう言えば、コーポの階段を上がる前にも見かけたことを大地は思いだした。
高良田は後部座席に乗り込んだが、どうも運転手以外にも誰か乗っているように大地には見えたが、上からなのと、薄く黒いシールが貼られているので良く見えなかった。
まあ、いっか。と思いながら大地はようやくうちに入った。そして先程貰った名刺を取り出し、メモをつけて博貴のうちの冷蔵庫に貼りつけた。
伝言があると互いにそこへ貼るようにしていたのだ。
「これでいいっか」
大地はニッカリ笑って自分の部屋へ戻った。
「大ちゃん……大地!起きてくれないかい?」
深い眠りについているときにいきなり大地は揺すり起こされた。
「大ちゃんって!」
身体が前後にガクガクと揺らされて、大地はようやく目が開いた。
「……ん~なんだよ……大良……」
目を擦りながら大地が時計を確認すると三時であった。
「お前ねえ……俺は朝から出勤なんだぞ。いい加減にしろよ……」
不機嫌にそう言ったが、博貴の方は真剣な顔つきであった。
「大ちゃん……これ何?」
「何って?」
夕方手渡された名刺を博貴はこちらに見せていた。
「ああ、これ?知らないよ。俺はうちの前で渡されたから、お前にメモして置いただけ。で、その人誰?」
「何も言ってなかった?」
こちらの質問を博貴は全く聞いていない。
「別に……お前に連絡して欲しいって言ってたくらいだよ。メモに書いてあっただろ」
「……そうか……」
「で、誰?知ってる奴?」
「いや、良いんだ」
そう言って名刺を破り捨てた。
「お、おいって!」
博貴のその行動に大地は驚いて目が覚めた。
「いいんだ」
「いいんだって、お前……連絡くれって……」
「知らなくて良いから……」
そう言って博貴が部屋から出ようとするのを大地は捕まえた。
「お前ね、こんな時間に起こして、それだけか?」
「ごめん大ちゃん……お休み……」
「お休みって……お前……人の話を聞けよ!」
大地はそう言ったが、博貴は背を向けて自分の部屋へ戻っていった。大地はなんだか訳が分からなくて朝まで寝付けなかったが、もう一度追いかけて聞くだけの根性は無かった。なにより、妙に拒絶したような博貴の背中がそれを躊躇わせたのだ。
何だよ……なんなんだよ……布団の中でぶつぶつとそう言いながら大地は朝を迎えた。
翌日朝ご飯を用意していると、珍しく博貴がやってきた。いつもは九時頃起きてくる筈が、今日は違った。
「なんだよ……珍しいな……」
「まあね……たまには……さ」
ぼーっとした顔で博貴は言った。まだ眠たいはずであるのに、手には新聞をいくつも持っていた。既に起床しようと考えているのだろうか?
「食うのか?」
「……いや、いいよ……まだ目が覚めきってないからねえ……」
ばさばさと新聞を繰りながら博貴は言った。
「じゃ、お前の置いとくから勝手に食えよ」
「ありがとう」
自分が食べる分だけを運んだが、博貴にもお茶はいれた。食事をしだして少しすると博貴が言った。
「ねえ、大地……昨日の男がもし又君に何か言ってきても耳を貸さなくて良いからね」
「……だからさ、理由がなきゃ俺が納得できないだろ」
昨日聞いたことを無視したのは他ならぬ博貴なのだ。なのに、理由も言わずに耳を貸すなと言われても話にならない。
「……まあ、そうだけどね」
そう言って博貴は、何か考え込んでいる。
「もしかして……さ、お前、職場で女騙くらかして、もめてんじゃねえだろうな。で、高良田って言う人は、騙した女の主人か父親かなんかか?」
そう思いきって言うと、博貴は急に笑い出し、暫く止まらなかった。大地は訳が分からない分、不機嫌になる。
「……何だよ……笑うなよ……俺真剣に言ったんだぞ」
「ごめんごめん。それは無い無い。騙くらかすって、君ねえすごい想像力だよ……。まあ君に隠し事はしたくないから、あの男の事は今度ゆっくり話すよ。それで良いかな?」
教えないと言うのではなくて、時間のとれるときに話すと言ってくれたのだから、隠そうとしている訳ではない。それが分かると大地はホッとした。
「それでいいよ。でもさ、そんなに長くなる話し?」
「まあね。と、大地悠長に言ってられないだろ。時間時間」
そう言って博貴が時計を指さすので、大地は驚いて立ち上がった。
「うっわーー!!ごめん博貴!後かたづけ頼んで良い?」
「いいよ。さっさと着替えてほら」
大地は博貴に甘えることにした。
「俺、明日休みだし、その時じっくり聞かせて貰うからな!」
玄関で靴を履きながら大地が言うと、博貴が後ろから腕を廻してきた。
「大ちゃん……おはようのキス……」
「てめえ、ふざけん……」
言って振り返ると、それを待っていたかのように博貴は大地の唇に噛みついた。
「おま……」
こういう時は反抗しようとしても、キスの甘い味に負けることは大地も良く分かっていた。そんな麻薬のような習慣性が博貴とのキスにあるのだ。
こうなってしまうと大地の方も自分から博貴の首に手を回して、柔らかい舌の絡まり合いを堪能した。
「行ってらっしゃい」
唇を離し、博貴が何もなかったかのように言った。反対に大地は顔が真っ赤だった。
「う、うん。行って来ます」
玄関を出ると、ふうーっと深呼吸し、両手で頬を叩いて照れを顔から追いだすと大地は仕事へと向かった。
大地を見送った博貴は溜息をついた。噂で義理の兄が亡くなったのは知ったが、そのあおりをやはり食ってしまったのだ。だから高良田がやってきたのだろう。今更だった。今更何を言おうと聞く気は無かった。その為に名刺を破り捨てたのだ。連絡を取るつもりなど無い。
今が一番幸せであった。大地と暮らすことで毎日をそう感じることが出来るのだ。この生活を変えるつもりも、終わらせるつもりもない。
ただ、心配なのは大地に名刺を渡したことだった。そんなことをしなくても、こちらは高良田のことを嫌と言うほど知っているからだ。何故そんな回りくどいことをしたのだろうか?その理由が分からない。
新聞を読み終わり、ようやく一息ついたところで、大地の作ってくれた朝食を食べた。本当に料理が上手いなあ……といつも感心しながら食べるのだ。本人は手早く作っているがちょっとした味付けに博貴は感動する。
大地は性格もよく、料理も上手い。その上可愛らしい。とにかく文句のつけようがない。
惚れてしまうと何でも良くなってしまうのだろうか?そう思うと博貴は一人で何時だってニヤニヤとしてしまう。しかし、口の悪さだけは治らなかった。
まあ、それも愛嬌だと博貴は思っていた。
大地を想ってニヤニヤとしていると自分のうちの扉が叩かれる音がした。何だろうなあと思い、大地の部屋から出ると自分の部屋へ戻り、玄関を開けた。
「高良田……」
「ご無沙汰しております」
高良田は深々と頭を下げた。
「なにしにきたんだい?」
「お迎えに」
「は!実の息子が死んだものだから代わりを見つけに来たというのか?」
「理由はそれだけではありません。貴美代様があのようになられたとき、こちらは随分奔走させていただきました。なのにそれを全てぶち壊したのは貴方ではありませんか。貴代美様が亡くなられたときも連絡を頂けるとお待ちしておりましたのに……。今更ではなく、こちらは何時だってお迎えする用意が出来ていたんです。それが今回きっかけが出来ただけです」
やや腹立たしげに高良田は言った。
「あんな男にこれ以上面倒見て貰いたいと思わなかっただけだよ。それに認知だって望まなかっただろ。だからあの男とは他人だ。帰ってくれ」
「例え認知されていなくても、酒井様と貴方は血が繋がった親子です」
「うるさいな……やめてくれ。こっちは今の生活を充分満喫してるんだ。そっちの都合で振り回さないで欲しいね」
話はこれで終わりと言うように扉を閉めようとすると高良田が言った。
「色々調べさせて貰いました。お隣の澤村大地さん。かなり親しそうですね」
事務的な口調で高良田は言った。
「……それが?」
「澤村さんがいらっしゃるからそんな風におっしゃるんでしょう?だからさっさと縁を切って貰います。何より酒井様の後をお継ぎになられる方が、男とつき合うなど、スキャンダルにしかなりませんからね」
あまりにも高良田が真面目腐って言ったので、博貴は声を立てて笑った。
「あのねえ、私が誰とつき合おうとあんたに関係ないでしょ。それにその程度の事がスキャンダルになるんだったら、私の今の仕事もスキャンダルだよ」
「ホストに関しては、たとえ明るみに出ようと、母親の入院費を稼ぐためというお涙ちょうだいの話を流せば世間から同情が得られるでしょう」
「何でも利用するつもりなんだね。相変わらずだ」
「ええ、相変わらずですよ」
高良田はそう言って薄く笑った。
「どうでもいいけど、勝手に決めないで欲しいね」
「金を積めば大抵は解決しますよ」
「又それか……」
溜息をついて博貴は言った。
「貴美代さんに最初認知を取るか、生活費を取るか……そのときは生活費を取られました。それはやはり金が無いと生活出来なかったからでしょう。なにより貴方はご存じないかもしれませんが、貴美代さんがあのようになられる前、ある話が進んでおりました」
「何のことを言ってるんだ」
一旦閉めかけた扉を又全開にして博貴は高良田に言った。
「貴方を金で買う手はずが付いていたのです。貴美代さんはその代金として一億を要求されましたがね。こちらは用意していたのですが、あのようなことになられて……そのままになっておりましたが……」
そんな話は一度も聞いたことがなかった。何より母親があれから高良田と連絡を取った事すら知らなかったのだ。
「……」
「そんなものですよ親の愛も恋人の愛もね。貴方も幻想から目を覚ました方が良いですよ。そんなものにすがるより、自らの将来を受け入れた方が私は楽だと思いますが」
感情の見えない表情で高良田が言った。
「大地はそんな子じゃないよ」
「可哀相に……裏切られる前に精算してしまったほうがどれだけ楽だったかを後で思い知らされても遅いんですがね」
低く笑った高良田を無視して博貴は玄関の扉を閉めた。暫くするとコーポを降りていく足音が聞こえた。
博貴はまだ実感が涌かなかった。本当に母親は自分を売ろうとしたのか?確かにあの事故がある一ヶ月ほど前から母親の様子がおかしかったことは確かであった。妙に優しかったり、笑ったり、一緒に出かけたがったりしたのだ。
あの時は、事故にあう前の事であったので、何処かに虫の知らせがあり、そんな行動に出たのだろうか……と、考えていたが実は違ったのだ。
母親が酒井に認知を取るか生活費を取るか選択を迫られたとき、母親が生活費を取ったと言うことはきちんと話をしてくれたことがあったのだ。だがその後の事は聞いたことが無かった。何故母親はそんなことを了承したのだろう。やはり自分の存在が重荷になっていたのだろうか?
考えてみると世の中金で買えない物は無いと言える。自分がそんな世界に住んでいることも分かっている。客の中には愛情も金で買えると思っているのも確かだ。だが大地は違う。そう思える。
しかし、本当にそうだろうか?信じていた母親ですら、血が繋がっている母親すら博貴を裏切っていたのだ。それなのに血の繋がりも何もない大地が裏切らないと言う保障は何処にもない。誰だって目の前に大金を積まれたら目が眩むだろう。
ちらりと母親の遺影を見た。写真の中の母親は儚げに笑っている。
影の薄い女性だった。博貴にはいつも優しく、怒られた記憶がない。その母親が実は博貴を売ろうとしていたのだ。そう聞かされても実感が涌かない。
何より問いつめたい母親はもうこの世にはいないのだ。
「母さん……」
呟くように博貴はそう言って暫く遺影の前から離れられなかった。
大地はいつものように家に帰って、夕食を食べ、借りてきたビデオを見た。明日は休みで一日ゆっくり出来ると言うのが夜更かししてしまう理由だった。起きておけるかどうか分からないが、博貴が帰ってきたら乱入してやってもいいなあと考えていた。
借りてきた二本のビデオを見終わり、いつの間にかうとうとしていた大地であったが、隣からがたんと言う大きな音が聞こえて目を覚ました。
「博貴……帰ってきたのかな?」
目を擦って布団から起きあがり、大地は隣へと入っていった。すると博貴は玄関先で大の字に倒れていた。
「大良!」
大地は驚いて近寄ると、博貴は酔っぱらっているようであった。酔っぱらっていることは以前もあったが、こんな前後不覚になるほど飲んだ姿は初めてであった。
「どうしたんだよ、こんなに酔っぱらって……。ほら、立てよ……風邪ひくだろ」
腕を掴んで引き上げたが、重くて持ち上がらないのだ。
「大地……」
ぼんやりそう言った博貴の顔を覗き込んで大地は言った。
「お前らしく無いぞ……」
そう言ったところで大地は博貴に急に抱きしめられた。
「おい、酔っぱらってんじゃねえぞ」
抱き込まれた身体をバタバタさせて大地はそう言ったが、博貴の方はこちらを離す気が無いらしい。
「大ちゃん……大地……」
背に廻した手をパジャマに入れ、いきなり脱がそうとするので大地はもがきながら何とか身体を離した。
「ほら、立て!肩を貸してやるから……」
そう言うと博貴はようやく、よろよろと立ち上がった。だが、もたれかかる博貴ははっきり言って重かった。いくら何でも下のベットに連れては行けないと思った大地は、シングルの方のベットに連れて行こうとしたのだが、博貴の方は嫌がった。
「酔っぱらって階段から落ちたら危ないだろ。上のにしとけよ」
こちらと博貴との体重差はかなりあるのだ。思いっきりもたれかかられると、冗談ではなく本当に転んでしまう。
「……ん~狭いから嫌だよ」
博貴は、そう言って下へと続く階段の方へ、よろよろとまた歩き出した。ここまで来るともう仕方がない。大地は気を配りながら階段を降り、何とか無事に下の部屋へと着いた。が、博貴の方が体勢を崩したので、こちらもつられてベットに倒れ込んだ。
「うがああ……重い……どけろー大良」
半泥酔状態の博貴が、自分の上にぐったりと乗っているので大地は重くて仕方がなかった。暫くもがいていると、博貴は身体を少し起こした。
「大地……ねえ……」
「んっ……だよ。酔っぱらい!重いんだよ!」
「もし……一億出されて別れてくれと言われたら……君はうんって答えるかい?」
「はああ??何言ってるんだよ」
と言って大地は博貴の顔を見ると、思い詰めたような顔をしていた。なんだかいつもと様子が違う。
「……どう……なんだい?」
「おまえさ、好きなやつでも出来て俺を邪魔に思ってるのか?」
言えないから、酔いに任せて今白状しているのだろうか?それも金で解決しようと思ってるのだろうか?
もしそうなら、かなりショックだ。
「違うよ大地!そんなこと考えたことなど無い!」
こっちが怒る立場なはずが、逆に博貴の方が怒っている。
「お前が言ったんだろ!ふざけやがって!酔っぱらってる奴とまともに話しなんかできねえよ!」
全く何を言い出すんだよと思いながら大地が身体を起こそうとすると博貴がそれを止めるように又覆い被さってきた。
「おいおいおい……っちょっと大良!」
「大地……大地大地……」
博貴はそう言って大地を下に組み敷いたまま、手荒にパジャマを剥ぎ取り出した。
「やめろよ!お前……っ何考えてるんだよ!」
こんなまともでない博貴の相手など出来なかった。仕方がないので、手で胸ぐらを掴んで横へ突き飛ばした。博貴はゴロンとベットの下へ落ちた。
「うわっ……力入れすぎた!!」
慌てて大地はベットの下に降り、博貴の様子を窺うと横向きに身体を伸ばしてぼんやりしていた。
「……おい、大丈夫か?お前が悪いんだからな。俺が嫌だっていうのに無茶するからさ」
「大地……君も母のように……私を裏切るのかい?」
呟くように博貴が言った。
「なあ、何かあったのか?俺、お前が心配になってきたぞ……」
大地は側に近づいて博貴の身体を起こしてやった。俯いていた博貴の顔が上がると大地は驚いた。
「……何だよ……泣いてるのか?」
いや、涙は出ていない。だが今にも泣き出しそうな顔をしてるのだ。そんな博貴を見たことがない大地は逆に動揺した。
一体何があってこれほど博貴が辛く思っているのか全く分からないのだ。誰か知り合いでも亡くなったのだろうか?
「……何時か……私の元からいなくなるんだ」
大地は急に強く掴まれたことで、痛みを感じたが、博貴の様子があまりにも変であったので、掴まれた腕をそっと外すと、博貴の頭を自分の胸に引き寄せ抱きしめた。
博貴は自分より年齢が上で有るにも関わらず、今はとても弱々しく傷ついている様に見えたのだ。
「俺は何処にも行かない。今だってお前の側にいるだろ。な、大丈夫だよ泣くなよ……」
「大地……」
大地は暫く博貴を抱きしめ、背中をさすっていた。落ち着いただろうかと思ったが、急に博貴がこちらを床に押し倒した。
「大良っ……」
見下ろす博貴の表情はとても切なそうだ。何があったらこんな風になるのだろうか?大地には一向に分からない。問いかけても相手が酔っぱらっているために会話も成り立たないのだ。
「大地……君もどうせ、あの男の言いなりになるんだよ……。あいつは相手をどんな手を使っても言いなりにさせる事が出来るんだから……」
そう言って博貴はぎりっと大地を掴む手に力を込めた。
「っ……あの男って誰だよ……」
「とぼけるのかい?会ったことが有るのに……。じゃあ、もう話があったんだ……」
全く博貴の言うことが大地には理解できなかった。あの男とか話とか支離滅裂だ。
「大良……分からないよ……俺……お前が何を言ってるのか……」
「何を言ってきたんだ?金か?」
「分からないって言ってるだろ!」
大地がそう叫ぶと、博貴がパジャマの上着を引き裂くような力強さで引っ張った。それに耐えられなかったボタンが床に飛び、乾いた音を立てた。
「大良っ……やめろよ!」
「私に言えないんだ……」
知らないものは知らない。聞いたことのない話を話すことも出来ない。
「言えないんじゃない……。俺は何も聞いてないよ。それにもし何か言われたとしても、俺お前の味方だし……お前の側にいるよ……」
「身体に聞くしかないのかい?」
そう言って博貴は冷ややかな目をこちらに落としてきた。なんだかやばい雰囲気であったが、大地も踏ん張った。
「それでお前の気が済むんなら好きにしろよ。知らないもんは俺話せない」
博貴が何かに酷く苦しんでいるのは大地にも分かった。だがまともな話し合いが出来ない状態だ。このまま行くと多分、手荒い扱いを受けるのだろうなあと感じながらも、大地は受け入れる気であった。
博貴がそれで納得できるのならそれで良いと思った。何よりこんな博貴を置いて逃げ出すことが出来ないのだ。
「大地……」
苦い顔つきで博貴は大地を見た。まるでこっちが嘘を言ったと思っている様な顔つきだ。「大良……ううん……博貴……俺……お前を好きだよ……お前が一番好きだよ……」
「嘘だ!」
そう叫ぶと博貴は唇に噛みついてきた。貪るようなキスはいつもの優しさを全く感じられなかった。ただ苦しくて、辛かった。床に押しつけられた両手と背中がギリギリと痛む。だが、博貴が嘘だと言った言葉が一番大地には痛かった。
「ひろ……きっ……」
無造作につっこまれた博貴の手が、ズボンの中で蠢き大地のものを掴んだ。撫で上げるのではなくきつく擦りあげられて、痛みしか感じない。
「くっ……!」
「もう……私には感じないのかい?」
「馬鹿っ…野郎……てめえの今の扱いで感じるんなら、俺は……マゾだっ……ぐっ……」
今度は手の中で敏感な部分が握りしめられた。痛みが背を一気に駆け上がった。
「……あっ……畜生……っ……」
ぐっと引き締めた唇の端が切れそうな程だった。暫くすると身体を起こされ、ベットに押しつけられた。だが上半身はベットに沈みながらも膝は床についていた。そんな大地に博貴は後ろから湿っていない蕾の部分に指を突き入れた。
「ひっ……あああっ!」
シーツを掴んだ指が真っ白になるほどの力で大地は耐えた。ズキズキとした痛みが心臓の鼓動と一緒にやってくる。頭の中がぐしゃぐしゃにかき混ぜられたような痛みだった。痛みと伴って目から涙が滲んできた。
まだ、逃げ出せる隙はあった。だが大地にそれは出来なかった。何かに苦しんでいる博貴の痛みを少しでも自分が肩代わり出来るのならそれで良いと思ったからだ。人間この程度で死んだりしない。もっと辛い修行だって空手を習っている時代にやってきた。
そう考えることで必死に痛みの感覚を忘れようと大地はした。
暫くすると突き立てられた指の痛みはすぐに引き、ホッとしているのもつかの間、いきなり博貴は自分のモノを突き入れようとした。固い蕾の入り口は、当たり前だがそんな博貴のモノを拒んだ。
「博貴っ……無理っ……だっ……無理だよっ」
顔を上げて大地がそう言うと博貴は、こちらの頭を手で押さえつけた。そうして無理矢理蕾をこじ開け、自分の欲望を果たそうとしていた。
乾いた部分からは裂けるような痛みが走っている。それにどれだけ耐えられるのか大地には分からなかった。涙も止まらない。頭を押しつけられたベットから冷たい感触が伝わってくる。
「ひろ……きっ……俺……お前を好き……なんだぞ……」
「私も愛しているよ……大地……」
感情のない声を伴って、引き裂くように博貴のモノが侵入してきた。痛みが一気に倍加して身体の隅々まで走った。博貴が腰を動かすたびにより大きな痛みの波が身体を襲った。
「うあっ……ああ……ああああ……ああ……」
頭が上下する身体と同じようにガクガクとし、涙はボロボロと大量にこぼれ落ちた。だが、博貴の方は全く止めようとしない。何かに取り憑かれたような博貴はこちらの状態など全く見えていないのだ。
「ひろ……きっ……」
痛みを堪えるために引き絞った口元が切れて血の味がした。
「大地……愛しているんだ……」
痛みで博貴のそういう声が遠くから聞こえた。だが答える余裕がない。口元はガチガチと歯をならすだけで声が出ないのだ。痛みで引けるこちらの腰を博貴は掴んで引き寄せ、押しのけようとする手を掴んで離してくれないのだ。
暫く苦痛が続き、いきなり接合部から博貴は自分のモノを抜くと、今度は荒々しく身体をベットに放り投げられた。軽くバウンドした身体に博貴は今度は覆い被さると、両足を抱えもう一度自分のモノを突き入れた。その間、大地が悲鳴を上げようが、呻こうが博貴は自分の行為に没頭していた。
痛みはもう習慣のように身体を襲っているせいか、麻痺した身体はそれほどもう痛みを感じていないようであった。そうであるから開かされた身体は、大地の言うことを利かず手足が動かない。
ふとぬるっとしたものが手に付いているのを見ると血だった。血が出た所為で滑りが良くなったんだろうなあとぼんやりと大地は思った。
「大地……」
こちらを見つめる博貴が苦悩した表情でこちらを見ていた。そんな博貴の首に手を回して大地はきつく博貴の身体を抱きしめた。
「そんな……辛い……か……お、すんな……俺……ちゃんとお前を受け止めてやるから……だから……あんまり……苦しまないでくれよ……」
「君を失いたく無いんだ……」
小さな声で博貴が言った。
「うん……俺も同じ……気持ち……だよ」
それ知ってるはずだろ……博貴……。
「信じられない……」
絞り出すような声で今度博貴は言った。
「じゃ……信じるなよ……そうやって……疑ってりゃ……いい……さ。でも、俺はそれでもこうやって……お前の……側にいるよ……」
少しずつ意識が遠のいてきた。痛みで麻痺した身体と心が休息を求めているのだ。
「博貴……目が覚めたら……何時も通りの……お前に……戻ってくれよ……今晩だけ……許してやるよ」
それに対する答えは聞こえなかった。