Angel Sugar

「駄目かもしんない」 第4章

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 翌朝になっても大地は帰ってこなかった。カーテンの隙間から漏れる朝の光が目に入り思わず博貴は手で光を遮った。主のいない部屋が寒く感じられる。いつもなら大地はそこのキッチンに立って朝食を作っているのだ。そんなところにたまに乱入すると、嬉しそうに一緒に食べるかと聞いてくる。朝一番の笑顔だ。その笑顔が堪らなく可愛い。思わず抱きしめてキスをしてしまう。大地の笑顔は格別なのだ。瞳の大きな目が笑顔で細くなると絶品だ。その笑顔が今はない。
 一体何処にいるのだろう。高良田は一体大地に何をしたのだ?一晩悩んだ。絶対信じると大地には約束したが、不安な心はその信頼すら揺るがしてしまうのだ。
 大地が高良田の申し入れを受けたのかと何度か考えては否定したのだった。本当に高良田から金を貰って姿を消すにしても、兄の戸浪に何も伝言しないことは無いだろう。この部屋もこのまま放って置くのもおかしい。やはり高良田が大地に何かをしたのだ。そんなことを考えながら太陽は真上に移動した。
 突然自宅のベルが鳴らされ、博貴は慌てて玄関の戸を開けた。だが目の前にいたのは高良田だった。
「……何の用だ……」
 博貴はそう言った。
「随分疲れた顔をされていますね」
「お前の所為でね」
 皮肉っぽく博貴は言った。この男から本当のことを聞き出すにはどうしたら良いのだろうか?例え拷問したとしてもこの男は口を割らないだろう。
「裏切られたと認めることが怖いのですか?」
 不敵に高良田が言った。
「あんたの言うことは信用できないからね……で、大地をどうしたんだ?」
「言ったはずです。私の申し入れを受け入れて下さったと、まあ、貴方が戻ると言ってくだされば、澤村さんから連絡をするように頼んであげますよ」
 そう言って高良田はうっすら口元に笑みを浮かべた。
「いい加減にしろ!大地を何処へやったんだ!」
 と、博貴が言ったところで携帯が鳴った。慌てて電話を取ると大地だった。
「だ、大地!今何処にいるんだ!」
『あ、俺病院。まだ検査有るから、今も合間縫って電話したんだ。又電話するけど……』
 そう大地が言ったところで、戸浪の声がバックに入った。「そんなものはあとにしなさい」と叫んでいる。
「ど、何処の病院なんだい?」
 病院と聞いて博貴は心配でそう聞いた。
『櫻川病院、で、そんなことより、高良田が来たら言ってくれよ。俺、売られた喧嘩は買うぞって。こんな目に合わせやがって、今度会ったらただじゃおかねえってな。それにな、お前にも一言いっとく。これは俺が買った喧嘩なんだから、お前が横から精算するなよ!分かったな!』
 大地は大声でそう言った。かなり頭に来ているようであった。だが、こちらは大地が無事なことが分かって心からホッとしたのだ。
「大地……怪我でもしてるのかい?それで大丈夫なのかい?」
『え、ぴんぴんしてるけど死にかけたのは確かだよ。じゃ、切るぞ。兄貴うるせえから』
 そう言って大地はブツッと携帯を切った。博貴は携帯をポケットに直すとすぐさま高良田を思いっきり殴った。殴られた高良田は通路にだらしなく倒れた。
「よくまあ、大嘘をポンポンと吐けるな貴様は……」
 高良田は口元を拭うと、すぐさま立ち上がった。
「驚いた。なかなか骨のある子ですねえ……彼は……」
「帰れ……二度と来るな。二度と……大地に手を出すな!」
 博貴はそう言ったが、高良田はニヤリと笑い、何も無かったように帰っていった。それを見送って完全に姿を消したのを確認してから博貴は、すぐさまタクシーを拾い、櫻川病院に向かった。
 受付で大地の事を聞くとまだ検査中であった。仕方無しに待合室に座り大地が戻ってくるのを待った。時間はなかなか進まず、博貴は何度も時間を確認しては溜息をついた。

「俺こんなのやだよ……」
 車椅子に乗せられた大地はそう言って抗議したが戸浪は却下した。
「お前な、両手両足がどんな状態か自分で分かってるのか?」
 大地の手足は包帯で巻かれていた。自分では気がつかなかったが、大地の爪はほとんどはがれ、指先も手の平も皮が剥けて場所によってはかなり深く切れていた。足も同じような状態だ。ダクトの中で滑り落ちかけたとき踏ん張った結果であった。
「ちょっとすりむいただけじゃねえか。大したこと無いよ」
 痛いが、先程痛み止めを打って貰ったために、今はかなり楽になっていた。これが切れると又泣きそうなほど痛みが出るのだろうが、車椅子で押されるのが恥ずかしくて仕方ないのだ。
 脱臼させた肩は医者ではなく戸浪が治してくれた。いつものことのように医者の目の前で戸浪が自分の方が慣れていると言って治してくれたのだが、手加減など無く、まだ両肩がじんじんしていた。そちらは湿布をしてくれている。顎と顔も擦り傷があったが、そちらは大したことが無いので、薬をちょっと塗っただけで終わった。
「しかし、お前の話は本当なのか?」
 不審気に戸浪が言った。
「本当だよ。こんな目にあってどういう嘘がつけるって言うんだよ」
「そうなんだがね……警察も一応調べてみると言っていたが……」
「俺そんな、どんくさかねえよ。言われなきゃあの中に入る訳無いじゃないか」
 誰もが自分の話を信じてくれないことに大地はずっと苛立っているのだ。警察がやってきたので事情を話し、会社から上司が来て又同じ話をした。だが誰も信用している顔をせずに帰っていった。
 あの日屋上には誰もいなかった事になっていたのだ。その作業報告書も無かった。だから大地に最初声をかけてきたあの男の身元も分からない。
 そして高良田という男などどこにも存在していなかったのだ。
「分かるがね。それは横に置いて、普通あんなダクトを降りようと思うか?大、みんなはそれが信じられないと言うんだよ。考えてもみなさい。上から下まで突き抜けているダクトだぞ。落ちたら終わりだ。降りたところで、そこから先どちらに行けば良いのか分からない不安があるだろう。なのにどうして速攻決断して、無茶だということを考えずに行動できるんだね。それにダクトに身体が入らないからといって両肩を自分で外すなんて……。まあ昔から無鉄砲な大のそんな所に家族が泣かされてきたが、今回は特別に泣きそうになったんだぞ。落ちていたら死んでいたんだ。そこの所を反省しなさい」
 そう言って戸浪は、ぽかりと大地の頭を叩いた。
「なんでだよ。あっこにいても出られなかったじゃねえか。そんな所で体力無くなって、そんで動けなくなってから、死ぬ覚悟で降りたら良かったって後悔するよりましじゃん。それに肩を外してなきゃ今頃溺れて死んでるよ」
 大地にしてみればあれが一番最善の策だったと今も思うのだ。だからこそ今ここにこうやって居るのだ。あのままじっとしておればいずれ上で干物になっていたはずだ。
「はあ、本当に何というか……」
 呆れたように戸浪が言ったところで病室に着いた。
「俺……家に帰りたいよ……」
「又、馬鹿なことを言う。大、君はね二、三日は入院なんだぞ。全くあんな不衛生な場所で怪我をして、変な感染症が出たらどうするんだ。食事も一人で出来ない、トイレもいけない。まともに歩けやしないくせに」
 そう言って、一緒に付き添っている看護婦に「任せてください」といって大地を担ぐとベットに下ろした。
「兄ちゃん……」
「暫く大人しくしてるんだ。時間まで付いていてやるから」
 看護婦が何かあったら連絡してくださいと言って病室から出ていった。狭いが個室で大地はありがたかった。
「何か欲しいものは無いのか?」
「俺、お腹空いた。丸一日なんにも食ってねえもん」
「そうか、じゃあ、売店で何か買ってきてあげよう。暫く待ってなさい」
「うん。ありがとう戸浪にい……ごめんね……心配かけて……」
 大地は心からそう言った。救急車で運ばれ戸浪が慌てて駆けつけてきてくれた時、どれほどホッとしたか分からない。感謝していたのだ。  
「いや、いいんだ。じゃあ、行ってくる」
 突然礼を言われた戸浪は照れくさいのを誤魔化すように咳をして病室から出ていった。
 俺……助かったんだなあ……天井を仰いでホッとした。最後の最後で本当にやばかったからだ。肩を外していたために泳げず、本当に三途の川を見たような気もするのだ。まだ工事中の人がいたのと、偶然自分が落ちたところを見た人がいたのが助かった要因だ。
 ラッキーだったのだろう。
 だが疲れた。お腹も空いていたが、とにかく疲れた。そう思う間も手足がジンジンと鈍い痛みを伝えてきた。暗闇の中にいた所為で自分がどんな酷い怪我をしていたのか分からなかった。だが、意識が戻って手足を見た瞬間、気を失いそうになった。
 痛いからではない。血糊でべったりとしていたので、クラッと来たのだ。最初自分の手には見えなかった。爪は綺麗に剥がれ落ちおり、手や足の裏はナイフで斬りつけられたような傷が一杯あったからだ。
「ま、結果オーライだよな……」
 そう呟いたとき、博貴が入ってきた。
「大地!大丈夫かい?受付で君が病室に戻ったことを聞いて上がってきたんだけど……」
 そう言う博貴の顔色は真っ青であった。目の下にもクマが出来ている。心配してくれたのだ。それが嬉しくて大地は笑顔で手を振って「心配かけてごめんな」と言った。が、余計顔色を悪くして博貴は言った。
「その……その手はどうしたんだい?」
 包帯で手首までぐるぐるに巻かれた手は確かに人を驚かせるだろう。
「え、あ、実はこんな感じなんだよ」
 そう言って大地は痛む身体を起こしてベットに座ると、博貴に両手両足を見せた。
「……な、何があったらこんな事になるんだい?」
 博貴がそう言うので大地は事の顛末を最初から詳しく話した。聞き終えると博貴が「一発では殴り足りなかったな」と言った。その口調からどうも高良田を殴ったようだ。少し復讐心が収まったが、やはり自分でも殴らなければ腹の虫が治まらない。
 だが手が治ってからだ。
「大地……」
 博貴は場所もわきまえずに大地を抱きしめた。嬉しいのだが痛い。
「ごめん離れてくれよ……俺、両肩さっきまで脱臼してて、今は触れられるのも痛いんだ。嬉しいんだけどさ」
「す、済まない……」
 と言って博貴が離れたところで戸浪が両手に袋を下げて帰ってきた。
「何だ、役立たずの友達が来てるのか……」
 相変わらず戸浪の口調は厳しい。
「兄ちゃん……それ酷すぎるよ。大良さん心配してきてくれたんだから……」
「そうか、どうもありがとう。だがもう面会時間はとっくに過ぎているんだから、帰ってもらえないか」
「兄ちゃん!大良さん心配して今来てくれたとこだよ、何でそんな風に追いだそうとするんだよ!」
「……大地……良いから、失礼するよ」
 やや悲しそうな表情で博貴が言った。だが大地は博貴に、もう少しいや、一晩でも側にいて欲しいのだ。それだけでホッと出来るからだ。
「待てよ、お前今来たばっかじゃねえか……」
「もう、遅いからね。明日又来るよ」
 博貴はそう言って病室を出ていった。
「兄ちゃんの馬鹿野郎!」
「おいおい、どうしてそんなに怒られなければならないんだ。もう九時だ。私は当然の事を言ったまでだ」
 戸浪はそう言った。確かにそうであるのだが、なんだか腹立たしいのだ。
「……そうなんだけどね……」
 ふてくされながら大地は横になった。
「まあ、いい。大地ほら、色々買ってきてやったから好きなものを食べると良い」
 そう言って戸浪は袋を脇机に置いた。大地はグローブのような手で中身を見て、サンドイッチと焼きそばパンを取り出した。それを戸浪が横から取り上げ、袋を破いてから大地に渡した。
「むーー食いにくい……」
 もぐもぐと頬ばりながら大地はそう言った。指先が曲がらないために食べにくいのだ。
「兄ちゃんが食べさせてやろうか?」
 ニヤニヤ笑いながら戸浪が言ったが、それは勘弁して欲しかった。
「大丈夫だよ……そんなくそ恥ずかしいこと出来ねえよ」
 そうこうしていると十時になり消灯時間となった。戸浪は「また明日来るよ」と言って帰っていった。
 病室にぽつんと一人になると急に寂しくなった大地は、毛布に丸くなった。するとだんだん睡魔がやってきたが、窓にコツンとい音が何度か聞こえて大地はベットから降りてカーテンを開けた。
「だっ…大良……」
 窓の外から博貴は首に懐中電灯をかけて手を振っていた。ここは二階であるが、庭の木が建物にそって、三階位の高さでそびえており、博貴はそれを登ってきた様であった。
「開けてくれー」
 と、博貴が言う前に大地は慌てて窓を開けた。留め金が上手く手で上げられなかったので、大地は最後は口で挟んで持ち上げるようにしてあげた。
「今晩はーー」
 何とか病室に入れた博貴は、懐中電灯を下から光らせてそう言った。
「お前……やることこええ……」
「ん、どうして?大ちゃんの大脱出に比べれば可愛いものじゃないか」
「……考えたらそうかなあ……」
 そう言って大地はベットに座った。立っているのが辛いのだ。
「ねえ、大ちゃん……そっとするから抱きしめて良いかい?」
「え、あ、うん。だいぶ肩の痛みは取れたけど、そっとだぞ……」
 最後まで大地が言い終わらないうちに博貴はそっと腕を廻してきた。
「つ……」
 小さくそう言った大地の声に驚いた博貴が、手を緩めようとするのを大地が引き留めた。
「離れないでよ……」
「大地……」
 博貴の膝に乗った形で大地は広い胸に顔を埋めた。博貴のコロンの匂いがなんだかホッとさせる。
「えへへ……気持ちいいなあ……」
 博貴の胸に頬をこすりつけて大地は言った。
「もっと気持ちよくしてあげるよ……」
 そう言って博貴は大地の唇に数回キスを落として、本格的に舌を入れてきた。暖かく湿った博貴の舌は口内を丁寧になぞり、舌を絡めてくる。その刺激で頭の芯に暫く感じていなかった刺激を伝えてきた。これ以上キスをし続けるとやばいぞ……と思ったと同時に博貴の口元が離された。
「……博貴……」
「大地……済まない……君を巻き込んでしまって……」
「あ、これ?はは、別になんてことないよ。ちょっと暫く生活するのに不便だけどさ」
 大地はそう言って笑った。
「君がそう言ってくれるから……救われてるんだ……」
「なんか、でもさ、ミッキーマウスみたいな手足になっちゃってさ、笑えねえよ」
 そう言うと博貴はクスリと笑った。
「顎にも傷があるんだね……」
「兄ちゃんに言われたよ。俺、馬鹿だってさ。普通降りるか?って。……でも、どう転んでもあの男の言いなりになるの嫌だったんだ。仕方ねえよな」
「……大地……私は君の兄さんの気持ちが分かるよ。君から聞いて私がどれだけショックを受けたか……もしかしたら君は死んでいたかもしれないんだ。そんなことになるくらいなら……」
「あいつの言うことを聞いても良かったなんて言うなよ」
 ジロッと大地は博貴を見たが、月の光しか光源がないために向こうの顔が分からなかった。
「……大地……」
「お前が弱気になるなよ。俺なんかぜってー負けねえって思ってるのにさ。お前がそんな風に思う方が俺……辛いよ」
「済まない大地……」
「だから謝らないでくれよ……」
 博貴のそう言う声を聞くと、こちらまで胸が締め付けられるのだ。
「あの男は私ではなくて、君を傷つけようとしてる。いや、もうした。私ではないところが、辛いんだ……。それにね、例え君と別れようと私があの男の所へ戻る事なんてあり得ないんだよ。それなのに……」
「そうだよな、普通そうだよな。何でこんな事するんだろうなあ……」
 大地もそう思った。自分がいようといまいと結果は同じなのだ。それなのに、何故別れろ別れろとムキになるのだろうか?
「分からないね……」
 溜息をついて博貴はそう言った。
「なあ、大良……一回その、お父……違う、あの男に会ってきたら?会ってちゃんと話しすれば?」
「……嫌だね」
「大良の気持ちは分かるけど、本人に嫌だってちゃんと、とりあえずいっといたほうが良いんじゃないかなあってさ、そりゃ、お前が会いたくないの分かるけど……。ずっと会ってないんだろ?」
「……まあね……」
 窓の外をじっと見て動かない博貴に大地は不安になった。
「大良って……」
 今度は博貴をゆさゆさと揺すった。
「……駄目なんだ……大地……どうしても、どうしても会いたくないんだ。顔も見たくない。声だって嫌だ……」
 子供のように駄々をこねる博貴がなんだか可愛いなあと大地は思いながら自分から手を回して擦り寄った。
「嫌なものは嫌だよな……ごめん。大良の気持ちも考えずに……もう言わない……」
「……大地……」
 博貴もそっと大地の背に腕を廻してきた。暫くそうやって互いのぬくもりを交換した。
「ああ、これ以上ここにいたら場所をわきまえずに君を襲ってしまうよ……」
 博貴はそう言って大地を離した。だが、こちらはまだ足りない。
「え、あ、うーん……困るけど……俺も同じ気持ち……」
「最近の大地は正直で宜しい。じゃあ、また明日ね」
 そう言って博貴は窓を開けた。
「気をつけろよ……」
「大地程じゃないが、私も小さい頃は腕白で良く木に登ったんだよ」
 確かに見ていると、博貴はするりと木に移った。
「お休み……博貴……」
 名残惜しいが大地は何とかそう言った。
「大地……お休み……愛しているよ……」
 そう言う博貴に大地は真っ赤になりながら、博貴が去ったあとも暫く窓から離れられなかった。

 翌日、真喜子がまず見舞いに来た。次に藤城がやってきた。あれ以来会っていなかったので大地は少し顔をあわせにくかったが、藤城がいつも通りの笑顔で接してくれたため、次第にそんな気持ちも和らぎ、普通に接することが出来た。
 そうして、藤城が帰ろうと席を立ったと同時に高良田がやってきた。来ると思わなかった人物がやってきたことで、一瞬大地は言葉に詰まったが、次の瞬間大声で怒鳴っていた。
「てめええ!ふざけやがって!どの面下げてここに来たんだ!てめえは何発か殴らなきゃ俺の腹の虫がおさまらねえんだよ!」
 大地の剣幕に藤城は少し驚いた顔を見せたがすぐに平静に戻り、高良田の方へ視線を移す。その高良田の方は相変わらず表情のない顔で大きな花束をこちらに向けた。
「その手で殴りたかったら殴って構いませんよ。それにしても良くまあ逃げおせたものですねえ。私は感心……」
 と言ったところで大地は肘で高良田の鳩尾を殴りつけた。高良田はその勢いで床に転がった。
「大君!」
 興奮する大地を抱き留めるように藤城が腕を廻した。
「畜生てめえ!俺を殺す気だったんだろうが!殺人罪で訴えられてもしかたねえんだぞ!わかってんのか!!」
「そんな事実はありませんね。警察だってそう言っていたでしょう。貴方の不注意だったとね」
 膝を払いながら高良田は立ち上がった。
「手え回しやがって……何処までもきたねえやつだ……」
 藤城から廻された手を掴んで大地は言った。
「澤村さんは意外に男扱いが上手い」
 ふふっと意味ありげに高良田は笑った。それを見て大地はかあっと頭に血が上った。
「離せよ!もう一発殴ってやる!貴様みたいな奴はぶっ殺したって良いんだ!」
「言っておきますが、殺すつもりは有りませんでしたよ。あれも、二日後ぐらいには様子を見て出してあげるつもりだったのですからね。貴方が勝手にとんでもないところから逃げ出して、怪我をしたんじゃあありませんか。そんなことを責められても、知りませんよ」
 高良田はぬけぬけとそう言った。
「てめえ!」
 藤城の腕の中から抜け出そうと、大地は身体をばたつかせたが、大地を掴む手は緩まなかった。
「大君よしなさい……この男に何を言っても無駄だ。相手にしない方がいい」
「まあ、退院してからも気をつけた方がいい。何処で何があるか分からないからね。こっちの条件を今からでものむと言ってくれるのなら、手を引くがね」
「あのなあ、俺が仮にあいつと別れても、あいつはお前達の思い通りになんかならないだろ!なのになんで俺にこなかけてくるんだよ!」
「君が苦しむのを見ていられない人は最後にどうするかね?」
 そう言って高良田は口元に笑みを浮かべて病室を出ていった。
「何だよ……どういうこと……あっ……」
 もしかして俺を散々こづきまわして、博貴が根を上げるのを待っているのだろうか?俺が怪我をしたり苦しむことで博貴が罪悪感をもって……戻ってくるなら、手を引くと条件を出したらどうだろう?まさかそう言うことなのか?
 大地は自分がたどり着いた答えに顔色が青ざめた。
「大君……君は一体何に巻き込まれているんだい?」
 心配そうに藤城は言った。回した手はまだそのままだった。
「えっ……あ、……何でも無いよ……」
 今考えたことを博貴には話せないと大地は思った。だがあの男の思い通りに行かないようにするにはどうすれば良いのだろうか?自信はある。しかし何処まで自分自身を自分の力で守ることが出来るのだろう?
「藤城さん……ボディガードってどうやったら雇えるのかなあ……」
 大地はふとそう口に出していた。
「え?」
「……俺自信ないよ……自分の身を守るなんて……」
 小さく大地は溜息をついた
「……何も理由が分からないと力になってあげられないよ。きちんと話してくれないかい?その代わり何を話されても誰にも言わないと約束しよう」
 藤城は真摯な目を向けて大地に言った。自分達の関係を知っていて尚、力になってくれそうな相手は藤城しかいない。大地は暫く考え込んで口を開いた。
 全て話し終えると藤城は「よし」と言った。
「あの……」
「出来る限りのことをするよ」
 ニコリと笑顔でそう言う藤城であったが、重大なことを忘れていたのだ。藤城とて、博貴と大地が別れた方が都合が良いのだ。それなのに本当に力になってくれるのだろうか?
「でも……藤城さんにしたら……その……」
 そんな考えをもった大地の事を察したのか、藤城は言った。
「私はね、そりゃあ、君たちの仲が壊れた方が都合が良いと考えているがね。汚い手を使って君を手に入れるのは私の信義に反することなんだよ。それに壊したいと思っているならもっと早くに手を回しているよ」
 藤城に対してなんて失礼なことを思ったのだろうと大地は反省した。
「……ごめんなさい……」
「とりあえず、こちらも手を打って、向こうの事を調べてみよう。こういうことは下のものに上手いのがいるからね。君を分からないようにガードできる人間も何人かいる。まあ、何とかなるだろう」
「ありがとう……藤城さん。俺何て言って良いか……」
「君がありがとうって言ってくれるだけで私は嬉しいよ」
 藤城はそう言った笑った。しかし、そんなところへ博貴がやってきたために大地は慌てて藤城から離れた。
「……元気になったんだ大ちゃん」
「あ、はは……」
 大地は顔色がひきつりながらとりあえず笑った。
「じゃあ、大君また連絡するよ」
 藤城の方はサラリとそう言って病室から出ていった。博貴の方はじいっと大地を見つめたままだった。
「あ、大良、座れよ……」
「……何で藤城が来ていたんだい。それに見間違いかと思うけど、今二人で手を取り合っちゃったりなんかしてなかったかい?」
 じとりと睨まれて大地は愛想笑いを浮かべた。
「え、あ、俺ベットから落ちそうになってさ、支えて貰ったんだよ」
「ふうん……」
 どうも信じられないと言う顔を博貴はした。
「はは、気にするなよ。別に何かあった訳じゃないしさ。真喜子さんに聞いたらしくて、お見舞いに来てくれたんだ」
「藤城は全く油断のならない男だな。駄目だよ大地。ふらふらっていっちゃ……私がいるんだからね」
 博貴は椅子に座ると、言い聞かせるように博貴は大地に言った。
「分かってるよ……でも、お前ってホント、へへへ」
 文句を言われているのだが、なんだか嬉しい。
「大ちゃんは、何笑ってるんだろうねえ……こっちは、あんな二人を見てムッとしてるっていうのに……」
「それよりさ、明日退院なんだ。暫くは仕事出来ないけどね。労災扱いになるんだって。クビになるかと思ったけど、それは大丈夫だったよ。朝方会社の人も様子見に来てくれて、同情してくれたし。まあ、良かったなってさ」
 大地は話を変えようとそう言った。
「良かったね大ちゃん。まあ、無職になったら私が面倒見てあげようと思ってたからちょっと惜しいかな」
 博貴はそう言って笑った。
「勘弁してくれよ……。でも、兄ちゃんが五月蠅くてさ、俺こんなだから、一人で当分生活できないだろうってさ。何とかなるって、そう思わないか?」
「いや、ちょっと大変なんじゃないかい?」
 博貴は心配そうにそう言った。
「明日には包帯をもっと薄くしてくれるらしいから大丈夫だよ。引きつってまだ痛いけどね。歩くのも何とかなるし、とにかく俺ここにいるの嫌なんだよ」
 大地は病院が大嫌いであったのだ。
「……気持ちは分かるけどね」
「それに昼間はお前もいるじゃん。何かして貰いたかったらお前をこき使ってやるんだ」
「ああ、そうだ。それがいいよ大ちゃん。そうそう、私に何でも言ってくれるといいよ」
 博貴は嬉しそうにそう言った。
「迷惑かけると思うけど……頼むな大良……」
「身体だって拭いてあげるよ」
 満面の笑みで博貴は言った。
「げえっ!それはいいよ」
 大地は慌ててそう言った。
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