「駄目かもしんない」 第11章
じーっと様子を伺うと、博貴は眠ったようだった。その寝顔を見ながら大地は急に顔が赤くなってきた。これでは以前つき合っていたときと同じだ。距離を置いて話しをしようとしても博貴のペースに引きずられる。
すーすーと寝息を立てる博貴の口元に思わず目がいった。この口が大地にキスをして、身体を愛撫してくれたのだ。身体の隅々を、口では言えない所だって愛撫してくれた。もう随分博貴に抱きしめて貰っていない。なんだか身体が寂しい。キスされたいと大地はフッと思って、その気持ちを振り払った。
大地は博貴の毛布を整え、後かたづけを済ませると自分の部屋へと戻った。なんだかドキドキして落ち着かないのだ。
「あーもう……俺何考えてるんだよ……俺は怒ってるんだからな。あいつが勝手にしたことを……とにかく!一杯文句があるんだからな」
気持ちは既に博貴を許していた。だが博貴の体力が戻るのが先だった。あんな弱った博貴に怒鳴ったりは出来ないだろう。
「一週間か……」
大地は思わずカレンダーを眺めて又赤くなった。こんな状態をなんとかしたくて、大地はシャワーを浴びようと服を脱いでバスルームに入った。何となく鏡をフッと覗くと首元に藤城の残したキスマークを見つけて飛び上がりそうになった。
「もしかして……博貴……これ見た?」
急に藤城のことを言ったのはこれの所為だ。博貴はもしかして、聞いていたのかもしれない。そう思うと余計に体温が上昇した。
誤解を解きたいと思うが何を言っても言い訳にしかならない。裏切ってるのは自分だと大地は思った。
今度、藤城に会ったら……きちんと話そう。大地はそう決心した。これ以上藤城の優しさに甘えるわけにはいかないのだ。どんなに藤城が愛していると言ってくれても大地が愛したいと思う人間はたった一人だからだ。二股などかけることなど出来ない。かけているつもりはなくても、そう見えるかもしれないのだ。
だがその前に、博貴に聞きたいことがあった。何故死のうとしたのか?大地をあんなふうに切り捨て、どうして死のうとしたのか?それが納得できるまで。大地は完全に博貴を許せないだろう。それには博貴が、もう少し元気になったら聞けるはずだ。大地はそう考えて冷たいシャワーを浴びた。
明日から仕事を控えて、大地は博貴にずっと聞きたいと思っていた事を聞くことにした。その頃になると博貴もうろうろと動き回るようになったからだ。休憩しながらも洗濯をしたり、料理をしたりしている。このくらい回復すれば聞いても良いだろうと思ったのだ。
「なあ、大良……ちょっといい?」
「なんだい?あ、明日から仕事だね。気にしなくてもほら、もうだいぶ自分で出来るようになってきたから心配しなくても大丈夫だよ」
「違うよ……それもあるけど……話しいいか?」
そう言うと博貴はクッションに座って「いいよ」と言った。
「俺さ、聞きたかったんだ。真喜子さんは俺とお前がつき合ってたっていうし、病院に博貴に会いに行ったとき、酒井って人から聞いたんだけど、自分で死のうとしたって。それ、どういう意味なんだよ……どうしてそんなことしたのか聞きたいと思って……」
「……大ちゃん私のこと思い出してないんでしょ?そんな君に話しても酷なだけだよ。それに知らない君にあんな話しをしたところで、分かって貰えないだろ?」
困った顔で博貴は言った。
「記憶を取り戻したいと思っても、聞かなきゃ分からないだろ。聞けば少し思い出すかもしれないじゃないか。俺こんな状態嫌だ。はっきり聞いて今の自分で判断したいことも沢山あるんだよ」
今更都合良く記憶が戻ったと言えないところが辛いが、そう言うしかなかった。
「……そう……そうだね」
博貴は大地との出会いから丁寧に話してくれた。その辺はどうでも良かったのだが、覚えているとも言えずにじっと耳を傾けた。暫く聞いているとようやく肝心の部分にさしかかった。
「それでね、大地は私に色々隠していたのが何となく分かったんだよ。普通と態度がやっぱり違ったからね。問いつめても教えてくれなかった。彼は彼なりに私に気を使ってくれていたんだ。分かっていたけど……辛かったね」
「ふうん……」
「で、大ちゃんが襲われたらしい日に高良田に会ったんだ。というか向こうから来たんだけど……。その時に、怪我を負わせるのが目的じゃなくて、監禁して滅茶苦茶にするのが目的だったみたいなことを言われてね。私はぞっとしたよ……。あの男がそう言うのなら、いつかきっと大ちゃんを捕まえて……見知らぬ奴らに……そう思ったらもう、どうして良いか分からなくなったよ。この事は大地には話せない。そう思った」
高良田はそんな事を博貴に言ったのか!それを知って又高良田をぶちのめしたい気持ちに駆られた。あの時、病院で動けなくなるまで殴りつけてやれば良かった。
大地は本気でそう思った。
「私はどんなことにも耐えるけれど……大地が私以外の人間に良いようにされるのは……それも同意もないのに力づくでと言うのは耐えられなかった。だが私はただのホストで力がある訳じゃない。後ろ盾も無いし……。それで戻ってくるならもう手は出さないと言われて……その条件をのんだ。そのあとで、大ちゃんに酷いことを言って切った。私を憎むように別れたら……時間が立てば又笑えるようになるだろうし、その後彼女か彼氏も出来るだろ。でも、こんな事を話して私が死んだことをいつか聞いたら……君はきっとずっと泣いてる。一生私のことを引きずるだろうって思った。だから酷い言葉で傷つけて……君を切り捨てた。かといってあいつらの言う通りの人生を送る気も無かった。だから目の前で死のうとしたんだ。いや、死ぬつもりだった」
大地は喉がからからになっていた。自分の知らないところでそんなことになっていたなど予想も付かなかった。
「……普通……死のうとするか?なあ、何でそんなことが出来るんだよ。それにさ、監禁っていっても簡単に出来るわけ無いだろ。脅しに決まってるじゃないか……」
「ねえ、君はその時の状態を覚えてないからそう言えるんだよ。高良田は私を言う通りにさせようと必死だったし、何だってやった。だからあの時の大ちゃんは傷だらけだったよ。私は……自分の事なのに君が傷つくのが耐えられなかった。君が笑いながら大丈夫だよって言ってくれるのが……耐えられなかったんだ。最初は大ちゃんが言うように一緒に頑張ろうって思ったけどね。高良田のとどめの言葉が私に決心させたんだ。君を守るにはこの方法しかないって思った。そう思わなければあんな事できやしないよ」
記憶なんか失ってない。だから言っているのだが、今の状態で何を言っても博貴には伝わらないだろう。
「……馬鹿だよな……なんか……」
立ち上がり博貴に背を向けて大地が言った。
「君が思い出したら……きっと分かってくれると思う……許してくるかどうか分からないけどね……」
わからねえ!わからねえよ!絶対分からないよ!
「俺……覚えていても絶対理解できないと思う……」
「……そうか……うん。そうかもしれないね……」
博貴はそう言った。
「俺、明日早いから寝る」
「お休み大ちゃん……」
大地は博貴を振り返らずに自分の部屋に戻った。そうして声を殺して泣いた。散々泣いて、何度も心の中で怒り、博貴に文句を言って、言葉が無くなって初めて博貴の気持ちが分かった。
博貴はどんなことをしても大地を守りたかったのだ……。
仕事が始まり最初は躊躇したものの、すぐにいつものペースを取り戻した。肋骨の方も回復し始めると意外に早く治り、医者から太鼓判を貰った。若いからだろうねえと言われたが、それもあるのだろう。それでも遅いほうだと大地は思ったが、思い切り走れることがこんなに嬉しいこととは思わなかった。
会社の方が気を使って、暫く日勤に廻してくれていたため、それほどきつくは無かった。仕事をしている方が気が紛れるのだ。博貴とは時折会うが、藤城からの誘いで食事に出かけたり、真喜子と出かけたり、兄達と出かけたり、会社の人達が全快祝いだのなんだのと晩は振り回されて、一緒に食事をしたりすることがなく、暫く顔さえ見られない日が続いた。博貴の方もあれ以来気を使っているのかこちらに来ることは無かった。大地の方も、帰ってくると博貴の家の電灯が消されている為に休んでいるのだろうと気を使って行かなかったのだ。
ようやく定休日が休めるようになり、その前の日に藤城から電話が入った。
『明日休みだったね、ドライブに行こうか?』
「藤城さんとの約束でしたから行きます」
大地は言った。明日ははっきり言おうと思ったのだ。
『じゃあ、朝早いが九時頃迎えに寄るよ楽しみにしているよ』
「あ、九時ですね。用意して待ってます」
大地がそう言うと藤城は携帯を切った。ふーっと一息ついて振り返ると、博貴が扉を開けて、こちらを見ていた。
「……盗み聞きは失礼だと思わないか?」
ジロリと博貴の顔を見てそう言った。
「はは……塩借りようと思って覗いたら……偶然ね……」
「塩……?」
なんだか計画的にも思えたが、大地はキッチンに行って塩の袋をとり、博貴にそれを渡した。
「はい、返さなくてもいいよ。俺、塩とか米とか砂糖とか……実家からなんか一杯送ってくるからさ」
「ありがとう……」
博貴が帰ろうとした時、大地は妙だなと思い出した。塩は沢山あったはずだった。
「なあ、塩おまえんち一杯あったぞ。何に使うとそんなに減るんだよ」
「え、いや、その……」
博貴は困ったような顔でそう言った。
「違う用事だったとか?」
じーっと博貴を見ると、はあと溜息を一つついて言った。
「明日休みだろうから……何処かに出かけないかと誘おうとしたんだけど……色々お世話になったしね。でも先約入ったみたいだから……」
「……ありがとう……でも俺……明日は大事な日になりそうだから……断れないんだ」
あ、なんか変な言い方をしてしまったと思ったが、言い直しも出来ずに大地は何故か顔が赤くなってしまった。
「いや、いいんだよ……はは……又今度があるし……」
「大良、まだ身体そんなに良くなってないんだから、お前はあんまりうろうろすんなよ!分かってる?」
「あ、ああ、そうだね……はは、じゃ……」
博貴はすごすごと帰っていった。
「まず、絶対あいつ誤解してるよな……」
大地はそう確信したが、まあ、明日全部それも解けると思い、大地はその晩ぐっすりと眠った。だが博貴は眠れなかった。
朝までまんじりと過ごした博貴は、九時に大地が出ていく音を遠くに聞いた。大事な日になるといったのは、とうとう藤城のものに大地がなるということなのだ。頭がガンガンして気分も悪かった。ここしばらく大地とはほとんど会えなかった。大地が忙しすぎたのだ。こちらは大人しく家でぼんやりと過ごしたが、身体は治ってきているのに、心が病気になったように重かった。
昼頃までぼんやりと過ごしていたが、そこに真喜子が尋ねてきた。
「どう?」
真喜子は自分の家のように玄関を上がり、ソファーに座った。
「やあ、真喜子さん……」
「大ちゃんとどんな感じ?」
「君ねえ……いきなりそれは無いだろ……まあ、来ると一番最初に聞くのはその事だけどね……今日はちょっときついかな……」
ははと博貴は情けなく笑った。
「あらら、今までは嬉しそうに、あれしてくれただの、これしてくれただの、でれでれと言ってたのに」
「そうなんだけどね……今日は藤城さんと朝から出かけてるみたいだよ。昨日大地が言ってたけど、大事な日になるってさ……」
「あらあ……あの二人、そこまで進んじゃってたの?確かに藤城さんはいい男だけど……優しいし気前は良いし……。でも光ちゃん、貴方今まで何の手も打たなかったの?」
「手を打つっていってもね……私の方も暫く身体が動かせなかったし、動けるようになったら今度は、大ちゃんが忙しかったから掴まらなかったんだよ……君だって大ちゃんを連れだして食事に連れて行っただろ。そんな人ばっかりでいつも夜が遅くてね……」
「あはは、まあ、大ちゃんは人気者だから仕方ないじゃない」
「それに、大ちゃん自分の部屋でどうも藤城となんかあったみたいだし……。そういうのこの間、聞こえて……さ。聞くつもりはなかったんだけど、聞こえたんだから仕方ないよ。ここ壁薄いから。それでそのあと会ったら大地、首元にキスマーク付けてるんだから……落ち込むよ……」
「……うーん。じゃあ、大ちゃん今度は藤城さんを選んじゃったんだ」
真喜子は腕組みしてそう言った。
「……信じたくないけど……そうなんだろう……。藤城が一度大ちゃんを自分のものにしたら、絶対ここから引っ越させるね。何たって私が隣に住んでるんだから……」
はあと博貴は溜息を付いた。
「……大ちゃんに聞いたの?藤城さんが好きって?」
「怖くて聞けないよ……」
頭を抱えてそう言うと、真喜子が笑い出した。
「光ちゃんってホント大ちゃんには臆病よねえ……他の女口説いてたころと全然違うんだもん……あーんなに自信家だったのに、大ちゃんにはへろへろなんだから……」
「……自分でもそう思うよ」
「こればっかりは私にも力になってあげられないわ……。選ぶのは大ちゃんだから……」
「気持ちだけで嬉しいよ」
「そーんな落ち込んでないで食事にでも行きましょうよ」
「……今日はそんな気分じゃないよ……」
そう言う博貴の腕を引っ張って真喜子が言った。
「その年で隠居する気?ほら、気分が変わるかもしれないわよ。家にこもってたらよからぬ想像ばっかりするだろうから、ちょっとご飯でも食べて頭を切り換えなさい」
「それも……いいかもしれないね」
博貴はとりあえず真喜子と食事に出かけたが、やっぱり頭の中は大地のことで一杯だった。結局どうにもならなかったのだと必死に自分に言い聞かせるのだが、諦め切れない気持ちの方が大きい。
「ねえ、私思うんだけど、この状態でさ、大ちゃんの記憶が戻ったらどうなるのかしら?そのときやっぱり藤城さんを選ぶのかな?それとも光ちゃんの所に戻ってくるかな」
「分からないよ……それは……何より私は酷く傷つけて切り捨てたんだから……」
「でもね、私それでも光ちゃんのこと好きだと大ちゃんが言いそうな気がするの。で、記憶を戻したら、自分の隣に光ちゃんじゃなくて藤城さんがいたらどうなるのかなって……」
真喜子はそう言ったが、それこそ分からない。結局大地が選ぶのだから。
「まあ……私なりに……細々大ちゃんとの事を続けていくよ……完全に切れるのだけは……耐えられないから……」
どんな慰めよりも大地の温もりに勝るものはないのだ。
「でもさあ、藤城さんが許してくれるのかしら……」
その言葉を聞いて博貴はムカッとした。が、そうかもしれない。細々続けるのもなかなか難しくなるのだ。
大きな溜息をついて博貴は真っ青な空を眺めた。何処かで大地もこれを見ているのだと思って、目が潤んだ。
大地はそのころ藤城と横浜まで来ていた。お昼を中華街で取り、辺りをぶらついてから車に乗って横浜港の公園に着いた。潮風が心地よく頬に当たる。
「あの……藤城さん……」
「なんだい?」
「俺……藤城さんに黙ってたことあるんだ……」
振り返って大地は藤城に向かって言った。
「……実は記憶なんか最初から無くなってなかった……だろう?」
いきなりそう言われて大地の方がびっくりした。
「え、ええええ?何で?何で知ってたんですか?」
「……ものすごく下手だったからね」
くすくす笑いながら藤城は言った。
「……って事は……他の人もそう思ってるのかな……」
「さあ、どうだろう……まあ、大良さんは君に騙されていることを全く気が付いていないみたいだがね……多分君のことばかり考えていて冷静に見られないのだろう」
「……はあ、そんなに下手だったんですか……演技……」
「まあ、なかなか面白かったよ……で、君はどうだったんだい?」
藤城に問われて大地は困惑した顔で言った。
「嘘を付くと又その上に嘘を付かなければいけなくなって……辛かったです」
「うん……それが分かればいいだろう……。そうしたい気持ちも分かっていたしね」
「……そうなんだ……」
藤城は何も言わなくても分かっているのだろう……。
「大良さんには言ったのかい?」
「これから……言おうと思ってるんです……身体も回復したみたいだし。まだ痛がってますけど……」
「君のために負った傷だからね……」
知っているのだ。どういう怪我だったのかを……。
「うん……あいつ……馬鹿だから……」
そう言って暫く大地は遠くの景色を見た。真っ青な空が目にしみる。
「……ごめんなさい……藤城さんは優しくて……何時も俺のこと甘やかせてくれて……本当に本当にいい人なのに……」
知らずに大地は涙を落としていた。
「分かっていたよ……最初から……あの日彼が君を奪いに来た時から……それでも少し期待を持っていたんが……ま、人間期待とか希望とか持つ方が人生楽しく過ごせる」
ニコリと笑みを浮かべて藤城は言った。
「俺……」
きっとどんなことがあっても博貴と別れる事は出来ない。そう言うつもりだった。
「期待と希望だけは持たせてくれないか?」
藤城は大地が言おうとしている言葉に気が付いたのかそう言って、大地を黙らせた。
「……うん……」
結局大地は藤城に何も言えなかった。