「暴走かもしんない」 第3章
恋人としてって……。
もちろん俺に振りをしてくれってことだと思うけど。
でも、ちょっとそれは博貴の手前……う~ん。
いろいろ言いたいことはあるのだが、目の前にチャイナ服の女性が料理の皿を並べているので、できない。藤城の方は大地を見たまま微笑していて、落ち着いた大人の雰囲気を漂わせたまま、座っていた。
「……藤城さんなら、もっと他に適任がいると思うんですけど……」
チャイナ服の女性に聞かれても、当たり障りのない言葉を大地は口にした。
「確かに、実父を諦めさせるためだけのことだから、そうかもしれないね。ただ、例え嘘だとしても、私自身が気が進まないんだよ」
「気が進まないんですか?」
「ほら、例え最初は事情を理解してくれた人が協力してくれたとしても、もし、相手が本気になってしまったら困るだろう?だが大くんなら、大良くんがいることだし、そういった心配をせずにすむ」
藤城はジャスミンティーを飲みながら、ごく自然な口調でそう言った。そのためかチャイナ服の女性は不審な顔を見せることもなく、部屋から退出する。
「どうかな、大くん。困っている私を助けてくれないか?」
困っているようにはあまり見えないのだが、藤城はあくまで大地を恋人役に仕立て上げたい様子だ。
「……藤城さんの言ってること……理解できるような、そうでないような……」
「あはは。深く考えなくていいんだよ」
他の誰かが『相手が本気になったら困る』と言えば嫌味に聞こえたのだろうが、何故か藤城だと大地は確かにそうだと頷いてしまうのだ。また、藤城の言うように、大地は博貴と付き合っていて、今後一切、藤城の気持ちは受け入れられないと、すでにはっきりと断っていた。藤城も大地の気持ちを理解してくれたから、今も友達として付き合っている。その友達のたっての願いを断るわけにはいかないだろう。
「……まあ……ふりだけなら、俺、やってもいいです」
入院している実父の元へ藤城と一緒に向かい、そこで恋人の振りをするだけで終わるだろう。そんな、一時間もかからないことをやってくれと頼んでいる藤城に対して変な勘ぐりをして、断るのも悪い気がした。
「そうか。大くんならきっといい返事をしてくれると思っていたんだよ。いろいろ拘束してしまうこともあるだろうが、例え仕事を休ませてしまうことになっても、その分、きちんと保証はさせてもらうよ」
……は?
いろいろ拘束とは何を差しているのだろうか。
「ええっと……俺、藤城さんが何を言ったのかよく分からないんですけど……いろいろ拘束って……?」
「いや……恋人のことを説明するのに、育ちのいい、良家の出だと言ってあるんだよ。だからそれらしい振りをしてもらうために、服装からそれなりの格好をしてもらわないとならなくてね。大くんには悪いと本当に思うんだが……」
「……良家の出って?俺が?そんな無茶なことをどうして言ったんですか?」
大地は見た目こそ少女に間違えられることが多いが、田舎育ちで太陽をいっぱいに浴び、大地を裸足で走り回って育った。だから良家の出という雰囲気など持ち合わせていないし、貧乏がどういうものか知っていても、そういう煌びやかな世界がどんなふうなのか、全く想像もできないし、知らない。
「ただでさえ、私に継がせようと躍起になっている実父だ。大くんのことをそのまま、喧嘩が強い男などと説明すれば、自分の組に勧誘しかねないだろう?」
「ええっ!それは……困る。俺、暴力団は生理的に受け付けないんです。あ、藤城さんとか、安佐さんとかは別なんですけど……」
「分かってるよ。最初からそう聞いているからね。私も、同じ気持ちだよ」
そう言って小さく笑う藤城だったが、ますますかけ離れた世界の住民に染まっているように、会うたびに思う……などということは、大地には言えなかった。いや、このままずるずると実父に引き延ばされて、結局、組頭に収まりそうにも見える。藤城自身、その辺りをどう考えているのか、大地には分からない。藤城は一見、本音を口にしているようでいて、実際は本心を見せていないように思えるからだ。
もっとも、落ち着いた雰囲気がそう大地に思わせているだけで、本当は違うのかもしれない。
「すみません……」
「だからね、大くんに協力してもらいたいんだよ。このままじゃあ、本当に私は組を継がされてしまう」
藤城は苦笑しながら、ため息をつく。
「俺ができることなら……協力してもいいですけど……」
「けど?」
「……博貴に……話しておいたほうがいいかな……って」
話せば一悶着ありそうだが、だからといって黙っていたらそれはそれでまた問題が大きくなりそうな気がするのだ。ただ、今日のことを話せば、藤城と時折会っていたことも打ち明けなければならない。
それらを思うと、大地は少しばかり気が滅入る。
「当然だろうね。ただ、大良くんは私を快く思っていないから、問題が出そうだが……。もし、大良くんが駄目だと言い張ったら、私も無理にはお願いできない。だから返事は保留と言うことにして、了承が得られるかどうか、まずは大良くんに話してくれないかな?それから返事をくれるといい」
「……それでいいんですか?」
まず、どんなことがあっても博貴は了承などしないだろう。それを藤城は理解していて、言っているのだろうか。もっとも、大地は助かるのだが。
「ああ、君たちの仲を険悪にするために、大くんに頼んでいる訳じゃないんだからね。駄目なら、諦めるしかないさ。さあ、話しはここまでにして、食べようか?でないと、せっかくの料理が冷めてしまうよ」
藤城は本心の読み取れない笑顔を浮かべたまま、テーブルに所狭しと置かれている料理を勧めた。
その日の夕方、帰宅した大地は、頃合いを見計らって博貴に打ち明けようとしていた。けれど、藤城という名前を口にしただけでも不機嫌になる博貴だ。今は機嫌良くウサギのウサ吉とリビングで遊んでいるが、この話題が出たらどうなるか、大地にも予想がつかない。
話すって俺から言ったんだけど……。
ちょっと、厳しすぎるよな。
「大ちゃん、どうしただい?さっきからそこをウロウロしてるけど……」
ローソファに横になり、ウサ吉を腕に抱いている博貴が大地の挙動不審に気づいたのか、声をかけてきた。
「え……あ、夕飯を和食にしようか洋食にしようか……悩んでるだけだよ。大良はどっちがいい?」
「大ちゃんが作りやすい方でいいよ」
「じゃあ……やっぱり和食かあ……」
すでに和食で料理を作り始めていた大地だが、笑いで誤魔化し、すぐさまキッチンに戻った。
困った……。
打ち明けるつもりでいた大地だが、博貴の顔を見ると決心した気持ちがぐらつくのだ。
でも、やっぱり言わないと……なあ。
大地がようやくそう決心したと同時に、携帯が鳴った。
「はい。大良ですが……ええっ、安佐さん?」
驚いたことに、かけてきたのは安佐だった。どうしてこの番号を知ったのか、それとも藤城に聞いたのだろうか。
『ボン、すんません……若頭には内密でお話ししたいことがあって……。ボンの携帯番号は川上の姉さんに頼み込んで教えてもらったんです。迷惑だとは分かっていたんですが……』
「構わないですけど……藤城さんに内密で……って、なんですか?」
『……断るってことないですよね?』
それは、藤城からの頼みのことだろう。
「……え……あ……う~ん。博貴に話してから……としか俺、答えられないんですけど」
『ボンの立場も分かってるんですが……今、若頭は非常に微妙な立場に立たされてるんです』
「微妙な立場って……?」
『跡目争いですよ……ボン。そのことを若頭がお話をしたかどうか分かりませんが……実は、大変なんです』
「俺にはよく分からないんですけど……」
『若頭が……跡目を継ぐことに難色を示していらっしゃることは、当初から分かっていたことなんですが、先日も父親である組長とやりあったとばかりで……もう、俺たちも困ってます』
大地には事情が全く飲み込めないのだが、安佐のせっぱ詰まった声を聞いているだけでも、大変なことだけは伝わってきた。