Angel Sugar

「暴走かもしんない」 第10章

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 博貴のムッとした表情から、藤城に送ってもらったところを目撃されたことが分かる。問題は、雨を避けるため、藤城が自らの上着を大地に被せてくれていたところも見られたことだ。
 大地は一瞬、身体が硬直しそうになったが、こういう時こそ冷静になり、誤解を招かないようにしなければならない。
「……帰る途中、藤城さんに偶然会ったんだ。いつもなら帰るんだけど、大良が今日、バイトだって言ってただろ。俺も一人でご飯を食べるの寂しいしから、藤城さんと一緒にご飯食べて、送ってもらったんだ」
「……どうせそれだけじゃ、ないでしょ」
 博貴は目を細めて不快感丸出しの表情で、大地を見下ろしている。だが大地だって、こんなふうに見下ろされるのは、不愉快だ。
「藤城さんと一緒だったからって、そんなふうに言うな。大良が勘ぐるような、何かがあるわけないだろっ!俺って大良からすると、そんなに信用できない恋人なのか?」
「結局……大地は私の気持ちなんてどうでもいいんだね」
 はあっと深いため息をついて、博貴は言った。
「どうでもいいなんて言ってないだろ」
「藤城の恋人役をするわけだ」
「……ちょっとの間だけだよ。別に恋人になるわけじゃないだろ」
「実は、私も似たようなことを頼まれていたんだけど、引き受けることにするよ」
 博貴はそう言ってようやく組んでいた手を解いて、大地に背を向けると、エレベーターホールに向かって歩き出した。
「……は?おい、ちょっと待てよっ、博貴っ!」
 大地が慌てて駆け寄り、博貴の腕を掴んで、歩を止めた。博貴はいままでとはうってかわって、笑顔で振り返り、ゆっくりと大地の手を振りほどいた。
「なんだい、大ちゃん」
「お前のやってることって、単なる当てつけじゃないかっ!そう言うやり方って、最低だと思うぞ」
「昨日、今日の話しじゃないよ。これ、以前から頼まれていたことなんだよねえ。私だって最初は断ったんだよ。いくら友達の頼みだと言っても、恋人ふりはねえ……私には大ちゃんっていう恋人がいるし、相談されても鼻から相手なんてしなかったんだ。でもねえ……大ちゃんは、藤城の頼みを引き受けたんだよね。最初は、その考えを理解できなかったんだけど、事情がどうあれ、困っている友達の力になってあげなくちゃと思い直しただけだよ」
 博貴はにこやかな顔でそう言ったが、絶対に昨日、今日の話しに決まっているのだ。もともと博貴にはこういう意地悪なところがある。どうせ、大地を困らせるために、自分から積極的に引き受けたに違いない。
「……あ~そう。そういうふうに言うんだな。マジで、お前性格悪いよ」
「友達思いだって褒めてくれるのかと思ったら、そういうふうに言っちゃうわけ?それとも、偶然大ちゃんと同じ立場に立たされている私を、自分のことは棚に上げて、怒る気かい?」
 してやったりという顔でニヤニヤしている博貴に、大地は唇を尖らせた。
「……別に、怒る気はないどさ」
「なら、いいでしょ」
 博貴はそう言い、また大地に背を向けて、エレベーターホールに向かって歩き出した。その後を大地は渋々ついて歩いた。
 確かに博貴は大地と同じ立場だ。どちらとも友人の頼みを聞いただけで、自分の付き合っている相手を不快にさせる気などなかった。ただ、博貴の言うことももっともなのだが、どう考えても納得ができない。
 頭の中では悶々としているのだが、かといって、ここで大地が問いつめたり、怒ったりすると、博貴の思うつぼだ。どうせ、「じゃあ、二人とも断ろう」という提案が出されることは目に見えていた。
 どういう事情があろうと、一度引き受けたことを、簡単に断ることはできない。だから、博貴がしたことは腹立たしいものの、彼が望む反応を見せてはならないのだ。
「お前もがんばれよ」
 大地の言葉に、博貴は振り返ることなく「もちろん」と答えた。



「……大くん……聞いているかい?」
 藤城の声で大地はハッと我に返った。
 ぼんやりしていたのか、今まで藤城が何を話しかけていたのか、全く覚えていない。
「あ……すみません。ちょっとぼ~っとしてました」
「お茶でも飲んで一服したほうが良さそうだね。川原さん、大くんに温かいココアを。私はいつものものを」
「かしこまりました」
 川原はそう言ってリビングを出て行った。
 大地は小さくため息をついて、姿見に映る、まるで別人になった自分を眺めながら、ソファに座った。
 二週間の特訓のおかげで、大地は女性に化けることに成功していた。
 少しばかりかかとのあるヒールにも、慣れた。外向きになる足も、内側とまではいかないが、真っ直ぐ歩けるようになった。気がつくとすぐに仁王立ちになっていたが、今はもうそんなことはない。
「ここしばらく、時々、ぼんやりしていることに気付いていたが……何かあったのかい?」
「別に何も。ちょっと疲れてるのかな……あっ、引き受けたことが原因とかそういうのじゃないです」
 ぽろりと零れた本音を、大地はすぐさま否定した。
「確かに慣れないことばかり大くんに強要してるからね。本当に申し訳ないと思っているよ」
「引き受けたからには、途中で投げ出したりしません。最後まで、俺、ちゃんとしますから」
「そう言ってもらえると、安心だよ。ところで、大良くんのお店にそろそろ偵察に行けるんじゃないかな。こうやってみていると、本当に大くんとは思えない。口を開かなければ、ばれないと思うよ」
 藤城の言葉に、大地はもう一度姿見で自分の姿を確認して、一人で頷いた。
 これならばれないだろう。
 ずっと気になっていた博貴の行動をつぶさに見られるのだ。
 いつもは週に二日から三日ほどのアルバイトだが、それ以外にも友達の恋人役を演じるためと言い、ほとんど毎日出かけている。間違いなど何もないと信じてはいるが、遅く帰ってくると、心配になる。だがいつの間にか、この話題は互いにしない……という暗黙の了解が互いの間にできあがっていて、口にできないのだ。だからこそ、余計に、ホストクラブに来るという、博貴の女友達のことが気になっていた。
 どういう女性なのか。
 可愛らしいのか、それとも年上の女性なのか。
 どうしても相手だけは確認しておきたい。
 いや、博貴は藤城のことを知っているのに、大地が博貴の相手を知らないというのは、なんだかフェアじゃない。
 ただ、大地が一人で行くのは、例え女性の格好をしていても、かなりの勇気が必要だ。かといって、藤城についてきてもらうわけにもいかない。
「行ってみたいんですけど……俺……俺一人じゃあ、かなり不安かな……」
「多分、そうなるだろうと思ってね、余計な世話かもしれないが、心当たりを探しておいたよ。私の叔母に娘さんがいるんだが、彼女に事情を話したら、快諾してくれたよ。もちろん、支払いのスポンサーは私なんだが……」
 藤城は苦笑しながらそう言った。
「え……甘えて、いいんですか?」
「大くんには私の方が甘えているんだから、このくらい協力させてくれないか。それで、いつがいいんだい?」
「明日……明日がいいです」
 一刻も早く確かめたかった大地は、思わずそう言っていた。
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