Angel Sugar

「暴走かもしんない」 第12章

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(ちょ……ちょっと知美さん……)
 大地は隣に座る知美の耳に口を近づけて、小声で言った。
(し~だめよ。おかまみたいに聞こえるから、声は出さない方がいいわ)
(し……支払いのこともちゃんと考えて欲しいって言ってるのよ)
 一応、大地は女言葉を使ってみたが、知美は笑いを堪えるのに必死な顔をした。けれど、やはり耐えられなかったのか、すぐさま身体をエビのように折り曲げ、腹を抱えて笑う。周囲のホスト達は知美に「大丈夫ですか……」と口々に言い、心配そうな表情を取り繕っていた。だが、彼らが本気で客を心配することなどない。もっとも、支払いがきちんとされるのかどうかは、いつだって心配しているはずだろうが。
 ホスト遊びなんて……ほんっと馬鹿馬鹿しい……。
 大地がそう思えば思うほど、顔に張り付いていた笑顔が引きつっていくような気がする。問題は、大地自身があまりホストという職業が好きではないからだろう。
 大地は弾けている知美を後目に、チラチラと博貴を窺っていた。先程までは四十歳くらいの女性と話していたが、今は席を替わっていて、違う女性と話しをしていた。今度は美人で派手な感じの女性だ。
 あれ、何人目だよ……。
 でもまだ……仕事用の笑顔だ。
 さすがに一緒に暮らして、付き合いも長くなると、博貴の笑顔が仕事用なのか、それとも違うのか、分かる。もし、博貴が本当に自分にとって友達だという女性がやってきたのなら、その笑顔は営業用のものではないはずだ。その想像が間違っていないのなら、大地が心配している相手はまだやってきていないはず。
「ねえ、君。彼氏いるの?」
 隣に座った男が営業用の笑顔で聞いてきた。
 大地はどう答えるべきか悩んだ末、言葉にはせずに左右に手を振った。
「ごめん。突然、彼氏がいるの~なんて聞かれたら、嫌だよね?俺も、いつもはそんなこといきなり聞くようなことしないんだけど、君が特別な存在だって、遭った瞬間にピンときたんだよ」
 特別な存在だと言えば、女は喜ぶと思っているのだろうか。それはあまりにも女性を馬鹿にしている。
「ええ~、それ、営業で言ってるんでしょう?やだ~ちょっと、紫織聞いてよ。私、可愛いって」
 隣の知美は馬鹿にされているのに、喜んでいる。
 いや、だから……。
 なんで、本気にしてるんだよ。
 こいつら、お前のこと、カモだって思ってるの、分かるだろ!
 つうか、もう、滅茶苦茶カモ扱いじゃん。
 テーブルの上にワインやシャンパンが並び、フルーツ盛り合わせまで置かれていた。普通、女性の席には一人か、多くて二人のホストが相手をしているのに、この席には五名もぞろぞろと似たような顔の男が、愛想笑いをみせている。
 大地はすでにうんざりだ。
「ねえ、ともちゃんの友達は大人しい子だね」
 ともちゃん……。
 もう、ニックネームで呼びやがって……。
 なんだよ、この軽さはっ!
 知美が一言注意するかと思ったが、悪い気がしないのか、嬉しそうに「紫織は普段からあんまり話さない子なの。気にしないで、じゃんじゃん、飲んで」
「そうなんだ~。紫織ちゃんって言うんだ。深窓の令嬢っていう雰囲気だね。すごくキュートだ」
 俺がキュートなら、お前は、キュウリだっ!
 ひょろひょろしやがって、男だったらもっと身体を鍛えろよ!
 心の中だけで叫び、大地はウーロン茶を飲んで気持ちを落ち着ける。
「ほんと、すごく可愛いのよね~。同性でも嫉妬しちゃうわ~」
 同性じゃねえだろっ!
「もう少し背が高かったら、モデルで大活躍してそうだよ」
 身長のことは言うなっ!
「え~。私にも言って、言って~。モデルになれたって」
「君はすぐにモデルになれそうだよ」
 軽薄な言葉に、本気で大地は拳を振り上げそうになる。
 大地は、こういう、へらへらチャラチャラした男が苦手なのだ。いや、性格的に、根性をたたき直してやりたくなるのだから、どうしようもない。
 だが、今、大地は女性だ。
 どんなにむかつく言葉を聞かされても拳を振り上げてはいけないし、聞けば耳が溶けそうなほど、気障な言葉にも怒鳴り声を上げてもいけない。
 しとやかに両脚を閉じて、微笑を浮かべて、ひたすら耐えるのだ。
 極寒で我慢大会をするほうがましかもしれない状況だが、大地は博貴の行動をそれとなくチェックするためにやってきたのだから、今、音を上げるわけにはいかない。
 あれ……。
 博貴がまた席を立って、店の入り口へ移動していく。一瞬、見えた表情は、取り繕った営業用の笑顔ではなかったような気がする。だが、今は背中しか見えず、どんな相手を迎えに出たのか分からない。
「俺の見間違えかもしれないけど、さっきから光さんを追いかけてない?」
 その言葉に、大地は思わずウーロン茶を吹いた。
「だっ……大丈夫、紫織」
「大丈夫ですか?」
 周囲から次々差し出されるハンカチを押しのけ、大地は自分の鞄からハンカチを取りだして、口を拭った。
「大丈夫?」
 もう一度掛けられた知美の言葉に、大地は大きく頷いた。
「……あの、もし、光さんが気に入られたのなら、お呼びしますけど……」
 大地はまた手を左右に振った。
 いくら完璧に女装をしているからといっても、博貴が大地のことを見破らないとは言えない。だから、あまり近い場所で観察されたくないし、このテーブルに来られるのだけは、絶対に避けたかった。
「ううん。違うのよね~。紫織はああいうタイプが嫌いなのよ。以前、知美を振った男に似てるっていうか……。思い出して腹が立つのよね~し・お・り」
 事情をどこまで藤城から聞かされているのか分からないが、知美は大地の助け船を出してくれた。
 大地はやっぱり顔を上下させるだけで声は出さなかった。
「そうなんだ~」
 ホスト達はどこか嬉しそうに口々にそう言った。
 自分達の客だと思っている相手を、博貴に取られたくないのだろう。これで博貴がこの席に呼ばれることはない。
 大地はホッとしながら、また博貴の様子を窺った。
 博貴がエスコートした女性は、大地達の隣の席に座った。博貴がちょうど大地と背が合わさるような位置で座っているため、向こうがこちらを見ることはない。ただ、少し視線を向けると、相手の女性の横顔が見えた。
 その女性は、ホストクラブに来る女性からすると、どこか場違いな印象がある。
 煌びやかな服装でもない、ブランドの鞄を持っているわけでもない。派手な化粧もしていないし、髪を完璧に巻いているわけでもなかった。
 本当にごくごく普通で、美人ではないが、笑うと可愛い。
 大地はなんとなく博貴に頼み事をしたのは彼女なのだとピンと来た。だが、大地の勘などあてにならないだろう。もしかすると、違う可能性だってあるのだ。
 だが、向こうの会話が背後から聞こえ、大地は思わず耳を澄ました。
「……光さん、本当にいいの?私……光さんからいいよって言ってもらえて……最初は嬉しかったんだけど、今は、申し訳ない気持ちでいっぱいなんです……」
「私の恋人からも許可が出てますから……絵里子さんは、何も心配しなくていいんですよ」
 俺……許可なんて、出したっけ?
 なんとなく博貴の言い方にカチンと来た大地だったが、お互い様であることを思い出して、苦い気持ちになっていた。
 相手の女性が派手で、遊んでいそうなタイプだったら安心ができた。
 チャラチャラしていたり、無茶苦茶年上だったり。
 そういう相手なら良かったのだ。
 だが、博貴が絵里子と呼んだ女性は本当に普通の女性だった。
 それが、大地には気に入らなかった。
「紫織さん、楽しんでます?」
 背後に座る博貴のことを考え、目がやけに据わっていた大地に気付いたのか、ホストの一人が聞いてきた。
「紫織、気分でも悪い?化粧室に一緒に行ってもいいよ。ていうか、行こう」
 知美はそう言って立ち上がると、大地の手首を掴んで通路に引っ張った。
「ごめんなさい、ちょっと化粧室に行ってくる。すぐに戻ってくるから……」
 大地は知美に引きずられるようにして、化粧室に連れ込まれた。
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