Angel Sugar

「暴走かもしんない」 第8章

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 はあ……困ったなぁ……。
 大地は先程から時計を眺め、ため息ばかりついていた。
 ビル街の真ん中にある噴水の周囲には、大地のように待ち合わせをしている人達が集まっていて、地面に座り込んだり、柵に凭れたりしている。大地は噴水の縁に座り、ぼんやりと空を眺めていた。ここにいること自体、なんとなく後ろめたく、博貴に対して申し訳ない気持ちに陥っていたのだ。
 今日は昼に藤城から連絡が有り、仕事が終わった後で会う約束をした。博貴は今晩倍との日で、ホストクラブへと出かけているはずだから、帰りは遅い。藤城と会っていることは、ばれないはずだった。
 聞かなきゃ良かった……。
 昨夜、たとえ話をして博貴の反応を見ようとした大地が問題だったのだろうが、ばれてしまったのだから仕方がない。問題はそのことで博貴がいまだかつてないほど怒っていることだ。
 話し合いが決裂した後、博貴は大地が何度声をかけても返事を返してくれなかった。一晩経てば、少しは落ち着いてくれてるだろうかと期待したが、朝から何度「断るんだろうね?」と言ったのか、思い出したくないほど博貴はしつこかったのだ。
 博貴の大人気ない態度には呆れるものの、原因を作ったのは自分だという自覚がちゃんとある。ただ、引き受けてしまった以上、今更断ることができないのだと、僅かでいいから考慮して欲しいのだが、それは大地の身勝手な考えだろう。
 昨晩、背中合わせで博貴とは寝たのだが、なかなか寝付けなかったのもあって、いろいろ考える時間がたっぷりあった。もし逆の立場だったら、大地は博貴の言い分に理解を示せただろうか。博貴のことを好きな女性がいて、大地という恋人がいるのを知っていてなお、友人として付き合っていたとしたら、やはりその女性の存在を快く思わなかったに違いない。しかもその女性が博貴に恋人役を頼んだら、気分が悪いどころの話ではなくなる。
 やっぱり俺が悪いんだよな……。
 今度、博貴の好きな料理をたくさん作って、機嫌を取るしか今のところ宥める方法はなさそうだった。もっともそんなことで博貴が誤魔化されてくれるとは思わないが。
「大くんっ!こっちこっち」
 藤城の声が響き、大地が声のする方へ顔を向けると、表通りに車が停められていて藤城の姿が見えた。大地は慌てて藤城のところまで走った。
「車で来たんですか?」
「そうだよ。今日は家でいろいろ準備をしてもらわないといけないからね」
「……え?」
「さあ、乗って」
 藤城は助手席のドアを開けて、大地に乗るよう促してくる。今から藤城の自宅へ行くのだと、一瞬、躊躇したものの、相手は藤城だ。何かあるわけなどないのだ。とはいえ、あそこでは、藤城が傷心の大地を慰めてくれたり、そこへ博貴が乗り込んできて、随分もめたこともあったのた。少しばかり気が進まないのも当然だろう。
「はは……。お手伝いの川原さんもいるから、安心してくれていい」
「え……いえ、そうじゃないんだけど……はい。乗ります」
 考えが見透かされたような気がして、大地は慌てて否定したが、藤城は苦笑していた。
「大くんは本当に嘘がつけいないね。それがいいところなんだが……」
 大地は羞恥で顔を真っ赤にさせながら、助手席に乗った。ドアはすぐに閉められ、藤城が運転席に乗り込み、前を向いてハンドルを握る。
 その横顔は端正だが、博貴のような甘さがなく、シャープな印象があった。けれど、瞳はいつも穏やかで、大人の包容力を備えた紳士だ。大地が妙な薬の効果で欲情に駆られてしまったときも、藤城は手を出すことなく、介抱してくれたこともあった。そんな藤城を一瞬でも疑ったことを、大地は心の中で恥じた。
「川原さんが一番張り切っているようだよ。ああ、アップルパイも用意しておくと今朝、言っていた」
「わあ、楽しみ~。俺が同じように作っても味が違うんですよ、不思議だよな……」
 お手伝いの川原は小柄でぽっちゃりした中年の女性だ。川原が作るアップルパイは絶品で、大地は作り方を以前聞いて自分でチャレンジしてみたのだが、同じように作っているはずなのに、あの舌がとろけそうな風味が出ない。
「それにしても、大くんが引き受けてくれて本当に助かったよ。無理だろうと思っていたから、逆にとても嬉しかった。それにしてもよく大良くんが許してくれたね」
「え……まあ、藤城さんとはいい友達だってこと、分かってくれてるみたいだし……」
「……本当かな……」
 藤城は小さく笑い、そう言った。
 何もかも藤城に見透かされているような気がしないではないが、本当の事を話すわけにもいかず、大地は「もちろん」と返事をした。
 いまここで、藤城に事情を話し、断ることは簡単だろう。けれど、大地にも引き受けたからには最後まで責任を持ちたいという意地があったのだ。
「実際のところ、本当にありがたく思っているんだよ」
「それで……さしあたって俺は何をしたらいいんですか?」
「大くんには本当に申し訳ないことばかりなんだが……」
 相変わらず前を向いたまま運転に集中し、藤城は咳払いを一つして続けた。
「……女装……してもらうことになるんだ」
 大地はすぐに藤城の言葉を理解することができず、「へ~女装か~」と何故か感心したように口にして、すぐさま「ええっ!」と、素っ頓狂な声を上げた。



「大地ぼっちゃはやっぱり地毛と同じ薄茶色のカツラが似合いますね。やっぱりストレートねえ」
 川原は真剣にそう言って、カツラを選んでいる。
 今日は予行練習だと言って、体型があまりよく分からないワンピースを着せられ、化粧をされた。挙げ句の果てはカツラだ。最初はやんわりと抵抗していたものの、あれやこれやと着せられ時間が経つと、今度は疲れてきた。いつしか、自分の姿や格好はどうでもよくなり、川原の独擅場になっていた。
 藤城といえば二人の姿を何故か微笑ましく眺めていて、その視線が痛い。
「……こんなに可愛らしい女の子がいたら……もう、すぐに真一郎ぼっちゃまのお嫁さんに推薦するんですけどねえ……」
 ホウッとため息をつきながら川原は言うのだが、化粧されたためか、顔に何か膜でも貼り付けられたような圧迫感がして、大地は息苦しい。
「……あのう……俺、早く顔、洗いたいんですけど……」
 自分の顔がどうなっているのか、鏡を見ていないため、大地には分からない。けれど、川原が感激しているところを見ると、女装もまんざらではなさそうだ。とはいえ、あまり嬉しいことではないが。
「まあ、まだですよ。準備が整ったら、今度は歩き方を学んでもらわないと」
「ええ~」
「それより、大地ぼっちゃま。ご自分がどんなふうに化けたのか、できあがりの姿をちゃんと見てみたいでしょう?すぐに姿見をご用意しますね。ちょっと待っていてください」
 川原はスキップでも踏むような足取りでリビングを出て行くと、大地はようやくソファに座ることができた。向かい側に座っている藤城は大地の方を真剣な眼差しで見つめていて、思わず大地は顔が赤らんだ。
「あの……俺、なんか……変な顔になってます?」
「……どうして君は、私ではなく大良くんと先に出会ったのだろうな。運命というものが本当にあるのなら、随分と残酷なことをしてくれる……」
「……俺……その……」
「いや……今のは忘れてくれないか。確かに諦めきれないでいるが、大良くんという恋人がいる君をもう、口説こうなどというつもりはないからね」
 藤城はそう言って微笑した。
 奇妙な緊張感が高まっていたリビングの空気が、ようやく緩む。
「……俺、そういう心配してませんから……はは」
 両手を振って大地が笑っていると、川原が姿見を押して戻ってきた。
「最初に用意しておけば良かったですねえ……」
 大地は鏡の中に、完全に女性に化けた自分を見つけて、驚愕のあまりすぐには声が出せなかった。
「ほら、本当に可愛らしいでしょう?深窓の令嬢と言っても通用しますよ」
 一度女装はしたことがあるが、あれとはできばえが違う。まるで少女と見まがうばかりの姿に、大地は思わず鏡に映る自分に触れていた。
「うっわ~……気持ち悪い……自分じゃないみたいだ……」
 大地は目を何度も瞬き、頬や耳を引っ張ったりして、鏡の中に映っている人物が自分であることを確かめていた。
「ああ、本当に素晴らしいよ……」
 藤城も満足そうにそう言った。
 だが、大地はふとこの姿なら博貴のホストクラブに潜入しても、自分だとばれないのではないかという気になってきた。
「……俺、この格好で行きたいところがあるんですけど……」
 鏡を見つめたまま、大地はそう呟いた。
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