Angel Sugar

「暴走かもしんない」 第9章

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「大くん……それはもしかして、大良くんのお店かい?」
 藤城の言葉に大地は頷いた。
「……あ、うん。あいつがどんなふうに仕事をしてるのか、今までもこっそり覗いてみたかったんですけど、これならばれないかと思って。大良はただのアルバイトだって、言ってるんですけど、やっぱり気になるんだ」
 この格好なら絶対に大地とはばれない。
 そっと博貴の様子を窺うことができるだろう。
「確かに……見た目ではばれないだろうが、仕草や歩き方をもっと練習しないと、今のままでは大良くんに気付かれてしまうだろう。しばらくの間は、時間を見つけて練習してもらわないと、私の父の元へも連れてはいけないね」
 藤城は大地を上から下までじっくり眺め、苦笑混じりにそう言った。
「そうなんだ……」
「ほら、鏡をよく見なさい。可愛らしいワンピースを着ているのに、大くんは両脚を思いきり広げて立っているんだよ。不自然だろう?」
 大地は姿見に映る自分の姿を見て、顔や衣服に似合わない不自然な立ち方に、思わず笑いが漏れた。
「あはは。なんだか、すっごい、変だ」
「顔だけではピンと来ないが、女装していることがばれないとも限らないだろう?だから、大くん。しばらくは家に通ってもらって、川原さんの手ほどきを受けてもらうよ。いいね」
 優しい声でありながらも有無を言わせぬ藤城の口調に、大地は頷かざるおえなかった。
「じゃあ、今後のスケジュールを渡しておいた方がいいね。駄目な日をチェックしてもらえないかな。あと、当日になって行けなくなった場合は、いつでも携帯に連絡をくれたらいい。出来るだけ私が送り迎えをするつもりだが、無理な日は安佐を向かわせるようにするよ」
 藤城は自分のスケジュール帳を取りだし、一枚メモを切り取ると、そこへスケジュールを書き込み、大地に差し出した。もらったメモを見ると、ここへは週に二回ほど来ることになる。ただ、自分のもそうだが、博貴のスケジュールが分からないので、即答できなかった。
「俺の今月のシフトがどうなってるのか、きちんと覚えてないので、帰ってから藤城さんに連絡します。それでもいいですか?」
「ああ、それがいいね」
「さあ、大地坊ちゃん。今日の変身はここまでにして、着替えて夕食にしましょう」
「あ……はい」
「化粧の落とし方も、教えて差し上げますからね」
 川原だけがやけに楽しそうだった。
 


 夕食を終えた大地は、来たときと同じように藤城に送ってもらうことになった。
 川原の料理の腕前はプロ顔負けで、フランス料理をたらふく食べた大地は、上機嫌だった。藤城が言うには、川原にリクエストすれば、大抵の料理は作ってくれるらしい。
「俺は田舎料理しかできないから、川原さんみたいになんでも作ることができる人、尊敬するよな~」
「私は大くんの手料理を食べてみたいね……」
「そうかな~俺の料理なんて大したことないよ」
「真喜子さんがいつも褒めているよ。大ちゃんの漬け物は、一度食べたら市販のものを食べられないってね。私も一度食べさせてくれないか?」
 一度、真喜子に漬け物でお礼をしたのだが、以来、なくなると大地の携帯にメールが入る。大地も美味しいと言われると嬉しくて、必要以上に漬けていた。
「え……藤城さんが欲しいっていうなら、いくらでも持ってきますけど……あんまり美味しいって思わない方がいいかも。そういうのに限って、想像していたより美味しくない……ってなっちゃうから」
「本当かい?ああ……言ってみるものだね。大くんの漬け物食べてみたかったんだよ……楽しみにしているよ」
 藤城はそう言って、本当に嬉しそうに笑った。
 なんとなく、不味い約束をしたのだろうかと、一瞬、脳裏を過ぎったが、たくさん漬けている漬け物をお裾分けするだけだ。問題はないだろう。
「さあ、ついたよ」
「え……あ、はい」
 車はいつの間にかマンションの玄関より少し先に停められていた。だが、急に降り出した雨が、フロントガラスを叩きはじめた。
「雨が降ってきたね……」
「大丈夫です。すぐそこだから。今日はごちそうさまでした」
 大地が車から降りると、藤城も同じように車から降りて、こちらへ駆け寄る。
「俺、大丈夫ですって……あ……」
 藤城はスーツの裾をつまみ、大地の頭を覆った。小柄な大地は、頭上がすっぽりと覆われる。
「風邪を引かせるわけにはいかないからね。さあ、行こうか」
 恥ずかしい格好だったが、藤城に断るのも申し訳なくて、大地は急かされるように、マンションの玄関へ走った。
 藤城の身体の体温が感じられるほど密着し、大地は何故か心臓の鼓動が早くなった。恋愛感情などないのに、不思議だ。
「濡れなかったかい?」
 マンションの玄関先までくると、雨から大地を守っていた藤城のスーツが頭上から取り去られる。マンションホールからの明かりが眩しく、一瞬、目が眩んだが、視界はすぐにクリアになった。
「俺は濡れませんでしたけど……藤城さんは濡れたでしょう?ちっちゃなハンカチしか持ってないんですけど、これで拭いて下さい」
「大くん、今日はありがとう。じゃあ、私はこれで失礼させてもらうよ」
 大地からのハンカチを受け取ると、藤城は穏やかな微笑を浮かべたまま、雨の中へと去っていった。
 本当にいい人だよな……。
 大地が後ろを振り返りつつ、マンションのホールに足を踏み入れると、驚くべきことに博貴の声が響いた。
「どういうことなんだい、大地」
 大地が顔を上げると、博貴が腕組みをして立っていた。
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